英雄たちの選択「明治維新 最後の攻防~西郷・大久保“革命”への賭け~」 磯田道史、家近良樹、大澤真幸、大竹文雄



出典:『英雄たちの選択「明治維新 最後の攻防~西郷・大久保“革命”への賭け~」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「明治維新 最後の攻防~西郷・大久保“革命”への賭け~」[字]


王政復古のクーデターから鳥羽伏見の戦いまでの25日間。西郷隆盛と大久保利通は、巻き返しを図る旧幕府勢力としれつな権力抗争を展開。明治維新を導いた最後の攻防に迫る


詳細情報

番組内容

慶応3年12月9日。薩摩藩の西郷隆盛と大久保利通は、王政復古のクーデターを断行。しかし、その後、新政府を徳川慶喜主導のものにしようともくろむ土佐・越前などの諸藩が勢いを増し、慶喜排除を掲げた西郷・大久保らは孤立。形勢によっては旧幕府側が実権を握る可能性もあった。西郷と大久保は、一体どうやって逆転できたのか?クーデターから鳥羽伏見の戦いまで緊迫の25日間に焦点を当て、明治維新を導いた最後の攻防に迫る

出演者

【司会】磯田道史,【出演】家近良樹,大澤真幸,大竹文雄,【語り】松重豊




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英雄たちの選択「明治維新 最後の攻防~西郷・大久保“革命”への賭け~」
  1. 慶喜
  2. 大久保
  3. 西郷
  4. クーデター
  5. 薩摩
  6. 岩倉
  7. 御所
  8. 思うん
  9. 思いますね
  10. 非常



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幕末 動乱の京都。

事件は起きた。

薩摩藩や土佐藩の兵士が
京都御所を制圧。

天皇を中心とする新政府の樹立を
宣言した。

それから 25日後…

鳥羽・伏見の戦いで
新政府軍は旧幕府軍に勝利し

明治維新への扉を開いた。

この中心にいたのが
薩摩藩の倒幕派…

「彼らのシナリオどおりに
倒幕は実現した」。

そう思われがちだが
果たして 真相はどうだったのか?

2つの事件をつなぐ25日間を
つぶさに検証すると

全く異なる歴史が見えてくる。

手がかりとなる貴重な絵が
去年 発見された。

これは京都御所の いわゆる…

舞台は
御所でも格式の高い公家門。

鳥羽の方角は
戦火で赤く染まり

黒煙たなびく中 伝令の早馬が
慌ただしく駆けつける。

この場を目撃した絵師が
開戦の日の御所の

張り詰めた空気を伝えるべく
筆を執ったという。

洋式の軍服に身を包み
門を警護する

数えきれないほどの兵士たち。

竹に雀の家紋は
宇和島藩のものだ。

当時 宇和島藩は
薩摩が敵視する

前将軍 徳川慶喜を支持していた。

戦いが始まったときは

慶喜側の勢力が
御所の要を押さえ

政局の主導権を握っていたのだ。

実は クーデター後 新政府では

旧幕府に近い公家や大名が
力を増し

西郷や大久保の思惑は
次第に切り崩されていった。

2人が危惧していた慶喜の復権

そして 新政府入りも
目前に迫る勢いだった。

この逆境の中 西郷と大久保は

どのようにして
倒幕を成し遂げたのか?

今回も
さまざまな分野の論客が集結。

明治維新への最後の攻防を
語り尽くす。

「1 2 3… 100!」
とかいうようなことを
やろうとするんですよ。

ここでね 慶喜がいなくなって
新しい体制になった。

それがなかったらね…

王政復古のクーデターから
鳥羽・伏見の戦いへ。

幕末のクライマックス
緊迫の25日間に迫る!

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

そのとき 彼らは
何を考え 何に悩んで

一つの選択をしたのでしょうか?

今回の主人公は

西郷隆盛と
大久保利通。

今年150年を迎えた
明治維新。

そこに至る
最終局面での選択に迫ります。

今回 取り上げるのは 12月9日の
王政復古のクーデターから

1月3日の鳥羽・伏見の戦いまでの
25日間です。

こうして年表を見てみますと

一直線に「トゥン!」といった
感じがするんですけれど。

そうじゃないんですよ!
そういうわけじゃないんですか?

我々は 明治維新という結果を
知っているから そう考えるけど

これは駄目です!
当時の政局には 実は

たくさんのプレーヤーがいた。
へえ…。

激しい… 実は 藩と藩を取り込む
多数派工作を行ってた。


大体 皆さん
不思議だと思いません?

ええ ええ…。
これね 今の学会の最新の

研究成果で
今回 お送りしますので

一番分かる鳥羽・伏見の戦いへの
過程というのが

ここに あるわけです。

なぜ 武力行使に
いかざるをえなかったのか

ということが よく分かる
ということなんですね。   はい。

当然やったわけじゃないんです
あれは。

いろんな葛藤が
あったと思うんですが

その明治維新のストーリー
深く見ていきましょう。

黒船来航で幕を開けた
幕末動乱の時代。

政治の中心は京都だった。

御所から2.5キロに位置する…

慶長8年 将軍上洛のときの
宿所として徳川家康が築いた。

諸大名を謁見するための…

四方を囲むように描かれた
常緑の松は

徳川家の不滅の権力を
表している。

上段の間の頭上は
最高の格式を表す…

泰平の江戸時代を通じて

この部屋が 歴史の表舞台に
登場することはなかった。

だが
長い空白の時を経て

15代将軍 徳川慶喜が
ここに現れたとき

時代は大きく動いた。

慶喜は 徳川幕府始まって以来の
決断を下した。

260年 徳川家が担ってきた
政権を

朝廷に返上したのである。

ところが…。

(雷鳴)

これを 忸怩たる思いで
見ていたのが

慶喜と対立していた
薩摩藩と長州藩だった。

実は このとき
薩摩の西郷隆盛と大久保利通は

すでに長州と共に
武力倒幕に向けて動いていた。

これは 大政奉還の当日
朝廷から薩長両藩に下された…

「賊臣 慶喜を殄戮せよ」。

だが 慶喜は
自ら政権を返上することで

密勅を無効にした。

そこには 新たな政権でも

主導権を維持しようという思惑が
隠されていた。

西郷と大久保にとっては

何としても食い止めねばならぬ
事態だった。

歴史学者 三谷 博さんは
2人の思いを こう分析する。

一番大事なのは…

それを そのまま残しておくと

今までと そんなに変わらない
状態になるだろうと。

重要なことは 結局は
上の会議で決めざるをえない。

そうすると…

2人は 志を同じくする
公家の岩倉具視と共に

挽回の策を練った。

たどり着いた
結論が…

これは 大久保と岩倉が
極秘裏に立案した

クーデター計画。

慶喜の処分が明瞭に記されていた。

「徳川慶喜の官位一等を降し
領地を返上させる」。

慶喜が持つ内大臣という官位を
降格させることで

今後の政治活動を制限する。

全国400万石に及ぶ直轄領を
強制的に召し上げ

新政府のものとする。

身分をおとしめ
経済力を奪うことで

徳川家への懲罰を天下に示すのが
大久保と岩倉のねらいだった。

では 具体的なクーデターの方法は
どのようなものだったのか?

まず 当時の京の警備体制を
見てみよう。


慶喜のいる 二条城。

周囲には 京都所司代を務める
桑名藩の下

約400の兵が駐屯している。

その南 今の京都駅付近には…

隊士は 約200人。

さらに 御所の東にある
金戒光明寺には

幕府側 最大の
1, 000人近い兵力を擁する

会津藩が本陣を構える。

幕府側の兵力は
侮れないものだった。

そんな中で行う クーデター。

御所の迅速な制圧が
何よりも重要だった。

御所の門は外郭 内郭 合わせて15。

諸藩の兵士が それぞれの門につき
数十人規模で警護していた。

難関は幕府側の会津 桑名が守る
蛤門と公家門。

だが 不意をついて
一旦 門を押さえてしまえば

相手が御所に向けて
発砲でもしないかぎり

奪い返されるおそれはない。

勝算は十分あった。

クーデター側は 薩摩を中心に
土佐や越前 尾張などの5藩。

山内容堂や松平春嶽といった

慶喜と気脈を通じる大名も
参加している。

彼らは 岩倉から

新政権に慶喜を参加させるという
条件を提示され

クーデターに同意したのだ。

そして 決行の日…

武装した兵士たちが
御所への侵入を開始した。

難関の一つ 公家門の桑名兵は
数十人。

不穏な形勢を見定め

薩摩兵が到着する前に
引き揚げており

あっけなく接収が完了した。

もう一つの難関
蛤門を守っていたのは

数十人の会津兵。

不意をつかれた彼らは
土佐藩兵の明け渡し要請に従い

戦闘に及ぶことなく退去した。

クーデター側は
こうして完全に御所を制圧。

5藩の兵がひしめく中
「王政復古の大号令」が発せられた。

朝廷の
最高官職である
摂政 関白

そして 将軍職を
廃止する。

天皇に直属する中央政府を
新たに創設し

総裁 議定 参与の三職が

政権を担う。

皇族や公家 クーデターに参加した
大名だけでなく

大久保や西郷たち藩士も
参与として登用された。

大久保は この日の日記に

興奮を隠しきれない様子で
こう記している。

クーデターは成功した。

だが 大久保も この日が
これから25日にわたる

しれつな権力闘争の始まりだとは
知るよしもなかった。

いよいよ 王政復古のクーデターが
発動されました。

ここで 私 ちょっと
疑問があるんですけれど

なぜ西郷や大久保は
そこまで

徳川排除 慶喜排除に
こだわったのか

ちょっと 皆さんに
伺いたいんですが。

家近さん
いかがでしょうか?

いくつかの理由があると
思うんですが

まず 一番大きいのは
やっぱり…

慶喜という人はね
とにかく

若かったから すぐに
行動に移すんですよね。

それを ほかのね
封建領主クラスでは

なかったと思うんです。 これは
群を抜いていると思いますね。

即決 即断 即実行みたいなとこが
あるんですね。

それから もう一つは やっぱり
大久保 西郷

特に大久保でしょうね。
大久保辺りには

これから出来る新しい政府の
主導権を握りたいという

そういう野心みたいなのが
やっぱり あったと思います。

それは 慶喜がいるうえでは
ちょっと そういうことには

なりにくいと
大久保は考えていたんですか?


一つはね 下級藩士の
大久保クラスではね

どうしようもないわけですね。

慶喜は血筋といいね
前歴といいね

それは 全然
月とすっぽんですからね。

それは もう
問題になりませんからね。

同じ土俵では
勝負できないですからね。

私も家近さんと
同じように

慶喜が非常に
優秀だった
ということを

理解したんだと
思うんですね。

武力衝突を
取らずにですね

大政奉還という
彼にとって

一見 不利なことを
受け入れた。

無理なギャンブルをしないで
安全策を取る。

こういう事態になってもですね
そういう合理的な行動を

取れるということは
予想外だったんだと思うんですね。

そこが 彼らにとって
慶喜を恐怖の対象というふうに

思わせる理由だったと思います。
なるほど。

大澤さんは社会学的に
革命を分析されていますけれど

慶喜排除を目指した
このクーデターというのは

どういうふうにお考えですか?
これはね

こう思うんですよ。

革命というのはね
こういう争いなんですよ。

誰が
この社会にとって
すべてになるのか。

もうちょっと
分かりやすく言うとね

誰が公を代表するのか
という争いなんですよね。

ところがね 日本の場合はね
中心的になっているのは

大久保も西郷も そうですけど
下級の武士たちですね。

彼らは…

頑張っても ただ薩摩が
頑張ってるだけじゃんみたいな。

そうするとね
どうやってるかというと…

天皇を通せば
すべてになるわけです。

だから みんな 天皇の奪い合いに
なってるわけですよね。

これで 大政奉還で慶喜が賢くも

「俺も天皇のほうにつく」
というふうにやっちゃったので

ちょっと困ったことに
なってるわけですよね。

だから より はっきりと
排除しなくちゃいけない

ということが
次の課題になってくるんですね。

面白いですね。
そして たった一日で

クーデターは
成功するわけですけど

薩摩側は なぜこんなに
あっけなく

クーデターを成功させることが
できたんでしょうか?

クーデターって
秘密でやるじゃない。

こんなの もう世界史上ない
クーデターなんですよ。

どうやったかというと
岩倉具視が人を通じて

主に越前藩の松平春嶽に…

びっくりですよ。

「慶喜さん どうするんだい?」
っつったら

うそを伝えたんですよ。

「あなたのお友達の慶喜は」。
それで行かせるんですよね。

これが
慶喜の耳にも伝わるんですよ。

そしたら 慶喜
「反撃するのか?」と。

そうしたら 慶喜は 「これは
やめといたほうがいいだろう」と。

松平春嶽のほうも

「恭順にしておいたほうがいい」と
言ったっていうのが

ちゃんと当時の記録に残っている。
へえ~。

しかも これ 気の毒なのは…

う~ん…!
だから 世にも不思議な

事前クーデターが成功した。
これを考えたのは

岩倉と 大久保 西郷の
この3人ですよ きっと。

岩倉は 緻密に「相手側が
反撃するか この条件なら」って

読み尽くしたという
恐ろしいクーデターです。

事前公開クーデター。

それからね やっぱり もう一つ

慶喜サイドで言いますとね
彼は やっぱりね

クーデター計画を
知らされるんですけども

やっぱり 青ざめたというのは
記録に残っていますね。

ところがね やっぱり

私は 禁門の変の経験というのが
大きかったと思います。

要するに 京都の街が燃えて
天皇一家は

大変な苦労をしたわけですよ。
その再現だけ 二の舞だけは

避けたいというのは 私は
これは ものすごく冷静なね

いい判断だったと思いますね。

(大竹)そうですね。
それから 慶喜も合理的だし

岩倉のほうも それを ちゃんと

読み込んで提案していると。
策を練っているというところは

すごく面白いですね。
面白い。

結局 これは 無血で
武力衝突なかったわけですよね。

だから 経済学者から言ったら

すごく合理的だなと思いますね。
なるほど。

さあ 西郷 大久保は
クーデターには成功しましたが

その先には 思いがけない展開が
待っていました。

クーデター当日 午後4時。

武装した兵士が取り囲む中

紫宸殿の北東に位置する
小御所で

徳川慶喜の処遇をめぐる会議が
開かれた。

この会議の様子を伝える絵が
残されている。

題して 「王政復古」。

明治天皇の
功績をたたえる目的で

歴史家による綿密な考証を経て
描かれたものだという。

三部屋続きの広間。

画面の上に描かれた部屋で

公家や大名たちが
議論している。

岩倉は ここのメンバーに
入っているが

大久保たち藩士クラスは下の部屋。

身分の差が大きく 基本的に
発言は許されていなかった。

参与として列席した越前藩士が

会議の紛糾ぶりを書き残している。

慶喜の失政を責め
新政府入りを阻もうとする

岩倉たち倒幕派。

「話が違う」と 土佐の山内容堂が
真っ向から反論した。

「速やかに 参内を
命じられるべきである」。

越前の松平春嶽も
続ける。

徳川擁護の
理路整然とした主張が

会議を支配しかけていた
そのとき…。

大久保は たまらず口を開いた。

「幕府の失政は
重罪に値する。

慶喜の官位を降格し

領地の返上を
命じなければならない」。

大久保や岩倉の考えでは…

「耳目を一新する」ということを
当時 大久保たち 言っていますね。

「天下の耳目を一新する」。

外で警護を担っていた西郷は

「短刀一本あれば 片がつく」と
岩倉たちに伝え 鼓舞した。

これに力を得た岩倉は

慶喜の参内を
きっぱりと はねつけた。

だが 徳川擁護派も
頑強に抵抗する。

春嶽は 国許への書簡に

このときの心の内を
書き送っている。

「死しても我が魂は
幕府を守護すると決心した」。

激しい議論の末
官位と領地をめぐる

慶喜の処分
いわゆる「辞官納地」については

春嶽らが交渉したうえで

慶喜から
返上を申し出るという

穏便な形でまとめられた。

大久保や西郷にとって

クーデターの結果は
苦い勝利となった。


さらに

12月12日 思わぬ事態が起こった。

春嶽との交渉も始まらぬうちに

慶喜が 会津 桑名など

旧幕府側の大軍を引き連れ

大坂へ向かったのだ。

「このままでは 辞官納地は
棚上げにされかねない」。

西郷と大久保の危惧は深まった。

福井市の博物館に
このときの2人の様子を伝える

興味深い史料が残されていた。

慶喜が大坂へ向かった2日後

御所での会議の様子を
国許に知らせた春嶽の書簡である。

「このごろは
大久保一蔵 西郷吉之助も

沈黙している」。

実際に
会議を開いてしまって…

それぞれの決定とか
改革の布告というのは

「条理」。 当時の言葉で
「条理」っていうものが

はっきりしてないといけない。

なぜかというと
全国の大名が見てるからです。

京都だけで
政治を行ってるわけではなくて

何しろ 二百数十ある大名のうち

少なくとも 二十数の大名は
とても規模が大きくてですね

自分の意思で行動できます。

負けになりますね。

そして 12月24日

西郷と大久保は
さらに大きな後退を強いられた。

慶喜の納地をめぐる会議で
こう決められたのだ。

徳川以外の大名も
領地を提供することになれば

徳川だけ 領地を召し上げ

懲罰を天下に示すという
もくろみは消し飛んでしまう。

12月28日

春嶽の説得により
慶喜は この決定を受け入れた。

官位は返上するものの
徳川の権威は維持したまま

新政府に入るという道が
開かれたのだ。

風向きの変化に動揺したのか

岩倉は ある越前藩士に
こう漏らしている。

徳川擁護派へ擦り寄るかのような
岩倉の態度。

大久保と西郷は 次第に
窮地へと追い込まれていった。

クーデターには成功したものの

その後の政局は
混迷を極めていきます。

もう一度 整理するために
こんなものを用意してみました。

これね 当時の藩の
意見分布を示してるんです。

こっち側に
いけばいくほど薩摩派。

こっちへ
いけばいくほど慶喜派です。

慶喜に近い考え。
慶喜を守ろうとしてる藩。

薩摩に近い考えなんですよね。

で この時点では

ここに線が引かれて
みんな一枚岩かと思ったんですよ。

はい。
違ったんです。 そしたら

始まってみると薩摩藩が

最初は慶喜を 政権に 新政府に
参加させると言ってたのを

なかなかさせないんですよ。
そうすると「これはおかしい」と。

どうなっていったかっていうと
やればやるほど

こうなってきたんですよ。

どんどん ここに
壁が出来てですね

薩摩は孤立していくんですね。

完全孤立してますよね。
はい。

ここの藩たちっていうのは
本音のところ

このままいったら
戦争なんかになるんじゃないかと。

戦争したくないんですよ
お金もかかるし。

ソフトランディングがしたい。
そのためには

徳川慶喜を連れてくればいい
ということで

こういう壁が出来たというのが
この局面ですよね。

薩摩は 慶喜にとっては

かなりハードルの高い辞官納地を
突きつけたわけですけれど

この辞官納地について
皆さんに伺いたいんですが

大澤さん
どういうふうに見ますか?

これはですね
その徳川を

排除するっていうことが
ポイントなんですよね。

ところが すでに
大政奉還までして

相当 恭順の念を示してしまって

のれんに腕押し状態に
なってるんですよ

はっきり言うと。
だから 向こうに…

そうするとね 要は とにかく

徳川に懲罰的なことをやって
非常に…

これまで何か間違った政治を
してたんだっていうことを

みんなに 象徴的に示さなければ
いけないんですけれども

薩摩以外の人は
「どこが間違ってたの?」という

納得してないっていいますかね

そういう状態じゃないかと
思いますね。

これは やっぱり
この辞官納地というのはですね

今 おっしゃられたように
やっぱり

本当に誰が考えても
おかしなことなんですけどね。

例えば 何も 朝廷から
もらったわけじゃないです。

幕府の領地はね 徳川家が
実力で取ったわけですよね。

だから それを徳川家だけにね
領地を返上し 将軍だけにね

いくら ほかの大名よりも
官位が高いといってもね

それを 返上を
一方的にしろっちゅうのはね

やっぱり 正当性というのか

そういうものからいうと
おかしいですね。

やっぱり
大久保らからすればですね

どうにもこうにも
今までの それまでの

慶喜に対する不信感が
拭いきれないでね

残ったんでしょうね。
だから その

慶喜の王政復古の真意
大政奉還の真意というのはね

本当かどうかっちゅうことを
問いただすというんですかね

そういう試金石みたいな形で
したんでしょうね。

非常に変なやり方ですけどね。

(大竹)私も
無理筋だと思います。

ただ…

やっぱり ある藩主の下で

その土地 人民が
支配されるというふうな

そういう支配体系っていうのを
変えたいっていうのが

あったと思うんです。

やっぱり
税収を上げないといけないので

本当に 各藩が税金を
納めてくれるのかというときに

やはり 慶喜の資産を

先に召し上げるというところまで
いかないと

ほかの藩も従わないんじゃないか
っていうことだったと思います。

これはね どうしても やっぱり
辞官納地しないといけないと

大久保や西郷が思うのは…

だから もう
さら地にしないといけない。

とにかく 辞官納地をやって

慶喜が持ってる官僚統治機構を
破壊しないといけないと。

これを 無理筋なんだけど
言いがかりをつけたんですね。

つまり 西郷や大久保っていうのは
慶喜のように

「1 2 3 4」というふうに
順当に… だって いきなり

政府がないところに
政府を作れって

むちゃだよっていうのは
それは慶喜の言うとおりですよ。

うちのがあるんだから
使えばいいじゃないかって。

これは リニアっていうのかな。
経済学的に言ったら

直線思考ですよね。
順を追っていく。


ところが…

「1 2 3… 100!」
とかいうようなことを
やろうとするんですよ。

ハハハ…!
「もう 新しく作る 政府」
みたいな。

ど~んと いっちゃう?
そう。 だから もう

その「100!」っていうのが
戦争に訴えるとか

クーデターを起こすとか

まっすぐ いかないんですよ。
「ビューン!」と こういくような。

異次元のところへいこうとする。
そういう人たちなの。
ああ…。

そういうこともあってなのか
その後の政局では

この… 何ていうか
辞官納地についても

西郷 大久保は

譲歩をしていかなきゃ
いけなくなりますよね。

それは あるときに逆転するから

いろんな 明治維新が
実現するわけですけど。

ただ でも 普通は
革命っていうのは

新しい
正当性の原理を持ってきて

そこから出来る 新しい
政治の原理があるわけですよ。

例えば フランス革命で

王様が殺されたり
するわけじゃないですか。

そのとき
新しい正当性の原理があるわけ。

ここはね まだないんですよね。

これが いけないっていうふうには
思ってはいるんだけれど

王政復古したら
こういうふうになるっていう

新しい民主的なビジョンとかが
まだ はっきりあるわけじゃない。

そうするとね なかなか これは
苦しい立場になりますね

大久保と西郷にとってはね。
う~ん。

実はね…

だから 我々 後の人間はね
王政復古といったら

天皇を中心とするですね
中央集権国家の確立だとか

それから 封建体制の廃絶だとか
そう思うんですけどね

そのレベルじゃ 全然ないです。

だから この王政復古
クーデター段階のレベルではね

もちろん 大久保とか西郷辺りもね
そういうことは

とてもじゃないけど
考えてないんですよ。

むしろ 私は
ものすごく感情的なね

そういう面が この段階は また
強かったんじゃないでしょうかね。

もう とにかく
慶喜を追い詰めろと。

そういうようなね 私情的なね。

だから
多くの藩が言ってるのはね

「今の 幕末の
こういう政治闘争っていうのは

薩摩と幕府の戦いだ」という。
もう いっぱい書いてますよ。

幕府と薩摩がね
個人的に戦って

私戦 私の戦いだって。
なるほど。

(家近)たぶん それは
かなり当たってると思いますよ。

政治的に劣勢に追い込まれる中
西郷と大久保は

いよいよ選択を迫られます。

東京 三田。

江戸時代
薩摩藩上屋敷のあった所である。

この地で
政局を揺るがす事件が勃発した。

旧幕府の治安部隊が
薩摩藩邸を焼き打ちしたのだ。

発端は およそ ひとつき前に
さかのぼる。

そのころ 江戸市中の豪商が

浪士団に襲撃される事件が
頻発していた。

治安部隊は 浪士たちが

薩摩藩に かくまわれていることを
突き止め 引き渡しを要求。

しかし
薩摩が これを拒んだことで

焼き打ちに及んだのだ。

従来 この事件は
武力倒幕のきっかけを
作るため

西郷が 浪士を使って

旧幕府側を挑発した
謀略だとされてきた。

ところが 近年
それとは異なる説が

唱えられている。

根拠となるのは

焼き打ち事件の知らせを聞いた
西郷が

藩の重役に宛てた書簡だ。

「事件を聞いて
大いに驚がくしている。

残念千万の次第」。

家近さんは この書簡から

西郷が浪士の暴発に
関与していなかったことは

明らかだという。

どう見ても これはね

「えらいこと 起こった」というね
そういうことを

率直に書いた書簡だと
私は思いますね。

「茲許にて壮士の者
暴発いたさざるよう

お達し御座候えども

いまだ訳も相分からず」
というのは

「江戸の
薩摩藩邸にいる
浪士たちがね

暴発しないように
図っていたんだけども

暴発してしまった。
だから 訳が分からない」。

これは もう 薩摩藩に対するね
非難になるし

それから ひいては 私は
もっと大きな面でいくとね…

薩摩にとっては
予想もしなかった事態。

政治工作を任されていた
大久保は

このとき どのような策を
練っていたのか?

心の内に分け入ってみよう。

ゆゆしき事態になってしまった。

江戸での騒乱の責任を
問われるようなことになれば

おしまいだ。

新政府の会議では
これまでも容堂公や春嶽公に

譲歩を強いられてきた。

このうえ 慶喜まで加わって
科を追及されれば

我が薩摩は
完全に主導権を失ってしまう。

そうなっては この国の変革など
夢のまた夢。

やはり ここは
武力に訴えるしかない!

幸い 我らには長州という
心強い味方がいる。

共に動けば
旧幕府軍相手でも十分に戦える!

薩摩と軍事同盟を結んでいた
長州藩は

クーデターのとき
1, 000人を超える兵力を率いて

上京していた。

これと薩摩の兵力を合わせれば
4, 000人近く。

武力で政局を転換させることも
十分可能と踏んだのだ。

一方 軍事指揮官である西郷には

大久保とは異なる選択肢も
浮かんでいた。

大久保は
戦を仕掛けるつもりらしいが

今は まだ その時ではない。

一旦 薩摩へ戻り

時機を待つ手も
あるのではないか?

大政奉還以来
旧幕府の上方での兵力は

増え続けている。
今では 1万を超えたらしい。

敵軍も
我らをしのぐ最新式の兵器を

そろえているとも聞く。

これと真正面からぶつかるのは
大きな危険を伴う。

ここは 一旦
新政府から距離を置き

国許で力を蓄えたうえで

改めて 中央政局に乗り出すのも
一案か。

このころ 西郷は
藩の重役に宛てた書簡で

情勢が好転しないいらだちを
こぼしている。

そして…。

慶応4年1月2日

慶喜は 1万5, 000もの旧幕府軍を
京都へ向けて進発させた。

目的は
西郷や大久保はじめ

敵対する薩摩藩士を
新政府から排除すること。

巨大な軍事力を背景にした

慶喜の一大デモンストレーション。

西郷と大久保に選択が迫られた。

さあ いよいよ
西郷 大久保に選択が迫られます。

ここで武力倒幕に踏み切るのか

それとも まだ時期尚早と考えて
機会を待つのか。

まず 大竹さん
どちらを選びますか?

はい。
2の「時機を待つ」ですね。

やはり 経済学的に考えると

1万5, 000と4, 000ですから
勝てる確率は小さいですよね。

そのときに 負けたときの損害
というのを考えましょう。

そうすると
すべて失うわけですね。

ところがですね
ここで 時機を待って

引いたとすればですね
もちろん 新政府に参加できない。

けれども
全部を失うわけじゃない。

だから より失うものが小さい。

だから そうすると わざわざ
負ける確率が高いところに

打って出てですね
すべてを失うよりは

一旦 引いて
安全を確保するというのが

経済学者としての答えですね。
非常に つまらなくてすみません。

いやいや いやいや…!

私は 1の「武力倒幕」ですね。

これね まずね
時機を待ってたらね

永遠にこないんですよね
時機って 実は。

大体ね 革命… 失敗する革命家
っていうのはですね

必ず それを言うんですよ。
「時期尚早だ」と。

だから 逆に言うとね…

この状況もね そうだと思います。
薩摩藩邸のね 焼き打ちの問題が。

これが 薩摩と慶喜の間のですね
私的な闘争であるというふうに

見られちゃうと まずいですよね。
これで もしね

そのことが問題になってから
攻撃すると

恨みを返してるみたいに
なっちゃうんですね。

ですから それが問題になる前に
勝負に出るしかないんですね。

これは かなり
リスクが高いけれども

でも 勝てばですね

いきなり 自分のほうが
公になるわけです。

ですから これはね どうしても
時期尚早であっても

やるしかないと思うんですね。
はい。

さあ 1対1になりました。
家近さんは いかがでしょうか?

別に 勝負を
決めるわけじゃないんですけど

1の 私は「武力倒幕」ですね。

というのは これは
しかたなかったと思ってるんです。

というのは 薩摩藩から出てる
浪士たちが悪いことしてる。

下手したら…

正当性までね。 これは もう

大久保でなくてもね

窮鼠何とかじゃないですけどね
やっぱり

武力倒幕を決断せざるを
えなかったんじゃないですかね。

さあ 大竹さん 皆さんは
「武力倒幕」を選びましたけれど

改めて いかがですか?
はい。

やっぱり 私は
革命家じゃないんですよ。

でも 革命家っていうのは
やっぱり違うと思うんですよ。

成功確率が 客観的なものじゃ
ないと思うんですね。

行動経済学で
面白いのがあってですね…

ああ…。

恐らく 大久保は
怒りを感じてたんだと思いますね。

非常に小さな可能性を

次々と達成しないと
駄目なんだけど

それが本人にとってみたら
確実に それが起こる

というふうに信じることができた
ということだと思うんですね。

さあ 西郷と大久保 2人の選択
どうなったんでしょうか?

決断が下されたのは

クーデターから24日目
1月2日であった。

大久保は日記に こう記した。

「慶喜は上京して
薩摩の罪を問うつもりだろうが

その機先を制して戦に決する」。

「旧幕府軍の上洛を阻止せよ」と

朝命を受けた大久保に
西郷も同意。

ここに武力倒幕が
決まった。

御所から およそ10キロ
伏見区小枝橋。

京と大坂を結ぶ交通の要衝である。

薩摩 長州両軍は
藩兵をこの付近に布陣させた。

そして…。

1月3日 夕刻。

(砲撃音)

進軍してきた旧幕府軍に

薩摩の大砲が火を噴き
鳥羽・伏見の戦いが始まった。

周到に陣地構築をしていた
薩摩兵の前に

不意をつかれた旧幕府側は
次々と打ち倒されていった。

緒戦の勝利によって
政局は大きく動いた。

その様子は
開戦当日の御所を描いた

この絵からも うかがえる。

御所の要 公家門を守る宇和島藩。

慶喜を支持する勢力が
依然 御所を押さえていた。

ところが よく見ると
藩兵の間を通り抜け

門を次々と入っていく
公家たちの姿が描かれている。

すでに戦場から 早馬なんかで
いろいろ

知らせが来るんですね。
そうすると…

彼らは 岩倉など
倒幕派の公家だけでなく

西郷や大久保ら薩摩藩士にまで
競って面会を求めた。

そして 明くる1月4日

戦場に錦の御旗が翻り

さらに
慶喜追討令が発せられると

諸藩は雪崩を打って
新政府側についた。

徳川擁護派だった
土佐の山内容堂も

岩倉に「まだ慶喜を助けるのか」と
問われ

こう答えるほかなかった。

武力倒幕という
危険な賭けに出てまで

西郷や大久保が
手にしようとしたものは

何だったのか?

これは 大政奉還直後の
慶応3年11月

西郷と大久保に近い薩摩藩士が

藩主に提出した建白書である。

全国の藩主が 領地・領民を
天皇に返す「版籍奉還」。

三谷さんは「西郷や大久保の
倒幕の背景には

この精神があったのだ」と
言う。

おおまかに言うと
「一君万民」の体制を

作ろうというのが
理想だったんでしょうね。

そうやって
挙国一致体制を作れれば

西洋からの圧迫も
はね返すことができると。

大久保や西郷たちが
やったことを見ると

これは彼らも 将来像は
共有していたとみえるんですね。

明治維新へと至る25日間の戦い。

勝敗を分けたのは この国の形を
根底から変えようという

西郷と大久保の固い志だった。

さあ 西郷と大久保は 武力倒幕を
選択したわけですけれど

家近さん この選択について
どんな評価をされますか?

そうですね。 やっぱり
大久保は大した男だと思いますね。

慶喜と また違う意味でね
個のレベルでね 決断できる。

それは やっぱり
幕末期における

個人の傑出した人間のね
すごさを感じますね。

ちょっと こう「藩に戻ろうかな」と
思っていた西郷も

大久保の決断には文句なしで
「よし 戦おう」という

感じだったんですか?
人がいいんですよ。

それとね 西郷という人は
そういう面でのね

判断は やっぱり
すごかったと思いますよ。

ここは勝負時だというね。

それを導いたのは
大久保でしょうけどね。

このとき やっぱり
さすがにね 頭にきてるんですよ。

そりゃそうでしょ。 慶喜だって

大政奉還した自分を
新政府から外してね

あまつさえ 江戸の薩摩藩邸でね
悪さの限りを尽くしてね

それの中心は
大久保とか西郷だというんでね

それは怒りはね…
それで怒りをね

抑えきれる人間は
まず いないと思いますよ。

結局 会津 桑名藩兵とか
旧幕臣をね

先駆者として送り込んだんですね。

それが もう決定的なミスですね。

私 家近さんと ちょっと
違う考え方を持ってまして。

慶喜の京への進軍を
許したことが間違えだったと

おっしゃってると
思うんですけれども。

私はですね…

普通 考えると
1万5, 000動かしたら

負けると思って
戦いは やってこない。

これで 戦いを避けて

自分の思うとおりのストーリーが
描けるはずだと。

ところが
そうはならなかったのは

大久保のほうはですね

これは もう勝てるとしか
考えてないわけですよね。

客観的な確率ではなくて

もう 自分は勝って
こういう世の中を作るんだ

っていう信念で動くという
状況になってた。

大久保 西郷側からいくとね

この間ね 二十何日間

どの妥協のポイントでも
妥協をしなかったってことがね

非常に 本当は
リスクが大きいんだけれども

やっぱり のちのち
大きく効いてきたと思いますね。

(大澤)大体 とりあえずは
個別のイシューがあるんですよね。

それだけだったら
大体 解決したり

妥協してきちゃったり
するんですよ。

これで 得るもの得たからいい
ってなっちゃうと

事が起こらないんですよ。
ここで終わっても

「まだまだ まだまだ」って
言い続けるんですね。

「大政奉還したら駄目だ」と
「辞官納地までやれ」と

どんどん どんどん やっていく。
だから この間

一度も妥協しなかった
っていうことはね

非常に良かったと思いますね。

まさに でも このときの選択が

歴史を分けたと
言えるわけですけれど。

改めて 明治維新
今日のお話を踏まえて

この明治維新って何だったのかと。

これは
ものすごい大問題ですけどね。

私は… 今の現代人としてのね

自分に置き換えるとね
やっぱり 時代というのはね

全く思いもかけない形でね
短期間で大きく変わるということ。

そういうことが
ありうるんだということをね

我々に 初めて示した
時代じゃないでしょうかね。

ある意味 衝撃的なことですよ。
勢いというのは。

時代の勢いっていうのは
すごいものですね。

のんべんだらりと 人々が生き

のんべんだらりと
問題を先送りしてね

それでいいのか
みたいな そういうことを

考えさせられるんじゃ
ないですかね。

だからこそ いまだに

幕末維新期というのは
人気があるんじゃないでしょうか。

不可能なことが 時に可能になる
ということを示した実例ですね

明治維新というのは。

つまり いろんな権力が
分散しているけれども

中央集権も あるという。

ちょっと矛盾した要求が
必要なんですよね。

やっぱり
連合政権みたいなものですから

多元性はあるんだけれども
国が全部決めてですね

集権的に どんどん法律を
発効したりするってことは

非常に難しくなりますから
日本の経済発展でもね

非常に苦しいことになったと
思いますね。

ここで 鳥羽・伏見のところでね
徹底したことをやったので

そのときに起動した…
何ていいますか

原理が ずっと最後まで
力を失わずにいく。

そのことが
中央集権も成功したし

平等な社会にも成功したと

そういうことだと思いますね。
うんうん…。

最後に 磯田さん。
明治維新の意義。

つまり 慶喜が…
大名連合政府が敗れて

「奇跡的に」と
あえて言いたいけれども

薩長を中心とした政権が出来たと。

この政権の性格というのは
何なんだろうということを

やっぱり 考えるんですよね。

いいイメージで言えば
非常にスピード感があって…

産業を早く興したり
民主化というか

「一君の下 万民平等」
みたいなことは

早くやってしまうと。

しかし その一方で
非常に過激性を持ってて

ある意味…

考えてみたら
何なんだろうと思うと

薩長っちゅうのは
やっぱり これは…

外国から見たら 侵略性が
高いとさえいわれるような

政権になったことが
この後の 恐らく 我々の

近代を日本人が生きていくものを
決めただろうと。

それで ひょっとしたら
昭和の敗戦というのは

この猛々しさの結果が

やっぱり 外国で戦いを行ったり
とかいうことで

もっと強いものと
ぶつかってしまい

アメリカですよね。
アメリカをはじめとする国々と。

それで やっぱり 昭和の敗戦を
もたらしたのではないかと。

一応 終止符が
置かれてくるという

歴史過程だったんじゃないかな
という気はするので。

これ 「慶喜」対「西郷 大久保」
というものだけれど

実際には
本当 昭和の敗戦に至るまで

僕らの運命に 相当 関わってる

歴史過程だというふうに
感じました。

皆さん 今日は
ありがとうございました。

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