偉人たちの健康診断「福澤諭吉 運動し過ぎにご用心!」 関根勤、カンニング竹山、北斗晶、本郷和人、植田美津恵



出典:『偉人たちの健康診断「福澤諭吉 運動し過ぎにご用心!」』の番組情報(EPGから引用)


偉人たちの健康診断「福澤諭吉 運動し過ぎにご用心!」[字]


一万円札でおなじみ福澤諭吉。健康のために熱心に「運動」に取り組んだことが、思わぬ悲劇をもたらす。さらに、ちょっと人には知られたくない諭吉先生の英語力が明らかに!


詳細情報

番組内容

「運動することで健康になる。」今ではあたりまえとなったこの考え方を日本に広めたのは福澤諭吉だった。諭吉自身「居合い」と「米つき」を日々の運動に取り入れ、周囲が驚くほど熱心に取り組んだ。しかし高齢になってからも激しい運動を続けたことが「脳出血」を引き起こすことに…。諭吉の健康法を現代の目で検証。さらに、優れた英語の文章を書けた諭吉が、英会話は苦手だったことが判明!なぜ日本人は英語が話せないのか?

出演者

【出演】関根勤,カンニング竹山,北斗晶,本郷和人,植田美津恵,【司会】渡邊あゆみ




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偉人たちの健康診断「福澤諭吉 運動し過ぎにご用心!」
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「偉人たちの健康診断」。

「天は 人の上に人をつくらず」。

今回は…

明治5年に出版された
「学問のすすめ」が売れに売れ…

抜群の英語力で立身出世を成した諭吉。

でも 会話の方はというと…。

まるで ルー大柴さん?

諭吉は ロンドンで 日本にはなかった
新しい考えに出会います。

それは…

(諭吉)そうか これは見習うべきだ。

帰国後 諭吉は早速…

諭吉の考えは 明治の世に広まり
こんな体操が はやりました。

ただ やり方が この棒に持ってかれて
どうしていいか分かんなくなっちゃう。

諭吉は 自らも健康のため 日々
激しい運動をして 汗を流します。

ところが…。

ああ… ああっ。
あなた。

それが かえって
深刻な病を引き起こすことに…。

♬~

健康のヒントは 歴史にあり。
「偉人たちの健康診断」。

皆様 こんばんは。
「偉人たちの健康診断」です。

今日 ご一緒していただくのは
こちらの方々。

どうぞ よろしくお願いいたします。
(3人)お願いします。

今回 北斗 晶さん
初めての参加ということなんですが

3年前に大病をされて 今 健康面で
気を遣っていらっしゃることというと?

健康面で気を遣ってることは
全くないです。

好きなものを食べて
好きなところに行って 大笑いして

でも 1か月に1回の検診は
欠かさず行ってます。

大笑いするのがいいんじゃないですか?
やっぱり。

そうですねぇ。
うわ~っていうのが。

よろしくお願いいたします。
お願いします。

そして 歴史面からは本郷和人さん
医療・健康面からは 植田美津恵さん。

どうぞ よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。

さあ 今日 健康診断いたしますのは
こちらの方です。

あ~!

高額納税者の皆様方にとっては 日々
ご覧になっているお顔でございましょう。

いや~ お世話になってますよね。
お世話になってますか。

(北斗)大好きな顔です。
大好きな顔?

大好きな顔。
大好きです。

あちらの方を出して くずす時
ちょっと やっぱり さみしいんですよね。

持っていたい。
はい。

でも イメージとしては どういう…。

北斗さんは どんな?

私は もうとにかく一万円札。
はい 大好きな顔。 はい。

福々しい感じですよね。
はい。

竹山さんは?

「天は人の上に何ちゃらかんちゃら」って
ありましたよね。

でも正直 何の人か全然知らないですね。
福澤諭吉って何なんだろって。
確かに。

学者ですか?
学者って感じだよね。

本郷先生 どういう人ですか?
え~と 教育者なんですよ。

福澤先生が残された とても有名な言葉。

(関根)これ 福澤先生?
(本郷)そうです。

マークが 何か そんな…。
あ 校章がねぇ。

ペンとペン。
これが慶応です。

ペンは いかに世の中を
明るくするか 良くするか。

そういう方です。
(関根)なるほど。

ということは もう常に冷静で
人格者だったわけですよね。

いや 結構ね
怒りっぽい人だったんですよね。

だけど ともかく福澤先生が優れている
というか 本当に偉いなぁと思うのは

絶対 いわゆる政治家だとか

それから そういう方たちの権威に
屈服しなかったんです。

プライドは非常に高くて

それで 何て言うかな
自分は若い世代を育てるんだと。

それで国に貢献するんだと。

そういうことを
常に言ってらっしゃった方ですね。

でも その福澤諭吉にも
意外な素顔がね あるようですので

今日は その辺りに迫りながら
健康診断をしてまいろうと思います。

幕末。

ペリー来航をきっかけに
日本は開国しました。

250年続いた幕藩体制が揺らぎ
社会も政治も変革の時を迎えました。

そんな中 諭吉は 新しい知識を求めて
幕府の使節に加わり 海を渡ります。

アメリカやヨーロッパ各国を巡り

そこで目の当たりにしたのが…

諭吉は 日本の後れに危機感を抱き
必死に未知の文化を学びます。

政治 医療 科学技術。

日本にはない さまざまな知識を
諭吉は 海外から もたらしました。

その一つが 「健康」です。

健康という言葉は 明治時代になって
諭吉が一般に広めた言葉で

それまで 病気は「養生」によって防ぐと
考えられていました。

それは 人間の三大欲を抑える
つまり

「食べすぎは禁物」。

「夜の営みは ほどほどに」。

「惰眠をむさぼるな」といった教えでした。

諭吉が ロンドンで出会ったのは
病気を防ぐための新しい考え方でした。

名門校 キングス・カレッジを
訪ねた時のこと。

そこで 驚きの光景を目にします。

諭吉が目にしたのは
恐らく このような運動でした。

こちらは 19世紀のロンドンの女学校。

ロープにつかまって ぐるぐる回ったり

鉄棒や雲梯にぶら下がったりしています。

この運動 一体
どんな健康効果があるのでしょうか?

ロープやブランコなど
揺れを伴う器具は

遠心力に耐えて
体を動かすので

体幹が鍛えられます。

一つ一つの器具は
強い力を発揮する無酸素運動ですが

いろいろな器具を 歩きや走りで
つなぐことで 有酸素運動にもなります。

これだけで
バランスの良い運動と言えます。

そうか これは見習うべきだ。

それは まだ日本にはなかった
最新の西洋の考え方でした。

当時の日本人は 体を動かすことは

生きるための労働や 苦しみを伴う修行と
考えていたのです。

帰国後 諭吉は
慶応義塾を設立しました。

こちらは 校内の配置図。

ロンドンでの体験を生かして
運動場を設けました。

そこには ブランコの文字。

諭吉は ブランコの他にシーソーも設置。

どちらも 日本で初めてのことでした。

「ブランコやシーソーなど 運動をやれば
健康になって 学問もすすむ」。

そう考えた諭吉は 塾の規則として

「食後には 運動すべし」と
定め 徹底させました。

多分 やらされる塾生の方も
ちょっと滑稽というかですね

おかしいなと思いながら やってたのが

最初の実情だったんじゃないかな
というふうには思います。

ちょうど 江戸でも…

国は 戦争だといって
熱心になってるけれども…

何か そういう反骨精神みたいなものが
表れてるような気がします。

諭吉は 自宅の裏庭にも
遊具を設けました。

それは なんと…

子供たちの健康を願ってのことです。

もちろん 諭吉自身も
運動には 人一倍 力を入れていました。

諭吉が使っていた運動器具が
大切に保管されていると聞いて

訪ねてみました。

保管先は 横浜にある慶応義塾の小学校。

資料室の奥にあったのは…

ん? 臼と杵?

随分 古風ですね。

諭吉が行っていた運動は 「米つき」。

玄米をついてヌカを取る 精米作業です。

餅つきのように
大きく杵を振るのではなく

一定のリズムをとりながら
杵を上下に動かします。

すると 玄米がこすれて
ヌカが取れます。

体が引き締まる効果が期待できます。

更に 一定のリズムを保ち
呼吸を止めることなく行う

有酸素運動なので 心肺の機能を
高めることにも つながります。

筋力と同時に
心肺機能が高まるという点においては

まさに 諭吉がロンドンで見た
女学生のアスレチックと同様の

運動効果と言えます。

諭吉は 健康のために
米つきを毎日欠かさず行い…

杵の先は すり減って
継ぎ足してあります。

そして臼には 諭吉直筆の詩が…。

臼と杵を 「お前さん」と呼ぶほど
愛していました。

福澤諭吉が米をついてるということは
広く知られていて

当時の塾生の中には
朝 「うんうん」という声を出しながら

福澤諭吉が米をついてると
書き残している人もいますけれども

実際 小屋の中まで行って その姿を見た
という人は非常に限られていたようで

具体的な姿というのは みんな
知らなかったんじゃないかと思います。

諭吉の自宅は 学校に隣接していました。

そのため 米つきの掛け声は
校内に漏れていました。

何の声だ?
先生の米つきの掛け声だ。

先生 忙しいのに
よく そんな時間あるなぁ。

やっぱり 健康第一か。

諭吉の 米をつく姿を描いた想像図が
残っています。

諭吉の亡き後 子供の教育用として
偉人・諭吉の暮らしぶりを描いたものです。

運動しながら勉強する様は
まるで二宮尊徳。

まさか 諭吉が臼と杵を使っていたとは
思いもよらなかったのかもしれません。

健康のために 諭吉が日課にしていた
運動が もう一つあります。

(掛け声)

居合とは
攻撃や防御を行う剣術の型で

素早く刀を抜いて
相手を一撃で倒し 鞘に戻す

この動作を繰り返し行います。

居合は近年 女性や高齢者の間で
徐々に人気が高まっている運動です。

(掛け声)

更に 素早く刀を抜く動作によって…

諭吉は 襦袢一枚になって
毎日 居合に励んでいました。

その数 数百本。

使っていた刀の重さは 1, 160グラム。

バットよりも重い刀を
およそ1時間 振り続けました。

そして 年の瀬には精神鍛錬も兼ねて

居合を 連続で1, 000回続ける
千本抜きに挑戦していました。

これは 62歳の時の記録。

大みそかの
朝8時半から 午後1時まで

休むことなく
4時間半 続けています。

諭吉直筆の文字が
誇らしげに おどります。

諭吉は 年を重ねても
引き締まった体を保ち続け

体力と健康には
人一倍 自信を持っていました。

「私の身長は 173センチ。
体重は 70キロ。

10代後半から還暦を過ぎるまで
増減なし」。

諭吉は その考えを自ら実践して
日本に広めたのです。

(関根)は~ すごいですねぇ。
新しいものを どんどん吸収して。

健康という言葉が 福澤先生が
考えられた言葉だというのに

ちょっと衝撃を受けました。

もっと昔からある言葉なのかと
思ってたので。

学者の間でだけ使われてたんですよ。
(関根)専門用語だったんですね。

専門用語。 オランダ語のね
お医者さんなんかの専門用語。

それを福澤先生が社会に広めたんです。
(関根)は~。

それにしても その
「ペンは剣より…」と言っていながら

一方で 居合には
相当 力を入れていたという。

やっぱり 福澤先生といえば居合。

もう 亡くなる ちょっと前まで
やってたんですよ。

いつも日課にしていた。

強かったんですか?

強いとか何とかっていう
問題じゃないんですね。

(関根)実戦経験は?
全くない。

ヨーロッパに行った時に 手術室か何かを
見学に行ったらしいんですよ。

それを見て うわっ ダメだと言って。

ちょっと あなた 外に行ってくださいって
出されちゃったぐらい血がダメなんです。

ああ そうなんだ。

なるとすれば 内科医です。

でも 修業がありますからね。
あ そうですね。 ああ そうか。

この福澤先生が言っている

運動することによって健康を保つという
この考え方は

明治の世になって
やはり広がっているんですね。

こちらの絵を見ていただきたいと
思います。 これは明治19年。

これは 明治19年

小学校で 体操が必修科目になった時の
様子を描いた絵です。

木製の器具を手に持って
運動をしています。

一体 どんなふうに
やっていたのでしょうか?

実際に体験してみることに…。

よ~い スタート!

1 2 3 4 5 6 7 8。

2 2 3 4 5 6 7 8。
3 2 3 4…。

いかがでございましたか?

ただ やり方が やっぱり この棒…
棒に持ってかれて

どうしていいか
分かんなくなっちゃうという。

でも ゴキゴキいいません?
(竹山)いいます いいます。

動くから。
ですよね。
ああ これはヤバイ!

アレイ組は いかがでしょうか?
(関根)これは楽しいです。

この音がいいです。
そう 音が。

で こういうね
すごく あの… 簡単なんです。

だからね EXILEとか E-girlsのすごさが
分かります。

踊りっぱなしでね。
あんなに動いてるんだもん。

やっぱり 北斗さんは軽いもんですか?
あ もう これは全然軽いです。

私からしたら。
こうやって遊べるぐらい。

なんですけど…

あと 気持ちいいんですよね これが。
(関根)そうそう。

(竹山)音がいい。
(関根)だんだんね
トランス状態になってくるんです。

音 いいんですね。 音ね。
盆踊りしてるみたい。

そんな感じですよね。
そうそう。

まず皆さん 楽しそうだからいいですよね。
それと 全身運動にもなるし

本郷先生みたいに
あんまり 運動やらない方は

まず ここからスタート
という感じじゃないですかね。

これを当時ね 小学校でも子供たちが
やったということになりますから。

すばらしいですね。
はい。 ありがとうございます。

さて 当代随一の西洋学者として
名をはせた福澤諭吉ですが

次は その語学力に注目してみましょう。

福澤諭吉は 現在の大分県にあった
中津藩の下級武士の家に生まれました。

人生の転機が訪れたのは 二十歳の時。

アメリカのペリー提督率いる
黒船4隻が浦賀に来航。

日本に開国を要求したのです。

(諭吉)西洋の進んだ技術を学ばなければ
日本の未来は開けない。

そのためには まず
西洋の言葉を学ばねばならぬ。

諭吉は 蘭学医として有名だった
緒方洪庵が開いた大坂の適塾に入門。

「数年間 死に物狂いになって
オランダの書を読むことを勉強した」。

昼夜を問わずの猛勉強。

入塾から 2年後には
塾頭を任ぜられるまでに。

やがて オランダ語の実力が
中津藩に認められ

江戸に開いた蘭学塾の教師に
任命されました。

ところが 懸命な蘭学修業が
実を結んだと思われたやさき

諭吉の努力は 水の泡となります。

何 やってたんだ…。

それは 外国人相手に
自らの語学力を試そうと

開港したばかりの横浜を
訪れた時のことでした。

外国人の言葉が全く聞き取れず
自分が話す言葉は通じません。

街に書かれた横文字も何が書いてあるのか
全く分からないのです。

「商売人の看板を見ても
読むことができない。

さりとは まことに
つまらぬことをしたわいと

実に落胆してしまった」。

諭吉が訪ねた横浜で
使われていたのは

オランダ語ではなく 英語でした。

諭吉は これからは英語の時代と
頭を切り替え

英語を学ぶ決心を固めます。

早速 先生を探しますが

当時 英語を話すことができる日本人は
ほとんどいませんでした。

英語を話せる通訳は
アメリカとの交渉のために大忙し。

諭吉は 辞書を片手に
一から 独学で英語を学びます。

この英語が
やがて 諭吉の人生を切り開くのです。

翌年
諭吉は英語ができることを売り込み

幕府のアメリカ使節団に
同行することが許されます。

諭吉を乗せた軍艦・咸臨丸は
1860年の春 サンフランシスコに到着。

諭吉ら使節団一行は 初めての西洋文化に
戸惑うばかりでした。

案内された高級ホテルで出されたのは…。

(シャンパンを開ける音)

「徳利の口をあけると 恐ろしい音がして

まず 変なことだと思うたのは
シャンパンだ。

コップの中に浮いているものを
口の中に入れて

肝をつぶしている者もある。

三・四月の暖気の季節に
氷があろうとは思いもよらぬ話」。

諭吉は 進んだ文化に戸惑いながらも
持ち前の好奇心を発揮。

フリータイムに
一人 街に繰り出しました。

諭吉が ひそかに撮影した写真が
残っています。

少女に声をかけて撮った
ツーショットです。

日本へ戻る船の中で
諭吉は同僚たちに

この写真を
見せびらかしました。

まるで
子供のような自慢ぶり。

英語を学び始めて3年後の1862年。

今度は幕府の通訳として ヨーロッパへの
使節団に加わり 各国を巡ります。

滞在中に 諭吉が書いた英語の手紙が
残っています。

パリで懇意になったフランス人に
宛てたものです。

流れるような筆記体です。

英文学と言語学の専門家に 手紙から
諭吉の英語力を評価してもらいました。

正直言って 驚きました。

これだけの文章を たった3年間で
手紙として書けたという事が驚きでした。

特に この印象に受けたのが
本文の最後にある

「Farewell my best friend!」と
いったような

日本語に直せば 「さらば 我が良き友よ」
といった言い方になるでしょうかね。

これが 非常に格調高くて
厳かという印象を受けます。

平出さんが注目したのは
手紙の最後の部分。

「さらば我が良き友よ」の
「さらば」の英語として

普通なら
「goodbye」を使うところを

諭吉は 格調の高い
「farewell」という

英語を使っています。

多分 かなりの文章を読んで
学習したと思いますね。

単に 耳だけの学習ではなくて

たくさん本を読んで
いろんな表現を学んだと思います。

英語を独学で学び 僅か3年で
格調の高い文章を書くことができた諭吉。

さぞかし 英会話の方も
達者だったことでしょう。

と思って 資料を調べてみると
驚きの事実が記されていました。

勝海舟の三男の妻 アメリカ人の
クララ・ホイットニーの日記です。

ええっ? コミカルな話し方って
どんなふうに話していたんでしょう?

「例えば 知事について話す時に…」。

「…といった具合です」。

当代の随一の西洋学者 諭吉の英会話は

なんと
英語と日本語をトゥギャザーした

ルー大柴さんのような
ものだったのです。

なぜ 諭吉は英語と日本語を
トゥギャザーしてしまったのでしょうか?

この文章 英語の部分だけ読みますと…。

日本語に訳しますと 「桐山さんは
親切な人ですが

忙しい 本当に」となります。

これはこれで ちゃんとした文章です。

なぜ こういう話し方をしたのか
これは想像するに

やはり英語で 英会話で
かなり追い詰められていたという

そういう印象を受けます。

普通でしたら 間をもたせる
という事ですから

「let me see」とか 「you know」とか
入れればいいんです。

でも それは入れなかった。 やはり
日本語を入れた方が 心が落ち着いた。

諭吉は 英会話に自信がなく

日本語を挟みながら 言うべき単語を
考えて 話していたようです。

英語を媒介として そういう西洋の
最新の学問知識に触れるんだと。

読めるようになる

で 中身を理解できるようにする
ということが重視されていて…

…という
側面があったんじゃないかと思います。

外国人を前に いざ英語を
しゃべるとなると どぎまぎしてしまう。

そんな 諭吉のような経験
したことないですか?

日本人が 英会話が苦手なのは

英語と日本語のリズムが
全く違うからだといいます。

英語で「I have a book in my hand」という
文章を例にとりますと

今 ここにあるリズムは
タタタン タタタンという…

これを日本語にしたら どうなるか。
「私は 手に本を持っています」。

リズムとすれば
タッタッタッタッタという…

静かな話し方になります。

この違いのために 日本人の場合は
英語を聞いても うまく聞き取れない

話しても うまく話せないという
障害になっていると考えられます。

抑揚のない日本語と
跳ねるようなリズムを持つ英語。

日本語と英語のリズムの違いは
どうしたら乗り越えられるのでしょうか?

発音トレーナーの阿久澤淳子さんに
通じる英語を話すコツを伺いました。

外国人になりきって練習をしてみる
というのが 英語の上達には実は近道。

「渋谷駅は どこですか?」。

これは 伸ばすところを伸ばし
短くなるところは短くして

大げさにやって
英語の このリズムを取り入れると

実は 通じやすい英語になるんですね。
こんなふうに。

こんな感じです。

英米人の日本語には
英語独得のリズムが刻まれています。

そのリズムをまねて しゃべりたい内容を
日本語で話してから

続けて 英語を話すと
通じやすくなるといいます。

英語を話す もう一つのコツが
腹式呼吸です。

…という報告があります。

日本語を話す時のように
ぼそぼそと発音すると

英語は通じにくいので
おなかから声を出す必要があるのです。

ネイティブ相手の英会話に
どぎまぎしてしまった諭吉。

He is 大層 busy,  この節 yes.

サンフランシスコでの
少女とのツーショットも

こんな感じで撮られたのかもしれません。

さあ Let's 是非 take a picture
私とtogether!

Yes! 是非 please.

英会話下手は
今も昔も 日本人の悩みのようです。

面白いですねぇ 今の。
これで しゃべれるようになるのかなぁ。

これ ず~っと やっていくと。

こういう 要するにリズム感の違いが
難しさを増長してたんですね。

だから やっぱり
腹式呼吸ってあるじゃないですか。

僕ね 昔 アメリカの空港で
「No smoking please」って言ったんですよ。

ところが 日本語の発音じゃないですか。

「ノー スモーキング プリーズ」って
言ったら

そしたら向こうの方が
スモーキング 出してきたんです。

だから 「ノー ノー スモーキング。

ノー スモーキング プリーズ」と言ったら
「You said smoking!」って。

要するに
ノーが聞こえないっていうの。

だから あの時に
「ノゥ スモーキング!」って言わないと

ダメなんですよ アメリカ人は。
オーバーに。

だから日本人って 「ノー スモーキング」
こう言っちゃうじゃないですか。

ちょっと恥ずかしいしね。
(関根)そう。

だから 小さい声でモジョモジョって。
すっごい怒られて…。

怒られて?
「You said」って言ってね。

「あんたは スモーキングって
言ったでしょ!」って言われてね。

パッ パッ パーン! パーン! って
出されて

うわっ 文化の違いだなぁと思って。
悔しい。

日本だと あっ すいませんって。

こちらが間違えましたって
なるじゃないですか。

その辺は通じないですね アメリカは。
はっきり主張しないと。

だから 腹式呼吸なんですね。
これでやれば よかったんですよ。

ノー スモーキング。
だから 今 2ポイントありましたよね。

つまり 英語を話す外国人が話すような
日本語のイントネーション。

そして もう一つは あの腹式呼吸。
腹式呼吸。

ええ。 これで
英語が上手になるんじゃないかと。

ポイントは…

腹式呼吸を取り入れると
更に通じやすくなります。

まず これを読んでいただき
この下の英語を。

(関根)じゃあ 続けてですか?
はい。

(北斗)あ 何か すごい!
(拍手)

いいですねぇ!
関根さん すごい!

何かのアナウンス
聞いてるみたい。

何か やっぱり
スーっといける。 不思議!

じゃあ 腹式を入れながら
北斗さん お願いします。      はい。

あ いいですねぇ。
ちょっと いつもと違う。

(拍手)
いい感じ。

そうか 我々 ちょっと
恥ずかしがるんだね。       そうですね。

それがいけないんだ。
まあ だけど僕なんかも そうですよ。

やっぱり 英語の文献は
読まなきゃいけないんですけど

アメリカ人と話さないでいいので
僕 本当に 読むのと書くのは

まあまあ できるんですけど
しゃべれません。

だから 筆談はできるということですよね。
(本郷)うん そう。 筆談はできます。

腹式要らないですね それね。
うん 要らないです。

この腹式呼吸という観点は どうでしょう。
腹式って健康にいいっていいますよね。

インナーマッスルを鍛えますから
おなか 引き締まって。

腹筋に近い運動なので
代謝も良くなりますし

だから 腰痛の方なんかも

なるべく 腹式呼吸をやった方が
いいと言われますね。

そうすると カラオケで
歌なんか歌うといいですよね。

(植田)あ いいですね。
腹式呼吸で歌うから。

そうなんだ。
「そ~う」 あ 分かりました。

健康を保つために 毎日欠かさず
居合と米つきをしていた福澤諭吉。

しかし 65歳の秋
突如 病に襲われます。

うっ… うう…。

諭吉は自宅で突然 頭痛を訴えます。

およそ2時間後。

ああ… ああっ。
あなた 大丈夫ですか?

頭痛は ますます悪化。

諭吉は その後
こん睡状態に陥ります。

一体 諭吉の身に
何が起こったのでしょうか?

臨床的にですね 症状が急激であった。

そして 左側の局所的な強い頭痛で
その後 意識を失ってしまったと。

脳出血の典型的な症状
出た出血の量が多い時に

血液が 脳組織を刺激することによって
強い頭痛を訴えます。

脳出血は 脳内の動脈が破れて
出血する病気。

症状は 頭痛 手足の運動まひ
言語障害など さまざまですが

出血の量や場所によっては…

脳出血の主な原因は 動脈硬化。

動脈硬化は 血管の老化現象で

血管が弾力性を失うことで
出血を起こしやすくなります。

実は 諭吉が
動脈硬化を起こしていたことを

うかがわせる 医師の証言があります。

脳出血を発症する 数年前。

福澤家の家庭医が 諭吉の脈をとるために
手首に触れたところ

「動脈が非常に硬くなっていた」
というのです。

諭吉の場合 特に問題だったと
考えられるのは

動脈硬化にもかかわらず
毎日 居合に励んでいたことだと

脳出血の予防のエキスパート

久保田康彦さんは指摘します。

恐らく…

動脈硬化の人が 運動をやり過ぎると

血圧が上がり 血管に負担がかかって
ますます動脈硬化が悪化します。

すると…

動脈硬化による脳出血。

決して ひと事ではありません。

動脈硬化は
年齢が高くなるほど

進行することが
分かっています。

そのため高齢者ほど 運動のやり過ぎには
注意が必要なのですが…。

厚生労働省の調査によると
年齢別で最も運動をしているのは

男女とも 70歳以上の高齢者なのです。

では 一体…

久保田さんの研究によると
軽いジョギングの場合

1日2時間以上 行うと
出血のリスクが高まります。

水泳の場合は
息が乱れない程度の速さであっても

クロール 1日90分以上で
リスクが高まります。

山歩きも 1日90分以上 歩くと
リスクが高まります。

ちなみに血圧が上140 下90以上の
高血圧の人の場合は 更に…

そればかりではありません。

運動のやり過ぎは 私たちを病気から守る
「免疫力」を低下させることが

近年の研究で分かっています。

ウイルス感染に弱い。

…という
データはございます。

激しい運動をされますと…

免疫が もとより 下がってしまう。

奥村教授の研究データによると

激しいジョギングを30分間 行った場合

運動中は 免疫力が上昇します。

しかし…。

運動を終えると
運動をする前よりも免疫力が下がり

元の水準に戻るには
かなりの時間を要します。

実際 マラソン大会に
参加した人は

しなかった人と比べて

レース後
風邪にかかる確率が

6倍以上に高まるという
データもあります。

健康を保つためだったはずの運動が
災いして 脳出血に倒れた福澤諭吉。

当時 医学界の権威だったドイツ人医師
ベルツが診察に訪れます。

あの… my…。

諭吉は 時折 意識を取り戻し
短い言葉を発しました。

右手には まひの兆候が見られました。

ベルツは深いため息をつき
こう述べます。

言葉を十分に話せず
右手に まひが見られたので

講演や執筆をなりわいとしていた諭吉が
社会復帰するのは難しいと考えたのです。

諭吉は幼いころ 父を奇しくも同じ病気
脳出血で亡くしていました。

下級武士だった父は ただでさえ
俸禄が少なかったうえに

死によって 職務給が支払われなくなり
一家の生活は 一層 苦しくなりました。

女性が外で働くことなど
考えられない時代。

母は 内職などをしながら
諭吉を育て上げました。

母を置いて 大坂の適塾へ向かう気持ちを
諭吉は こう記しています。

「家財は
残らず売り払うて

諸道具もなければ
金もなし

赤貧洗うがごとくにして

他人の来て
訪ねてくれる者もなし。

老母と小さい姪と
タッタ二人残して

出て行くのですから
これには弱りました」。

脳出血を発症してから 40日後
ようやく 体を動かせるまでに回復。

これは 回復後の諭吉の散歩の姿。

言葉に障害が残り
講演活動は難しくなりましたが

まひが起きていた右手は
杖をしっかりと持てるようになりました。

1年後 諭吉は一冊の本を出版します。

女性の自立と活躍を応援する書です。

この中で諭吉は
いまだ色濃く残る

男尊女卑の風潮を
強く批判しました。

「『男女は幼き時より 席を
同じくしてはならない』というが

今の文明世界において
考え直す必要がある。

『子を産まぬ嫁は 家を去るべき』
というが

夫婦間の間で 子ができない原因が
夫にあるのか妻にあるのかは

病理上の問題で 進歩した
現代医学でも解明できない」。

福澤は 今の言葉で言う
ジェンダーバイアスのようなものを

なくさなければいけない
というふうに考えていました。

そうした考え方が変わらないかぎり

人々の生活が
西洋的な 文化的なものになっても

男女の関係は平等になっていかない
というふうに考えたので

人々の意識の問題というところに

福澤は 警鐘を鳴らしたいというふうに
考えたんだと思います。

女性の活躍を応援する 「女大学評論」。

その裏表紙には
諭吉直筆のサインが記されています。

女性に対して偏見を持つ男性にこそ

読んでほしいとの思いがこもっています。

脳出血に倒れてから3年後の 1901年

諭吉は 脳出血を再発します。

発症から およそ1週間後

孫と一緒に お菓子を食べたあと
こう つぶやいたといいます。

諭吉が 再び目を覚ますことは
ありませんでした。

う~ん…。

女性に対する応援というのが
強い人だったんですね。

やっぱり あれですかね
お母さんが 女手一つで苦労して

自分を育ててくれたというところに
何かあったんですかね。

(本郷)でしょうね。
しかも彼女は 5人の子供を育てて

福澤諭吉さんは末っ子だったんですよ。
5番目。

だから もう
大変な苦労をされたんじゃないですかね。

そういう そのお母さんですけれどね

気になるのは 諭吉が この
功成り 名遂げたということを知って

存命中に ご存じだったんですかね。
ええ それはそうなんですね。

それで諭吉は やっぱり 彼がお母さんを
引き取って 大変な孝行をして。

ですから お母さんとしては すごく幸せに
天寿を全うされたんですね。

ただ やっぱり僕 そこら辺で
ちょっと気になっちゃうのは

どうしても その 母として
というのはいいんですけどね

やっぱり まだまだ お若いから
例えば 女性としてというところがね

絶対 許されないじゃないですか。

そこら辺は やっぱり かつての女性は
生きにくいでしょうねぇ。

今 私が この場で こうやって
お仕事をさせていただいてるのも

もしかしたら 福澤先生の

こういうね 言葉があったからかも
しれないじゃないですか。

同じように こうやって皆さんと
座らせていただいて

仕事をさせていただけるのも
そうなのかな なんて

私 今 VTRを見てね 思ったんですけど。

やはり
お母さんのこともあっただろうし

そしてまた 誰もが行かれない時代に
海外に行って。

多分 そのころから
レディーファーストがあったりとか

女性の扱いが全く違う
そういうところを見てきたというのも

大きかったのかなぁなんて
思いましたけど。

面白いアイデアとかを
福澤諭吉先生は出されていて。

例えば 男と女が結婚した時に
男の名字になるというのは何なんだと。

それがもう 自然になってるって
おかしいでしょう。

例えば
関根さんと竹山さんが結婚したら

じゃあ 関山さんというふうに
名乗ればいいじゃないかと。

ああ 合わせるということですか。
ああ!

そういう新しい名字 作ったら
どうなのというような。

随分 早いうちから。
面白い でも そんな。

もちろん それがね いいとは

福澤先生は
思ってなかったかもしれませんけど

ともかく 話し合おうよと。

(関根)そういうことによって
いろんな意見が出てくるから。

(本郷)問題提起。 それがやっぱり ねらい
だったんじゃないかなと思いますね。

実際 それやると 名字がメッチャ増えて
印鑑業者が大変です。

大変ですよね。

ねえ あの 運動のしすぎも
よろしくないということでしたね。

そうですね。 体を鍛えるために
一生懸命 運動して

筋肉も そこそこ つくと思うんですが

そのかわり 血管をいためたり 免疫力が
低下してしまうという傾向があるので

免疫力が低下すると
ただでさえ 私たちは

毎日 数百個から数千個の
がん細胞ができてる。

それを免疫力が… 免疫で消して
その繰り返しをしてるわけです。

ところが 免疫力が落ちると
数百から数千個

毎日できてる がん細胞が
消えなくなってしまうので

そっちが だんだんと
大きくなってしまうというような

メカニズムになってるんです。
免疫力は高めないといけないですよね。

まあ 福澤さんの場合には 62歳の時に
1, 000回 振ってますからね。

お正月 暮れからね。 はい。
やり過ぎですよねぇ。

運動しすぎ ダメというのは ねえ本郷先生
僕らは ちょっと うれしいですよね。

今まで 「運動しなさい!
運動しなさい!」だから。

運動は悪いんですよ。
全く運動しないのもダメです。

運動するには 時間帯としては
どういうところが?

一番 気をつけなきゃいけないのは…

朝の散歩とか どうなんですか?
犬と一緒に散歩してますけど。

散歩ぐらいなら いいんですけれども。

(関根)ジョギングとか?
そうそう。 激しいのはダメで。

なぜかというと
朝起きてから 2~3時間は

私たちの交感神経というのが
活発になるんですね。

そうすると 心臓の機能が上がってくる。

そこに激しい運動をすると
更に血圧も上がり 呼吸数も上がり

そうすると 負担がかかると。

動脈硬化を起こして
脳出血 脳梗塞や心筋梗塞につながる。

(竹山)ジョギングとかだと じゃあ
もう仕事終わって 家 帰って

夜とかの方がいいですか。
(植田)その方がいいですね。

そうなんですよね。

さあ 今日は福澤諭吉さんの
健康診断をしてまいりました。

いかがでございました?

いや 僕は本当に ブランコをね

日本に初めて取り入れたというのを
知らなかったし。

自宅 6メートルって すごいですよね。

それから もう 女性のこともね

ちゃんと きちっと社会的な
ちゃんとした方がいいとかね。

僕 だから今まで 本当に一万円札と
慶応義塾大学しか知らなかったのに

今日 いろんなことが勉強になったね
ほんとに。

だから僕も今 65なんですけども
過度な運動はしないようにと思います。

本当に
関根さんのおっしゃるとおりで

私も慶応と やっぱり一万円札の方という
イメージだけだったんですけど。

だから始まった時に 「この顔 大好き」って
言ったじゃないですか。

こうやって お仕事を
女も させてもらえるようになったので

だから 今後は感謝いたします。
はい。 竹山さん。

全部 スタートは
福澤諭吉さんだったんだということが

何か 今日 分かって
すごく うれしかったのと。

男女差別は いけないんだということも

それも 小さい時から
ずっと学んできたことだから。

全部 福澤先生が これ 考えたんだな
というのを すごく感動したというか

びっくりしたというのがありますね。

でも そのうちに やっぱり これ見ると
ますます 一万円札が好きになりますね。

いとおしいよね。
いとおしいです。

だから 一万円だったんだ
この人! と思えるから。

スリスリしちゃいそうですね。
だから 一万円札なんですよね。

だから 国が選んだんですよね。
立派な人だから。    確かに。

みんなが もう 国民みんなが
好きなものですもんね。

一万円って 一番にね。

一万円を大事にいたしましょう。
ありがとうございました。

♬~

晩年 脳出血で倒れた諭吉を看病し
支えたのは 妻の錦でした。

錦は 中津藩の上級武士の娘。

看病のかたわら
福澤家の帳簿をつけるなど

家庭を懸命に支えました。

女性の自立と活躍を訴えた諭吉は
私生活でも妻を大切にしました。

家に帰ると 「おかえりなさいませ」と
おじぎをして出迎える 武家育ちの妻に

「かしこまって おじぎなど
しないでほしい」と

何度も お願いしたといいます。

諭吉が亡くなったのは 20世紀に
入ったばかりの 1901年2月3日。

5日後に行われた葬儀の日には
三田の自宅から葬儀場へ

学生を中心に 1万5, 000人が列を成し
諭吉の御霊を弔いました。

変革の時代を生きた諭吉が

生涯にわたって ひときわ
こだわり続けたものがあります。

米つきです。

「米つきは自分の仕事」と宣言し
家の者には 決してやらせませんでした。

諭吉が 米つきに こだわったわけ。

それは 「貧しい下級武士」だった
自らのルーツにあるといいます。

米つきっていうのは
恐らく 上級の武士だと

あまり 自分でするようなことでは
ないわけですけど

下級武士で 身分に苦しんで
それをぶっ壊そうというふうに

努力してきたんだと 福澤の中で

位置づけられてたんじゃないかな
というふうに思います。

階級社会に どんなに苦しめられても
大切なものは 命をかけて守る。

それが 諭吉の生き方でした。

自由平等と独立自尊。

激動の時代を生きた福澤諭吉にとって

その尊さは
何ものにも代え難いものだったのです。


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