偉人たちの健康診断「西太后 悲しき悪女のアンチエイジング」 カンニング竹山、かたせ梨乃、加藤徹、宮原桂、阪口珠未…


『偉人たちの健康診断「西太后 悲しき悪女のアンチエイジング」』の番組情報(EPGから引用)


2018/08/28(火) 
NHKBSプレミアム
偉人たちの健康診断「西太后 悲しき悪女のアンチエイジング」[字][再]
中国・清王朝の西太后。70歳を過ぎても肌は少女のように白く張りがあり、髪も黒々としていたという。その「若さの秘密」の裏には、国を背負った女性の悲しき物語が…。
詳細情報
番組内容
西太后が74歳という当時としては驚異的な長寿を成し遂げた背景には「アンチエイジング」を支えた長い中国伝統医学の存在があった。今回、西太后の健康長寿の秘密を探るため、中国に残る西太后ゆかりの地の取材を敢行。当時のカルテや新発見の貴重な史料をひもときながら、美と若さに秘められた西太后の激動の人生の物語と中国伝統医学の奥深い世界を紹介する。
出演者
【出演】関根勤,カンニング竹山,かたせ梨乃,加藤徹,宮原桂,阪口珠未,【司会】渡邊あゆみ
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偉人たちの健康診断「西太后 悲しき悪女のアンチエイジング」
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『偉人たちの健康診断「西太后 悲しき悪女のアンチエイジング」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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本日の健康診断は
半世紀にわたり 中国を支配し

「希代の悪女」と言われた人物。

その名は…

ああっ!

その生活は贅沢三昧。

自分のためだけに
何日も 京劇を上演させました。

国が どんなに傾いても
贅の限りを尽くす西太后。

そんな彼女が
ひときわ力を入れたもの。

それは…

ご覧下さい この…

皆さん これは何歳の
西太后の姿だと思いますか?

実は これ
69歳の写真なんです!

当時の女性の平均寿命は 40代。

西太后は その2倍近くまで生き

若々しく 元気な肉体を
維持していました。

今回 その秘密を解き明かす
新発見の史料を

外国メディアとして 初めて撮影!

浮かび上がってきたのは
西太后の…

しかも その健康法は

現代の私たちにとっても
大いに役立つもの!

西太后のアンチエイジングと
健康長寿の秘密に迫ります。

♬~

健康のヒントは 歴史にあり。

「偉人たちの健康診断」。

(拍手)

皆様 こんばんは。
「偉人たちの健康診断」。

ご一緒して頂くのは
こちらの方々です。

どうぞよろしくお願いいたします。
(一同)よろしくお願いいたします。

今日は 主役が西太后という事で
中国の方なので

中国風のしつらえに
変えてみました。

(竹山)中国風のしつらえの方が

何となく
スッキリしてるっていうか

何か 良くないですか?
きれいで。

(関根)こっちの方が落ち着きます。

この赤がね
ポイントになってますよね。

そして 専門家としては

中国文化研究者の加藤 徹さんに
おいで頂いてます。

どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。

何か先生は 奥様も中国の方と。

中国の女性についても詳しい
という事で。

さあ それで 西太后という方が
どういう方か

等身大のパネルを作ってみました。

(かたせ)大きい!
これ 等身大です。

(関根)こんなに
大きい方だったんですか?
はい。

関根さんより
背が高く見えますよね。

だから実際には 西太后という人は
身長165cm。

そこに こんな ぽっくりみたいな
15センチヒールを

常に履いていらしたという事で
まあ 180ぐらい。

(関根)なるほどね。
(竹山)でかいな。

(関根)それで 眼光鋭いという
怖いというイメージ。

いや何かね 「西太后様 お掃除が
終わりました」って言ったら

ススッと来て フッとやって

フッ… 「ホコリ」みたいな感じが。


お姑さんとか そういう感じの
怖い感じの。          はい。

その 爪飾りっていうんですか?
それ見ただけでも もうね

何か ヒーローものだったら
悪い方ですよね。

先生 この爪 何ですか?
何するんですか? それ。

昔は こういう上流階級の
特に西太后レベルの人は

自分は
この箸より重いものは

絶対 持たない身分なんだ
といって

労働しないという その一つの
ステータスの表れとして

わざと これをやった。

西太后が生きた時代というのは
清朝の終わりで

日本でいうと
幕末から明治にかけての時代。

当時はもう 外国が
どんどん攻めてくるわ

国内では 反乱が起きるわの
大変な時代で。

その時代に 47年間
トップとして

女性でありながら
君臨してきましたから。

長いんだな。
すごいですね。

北京の中心部にある世界遺産…

15世紀初めに建設され

歴代皇帝が 500年近くにわたって
暮らした宮殿です。

現在は 博物館として
一般公開されており

一日 およそ8万人が訪れます。

ここに 西太后に関する
門外不出の貴重な記録が

保管されています。

20代の時から 74歳で
亡くなるまでの

健康状態などが
書かれた記録

通称「西太后のカルテ」。

その一部が
公開されています。

このカルテから浮かび上がる
西太后の健康の秘密とは…?

西太后が いかに元気で
健康だったかを伝える

エピソードがあります。

70歳の時に仕えた女官 徳齢は

散歩に同行した時の様子を
手記に こう記しています。

晩年の西太后は
女官がついていけないほど

歩くのが早かったというのです。

そんな西太后の健康の秘密は
一体 何なのか?

「西太后のカルテ」を
読み解いてもらいました。

カルテには
西太后のために処方された

薬の名前や 材料となる生薬が
細かく記載されています。

例えば
20代の項目を見ると

「調経丸」という薬の名が。

ここに含まれる
生薬の「当帰」は

月経不順や月経痛などを
緩和する効能を持っています。

また
「香附」という生薬には

精神不安を取り除く
効果があります。

若かりし日の西太后は
宮廷でストレスと闘いながら

妃として 世継ぎを産むため
全力を尽くしていた事が

カルテから読み取れるのです。

西太后は 1835年 北京で満州族の
中流役人の家に生まれました。

満州族は 男女問わず

最初に生まれた子供が
一家を背負う決まりです。


長女だった西太后は

古典や書道を
厳しく教え込まれました。

1852年 18歳になった西太后の
人生が 大きく動き始めます。

清朝第9代皇帝 咸豊帝の
妃選びに参加したのです。

しかし この時
自分が妃に選ばれるとは

夢にも思っていなかったと
いいます。

ところが…。

西太后の豊かな教養が
咸豊帝の目に留まります。

およそ1, 000人の候補者から
9人が選ばれ…

[ 心の声 ] (西太后)私を
選んで下さった陛下のため

心を尽くして
お仕え申し上げます。

精いっぱい 妃としての務めを
果たす事を誓った西太后。

それは とりもなおさず…

そのために
中国伝統の薬を服用し

体の調子を整えるよう
日々 努めたのです。

そんな西太后の努力は
4年後 報われます。

咸豊帝にとって初めてとなる
男児を出産。

西太后は 皇太子の母として

咸豊帝の正妻
東太后に次ぐ

地位を
手に入れました。

しかし…。

幸せな日々は
長くは続きませんでした。

5年後 咸豊帝が病に倒れ
危篤状態となったのです。

陛下! 私が この子を
立派な皇帝に育て上げます!

息子の事は頼むぞ…。

ところが
続いて即位した同治帝も

19歳という若さで
病死してしまいます。

このまま
世継ぎが途絶えてしまえば

国が滅びてしまう…。

西太后は 僅か4歳だった

甥の光緒帝を即位させ

その後ろで 正妻・東太后と2人で
政治をつかさどる事を決断します。

皇帝の後ろで 御簾に隠れて
政務を行うため

「垂簾聴政」と
呼ばれました。

政治の表舞台に自ら立ち
国を支える事で

清王朝存続の危機を
乗り越えようとしたのです。

しかし 今度は…

清朝300年の出来事をまとめた
歴史書 「東華録」によれば…。

この時…

宮中の医師が手を尽くしても

悪化の一途をたどったといいます。

「東華録」には
肝心の病名は書かれていません。

一体 西太后は どんな病に
かかっていたのでしょうか?

「西太后のカルテ」に
それを知る手がかりがあります。

30年前 「西太后のカルテ」は
特別に数人の研究者に公開され

一冊の本にまとめられました。

西太后が
病に倒れた

光緒6年に
処方された薬。


西太后が
その時 初めて飲んだ薬で

16種類もの生薬から
構成されています。

手がかりを求めて

北京市内で 300年以上続く
老舗の薬局へ向かいました。

解毒作用のある菊の花や

精神を落ち着かせる化石など

100種類以上の生薬を
取り扱っています。

中には こんなものも。

見た目は芋虫ですが
滋養強壮の効果が抜群なんですよ。

更に こちらは
薬用人参のようですが…。

これは 65年以上かけて
大きく育った 天然の人参です。

とても貴重なんです。

日本円にすると
なんと…

根の先まで 一つも欠けずに
掘り出されている人参は

めったにないため
ここまで高値になるそうです。

この店なら…

西太后の薬
「延齢益寿丹」。

それは 現代では失われてしまった
幻の薬でした。

この幻の薬の正体を探るため

今度は
日本の研究機関を訪ねました。

中医薬から生まれた漢方薬を使う
診療を行い

がん治療などに対する
研究もしています。

「西太后のカルテ」に記された

延齢益寿丹に含まれる
生薬の効能を調べてもらいました。

(伊藤)こちらが 酸棗仁で

これが 竜眼肉になります。

更に 不安を取る茯神や

倦怠感に効く黄耆などが
含まれていました。

これら生薬から逆算する事で

西太后を苦しめた病の一つが
推測できるといいます。

それは…。

更に 延齢益寿丹には
アンチエイジングとして

近年 注目されている
ある生薬が入っていました。

それは 遠志と言われるもの。

だから 現代で言えば

認知症なんかでも使われる
生薬でもありますけれども。

そういうような働きがある
という事が分かってきてます。

遠志は アルツハイマーなど
認知症の改善

うつ病などに効果があり
現代の治療でも用いられています。

脳内の神経伝達物質の中で

重要な成分 アセチルコリン。

これらが情報を伝達する事で

私たちは
記憶などを維持できます。

加齢などにより
アセチルコリンが減少する事が

認知症の要因の一つと
されています。

北里大学の研究では…

その結果 脳機能が活性化する事が
明らかになっているのです。

40代を迎え 老いに対する不安が
日に日に増していった西太后。

[ 心の声 ] 自分が倒れたら
この国は どうなるか分からない。

延齢益寿丹によって
更年期障害を乗り越え

老化からも守られた西太后。

この薬こそが カルテから
浮かび上がってきた…

はあ~! 普通のおうちの
お嬢さんだったんですね。

そうですね。
中流家庭の という事ですよね。

あまりに強いイメージが
強かったので

ストレスフリーの人かと
思ってたんです。

だから すごいスーパーウーマンだと
思ってたんですね。

でも やっぱり これを
今 VTRを拝見して

すごく 責任感の強い方なので
びっくり。

それから いわゆる更年期
更年期障害に関しても

漢方で乗り切ろうという事ですね。
はい。

その辺りですね 中国医学に
詳しい方 お招きしています。

宮原 桂さんです。
どうぞよろしくお願いいたします。

今日は 先ほどの延齢益寿丹
生薬なんですけれども

その成分となってる 16種を
全部 お持ち頂いたんですね。

今では天然で なかなか入手
できないというものに関しては

人工栽培をしている
という事なんですが

これらの特徴といいますと?

この処方は 西太后の ある時期の
その状況に適して 作られた

独自の処方です。

この中で 特に注目する生薬
石菖蒲という生薬。

ここらへんは記憶力 あるいは
判断力を維持するために

最近 非常に注目されている
生薬です。

これが 政務に携わる
西太后を考えて

非常に画期的な形で
配合されている

そういう処方になっています。

これ 今でも
処方してもらえるんですか?

法律的な問題が いろいろあって

まるっきり同じっていう形は
非常に難しいです。

カルテがね 残っている
という事は

これは すごいですよね。
いや これは すごい事ですね。

中国というのは
今も昔も そうなんですけど

秦の始皇帝の時代も
毛沢東の時代も

トップの人の
健康状態というのが

もう 国の政治に直結しちゃう
国なんですね。

だから 健康状態っていうのは
国家秘密なんですよ 本来。

ですから この薬の処方箋と

彼女の その歴史
清朝の歴史を合わせると

この時 実は心と体が
こういう状態だったというのが

初めて分かるという事で。

歴史の新たな地平
研究を開くぐらいの

価値がある ものすごい
ものだと思います。

専門家が見ると ああ
この時 精神状態がどうかとか

健康が どうなのかっていうのが
もう これで分かるんですね?

そうですね。 中医学の場合は
現代医学と違くて

体の動きと 精神的な動き

これが ある程度 並行に動くって
考えてるんです。


ですので お医者さんも
カルテには

いろいろ細かい
感情の動きを書いて

逆に言うと 処方箋から
今が 心の状態が

こういう事だっていう事も
読み取る事ができます。

それでですね 気になる
心と体の関係という事で

こういう表を用意しました。

こちらは 五行色体表と呼ばれ

中国の伝統医学に基づいて
感情と体の関係を表したものです。

「五志」という 5つの感情。

「怒る」 「喜ぶ」 「思い悩む」
「悲しむ」 「恐れる」。

それぞれの感情が 体の どこに
影響を及ぼすかを示しています。

例えば 竹山さんの場合
いかがでしょう?

いや 僕 もう何と言っても
「怒る」ですよね。

やっぱり日々 僕
イライラしてる時が多いから。

じゃあ はい こうです。

これは先生 どういうふうに見たら
いいんですか?

(宮原)これは 一番上に
書いてある「五臓」。

これ 臓腑の事です。

血液をためる臓器「肝」と
非常に関係を持つ。

怒りが高じてくると
「肝」の機能が下がって

「目」とか あるいは「筋肉」の
方に影響が出てくる。

合ってるかも。

具体的に言えば
目がピクピクする

あるいは 赤目がちになる
あるいは 筋肉がつる

足がつるとか
そういう状態ですね。

そういう状態が起こりやすくなる。
あっ 合ってるかも。

え? 自覚症状ありますか?
(竹山)あります。

目も最近 また特に
悪くなってきてるし

ちょっと
見えにくいだったりするし。

怒らない方がいいですよ。

怒らないと
家賃 払えないですよね。

じゃあ どうしたらいいですか?

例えば 一度怒って すぐ戻る。
これは問題ないんです。

ただ 一度怒っても
なかなか元に戻らない状態。

この時っていうのは
やはり 肝の症状が顕著に出てる。

ちょっと ご注意なさった方が
よろしいと。

かたせさん
いかがですか?

私は 考え込んじゃったりするから
「思う」。

思う? はい。
(宮原)思い悩む。

臓器にすると
「脾」と書いてあります。

この「脾」というのは
脾臓とは違くてですね

消化系を
全体を表しています。

「口」とか「四肢」って
書いてありますね。

思い悩みが多すぎると
当然 食欲もなくなって。

食べられなくなって。
(宮原)そうです。

だんだんと それが募ってくると
体も だるくなる。

その時は やっぱり
注意が必要になってきます。

その他にも
悲しむ事が多い方は

「肺」や「鼻」など
呼吸器全般に影響が出て

「肌」も乾燥気味になります。

悲しんだあとは
こまめに水分補給を。

恐がりの方は 「腎臓」を中心とした
器官に影響が出て

「骨」が弱くなり 「耳鳴り」などが
起こるため

注意が必要です。

また
喜ぶ事が多い方は

心臓や血管などを表す
「心」や

「脈」の異変に
注意が必要です。

「舌」がしびれるなどの
症状も出るため

喜びすぎには
くれぐれもご注意を。

じゃあ あれですね 買ってた株が
どんどん もう1か月

ず~っと上がってったら
もう うお~ うお~って

舌しびれてくるかもしれませんね。

そこで 倒れないように
ご注意下さい。

(関根)そうですね。
喜びすぎてもダメなんだ。

西太后の健康を支えた
伝統医学は

今の中国でも
医療の中心にあります。

特別に 大病院の心臓部とも言える
部屋を見せてもらいました。

中医薬は 木の根など 原料となる
生薬をそのまま処方します。

そのため 患者さん1人分の
処方薬が袋いっぱいに!

でも これほどの薬を…

実は これらの薬は1日分の原料を
1時間かけて煎じ

溶け出した薬用成分だけを
飲むのです。

そう あえて中医薬の欠点を
一つ あげるとすれば

「とっても苦い!」という事。

西太后の研究をしている
さんは

その苦さを克服する手段まで
カルテに記されていると言います。

八珍には
「白糖」が入っています。

カルテには 原料の一部と

簡単な説明しか
書かれていないため

詳細は分かりませんが
西太后は 苦い薬を甘くして

おいしいスイーツのような
ものにして 食べていたのです。

「西太后のカルテ」に書かれている
「八珍」を再現した人が

日本にいました。

(取材者)こんにちは。
こんにちは。

甘くて おいしいという「八珍」に
興味を抱いた阪口さんは

中国に渡り
作り方を研究したのです。

八珍には 薬用効果のある
8つの原料を使います。

阪口さんは カルテ以外の
文献も参考にしながら

作り方を割り出し
独自に再現しました。

粉末で市販されているものは
そのまま使用しますが

それ以外は ミルなどを使って
全て粉末にします。

では これから
全部 混ぜ合わせます。

原料が かたよると
効能に影響が出るため

均一に合わさるように
丁寧に混ぜていきます。

これを器に入れます。


家庭にある器だったり
あと 蒸しカップだったりとか

何でも使って頂けますね。

では 次に
これを蒸し器に入れます。

このまま 強火で
15分ほど蒸していきます。

出来ました!

これが 「西太后のカルテ」に
載っている…

見た目は蒸しケーキのようですが
一体 どんな味なんでしょう?

(かたせ)
いただきま~す。

(関根)楽しみですね。

漢方ですね。
(阪口)あっ 漢方ですか?

やっぱり 薬っぽかったですか?

ものすごい 体にいいって感じ。
ちょっとスパイシー。

(関根)そうですね。
うん。

(竹山)スパイシーなものが。
スパイシー。

でも 薬膳のスイーツですって
言われると

何か 普通に受け入れられますね。

この八珍には
胃腸の働きを良くして

更に精神を安定させるような
働きがあります。

西太后は これを
午後のおやつの時間に

クッキーみたいにして
焼いたものを食べていたりとか

もう 日常的に食べていたって

死ぬまで これを手放さなかった
という記述が残っていて。

じゃあ これ作った方が
いいですよね 手軽だし。

何か 胃があったかくなってきた
みたいな気がする。

おなかの中から?
ポカポカしてきた。

薬も おいしく食べる事に
こだわった西太后。

そのうち 西太后が手をつけるのは
2~3皿だけです。

貴重な…

高級食材が 毎日各地から集められ
1日の食費は現在に換算すると

1, 000万円近く かかったと
いわれています。

歴史学者の王さんによれば
そんな贅沢三昧の西太后は

意外なものが好きだったと
いいます。

西太后が 好んで食べたという
三角形のお菓子。

砂糖を入れ 固めて焼いただけの
この素朴なお菓子には

西太后の 知られざる苦難の物語が
秘められています。

当時の清国は 今の中国よりも
およそ1.5倍大きく

世界人口の3割近くを占める
超大国。

その豊富な国力を奪おうと
欧米列強や日本が狙っていました。

劣勢を挽回したいと考えていた
西太后は

外国勢力を排除しようとする
義和団事件が国内で起こると

その勢いを利用。

日本や欧米諸国に
宣戦布告します。

ところが 軍事力の差は歴然。

北京は 連合軍によって
占領されてしまったのです。

西太后は 農民に変装し
北京を脱出。

命からがら 西安まで
逃げ延びる事に…。

初めて経験する…

道中 西太后は
貧しい農家に泊まりました。

そこで ようやく
口にする事ができたのが

「窩頭」と呼ばれるもの。

トウモロコシが原料の
パンのようなもので

農民の粗食でした。

初めて口にする 粗末な食べ物…。

空腹だった西太后は 思わず
窩頭を頬張ったといいます。

王宮を追い出された事で

西太后は 庶民たちの生活を
初めて身近に感じたのです。

2年後 外国の脅威が去ると
西太后は汽車で北京に戻りました。

そこで 彼女は
思わぬ光景を目にします。

それは 西太后を出迎えようと

駅や線路沿いに集まった
大勢の北京市民たちの姿。

これは その時に撮られたという
写真です。

熱狂的に出迎えてくれる
民衆を見た西太后は

わざわざ汽車を降りて
手を振りました。

(西太后)
この国に生きる民たちのために
私は生きなければならない。

そして 再び宮廷に戻った西太后。

突然 料理人に…

料理人は 農民の粗食を そのまま
出すわけにはいかないと

上品な甘さに仕上げ

小さな窩頭 「小窩頭」と
命名したのです。

北京に戻ったあとも 農民の粗食を
こよなく愛した西太后。

民の心を
決して忘れてはならない。

この小さなお菓子には

西太后の そんな思いが
込められていたのかもしれません。

ちょっと 何か
食べてみたいというか

おいしそうな気もしますけどね。
お菓子として。
はい。

という事で 今日は
小窩頭を用意させて頂きました。

素朴な味ですね。

まあ 本当に
とうもろこしの粉と。

おやきに似てる。
おやき?

でも あと3つぐらい
何かが足りないですよね。

これだけでは…。 3つぐらい?
(竹山)何かが…。

3つぐらい入れると もっと
おいしくなりそうな気がするけど。

でもね その時の着のみ着のまま
命からがらといいますか

北京を追われて 逃げてる時に
これを口にしたとしたら。

(関根)
それは おいしいでしょうね。

我々は スイーツも
いろんな複雑なのを

今 食べすぎてますよね。
はい。

だから ちょっと これだと
足りないなとは思いますけども。

当時だったら
おいしいでしょ これ。
ねえ。

庶民から見ると 自分たちが
食べてるものと同じものを

西太后様も お召し上がりに
なっているというのが

やっぱり 宣伝効果も
あったと思います。

なるほどね。

我々の気持ちを
分かってくれる方だと。


まあ そうですね。

西太后さんは ふだん すごい
お食事してたじゃないですか。

やっぱり ああいうのは
単に グルメというよりも

自分の支配力というか

威厳を示す カリスマ性の
確保もあったんですね。

ツバメの巣とか 東南アジアからの
食材も食べるし

ラクダのこぶみたいな
北の ちょっと珍味も食べるし。

近年 西太后に関する
新しい史料が発見されました。

北京市内のマンションを
訪ねました。

中国の歴史史料を研究している…

張さんは 清王朝の宮廷医官直筆の
カルテを 旧家から偶然発見。

それは 26冊にも及び
多くは皇帝に関するものですが…。

なんと2日分だけ 晩年の西太后の
記録があったのです。

今までのカルテよりも
緻密に記載されている貴重な史料。

外国メディアが撮影するのは
初めてです。

そこには 決して人前では
弱みを見せない西太后の

意外な一面が隠されていました。

西太后 55歳の時

手塩にかけて育てた光緒帝が
19歳になりました。

すると 西太后は
実務を光緒帝に任せ

半ば 隠居生活を送る事を
決意します。

北京市西部に
西太后が隠居した場所が

今も残っています。

巨大な人工庭園 頤和園。

総面積290万平方メートル

東京ドーム62個分の敷地に
200以上の宮殿が立ち並びます。

建設には 莫大な国家予算が
費やされました。

西太后は
ここに専用の劇場をつくり

大好きな京劇を鑑賞して
過ごしました。

しかし 時代は 西太后に
穏やかな日々を送る事を

許しませんでした。

1898年 軍の関係者から
驚くべき報告が寄せられます。

改革に目覚めた光緒帝と
改革派の官僚たちが

軍隊を使って 頤和園を包囲し

西太后を捕らえようとしている
というのです。

光緒帝は
日本の明治維新を手本に

清国を近代化したいと
考えていました。

そこで 総理大臣を辞職後

朝鮮や清国を外遊していた
伊藤博文を迎え

助言を受ける事を熱望。

いずれ 政府の顧問に
迎えたいとまで思っていました。

そのためには
日本に対して敵対的で

いまだ絶大な権力を持つ 西太后は
邪魔な存在だったのです。

ああっ!

なんと愚かな事を!

清国が 日本に
乗っ取られてしまうのが

分からぬのか!

西太后は 国を守るため
最後の手段に出ます。

先手を打って…

更に 改革派の6人を
処刑したのです。

64歳にして 西太后は
再び 政治の最前線へと

舞い戻らざるを
えなくなりました。

そして 74歳で亡くなるまで

政務に追われる日々を
過ごす事になるのです。

今回 撮影する事ができた
新発見のカルテ。

ここには そんな晩年の
西太后の健康状態が

詳細に記されていました。

…と書かれています。

胃腸から呼吸器官 内臓まで

体の至る所に
不調が出ていました。

晩年の西太后は

まさに 満身創痍の状態に
なっていたと考えられます。

更に その…

「太后陛下の症状に…」。

「陛下は 気持ちを
発散するかのように

度々
大声で叫んでおられた」。

症状は 改善するどころか
増えていたのです。

これまで 西太后の健康を
支えてきた中医薬が

老化のためか
満足に効かなくなっていたと

考えられます。

しかし それでも
政務を休む事はできません。

もはや 体は
限界に達していたのです。

そんな…

晩年の西太后に仕えた
女官 徳齢の手記に

それを示す
記述があります。

西太后は 頻繁にマッサージを
受けていたというのです。

宮廷医療の研究家
呉更偉さんによれば

それは 西太后たち満州族が

古くから行ってきた療法だと
いいます。

西太后が受けていた 推拿とは

一体
どのようなものなのでしょうか?

推拿歴50年のベテラン
金義成さんに

技を見せてもらいました。

一見すると
普通のマッサージのようですが…。

中国では
医療行為とされる推拿は…

ツボは 私たちの体に
300種類以上あります。

この一つを
押すなどの刺激を加えると…

その結果 痛みの抑制や
免疫力増強

自然治癒力を高めるなどの作用が
働くのです。

今 中国では そんな推拿の効能が
再認識されています。

この大学病院では
推拿外来を設置。

中国伝統の薬 そして推拿。

あらゆる手を尽くしながら
病や老いと闘う西太后。

そこには 西太后の
「ある信念」があったといいます。

西太后をよく知るという人物を
訪ねました。

北京市内の一角で暮らす
初老の男性。

西太后の生家
葉赫那拉家の子孫です。

晩年の西太后は
あらゆる手を使って

国を立て直そうとします。

学校や大病院の設置。

自らの存在を脅かすかもしれない
議員選挙制度まで

西洋文化を取り入れ
近代化を推し進めました。

更に 中国で1, 000年以上続く
風習にも メスを入れます。

纏足とは 小さな足が美しいという
習わしに基づき

漢民族の女性の足を
強制的に小さくする風習。

歩行障害を起こすため
多くの女性が苦しんでいました。

その長い苦しみから
解放したのです。

数々の改革を断行した 西太后が

最も力を入れて
行った事があります。

こちらをご覧下さい。

これは 西太后が亡くなる数日前に
撮られた最後の写真です。

西太后は たくさんの
すばらしい写真を残しました。

清国では 写真を撮ると
魂が抜かれると言われ

撮影を拒む者も多くいました。

しかし 西太后は
そんな慣習を打ち破り

自分の写真を
積極的に撮影させたのです。

その姿は どれも堂々として
威厳に満ちあふれたもの。

あの有名な写真も
このころ撮影された一枚です。

カメラをにらみつけるような
鋭い眼光が 見る者を圧倒します。

更に同時期 外国人画家に
肖像画も描かせました。

この西太后の絵は
万国博覧会に出品され

世界中の人々の目に留まりました。

なぜ西太后は 自らの姿を

積極的に写真や絵画に
残したのでしょうか?

彼女が意識したのは
日の沈まない国 大英帝国。

君主である ヴィクトリア女王は
自らの写真を

国威発揚の意味を込め
世界中に配っていました。

清国にも 元気で若々しく
強い指導者がいる。

それを西太后は 世界中に
示そうとしたのかもしれません。

そして 1908年10月22日
西太后は永遠の眠りにつきました。

亡くなる直前に
後継者をしっかりと決め

皇太后として 堂々と
その生涯に幕を下ろしたのです。

そんな西太后の
こんな写真が残っています。

女官たちに囲まれ
ほほ笑みを浮かべる姿。

公式の場では 決して
笑顔を見せる事がなかった

西太后の貴重な一枚です。

あらゆる手を使い

自分が生きる事で
国を守ろうとした西太后。

清国が滅亡したのは その死から
僅か3年後の事でした。

いかがでした?

何か 今までは
この 怖い声しか

耳に
聞こえてこなかったんですけど

彼女の高い笑い声とか 何か
女らしい しゃべり方の部分とか

そういうのが
聞こえてくるようになりました。

生身の感じがしますよね。
そうですね。

激動的に西洋化していく時期に

ちょうど 清の最後の方を
任されたわけですから

そのプレッシャーでね
やっぱり その怒りだとか

そういう感情なんかも

周りの人たちには
怖いぐらいに映ったと思うんです。

やっぱり
責任感が強かったんですね。

清朝というのは 単に清朝が
終わっただけじゃなくて

もう皇帝のいる古い中国は これで
本当に終わりだったんですね。

だから そういう意味で
中国の秦の始皇帝から始まる

2, 000年の最後を
飾っちゃった人なんですね。

自分個人のアンチエイジングも
あったけど

古きよき中国 そして
清朝のアンチエイジングと

リンクしてたわけですよね。

今日はね 西太后の健康診断を
いたしました。

今後 あれですね ちょっと
体の具合が悪くなった時は

ちょっと 漢方の先生に
相談したいなっていうふうに

今日は思いました。

体を良くするために 同時に
気持ちよくなるものですね。 うん。

何か 刺激ばっかりじゃなくて
安らぎも一緒に。

心を一緒に考えてるような
感じですね 漢方は。       はい。

今回 この方をきっかけに

すごく その中国というものに
興味が湧きましたよね。

それが 漢方もそうだし
あと 歴史もそうだし。

そういう事を
もう一回 全部調べ直して

勉強したいなというのは
すごく思いましたよね。

実際には 先生から見ると
どんな国のリーダーというか

どんな人だったというふうに
評価を?

やっぱり 今でも
アメリカから大統領が来ると

中国人が自慢するのは
西太后の時代の京劇とか

豪華な料理とか 紫禁城を見せて

今でも自慢するという
感じなんですね。

中国は これだけ
立派な文明があったんだと。

国家 文字どおり 国の家ですね

傾く国の家を支えるためには
何でもやるといって

頑張った一生だったんじゃ
ないでしょうかね。

この方 不思議な事に日本の篤姫と
ほぼ同じ時代なんですよね。

両国で こういう強いというか

強くあらなければならない
という女性が

生まれているって
いう事が

何か 不思議に思う時が
あるんですけど。

でも 女性らしさも
感じる人で

ちょっと かわいい感じも
しましたね。

もっと さっきの笑い顔
見たかったですね お写真の。

♬~

激動の時代を生きた西太后。

生前は めったに筆を持たず

書類や手紙も 自ら書く事は
なかったといいます。

そんな西太后の
貴重な肉筆が残されていました。

これは
西太后直筆の書です。

私の曽祖父が 50歳の
誕生日を迎えた時

忙しい政務の間に
お祝いとして書いてくれました。

右から
「仁 者 寿」と書かれています。

「優しい行いをする人は
長生きをする」という意味で

あなたも そういう人生を
送りなさいというメッセージです。

人への優しさは
自らの気持ちを穏やかにし

やがて
それは 健康長寿につながる。

常に
優しい行いをする人でありたい。

それは 滅びゆく国を支えるために
生涯を捧げた

一人の女性の ささやかな
願いだったのかもしれません。

♬~


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