先人たちの底力 知恵泉 名君なれど名君ならず 徳川綱吉“恐れず”に行動せよ! シダックス最高顧問…志太勤、渡辺満里奈…



『先人たちの底力 知恵泉▽名君なれど名君ならず 徳川綱吉“恐れず”に行動せよ!』の番組情報(EPGから引用)


2018/08/21(火)
先人たちの底力 知恵泉▽名君なれど名君ならず 徳川綱吉“恐れず”に行動せよ![解][字]
人間より犬を大事にしたと言われ、暗君と評される江戸幕府5代将軍・徳川綱吉。しかし悪法と言われる「生類あわれみの令」は、人間の命を重んじる画期的な政策だった…!?
詳細情報
番組内容
綱吉の治世のころは、一般的に平和な時代と言われている。しかし町では、けんかによるにん傷沙汰や捨て子などが横行し、戦国時代の命を軽んじる風潮が続いていた。儒学に没頭し、高い倫理観を身につけていた綱吉は、そうした世の中の価値観を変え、武力ではなく「ルール」によって政治を行おうと動きだす。身内でもルールに背けば厳罰に処した。また、福祉政策とも言える捨て子対策を打ち出し、後に生類あわれみの令となっていく。
出演者
【ゲスト】シダックス最高顧問…志太勤,渡辺満里奈,東京大学史料編纂(さん)所教授…山本博文,【司会】新井秀和
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『先人たちの底力 知恵泉▽名君なれど名君ならず 徳川綱吉“恐れず”に行動せよ!』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

先人たちの底力 知恵泉 名君なれど名君ならず 徳川綱吉“恐れず”に行動せよ!
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『先人たちの底力 知恵泉▽名君なれど名君ならず 徳川綱吉“恐れず”に行動せよ!』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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江戸時代に悪名高かった
あの将軍!

今回は
意外な名君ぶりが明らかに!

そっか~ やっぱ
言いにくいもんなんだね~

そういう事って。

え!? 下手な事 言うと
パワハラだって言われちゃうの!?

うわ~ 難しいね。

ふ~ん。
また店主が変わったんですよね。

あ ごめん ごめん お客さんが
いらしたんで 切るね うん。

また電話します。 あ こんばんは。
(一同)こんばんは。

失礼しました。
どうぞ お掛け下さい。

いらっしゃいませ
お待ちしておりました。

このお店 新しい店主さんに
なったって事で

何やら張り切ってると 先生に
伺ったんで 伺ってみました。

はじめまして
よろしくお願いいたします。

すいません なんかね せっかく
来て頂いたのに バタバタして。

お電話中で なんか
忙しかったんじゃないですか?

すいません。
いや そうなんですよ。

私の友人が 最近
管理職になったんですけれども

ちょっと 相談 受けてましてね。
部下に なかなか

はっきり物を言いにくい雰囲気が
あるっていうんですよ。

なるほど。 最近 デリケートなね
問題になってますよね。

学生をね 怒ってもね
パワハラになったりしますからね。

だから なかなか怒れないとかね。
まあ 私は怒んないですけどね。

(笑い声)
ほんとですか?

難しい時代ですよね。
まあ そういう中でもね

自分の思う事を
カッチリやろうというんで

自分の考えを前面に押し出した
将軍が 江戸時代にいるんですね。

五代将軍の綱吉なんですけどね。
そうなんですよ。

私も 是非 その綱吉の事を
お聞きしたいと思って

今日 先生を お呼びしたんですよ。
はい どうも。

江戸300年の歴史の中で

世にも奇妙な あだ名を付けられた
将軍がいます。

その あだ名とは?

江戸幕府の…

人間より犬を大事にしたと
いわれる…

その決まり事を制定した事で

当時も今も 評判の悪い将軍として
捉えられているのです。

更に…

「喧嘩両成敗」という
ルールを破り

浅野内匠頭にだけ
即日切腹を命令。

不公平な裁定を下した事で

その悪名は
決定的なものとなりました。

他にも お気に入りの家臣だけを
側近に引き立てるなど


綱吉は
権威だけをかざす「暗君」として

その名を
歴史に残したのです。

しかし 最近の研究では

綱吉の政策は 時代を先取りする
画期的なものだったという

再評価が行われています。

特に弱者を助ける 保護するという
側面での意識っていうのは

かなり芽生えてきたのではないか。

綱吉が将軍になった時 社会は
まだ戦国時代の気風が残り

命を軽んじる価値観が
当たり前でした。

そんな殺伐とした社会を

思いやりをもって暮らせる社会に
変える。

綱吉は 新たな時代の 新たな
価値観を つくり出すために

志太さんは およそ65年間
社会のニーズを先読みし

あまたのビジネスモデルを構築。

会社と従業員を
順応させてきました。

1950年代後半
大衆食堂から始めた商売は

当時 右肩上がりに増加していた
学校や企業向けの給食事業に展開。

1974年 時代を先駆ける
画期的なカフェテリア方式を

その後
図書館などの公共施設の運営

企業が所有する
役員車や送迎バスの運転代行。

スポーツジム カルチャースクール
などの分野にも進出。

サービスを提供する会社を軸に
事業の多角化を進めています。

ビジネスが変わる度に
新たなルールを取り入れ

社員と価値観を共有してきた
志太さん。

徳川綱吉の 新たな時代を
切り開こうとした知恵を

こんばんは。
お待ちしておりました。

どうぞ どうぞ お掛け下さい。
失礼します。

志太 勤さんです。
よろしくお願いいたします。

どうぞ お掛け下さい。
あ 大丈夫ですか?

志太さん ほんとに
いろんな業態を変化させて

会社を成長させてきた。
ええ。 業態を いろいろ変化…

たくさんのものをやった
というのはですね

ですから いろんな商売をやった
というのはですね

私は もう何でもよかった。

何でも ともかく 日本一に
なるものなら何でもいいという

もう がむしゃらに
いろんなものを挑戦したんですね。

ですから 失敗ばっかり
だったんですけど まあまあ。

そんな事は 全部 私の肥料に
なっていて今日があるんですかね。

失敗が肥料になってる。
そんな事ですかね。

失敗が肥料になっていると。

さて 今回の主役は 徳川五代将軍
綱吉なんですけれども

渡辺さんは この綱吉という人物
どんなイメージをお持ちですか?

やっぱり あの~
お犬さまっていって

なんかこう 人間よりも 犬とか
そういう動物を大切にした


ちょっと とっぴな発想の
将軍様なのかな~っていう

イメージしかなかったですね。
そうですよね。

でも 犬を大事にするという点では
どうですか?

あっ それは
すばらしい事だと思います。

私も すごく犬好きなので。

今日 私 いぬ年だから
呼ばれたっていう話なんですけど。

いぬ年でいらっしゃいますか?
はい。

私も いぬ年なんです。
志太さんも いぬ年で。 なるほど。

そこらへんが ちょっと
とっぴなんで評判が悪いんですね。

でも この時代ってのは
いわゆる 武断政治っていう

武でもって
大名や民衆を抑える政治から

文治政治っていう 道徳とかね
要するに文学で 民衆を統治する

統治っていうか 教化する政治に
大きな変換を遂げるわけですね。

その先頭に立ったのが この
綱吉なんで。 そういう意味では

綱吉って 最近 評価が
また高まっているっていうか

再評価されてるんですね。
へぇ~。

という事で 私が用意しました
今日のメニューは こちらです。

このメニューには 「恐れない」って
いう気持ちも込めているんです。

どうでしょう?
あ~…。 あ~ あれ?

あれ? あんまり 反応が…
よくなかったかな?

これ 志太さんのレストランで
どうですか?

どうかな~
肝ってのは苦いからね。

(笑い声)

え~ 私は今 元禄時代に
徳川綱吉が創建した

東京・神田の湯島聖堂に
来ています。

ここ湯島聖堂というのは
儒学の勉強に熱心だった綱吉が

儒学の祖である孔子をまつる
学問の府を

ここにつくった
という事なんですね。

早速 行ってみましょう。

将軍・徳川綱吉は
元禄3年 この湯島聖堂を創建。

自分の家臣だけでなく
浪人や町民にも開放し

儒学を学べる場を整えました。

儒学は 中国から伝えられた
儒教を研究する学問で

当時は 一部の人が関わる
特別な学問でした。

今では 当たり前に聞こえる
これらの道徳を

綱吉は 終生 大事にし
政治の基本としていました。

この儒学との関係を
ひもとく事が

類いまれな政策を打ち出した
綱吉の真意を探る近道になります。

綱吉は 江戸幕府が開かれてから
およそ40年後

時の最大権力者である三代将軍
家光の息子として生まれました。

既に3人の兄が存在し
しかも側室の子供だったために

誰からも将軍になる人物とは
思われずに育っていきます。

兄・家綱が 四代将軍の時
15歳になった綱吉は

上野国 館林に領地を与えられ
大名となります。

しかし 家綱の家臣が
城代として派遣され

綱吉の
大名としての実権は

その後も
ほとんどありませんでした。


そんな中 綱吉は
江戸の神田にある屋敷で

あるものに
情熱を注ぐ事になります。

それが 儒学。

期待もされず なすべき役割のない
自分の存在意義を

学問の中に
見いだそうとしたのです。

倫理 道徳 秩序を重んじる
儒学の教えによって

綱吉は 折り目正しく
曲がった事が嫌いな

正義感にあふれる人間へと
なっていきました。

そんな綱吉が 日々
心を痛めていた事があります。

それは 江戸城への行き帰りに
見かける 町のありさまでした。

真っ昼間から行われる けんか。

刀や刃物で命を奪い合う事も
珍しくありませんでした。

更に 旗本の子供や
浪人たちの中には

「かぶき者」と呼ばれる集団が
現れ

乱暴ろうぜきや つじ斬りが
横行していました。

また れっきとした大名の
家臣の中でも 気に入らなければ

ところかまわず刀を振り回す事が
ざらにありました。

戦国時代が終わってから
既に 60年。

しかし 武力こそが第一で

人の命を軽く見なす価値観が
根強く残っていたのです。

儒学の教えを 己の価値基準と
していた綱吉にとって

「現状の世の中」も
「幕府の無策ぶり」も

耐えられなかったに
違いありません。

その やるせない思いは

期せずして転がり込んだ
五代将軍就任によって

果たされていく事になります。

綱吉が35歳の時
四代将軍の家綱が死去。

子供がおらず
弟も綱吉だけになっていたため

跡を継ぐ事になったのです。

綱吉は 儒学の教えを元にした
世直しを行うため

今まででは考えつかない
思い切った政策を

打ち立て始めます。

社会の価値観を変えるには
どうしたらいいのか…。

綱吉は まず 支配階級である
「武士」の あり方から

手をつけ始めます。

とりわけ厳しく接したのが 就任後
すぐに処断した親戚の騒動でした。

越後高田藩で起こった お家騒動。

跡継ぎのもめ事から
藩内抗争に発展していました。

越後高田藩は
家康の次男の血を引き

御三家に次ぐ
高い家柄。

幕府にとっては 徳川宗家を支える
要となる大きな藩でした。

ところが 綱吉が将軍になる前

家督争いが起こり
幕府が介入。

高田藩の
一方に肩入れして跡継ぎを決め

もう片方の
家臣たちを

監禁処分に
するなどして

騒動を
収めました。

この裁定により 一旦は
解決したかに見えましたが

藩内には 不満が蓄積。

家臣同士の争いは続き
200人近くの脱藩者を出すなど

全く解決には
至っていませんでした。

綱吉は 過去の裁定を再び審議する
という決定を下します。

それを危ぶんだ御三家の筆頭
尾張藩の藩主が綱吉に忠告します。

「格別な配慮が必要である」。

しかし
綱吉は ひるみませんでした。

再審理を始めて半年後
綱吉は裁定を下します。

かつて幕府が肩入れした一派も

処分された
一派と同様

処分を下します。

騒動の中心となった
家老親子は切腹。

その他の家臣は
軒並み流罪としました。

処分は それだけに
とどまりませんでした。

争いを繰り返す家臣を
抑えきれず

騒動を放置し続けた藩主を改易

お家取り潰しとしたのです。

更に 処分は
幕府の役人にも及びました。

かつて不平等な裁定に関わった
大目付は 八丈島に流罪。

大老や老中は
既に亡くなっていたため

跡を継いでいた息子たちが
謹慎処分となったのです。

前時代的な「血の濃さ」よりも

ルールに従って
政治を行おうとした綱吉。

この越後高田藩の裁定は

新たな価値観の構築に
大きな意味を持っていたと

専門家は見ています。

綱吉というのは
政治全体がですね…

将軍の力っていうものが
強いっていう事を

見せる演出が働いてるんだなと
いうふうには そこには思います。

綱吉は その後も
問題を起こす大名を

次々と 改易や減封という
厳しい処分に付していきます。

その数は 40以上にも及び

大名や武士たちに 争いを
避けなければ どうなるかを

知らしめていきます。

綱吉は まず身近にいる親戚を罰し
社会を変える第一歩としたのです。

う~ん…。
いかがですか? 渡辺さん。

いや あの 身内から処分するって
なんか できそうで


なかなか できないんじゃないかな
って思うんですけれども

かなり これは
思い切った策だったんですか?

思い切ってますね。 あの~
お家騒動で 両派が争うのは

喧嘩両成敗で
どっちも処罰していいんですが

藩主に関しては
秀忠の孫なんですよね。

徳川家にとっても 非常に大切な
人物なので 当時の老中たちも

彼だけは処罰しないように
してるわけですよね。

綱吉は 生まれながらの将軍じゃ
なくて 将軍になったので

正しい事を 自分の力で
行うんだっていう事で

こういう果断な処分を
したんだと思うんですね。

他の人じゃ
なかなかできない事ですよね。

志太さんは
ご覧になって いかがでした?

一般の方に広がったんでしょうね。

恐らく それが新しい価値観に
なったんですかね。  そうですね。

みんな こういう親戚まで…
親戚っていうかね

そんな大切な家まで
処分するっていうと

次 自分たちが危ないっていうんで
かなり緊張しますよね。

そういう事によって 将軍権力の
確立というかね 再強化ですかね

それを図りたかったっていうのも
あるかもしれませんね。

兄の家綱っていうのは
生まれながらの将軍なんで

家臣に全部任して あんまり
厳しい事やらないんですね。

自分は それじゃいけないっていう
ふうには思ったっていうのも

あるんでしょうね。

よきにはからえっていう
時代から

価値観でやるという 思い切った
事をやるという事なんですかね。

彼が ずっと追い求めてきた
儒学の理想ですよね。

仁の行いをするとか
忠義を大切にするとか

そういうものをやろう
という事で

いろいろと 人に そういう事を
強制していくわけなんですよね。

でも なんか ねぇ つじ斬りなんて
いう言葉も出てきましたけれど

当時は どうなんですかね 道徳心
みたいなものっていうのは

もうなかったんですか?
道徳心はあるんですが

武士というのは 恐れを
感じないとか 臆病は嫌うとか

その辺に歩いてる人間を斬るって
いうのは 勇気がある事だとか

そういう間違った価値観も
あるわけですね。

あとは刀を試し斬りをするとかね
そういうふうな人もいるわけで。

そういう戦国の余風を
まだ引きずってるような人間を

それじゃ もう駄目なんだ
っていう事を

思い知らせようとした
という事なんですかね。

どうですかね 志太さんとしては

当時の綱吉は そういう政策を
やりやすかったと思います?

それとも やりづらかったと
思います?  いやいや。 最初

身内でない方やれば なかなか
やりにくくなったんですけど…

志太さんは
そういう ご経験ありますか?

う~ん… その例になるかどうか
分かりませんけどね

私の長男が会社をやってましてね。
後を継いでらっしゃるわけですね。

その会社が たまたま
いろんな発展していってですね…

で その病院の仕事というのは

本体の長男の方は 病院の給食
ずっとやってたもんですから

ちょっと 中で バッティング
してしまうわけですね。

兄弟の中で。
ええ。

ちょっと もう 2人の…
うまくないわけ。

そういう時にですね
まあ あの~…

彼は
別の自分の会社をつくりまして

そちらの方をやった
という事ですね。

という考え方で…

それぞれに よく理解さして

そういうふうにしていった
という事ですね。

それは ご次男からは
不満は出なかったんですか?

いや まあ その… うちの基本的な
コンセプトというものは

よく
理解さしているもんですから

自ら 「自分は違う方 いきますよ」
という形なんです。

まあ 仕事 別にやってて

けんかするつもりでも
なかったでしょうけど

お得意さんから
どんどん頼まれると

やっぱり それやっていかなければ
ならなくなるんですね。

という事だったんじゃないかと
思うんですけれど。

故意に そんな事したわけじゃない
と思うんですけど。 ええ。

ご長男 ご次男 どちらかに
すごい厳しくしてしまうとか

そういう事は…?
う~ん まあ そういう事を

たまに家内に叱られるんですよね。
私そんな事なくているんですけど。

そこを納得さしていかないと
いかんじゃないですかね。

なかなかね それが難しいかなとは
思うんですけれども

渡辺さん どうですか?
例えば ご家庭の中で

自分の子供に厳しくするとか
ありますか?


公共の場で マナーが悪かったり
ルールを守れないという時は

たくさん子供がいても
どうしても自分の子供に

「あんまり そんな
騒いでないかな」とか思っても

まず 自分の子供を
すごく怒るとか

「ちょっと周りも聞いててね」
みたいな気持ちで言ったり

どうしても厳しくは
しちゃいますね。

あと夫は 毎週末
長男と野球に行くんですけど

コーチをするんですね。 その時も
やっぱり自分の子供には

すごく厳しくしてしまうっていう
ふうには言ってます。

どうしても 自分の子供だけに甘い
とこ見しちゃいけないみたいな。

だから 「何で僕ばっかり」とか
「何で 私ばっかり」とか

「それやってない」とか
言われる事もあります。

子供にとっては理不尽だけど

親は なかなか人の子を
怒れないですからね。

どうしても 自分の子を
怒ってしまいますよね。

怒っちゃいますね~。

「世の中を変えよう」じゃ
ないですけれども

周りにも変わってほしい時は
まず身近から改めるっていう。

そういう事は よくですね
会社でもありましてね

最初から話をしときましてね。
「お前を叱るからな」。

そういう事があるんですよ。
そうですか。

みんなに言うために
彼を叱るという事。

そういう事は よくしますですね。

そうですか。 そっちの方が
伝わりますか?   伝わりますね。

あ~…。

志太さんは 新しい事を始めて
業態を変化させていく時に

会社の中にいる 例えば
マネージメント層というか

幹部と呼ばれる人たちの
価値観って

そう簡単に変わるんですか?

とても簡単な事じゃ
ないんですけど

よく この会社の
基本的な考え方とかですね

そういう事を じっくり話を
していかなきゃならん

という事だと思うんですけど。

毎週やりましてですね

最初の頃は 4~5人ずつだったん
ですけどね それがしまいには…

店長クラス集めてやった
次々にですね。

そして 考え方を決めた
という事なんですね。

この前も だいぶ前ですけど
幹部の者が集まった時ですね

「俺の話を 5年間 4年間
4回 聞いたやついるか?

手を挙げてみろ」と言ったら
30~40人 手を挙げましてね。

(笑い声)
えらく うれしかったですよ。

伝わってたっていう…。
そういう事ですね。

そういう事していかないかんって
事ですね。

厳格なルールですとか 公平な裁定
という点でいいますと

松の廊下の事件ですよね。

あの綱吉の裁定っていうのは
正しかったんでしょうか?

綱吉としてみればですね 江戸城で
大切な儀式を行ってる時に

一方的に刀を抜いて相手に
斬りかかってるわけですよね。

これは
浅野内匠頭が悪いわけなんで

即日切腹というのは
綱吉の中では問題なくてですね

しかも やっぱり
儀式を大切にするとか

けんかをしないというポリシーが
あるわけだから いいんですけど

一方の一般の武士たちは 江戸城で
刃傷事件があったって事は

お互いに けんかをしてるから
刃傷事件になったんだろうと。

で 一方を切腹にするんなら

もう一方も切腹しなきゃいけない
ってのが 武士のルールなんです。

だから 武士のルールを破ったって
事で 綱吉は批判されるんだけど

綱吉の頭の中では

武士のルールじゃなくて
もっと公共の 新しい…

何て言うか 社会のルールを
守ろうとしたっていうのが

この事件の本質で

だから対立する事に
なったわけなんですよね。

さあ 2つ目の知恵は

いよいよ 綱吉が行った
大胆な あの政策です。

大名や武士たちに
新たなルールを課して

価値観を変えようとした綱吉。

次に手をつけたのが
庶民たちの意識改革でした。

当時 離縁や貧しさなどの理由から
「捨て子」が頻発。

子供を捨てる事に
罪悪感が薄く

死に至るケースも
多かったといわれています。

また 働けなくなった老人が

町や野山に 平然と捨てられる事も
行われていました。

更に 旅先で病になった人を
生きたまま平気で捨てる行為も

横行していました。

共通しているのは

すぐに社会に貢献できない
弱い立場の人たちでした。

「命を軽んじる社会」。

これは 儒教が説く
思いやりの心

「仁」の精神に反する。

綱吉は 庶民の心を
変えるために

新たな画期的な政策を
打ち出します。

綱吉は 命を重んじる気持ちを
持ってもらおうと

まず 身近な動物 「犬」を保護する
ルールを定めます。

初めて お触れが出されます。

犬が 大八車に
ひかれる事が多いため

ひき殺さないように

注意喚起をする
お触れでした。

更に 飼い主が
いない犬には

あわれみの心をもって
餌を与え

命を救うよう命じました。

自分より弱い命を

思いやれるように
するためでした。

そして翌年には 最も大切な人間の
命を守る政策を本格化させます。


捨て子に対する お触れです。

捨て子が見つかれば地域の者が
面倒を見る事を定めました。

捨て子は社会の責任であると
はっきりと宣言したのです。

捨て子を防止するためのルールも
定めました。

妊娠や出産 そして 子供の
死亡や養子縁組みなどは

地主や大家に届け出る事が
義務づけられ

地域の目が行き届くようにも
しました。

更に 綱吉の「人の命を救う」政策は
子供以外にも及びます。

旅先で捨てられていた
捨て病人に対しては

宿場の者が薬を与えて
面倒を見るなど

対処法が 細かく
取り決められました。

こうした
人の命 動物の命を守り

慈しみの心を持ってもらおうと
出された政策は

130以上に及びます。

これらを総称して

後に 「生類憐みの令」と
呼ばれる事になります。

保護してもらいたいという事が

生類憐みの令の
真意だったと思います。

時代に合った意識改革を
してもらうと。

で そのために優しさだったり

あるいは 規則を守ってもらう
という事を

政治の上で展開しようとした
というのが

綱吉の意図だったように思います。

一般的には悪法と言われる
生類憐みの令ですけれども

渡辺さん なんかこう見てると

ちょっと先進的な法令にも
見えますよね。      そうですね。

すばらしい倫理観を持った
すごい ねぇ

すばらしい政策だったんだなと
思うんですけど

学校の歴史の授業とかでも 最初の
江戸時代の最初の頃って

さらっとしかやらないので
もう お犬さまとかいって

犬を ちょっと いじめると
もう殺されちゃうみたいな

そんな令なのかと思っていたん
ですけども 全然違うんですね。

そうなんですね。 犬を大切に
するって 面白いもんですから

学校の授業では こんな
ばかな将軍がいたっていうんで

よく言われるんだけど
犬だけじゃなくて

本来 弱者の救済って事を
言っているわけですよね。

だから 捨て子だとか
それから 行き倒れ人だとか

そういう人たちも
大切にしましょうと。

その象徴が 犬っていう動物

要するに人間だけじゃなくて
動物までっていう

そういう考え方なんですね。
すごい なんかこう…

そういうのが あったんだなと
思ったんですけど

でも 何で これ
最初に 犬だったんですか?

最初に
子供を捨てちゃ駄目だよとか

病人 助けなきゃ駄目だよって
言ってたら

こんなに悪く言われなかったん
じゃないかなと思うんですけど。

最初に大八車で 犬が たくさん
ひかれるとかね 要するに

犬を気にせずに 大八車を
通すもんですから犬が死んでると。

そういう事から 大切にしようって
事で始まったんですけどね。

ただ もう一つには やっぱり
綱吉が いぬ年だったというんで

子供がいたんだけど
亡くなってしまうんですね。

だから そういう事ってのは前世の
いろいろな報いもあるので

犬を大切にする事によって
跡継ぎが授かるとか

そういう事を教わったりもする…
教わったりというか

お坊さんから
言われたりするんですね。

それで 犬が特に強調されるように
なったんだけど…

やっぱり基本は 弱者の救済
というところなんですか?

それは儒教 儒学の精神とか
あるいは 仏教の慈悲の心とか

そういうものを 今の世の中には
一番足りない事だと

思っているわけですよね。

慈悲もない 仁の心もない
生き物も大切にしないと。

それを どんどん変えていこう
という事で

こういう法令を どんどん出して
調整しようとしたわけだけど

どんどん出したって
なかなか聞いてくれないから

次から次へと
出さなきゃいけなかったという。

そういう 意識改革を ず~っと
続けていってたという事ですかね。

どうですか? 「知恵その2

大胆な 新たなルールを
作る」って事ですけども

志太さん これまで 大胆に 新たな
ルールを作った ご経験は?

まあ いろんなルールは
作りましたですけどね

例えば こんな事がありましてね。

キング・マウンテン制度という
私どもの…。

キング・オブ・マウンテン?
要するに 富士山の事。

富士山というのは 普通の山よりも
ちょっと高いですよね。

ちょっと高いという事を 基本に
しているわけなんですけど

要するに 今までやってきたよりも
ちょっと高い事を目標にしよう。

要するに 昨年の利益とか
いうものも それより一段

テンパーセントぐらい高い目標を
出そう いうふうな事にしまして

それをみんながやる それぞれの
部門で全部そういう目標を立てる。

高度成長の ちょっと終わったころ
80年代ですからね。

今だと ねぇ
何となく分かるんですけれども

当時 そんな事しなくても
いいんじゃないかなんて

意見は なかったんですか?
それはもちろんありましたですね。

今までは正直言って 黙ってても
どんどん成長していたんですが

そうじゃなくて
やっぱり成長するのには

自ら そういう事に
挑戦していかないかんと。

会社の成長のために 挑戦して
いかないかん という形で

そういう制度を作ったわけですね。

やがて 時代が進んで
どうでしょうか

90年代 2000年代 世の中が
だいぶ変わってきますよね。

その中で 会社を急成長させて
いくには いろんなご苦労も

あったんだろうなと
思うんですけどね。

結局 そういう時には
持続していくような部門

それから成長する部門
というものを見つけてですね

やってくという事ですね。

それと また
成長するような部門に

古い人たちを連れていく
という事が

必ずしも よくないんですね。
会社の内容を分かっていても

新しい事にはいかんもんですから。

昔から ずっと
自分の会社にいる人間を

大事なポジションに
つかせるのではなくて

新たな能力を持った人を
そこに呼び込んでくると。

反発する方とか やっぱり
いらっしゃったんですか?

いや それは反発する人
随分ありましたよね。

結局 我々は 会社から
辞めさせたくないわけですけど

そういう事で
満足しないで出ていく方は

やっぱりいましたですね。
非常に残念だったんですけど

やっぱり それぞれの考え方が
違いが ありますからね。

そこは やっぱり しんがないと
なかなか言えないですよね。

それは先ほどの 綱吉の
基本の事を しっかりまとめると。

時代の… まとめると。
これじゃないですか。

それ しっかり まとめれば
話は理解してもらえるわけです。

まあ 儒学をバックボーンに
こういうのが正しいんだと。

これからは こうしなきゃ
いけないんだっていう

信念があったから
やり始めたって事なんでしょうね。

ねぇ 今回
一般的に言われるイメージとは

ちょっと違う綱吉像を
見てまいりましたけれども

皆さん それぞれ
どう お感じになったかなぁと。

渡辺さんは いかがでした?
そうですね。

イメージが がらっと
ほんとに変わったというか

ともすると
犬公方って言われていたりとか

どちらかというと

やゆされる将軍だったんだなって
思ってたんですけど

そうではなくって
ものすごく信念があって

道徳心だったりとか
優しい心を持った

世の中を変えていきたい

こういうふうに変えていきたい
っていう 今に通ずるものも

すごくあった人なんだなって
すごく思いました。

やっぱり綱吉ってのは
それなりの信念があって

時代の流れに沿った政策を
出してはいるんですね。

ただ それが ちょっと早すぎた
というのと

あと やっぱり
将軍なので 権力者なので

道徳とか そういうものを
押しつけようとするような形に

なったわけですね。 それが まあ
結果的には失敗というか

今でも それほど
よく言われてないっていう事に

つながったんだと思いますけどね。

さあ そして最後に
志太さんが考える

転換期における リーダーの心構え
といいますか 極意 教えて下さい。

いや それは 極意なんてものは
ございませんですけどね

やっぱり 先ほどからのように
時代の流れをしっかりつかむ。

そして 自分のものにする。
今は こうしなきゃいかんと

こうする事が
生き方なんだって事を

しっかり決める事が大事ですよね。
で それをいかに部下に伝えるか。

部下も それを
喜んでやるような形に伝える。

そして 実現していく
という事なんですかね。

そこのところを
しっかりつかむ事が

ものすごい大事じゃないですかね。

でも 恐くないですか?
いやいや。 それはもう

私なんて失敗ばっかりですから
恐いですけどね。

しかし やらなきゃいかん
という事で続けてきたんですね。

それは やっぱり志じゃないですか
そういうね。

私の場合 日本一に
なんなきゃいかんですから

何としても
やらなきゃいけなかった。

野球ができなかったから。
どん底からね。

恐れちゃいけませんね。
そういう事ですね。

そうですよね。 恐れちゃ
いけないですよね。 うん。


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