英雄たちの選択・選 大谷吉継 関ヶ原もうひとつのシナリオ 誤算に消えた西軍必勝 外岡慎一郎、中野信子、萱野稔人…


人気No.1デリケートゾーンの黒ずみケア専用 薬用イビサクリーム臭気判定監修の足の消臭パウダーデリケートゾーンの臭いなんて気にしない!専用ソープ

出典:『英雄たちの選択・選▽大谷吉継 関ヶ原もうひとつのシナリオ 誤算に消えた西軍必勝』の番組情報(EPGから引用)


2018/08/30(木)
英雄たちの選択・選▽大谷吉継 関ヶ原もうひとつのシナリオ 誤算に消えた西軍必勝[字]
関ヶ原の戦いで石田三成と西軍の中心になった大谷吉継。なぜ圧倒的に不利な西軍に加わったのか?そこには知られざる戦略があった。三成と挙兵するか否か、吉継の選択に迫る
詳細情報
番組内容
関ヶ原の戦いで石田三成と西軍の中心になった大谷吉継。秀吉死後の豊臣政権を支え、徳川家康からも信頼された男は、なぜ圧倒的に不利な西軍に加わったのか?そこには従来言われてきたような三成との友情ではなく、豊臣政権を守り抜くための知られざる戦略と苦心があったのではないか。そして誤算も。三成から挙兵の企てを聞いた吉継が迫られた決断は三成とともに挙兵するかいなか。さまざまな分野の専門家とともに吉継の選択に迫る
出演者
【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】外岡慎一郎,中野信子,萱野稔人,小谷賢,【語り】松重豊
Capture20180830-203239.jpg 



『英雄たちの選択・選▽大谷吉継 関ヶ原もうひとつのシナリオ 誤算に消えた西軍必勝』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

英雄たちの選択・選 大谷吉継 関ヶ原もうひとつのシナリオ
  1. 吉継
  2. 家康
  3. 三成
  4. 大谷吉継
  5. 秀吉
  6. 挙兵
  7. 西軍
  8. 東軍
  9. 関ヶ原
  10. 戦い



『英雄たちの選択・選▽大谷吉継 関ヶ原もうひとつのシナリオ 誤算に消えた西軍必勝』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像がなければ味わえませんので、以下各社のVOD(ビデオオンデマンド)サービス利用をオススメします。

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

☆無料トライアルあり!NHKオンデマンドも見れるU-NEXT(ユーネクスト)!
U-NEXT

☆無料トライアルあり!海外ドラマに強いHulu(フールー)!
huluで見放題!

☆無料お試しあり!VODも宅配レンタルもTSUTAYA TV(ツタヤTV)!
宅配レンタルと動画配信ならTSUTAYA!



美濃の国 関ヶ原で

日本を二分する
史上最大の合戦が行われた。

東西両軍の総勢は15万。

しかし この合戦には
もう一人の主役がいた。

大谷吉継。

三成を陰から支え 西軍の戦略を
作り上げたといわれる。

通説では
吉継は 三成との友情のため

負けると知れた
家康との決戦に挑んだとされる。

だが…。

では なぜ吉継は
一見 無謀に思える

家康打倒の兵を挙げたというのか。

史実では…

家康が勝利を収め
吉継は 自刃して果てる事になる。

だが 吉継が計画したのは

家康率いる
東軍の大軍勢を迎え撃つ

完璧な迎撃態勢だったとも
いわれる。

吉継が 三成と共に挙兵した
本当の理由…。 もし そこに

知られざる戦略が
あったとしたなら…。

そんな吉継の
究極の選択について

さまざまな分野の専門家たちが
多角的に迫る。

何せ この人は…

なぜ吉継は 巨大な敵
徳川家康に戦いを挑んだのか?

関ヶ原の戦い前夜
大谷吉継 究極の決断に迫る!

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

その時 彼らは
何を考え 何に悩んで

一つの選択をしたんでしょうか。
さあ 今回の英雄は こちらです。

歴史ファンの間で
今も根強い人気を誇る
戦国武将

大谷吉継です。 そして

今回 取り上げるのは
こちら。

石田三成と共に
打倒 徳川家康の兵を挙げて

全国の大名を巻き込んだ
日本史上最大の合戦

関ヶ原の戦い。
合戦の起こる2か月前に訪れた

大谷吉継 究極の選択に
迫ってまいります。

磯田さん 今回の主人公
吉継ですけれども

本当に インターネットのランキングでも
歴史ファンの間でも

いつも上位に入る
人気の戦国武将ですよね。

若い人に人気。 私も 女子学生に
吉継様とか言われて

びっくりした事ありますけど。
しかし まあ それは

小説やアニメやゲームで ある程度
禍福なフィクションの中を見ながら

出来上がってきたところが
大きいかもしれませんね。

実は 生まれた場所も
よく分からないんですね。

非常に史料が少ないから
人物像も含めて分かってない。

実際 「大河ドラマ 真田丸」の主人公の
真田信繁にとっては

正妻のお父さん 岳父であったり

あるいは
関ヶ原の合戦っていうのは

家康と三成の戦いというふうに
よく いわれますけれども

実は 三成も
この大谷吉継が加わるところで

初めて この形を成してくる訳で…


ですから 今日は 大谷吉継は…

ちょっと緻密に
見ていきたいと思いますね。

大谷吉継の城があったと
いわれる…

城の痕跡がなく
これまで 幻の城といわれてきた。

だが 2010年 小学校の校庭から
城跡の一部が発見された事で

その実像が
徐々に明らかになってきた。

大谷吉継を研究する
外岡慎一郎さんは

敦賀城の発掘に尽力した一人だ。

この辺りだっていう事だけしか
分かってなかったんですね。

敦賀城が
ここに建設された時代は

天守閣があって 石垣があって
というイメージよりは

恐らく敦賀を…

吉継の名が
広く知られるようになるのは

天正11年 織田信長の後継者争い
賤ヶ岳の戦いからである。

この時 吉継は
秀吉配下として活躍

戦功をあげたと
記録されている。

その後も数々の戦に出
豊臣政権の官僚として

石田三成と共に
重要な役割を担った。

天正17年。 吉継 25歳の時

秀吉から
敦賀5万7, 000石を与えられ

城主となる。

なぜ 敦賀なのか?

そこから 秀吉が
吉継に期待した役割がうかがえる。

敦賀は
古くから日本海を行き来する

物流の要であった。

日本海沿岸の
物資の集積地であり

それを畿内に運ぶ拠点でもあった。

古代には
大陸との貿易も行われていた。

吉継が敦賀城主となって3年後
秀吉は朝鮮に出兵。

大陸に
15万もの将兵を送り込む。

吉継は 石田三成と共に
船奉行を命じられ

全国から4, 000隻もの船を調達。

将兵や軍需物資を
滞りなく大陸に送り届け

官僚としての優秀さを発揮する。

そういうミッションは やっぱり
大谷は背負ったと思います。

吉継は 軍奉行として
大名たちを監督。

石田三成と違い 吉継に反発する
大名は なかったという。

吉継が送った
大名宛ての書状からは

その理由がうかがえる。

「我らの指示で
殿を引き受けて頂き

感謝しております。

また ご家来が負傷したとの事

大変 心配しております」。

吉継は 大名だけでなく
負傷した家来たちにまで

繊細な気配りを見せているのだ。

ところが その戦のさなか
吉継を悲劇が襲った。

重い病に侵されたのである。

吉継は何年にもわたって
表舞台から姿を消す事になる。


そんな吉継を
病床に見舞ったのは

秀吉と
政権ナンバーツーの実力者 徳川家康。

2人が 吉継を
豊臣政権の大切な支え手と

見ていた証しである。

病の身で
吉継は何を考えていたのか…。

それを うかがわせる史料が
残されている。

かつて東北地方で
一揆が発生した折の

吉継の言葉である。

公儀 すなわち豊臣政権に対する
無礼は許さないと

宣言しているのだ。

吉継にとって 公儀
豊臣の天下こそ 絶対であった。

吉継の忠誠心は
どこから来たのか?

こんな逸話が残されている。

秀吉主催の茶会での事。

吉継も出席したが 病のためか
回し飲みする茶わんの中に

鼻水を垂らしてしまった。

その時…

秀吉が 吉継の手から茶わんを取り
一気に飲み干した。

吉継の窮地を
秀吉が救ったのである。

吉継が 何よりも
公儀 豊臣の天下を重んじるのは

秀吉への感謝があったからだ
という話である。

ところが…。

天下人 豊臣秀吉は

京 伏見城で死去。

秀吉の死後 豊臣政権は

家康や前田利家など

5人の大老の合議制で
政権維持を図る。

大老とは 政務を統括する
有力大名の事。

五大老の下
政権の実務を担ったのが

五奉行である。

だが 五大老筆頭 家康と

奉行衆代表 三成の対立が
早々に浮上。

2人の対立は
やがて日本全国に拡大していく。

秀吉の死から半年後。

家康を支持する武将たちが
三成を襲撃した。

三成は 難を逃れたものの
佐和山城に蟄居させられ

以降 政治の表舞台から
姿を消す事になる。

三成の失脚後
吉継は 病の身を押して

政権内の紛争の調整役として
奔走する。

五大老の一人
宇喜多秀家の家中で

家臣たちの派閥対立が
騒動になった時の事である。

当主 秀家が調停しても
騒動は収まらない。

この時 吉継は家康と共に

事件解決のための
仲介役を務めている。

吉継は政権の支えとして

実力者 家康からも
厚い信頼を得るようになっていた。

五大老 上杉家の史料にも
こう記録されている。

「家康に近く 何でも
申し上げる事のできる

大谷吉継を頼るように」。

秀吉の死後 揺らぎ始めた
豊臣政権の行方…。

吉継は 家康や ほかの
有力大名との間を奔走しながら

豊臣政権の屋台骨を支えていく。

しかし 政権崩壊の足音は
刻々と近づいていたのである。

さて スタジオには
今夜も さまざまな専門分野の

皆さんに お集まり頂きました。
今日も よろしくお願い致します。

外岡さん 改めて
この吉継という人物像は

どのように見てらっしゃいますか。
なかなか難しいんですよね。

あえて言えば
一代の
英雄なんですよね。

もう彼しかいない。
親も子どもも
よく分からない。

そういう存在なもんですから。
ところが…


あっ そうなんですね。

秀吉の家臣の中で やっぱり
石田三成と大谷吉継というのは

優等生だったと
思うんですけれども。

そういう事をやる訳ですけど…

さあ そして
今回 全国の女子ファンを代表して

今日は 中野さんに
来て頂いたような気が

するんですけど。
それほど好きっていう事ですね?

そうですね。
やっぱり この大谷吉継って

ちょっと特殊な人なんですよね。

何か ちょっと
ギラついてない感じというのが

すごく際立ってるんですよね。
無欲というか。

だけれども
無欲なのに
ここまで出世して

多くの人に
信頼を得て
その地位を

得ていくん
ですけれども
そこが やっぱり

多くの女性ファンから誠実な人とか

この人は 信頼できる人なんじゃ
ないかとか

そういう想像を
すごく かきたてるんですよね。

仲介役として非常に信頼されてた
というところに

私は注目しますよね
やっぱり。

実際 その仲介役って

場合によっては
風見鶏だったり
する訳ですよ。

いい顔を みんなにしといて
最終的には勝ち馬に乗ろうと。

最後は 自分自身が
のし上がっていこうという人が

実は多かったりする訳ですよね。
まあ 政治の世界の

フィクサーなんていうのは
そういう方 多い訳ですよ。

でも 吉継は
そういう懸念を生じさせずに

信頼を勝ち得てたという事は
やっぱり 本当に…

そこは なかなか できるようで
できないんじゃないかなと

私は思いますね。

私は その軍人としての
大谷吉継という側面に

着目してるんですけれども。

まあ こういう例えがありまして

戦争の素人は
戦略を語り

戦争のプロは
兵站を語る

という事が
いわれるんですけれども。

軍人っていうのは
基本的に兵站っていうのは

あまり やりたがらないんですよ。
まあ 裏の仕事だからと

陰の作業だからという事で。
それを あえて引き受ける

というのは やっぱり
その何と言うか 無私というか

無欲なところがあったのかな
という気は致しますね。

これもね 偉いと思うのが…

だけど秀吉が 本当に大坂城や
伏見城を建てようと思ったら

秋田から杉を切ってこさせて

日本海を回して
敦賀で上陸させて 送らなきゃ

いけないじゃないですか。
そういう手間のかかる…

低い石高で ず~っと
我慢してる訳ですよ。

文句 言わずに。

自分の領地を増やす事よりは
そっちにあるというふうに

僕は思いますね。
ただですね

この仲介役として
奔走しているんですけれども

あの天下人 秀吉が亡くなってから
すぐあとに

いろんな対立が起きてくる
という事なんですよね。

一代で作ったものですから。
あと 中枢に

本当に人間がいるかといっても
いないものだから

ライバルの大名たちを番頭役。
まあ 要するに年寄といわれる

家老格に並べてる訳ですね。
これは もう非常に大変ですね。

力の時代ですから…

何かがあると やっぱり
取ってやろうと思うかもしれない。

まあ 簡単に言えば
家康腹黒論っていうんですかね。

まあ 家康の腹黒で
次々と いろんな仕掛けが

仕掛けられてきて
だんだん だんだん

家康の所に
その権力が集中してくるという。

吉継のような… まあ
三成も同じだと思いますけど

やはり 豊臣あっての彼らですから
そういう意味では…

そういう中で
吉継も当然の事ながら

家康のそういう色が
濃くなればなるほど

警戒は強めた
という事になると思います。

石田三成の失脚から半年

豊臣政権に大きな危機が訪れる。

五大老の一人 前田利長が

家康暗殺を計画した疑いが
発覚したのである。

両者の間に 緊張が高まっていく。
戦支度も始まった。

吉継は
家康と前田家の調停を試みる。

戦を避けるため 当主…

前田家が 家康に屈服する形で
騒動は収まった。

…が 政権内で家康の力は
ますます増していく事になる。

更に 大事件が起きる。

慶長5年初め
五大老の一人 上杉景勝が

豊臣政権に対し
謀反の疑いありとの知らせが

もたらされたのだ。

吉継は 上杉の説得に奔走。

しかし 調停は失敗。
手切れとなってしまった。

家康は大老として

全国の大名に
上杉討伐の動員命令を下す。

吉継も参陣のため
兵1, 000を率いて

居城 敦賀を発した。

ある史料に その時の吉継の心情が
伝えられている。

「病の身で はるばる
上杉討伐に向かうのは

ひとえに 徳川 上杉の
仲裁をするためである」。

つまり 吉継は
あくまでも調停役に

徹しようとしていた
というのである。

その道中 佐和山城に蟄居している
石田三成からの使いが来る。

共に豊臣政権を支えた
仲間である。

吉継は 三成のもとへと向かった。

そこで吉継は 三成から
重大事を打ち明けられる。

すなわち…

吉継は 直ちに反対するが
三成は聞き入れない。

三成の挙兵計画を
見過ごしたまま

上杉討伐に向かう訳にはいかない。

苦悩する吉継…
その心の内に分け入ってみよう。

三成が挙兵すれば 再び世は乱れ
戦乱の巷となるのは必至…。

ここは 何としても三成をいさめ
思いとどまらせねばならぬ。

太閤殿下の後継者 秀頼様は
まだ幼少におわす。

豊臣の天下を
維持していくためには

天下の仕置きに不平を抱く
武将たちに にらみの利く

家康殿の実力が必要なのだ…。

五大老の前田をはじめ
加藤清正や福島正則など

武断派と呼ばれる
豊臣恩顧の武将たちは

実力者である家康を支持している。

豊臣政権に不満を持つ者がいても
家康が政権を支える限り

豊臣の天下は安泰なのだ。

家康殿を
このまま 豊臣の天下を支える


大老としておけば
既に老齢の家康殿の事

いつ寿命が尽きるかしれぬ…。

そうなれば
秀頼様の天下は 安泰であろう。

更に大事な事は
挙兵しても 家康には勝てない…。

吉継は 三成との会談の際

挙兵が失敗する理由を
5つ挙げている。

一つは 家康と三成の兵力差が
ありすぎる事。

三成は 19万4, 000石。

対する家康は 250万石の太守。

その実力差は明らかである。

また 家康は希代の戦上手。

数多くの優秀な家来を持ち

家来からも敬愛されている。

更に 家康は
天下の人望を集めているが

対する三成には
家康ほどの人望がない。

だからこそ 戦を避けなければ
ならないのである。

だが 前田や宇喜多 上杉など
実力者が次々にいなくなれば

徳川の力のみ増していくのは
自明の理。

いずれ 家康殿が

天下を奪おうとする事も
ありえる…。

ならば いっその事 挙兵して

家康殿を倒すという道もあるか。

しかし 勝てない理由を
解決しない限り 挙兵はできない。

兵力差。 戦の得手 不得手。

そして三成の人望のなさ…。

解決するのは 容易な事ではない。

戦を回避すべきか?
それとも 挙兵すべきか?

苦悩する吉継に
決断の時が迫っていた。

天下を再び
戦乱の渦に巻き込むか否か

大谷吉継に迫られた
究極の選択です。

1つ目は 戦を回避するのか。

もう一つは 徳川家康に
決戦を挑むべく

兵を挙げるのかという
2つの選択肢です。

まず 小谷さん
どちらでしょうか?

私は1の「戦を回避する」を
選びたいと思います。

回避する。 なぜでしょうか?
これは もう単純に

戦力差がありすぎるという事に
尽きると思います。

10倍ぐらいの兵力差があると。

これは もう最初から
私は 戦にならないと思います。

もう一つは
吉継の立場から見た場合

三成が言う どうしても…

何か 家康をたたくというのは

家康憎しで動いているような
印象を受ける訳ですよね。

だから何となく
こういう排除の理論で突き進む

というのは 私は ちょっと
まあ 吉継の立場であれば

了承しかねるな
という気持ちになります。

ですから 私が もし
吉継の立場であれば これは俄然…

「臥薪嘗胆」策?
はい。 もう とにかく時間を稼ぐ。

待つという事です。
もう家康は年齢的に

これは もう当時としては
いつ亡くなっても

おかしくない訳でありまして
それまで待っても 別に

私は 何の問題もないような気が
するんですけれども。

では 中野さんは
どちらでしょうか?

まあ 合理的に考えたら
もう圧倒的に挙兵しない方が

いいんですけれども
あえて挙兵するを選んだら

どうなるだろうという観点から
ちょっと 考えてみたいんですね。

やっぱり 圧倒的な兵力差が
三成 対 家康では

あるんだけれども
西国大名たちをインクルードすれば

結構 いい線いけるんじゃないか
というふうに

大谷なら考えると思う。

それから 三成は確かに
人望がないかもしれないけども…

(中野)能力はある人なんですよね
秀才性がある人で。

…という気持ちがなかったか
といえば きっと どこかに

そういう気持ちもあったんじゃ
ないかなというふうに想像します。

自分なら もしかしたら
ちょっと 勝負に出てやろうか

という気持ちに
なったかもしれない。

私も2の「挙兵する」を
選択しますね。

ポイントは 吉継が
上杉討伐に参陣した時の

理由っていうのが
大事になると思うんですよ。

要はですね…。

このままだと
家康が勝ってしまうと。

要は これ
豊臣の公儀そのものが

なくなってしまう
という事になりますから

やっぱり 勝たせたくない。
勝たせたくないと言うよりは

上杉を負けさせないようにする。

これと おんなじ事を 多分
私なら考えると思うんですよね。

家康に対して 圧倒して勝つ必要は
ないんですよね。

その上で調停できれば
仲介できれば

勢力均衡を維持できるんですよね。
う~ん。

合議制が維持されていく。
要は 豊臣の公儀というものが

それによって維持されていく
という事なんですよね。

じゃ 最後に
外岡さんは どちらでしょうか?

私は 最初から戦いを回避する。

これが 正当な選択だったんでは
ないかなと思っています。

石田三成というのは
当面 いろんな理解が

あると思いますけど
失脚してるんですよね。

政権から外されてる訳ですよ
現状では。

だから その人間が…

今度は家康の側から言わせれば
それは家康が戦いを起こして…

その中で 恐らく
一番 吉継が腐心したのは…

今のままでは 大義は
圧倒的に家康にある訳です。

クーデターないし 反乱っていう事に
なっちゃいますからね。

だから 今 戦うのは
絶対 不利だと。

磯田さんなら
どちらを選びますか?

私は 挙兵は
あんまり おすすめできませんね。

暗殺ですか!? 家康を大坂城に
呼び寄せといて殺す。

それで 同時に 運がよければ
秀忠が上方の屋敷にいる時に

その屋敷を包囲して
焼き討ちを行う。 そうしたら

家康の戦に手だれた重臣と秀忠を
かなりの確率で

たくさん討ち取る事ができる。

私の考えなんですよ。
ほ~う! そうなんだ。

どうでしょう?
力が入ってた。        どうして

やらないんだと思うんですよ。
本当に不思議なんです 僕は。

ただ 家康の立場からすれば
いつ やられるか分からないから

相当 やっぱり注意 用心深くは
行動してたとは思うんです。

そうか。 さあ それでは

大谷吉継の選択に
迫ってまいりましょう。

敗者から見る 関ヶ原の戦い

そこには 知られざる
吉継の戦略がありました。


吉継は10日間悩んだあげく
ついに 三成と共に

兵を挙げる事を選んだという。

吉継の反逆に驚いたのは
家康である。

家康は すぐさま使者を送り

「味方すれば
越前半国を与える」と

吉継に約束した。

吉継は それに
こう返答したという。

「これまで不治の病のため
奉公勤まり難く

官禄を返上しようと
してきた者が

どうして家康殿から知行を

得ようとするであろうか」。

吉継は 家康の申し出を
拒絶している。

なぜ 吉継は
挙兵する事を決断したのか?

戦国史を研究する土山公仁さんは
こう捉えている。

これは もちろん…

当然 西軍にとってみれば
やっぱり 豊臣秀頼という

秀吉の息子ですよね。 それを
もう旗印にして戦うんだから

まあ 少しは 石田三成が嫌いな
武将もいるけれども…

豊臣家のために やっぱり…

当時の家康は 豊臣政権の大老。

上杉討伐も
豊臣秀頼の名代として

指揮を任されているにすぎない。

つまり 秀頼が
家康討伐の命を下せば

今度は 家康が
豊臣政権の敵となる可能性も高い。

だが 吉継には
三成と共に挙兵するとはいえ

譲れない条件があった。

家康との圧倒的な兵力差や

三成に人望がないという事を
どう解決するか。

吉継は 何よりもまず
五大老の残りの2人

毛利輝元 宇喜多秀家を
味方につける事を考える。

更に 土佐の長宗我部など

西国の大名たちが
味方に加われば

家康との兵力差はなくなり
互角に戦える。

更に総大将を
人望のない三成ではなく

毛利輝元にする事を提案。

いくら三成に人望がなくとも
毛利が総大将となれば

武将たちは結集する事を
いとわないはず。

三成が 吉継の提案を承諾する事で
挙兵計画は実行に移されていく。

早くも翌日には
吉継と三成が連署した げき文を

諸大名に発したとも伝わる。

吉継の戦略とは
いかなるものであったか?

まず 盟主である毛利を
大坂に据え

各地に点在する
東軍を抑えるため

3方面に軍を分ける。

伊勢 美濃 そして吉継率いる

北国方面軍である。

それぞれ平定した後
全軍を美濃に集中

東軍の清洲城と対じする
岐阜城を拠点に 防衛ラインを築く。

岐阜 清洲の間を最前線に
東軍を待ち構え

長期戦に持ち込む。

そうすれば 後方の上杉 真田と

東軍を挟撃できるはずである。

歴史家 小和田哲男さんは

この時の吉継の戦略を
こう分析している。

どこで迎え撃つかといった時に
やっぱりね…

それは 実は
そのはるか前なんですけれど…

まさに
美濃 尾張 伊勢が戦場になって

そこで家康と秀吉の
まさに横綱相撲が繰り広げられた。

それを想定してるんですね。

小牧・長久手の戦いとは
秀吉と家康が直接対決した

最初で最後の大合戦。

若き日の吉継や三成も この戦いに
参陣していたと考えられる。

ですから
恐らく三成も大谷吉継も

そこで迎え撃てれば
勝てるというね。

そんな考えをしていたと思います。

徳川方として出陣してくるのは
加賀84万石の前田利長である。

この時の吉継の作戦は
見事なものであった。

吉継は 前田方に
故意に情報を漏らしたという。

「大谷吉継率いる軍勢4万が

北国に向かっている。

そのうち3万は軍船に乗り込み

海から前田の本拠 金沢を攻撃する
計略である」と。

その虚報を信じた前田勢は
急きょ 金沢へ撤退。

順調に進む 吉継の家康打倒計画。

だが 思わぬ綻びが
やがて誤算の連鎖となっていく。

という事で 吉継の選択は
三成と共に挙兵する

というものでした。
小谷さんは 挙兵はないと

おっしゃってましたけれども
なぜ挙兵したんだと思いますか?

だから そう考えると これは大変
難しい問題だと思うんですよ。

無理やり想像するのであれば
恐らく吉継というのは

大変なリアリストだったと思いますので
少なくとも この時点では

なんとか東軍
要は 徳川軍に比肩する程度の

兵力をそろえる算段が
頭の中で ついたんだと思います。

ですから とりあえず形状は
なんとか

東軍に対抗する兵力は
そろいますよと。

ここまでは やりますと。
…で あとは もう三成なり

ほかの西側の
総大将と呼ばれる人々に

任せますよといった
多分 心境だったのかなと

思うんですけどね。

やっぱり あれですよね
吉継も挙兵するにあたって

外岡さんに
お伺いしたいんですけど

心の中には葛藤というか
ジレンマもある訳ですよね?

そうでしょうね。
間違いなく 家康に対しても

それなりのシンパシーというか
親しみを持ってる訳ですよね。

…で ある程度 信頼もしてるし。

当面は彼に従っていくのが
いいだろうというふうに

思ってた事は確かだし
そういう点で非常に

悩んだあげくの選択であった事は
確かだと思いますね。

これは豊臣公儀の社長室 企画室
これ 全体が

家康に刃向かってくる
可能性があると。 そうすると

秀頼の命令が出てですね…

大谷まで入ったかっていうのは
それは家康にとっては

恐ろしかっただろうし
「寝耳にミミズ」ぐらいの…。

「寝耳にミミズ」って。
水より嫌ですね。  ええ。

だったと思いますよ。

この場合は だから 徳川家康に

圧倒的な勝者にさせない事が
一番大事な事で

誰かを勝たせるとか
徳川に勝とうっていう事が

目的ではなかったと思うんですね。
ですので

それこそ兵站のレベル
ロジスティックのレベルで ある種の…

ここで あなたの勢力は
終わりですよという

ラインさえ引ければ…。
一番の今の体制の正当性は

我々の方にあるんですよ
という事さえ示す事ができれば

それで よかったんだろうなと
私は思いますね。

なぜかというと
三成や吉継たちは

社長室 企画室
内閣官房の人たちであって

他社に買収されちゃった場合
彼らの居場所はないんですよ。

だから もし徳川の世界に
なった時は自分たちには ないと。

初めは順調に見えた西軍の戦略。

しかし 計画は
次第に破綻を来していく。

家康は 上杉討伐に参陣した

豊臣恩顧の武将たちを
味方につける事に成功。

東軍の先鋒は
早くも清洲城へ到達。

8月22日には
西軍の最前線 岐阜城に迫った。

西軍の戦略は 難攻不落で知られた
岐阜城で籠城。

東軍が攻めあぐんでいるうちに

戦局を有利に持っていく
つもりだったと考えられる。

ところが…
岐阜城は 東軍の猛攻の前に

僅か2日で
陥落してしまったのである。

岐阜城が陥落した事により
西軍の防衛ラインは

後退を余儀なくされる。

およそ17キロ西にある
大垣城を拠点に

新しい防衛ラインを築く事が
急務となった。

北陸から戻った吉継は
関ヶ原に布陣する。

関ヶ原の戦い
10日以上も前の事である。

しかし この時点では
戦場が関ヶ原になるとは

誰も想像していない。

東軍側の史料にも こうある。

「9月14日の夜まで 合戦が
どこであるかも分からなかった」。

なぜ 吉継は
関ヶ原に布陣したのか?

その痕跡が今も残されていた。

これは 大谷陣営が築かせた
土塁なんですけれど

関ヶ原の本戦から2週間近く前に
入ってきてる訳ですから。

恐らく自分のとこの…

西軍の陣地である松尾山にも

戦い当時 手を加えたと考えられる
土塁跡が残されている。

吉継は 防衛ラインの後退に対応し

大垣城の後詰陣地として

関ヶ原に防御施設を構築したと
考えられる。

西軍の戦略は こう推測される。

大垣城を拠点に 南宮山
そして松尾山に後詰を配置。

松尾山には
総大将 毛利輝元が詰める。

大垣城を攻撃する東軍に対して
後詰が攻撃をかければ

逆に東軍を包囲する事ができる。

長期戦を想定した策である。

しかし 9月14日

西軍の戦略に
大きな齟齬が生じた。

総大将 毛利輝元が
入城予定の松尾山に

小早川秀秋の軍勢が
陣取ったのである。

亡き秀吉の甥 小早川秀秋の旗色は
不鮮明であった。

この時 石田三成自身は
大垣城に籠城して

それを東軍に攻めかけらせて

それを更に
西軍側が包囲するという。

いわゆる後詰決戦というね
言い方しますけど。

それを考えていたんで
恐らく南宮山の毛利 吉川の軍勢

そして最終的には
本来入るべき毛利が来なくて

毛利輝元が来なくて
小早川が入ったんですけど…。

これは結果論ですけど やっぱり…

西軍の戦略は
変更を余儀なくされる。

松尾山に小早川秀秋が入ると

大垣城を拠点とした防衛ラインは
破綻を来す。

もし 秀秋が東軍に寝返れば
西軍は分断され

大垣城が孤立する事にも
なりかねない。

松尾山は
家康と連携できる位置にある。

西軍は
兵力の分断を回避するため

関ヶ原に本陣を移さなければ
ならなかったと考えられる。

兵力集中を図る事で
家康と秀秋の連携を食い止め

秀秋を自陣に
取り込もうとしたのである。

西軍は 軍を関ヶ原に動かす。

それを追いかけるように
東軍も関ヶ原へと向かう。

両軍合わせ15万以上。

史上最大の軍勢が
関ヶ原盆地を埋め尽くした。

そして…

日本史上最大の戦いが
幕を開けた。

兵数は西軍有利。 しかし
実際に戦闘に参加しているのは

吉継や三成 宇喜多など

東軍の半数に満たない
3万5, 000余り。

だが 西軍は吉継が設けた
防御施設のおかげか

戦いを優位に進めていたという。

合戦が始まり4時間。

松尾山の小早川勢が寝返り
吉継の陣に襲いかかった。

だが 吉継は それを予想していた。

事実 吉継は小早川の大軍勢を
何度も押し返したという。

しかし
吉継を最後の誤算が襲った。

大谷軍の側面に
攻撃を仕掛けてきたのである。

その攻撃を支えきれず
大谷軍は ついに崩れた。

大谷軍が敗れると
すぐに西軍全体は総崩れとなった。

乱戦のさなか
吉継は 壮絶な自刃を遂げた。

関ヶ原の戦いで
唯一 自刃して果てた大名である。

福井県敦賀市に
大谷吉継の菩提寺と伝わる

寺がある。

全国からの参拝者が
後を絶たないという。

ほぼ毎日 どなたかが
いらっしゃっておりまして

老若男女問わず 本当に年齢層の
幅広い方が来られております。

やはり あの大谷吉継公の
生き方といいますか

生きざまといいますか
そういった事が

今の若い方を中心に
親しまれているといいますか。

今 私たちが目指していきたい
そういう生き方を

こう された方だからかな
というふうに私は思っております。

う~ん 本当に誤算に次ぐ誤算で

敗れてしまったという
大谷吉継ですけれども

じゃ なぜ
敗れてしまったのかという

原因を見ていきたいんですが。

これって
どちらかといえば…

戦略までは いかないって事…?
いっていません。

ですから 結局
戦前の日本軍とおんなじで

彼ら軍官僚なんですよ
基本的には。

そこに毛利輝元を担ぎ上げて
やって下さい。

これ まさに
戦前の日本軍ですとか

今の官僚も
そうしていますけれども

ず~っとボトムアップで
細部だけを詰めていくという

やり方なんですよ。 これ 平時は
それでも回るんですけれども…

彼らが やってたのは
動員なんですよ。

だから ここに何人 人数を並べて
兵士を来させろっていう行為は

日常やってた事ですから
お茶の子さいさいで

この2人 できるんですよ。
だから 西軍 何万人か

10万を超える ひょっとしたら
兵を並べる事はできる。 だけど…

用兵やった事ない ほとんど。
それは 秀吉の横にいた

竹中半兵衛だの黒田官兵衛だの
連中がいて やってる。

あ~ そうか。
だから 兵を並べる事はできる。

そこまでは やっちゃったと。

そうなんですよね。
その違いが積み重なって

どんどん いろいろな人を
巻き込んでいきながら

戦争の戦のすう勢を
決めていった訳ですよね。

だから 吉継の調略が
やっぱり あいまいだったのは

本当に勝とうと
とにかく生き残ろうっていう

つもりがなくて
自分たちは正義があって

最終的には
秀頼も担ぎ出せるかもしれない。

豊臣の公儀を守るためなんだ
という形で必死さがないというか。

生き残るためには何でもするんだ
卑怯な事でも何でもするんだ

というような感覚が やっぱり
薄かったんじゃないかな

という気がするんですよね。
だから

やっぱり 戦国時代ですからね
その欲望 要するに…

何が何でも…

家康って そういうの見るの
うまいんですよね。

人が何が欲しくて 何を与えれば
自分の言う事を聞くかというの

すごく よく分かってますよね。

誤算が もし あるとすれば。
何か 正しい世界とか

秩序だったものとか
カリスマには従いましょうとか

そういうもので みんなが動くと
思ってるんですね。

自分の知的レベルが高いから
人の事を見誤る。

吉継は そこは ちょっと
甘かったんじゃないでしょうかね。

みんな 吉継みたいに誠実な人じゃ
ないんですよ これが。

すごく いい人だと思う。
だから みんな自分が思うように

考えちゃうんですよね。
そうそう。

そうすると どうすれば
よかったのかと考えれば…。

西軍が勝てるとしたら
どういう事が考えられた…?

やっぱり これ やるべきは…

それ どうやるかというと
どんどん とにかく

東海道を下っていって…

これ だって空なんですから
この城は。

静岡県の真ん中ぐらいまでは
進めるんですよ。

とにかく急速に進めれば。
その辺りに砦群を築いて

家康軍を通せんぼしておいたら…

そこで秀頼公の命令ですと言って
「はい 君たちは

家康から離れますか?
離れなかったら西軍の諸将に

濃尾平野も この浜松平野も
全部みんなに分けますよ」って

構想になる訳ですよ。
これは元気出ますよ。

だけど 早く
動いてくれないんですよ 兵が。

ここが動いてくれないところが
やっぱり どこかに

問題があるんでしょうね。
私は 吉継の生き方を見てますと…

人のやりたがらない事を
自発的にやってきたような

人生だなという気が致します。

これ でも 誰かがやらないと
ほっとくと

小早川が東軍と合流してしまう
可能性がありますから

誰かが そこにいて ちょっと
やっぱり 栓をしておかないと

いけないと。

それを あえてやったと。
やっぱり すばらしいと。

みんな こういうふうに
生きたいけれども 実際は

やっぱり 欲とか自我が先に出て
無理だろうなという気は

しますけれどもね。

後世の さまざまな軍記物の中で

普通は
歴史を動かした人っていうと

毀誉ほうへん激しいのが
当たり前なんですね。 ところが…

いってるものがない訳ですよ。

普通は やっぱり相手の大将の所へ
それをやるっていうのは

まさに勝ったぞと
そこで勝ちどきをあげるという

セレモニーになるんだと
思うんですけど…。

大谷の所に行く それは半分は
慰霊で行っていると思うんですね。

やはり 家康も大谷の人柄…。

やはり いろいろジレンマは
あっただろうけれども

豊臣を選ばなければ
いけなかった

お前の心は分かるというところは
僕は家康も

ある程度は大谷の事を
分かってたから

ああいう事になったのかな
というふうに思います。

何か だんだん大谷吉継が
好きになってきました 私も。

(笑い声)
磯田さん 改めて。

こういう
誠実な生き方をする人が

やっぱり この世の中に
いるんだっていう点は

ものすごく
すがすがしいと思いますね。

何せ この人は 家康を
最も知っていた男なんですよ。

豊臣政権下で。 何でかっていうと
家康との交渉係 窓口ですから

だから家康の強さも知っていると。

普通 強さも将来性も知っていたら
その味方になって

おこぼれを預かろうと
思うじゃないですか。

家康が強いからこそ
立ちはだかって

滅ぶ道を選ぶんですよ。 これ
すごい人だと思うんですよね。

大谷吉継が好きな日本人が

こんなに たくさんいるという事は
捨てたものじゃないんだな

というふうにも思いますね。

今日 皆さん
どうも ありがとうございました。


関連記事