アナザーストーリーズ・選「フセイン拘束~捕らえられた独裁者の真実~」 沢尻エリカ、濱田岳



出典:『アナザーストーリーズ・選「フセイン拘束~捕らえられた独裁者の真実~」』の番組情報(EPGから引用)


2018/09/18(火) 
アナザーストーリーズ・選「フセイン拘束~捕らえられた独裁者の真実~」[字]
独裁者の変わり果てた姿に世界が驚がくした!捕らえられたイラク元大統領サダム・フセイン。フセイン拘束作戦の全貌、その後のアメリカの誤算…今明かされる独裁者の真実!
詳細情報
番組内容
独裁者の変わり果てた姿に世界中が驚がくした!イラク元大統領サダム・フセイン。「悪の枢軸」と名指しされ、超大国アメリカと戦争の末に捕らえられ、処刑された。米軍はフセインをどう追い詰めていったのか。息詰まる拘束作戦の舞台裏。フセインの最後の言葉「アメリカはイラク統治に失敗するだろう」その後、アメリカの思惑はどこで狂ったのか?赤い夜明け作戦の指揮官、CIA、サダムの愛人…今明かされる独裁者の真実!
出演者
【司会】沢尻エリカ,濱田岳 



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アナザーストーリーズ・選「フセイン拘束~捕らえられた独裁者の真実~」
  1. フセイン
  2. イラク
  3. サダム
  4. ニクソン
  5. ランプソス

  6. アメリカ
  7. ラッセル
  8. 尋問
  9. 戦争



『アナザーストーリーズ・選「フセイン拘束~捕らえられた独裁者の真実~」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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この男を 覚えているだろうか。

イラク元大統領…

「世界のならず者」と呼ばれた。

(発射音)

「悪の枢軸」と名指しされた
独裁者も ついに…。

アメリカ軍の手によって
捕らえられる。

(歓声)

そして 世界は

平和になるかと思われた。

♬~

世界は その瞬間

男の変わり果てた姿に
驚愕しました。

アメリカ軍に捕らえられ 取り調べに
素直に従う この男が

あの独裁者なのかと。

イラク大統領 サダム・フセイン。

その名は誰もが
覚えている事でしょう。

国内の反対勢力を
虐殺する一方

イランや クウェートに侵攻し
戦争を引き起こしました。

しかし 2003年

アメリカ大統領のブッシュに
「悪の枢軸」と名指しされ

イラク戦争の末に 処刑されました。

フセインの拘束から 14年。

今 その裏の意外な事実が
明かされ始めています。

Ladies and Gentlemen.

(歓声と拍手)

その男の拘束の知らせに
世界中が沸いた。

(歓声)

サダム・フセイン。

中東イラクの指導者として
超大国アメリカを相手に

2度までも戦争をした
果ての事だった。

1度目は
26年前の湾岸戦争。

クウェートに侵攻したイラクを

アメリカを中心とした
多国籍軍が攻撃。

ピンポイントの空爆で
イラク領内を徹底的に たたく

アメリカの戦術に完敗。

しかし フセインは しぶとかった。

イラク大統領として
それから 10年

君臨を続けたが…。

2001年9月に起こった
アメリカ同時多発テロ。

首謀者は…

アメリカは テロとの戦いを
前面に掲げる。

大量破壊兵器を保有している
という理由で

フセインのイラクを ターゲットにした。

そして ついに。

(発射音)

再びの アメリカとの戦争。

(発射音)

僅か3週間で バグダッドは陥落。

フセインは行方を くらませた。

(歓声)

アメリカは次の目標を
フセインの追跡に定める。

目的は 戦争を終結し

大量破壊兵器の開発を
裏付ける事。

フセインの身柄拘束は
最優先のミッションだった。

この歴史的瞬間に
大きく関わった3人。

フセインの拘束作戦を
指揮した陸軍士官。

その時 フセインが
発した言葉とは。

彼は…

…と言ったのです。

フセインを尋問した CIAのエージェント。

たどりついた驚愕の事実とは。

それは
事実でした。

そして フセインの「愛人」
と言われ

独裁者の素顔を間近で
見続けた女性。

サダムは…

母親からも 妻からも。

3人の証言から ひもとかれる

独裁者サダム・フセイン 真実の姿。

運命の分岐点は…


アメリカ軍が フセインを
拘束した瞬間です。

7か月に及ぶ捜索の末

農家の庭に掘られていた地下壕に
潜んでいるところを発見され

捕らえられました。

この フセイン捕獲作戦の現場指揮官が
第1の視点。

アメリカ軍第4歩兵師団 中佐…

250人の部下と共に
この作戦を遂行しました。

敵地イラクで フセインを捜す
危険な作戦。

緊迫の アナザーストーリー。

アメリカ軍が バグダッドを占拠し
フセイン政権が事実上 崩壊した4月。

イラクに赴任を命じられた
陸軍士官がいた。

コソボや アフガニスタンの紛争でも

最前線で戦った
生っ粋の コマンダーである。

私たちが イラクに入った時

全ての目的は
とても明らかでした。

つまり… サダム・フセインを
殺すか 捕まえるかし

新しい政権のために
安定と復興を実現する事でした。

フセインを捕らえた男が語る
作戦の真実。

フセイン拘束の命を帯びた
ラッセルの部隊。

着任したのは バグダッドから
100キロ余り離れた地方都市

ティクリット。

首都でもない この町に
赴任したのには 訳があった。

…という多くの目撃情報が
寄せられていた。

だが一つ 大きな問題が。

そこは…

住民の ほとんどが
フセインの支持者だったのです。

彼の故郷だったからです。

とても大きな危険があると
感じました。

着任早々
恐れていた事が起こった。

部下の1人が
武装勢力に襲われ戦死した。

26歳の…

ラッセルの部隊 初めての
戦死者だった。

兵士たちに 動揺が広がった。

部下たちは
不安に おびえました。

事態に素早く対処しなければ
犠牲者が増え

私たちの部隊は 大きな痛手を
受けると感じました。

(蹴破る音)

当時のティクリットでの軍事作戦が
いかに困難かが分かる

こんな映像がある。

これは ラッセルの部隊のパトロール映像だ。

闇の中 米軍兵士が
銃口を向けた先には…

住民らしき姿。

慎重に体を引き寄せ
まずは身柄を確保。

怪しい持ち物や
不審な点が見られると

そのまま移送して
更に詳しい尋問を行う。

しらみつぶしのように続けた
拘束と尋問。

しかし…

フセインは見つからない。

そんな状況でも

確かな手応えを
感じていたというラッセル。

一つ一つの奇襲が

次の奇襲に
つながっていきました。

奇襲の度に
情報や写真を入手しました。

そして 点と点を
結び付けていったのです。

現場に残された 写真や遺留品。

そこから フセインの居場所に
つながる情報を

断片的に蓄積していったのだ。


包囲網は着実に狭められていた。

そして フセインの潜伏先を知る
側近グループが

ティクリットに潜んでいるという
情報を つかんだ。

彼は マフィアのボスのように…

守っていたのは 1950年代から
信頼していた仲間です。

7月。
ファミリーの潜伏先の一つが判明する。

アウジャという フセインの生家近くの村。

ラッセルは 奇襲作戦を実行する。

投入した兵士は 100人余り。

だが 逃げられた。

フセインはおろか
誰の姿もなかった。

アメリカ軍の襲撃を恐れていた フセイン。

実は…

当時 ラッセルは…

…と 悔しさを明かしている。

フセインを捕らえる事は
できませんでした。

しかし私は確かに そこに
フセインがいたと思いました。

証拠があったからです。

830万ドル 外貨75万ドル
200万ドルもの宝石。

フセインの個人的な家族写真も
見つけました。

包囲網の中心は 極めて狭い。

ラッセルは確信した。

あと少しで手が届く
そんなやさきに 事件は起こった。

(爆破音)

バグダッドの国連事務所が
爆破されたのだ。

国連の特別代表を含む
22人が死亡する大事件。

反米勢力による襲撃や
自爆テロが相次いでいた。

アメリカ軍のイラク統治が揺らぐ。

更に ラッセルの部隊も
攻撃に さらされる。

ティクリットでの作戦中
部下6人が死亡。

反米勢力の攻撃で
ヘリが撃墜された。

第4歩兵師団の犠牲者は
帰国までに 合計

81人に上る事になる。

(ラッセル)
たくさんの兵士を失いました。

皮肉にも 私は生還しましたが。

私は今朝も国立墓地へ
彼らに会いにいってきました。

彼らの墓に
花を手向けてきました。

ラッセルたちは
強行ともいえる作戦に出た。

用意したのは 大量の鉄条網。

フセインがいた痕跡があった
アウジャの村。

ここを鉄条網で完全に封鎖。

そして 徹底的な尋問を行う。

そこに 有力な情報が入った。

ファミリーの逃亡先を知っているという
情報提供者が現れたのだ。

12月の第1週だと思います。

チェックポイントに 10代の男の子が
やって来ました。

その子が兵士に

「重要な情報がある」
と言ったのです。

フセインと行動を共にしている
可能性が高いという。

「もう逃がしたくない」。

ラッセルは 勝負に出た。

逃亡を阻止するために 怪しいと
にらんだポイント全てに部隊を配置。

合計8か所に
一斉に踏み込む作戦だ。

作戦は
12月12日の夕方に決行された。

私たちは 8か所のターゲットを
同時に襲う事に成功しました。

そして すばらしい事に

サダムを かくまったファミリーを
見つけたのです。

フセインのそばで警護をしていた男
モハメッド・ムザラットだった。

そこから事態は急展開した。

ムザラットが ついに自供を始める。


「フセインは アッドウル村に
潜伏しているはずだ」と。

そこは 鉄条網で囲った
あのアウジャ村から5キロの地点。

だが ムザラットは肝心の情報となると
口を つぐむ。

いわば 「半落ち」の状態。

ラッセルは その供述に
かける事にした。

7時間後の午後6時
基地を出発した。

ラッセルは これまでとは
桁違いの作戦を立てた。

たった一人の男を捕らえるために
投入した兵士は…

600人。

これが その作戦図。

切迫した時間の中 手近にあった
肉の包み紙に書かれた。

これは サダムを拘束した時の
奇襲計画です。

チームの布陣です。

2~3チームが ここ。

川を挟んで1つは ここ。

特殊作戦部隊は
こちらです。

そして 工兵部隊

私の部隊と続きます。

「赤い夜明け」といいます。

部隊の隊員が
作戦の呼び名になるものを

探していたんです。

その中で 昔の映画に ちなんで

「赤い夜明け」という
作戦名が付けられました。

午後8時 全ての部隊が
配置に就いた時

2人の男が包囲網から
逃げようとしました。

彼らは…

男たちが飛び出してきた農家。

小さな寝室と 台所があったが

どこにも人影はない。

「また取り逃したのか?」。

その時 あるものが目に留まった。

中庭に
足ふきマットが敷いてありました。

前から そこにあるかのように。

農家の中庭。

母屋に向かって右側の木の下に
足ふきマットが置かれていた。

同行させたムザラットを
そこに連れ出す。

ムザラットを そこに連れていくと

料理人と運転手が
じっと彼を見つめました。

ムザラットは マットの方へ足を動かし

「彼は ここだ」というふうに
示しました。

観念したかのように
苦渋の表情を浮かべるムザラット。

足で マットの先を指し示した。

それは彼が
「完落ち」した瞬間だった。

マットをめくり 土を払いのけると

発砲スチロールの箱が埋まっていた。

箱を取り除くと
そこには穴が あいていた。

隊員の一人が 閃光弾を
投げ込む準備をして

もう一人が銃を構えて
注意して穴を のぞき込みました。

すると 地面についた
2つの手が見えました。

ひざまずいているような感じです。

武器は見えませんでした。

「手を上に上げて出てきなさい。
誰だ?」と言いました。

男は 「私は サダム・フセインだ。

イラクの大統領だ。 交渉がしたい」
と答えたのです。

イラク元大統領 サダム・フセインは

アメリカ軍第4師団の手により

身柄を
確保された。

彼が潜んでいた穴。

それは 畳2枚分ほどのスペース。

大人1人が横になって
入れる程度の空間だった。

長時間潜伏できるよう

換気用の管や扇風機が
設置してあった。

開始から2時間半で
作戦は終了した。

(拍手)

Ladies and Gentlemen.

(歓声と拍手)

そして世界は
この映像に驚愕した。

独裁者として
強権を振るった男の姿は

そこには なかった。

作戦指揮官の ラッセル。

彼は アメリカの英雄となった。

イラクから戻ったラッセルは 政界に進出。

現在 下院議員として
アメリカ政治の中枢にいる。

私たちは 恐ろしい独裁者を
排除する事ができたのです。

私は それを成し得た事を
誇りに思います。

戦争の理由は皆 好きなように
議論すればいいのです。

フセインは どっちにしろ
責任を問われる必要がありました。

何十年もの間 世界を

自分の思いどおりにしようと
していたのですから。

フセインは バグダッドに移送され
CIAによる尋問が始まった。

しかし 事態は
思わぬ展開を見せる事になる。

イラク戦争の果てに
アメリカ軍に捕らえられたフセイン。

アメリカは
この戦争に踏み切った理由を

「イラクが大量破壊兵器を持ち テロを
支援しているからだ」と説明。

多くの国が
その主張を受け入れました。

日本も当時
支持した国の一つです。

しかし…。

フセインの拘束後 始まった尋問では

アメリカの想定とは 全く違う事実が
浮かび上がる事になります。

その尋問を担当した男が
第2の視点。

元CIAのエージェント ジョン・ニクソン。

事前に抱いていたイメージとは
全く違う独裁者の様子に

困惑したといいます。

歴史的尋問で フセインと対峙した男。

密室で繰り広げられた アナザーストーリー。

ワシントン在住の ジョン・ニクソン。

サダム・フセインを最初に尋問した

CIAの元エージェント。

彼は 戦争前から

フセインと一族を分析していた。

その実績を買われて
フセインを直接 尋問するという

重要な任務を任された。

彼は 自分自身に対して

誇大なイメージを持っているのだろう
と思っていました。

自分は偉大だと。

私は ひどい人物と
思っていました。

バグダッドの殺りく者
というイメージです。


だから イラク戦争に賛成でした。

しかしニクソンは その考えを
大きく変えていく事になる。

アメリカ陸軍により拘束された フセイン。

その日のうちに ヘリコプターで
バグダッドに移送された。

駆けつけたニクソンが
フセインと対面したのは

その日の
深夜2時ごろだった。

ニクソンの まずやるべき事。

それは 男が本当に
フセイン本人なのかを

確認する事だった。

私たちが廊下を進むと
ドアが開きました。

そこに 彼が座っていました。

私は 特徴を探っていました。

フセインそっくりな人か

影武者がいるという
うわさがあったのです。

彼は手首に 部族のタトゥーが

足には 1950年代に負った
弾丸の傷痕がある事が

分かっていました。

情報どおりの場所に
タトゥーと傷を確認。

DNA鑑定も並行して行われた。

そして フセイン本人である事が
裏付けられた。

尋問が始まった。

だが それまでは おとなしかった
フセインの態度が変わった。

「お前たちは誰だ?
名前は? 身分を名乗れ。

私は イラクの大統領だ!」。

それは 挑戦的で
尊大な態度だったという。

フセインとニクソンの
「尋問」という名の戦い。

まず 主導権を巡る
駆け引きから始まった。

彼はもう 大統領でない事を

受け止めさせなければ
なりませんでした。

それは 尋問を成功させるための
心理戦でした。

なぜなら 彼がまだ
イラクの大統領だと思っているなら

何も答えないからです。

尋問を優位に進めるために

この場での力関係を フセインに
思い知らせる必要があった。

私の上司は 「質問に答えるのは
私たちではない。

あなたが答えるのです」
と言いました。

彼は 「答えない」と。

私は それを無視して

「それでは 次の質問に入ります」
と宣言しました。

そこから彼は 私の質問に
答えるようになりました。

尋問は バグダッド空港近くの米軍施設
キャンプ・クロッパーで行われた。

独房に入れられ 日中は別室で
一日6時間 尋問を受ける。

当時の独房の様子を記録した
映像がある。

窓はなく
四方を壁に囲まれた小部屋。

元大統領といえども
扱いは他の犯罪者と同様だった。

ここが 彼の椅子です。

後ろには 大きなドア。

そして私たちが ここに座ります。

テーブルはなく 壁には
何もありませんでした。

窓も なし。 それだけです。

尋問室の広さは およそ6畳。

ニクソンと同僚は
フセインと向き合って座った。

ニクソンには 何よりもまず
聞かなければならない事があった。

私たちが欲しかった答えは

彼が大量破壊兵器の開発を
行っていたという事です。

でも彼は はっきり言いました。
「持っていない」と。

「そんなものは全部
1980年代に やめたんだ」。

「では 80年代後半から
90年代初頭に核物質を

入手しようとしていたのは
どういう事だ?」と聞きました。

彼は 「そうだったが その後
私は やめたんだ」と言いました。

だが アメリカは イラクが大量破壊兵器を
開発しているとして

戦争に踏み切った。

その証拠を つかむのが
ニクソンに課せられた使命だった。

何度も突っ込んで聞きましたが
その度に彼は

「持っていない」と答えました。

しかし当時 私は

フセインが大量破壊兵器を
持っていると信じていました。

CIAの同僚も アメリカ政府も
みんな そう思っていました。

尋問中 ニクソンは
フセインの癖に気付いた。

同じ事を何度も聞かれると…。

私に対して不満がある時には

それまでは このように私の方を
向いて質問を聞いていたのに

急に後ろに もたれかかり

自分の爪を じっと見て

こうするんです。

私が それでも質問を
やめないと

「はあ…」と ため息を つくんです。

更に いらだつと こんな調子です。

(サイレンの音)

アメリカが もう一つ疑っていたのが
同時多発テロ事件への関与。

フセインは オサマ・ビンラディンと
つながっていたのではないか。

ニクソンが問いただすと…。

「あれは
イラクの飛行機だったのか?」。

「いえ。 でもみんな あなたたちの
仕業と思っています」。

彼は 「手紙を読んでいないのか?」
と言いました。

「私は手紙を
ラムゼイ・クラークに渡したのだ。

受け取っていないのか?」と。

フセインは アメリカ国民向けに
手紙を書いていた。

テロへの哀悼。

そして 自分は
無関係だという主張。

その手紙を
託された相手…。

60年代のジョンソン政権で
司法長官を務めた…

湾岸戦争後の イラク政策に
不満を持っていたクラーク。

度々イラクを訪れ フセインと会談した。


だが ブッシュ政権への影響力は
皆無といってよかった。

ラムゼイ・クラークは
特に アメリカ国民から

信頼されている人物という
わけでもありませんし

メディアも 彼の発言を既に
重要視していませんでした。

フセインは アメリカについて
全く理解していなかったんです。

ワシントンが どう動いているのか
ほとんど知らなかったのです。

こうした やり取りの中で
ニクソンは ある可能性に行き着く。

ひょっとして フセインは
国際情勢に疎いだけで

ウソは
語っていないのではないか と。

実は もう一つ
気になる事があった。

アメリカ陸軍の司令官ラッセルたちが
押収したものの中に

肉筆の文章が何百枚も
押収されていたのだ。

それは フセインが書いた 詩や小説。

彼が若い頃から
作家や詩人に憧れていたのは

以前から よく知られていた。

ニクソンは 押収した詩や小説が
書かれた時期を調べた。

すると 意外な事実が
浮かび上がってきた。

彼は 戦争が始まる1週間前に
書き上げたばかりの小説を

自分の側近に送っていた事が
分かりました。

小説を読んで
感想を聞かせてほしいと。

これは 戦争を間近に控えた
指導者のする事ではありません。

大きな危機が
自分の すぐ近くにまで

迫っているというのに その事に
全く気付いていなかったのです。

(爆撃音)

(歓声)

3か月に及んだ尋問中に
ニクソンが見たもの。

それは 「冷徹な独裁者」
という側面だけでない

フセインという人物の
内面の複雑さだった。

フセインには 人をすぐに
とりこにしてしまう魅力と

優れた政治手腕がある事が
分かりました。

その一方で 全く別な顔も
私に見せました。

とても傲慢で 意地悪で
怖い男としての顔です。

その2つの顔が
時々で入れ代わるのです。

フセインとの最後の会話を
ニクソンは はっきりと覚えている。

それは支配者としての カリスマ性を
感じさせるものだったという。

最後に握手を求めると 彼は5分間
私の手を離しませんでした。

フセインは私を
支配しようとしたんです。

拘束されていた彼が 私を
コントロールしようと試みたのです。

そして こう言いました。

「ワシントンに戻ったら
しっかりと自分の仕事をしろ。

忘れるな
公正と公平が最も大事だ」と。

ニクソンはCIA本部に戻り
早速 尋問内容の分析に入った。

フセインの行動記録。

側近や部下たちの尋問内容。

それらを照らし合わせ
同僚たちと日夜 分析を重ねた。

そして 重要な結論に
たどりついた。

彼は事実を話した。

核開発計画は行っていないと。

重要なのは 始めるつもりも
なかったという事です。

証拠は全く
見つけられませんでした。

こうして
ニクソンの一連の調査は終わった。

残された任務は 報告だ。

その相手は
ブッシュ大統領をはじめとする

ホワイトハウスの政権幹部。

「サダム・フセインは 大量破壊兵器は
持っていない」と伝えると

彼らは信じませんでした。

私が仕事をしていなかったかの
ように 思われたかもしれません。

そして 何か差し迫った
破滅的な空気が

その場を支配しました。

それが 大量破壊兵器の
問題を証明する

最後のチャンスだったからです。

そして改めて
副大統領に呼ばれました。

彼は サダム・フセインが
何を言っているのかを

知りたがりました。

「アルカイダとの関係は?
9・11との関係は?」。

それまでに何度も
答えていた質問です。

彼らは最後まで 戦争の正当性を
探していたように思えました。

当時の国務長官パウエルは
ついに認めた。

フセインの…

2009年 イラク戦争を決断した
ジョージ・ブッシュ大統領が退任した。

9・11テロのあと
指導者たちは既に

イラク攻撃のシナリオを
決めていたのです。

私は 政治リーダーたちに
怒りを感じています。

彼らが謝罪していない事に
憤りを感じます。

帰国して2年後。

フセインは イラク新政権の手によって
処刑された。

アメリカは正しい事をしたのか?

ニクソンは自問自答を重ね
そして CIAを退職した。

私は フセインの死刑に
ショックを受けました。

私たちは 彼を死刑にするために
莫大な戦費を投じ

命を ささげたのではありません。

彼は悪い男で 悪い支配者でした。

でも アメリカは世界中で
好ましくない独裁者と

友好関係を結んでいます。

サダム・フセインを権力者として
残す道もあったでしょう。

そうしていれば
私たちも イラクも

今よりは
幸せだったかもしれません。

♬~

アメリカが主張した 大量破壊兵器も
テロとの関わりも

見つからないまま
処刑された フセイン。

一方 化学兵器を使って
反対勢力を虐殺するなど

フセインが冷酷な独裁者だった事も
疑いない事実です。

サダム・フセインとは
一体どんな男だったのか?

その素顔を
間近で見続けた女性がいます。

それが 第3の視点。

「愛人」と呼ばれた パリソウラ・ランプソス。

フセインの拘束を
ニュースで知ったランプソス。

彼女の人生は 「愛人」という
甘い響きからは想像もできない

数奇なものでした。

ランプソスに向けた フセインの言葉。

そこにあったのは 愛なのか?

独裁者の もう一つの真実。

その女性は スウェーデンの海辺の町に
1人で住んでいる。

ギリシャ生まれの…

フセインと特別な関係にあったという。

彼女が 日本のテレビ取材に
応じるのは初めてだ。

生々しい記憶を話すのは
精神的に負担が大きいため

何度も休憩を取りながら
インタビューを進めた。

かつて彼女を取材した
アメリカのテレビ局は こう呼んだ。

だが彼女は 「愛人」と呼ばれる事を
強く否定した。

私は愛人ではありません。

私が 夢の中の少女だった時

サダムに恋をしていただけです。

フセインを最も近くで見つめた
女性が知った

独裁者の素顔とは。

裕福な家庭に育った ランプソス。

幼少の頃 イラクの石油事業に
携わった父に連れられ

家族で バグダッドに引っ越してきた。

1968年 16歳のランプソスは
あるパーティーに出た。

当時 イラクのナンバー2だった
フセインと出会う。

彼は とても美しくて…。

彼の目は 青でもなく
茶色でもなく

見た事もないような
美しい色で…。

私は
動けなくなってしまいました。

すると 彼も私を見たのです。

若きランプソスの 一目ぼれ。

そして 彼も…。

私たちが ダンスをしている時に
サダムの兄弟が来ました。

すると 彼は言いました。

「彼女を もう見るな。

彼女は私のものだ」。

私は 彼の言葉が何を意味するのか
理解していなかったのです。

この日以降 ランプソスは
フセインと密会を重ねる。

2人きりの部屋で
アメリカ映画 「ゴッドファーザー」を見たり

フランク・シナトラの曲を聴く。

そんな時間を過ごしたという。

だが フセインには妻がいた。

ランプソスに父親は こう告げた。

父は 「明日 朝6時に出発だ。

お前は レバノンで暮らすんだ」
と言いました。

私が 「なぜ?」と聞くと 父は

「お前が会っているのは
サダム・フセインなんだぞ」と言いました。

父親は 強権を振るい始めたフセインが
娘を愛人にする事を恐れた。

1年後 バグダッドに戻る事を
許されたランプソスは

アルメニア人の男性と結婚する。

だが 彼女の帰国は
やがて フセインの耳に入った。

サダムは 夫の全ての土地を
没収したのです。

朝 起きると
全てを失っていたんです。

フセインは力で彼女を奪い取った。

その時 フセインの言葉に
彼女は ゾッとしたという。

夫から取り上げた土地に
宮殿を建てたフセイン。

皮肉にも その宮殿に
ランプソスは通う事になる。

横暴な一面を見せる一方
作家や詩人に憧れていたフセイン。

しかし ランプソスは

フセインが本当の意味での作家には
なれない事を知っていた。

ポエムは 感情 愛 痛み ハートで
書きます。

私は彼が書けるとは信じません。

なぜなら彼は
愛を知らないのですから。

サダムは 愛には
触れた事はありません。

母親からも 妻からも
他の誰からも。

実は フセインは幼い頃

母親の再婚相手から
虐待を受けていた。

その後 母親と引き離され
叔父に育てられた。

両親の愛情に飢えて
育ったフセインは

ランプソスに 何を求めたのだろうか。

サダムは時々 私の膝の上で
泣く事がありました。

私は そんな彼を慰めるのです。

私は愛人ではありません。

友達のような存在でした。

お母さんや奥さんには できない
役割をしていたんです。

1990年8月
イラクは 隣国クウェートへ侵攻し

一方的に併合を宣言した。

クウェートは イラクから不当に石油資源を
奪っているという理由だった。

侵攻の数日前 ランプソスは
フセインの息子たちから

戦争が始まる事を
聞かされた。

息子たちは 「お父さんは クレージーだ」
と言っていました。

彼らは父親の決定に
動揺していました。

私は サダムに 「息子たちは
あなたに怒っていたわ。

なぜ クウェートと戦争をするの?」
と聞きました。

彼は恐ろしい目で 私を見ました。

そして 「私は ある人と
約束したのだ」と言いました。

「誰と約束したの?」

「今は言えない」と。

国連の撤退決議を無視する イラク。

(爆撃音)

翌年 アメリカを含む多国籍軍が攻撃。

湾岸戦争が始まった。

戦争は イラクの敗北で終わった。

イラク軍の死者は
2万とも3万とも言われている。

ランプソスは後に こう書き記している。

2001年の夏 フセインは
趣味の狩りをするために

バグダッドを離れる事になった。

ランプソスは その隙に イラク国内の
反体制派の支援を得て

国外へ脱出した。

国境の町に着いた時に

私は 夫との結婚式の写真や…

サダムとの写真 家族との写真

全てに火を付け 燃やしました。

フセインの30年にわたる
ランプソスへの支配は終わった。

彼女が イラクを離れた直後

あの アメリカ同時多発テロ事件が
発生した。

逃亡先の国で ランプソスは
フセイン拘束のニュースを知った。

2006年12月26日。

フセインに 判決が下った。

判決4日後 フセインは処刑された。

確実に処刑が行われた事を
知らせるため

イラク政府は
その様子を映像で公開した。

処刑の映像を
インターネットで見たランプソス。

心臓麻痺に襲われ
1か月 生死を さまよった。

逮捕も処刑も
彼らしくない最悪の結末でした。

もちろん彼は
罰を受けるべきですし

死ぬべきです。

彼は自分がした事を
分かっていました。

でも 自ら全てを
終わらせてほしかった。

そしたら 私は納得したでしょう。
「彼は死んだのね」と。

私は彼に ふさわしい死に方を
知っています。

フセインと2人で何度も聴いた
フランク・シナトラの曲。

♬~

♬~

私は誰にも サダムに
触れさせたくなかった。

最後まで尊厳を
持っていてほしかった。

なぜなら…

♬~

イラク戦争による死者は 10万人を
超えると みられています。

そして それが もたらしたのは
秩序を失い 混迷が続くイラクと

ここで生まれ 世界中で
テロを引き起こしている

過激派組織IS
イスラミック・ステートの台頭でした。

処刑される前 フセインは
こう つぶやいたといいます。

「アメリカは イラクの統治に
失敗するだろう」と。

世界は その予言を
まだ乗り越えられてはいません。

(爆発音)

(映像音声)ISの攻撃です。

隣の車が やられました。

過激派組織…

2014年 イラクとシリアに またがる
イスラム国家の樹立を

一方的に宣言した。

2015年 フランス・パリで起きた
同時テロ事件。

翌年 ベルギーのブリュッセルで起きた
連続テロ事件。

いずれも
ISが犯行声明を出した。

フセインという強力な独裁者が
いなくなったあと

表面化した宗派や
部族の対立に乗じて

支配地域を広げたと
言われている。

フセインの排除は 開けてはならない
パンドラの箱だったのだろうか。

♬~


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