英雄たちの選択「参勤交代を緩和せよ!~松平春嶽 幕政の根幹に物申す~」 萱野稔人、岸本覚、山本博文


出典:『英雄たちの選択「参勤交代を緩和せよ!~松平春嶽 幕政の根幹に物申す~」』の番組情報(EPGから引用)


2018/09/13(木) 
英雄たちの選択「参勤交代を緩和せよ!~松平春嶽 幕政の根幹に物申す~」[字]
幕末、外国船が出没し海防が課題になるが諸藩は財政難に苦しんでいた。原因は参勤交代にかかる莫大な費用。そこで参勤交代緩和を唱えたのが越前福井藩主の松平春嶽だった。
詳細情報
番組内容
参勤交代は諸大名が将軍に忠誠を示す幕藩体制の骨格ともいえる制度。その費用が諸藩の財政を圧迫し海防ができない、と松平春嶽は緩和を訴えるが、譜代大名が仕切る幕府は受け入れない。そこで春嶽は有力大名たちを説き、党派を作って政治改革を目指すが、大老・井伊直弼と対立、謹慎処分となる。数年後、幕府の力が衰えると春嶽が政権を握ることになる。参勤交代緩和に踏み切るチャンスだが、逆に諸大名が幕府から離れる恐れも。
出演者
【出演】萱野稔人,岸本覚,山本博文,【司会】磯田道史,杉浦友紀,【語り】松重豊 



『英雄たちの選択「参勤交代を緩和せよ!~松平春嶽 幕政の根幹に物申す~」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

英雄たちの選択「参勤交代を緩和せよ!~松平春嶽 幕政の根幹に物申す~」
  1. 春嶽
  2. 幕府
  3. 参勤交代
  4. 大名
  5. 緩和
  6. 改革
  7. 江戸
  8. 日本

  9. 制度



『英雄たちの選択「参勤交代を緩和せよ!~松平春嶽 幕政の根幹に物申す~」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

他にも、無料お試し期間のあるVODサービスが増えてますので、各社のラインナップを調べてみるといいかもしれませんね。



日本中に議論を呼んだ
「働き方改革」。

今年6月
労働基準法の改正が ついに可決。

制定以来
70年ぶりの大改革だった。

今から およそ150年前

江戸時代の終わりにも

ある制度の改革をめぐり

大激論が交わされていたのを
ご存じだろうか?

それは…。

全国の大名が
2年に1度 江戸へ赴き

軍役奉仕を行う
江戸時代の基本制度だ。

その費用は
ばく大な金額に上り…

幕末には 多くの藩が
破綻寸前に陥っていた。

(砲撃音)

折しも当時は
異国船が相次いで来航。

一刻も早い防衛力の強化と

そのための藩財政の立て直しが
叫ばれていた。

(砲撃音)

もはや…

一人の男が
改革に立ち上がった。

春嶽は 参勤交代の
大胆な緩和を幕府に提言。

大名の負担軽減と
防衛力強化を訴えた。

だが 参勤交代は

将軍と大名の主従関係を
確認する…

徳川の伝統を
変える事はできないと

周囲は難色を示した。

そして
幕末という時代の激変の中

春嶽自身も政治生命を
絶たれかねない危機に

直面するのである。

国家存亡の危機を前にしても
変えられない制度とは

一体 何なのか?

スタジオには
さまざまな分野の専門家が集結。

実質的には日本史に与えてる。

江戸時代のアンタッチャブル
参勤交代。

幕末の日本を紛糾させた
一大制度改革に迫る。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

今回は 日本史の中でも
特に人気の高い幕末を

ちょっと違った視点から
ひもといてみたいと思います。

それが「参勤交代の改革」です。
磯田さん 参勤交代というと

まさに 江戸時代そのものを表すと
言っていいほどの

制度ですよね。
そのとおり。

これほどね 日本の…
影響を与えた制度はないですね。

いわば 日本を日本にした制度と
言ってもいいぐらい

江戸時代における
最重要の制度です。

はい。 そして こちらを
ご覧いただきましょうか。

ずら~っと長い… ねえ!
絵が出てきましたけれど

参勤交代の代名詞でもある
大名行列を克明に描いた絵です。


実際は 7枚からなる
全長13メートルもある絵で

藩主を中心に 武士 足軽など

総勢812人が描写されています。

こんなに人が必要だったんですね。

ええ。 参勤交代は
大げさに言ったら 城を丸ごと

引っ越しするようなもので。
はあ~。

例えば お医者さんはもちろん

鷹匠っていうか
鷹までついてくるんですよ。

鷹匠 必要ですか?

必要なんです。
鷹が使える身分だっていうので。

風呂桶も運んだりね。
風呂桶まで?

江戸にありますでしょ?

途中ないからといって 要するに…

大きな財政負担ですよね。
ええ。

だから 幕末は
どの藩も もう破綻寸前ですから

これ あの… 行列が出発したら
借金取りが

大名行列の後ろを
追いかける藩なんかもある。

それほど大変なんですよ。
え~! そんなにですか。

そこで こういう参勤交代を
緩和すべきか否かという議論が

幕末の大名たちの間で
巻き起こるわけですね。

そうなんですよね。
そして その中心にいたのが

越前福井藩主の
松平春嶽です。

磯田さん 今日は
どんな点に注目して

見ていけばいいんでしょうか?

外国の侵略の危機が
叫ばれた時代ですね。

海を どう防げばいいのか
という時に

なぜ 徳川のために
出費をしなくてはいけないのかと。

参勤交代改革なくして
富国強兵なしという事が

やっぱり 叫ばれる。

しかし やっぱり
思うように進まない。

そりゃそうでしょう。
根幹の制度ですから。

なぜなのか。
今回は 国の根幹となる制度を

変えるという観点から
幕末を改めて見たい。

見てみたい。
どういう事が起きるのか。

我々にも 絶対 ヒントに
なると思うんですよ。
確かに。

いろんな壁がありそうですもんね。

では 幕末の日本を紛糾させた
大改革は

どのようにして始まったのか。

まずは こちらをご覧ください。

♬~

ここに 幕末の名君といわれた
松平春嶽の人物像を

うかがい知る史料が
保管されている。

こちらが
春嶽が17歳の時に書いた

参勤交代の紀行文です。

藩主として 参勤交代の
江戸での勤めを終えた春嶽が

領国の福井へ帰るまでの
13日間を記した旅日記だ。

江戸を出てまもなく

農民たちの暮らしぶりを
目にした春嶽は

こんな事を
書きつづっている。

「その大名は
犬 猫にも劣る」。

一国の主たるもの
どんな世であろうと

領民を慈しむ政治を
目指さなくてはならない。

その政治信条を培ったものこそ

多くの大名が苦しめられた
幕末の財政難であった。


この参勤交代の翌年の計上では…

積もりに積もった福井藩の借金。

その総額は
一時は およそ90万両。

現代の価値にして
450億円もの規模に膨れ上がった。

そのしわ寄せが
領民たちの年貢にのしかかり

領内では
一揆や打ちこわしが頻発。

危機的な懐事情から
藩主の春嶽でさえ

食事は 白米に一汁か

白米に一菜のみ。

粗食で耐え忍ぶ
ありさまだった。

幕末 多くの藩が

同じような財政難に
苦しめられていた。

その最大の原因が 毎年
ばく大な経費を必要とする

参勤交代だった。

多くの家臣と共に

江戸と領国を往復する
その旅路は

宿代だけでも
尋常でない金額になった。

2, 000人ものお供を連れていた
大大名 加賀藩の場合

1泊にかかる経費は
1, 000万円以上。

江戸までの片道の宿泊費は
総額2億円に上ったという。

少しでも宿泊日数を減らそうと

日の出から日の入りまで
早足で歩き続ける

涙ぐましい努力をする大名も
少なくなかった。

更に 江戸へ人質として差し出した
藩主の妻子が暮らす

江戸藩邸の維持費や人件費も
巨額なものになった。

5, 000人もの藩士が
江戸藩邸に詰めていた

加賀藩では
年間予算のおよそ半分

50億円もの大金を
江戸で費やしていたという。

それなら 参勤交代の規模を
縮小すればよいではないか?

ところが

事は そう単純なものでは
なかった事を示す史料がある。

これは 大名や武士と
取り引きをする

御用商人たちが使った

「武鑑」と呼ばれる
江戸時代の紳士録。

各大名の名前や石高のほか

参勤交代で 幕府から
携帯する事が許された

武器の種類や数までもが
事細かに記され

それが大名の「格」を表した。

実は 江戸に暮らす庶民は

この武鑑を
大名行列を見物する際の

ガイドブックとして
活用していたため

大名たちは 御家の威信に懸けて

格を下げるような行列に
するわけにはいかなかった。

しかも この行列は

「幕府にとっても
大名にとっても

メリットがあるものだった」と

東京大学史料編纂所の
山本博文さんは言う。


しかも 大名も
序列化する事によって…

参勤交代の
例えば 道具 持ち物ですね。

それを まあ
今まで やり1本だったのを

やり2本にしたりとかですね
そういう事を 幕府に嘆願して

幕府のほうが
それを許可するっていう。

その事によって
幕府の恩恵も感じますし

大名としては その事によって…

そういう争いを
するようになるわけですね。

将軍との謁見でも 格に応じて

畳の何枚目に座るかが決められ

大名の努力次第で
その位置を変える事もできた。

参勤交代は 家の格式をめぐる

大名同士のせめぎ合いでもあった。

しかし その制度の改革を迫る
未曽有の危機が日本を襲う。

アメリカのペリーが
艦隊を率いて 開国を要求。

(砲撃音)

どう対応するか
幕閣は連日 議論を交わしていた。

しかし 一向に意見がまとまらず
結論を出す事ができない。

時の老中 阿部正弘は

全国の大名に意見を募る。

幕府としては
異例の試みだった。

そして 一通の建白書が
幕府に届く。

その差出人こそ
当時26歳の福井藩主 松平春嶽。

建白書の内容は 幕府にとって
衝撃的なものだった。

「全国の大名たちは

参勤交代で
疲弊しきっております。

この国難に対峙するには

江戸に参府する大名を帰国させ

挙国一致で

軍備を整えるべきではないかと
存じます」。

なんと 春嶽は
「異国に立ち向かうには

諸藩の財政を圧迫する
参勤交代を

緩和する必要がある」と
幕府に訴えたのである。

しかし
将軍への忠誠の証しである

参勤交代の改革を主張すれば

幕府から反逆を疑われ

処罰されても
おかしくはなかった。

なぜ 春嶽は 危険を顧みず
改革を訴えたのか?

「春嶽の出自が
深く関わっている」と

福井市立郷土歴史博物館の

角鹿尚計さんは語る。

春嶽が生まれた
田安徳川家は

8代将軍 吉宗に
始まる家柄。

春嶽は
11代将軍 家斉の

おいにあたり

12代将軍 家慶の
いとこ。

まさに 幕末の
サラブレッドだったのである。

ところが 幕府は
春嶽の意見を却下する。

その理由を

老中の阿部は
こんな言葉で語っている。

納得がいかない春嶽は

当時 最も英明と
評判の高かった

薩摩藩主 島津斉彬に
自分の意見を説き

幕府説得の協力を求めた。

しかし 斉彬は
「建白は至極ごもっとも」と

春嶽に同意は示すものの

「親藩大名の貴兄ですら
幕府からにらまれているのに

外様の自分に
言えるわけがない」と答え

幕府の前で 突飛な言動は
差し控えるよう

逆に くぎを刺されてしまった。

それでも 春嶽は

参勤交代の改革を求める
建白書を

幕府に出し続けた。

「江戸が
戦場になる危険もあるので

江戸にいる大名の妻子は

国許へ帰すべきです。

大名が 参勤のたびに

幕閣に渡す献上品も一切廃止。

江戸への参勤も

3~4年に
1度にしては

いかがでしょうか」。

しかし 幕府は
頑として姿勢を崩さなかった。

諸大名の忠誠と服従を
つなぎ止めてきた

参勤交代を緩和したら

幕府の権威は
一気に崩壊しかねない。

そんな危機感が
幕閣にはあったのである。

では このまま
何も変えなくていいのか?

孤軍奮闘する
若き春嶽の前に

大きな壁が
立ちはだかっていた。

というわけで 松平春嶽が

参勤交代の緩和を
幕府に建白したものの

さまざまな反発に遭い
却下されてしまう

というところまで
見てきましたけれど。

それにしても 磯田さん
特に経費の部分で

参勤交代っていうのは 非常に
負担になるものだったんですね。

負担なんてもんじゃないですね。

実は 僕の先祖もね
御倹約奉行というのを

参勤交代中にやって
それで認められて

出世の糸口をつかむんですよ。
あっ 御倹約ですか。

あの時代の参勤交代の係には
なりたかないですよね。

あとで恨まれるわけですよ。

もう みんな
大変だったと思いますよ 本当に。

お金から見た参勤交代の苦労
山本さんは いかがですか?

鶴岡藩の酒井家なんかは

旅費の途中で…
お金が
尽きてですね

お金が尽きたんで
しばらくここに

逗留しますってんで
逗留してる間に
国許のほうから

お金をようやく
送金してもらって

なんとか
続けられたと。

その時の藩主は

ハラハラ涙をこぼしたって話も
残ってるほど

苦労してるわけなんですね。

萱野さん いかがですか?
徳川幕府の権力にとっては

ものすごく
本質的だったと
思いますね。

封建制の
社会じゃないですか。

封建制というのは
放っとくと

遠心的な力が
働くんですよ。


要するに
バラバラに
なっていくというか。

じゃあ どうやって
幕府の権力の求心力を

維持していこうかってなった時に
やっぱり…

そういう意味で 本当に
骨だったんだと思いますね。

これでね 戦国時代の競争を
止めたんですよ。

放っといたら 戦国大名は
「俺が天下人に」って

みんなで やり始めるでしょ。

このエネルギーを止めるために
細かく格式を定めて

「お前の分では この状態。

お前の分では やり何本」
とかいうふうに決めておいて

それで競争を小さい

ちょっとした競争に変えて
お互いに戦争をしない

というふうに
持っていくわけですよね。

領地はね 増やせないわけです。

だから こういうところで
競争するっていうね。

蒔絵がついてる かごと
ただ 漆が塗ってるやつだったら

金の蒔絵がついてるやつだったら
うちのほうが上! みたいな

そういう
奇妙な争いになるんですよ。

だから 逆を言うと

これ ばかばかしいように
見えるんですけど…

ああ… 平和を支えるための
制度でもあった。

ただ 一方 大名のほうは

そういう事が
あんまり理解できないというか

むしろ… 幕府には
逆らうつもりはないけど

負担をどうにか軽減してくれ
っていう話になるわけですよね。

そこら辺の
まあ なんていうかな…

岸本さんは この老中が
「骨」と例えた事については

どのように
参勤交代 思いますか?

やはり 参勤交代に
関する事が書かれてる

根本法規である
「武家諸法度」が

やはり 根幹に
あるのかな

というふうに
思います。

武家諸法度は
将軍の代替わりごとに

大名に対して
読み聞かせる

っていうところが
ありますので。

そのぐらい やはり
ある意味 逆に

そういうふうに見せていた
っていうところも

あるかもしれないと思います。

現代の日本で例えるとしたら

この骨となる制度って
何だと思いますか?

全然違いますけれども 私は 
選挙に近いものだと思いますね。

全くメカニズムは違いますよ。

参勤交代の場合は
それこそ 力関係を

目に見える形で
表すっていう事なんですよね。

で 選挙っていうのは
みんなで投票して

代表者を決めましたよと。

これは 自分たちが選んだ代表者が
決めた事だから

結局は 自分たちが
決めた事なんだという事で

最終的には 決定に従うって事に
なるんですよね。

だから
権力の正当性を維持している

っていうふうに考えると
根幹にあるのは 今は選挙かな。

その点で言うと…

そうすると 今の私たち
選挙なくしたあと

じゃあ どうやって 国の政府を
維持していったらいいのかって

想像もつきませんよね。
はい。

それぐらいの提案をしてきた
っていう事ですよね。

春嶽の出自が 参勤交代の訴えに
つながったとありましたけど

皆さん 春嶽を突き動かしたものは
何だと思いますか?

福井のほうに
ちょっと調査行った時に

やっぱり 春嶽の書状類

あるいは その写し類を
だいぶ 見たんですけども

ものすごい膨大なやり取りを
やっぱり してます。

その中で 我々は一体…

春嶽の行いを見てると
改革者に共通する

一つのパーソナリティーが
表れているような

そんな印象なんですよね。

どんなパーソナリティーか
っていうと…

自分本位じゃなくて
他人本位で行動するって

どういう事かっていうと
他人のニーズに敏感なんですよ。

ですので
環境の変化に敏感であれば

今 何が必要かっていう事が
おのずから分かってきますので

改革につながっていくという。

この人ね 日本一 僕
親切な大名というイメージを持つ。

アハハハ… ええ。
親切なのよ。

こんな親切な人いない。 うん。

あの幕末の自分勝手した時代に
珍しいよ 本当。

僕は 彼の全集を…
このぐらいあるんですけど

読んでみて どう見ても
やっぱり親切な人としか思えない。

ただ 彼が つきあってるのは
誰かっていうと

やっぱり その親藩の大名とかね
あるいは 雄藩の中でも

政治参加したい島津斉彬とか
そういう大名ですよね。

彼らのレベルでしか
ものを知らないから…

そういうところが
抜けちゃったんじゃないかな

っていう感じはしますね。
だから いい人すぎるんですね。

「いい人すぎる」。 親切すぎる。
(山本)そうですね。

さあ 参勤交代の改革を
幕府に却下された春嶽ですが

今度は 別のアプローチで
改革を試みます。

そして その先に 大きな挫折と
選択が待ち受けていました。

「もはや 自分一人の意見だけでは
状況は変わらない」。

そう判断した春嶽は
ある行動に打って出る。

それは 同じ志を抱く
大名と共に党派を組み

幕府の政治を
変えようというものだった。


春嶽は
水戸の徳川斉昭

薩摩の
島津斉彬らと共に

英明と評判の高い 一橋慶喜を
次期将軍に推薦する。

更に…

春嶽は 江戸の藩邸に

徳川家と近しい
大名たちを招いて会談。

参勤交代など 改革の声を
一緒に上げてほしいと

協力を要請した。

春嶽の意見を聞いた

徳島藩主
蜂須賀斉裕は

「神君 家康公以来の
法に触れるのは

幕府に
不審を抱かせる」と
難色を示した。

それでも 春嶽は引き下がらない。

「諸大名の財政回復こそ

忠勤に励む余力を大名に生み

結果 幕府のためになる」。

…と 改革の意義を力説した。

その春嶽の熱い思いに
じっと耳を傾ける者がいた。

鳥取藩主 池田慶徳だ。

慶徳は その後も
春嶽と会談を重ね

「大名の声が

天下変革の響きになる」という

春嶽の言葉に共感。

会談後 幕府に建白書を提出した。

やがて 春嶽たちに
同調するかのように

幕府内からも 参勤交代を
見直すべきとの意見が出始めた。

特に 海防を担当する
海防掛大目付は

改革の必要性を痛感。
こんな意見書を提出している。

春嶽が 参勤交代の緩和を
主張してから4年。

改革の機運は高まりつつあった。

ところが…。

一人の男が
春嶽の前に立ちはだかる。

譜代最大の大名…

次期将軍に
御三家 紀州の慶福を推した

井伊直弼は 14代将軍をめぐる

主導権争いに勝利。

安政5年

一橋慶喜派の一斉弾圧に乗り出す。

世に言う「安政の大獄」である。

春嶽は 隠居謹慎を命じられ

江戸藩邸で 逼塞生活を
送る事となった。

この時の心境をうかがわせる
手紙が残されている。

黒々と押された両手の手形。

その間に記されているのが…。

…という言葉であった。

井伊直弼の強硬な姿勢に
いきり立つ家臣たちに対し

自らの手形をもって
今は耐え忍ぶようにと戒めた。

春嶽 32歳の手形である。

2年後 春嶽を謹慎に追い込んだ
井伊直弼は

桜田門外で暗殺される。

幕府の権威は 急速に傾き始めた。

しかし 春嶽の謹慎が解かれる事は
なかった。

謹慎は実に4年にも及んだ。

参勤交代の緩和の先に 春嶽は
どんな理想を思い描いていたか?

春嶽の生涯を研究する角鹿さんは
ある史料に注目している。

こちらにありますのが

松平春嶽公が自ら筆を執りまして
新しい政治構想を定めたものです。

「虎豹変革備考」。

春嶽が 文久年間に
イギリスの政治体制を参考に

自らの政治構想を記したものと
考えられている。

上院の巴力門と

下院の高門士。

この二院で
構成された議会を作り

幕府には行政のみを委ねる
議会制度を構想していた。

「上院の巴力門の議員には

有名な諸大名が列席し

下院の高門士の議員は

武士や庶民。

百姓や町人までをも
参加させるべき」とまで

説いている。

春嶽は
参勤交代の改革を突破口に

近代的な政治体制の導入を
模索していたのである。

井伊直弼の暗殺から2年後の
文久2年

時代は再び大きく動く。

薩摩藩の島津久光が
藩兵1, 000人を率いて上洛。

朝廷を後ろ盾にして 幕府に
政治改革を要求しようとした。

それは 「春嶽を大老に

慶喜を
将軍後見職に就任させ

幕政の扶けとすべし」
というものだった。

これに慌てたのが
江戸の老中たちだ。

朝廷や 外様大名である
薩摩の要求を受け入れ

幕政改革が行われるような
事態になれば

権威は まさに地に落ちたも同然。

春嶽は謹慎を解かれ
将軍 家茂のもとへ呼び出された。

欧米列強への対応をめぐり

亀裂が生じていた
朝廷との関係を修復。

いわゆる 公武合体の実現に向けた
交渉役を依頼されたのである。

春嶽にとって
それは将軍の依頼と引き換えに

参勤交代の改革を迫る
絶好のチャンス。

しかし 幕府の権威が落ちた
このタイミングで行うのは

大きなリスクもはらんでいた。

この時の春嶽の心の内に
分け入ってみよう。

喫緊の政治課題は

異国の脅威から日本を守るための
国防力の強化だ。

そのためには

大名たちを財政難に陥れた
参勤交代の緩和を

今すぐにでも断行するほかない。

多くの大名たちが 心の中で
望んでいる参勤交代の緩和を

将軍の名のもと
幕府自らが実行すれば

地に落ちかけた権威と信頼を
取り戻す事もできるかもしれない。

ほかにも 改革しなければならない
問題は ごまんとある。

ここは 今すぐ改革断行を主張。

参勤交代の緩和をはじめ

これまでの独裁的な政治を
幕府にやめさせ

大名たちと共に国難に挑む
協力体制を作り直すのだ。

しかし 今更 幕府が
参勤交代を緩和したとして

果たして 求心力の復活に
どれほどつながるだろうか?

今や 一外様大名が
朝廷を動かすような時代。

薩摩や長州など すでに
独自に軍事力を強化した藩は

参勤交代の緩和をきっかけに

幕府からの離反を
強めるかもしれない。

徳川恩顧の大名にも

参勤交代の緩和を
危険とみる声は多い。

ここは
朝廷との公武合体を最優先。

幕政の安定を見てから
参勤交代の改革に乗り出すべきか。

しかし それでは いつまでも
大名たちは財政難に苦しみ

日本を守る事ができなくなる。

一体 どうすれば良いか?

幕府でもなく大名でもなく

日本のために優先すべきは
何なのか?

かつてとは
状況が大きく変わった中

春嶽は選択を迫られていた。

春嶽は 同じ志を抱く有力大名と
連携したりするなど

さまざまな方法や構想を抱いて
改革を実現しようとします。

このアプローチについて
岸本さんは どう考えますか?

ペリー来航以降ですね
諸大名というのは やはり

さまざまな意見をですね
出してくるようになり

そういうふうな状況の中で

恐らく 求められていく
最大のところが

たぶん 受け皿じゃないかと。

つまり それを制度化する
という事だと思うんですけど

受け皿を作る事によって まあ

いわゆる「公議輿論」と
いわれているものが

実現していくんじゃないか
という事を

彼は考えていったんではないか
というふうに思います。

うん…。
基本的に 中央政府が

人々に自分たちが決めた事を
従わせるには

2つしかないんですよ。 1つは…

もう1つは 「あなたたちが
自分たちで決めた事なんだから

ちゃんと守ってね」っていう形で…

決定の当事者に
していく事によって

幕府の権力を
再定義していきましょうという

そういう考えだったと
思うんですよね。

議会政治っていうとね
すごく近代的に見えるんだけど

春嶽の構想は
雄藩大名とか そういう

よく ものが分かっている人間が
幕政に参加するっていう

そういう考え方だと
思うんですよね。

ただ 民衆の生活も見てるから
家臣だとか民衆にも

もう一つの議会のほうで
話をしてもらうと。

それに基づいて
我々が動けばいいんだっていう

その発想だと思うんですよね。
うん…。

(萱野)もう一つ
私 春嶽の考えの中で

注目していいなと
思うのはですね

議会制のひな型のようなものを
提案しながら

一方で 行政権は
幕府が担うべきなんだと

言っているところなんですよね。
やはり 260年というか200年以上

中央政府として
さまざまな行政権を担ってきた…

ですので 幕府そのものに対して
過剰な要求をするのではなくて

その蓄積を生かしながら 一方で

人々に対して
その権力の正当性を

どういう形で示していくのか
というふうに考えていた。

行政権と立法権が分離するような
発想をとれたというのは

私は非常に そこは
注目していい点だと思いますね。

春嶽は 日本の中でも

日本が どういう
地球上の状況にあるかを

よく理解してた大名の一人。
トップクラスですよね。

だから 今どきね
大名行列をやるなんていう

本当に
お子ちゃまの遊びみたいな事は

おかしい事は もう分かってる。

1歩進んでるんじゃなくて

3歩 4歩先の会話を
ふだんはしてる。

だから 彼には
焦りがあったと思いますね。

ただ 歴史って面白くて
3~4歩先行った人って

うまくいかない場合が
多いんですよ。
それは 何ですか?

周りの納得が得られない
という事ですか?     そうです。

3~4歩行く人は「おかしな事
言ってるな この人」っていって

理解されないんですよ。
ふ~ん…。

さあ では いよいよ
選択にまいりましょうか。

選択1は 「今すぐ
参勤交代の緩和を実行する」。

それとも 選択2の
「ひとまず緩和を見合わせる」のか。

皆さんが春嶽なら
どちらを選択するでしょうか?

まずは山本さん どちらでしょう?

私は「ひとまず緩和を見合わせる」
というほうを選びますね。

というのは 最初に
一家門大名としてね

一門大名として
提案している時には

まだ 参勤交代の緩和というのは
ありえたかもしれないけど。

島津久光が大名でもないのに
率兵上京するとかね

そういうふうな中で
参勤交代を緩和してしまうと

もう 後手後手に回ってね 絶対
回復できなくなるわけですよね。

要するに 外国との関係は
別に 戦争しないように

うまくやっていけば
いいわけだから

それよりは…

私は やっぱり 選択1ですね。

「今すぐ参勤交代の緩和を実行」
という事に

なるだろうというふうに思います。

フフフ… ねえ。

諸大名の やっぱり
様子を見ていると…

江戸湾だけではなくて…

あるいは
「国許も ちゃんとやれ」とか

「そんなむちゃな…」というのを
次から次へと出してきてるので。

これはもう やはり 藩が

これ以上やってられない
という事で

いろんな嘆願 出てますから。
それに対応するには やはり

緩和をするしかないと。
なるほど。

私は 選択1の

「今すぐ参勤交代の緩和を
実行する」ですね。

一番大事なのは…

これを むしろ 自分たちの権力を
立て直す事に

時間を使っているとですね
むしろ

幕府の求心力が低下していって…

そういう状況にあったと
思います。

ですので まず そこの部分で

改革を断行していく。
その決断力を示していく。

更には 参勤交代のあとに
どういう政治システムというか

政治の仕組みを作るか
という事まで考えていたので

新しい政治参加の仕組みを
作るところまでやるというのが

私の選択ですね。
なるほど。

という事ですが 磯田さん。

僕 もう どっちも
選べないわ これは。
ハハハ…!

というのは 選択1にして

「今すぐ参勤交代の緩和を
実行する」のは

それは 流れとしては
そうするしかない事は

分かってるんです。 趨勢なんです。
だけど 考えてみると

井伊直弼が殺されちゃったり。

なるほど。
だから どっちかっていうと

2の「緩和を実行しない」の
山本先生に近いんだけど

悩むのは 1の
「緩和をやっちゃったほう」は

内戦は起きるかもしれないけど
国内での自分の地位は

明らかに高まる。
私 大前提として

だんだん分からなく
なってきた事があるんですけど

春嶽は 誰がために
やってるんですかね これって。

みんなのためだと思いますよ。
みんなのため? 日本のため…?

徳川幕府のためにもなると
信じてるんですよ。

それが 幕府のため 日本のため

大名のため
領民のためって感じ…。    そう。

善意でやっている。
善意の人なんですね。

さあ それでは 春嶽がとった選択
ご覧いただきます。

参勤交代の緩和を
今すぐ幕府に迫るか

それとも 時期を見直すか。

将軍を目の前に
春嶽は どう答えたか

その時の言葉を
家臣の一人が書き残している。

「今や 公平無私の
ご英断なくして

日本を
世界と伍していく国に
する事など

できません。

国としての改革方針を

幕府自らが
定めないのであれば

いかに 朝廷との
関係修復が

将軍の命令だろうと

お断り申し上げます」。

なんと 春嶽は
「将軍自らが 不退転の覚悟で

幕政の改革に臨む事を
約束しなければ

従うつもりはない」と言い放った。

そのうえで 老中らに対し

速やかに
徳川最優先の政治を改め

大名たちを苦しめる

参勤交代の緩和を
はじめとする

政治改革の実行を
迫ったのである。

「改革の時は
今をおいてほかにない」。

それが春嶽が下した決断だった。

幕府は 一橋慶喜を 将軍後見職

春嶽を 幕政改革の司令塔である

政事総裁職に任命。

そのひとつき後

幕府は ついに
参勤交代の緩和を布告した。

この改正により 参勤は

2年に1度から
3年に1度へ変更。

遠方からやって来る
外様大名などは

江戸での滞在日数を
およそ100日に短縮。

江戸にいる間は 幕府に

政治的な意見を
積極的に具申するよう

国政への参加意識を求めた。

人質だった大名妻子の帰国も
認められ

大名たちを最も苦しめていた
江戸での経費削減を

春嶽は実行していった。

効果は てきめんだった。

全国の藩で
藩政改革が進んでいった。

大名たちは
こぞって 軍艦や大砲を購入。

それまでできなかった
軍事力の増強と

産業育成に力を入れ始めた。

その喜びから
鳥取藩主 池田慶徳は

春嶽に わざわざ
感謝の手紙を送っている。

「此度の参勤交代の改正は
諸藩にはありがたい。

軍備の充実によって
国威と国力を上げられる」。

春嶽が実現した改革は

日本の富国強兵を実現する

「三百年来の御仁政」。
「まれに見る幕府の英断だ」と

諸藩から歓迎されたのである。

しかし その先に

春嶽も想定しえなかった
時代のうねりが待ち受けていた。

それは 急速に発言力を
強めていた朝廷。

春嶽たちが 幕政改革に
乗り出した2か月後

朝廷は大名に対し

帝のいる都の治安を守るよう
次々に「京都警護」を発令。

幕府を通さず
天皇が直接 諸大名に

軍役奉仕を
求めたのである。

強硬な攘夷派で知られた
公家の三条実美は

将軍後見職の
一橋慶喜に対し

「諸大名の参勤は
京都と江戸で

折半しよう」と
持ちかけさえした。

将軍 家茂は

かたくなに攘夷を主張する
朝廷に

開国を容認してもらうため
江戸を出発。

その交渉役を任された春嶽は
将軍上洛の数か月前から

朝廷と開国容認の交渉を
続けていた。

しかし 孝明天皇は
一向に認めず

攘夷実行日の決定を
春嶽に迫るありさま。

交渉は暗礁に乗り上げていた。

幕府と朝廷の板挟みとなった
春嶽を皮肉り

江戸で作られた狂歌がある。

更に 盟友であったはずの
一橋慶喜との間にも

政治方針をめぐる対立が
生まれていた。

春嶽は ついに辞表を提出。

政治改革の道から
離脱してしまうのである。

その後 日本は
本格的な激動を迎える。

幕府は 京都で戦を起こした
長州藩を処罰するため

諸大名に出兵を命じた。

更に その1か月後

幕府は参勤交代の
復旧を発令する。

大名への統制力を再び
強化しようというのが
ねらいだった。

ところが 大名たちは
「国家の大事件だ」と困惑。

一体 どのように対応すべきか
春嶽にも問い合わせがくる。

春嶽は こう答えている。

「幕命には
従わなければならないが

そのまま様子をうかがい

もし 幕府から
催促がきた場合は

病気を口実に断ればよい」。

春嶽から見ても もはや
幕府の衰退は止めようがなかった。

15代将軍 徳川慶喜は大政を奉還。

仕えるべき将軍が
いなくなった事で

参勤交代制度は終焉を迎えた。

明治に入ってからの春嶽は
文筆業に専念し

数多くの著作を残している。

こちらが 松平春嶽

晩年の著述 「逸事史補」です。

この中には赤裸々にですね

幕末維新期の
大変正直な気持ちが書かれてます。

この史料の中で 春嶽は

幕府独裁を守ろうと
反対派を次々に粛清した

大老 井伊直弼について
こう振り返っている。

「直弼の一連の決断は 今思えば

幕府と徳川を思う気持ちからの
英断だった」と振り返っている。

春嶽は自分が行った改革を

失敗だったと
思っていたのだろうか?

その真意が明かされる事はなく

明治23年6月
春嶽は この世を去った。

63歳だった。

というわけで 春嶽は ついに

参勤交代の緩和を
実現したものの

最後は時代の混乱の中に
のみ込まれてしまう

という結末を迎えてしまいます。

春嶽がとった選択について
皆さんは どうお考えでしょうか?

まあ 緩和にしてもですね
何で 例えば…

(山本)やはり これは 幕府が…

しかも大名の妻子って別に 国許に
帰りたくはないわけですよね。

ずっと 江戸で育ってきて
江戸で結婚して

そこにいるわけですからね。
国許に帰ると

やる事も何にもないし。
家臣の言っている事も何か

方言で よく分かんないみたいな
感じなんですね。

それを もう 「帰す」って
言ってしまったわけですね。

幕府を守ろうとするんならね。

緩和するにしても
そこまでやらなくていいだろうと。

はい そう思います。

私は むしろ 不十分だったな
という気がしますね。

不十分ですか。
はい。

それに代わる新しい仕組みを
導入しようというところは

あんまりなくてですね
あの… 改革じゃないんですね。

やっぱり 幕政に参加してほしい

国政に意見を言ってほしい
という以上は…

それが ある意味
人質というかですね

各藩と幕府をつなぐものにも
なりえたわけですから。

全部 帰しちゃうっていうのは
そもそも 彼の構想にも

反すると思うんですよね。
そこが まず一つ

徹底できなかっただろうな
という事があります。

私としてはですね
とりあえず 当時としては

そういう 失敗だという意識は
恐らく なかったであろう

というふうに思います。

幕府の衰退とかという側面よりも
本人たちの気持ちとしては

やはり 幕府を
もう1回 盛り立てて

新たな枠組みで この徳川というか
江戸時代の継続を

やはり
考えていったんではないかなと。

負担を減らす事によって
どんどん元気になってもらう

という事が
重要だったんじゃないかと。

その時に もう むしろ
「もう従えない」と。

「今更 何だ?」っていうのも
恐らく あったし

更に 負担を また
吹っかけてくるわけですから。

もう そんな幕府に
従っていけないという気持ちが

そういうものが
諸大名の中から ふつふつと

湧いてきたんではないかと。
そうですね。

そういうふうに
結果的にそうなったって事は

やっぱり 失敗だったんだと…。
ハハハハ…!

どう見ても やっぱり
参勤交代は骨なんですよ。

制度っていうのは あるから
何となく みんな

従ってるわけですよね。
それをやめるって意外と簡単で

「もう来なくていいです」って
言えば わっと みんな

来なくなるわけですよね。 それを
もう一度 作り直そうとすると

すごいエネルギーがいるので
それを よく考えて…

なるほど。
これね… たぶん 歴史の歯車を

早く劇的に回すっていう事だと
大成功なんですけど

幕府を守って 安定的に
ソフトランディングの政権を

近代国家に移行させよう
っていう事では大失敗。

悪用するやつらが
出てきたわけですよ。

薩摩の人たちから さんざんに

自分がやってほしくなかった事を
始めるわけですよ。

幕府を廃止するだとか
政権を奪っていくわけですよね。

そのおかげで
もう 春嶽は薩摩藩の事を

「芋藩」って書き続けるんですよ
手紙に。

あの頃 出してる 春嶽の手紙に
どのぐらい 大久保や西郷を

憎々しい顔で見てるか
分かるんです。

「芋」って書くんですもん
薩摩の事を。
あ~…!

春嶽は すべての人の善意を
前提にして ものを考えてるけど

もう 時代がそうじゃなくなってる
っていうのは やっぱり

見なきゃいけなかった
という事なんでしょうね。

善意だけでは駄目なんですね
やはりね。              そう。

面白いね。 武力倒幕みたいに
「絶対やろう!」とか

ドラスチックな過激な意見を
持って

意志を通して
そっちにいく場合もあるし

そんなふうになってほしくないと
思って…。

動機は全然違うところにあるのに
その手を打ったら

むしろ 反対の側に ぶわっと
歴史がいく場合もある。

はあ~!

それは本当に。
そうなんだ。

そういう骨となる制度を
変える事っていう…。

どこに着目して 私たちは
見ていったらいいんでしょうね?

肉の部分は いくらたっても
また回復してきますけど

骨は駄目なんですね。

骨制度を改革する時 歴史が
教訓として教えてくれるのは

思わぬ結果を招くって事ですよね。

つまり 猫の骨を変えたら
虎に育つか たぬきに育つか

分からなくなるって事ですよね。
いや それは 山本先生はね

「手をつけないほうがいい」って
言うけども

場合によっちゃ
つけざるをえなくなる場合もある。

その時に どうするのかという事も
考えると やっぱり 僕は…

「ただし」っていう条件づけが

きっと大事なんだと
思うんですよね。

この骨制度は変えるんだけど
意図せぬ結果に陥らぬために

このような条件を整えておくと。

だから 骨改革は やってもいい。
やってもいいんだけど

意図しない方向に
ヒューッと飛ばないように

レールを きちっと方向づけを
条件でやっといて やるっていう。

うん…。
まあ…!

でも 分からないですね。
人間っていうのは。 先の事は。

そういう条件づけができないから
こうなったわけでね。 ハハハ…!

一番 やっぱり大事なのは…

新しい骨を どう導入するかまで
考えたうえで 骨をなくさないと

本当に すべてがガラガラガラッと
崩れてしまうという

そういう事だと思いますよね。

で 骨が変わる時っていうのは
むしろ 新しい人たちが

これまでの政治だとか物事を
決める場に参加する

チャンスでもあるんですよ。

自分が思ったとおりに社会を作る
という事を

実現するチャンスっていうのは

骨が変わる時こそ
現れるんですよね。

それを最大化するためには
それこそ

無関心ではいけないという事には
なると思いますけどね。

これから 我々のね
生きてる中でも

いろんな制度が変わる可能性が
あるわけですから

大切なものを見たという
気がしますね。      そうですね。

こういう議論をしてる事自体が
大事なんですよ。

今日は 皆さん
ありがとうございました。

ありがとうございました。

何気ないしぐさでも
ふと目に留まる人間の「手」。


関連記事