英雄たちの選択・選「幕末最強の軍をつくった男~佐賀藩主 鍋島閑叟~」岩下哲典、佐渡島庸平、中野信子、鈴木一義



出典:『英雄たちの選択・選「幕末最強の軍をつくった男~佐賀藩主 鍋島閑叟~」』の番組情報(EPGから引用)


2018/09/20(木) 
英雄たちの選択・選「幕末最強の軍をつくった男~佐賀藩主 鍋島閑叟~」[字]
幕末、雄藩と幕府の対立が高まる中で政局の行方を左右する存在として注目を浴びた佐賀藩主・鍋島閑叟。技術を開発し独力で作り上げた幕末最強の軍をどう使うか、葛藤する。
詳細情報
番組内容
幕末、雄藩と幕府の対立が高まる中で政局の行方を左右する存在として注目を浴びたのが佐賀藩主・鍋島閑叟。ペリー来航以前から海防に力を注ぎ、鉄製大砲や蒸気船、電信機などを独力で製造、幕末最強の軍事力を持つに至っていた。その力をもって雄藩連合に付くか、幕府側に立つか、それとも…。しかし、閑叟はなかなか決断を下さず、ひたすら技術開発に力を注ぎ続ける。最強の武力を持ってしまったからこその葛藤と決断とは。
出演者
【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】岩下哲典,佐渡島庸平,中野信子,鈴木一義,【語り】松重豊 



『英雄たちの選択・選「幕末最強の軍をつくった男~佐賀藩主 鍋島閑叟~」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

英雄たちの選択・選「幕末最強の軍をつくった男~佐賀藩主 鍋島閑叟~」
  1. 閑叟
  2. 佐賀藩
  3. 幕府
  4. 雄藩
  5. 時代
  6. 選択
  7. 日本
  8. オランダ
  9. 技術
  10. 軍事力



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徳川幕府の威信が衰えると

雄藩と呼ばれる有力諸藩が
力を伸ばし

政治の主導権を
握ろうとしていた…。

そんな激動の中
一人の男の去就が

日本の行く末を決定すると
注目を集めた。

男とは…

長崎の警護を担当する
佐賀藩主として

海外の情報に精通。
ペリー来航以前から

強い国防意識を
抱いてきたという。

閑叟は 西洋の最新技術を研究

鉄製大砲や
蒸気船の国産化に成功!

幕末最強とうたわれる軍事力を
手に入れた。

しかし 薩長土肥と呼ばれる
四大勢力の中で

肥前 佐賀藩の動きは
不可解である。

幕府や雄藩が 佐賀藩を
味方に引き入れようとしても

決して立場を
明らかにしようとしない。

人々は 閑叟の真意を
つかみかね

疑いのまなざしを向けた。

その閑叟が

ついに大きな選択を
迫られる時が来る!

力をつけてきた雄藩と手を結び

幕府に代わって 政治の主導権を
握る事を目指すのか。

雄藩とは手を結ばず
あえて独自の立場をとり

別の道を探るのか。

スタジオでは さまざまな分野の
専門家たちが

閑叟の真意に切り込む!

閑叟は 兵器のみならず

電信機 写真機
蒸気機関車なども
研究。

近代化の最先端を走る
佐賀藩を率い

何をしようとしたのか。
その葛藤と選択に迫る!

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

その時 彼らは
何を考え 何に悩んで

一つの選択をしたんでしょうか。
さあ 今回は

幕末の動乱期に
最強の軍事力を誇り

その動向によって
勝敗が決すると注目された

佐賀藩主 鍋島閑叟の選択に
迫ってまいります。

薩長土肥といわれますが 本当は

この肥前が一番強いんですよ
この中では。
強いんですか!?

薩摩より強いんです。
だから薩長土肥ではなく

本当は軍事的には 肥薩長土が
正しいと言えるんですけど。

一番前に来ると。       どうして
こういう順番になったのか

幕末のイメージを 教科書と
ちょっと違ったやつに

覆してみたいというふうに
今回は思います!

では その幕末
佐賀藩を取り囲む状況は

どんなだったのか
見てまいりましょう。

佐賀藩は 江戸時代において

海外に門戸を開いていた
長崎の警護を担当して

ペリー来航以前から国防に関する

さまざまな事件に
遭遇していました。


そんな中 藩主となったのが
こちら。

今回の主人公 鍋島閑叟です。

磯田さん こうやって
何か ちょっと見てみると

何を考えているのか
一見 分かんないような…。

そうですね。
肥前の妖怪って呼ぶ人もいました。

…で 何度もね この人 面白い事に
手を洗うんですよ。

手を洗う? どうしてですか?
潔癖性なんでしょうね。

不安が強い人格の
表れなんじゃないかと

思ってるんですが この閑叟が
不安に思うっていうのは

日本にとって役に立つ
有用な不安だったんですね。

その 閑叟の不安っていうのが
幕末最強の軍事力と

科学技術を
持たせる事になりました。

この強い軍事力と
最先端の科学技術をもって

時代のキャスティングボートを握るのか
という そこに今日はね

是非 着目してみたいと
思うんですね。

では 佐賀藩を幕末最強と
呼ばれるまでに育て上げた

鍋島閑叟は ある強烈な危機感を
持っていました。 ご覧下さい。

肥前 佐賀藩は

数ある藩の中でも
特異な存在であった。

江戸時代
唯一 西洋に窓が開かれ

オランダとの通商が行われていた
長崎。

佐賀藩は 幕府の命令により

福岡藩と1年交代で
長崎の警護を任されていた。

ところが ペリー来航の45年前

佐賀藩に 強烈な危機感を抱かせる
出来事が起きる。

その年は
佐賀藩が長崎警護を担当。

しかし オランダ船の来港もなく
平穏であったため

ばく大な費用がかかる
警護の手を緩めていた。

そこに突如
1隻のイギリス軍艦が現れる。

オランダ船を装って近づいた船は

オランダ商館員2人を捕らえ
人質にし

長崎奉行所に
燃料 水 食料を要求。

拒否すれば 港の日本船を
焼き払うと脅してきた。

反撃しようにも
佐賀藩の兵力は僅か。

やむなく 奉行所は要求を聞き入れ
イギリス軍艦は去っていった。

責任を取って長崎奉行と
佐賀藩家老ら6人が切腹。

閑叟の父 佐賀藩主 斉直は

警備の失態を責められ
100日間の謹慎処分となった。

城下は 鳴り物禁止
役所は 門を閉じ

藩士たちはヒゲもそれなかった。
この屈辱が 以来 佐賀を

どの藩よりも 国防と海外情報に
敏感な藩にしていくのである。

事件の6年後…

15歳の時
父 斉直の隠居に伴い

第10代 佐賀藩主となる。


このころ 佐賀藩が
長崎警護の軍備を

充実させようと考えても
財政は壊滅的だった。

父 斉直は フェートン号事件後も
浪費をやめず

藩は 年貢米収入の数倍の借金を
抱えていたのである。

閑叟が 藩主となって
初めて お国入りする時

押し寄せた
借金取りの商人たちによって

行列が足止めされるほどだった。

若き閑叟は 藩の実情に
大きな衝撃を受けたという。

閑叟は 直ちに
さまざまな改革に着手する。

粗衣粗食令を出し
経費を節減

自ら率先して
質素倹約に努めた。

更に…

役職のない家臣には
生活費のみ支給。

また 商人と交渉して
膨大な借金を帳消しにする。

もともと肥沃な平野を持ち
米の収穫が多い佐賀は

緊縮財政のかいもあり 次第に
財政が好転するようになった。

そんな折
長崎から衝撃的な情報が伝わる。

アジアの大国 清が
イギリスに打ちのめされた。

閑叟の心に緊張が走った。

佐賀藩の歴史を研究する
大園隆二郎さんは

アヘン戦争によって
閑叟の国防意識は

更に研ぎ澄まされていったと言う。

いよいよ来たという感じでは
なかったでしょうか。

しかも それは アヘン戦争が起こって
1年後とか2年後ではなくて

即ですね 持ち込まれた情報が

記録も収められて
つづられていったと。

アヘン戦争があって
どういう条約が結ばれて

どういう損害が及ぶのかと。

領土の割譲にまで及ぶ
というような事は

恐怖だったんじゃないでしょうか。

閑叟は フェートン号事件の反省から
長崎港外の外目と呼ばれる海で

外敵の侵入を防がなければ
ならないと考えた。

アヘン戦争終結の5年後
幕府に対し こう進言する。

防御の要地は 全く外目にある。

巨大な大砲を 今また
100門ほども備え置かれたい。

幕府は この要請を却下。
しかし 閑叟は諦めなかった。

外目の島々が
佐賀藩領である事を理由に

独自に砲台を築く事を決意する。

伊王島
神ノ島などの儀は

私一手にて
備えつかまつる。

この時 既に 閑叟は
西洋式大砲の製造に着手していた。

長崎の著名な砲術家 高島秋帆に
家老を弟子入りさせ

藩内で青銅製大砲の鋳造に成功。

しかし これだけでは
決して満足しなかった…。

西洋の技術に
強い関心を持っていた閑叟は

長崎のオランダ軍艦に自ら乗り込み

最新式の兵器を
その目で調べているのである。


その ずっとあともですね…

だから そういう事も
恐らく全国の藩主の中で

ほとんど やった人は
いなかったと思います。

だから よく分かる訳ですよね。

長崎防備の強化を
幕府に訴えていた頃

閑叟は こう述べている。

巨砲を鋳造し
世界に威を示したい。

しかし 大砲を量産するためには
良質の鉄で造る必要があった。

佐賀藩は 大砲に使う事のできる
鉄を造らなければ ならなくなる。

閑叟は 緊縮財政で得た
資金をつぎ込み 研究を開始。

火術方という
藩主直属の部署を作り

砲術 蘭学 刀鍛冶 鋳物

和算などの専門家を集める。

彼らは オランダの書物を調べ
図面を基に手探りで

反射炉と呼ばれる
鉄の精錬施設を建設する。

しかし ここで造られた
鉄製大砲は

失敗の連続だった。

炉の温度が上がらないため
鉄にムラが出来

弾を撃つと
砲身が破裂してしまうのだった。

責任者は 切腹を覚悟する。

しかし 閑叟は 家臣を励ました。

研究を重ね
必ず鋳造を成功させよ。

家臣たちは 試行錯誤を繰り返し

反射炉のレンガを改良するなどの
工夫を重ね

ついに鉄製大砲の製造に成功する。

(砲声)

16回もの失敗を経ての事だった。

嘉永5年 佐賀藩は
反射炉で製造した大砲を

長崎港外の島々に設置していった。

ペリー率いるアメリカ艦隊が
浦賀に来航する

1年前の事である。

当時 築かれた砲台の石垣が
いくつも残されている。

ここに 新しい鉄製大砲を含む
数十門の大砲が据えられた。

このころ 長崎に来航した
プチャーチン率いるロシア艦隊は

佐賀藩の砲台を警戒し
こう伝えている。

ペリー来航後
佐賀藩は幕府の注文を受け

52門もの鉄製大砲を
江戸へ送っている。

それらの大砲は
江戸湾を守るために
造られた

品川 お台場に
据えられた。

鍋島閑叟率いる
佐賀藩は

最新式の兵器を持つ
有力諸侯として

幕末の舞台に駆け上ったのである。

という訳で 佐賀藩主となった
鍋島閑叟が 藩政改革を行って

藩の力を強めて 鉄製大砲の鋳造に
成功するまでをご覧頂きました。

もう 長崎の警備
やってる訳ですから

何かヘマやると 本当に
ただじゃ済まない訳ですよね。

不安は先進性の母だと
僕は思ってて

怖くなったら
立ち止まる人いるんですけど

怖くなって 立ち止まらない人間は
強いですよ。

まずは第一歩を始めてしまおうと
してしまう。              ええ。

岩下さん
この閑叟が 国防意識を持って

更に その技術も
開発していこう
というふうに

こういう意識を持てたのは
どうしてなんですか?

やはり 佐賀藩にとっての
フェートン号事件が

非常に大きかったと思いますね。
まあ 一種の藩存続の危機

改易になるかもしれないという
大きな大失態だった訳ですよね。

このままでは
武士として藩としての

体面を保つ事はできないと。
まあ 今で言えば

伝統と格式のある大会社が
大失態を犯して

社会の糾弾に遭いまして
存亡の危機にひんしているのと

同じですね。 だからこそ
自分の代で もう失地回復

名誉挽回しようと
したのだというふうに思います。

中野さんは この鍋島閑叟を
どう ご覧になりました?

冒頭で磯田先生が
不安の強い人だ
というふうに

おっしゃってたんですけど
手を何度も洗ったっていう。

ちょっと特徴的だなと
感じました。

やっぱり 強迫的な…

強迫性神経障害が疑われる
感じではあるんですけども

もうちょっと こう 広く言うと
1の不安要素から

10のネガティブな未来を
予想しちゃう人。

1不安要素があると
こういう事があるかもしれない

ああいう事があるかもしれない
というふうに パッと

考えついちゃう知能も恐らく
兼ね備えた人だったろうと

思います。
そういう人っていうのは

まあ ネガティブな未来が
見えたとしたら

その1の不安を潰すために
どんな事でもしますから

それはもう…

取っているように
外からは見えるかもしれません。

不安がりで臆病だと
リスクと向き合わずに逃げちゃって

女の人とか お酒に行っちゃう人
いるんですよ。 だけど

不安がりで勇敢な人は
リスクに向き合いますから

これ 戦争に強かったり
何か やらせると

とっても向いてるんですよね
歴史上で。

鈴木さんは この閑叟
特に技術開発に力を入れていく。

これ なぜ こういう事が
できたと思いますか?

まず一番大きな理由が 佐賀藩は
長崎を警護している特権で

どんな本を買えばいいか…
それを訳させて

それで なおかつ
そこを
読み込んだ上で

この本を買えっていう
的確に指示を出しているんですね。

あの時代 日本というのは
「解体新書」以来

そういう その
オランダの言葉を日本語にして

誰もが読める形にするっていうの
もう一般的になってるんですよ。

(鈴木)それを使って 自分で
検証してみるっていう事が

いろんなものに対して
先べんをつけていく

という事になったんじゃないかと。
鈴木先生に ちょっと

ご質問なんですけども
例えば 工業技術に関する…

こういうものを
オランダ語から日本語に訳す時に

その内容を知らないと
的確に訳せないですよね?

翻訳をやった人たちっていうのは
単に そこに

訳語を適当につけるんではなくて
それが どういう意味か


という事を ちゃんと脚注だとか
そういうもので示した上で

翻訳してるんです。
バックグラウンドも きちんと調べた上で

訳語を作るという事を…。
(鈴木)そうしないと

何言ってるか分からないですから。
(中野)すばらしい。

その恩恵を
私たちは受けてる訳ですね。

ですから 細かいニュアンスを
英語が読めない

オランダ語が読めない職人でも
やり取りができる。

一応 読む事ができますから
職人が何をやってるか。

それに対して
もっと詳しい蘭学者たち

知識を持ってる科学者たちが
それについて いろいろ言える。

特に この時代っていうのは
ヨーロッパ 欧米で

科学と技術が一緒になって…。

科学と技術が一緒になると
工学が生まれるんですよ。

ですから 職人がやってた技術が
科学的な知見

冶金学であったり そういうものと
結び付いた時代ですので

単に職人の技だけじゃ
できなくなっている。

(中野)鍋島ラボと言っても
いいぐらい。

もう「プロジェクトX」かと思いました。
私は もう。

佐渡島さんは 大ヒットにつながる
漫画とか小説を

編集されてる訳ですけれども
この閑叟

改めて どんな人物だと
思いますか?

そうですね。
僕が閑叟を主人公にした

小説とか漫画を
作家に提案するかっていうと

多分 しないだろうなと。
しない! あれ どうしてですか?

閑叟がリーダーとして
一流だったかっていうと

僕は結構 疑問符じゃないかなと
思ってて どっちかっていうと

技術者だったんじゃないかなと。

先ほど磯田さんが
軍事力っていう事で言うと

肥前が一番だって
おっしゃったんですけど

その時に リーダーが正しい選択を
してるかどうかっていう事が

重要で…。 日本の いろんなメーカーも
技術力は高いけれども

世界では負けていくっていう事が
今 たくさんあるじゃないですか。

だから 肥前が技術力を高める事は
できたんだけれども

それを うまく使うっていう事が
閑叟はできてなかったから

非常に魅力的な
脇役ではあるんだけれども

彼は 番外編とかの
短編1話は出来るけど

長編は出来ないな
というふうに感じます。

佐渡島さんがおっしゃった
脇役と主役の違いみたいな話

ちょっと思ったんですけれど
自分で行くか行かないか

というのが 恐らく
差なんじゃないかと思います。

閑叟は…

不安が高すぎるために。

まず大体 藩主自らが
軍艦に乗るっていうとこが

すごい。
それが珍しかったんですね。

乗りに行かないです
普通の藩主は。 乗れても!

もう 佐賀藩の情報力って
すごくて

僕もね じだんだ踏んで
悔しがった事あるんですよ。

僕 10年間 日本の藩の
古文書を訪ね歩いて

放浪するように見続けたんです。
でね 7~8年目に

佐賀 行ったんですよ。
その時に どうして佐賀に

最初に来なかったのかと思った。
もう ほかの藩が持ってる

文書の情報レベルと
全然 違うんですよ!

後から行ったのは
自分の人生の間違いだと思って。

今から勉強する人は 佐賀にまず。
佐賀藩の文書 見て下さい!

ペリー艦隊が日本を訪れた時

鍋島閑叟は幕府に対し
これを打ち払うよう

意見を述べている。

しかし 閑叟は
攘夷論が盛んになった後には

こう述べている。

攘夷は不得手にて
甚だ迷惑している。

閑叟の真意は
常に謎めいている…。

幕府が開国を決定すると

長崎にも外国の蒸気軍艦が
訪れるようになった。

その度に 閑叟は
自ら船に乗り込み

その様子を詳しく調べた。

この時 閑叟は言っている。

閑叟は ペリー来航の前年

大砲製造のための火術方のほかに
精煉方と呼ばれる

科学技術の研究機関を作っていた。

後に日本赤十字社を創設する
蘭学者

佐野常民を中心に
機械 金属 薬品 電気

化学などの専門家が集められ
研究を行った。

大阪にいた著名な発明家
からくり儀右衛門こと

田中久重など 藩外の有能な人材も
積極的に招いていた。

彼らに最も期待された事

それは蒸気機関の研究開発だった。

閑叟は 精煉方の者を

幕府が長崎に作った
造船 修理施設に派遣し

オランダ人から さまざまな技術を
学ばせたのである。

蒸気機関の原理を学んだ
精煉方は

安政2年 独自に蒸気船と
蒸気機関車のひな型を造り

閑叟の前で披露している。

主任の佐野常民は この日の事を
次のように回顧している。

精煉方が造った蒸気車 蒸気船の
ひな型のX線写真が

撮影されている。

精巧に造られた内部構造からは
技術力の高さが見て取れる。

優れたものが入ってきたら…

その原理を
きちっと理解した上で
社会が必要であれば

それを役に立つように加工する。

間違いなく相手は
自分のところよりも

劣ったものしか
譲ってくれないはずなんですよ。

その正しい考え方を あの時代に

佐賀藩は やった
という事になりますね。

しかし ひな型は出来ても
実用的な蒸気機関の製作は

困難を極めた。

なかなか結果が出ず 藩の幹部は
精煉方の廃止を主張する。

しかし 閑叟は その意見を退けた。

これは
私の道楽である。
制限するな。

安政5年
閑叟は 三重津海軍所を設置。

蒸気船の国産化を目指し
研究を続けさせた。

この後 佐賀藩は 蒸気船
凌風丸を完成させる事になる。

実用船としては
国産初の快挙であった。

閑叟自身 知識欲が
とどまる事がなかった。


ある時 オランダ軍艦艦長が

閑叟の子息をオランダに招待しよう
と言うと こう答えた。

しかし
時代は それを許さなかった。

安政7年の桜田門外の変以降

相次ぐ幕府要人への
襲撃事件により

幕府の力は急速に衰えていく。

京都には
尊王攘夷を唱える人々が集まり

雄藩と呼ばれる有力大名の
政治的影響力が増していた。

時代が混とんとする中
さまざまな勢力が

最新の軍事技術を持つ佐賀藩を
味方にしたがった。

そして 閑叟の動向に
注目が集まっていった。

文久2年6月
薩摩藩主の父 島津久光が

軍勢1, 000人を率いて江戸に入る。

雄藩が 幕政に
強い影響力を持つ時代が訪れた。

このころ 閑叟は
藩主の座を 子の直大に譲り

自身は 佐賀が雄藩として
名乗りを上げる行動に出る。

閑叟は 自ら京都に赴き
朝廷に驚くような申し出をする。

佐賀藩は
長崎の警護をお断りし

京都を一藩のみで
守護奉りたい。

京都では 薩摩 長州 土佐と
騒々しいが

役に立つ事はない。
その証拠に

私に申しつけられるなら
足軽40~50人で

これらを打ち伏せて
ご覧に入れよう。

京都の守護は
薩摩藩も狙っていた政局の要。

有力諸藩は
閑叟の発言に驚くとともに

何をたくらんでいるのかと
疑いの目を向けた。

しかし その真意を閑叟は
決して語ろうとしなかった…。

文久3年8月18日。

京都で最も勢力を誇っていた
長州藩が

薩摩 会津らによって追放される。

そして 有力諸侯6名が
朝廷参与に任じられ

参与会議が開かれる事になる。

この会議で 雄藩が手を結んで
朝廷を取り込めば

幕府を抑え 政治の主導権を
握る事さえできる。

大きな時代の転換点が訪れた。

しかし 政治の実権を握るには
圧倒的な武力の裏付けが必要。

そこで注目されたのが
閑叟が育ててきた

幕末最強の軍事力だった。

選択の時が訪れた!

この時の 閑叟の心の内に
分け入ってみよう…。

もはや今の幕府に

単独で日本を引っ張る
指導力はない。

老中などといっても

今の政局を扱える
力のある者とてなく

浅はかな小細工を
弄するのみにて

到底 変化の時局を
制する望みはない。

既に 政治の舞台は
京都へと移った。

日本のためには
雄藩が手を組み 力を合わせて

諸外国に対抗しなければならない。

佐賀藩は 武力を背景に

雄藩結束を推し進める
原動力となるべきではないか。

しかし 閑叟は

京都の公家や雄藩の大名たちを
評価していない。

公家たちの政治は
甚だ おぼつかない。

大名とて また同様。
天下に人なし

将軍も大名も
言うに足らない。

幕府 雄藩 朝廷 公家たちも
皆 信用はできない。

どちらとも関わらず 今後に備え

独自の道を探るべきではないのか。

しかし それは
周囲全てを敵に回す事に

なるかもしれない…。

雄藩と手を結ぶのか?
結ばないのか?

閑叟の選択の時が迫っていた。

さあ それでは
選択にまいりましょう。

選択1は「雄藩と手を結び

佐賀藩の実力をいかす」
というものです。

そして選択2は 「手を結ばずに
独自の道を探る」というものです。

まず鈴木さん どちらでしょうか?

私は1を選択したいと思います。
「雄藩と手を結ぶ」。

結びますか。
ええ。 それは…

その時代に情報を集めて
各藩の状況 幕府の状況

公家の状況を見ていれば
まず その中に入って

一番 実力のある… いわゆる
力を持ってる所に入って

内乱を起こさせない。
いわゆる 諸外国の脅威は

もう彼は 一番知ってるはずなので
そうすると

そういう脅威に対して
国内で争いを起こしたら

日本という国が
駄目になるっていう事を

多分 一番実感してたんじゃ
ないかと。 とすれば

その雄藩の中で
内乱を起こさせないために

実力を発揮するっていう。
まあ 私が閑叟であれば

それを選択したんじゃないかと
思いますね。

さあ 続いて中野さんは
どちらでしょうか?

選択2の「雄藩と手を結ばない」
独自路線を選びます。

どうしてですか?
これはですね まあ この時

私 閑叟に成りきりだとしたら

まあ あんまり
人を信用しないんですね。

自分が情報も軍事力も
一番持ってるという自信がある。

実は政治というのは
任せる力の事ですよね。

人を信用したりして。
そういう事を

この時の閑叟はしない。
まあ 私なら 恐らく できない。

自分が こう ちょっと
理系畑の出身っていうのも

あるのかもしれませんけど。

この時代 蘭学をやってる
蘭癖大名…

いわゆる 海外知識を
持ってる人っていうのは

まあ 薩摩であったり
水戸の斉昭であったりの方たち

というのは 結構 過激なところが
あるんですね。

その中で恐らく閑叟だけが
それほど突出した

過激な事を言ってなくて…
それなのに教えるんですね。

反射炉も
水戸藩からも島津からも。

人には 絶対出さないんですけども
そういう意味で言うと

さっき言った
技術のトップを走っていて

そのイニシアチブを握っていて
そういう人たちの手綱を

うまく引きながら
過激になり過ぎないように

両方と うまくつきあってる
という気はするんですけどね。

さあ 続いて
岩下さんは どちらでしょう?

そうですね。
私は「雄藩とは手を結ばず

独自の道を探る」という
やっぱり2ですかね。

閑叟は
西洋文明導入の過程で

やっぱり 軍事力と政治力は
表裏一体というか

裏表の関係であるという事を
知ったんじゃないでしょうかね。

今で言えば 佐賀藩は
まあ 最新の技術を持った

リーディングカンパニーではないかと。
技術力を持っているから

安易に大企業の下請けには
ならない。 独自の技術力とか

最新の技術力があれば
上に立てる訳で…。

まあ ほかとリンケージする必要は
ないと。 こういう事です。

じゃあ 佐渡島さんは
どちらでしょうか?

僕は1番の「雄藩と手を結ぶ」。
結びますか。

それで僕は
雄藩でもいいだろうし
幕府でもいいだろうし

誰かと手を しっかりと結ぶ
という事をやれば

世の中を もっと変えれたんじゃ
ないかなっていうふうに感じます。

政治をやっていく時っていうのは
論理的じゃないけれども…

強い意思が必要で
それで 日本っていうものを

この激動の時代を乗り切ろう
というふうに思ったら…

今の時代に もしも
すっごく技術のある会社が

ある程度 伸びてきたと。
例えば 上場いくぐらいに

いきましたと …っていう時に

例えば フェイスブックとかグーグルから
買収が来ましたと。

それで フェイスブックとかグーグルからの
買収を断るんだったら

社員に対して
自分たちの技術によって

フェイスブック グーグル 潰せるんだと
…っていう

ビジョンを明らかにしない限り
駄目だと思うんですよ。

うん 近いと思いますね。
僕は 実は選択肢で言うと…。

言っちゃうと1で同じなんですよ。
おお 同じ。

ただ 先生と…
鈴木先生と違うのは

鈴木先生は
内乱を起こさないために

雄藩連合に入るって言ったけど
僕 逆で…

佐賀藩の持ってる
完全装備の軍事力っていうのは

1個大隊 1, 000人を送り込むと

大体 相手側が5, 000人ぐらいで
攻めてきても 勝てる訳ですよ。

雄藩の人たちと一緒にやって
もう幕府を

どんどん弱体化させていって
実質 佐賀型の国に

早く つくってしまえば
よかったと思うんですよ。

もし 反対する者あれば
討伐しちゃえば よかったんです。

だから一番いいのは
どっかで小さな紛争を起こして

それで決定的に勝つ事なんですよ。
できるんですから 軍事的には。

そしたら 「あれ?」って。
やっぱり 薩摩の言う事でも

長州でもなくて 一番強いのは
佐賀だっていう事になって

幕府だって 言う事を聞きますよ。
まあ 確かにね。

やったらいいと思うんですけど
どうでしょうかね。

(中野)そういう野心っていうのは
あんまり この人からは

感じないんですよね。
そうですね。

好奇心が すごく旺盛だし
技術を すごく高める事が

イコール 国力を高める事だと

はなから信じきっているような
ところがあって

そのほかの事には ちょっとあまり
視点が向いてないような

感じがしますね。
だから こう 日本を大手術する

すごい科学技術と軍事力って
メスは握ってるんですけど

患者が やってくれって言うまで
多分

メスを入れない人なのかも
しれない。 ひょっとすると。

そういう感じありますよね。
頼まれて やりたいみたいな感じ。

見切り発車みたいな事は 多分
やりたくないタイプなんでしょうね。

さあ それでは
鍋島閑叟の選択をご覧下さい。

雄藩と手を結ぶか 結ばないか。

閑叟は どのような
選択をしたのだろうか?

京都で開かれた参与会議。

そこに 閑叟の姿はなかった。

閑叟は…

閑叟のいない参与会議は

横浜港閉鎖問題などで
幕府と雄藩が対立。

たちまち 瓦解。

政治が停滞する中で

次第に 軍事的緊張が
高まっていった。

一方 閑叟は
政治闘争には関わらず

藩内の科学技術開発に
まい進する。

その一つが 大砲の改良だった。

当時 最新式の
イギリス製アームストロング砲を基に

新式大砲の開発を進めた。

新式大砲の特徴は 砲身の内側に
らせん状の溝を刻んだ

施条砲である事。

溝によって
回転を与えられた弾は

コマのように傾きが安定して
命中精度が上がり

飛距離も伸びる。

また 旧式の大砲が

前から弾を込めるのに対して
後ろから込める事で

次の弾を早く撃つ事が
できるようになっていた。

現在 佐賀藩の新式大砲の実物は
残されていない。

第2次世界大戦の時 全て
金属供出されてしまったからだ。

佐賀で生まれ育った
古賀利幸さんは

子どもの頃
博物館の前に置かれていた

実物の佐賀藩の施条砲を
見たと言う。

現在 古賀さんは
イギリス製のアームストロング砲と

子どもの頃に見た
佐賀藩の施条砲を手作りで再現。

イギリス製は 砲弾を止める
尾栓と呼ばれる部品を

何回転も回して
締めていた。

これに対し 佐賀藩製は

半回転ほどで締まるように
改良されていると

古賀さんは考えている。

今 調べてる限りでは これと…

佐賀藩は
鉄を造る反射炉を増設し

水車の力で砲身をくりぬく機械も
独力で造り上げた。

藩内で造られた鉄製大砲は
140門に及ぶという。

佐賀藩は 軍事技術以外に
写真やガラスなど

さまざまな科学研究を重ねた。

送信機のカタカナの文字盤に合わせて
ダイヤルを回すと電気信号が送られ

受信機側の文字盤の針が
同じ文字を指すという仕組み。

佐賀が 時代の最先端を
走っていた事を物語っている。

閑叟は 科学技術を愛していた。

彼が 長崎製鉄所を訪れた時の
オランダ軍人の言葉が残されている。

そういうところに きちっと
いわゆる 目配りがいく…

元治元年7月。

長州藩が 京都で
禁門の変を起こし敗退すると

幕府は長州征討を命令。

ついに国内で
戦争が始まる事になった。

閑叟は 寛大な措置が取られるよう
幕府に進言する。

佐賀藩研究者の
大園隆二郎さんは

閑叟が娘に送った手紙の中に
彼の本心が表れていると言う。

娘に対しては 本音の手紙を
たくさん やってるんですけど

長州征討の事については

もう なんとか穏やかに
ならないものかと

それのみ思っているとかですね。

戦いを望んでいない。
なんとか 平和な状態で収めたい

という気持ちは
伝わってくる手紙がありますね。

閑叟は その後も

倒幕派 佐幕派
どちらにくみする事もなかった。

12月 王政復古のクーデター。

閑叟は 動かない…。

慶応4年 鳥羽・伏見の戦いにも

佐賀藩が兵を出す事はなかった。

ついには 薩摩藩から
佐賀討伐が主張される。

3月 閑叟は
佐賀藩の近代化した軍勢を

新政府軍に参加させる。

しかし 戦いに向かう家臣たちに
こう伝えていた。

その思いとは裏腹に
佐賀藩の新式大砲は

上野の山に籠もる旧幕府側を
僅か1日で壊滅させる。

上野 清水観音堂にある

佐賀藩製と見られる施条砲の砲弾。

それは 内部に火薬が詰め込まれ

強い破壊力を持った砲弾だった。

戦いの舞台が 会津や秋田など
北へと移った時

最も多くの兵を出したのは
佐賀藩だった。

箱館戦争において

新政府海軍の主力を担ったのも
佐賀藩だった。

佐賀藩の最先端の軍事力が

維新の戦いを
決していったのである。

明治2年。

閑叟は 新政府で最高位に次ぐ
大納言に任じられる。

近代化した肥前 佐賀の力が

明治政府の中で
重要視されたからだった。

しかし 重い病にかかっていた
閑叟が活躍する事はなかった。

明治4年1月18日
閑叟は世を去った。

生前の閑叟は

さまざまな立場の家臣と
気兼ねなく話を交わし

議論を重ねたという。

閑叟が育てた
家臣たちの中からは

大隈重信 江藤新平
副島種臣ら

明治の近代化を支える
多くの英才が巣立っていった。

閑叟が残した書…

ただ ひそかに
人に先立って天下を憂い

後の世の準備を続けた閑叟。

彼の死後に残された楽しみとは

産業を興し 繁栄する日本と

そこで活躍する
人々の姿だったのかもしれない。

閑叟は 残虐な事に
やっぱり 自分の兵器

使いたくなかったんでしょうね。
ここは 僕は…

何かするのが
賢いというのは多いけど

何かしない賢さって
世の中に やっぱりあって。

考えると この賢さの不作為で
よかったんじゃないかと。

その 支配者とか
そういう人たちの…。

造ってる方 大金出して造ってて
使わなければ

文句が来る訳ですから。
それを使わない。

使う いろんな要請があるのに
使わなかった。

最後 そういった内戦を
最小限にとどめるためには

ここでやるっていう決断で
出ていってる。

そういう藩主がいたからこそ
最短の距離で内戦を終わらせて…

データとして面白いのは
銃を手にしますね。

そうすると その人の体内で

どういう生理的な反応が起きるか
という事を

調べた人がいるんですね。
そうすると テストステロンという

男性ホルモンの値が上がるという事が
分かってます。 つまり

核ボタンでも 何かミサイルでも
何でもいいですけども

攻撃できる武器を手にした途端に
その人は

自分が 攻撃心があるなんて
思ってもいないのに

攻撃的な気持ちが
無意識に高まっちゃう

という事があります。
だけども 閑叟公は

そうでは なかったんですね。

こんな まだ幕末のような
武力が本当に役に立つ時代

まあ 功を奏する時代ではなくて
例えば こう 昭和だったり

現代だったりにいて
まあ 佐賀藩の藩主ではなく

鍋島製作所の社長とか
そういう感じだったら

もっと
すごく 世界に光る技術を

こうだと言って 世に出せたような
そういう人だったかもしれない。

文明?
政治と
その延長の戦争っていうのは

文明を破壊するもの。 だから

天下万民のためにならない
という事だと思います。

結局 閑叟は
西洋文明と接する事で

文明と戦争の関係にも目覚めて
文明を追求する方向を選んだと。

だから特に 閑叟が育成したのは

このテクノクラート
技術官僚だと思います。

テクノクラートっていうのは やっぱり
技術的な事で論争はしても

刀を振り上げてのケンカは
やっぱり しないですよね。

まあ 思想家は
どうしようもなくなると

相手を全否定して
殺傷してしまう事が

やっぱりあると思うんですよ。
ただ

この人が雄藩連合に
早く参加してたら

幕府の滅亡は早めたでしょうね
きっとね。

どこかで雄藩連合なんか
進めていったら

幕府と衝突する事に
なるでしょうから。

やっぱり 佐賀が加わっちゃ
もう そっちは…。

例えば 長州征伐さえ
できなくなる可能性もあるので。

歴史の展開は
5年ぐらい早くなったかも。

下手したら10年ぐらい
早くなったかもしれない。
へえ~。

僕でも今回 逆も
ありえるなと思ったんですよね。

徳川側に 佐賀藩が早くついてたら
薩長が活躍できなくて

それで逆に幕府側による
より早い改革もあったのかなとか。

でも あと
歴史っていうのが やっぱり

技術とか
そういうものだけじゃなくて

パーソナリティなんだなと。
やっぱり 個性によって

この歴史っていうのは
決まってるんだなっていう事を

改めて感じさせられるな
というふうに思いますね。

相手を殲滅させるような
武器の使い方はするなと

言ってる訳ですよね。 だから
私は やはり 閑叟というのは

当時 日本の殿様が持っている
仁というものに対して

非常に誠実な方だったんじゃ
ないかと。 他を思う。

いわゆる まあ 武器を取れば
相手も苦しむ訳ですから

そういうものに対して
自分の苦しみや

相手の苦しみも含めて
武器は持ちますけども

それを使って その先
どうなるのかって言ったら

やはり 平和な日本というものを
もう一回 どう戻すか

というところを やはり
夢みてたんじゃないのかなと

私は思いたいし 思いますね。

薩長の人たちって 初めは攘夷論
唱えてる訳じゃないですか。

ある種 ムチャクチャな主義主張をしてて
論理的でも何でもなくて

ただただ 熱量があるだけで…。

そんな人たちには
国は任せれないんだけれども

結局は パワーの方が
勝ってるんですよね。

やっぱり その激動の時代には
動物的なパワーがある人の方が

重要なのかなとも
思っちゃいますよね。

だから すごい惜しいところ
だろうなとは思いますよね。

こういうふうな
科学技術の事を理解してる人が

リーダーシップもあって
トップに立ってたら…

…という問いと一緒で
やっぱ この軍事力を

持ってたんだったら
最も効率よく

国内外に この軍事力の強さを
表せるように どこかで使う…。

それ すごく実は面白い問題で
合理的に考えたら そうなんです。

やっぱり 一人を殺して
何百人も助ける方がいいんですね。

だけども まあ 仁というのは
一人を殺さないを

選ぶ訳じゃないですか。
日本的ですよね。

倫理ですね
倫理観とか正義感というのを

人工知能に実装するのは難しい
というふうに いわれてます。

これは 人間には
でも すごく自然に

備わってるように思えますよね。
それを考えると恐らく

人間の集団で生きるっていう
性質のために

必要だったんだろうと
考えられますね。

人を信頼させたりとか

何か協力して
物事に当たったりとか。

そういう時に
無条件で信頼するために

仁というものを
恐らく使ったんでしょう。

長期的な人間関係が
想定される国では そうなる。

多分 日本人らしい日本人と
言えるかもしれない。

いや 磯田さん
改めて この佐賀藩 鍋島

見てるの面白かったですね。
面白かったですね。

私 閑叟って どういう人かって
前から気になってたから

ある時に 「僕は閑叟に
会った事がある」っていう人に

会ったんですよ。
えっ?    50歳ぐらいの人なのに。

「どういう事ですか?」って
言ったら 「いや 閑叟の墓は

改葬しました。
その時 私は改葬の係で

閑叟の遺体を抱きかかえて
彼に会っている」。

それで 私が「あの人は
手ばかり洗って ひ弱のように

思えるんですけど」って言ったら
その人が首を振って…

大変 よく訓練された体だと
思いました。

だから 怖いからか
一生懸命 よく訓練してて

準備 真面目にしてた人
だったのかも。

閑叟の不安こそ 日本人にとって
宝であったものはない

というのは思いましたね。 ええ。

いや なかなか 含蓄の深い
人物ですよね この人もね。

そうでしたね。

今日は皆さん
どうも ありがとうございました。


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