偉人たちの健康診断「健康を制する者が天下を制す 戦国武将の健康法SP」 上杉謙信、武田信玄、徳川家康、豊臣秀吉…



『偉人たちの健康診断「健康を制する者が天下を制す 戦国武将の健康法SP」』の番組情報(EPGから引用)


2018/08/14(火) 
偉人たちの健康診断「健康を制する者が天下を制す 戦国武将の健康法SP」[字][再]
戦国武将たちの病と健康法を一挙公開!上杉謙信、武田信玄が抱えていた病とは?徳川家康が健康に目覚めたワケとは?豊臣秀吉の信長パワハラ対策とは?
詳細情報
番組内容
群雄割拠の戦国時代、武将たちは戦に勝つため、独自の方法で病を克服し、心身を鍛えていた。健康を制する者が常に天下を制してきた。武田信玄は領内の温泉を大活用!連戦連勝を重ねることに…。厳しい上司・信長のパワハラ対策として秀吉がはじめたある趣味。そこには後に天下人となった秀吉の人生を狂わせる秘密も潜んでいた。そして豊臣恩顧の大名・加藤清正の謎の死。徳川家康が毒殺したとささやかれるうわさの真相は?
出演者
【出演】関根勤,東京大学史料編纂所教授…本郷和人,【司会】渡邊あゆみ
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『偉人たちの健康診断「健康を制する者が天下を制す 戦国武将の健康法SP」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

偉人たちの健康診断「健康を制する者が天下を制す 戦国武将の健康法SP」
  1. 家康
  2. 秀吉
  3. 信玄

  4. 清正
  5. 関根
  6. 武将
  7. 謙信
  8. 茶室
  9. 本郷



『偉人たちの健康診断「健康を制する者が天下を制す 戦国武将の健康法SP」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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(いななき)

群雄割拠の戦国時代。

数々の激戦で敵を打ち負かし
その名をとどろかせた武将たち。

彼らは 戦に勝つため
果ては天下を取るために

独自の方法で病を克服し
心身を鍛えていました。

激しいライバル対決を繰り広げた
2人が抱えた病とは?

そして 戦国一の健康オタク…

彼が健康に目覚めたきっかけは…

おい 猿よ! これをやっとけ!

はあっ 親方様。

豊臣秀吉の
信長パワハラ対策とは!?

本日は 有名武将たちの
病と健康法を一挙公開!

「戦国武将SP」です。

♬~

健康のヒントは歴史にあり。

「偉人たちの健康診断」。

こんばんは。
「偉人たちの健康診断」

今回は 「戦国武将の健康法SP」
という事で 趣向を変えまして

こちらの3人で 仲良く 楽しく
お届けしてまいろうと思います。

(3人)よろしくお願いいたします。

さて 放送をスタートしてから

およそ 1年たとうと
しているんですけれども

武将だけに限ってみましても

さまざまな健康法を
ご紹介してまいりました。

ありましたねえ。
どんな事が心に残ってますか?

僕は これですよね。 これ。

信長の半分の草履。
(渡邊 本郷)足半!

(関根)これですよ。 これで

筋肉が鍛えられる。
はい 足指が強くなるので

今でも 何となく こういう
スリッパ ありそうですもんね。

そうなんですよ。 健康器具とかで
こういうのありますからね。

渡邊さんは 何かありますか?
記憶に。

私はですね これです。
あっ!

豊臣秀吉が 晩年にね
気が短く 怒りっぽくなった。

あれは 脳内の神経伝達物質の
セロトニンが

足りなかったんじゃないか
という事で

セロトニンを
うまく取り込むためには

バナナであると。
で 私ですね 毎日 バナナを

あれから食べておりまして

もうね 穏やか 優しい老人を
目指しているんです。

さあ 戦国武将という事で

ファンの間では
常に話題になるのは

一体 誰が一番強いのか
戦国最強の武将は誰か

という事なんですが
誰だと思います?


上杉謙信か武田信玄じゃ
ないんですか?

まあまあ そこらへんだったら
もう みんな納得ですね。

あんまり 反論は
出ないでしょうね。
そうですか。

上杉謙信と武田信玄
健康的には どちらが勝つのか

そこのところを
見てまいりましょう。

毘沙門天の旗のもと
向かうところ敵なし!

その戦績は…

一方 風林火山を旗印に
最強の騎馬隊を率いた…

戦国武将の中でも トップクラスの
戦績を誇る2人です。

生涯のライバルである2人は
信濃の領土をめぐり

12年にわたって
5回も戦いました。

最も激戦となったのが

信玄と謙信が
一騎打ちしたとの逸話が残る…

うお~!

うおお…。

互いを認め合った好敵手。
そんな2人の健康対決の行方は?

上杉謙信の抱えていた病。

それは 残っている資料から
推測する事ができます。

「謙信公は ご病気でもないのに
日に日に痩せていく」。

更に…。

「謙信公は 近頃 食べたものを
吐いてしまう日が多い」。

そして
36歳の時に発症した この症状。

風腫とは 大きな腫れ物の事。

急激な痩せに 嘔吐

そして 大きな腫れ物。

これらの点から推測できる
謙信が抱えていた持病とは?

医師の若林利光さんに聞きました。

増え過ぎた糖は血管を傷つけ

さまざまな合併症を
引き起こします。

謙信の左足の大きな腫れ物は

糖尿病の合併症だと
考えられるのです。

更に 痩せたり 嘔吐したりする
症状が現れると

糖尿病は
相当 重症化しているといいます。

謙信は なぜ 重度の糖尿病に
なってしまったのでしょう?

実は 体に悪い
ある生活習慣がありました。

それが 糖尿病の因子だと
考えられます。

謙信が上洛した際の
様子を伝える

関白 近衛前久の手紙です。

若者を大勢集めて

朝まで大酒を飲むのが

度々であったと書かれています。

おい お前ら!
今日は 朝まで飲むぞ!

謙信は お酒を飲む時
食べ物を食べずに


お酒ばかり飲んでいたとも
言われています。

その上 酒を飲んでいたのは

宴会の席だけでは
なかったようです。

謙信が愛用した杯。

馬に乗る時に使うものとされ
「馬上杯」と呼ばれます。

謙信は 馬に乗りながらも
杯を手放さず

酒を飲み続けたと伝わります。

直径 およそ12cm。

1合とっくり 2本半

およそ450mの酒が
一度に入ります。

更に謙信は 戦場で
弓や鉄砲の弾が飛び交う中でも

酒を飲み続けたという伝説も。

信玄と戦った
あの川中島の戦いでも

飲んでいたのかもしれませんね。

一方 武田信玄は
最強と うたわれながらも

ケガが絶えませんでした。

謙信との一騎打ちで有名な
川中島でも

腕を負傷したとされています。

他にも 信濃の武将
村上義清との戦いでは

2か所も
傷を負っています。

ううっ…。

同じ年の7月

今度は
腕と太ももを

負傷したとの
記録が…。

うおっ…。

しかし 不思議な事に 信玄は
どの負傷のあとも時間をおかず

すぐに
次の戦いに出陣しているのです。

一体 どうやって
ケガを克服していたのでしょう。

…に 謎を解く手がかりが
記されています。

信玄が傷を治したという
「島の湯」は

信玄の領国 現在の山梨県にある
湯村温泉の事。

信玄は 戦の傷の治療に
温泉を使っていたのです。

信玄にまつわる言い伝えや
文書が残る温泉は

「信玄のかくし湯」と呼ばれ

山梨県を中心に
今も数多く残っています。

それにしても
温泉につかっただけで

傷が治るものなのでしょうか?

こんな研究結果があります。

1日に20分
温泉につかったラットと

つかっていないラットの
傷の治る早さを比較したところ

温泉につかっていない
ラットの傷は

完治までに 35.4日。

一方 温泉につかった
ラットの傷は

23.8日で完治。

つまり…

傷が治る時に必要な栄養分は
アミノ酸です。

アミノ酸は 血液を通して
傷口に運ばれ

欠損した部分を埋める
コラーゲンのもとになります。

温泉の温熱効果で
血流が良くなり

アミノ酸が
たくさん運ばれる事で

傷の治りが早くなるのです。


更に お湯につかる事には
傷が早く治る以外にも…

一つは 浮力によるもの。

肩までお湯につかると

体重は 10分の1になります。

体重の負担から解放されると

筋肉に無駄な緊張がなくなり

リラックス効果があるといいます。

もう一つは
水圧によるものです。

体にかかる水圧が

血液やリンパの流れを
サポートする事で

むくみ改善や疲労回復が
期待できるのです。

つまり 信玄は…。

戦っては 温泉につかり…。

また 戦っては…。

また つかって 傷を治す。

傷を負っても
すぐに次の戦に出陣できたのは

温泉効果のおかげだったのかも
しれません。

謙信 対 信玄の健康対決は

体を気遣う意識の差なのか…

しかし…。

おお… うおお…。

そんな信玄も 1567年
47歳の時に 大病を発症します。

しかし 病を発症した翌年

信玄は 早くも戦場に出て
采配を振っています。

その次の年には 8戦
次の年も 5戦と

戦いに明け暮れ
勝ち続けるのです。

大病に苦しんでいる人が

こんなにも多くの戦に
自ら出陣して 采配を振るなど

できるものなのでしょうか?

その秘密が 山梨県北杜市にある
増富温泉にありました。

この岩風呂で 信玄が湯治した
という言い伝えがあります。

お湯の温度は 19.1℃。

入るには
かなり低めのようですが…?

実は ここ
いわゆる 「ラドン泉」なんです。

以上の事から ラドン泉は

「吸う温泉」というふうに
言われています。

「ラドン」とは 低線量の
放射線を出す 無味無臭の気体。

吸い込む事で
ラドンが体内に入ると…。

生活習慣病を抑制する
抗酸化物質や

免疫力を上げるリンパ球などを
増加させます。

その結果 肝臓障害の抑制や
糖尿病の改善など

さまざまな効果があった
という研究報告があります。

海外では こうした ラドンの
効能を使った治療施設があり

保険適用も認められているのです。

(ほら貝)

武田信玄が 内臓の大病を
患っていたにもかかわらず

戦い続ける事ができたのは…。

ラドン泉による
効果だったのかもしれません。

傷に! 病に!
温泉効果をフル活用。 それが…

やっぱり 武田信玄は
戦いが うまかったんですね。

やっぱり そうみたいですよ。

部下の意見を よく取り入れた
というような話があるし

それから
よ~く 自分でも 考えに考えた。

どこで考えた
という事になると…

ああ~!
トイレを広く作ってて

なんか6畳ぐらい作ってて

それで トイレで用を足しながら
考えてたらしいんですよ。

で 臭いがあるといけないので
香をたきしめて。

それから 一説によると 水まで
ちゃんと よそから持ってきて…

そうなんですか!
はい。

そこで きれいな 清潔なトイレで
いい匂いもする所で

「う~ん。 今度は どうするかな
戦なあ」って…。

集中してたんですね。
考えてたらしいんですよ。

さて お二方。 貴重なものを
お持ちいたしました。

こちらは 上杉謙信が 梅干しが
好きだったようなんですよ。

それで こちらは 350年物の
江戸時代初期に漬けられた梅干し。

これはですね 1, 000年続く

和歌山の老舗 梅干し専門店から
譲って頂きました。

(本郷)そうなんですか!

(本郷)一粒が めちゃくちゃ
高いとか ないんですか?

もちろんでございます。 だから
一粒しか持ってきませんでした。

今回は…

はい。
(3人)せ~の…。

あっ!
これ 僕ですか。

はい 当たりました~。
いや だけど

350年って言われてもね…。

江戸時代ですよねえ?
江戸時代の初期ですね。

かたさは どんな感じです?
やわらかいです まだ。

やわらかい!

(笑い声)

塩分がすごい! やっぱり 350年
生き長らえなきゃいけないから

その… ね 実をもたすための
すごい 塩がすごいですよ。

多少 梅の香りがあるぐらいで…。
(本郷)あと 塩ですか?

塩ですね。 だから やっぱり
おいしい梅干しって


ほんとは やっぱり
1年ぐらいじゃないですか?

(笑い声)

温泉効果で勝ち進んだ信玄は
どんどん領土を拡大。

やがて
有力武将 北条氏と同盟を結び

天下取りに王手をかけます。

そして 1572年 信玄 52歳の時

ついに 天下に号令をかけるべく
上洛を開始します。

天下は 我にあり!

まずは 隣国 遠江に攻め込みます。

そこは 31歳の若き武将…

信玄は わしが食い止めてみせる!

ところが 家康の城を横目に
武田軍は素通り。

おのれ 信玄!
わしを なめおって!

背後から しとめてくれるわ!

いきりたつ家康が
城から出て 攻めにいくと…。

なんと
武田軍が待ち構えていたのです。

ひえ~!

世に言う…

最強の武田軍相手に

野戦へと打って出た
家康の無謀な戦いでした。

命からがら 城へ逃げ帰る家康。

よほど怖かったのか…。

アッハハハ ハハハ!

あきれたお方じゃ 殿は。
アッハハ!

馬のくらに
くそを漏らしてござる。

そう指摘された家康は…。

たわけ~い! これは
腰につけた 焼きみそじゃい!

…と 言い訳したという逸話が
残っています。

恐怖で脱糞するのは…

過度のストレスなどで
排泄をつかさどっている

自律神経のバランスが
とれなくなると

脱糞や失禁などの症状が
出る事もあるのです。

ああ~ 怖かった~。

家康は この時の惨敗を
戒めとして忘れないよう

負けた自らの姿を描かせたと
言われています。

圧倒的な強さを見せつけた
武田信玄。

ところが その直後
信玄の病状が悪化。

上洛の夢半ばで
帰らぬ人となってしまいます。

信玄の死は
家康に衝撃を与えます。

あんなに強い信玄でも
死ぬんじゃなあ…。

死んでしまったら天下は取れない。
生きていなければ。

長生きしなければ
天下など取れんのじゃ!

こうして 家康は

健康オタクへの道を
突き進む事になるのです。

健康への道は まずは 食生活から。

記録によると 家康は

食べるものには
必ず火を通し

夏でも 温かいものを
食べたといいます。

当時 多かった
食中毒を避けるためでした。

実は
温かいものを食べる事には

更なる健康効果がある事が
分かってきました。

体が冷えて 体温が1℃下がると

免疫力は およそ30%落ちると
言われています。

つまり 病気にかかりやすくなる。

家康が 必ず
温かいものを食べていた事は

免疫力アップにつながる
食生活だったのです。

そして
こんな言葉も残っています。

ある時 織田信長が
時期外れにとれた

珍しい桃を
家康に送ってきました。

家臣たちは大喜び。

しかし 家康は見ただけで

一切 手をつけなかったと
いいます。

旬のものだけを食べる事を
徹底していたのです。

実は これも理にかなった判断。

旬の時期にとれた野菜や果物は
季節外れのものに比べて

ビタミンCなどの栄養価が
高い上に

香りや うまみが
豊富だとされています。

あの信長からの贈り物でさえ
口にしないほどの

徹底した食事管理が
家康の健康を支えていたのです。

口にするもので
こだわっていたものが もう一つ。

それは 「薬」です。

医者が処方する薬では満足せず

漢方の医学書や薬学書を
読みあさり

自らの手で調合したと
言われています。

…に 入れていた事から

名付けられた 「八之字」。

12種類の生薬を調合した
漢方薬ですが

一体
何に効く薬だったのでしょうか?

特に 赤石脂という
粘土で作られた生薬は

胃の腫瘍に働くと言われていて

そういう事から考えますと…

そろそろ 飲む頃合いじゃのう。

八之字 八之字っと。

家康は
「八之字」を

毎日 欠かさず
服用していたといいます。

体の不調を自分で見つけ
自分で対処する。

まさに 今でいう…

そして 日々の運動も
欠かしませんでした。

弓や鉄砲 鷹狩り 水泳など

さまざまな運動にいそしみ

まさに 健康オタクの道を
まい進します。

そして…。

(銃声)

家康 41歳の1582年

天下統一を目前にした
織田信長が

明智光秀の謀反により
本能寺で死去。

やはり 生きていてこその天下。

まだまだ頑張らねば!

そして 1589年
信長の跡を継いだ豊臣秀吉が

北条氏を破って…

この時 家康は 秀吉に次ぐ
大大名となっていました。


秀吉が死ねば 次は わしの番…
もう一息じゃ!

この時 家康 48歳。

当時としては
初老に さしかかっていました。

しかし 家康には 生涯にわたって
体力を保つための

スペシャル健康法がありました!

こんな文書が残っています。

こちらは 家康が晩年を過ごした…

城から
およそ 700mの場所に…

ありました!

生涯にわたり
毎日 乗馬を続けた家康。

実は 今 乗馬は
高齢者などの健康増進に

大きな効果があるとして
注目を集めています。

「ホースセラピー」
という治療法です。

乗馬は…

…リハビリとして
取り入れられているのです。

こうして 食事管理 薬の服用
ホースセラピーと

あらゆる手を尽くして
健康長寿を目指した家康。

57歳になった時…。

ついに
天下人 秀吉が病死。

いよいよじゃ!

天下分け目の…

この戦いに勝利した家康は
1603年 江戸に幕府を開きます。

信玄に惨敗してから
実に 30年以上の時を経て

ようやく つかんだ
天下人の座でした。

さあ よしよし。
さあ 行きましょう。 はい。

よしよし。

おお~!

(関根)すごいなあ。

かわいいですよ~。

はい もう なんか
遊園地 行ったみたいで

ちょっと…。
はい ありがとうございます。

ああ そうですか!
いい年です。

ちょっと 同世代な感じで。
(関根 本郷)そうですね。

この馬の揺れがですね
体の芯 体幹を鍛えるのに

とても良いという
家康公のホースセラピー。

僕もね 乗馬 何度かした事が
あるんですけども

この内側を締めるんですよね。
だから…

体の芯が。
内股ですか?

ここを グッとやんないと

危なくなる。
揺れちゃう。 今も だから

ここで押さえないと
落ちたら まずいと思う。

だから ふだん鍛えられない筋肉が
鍛えられるんですよね。

よく言われるのは やっぱ 在来馬。

ポニーっていうのは
この肩までの高さが

147cm以下の
馬の総称なんですって。

まあ ミニチュアホースとも
言われますけれど。

ですから これより小さい馬に
当時は乗っていたのではないか。

ほんとに だから これだったら

えっと… あれですね。

昔の人だったら乗れますね。
乗れます!

小柄だったから。
十分 乗れる。

やっぱり 馬と触れ合うと
かわいいもんですよね。

かわいい!
そうですね~。

乗馬セラピー 馬セラピー
いいかもしれませんよ。

でも 笑っちゃうのは
家康は やっぱり

馬と それから 水泳
もう これをやっとくと

もう 逃げられるからっていう。

なるほどね!
人任せにしない。

そうか 戦場で危ない時に
乗馬がうまければ…。

逃げられる。
悪路も逃げられるし

川があれば 泳いで逃げられる。
泳いで逃げる。

そういう事か!

はい 健康オタクだった
家康なんですけれども

医者よりも詳しかったと思われる
薬の知識を

ある悪い事に
生かしていたかもしれません。

62歳で 江戸幕府を開き
天下人となった家康。

しかし 気分は
晴れやかではありませんでした。

大坂には 先の天下人である
秀吉の跡取り 秀頼がいて

それを慕う豊臣恩顧の武将たちも
数多く残っています。

今でこそ
おとなしくしているものの

家康が死ねば
謀反を起こす事は明白。

そうなれば 江戸幕府は転覆し
徳川の世は終わってしまう…。

豊臣恩顧の武将の筆頭が…

やりの名手として知られ
勇猛果敢な清正。

中国大陸最強の動物 トラにも
やり一本で立ち向かい

見事 討ち取ったという
豪快なエピソードが伝わる…

豊臣家に忠義を尽くす清正は

家康にとって
目の上のたんこぶでした。

清正め… あやつは邪魔じゃ!

大したものはござらんが
ゆるりと召し上がれ。

家康は 清正をはじめとする
豊臣恩顧の武将たちを

食事に招きます。

その時の様子が書かれた文書が
残っています。

食事会の1か月後の5月

清正は
船の中で

突然 高熱に
襲われます。

そして 2か月後の6月24日
帰らぬ人となるのです。

実は 清正だけでなく

家康との会食に同席していた
豊臣恩顧の武将が


その後 次々と急死しています。

それゆえ まことしやかに
ささやかれているのが…。

中国から医学書を取り寄せて
自ら調合するほど

薬に詳しかった家康。

これは 徳川家に伝わる秘薬…

古から伝わる「烏犀圓」の処方に

家康がオリジナルで生薬を足し
アレンジしたものだといいます。

これらの生薬の中に 猛毒を持った
「トリカブト」が使われています。

ある資料によると
死の直前の清正の症状は…。

もしや
清正の死因はトリカブト?

しかし 専門家によると
トリカブトの症状は

清正のものとは異なるといいます。

しかも 即効性があるため

2か月もたったあとに死ぬ事は
通常 考えられないというのです。

では 一体…?

ヒ素ってのは
少しずつ投与された場合には

だんだんと
体が弱っていくような

高熱が出たりとか
意識がおかしくなったとか

色素が沈着するとかですね

このようなのが症状として
ありうるんですね。

ヒ素を少量ずつ投与されると

発熱や嘔吐の症状が現れ
意識が混濁。

呂律が
まわらなくなり

全身の皮膚に
色素が沈着して

黒くなってきます。

清正の症状は
全て当てはまるのです。

しかし…

家康との会食から
清正の死まで およそ2か月。

その間 家康が清正と会った
という記録はありません。

実は その謎を解く手がかりが

御三家の一つ 水戸徳川家ゆかりの
資料に書かれています。

清正は 家康と
対面した時に出た

まんじゅうの
毒にあたって

死んだと
いうのです。

清正殿 つまらぬものじゃが
土産を持たれい。

うお…! うう…。

こうして 清正たち
豊臣恩顧の武将たちが

次々と亡くなるのを見届けた
家康は…。

よし 機は熟した。

出陣じゃ~!

…で ついに
豊臣家を滅ぼすのです。

さてさて 毒殺の…

ワーッハッハ ハハハ…
ワーッハッハ ハハハ…。

家康以降 250年にわたって
徳川の世が続くんですけれども

さまざまな将軍も出てまいります。

今までに その将軍たちの健康法
というのも ありましたよね。

そういう将軍たちの中で
最後の将軍 15代将軍の慶喜さん。

自分のいけてる写真を見て
「いけてるじゃない?」って思う

写真セラピーっていうん
でしょうか。 自信を持つために。

なんていう事を
やっていたと思われる

というのがありました。
ありましたね!

覚えてます? ねえ。
(関根 本郷)覚えてます。

自分が ちょっと いいかな
っていうとこ撮ってもらう

という事で お二人で 今日は
カメラも用意してきましたので

撮り合って頂こうかと。
そうなんですか。

関根さん 是非ね 本郷先生。
関根さんは ほら

撮られ慣れてるから。
(関根)僕はね。

(本郷)
僕 めったに撮られないですよ。

だから いいじゃないですか
この機会に。              え~。

どうでしょうね だから…。
ちょっと立って頂いて。

どこがいいですか?
ここがいいですね。

この横で 肩組んで。

こういう感じ?
そうそう!

撮れました?
ああ いい感じ いい感じ。

いいです。
どれどれ?

(関根)いいですよ~。

なんか
すごく いい写真になりましたね。

ちょっと 下から撮りますから。
下から…。 あおってます?

ちょっと 変な あれじゃない
ですか? 大丈夫ですか?

何 言って…。

撮れたかな?

なんか 色合いもいいじゃない。
(関根)いいですよ。

コーディネートが ちょっと!
(本郷)困ったな~。

(関根)自分で見て どうですか
やっぱり。 戦国武将と…。

う~ん… ちょっと なんか
どっちかっていうと

背後霊みたい…。

どっちが背後霊?
(本郷)いやいや…。

さて 戦国大名の中で 戦国一
パワハラ大名といいますと

織田信長ではないでしょうか。

家臣だった豊臣秀吉 いかにして

そのストレスを
緩和していたのでしょう。

農民の出身ながら

誰も果たせなかった
天下統一を成し遂げた武将…

しかし その半生は
主君 織田信長のもとで

身を粉にして働く
厳しい日々の連続でした。

「魔王」の異名をとった信長は

家臣に対し
厳しい命令を出す事で有名。

たとえ
長年 尽くしてきた家臣でも

戦果をあげなければ
親子ともども 即追放。

鷹狩りに出かけた
信長が通る道に

家来が誤って 石を
落としてしまった時には

激高して
その場で処刑…。

部下の失敗は絶対に許さない!

信長は それはそれは
恐ろしい上司だったのです!

おい 猿よ! これをやっとけ!

はあっ 親方様。

おい 猿よ! あれもやっとけ!

ははあっ 親方様。

1570年 越前で行われた

金ヶ崎の戦いで劣勢になった時…。

おい 猿よ。 わしは逃げる。

あとは任せた!

は は… はい? 親方様?

頼んだぞ~。

親方様~!

信長を逃がすために
最後尾で敵を受け止める

「殿」を
務める事になった秀吉。

まさに 命懸け…。

秀吉のストレスが
殊の外 高まったのは

現在の兵庫県
播磨の国で行われた戦いでした。

中国地方を治める
毛利氏を討つための作戦で

秀吉は 初めて 指揮官の
大役を任されます。

1578年 その最前線

播磨の三木城を攻める
指令を受けるのです。

しかし 秀吉は…

う~ん… 全然 落ちんのう。

きっと 親方様は お怒りじゃ…。

おい 猿! 何をしとるんだ
お前は! この能無しが!

一体 どうすれば いいのだ?
ああ 胃が痛い。

激しいストレスに さらされた
この状況で

秀吉が行った事が
資料に記されています。

つまり 秀吉は…

茶会は
当時 有力武将たちの間で

社交や 気分転換のために
行われていた 流行の催しでした。

しかし 信長は配下の武将が勝手に
茶会を開く事を禁じていました。

武功をあげた重臣にしか
許さなかったのです。

それまで 一家臣にすぎなかった
秀吉も 今回…

秀吉は 自らの陣地に
簡易な茶室を造って

茶会を開いたと考えられています。

いかがですかな?

秀吉は
茶会を どう感じていたのか?

こんな言葉が残っています。

(女性)お点前 頂戴いたします。

茶会に リラックス効果がある事は
科学的にも裏付けされています。

お茶を飲むだけで
ホッとするのは

抹茶の中に多く含まれる
うまみ成分 テアニンのおかげ。

テアニンを摂取すると

人がリラックスしている
状態の脳波

アルファ波が出るとの
研究結果があります。

そして 最も リラックス効果に
関係しているのが

狭くて薄暗いという
茶室のつくりです。

専門家 立ち会いのもと
こんな実験をしてみました。

人は リラックスすると

唾液中の消化酵素
アミラーゼの濃度が下がります。

広くて明るい部屋にいた時の

6人の被験者の数値は
ご覧のとおり。

続いて 狭く薄暗い茶室で測定。

すると 6人中5人が
茶室に入る事で濃度が低下。

つまり リラックスしている事が
分かります。

更に 一番 差が大きかった男性の
心拍数の推移を見てみると…。

茶室に入ってすぐに
心拍数が下がり始め

僅か20秒で
リラックス状態になっています。

更に 茶の湯で飲む抹茶は

その健康効果が
世界的に注目されています。

アメリカの ある研究によると

疲労回復につながる

「抗酸化作用」が特に強く

ザクロやブルーベリーの
およそ15倍との結果も。

つまり 戦に疲れ 大きな
ストレスに さらされていた

秀吉が
茶室で茶会を開いた事は…。

心と体を回復するのに 極めて…

三木合戦以降 秀吉は 戦いの度に
茶会を開くようになります。

こちらは 国宝の茶室…

秀吉が 山崎の戦いの折

お抱えの茶人 千利休に造らせた
茶室です。

広さ 僅か2畳。
狭く薄暗い室内は

リラックス効果に
満ちあふれています。

秀吉は 戦の度に
茶室で心を癒やし

天下人への階段を
上っていきました。

ところが
その後 権力を握るに従って…

こんな文書が残っています。

秀吉が大坂城に造らせたという…

天井や壁 柱 茶器に至るまで
金箔が張り巡らされた

豪華絢爛なもの。

そこに 「薄暗さ」は
みじんも感じられません。

更に 秀吉は京都で大茶会を開催。

1, 500人以上が参加したとされる
この茶会は

茶室の「狭さ」とは程遠い
一大野外イベントでした。

秀吉の茶会は

権力を見せつけるためのものに
なってしまったのです。

このころから 秀吉は
疑心暗鬼に陥るようになります。

利休め あやつは切腹じゃ!

あらぬ疑いをかけて
寵愛した利休を切腹させ…。

秀次め けしからん! 切腹じゃ!

自ら関白の座を譲った甥
秀次までも 謀反の疑いで切腹。

それでも飽き足らず
秀次の正室 側室 子女

そして 侍女に至るまで 39名を
正当な理由もなく 処刑します。

権力の頂点に上り詰めた秀吉は

もはや 誰の声にも耳を貸す事なく
無謀な朝鮮への派兵を決行。

自らの体制を
弱体化させてしまうのです。

かつては 「人たらし」と言われた
秀吉の 晩年の心の闇。

もしかしたら
茶室の好みの変化と

無関係ではないのかも
しれません。

やっぱ お茶は落ち着きますね。

落ち着くんですよね。
おいしいですよね~。

これ 石田三成が
いれてくれた感じですね。

という事は 三献茶ですか?
ええ 三献茶!

2杯目ぐらいですかね。
これは…。

たっぷり入ってますから。
1杯目かもしれない。

(関根)うまい。
おいしいですね。

今日は ご一緒にですね

戦国武将の健康法を
見て頂いたんですけれども

え~ どういうところが…。
これはいい!

どうでした? 私の乗馬姿。
(関根)いいですねえ。

最近 ほら
お孫さんもいらっしゃるから。

都内で あるんですよね。
ポニーっていうか

乗馬できる所もあるんです。
だから あそこ

もうちょっと大きくなったら
連れていきたいなと思って。

乗馬は いいですねえ。
動物との触れ合いは

絶対 いいですよね。
いいですね~。

これからもですね
この「偉人たちの健康診断」は

さまざまな 知られざる健康法を

あぶり出して
お伝えしていこうと思います。

どうぞ 二人も 今後とも
よろしくお願いいたします。

(関根 本郷)
よろしくお願いいたします。

激動の時代を駆け抜けた
戦国武将たち。

彼らの健康にまつわる資料は
ほとんど残っていません。

しかし 意外なところに…

武将が残した数々の名言。

そこにも 健康のヒントが
あるかもしれません…。

戦国の革新者と言われる…

自分らしく生きる事は
心身の健康につながるとする

いわゆる
クオリティー・オブ・ライフの考え方を

先取りしているようです。

天下統一を初めて成し遂げた
豊臣秀吉の口癖。

良い夢を見る事ができる
そんな良質の睡眠は

健康な体づくりで
最も大切な事の一つです。

250年続く
太平の世の礎を築いた…

悪い生活習慣こそが
大病の原因という

現代医学が至った結論と
同じです。

自分らしく生き よく眠り そして
自らの生活習慣を見つめ直す。

歴史上の偉人たちの英知には

私たちが学ぶべき事が
まだまだ ありそうです。


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