ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「前田利家 はみ出し者の出世術」 原田龍二、倉田真由美、有野晋哉、岡田准一



出典:『ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「前田利家 はみ出し者の出世術」』の番組情報(EPGから引用)


ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「前田利家 はみ出し者の出世術」[字][再]


司会の岡田准一が戦国のヒーロー前田利家を分析!乱暴者の利家は、信長に憧れ戦国大名を目指す。妻まつや親友・秀吉の助けで、加賀百万石の礎を築いた出世術を読み解く。


詳細情報

番組内容

戦国一のおしどり夫婦と言われ、加賀百万石の礎を築いた前田利家を、司会の岡田准一が豪華ゲストとともにプロファイル!乱暴者の利家は、信長に憧れ戦国大名を目指す。信長や秀吉に使える中、何度もしくじりを繰り返す夫の利家。それを支えた妻まつの驚くべき行動力を、漫画家の倉田真由美が分析。秀吉の右腕となり、周囲から信頼された利家のまっすぐな人間力を、俳優・原田龍二が熱く語る。スタジオでは華麗な加賀文化も紹介。

出演者

【司会】岡田准一,【ゲスト】原田龍二,倉田真由美,有野晋哉(よゐこ)





『ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「前田利家 はみ出し者の出世術」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「前田利家 はみ出し者の出世術」
  1. 利家
  2. 信長
  3. 秀吉
  4. 原田
  5. 思うん
  6. 家康
  7. 何か
  8. 自分
  9. 傾奇者
  10. 倉田


『ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「前田利家 はみ出し者の出世術」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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全国の武将が しのぎを削った 戦国時代。

戦いに明け暮れ 野望と裏切りが渦巻く
イメージですが

天下への野心よりも
家族や親友との絆を第一に

戦乱を生き抜いた武将がいました。

利家と 妻・まつは
「戦国一のおしどり夫婦」と呼ばれ

二人は 加賀百万石の礎を
築いていきます。

しかし その道のりは 決して
平坦なものではありませんでした。

戦国 指折りの勇敢さで知られる…

しかし 気が短く
我を忘れる欠点があった。

怒りのあまり 主人の前で
人を斬り殺してしまうことも。

しくじりばかりだった 若き利家。

だが 次第に周りの人望を集め

大名として
加賀百万石の礎を築いていく。

そんな利家を支えた 3人の人物がいた。

自らも はみ出し者で

常識を打ち破る風雲児だった 信長。

利家の型破りな性格を
見どころありと かわいがった。

理解ある信長の下でこそ
利家は 大活躍できたのだ。

そして 
一国一城の主になってからは

信長から学んだ方法で
国を豊かにしていく。

敵の大軍を前に
尻込みする利家を…

時には 夫・利家の代わりに
交渉することも。

利家と終生の愛を育んだ
まつの内助の功とは?

秀吉は 貧しい時代から
苦楽を共にした仲間。

利家は そんな親友と
天下を争うのではなく

あえて 家臣になる道を選んだ。

秀吉も
利家こそが

最も大切な家臣であると認めた。

豊臣政権のナンバー2として

加賀百万石の豊かさと

華やかな文化の礎をつくった
前田利家。

だが 秀吉の死後
利家の前に巨大な敵が現れる。

立ち向かう利家…

今夜は 一人の戦国武将の成長物語。

はみ出し者から 大出世を遂げた
前田利家の生涯を

プロファイル!

♬~

織田信長に仕えた 10代の頃。

利家は 手のつけられない
乱暴者だったという。

派手な身なりで 町を練り歩き

ケンカと聞けば
喜び勇んで駆けつけた。

利家たちは 「傾奇者」と呼ばれ

周りから 「はみ出し者」として
白い目で見られていた。

そんな利家が 天下統一を目指す…

異例の大出世を
遂げていく。

はみ出し者に
なぜ そんなことができたのか?

前田利家は 1537年

尾張国 荒子村の城主
前田家の4男として生まれた。

尾張の大名・織田信長に仕えることに。

暴れ者の利家にとって…

初めて 戦場に
出た時のこと。

当時 初心者は
戦い慣れた先輩武者が

付きっきりで
指導することになっていた。

しかし利家は 先輩の指導を無視。

真っ先に 敵陣に斬り込んで
首を取ってしまった。

その大胆さに驚いた信長は
こう 言ったという。

以来 利家は 戦に出る度に
武勇伝を作っていった。

右目の下を 矢で射られても

矢が刺さったまま
敵に向かっていき

討ち取ったこともあったという。

身長182cmで 筋骨隆々の利家は

それまでの倍の
6mを超える槍を自在に振り回し…。

「槍の又左」と異名をとるほど
恐れられた。

そんな利家を 信長は
幼名の犬千代から

「犬! 犬!」と呼んで

かわいがったという。

利家は 21歳の時 結婚。

利家とまつは 幼なじみ。

早くに父を亡くした まつは

4歳の頃から
前田家に引き取られ 育てられた。

乱暴者の利家だが
まつのことは いつも気にかけていた。

弓矢で遊んでいるのを見かけると…。

利発でおてんばな まつと 利家は
相思相愛だったという。

結婚の翌年には 長女が生まれ

利家は 何より
家族を大切にした。

そんな幸せから 利家は ある事件で
不幸のどん底に転げ落ちてしまう。

きっかけは 笄という
髪をかく道具だった。

ある時 利家の笄を

信長に仕える茶坊主が
盗んだのだ。

利家は 信長に処分を願い出た。

しかし信長は ささいなことだと
茶坊主を処分しなかった。

それどころか 仲間からは…。

…と うわさされ

ついには 盗んだ茶坊主にまで
笑い者にされてしまう。

ついに利家は

信長の目の前で
茶坊主を斬ってしまった。

あまりの乱暴ぶりに怒った信長は…。

利家を死罪にしようとした。

その後
家臣らの懸命の嘆願で

死罪は免れたものの

利家は 織田家から追放された。

浪人となった利家は
家族を残し 一人 放浪生活に。

食べ物を得るにも 一苦労の日々。

この時の経験が 利家の金銭感覚に
大きな影響を与えたという。

なんとか 信長の家臣に復帰したい 利家。

だが おいそれと
許してくれるはずがない。

利家は 驚くべき行動に出る。

突然 戦場に現れ
勝手に信長軍として戦ったのだ。

ここで 利家は
敵方のつわものの首を いくつも取り

大手柄を立てた。

実は 戦国時代
武士が名誉を挽回する 一番の近道は…

利家は 体を張って

信長の信頼を
再び勝ち取ったのだった。

このころ 利家は生涯の親友と出会う。

後の太閤 豊臣秀吉が
同じ織田家の家臣になっていたのだ。

年齢の近い二人は すぐに意気投合。

秀吉と 妻・おねとの仲を取り持ったのは
利家夫妻だったとも言われる。

32歳の時 一本気な利家ならではの
こんな話が残されている。

前田家の当主だった兄が隠居。

兄は 次の当主に
義理の息子を指名する。

それに 信長が待ったをかけた。

このひと言で 当主は利家に決まり
祝いの席が設けられた。

この時 利家の武勇を褒めていた
客人たちが

「そんな利家を ないがしろにするとは」と
兄の悪口を言い始めた。

すると利家は 強い口調で こう言った。

褒めたつもりの客人たちは
怒る利家に あぜんとしたという。

このころ 信長は
破竹の勢いで領地を拡大し

天下統一への道を ひた走っていた。

甲斐 信濃を支配する
武田家は

信玄が没した後
西に侵攻。

信長は 家康と共に
武田軍と決戦に及ぶ。

最強の呼び声 高い
武田の騎馬隊を封じるには

膨大な数の鉄砲を そろえて
絶え間なく攻撃を仕掛けるしかない。

この戦で 利家は 戦術の要
「鉄砲隊」の指揮隊長を任された。

信長の作戦は ズバリ的中。

利家たちは 大手柄を立てて
味方を…

利家は
こうした功績により…

はみ出し者が 信長に取り立てられ

一国一城の主にまで 成り上がったのだ。

さあ ということで

まっすぐな前田利家という感じが
すごい しましたけども

原田さんは
どういう印象を お持ちですか?

僕は以前 金沢で 毎年 行われている
加賀百万石まつりで

利家さんを やらせて頂いたことが
あったんですよ。

それで 馬に乗って
町を練り歩いた時に

沿道の方たちが 要するに
利家にふんしている僕に対して

すごい声援なんですよ。

その反応を見た時に
やはり 利家さんっていうのが

金沢においての ほんとに
ヒーローだったんだなっていうのが

ひしひしと分かるぐらいに。

傾奇者っていうことでね

アバンギャルドな格好だったと
思うんですよね

当時の人たちにしてみたら。

おしゃれな人って すっごく…

特に 異性に対する発信力は
ありますよね。

へえ~! 有野さんは 前田利家に
どんなイメージがありますか?

僕 日本史の授業とか
そんなんじゃなくて

漫画なんですけど

「花の慶次」で出てくる
その傾奇者の慶次の叔父さんの

前田利家の印象ですね。
何か 顔に傷があるような。

この絵 どう思いますか?

(有野)実際 残ってる肖像画は
これなんですか?

これなんですよ。
(原田)何か 力強さが全然…。

これ ちょっと
あんま 見ないじゃないですか。

ちょっと 雑な感じが…。
雑ですね。 だら~んとしてますよね。

これ 若い頃の。

もちろん これが… こちらが
ちょっと年を重ねた時の肖像画でもある。

(有野)地位が上がった時なんですかね。

描く人によるのかなあ。
(倉田)ねえ だいぶ違いますね 人相ね。

ではですね
最初のテーマ いきたいと思います。

「なぜ はみ出し者が大出世したのか」。

まあ リストの中でも 「織田信長」
これは 重要だと思うんですけども

原田さん 織田信長 いかがですか?

(原田)利家と似てたんじゃないですかね。

似てる?
(原田)似てる部分を

信長さんの中で どこか こう 見つけて

自分の分身ではないですけど

何か こう 信長さん的に
彼の中に理解するものがあって

だからこそ こう
手塩にかけて かわいがったというか。

僕 傾奇者って言われてたんですけど

そんなに 傾奇者じゃ
なかったんじゃないかなって。

おっ! 新論!

新たな… 傾奇者じゃなかった?

利家は。 偉くはなりたいねんけども

その剣の腕だけでは 絶対
偉くならなかったと思うんですよね。

「あいつ 剣 強いねんけどなあ」ってやつ
って 絶対おったと思うんですよ。

「あいつ 傾奇者で
何か ええやん」っていう

ちょっと印象づけるために 計算ずくで
やってたんじゃないかなって。

計算。
(有野)計算。 だから あの…。

いや 全然 戦ってもらっても
かまわないですよ。

多分 全然 違う意見 持たれてると思う。

(倉田)ほんとは 別に
服なんか どうでもよかったみたいな。

服は もう 「信長さん 好きかなあ?」とか
言いながら着るような感じ。

ほんまの傾奇者やったら あの~ 何か

茶坊主に 物を盗られたら
その場で斬ると思うんですよ。

傾奇者やったら。
(倉田)そうですかねえ。

(原田)突発的にですよね?
(有野)突発的に。

むしろ 傾奇者ってことは

かっこつけることが
もう 最大級に大事なこと。

他人から どう見えるかっていうことを
すごく大事にしてただろうから

物を盗られるとか

直接 何か罵倒される
っていうことよりも

笑い者になるっていうのは
もう 命をかけても

もう 許さんっていうぐらいの事だったと
思うんですよね。

じゃあ なぜ 利家は
大出世を遂げたんだと思いますか?

このあとのとこじゃないですか
やっぱり。

もう 追放だって言われてんのに
勝手に 戦に入ってったんでしょ?

これは もう
傾奇チャンスじゃないですか。

戦があるって聞いて

「戦か~ 戦で勝手に行ったら…
いや でも怒るか~。

え? でも待てよ
俺 傾奇者やんけ」っていったら

もう 何でも やっていいですよね。

これは でも計算して
それで戻ったんだと思いますか?

(倉田)いや 私はねえ
そこは ちょっと違って

計算というよりも

人から どう思われるかっていうことが
大事な人間だから

命をかけて戦うことで

信長に いいとこ見せたい
っていうとこなんじゃないですかね。

そうですね 傾奇者の捉え方が
やっぱり こう 変革者っていう

その時代の ちょっとこう
かっこつけている生き方を

捉えた人だと思うので

信長と一緒に うつけをしてたんだと
思うんですよね。

で それなりの牙を
研いでいた人だと思うので

その中で 信長との信頼関係もあるし。

…と同時に 信長さんへの
何というか 恩義というか。

そこが 何か
礎としてあったんじゃないですかね。

普通 だって いくら
信長とつながってたとしても 戦…。

作戦に入ってないんですからね 自分はね。
(原田)何にも知らないわけですもんね。

よほど 自信があったんじゃないかなって。
(倉田)確かにね。

ちょっと でも いろんな意見が出てきて
全然 分からなくなってきましたね。

ハハハハッ!
(原田)繊細なのかね 大胆なのか。

利家に 大きな転機が訪れる。

主君・信長が 家臣の明智光秀の
謀反によって倒れたのだ。

仇である光秀を討ったのは

利家の親友・秀吉だった。

秀吉は この功績で
信長の後継者争いに名乗りをあげる。

裏切りが当たり前の戦場。

そんな中で 器用に立ち回る才能は
利家にはなかった。

しかし利家は
秀吉から 絶大な信頼を寄せられ

政権のナンバー2になる。

利家は…

信長の死後 後継者を決める
清洲会議が開かれた。

幼い跡継ぎを立て

後見人として…

両者は激しく対立。

その間で 板挟みになったのが
利家だった。

勝家は
利家の上司であり

かつて 信長を怒らせてしまった時に

死罪から救ってくれた…

一方 秀吉は親友。

11人の子供を授かり
子宝に恵まれた 利家とまつは

子供ができなかった秀吉夫妻に…

上司への恩義をとるか
親友との友情をとるか。

利家は 苦渋の決断を迫られた。

秀吉と勝家の対立は
とうとう 戦に発展してしまう。

琵琶湖の北で
繰り広げられた…

悩んだ末に 利家は
恩義を重視し

勝家に味方して
出陣した。

ところが いざ戦闘が始まると…

利家は 突如
戦場から撤退。

勝家に味方したものの…

利家の離脱によって
戦局は 一気に…

結果…

この時の 利家と秀吉の行動について

「川角太閤記」には

次のように
記されている。

秀吉は 敗走する勝家を追う途中
利家の城へ わざわざ立ち寄った。

利家に その本心を聞こうとしたのだ。

だが利家は
部屋に籠もって 出てこない。

親友を裏切って 敵対した自分には
今更 合わせる顔がないというのだ。

このままでは…

そんな危機感を抱いたのは…

妻のまつだった。

秀吉を 丁重に迎えたまつは
最初に こう言った。

秀吉の勝ちを たたえることで

利家が敵対したのは
本意ではなかったと

はっきり伝えたのである。

すると 秀吉は…。

まつの思いを理解し
娘の話に 花を咲かせたのだった。

最後に 秀吉は言った。

まつは この申し出を
利家に相談せず その場で引き受けた。

そして利家に 秀吉の言葉に従い

勝家を討ちに出るよう
促したのだった。

戦は 秀吉軍の圧勝に終わった。

この後 加賀・能登の二国を与えられた
利家は

居城を 加賀の金沢城に移した。

最大のライバルを倒した秀吉は

残る織田家の敵対勢力と戦い

天下人への道を歩んでゆく。

秀吉に味方する利家にも

戦いの火の粉が 降りかかる。

秀吉の敵が
加賀を攻めてきたのだ。

かつて…

成政は 利家とは
何かにつけて反目していた。

茶坊主が 利家の笄を盗んだ時
利家を おとしめたのも…

成政は
加賀と能登をつなぐ街道の要

末森城を攻撃してきた。

積年の恨みを晴らす時!

自慢の槍を持って立ち向かう… かと
思いきや

利家が向かったのは なんと机。

懸命に取り組んだのは…

兵の数を計算することだった。

浪人時代 経済的に苦労した利家は

戦で大軍を動かすのに
どれだけ お金が かかるか

計算するのが常だったと言われている。

その間にも
成政の攻めは激しさを増し

末森城は
落城寸前に追い込まれてしまう。

ところが 成政より
兵の数が少ない利家は

出陣を ためらって…

ついに まつは こう叫んだ。

「日頃から 兵をケチって
金銀ばかりを ため込むから

いざという時に
兵が少ないなどと弱気になる。

そんなに 金銀が大事ならば

金銀に
槍を突かせたらよいでしょう」と

強烈な皮肉を言って
尻を たたいたのだ。

この檄で目を覚ました利家は
ようやく出陣。

数で上回る成政軍を 何とか退け
城を守ったのである。

やがて 秀吉が大軍を率いて加勢に来ると
成政は降伏した。

これは 秀吉が加賀入りした際

出迎えた利家が着ていたとされる
陣羽織。

丹念に縫い込まれた…

夫の陰ひなたになり
支え続けた まつの愛情を

利家は 終生 裏切ることはなかった。

この後 越中国を与えられた利家は

加賀百万石の礎となる三国を
領有することとなった。

秀吉は 関東を支配下におさめ

ついに…

天下人となった秀吉は
利家を ますます頼りにした。

利家が任されたのは 主に…

はみ出し者だった若い頃からは
想像もできないが

利家は 裏表のない人物として
厚い信頼を寄せられていたのだ。

実際 秀吉配下の大名の間で
こんな会話が交わされたという。

時には 誤解を受け
時には 敵となりながらも

己の信じる道を進んできた 利家。

その まっすぐな生きざまが

いつしか 秀吉政権の右腕として
欠かせない存在になっていた。

前田利家。
だいぶ 飛ばしてきましたけど。

まあ 続いてのテーマ
いきたいと思います。

「なぜ 秀吉の右腕になり得たのか」。

妻の まつのね 動きが
重要だったと思いますが。

(倉田)「この金銀をお持ちになって

槍を お突きになればいいでしょう」って
いうのは ほんとに かなり恥ずかしい。

言われた側は こう… ウッて。

(原田)ウッとなりますよ。
(倉田)ねえ? ウッてくる言葉ですよね。

この浪人時代に
お金で苦労したじゃないですか。

で 逆に怖くなってしまった部分も
あると思うんですよね。

傾奇者だし 大柄だし
男っぽい感じの人に見えて…

最初の賤ヶ岳の戦いでも

やっぱり 命を救ってくれた勝家に
つくんだっていう

その 例えば そういう
強い信念のある人だったら

勝家側について
もしかして 負けてたかもしれないし

勝家と共倒れになってた
可能性もあったけれど

小心なところで
命が救われてるっていうところも

きっと あると思うんですよね。

上司と友情 どっちとるか
っていうとこやったと思うんですよね

この 利家が悩んでたのは。

でも 上司が信長やったら
絶対 上司の方についてたんですけど

「上司っていうても ちょっと弱いし
友情の方 とりたいねんけどなあ。

行くと やっぱり ややこしいし」って。

「行ったら 絶対 俺 どっちかの方に
加勢した時点で勝つから」って。

「ここは 俺 行かれへんねんなあ」
っていうのを

まつには ちょっと
吹き込んでたと思うんですよね。

で 結果 秀吉の方が勝ったから

「あ~ じゃあ
ちょっと まつ頼むわ~」って

言うたと思うんですよね。

(原田)どっちにも つかないで
っていうのは もしかしたら

おまつさんの意見だったりする
可能性もありますよね。

まつ意見 出てきましたか。
まつの策略。

(原田)実は その辺から
まつが こう…。

「ちょっと待っとき!」って?
(原田)裏で 糸を引くじゃないですけど。

とにかく 実は まつの手のひらの上で

利家さんて
転がされてたのかなあっていう。

(倉田)戦況を見ながら
どっちにつくか考えましょうっていう?

(原田)実は まつさんの意見
だったりしたら面白いなっていう。

分かれますね。

前田利家さんのイメージって
ほんとに いろいろあるんですね。

(笑い声)

戦国時代の女の人って
やっぱ強いので

女性が こう おしとやかに
という感じではなく…。

(有野)3歩下がって… とかじゃないよね。

3歩下がってなんか
しないタイプだから

そんなに さっきの言葉が
珍しい言葉ではない。

(有野)このキーワードは
たまたまなんや。

いや まつがね やっぱ
持ち上げられてるんですよね 利家は。

佐々成政も 関係が深い
ライバルだったんだと思うんですよね。

戦うべきなのか
どうするべきなのかって

悩みは 確かにあったんだと
思うんですよね。

考えてることを 計算してるふうに
周りが思っただけで

ほんとは やっぱ 何かこう
戦いたくないとか 戦うべきなのかとか

どこで打って出るのかとか
っていうことを

こう 考えてる時間が
そう 思われてたのかなって

個人的には思ってます。

(原田)演じてたということじゃなくて?
演じてたというよりも

相手の実力も分かってるし

どういうふうにするのが
ベストなのかっていうことを

こう 機を見るタイプの人かな
っていうのを ちょっと…。

金沢を代表する名所…

…に代表される 見事な工芸品。

北陸には 今も
加賀百万石の文化が息づいている。

その礎を築いた 前田利家は

領国経営で 卓越した手腕を発揮し
国を豊かにした。

加賀百万石の国づくり。 その秘密に迫る。

利家は 48歳で

北陸3か国に及ぶ
広大な領地を与えられた。

金沢に入った利家が
最初に行ったのは…。

実は この政策は
利家のオリジナルではなかった。

若き日に仕えた
織田信長を まねたものである。

利家は 信長の検地を手本にし
更に発展させた。

これは 利家が北陸に来たばかりの頃に
作った 検地帳。

まず 田畑一つ一つを測量。

上中下に格付けし
とれる作物の量を計算した。

次に これを
村ごとに合計する。

一番 細かな単位の
勺まで割り出し

年貢を定めた。

ここまで正確に測る検地は
利家ならではだった。

こうした政策を支えたのが 利家の特技。
それは…。

利家は ふだんから
携帯用のそろばんを持ち歩き

米やお金の収支を計算していた。

そして このそろばんを使う独特な部署を
全国に先駆けて設けたという。

「御算用場」と呼ばれる
経理専門の部署だ。

当時の金沢城の図にも
「御算用場」の場所が書かれている。

最盛期には 150人もの武士が

ここで…

こうして利家は
年貢や支出を 正確に把握して

合理的な領地経営を行っていく。

利家が
経済に関心を持つようになったのは

浪人時代と言われている。

信長から追放処分を受け
酒をあおっては ケンカを繰り返す日々。

ある時 名古屋の熱田神宮の
神職のもとに身を寄せた。

神職は 利家を いきなり書庫へ閉じ込め
こう 言ったという。

このことが きっかけで
本を読むようになった利家は

古今東西の知識を吸収。

国づくりに 大いに役立ったという。

利家は後に
勉強の大切さを こう 述べている。

信長に 大きく影響を受けた
利家の国づくり。

しかし 信長を
見習わなかったこともある。

それは 家臣を監視する…

当時の大名家では
目付を設けるのが普通だったが

利家は 家臣たちが
お互いの監視をすれば

疑心暗鬼になるかもしれないと

目付を置かなかったのだ。

信長と同じく

家臣に強い忠誠心を望んだ 利家。

しかし その方法は 信長とは真逆で

家臣に 温かく接することで
かなえようとしたのだった。

更に 利家は

自ら 家臣たちに
手紙の作法まで説いていた。

家臣の字が あまりに汚い時には
書き直させたり…

豪快な見た目からは想像できない
こまやかな心遣いで

家臣や諸大名の人望を集めていった。

こうした利家のもとで
加賀藩は 国を富ませ

豊かな文化を花開かせていった。

さあ ということで 利家の人間らしさと
統治能力みたいなものをね

見ていきましたけども

さて 今 皆さんの前にですね
和菓子とお茶が置かれておりますが

有野さん どうしてだか分かりますか?

(有野)えっ!

いえいえいえ 僕が作ったわけじゃ
ないです。 なぜ 置いたか。

何ですか?
実はですね 利家が礎を築いた金沢。

ここはですね 現在

日本三大和菓子処の一つという。

こちら ありますのは

「五色生菓子」という
金沢の伝統的な和菓子。

400年以上 歴史ある
和菓子となっております。

食べてみましょう。
(原田)あっ いいんですか?

どうぞ。
(倉田)ボリュームあるな。

(原田)甘すぎず…。
あっ 優しい甘さや。

うん。 めちゃくちゃ柔らかい甘さ。
おいしい。

あっ… シンプルな。
(原田)そうですよね シンプル。

シンプルな味。 おいしい。

実は これも信長の影響だった。

それは 茶の湯。

茶の湯には欠かせないものとして

和菓子作りは 金沢で盛んになり
現在に至る。

利家も 茶の湯の千利休の弟子となって
学んだと。

(倉田)そうだったんですか!
ちゃんと 弟子にもなって。

…と思えば
そろばんも やったりね。

そうですよね。
ね~!

文武二道をね できるっていうのは

目指すべきだ みたいなことを
言ってますけど

どうですか? 加賀百万石の礎を築いた
利家ですけども。

だから どういうふうにすれば
その自分の国が潤うかっていうことも

分かってた方かもしれないですよね。

(倉田)すごいですよね そう考えると。

で 細かく
検地してたんかもしれないですね。

…だし 経済という概念を
持っていたこと

加賀百万石という場所での
統治のこまやかさ

それを 信長のまねだとは
僕は あんまり思わないので

それは まあ やり方として
正しいやり方を

いいものは取り入れて

まっすぐに生きている
利家像みたいなのが 僕は見えるので

現実的な人なのかなという感じがね
ちょっと してますけどね。

(倉田)やっぱ 賢い人だなと思うのが

信長の いいとこ取りしてるな
っていうか

結局 信長は
部下に裏切られて 死にましたよね。

目付を置くっていうことに関しては
失敗だったっていうふうに判断して

目付は置かなかったっていうのも
賢いなと思って。

人心掌握が
だから すごく うまい人ですよね。

まあ 利家は 上司のいいところを
取り入れていきますけども

じゃあ 上司を倒して
自分が天下人になろうっていう意識は

考えなかったと思いますか?

まあ 秀吉さんとか 信長さんを見ていて

天下人しか味わえない
苦労とか 難しさとか

天下を取る難しさみたいなものを
感じ取って

ナンバー2の座の方が

自分には向いてるとか
思ったのかもしれないですよね。

やっぱ したたかやったんじゃ
ないですかね 賢いから。

とにかく やっぱ 死にたくないんですよ。

槍の又左やから 槍を持つ人やから。

とにかく 死にたくなかったと
思うんですよね。

だから トップに立ったら
絶対 寝首をかかれるとか。

(原田)まず 狙われますもんね トップは。
うん それを知ってるから

ちょっと下っていうところに
いってたんじゃないですかね。

自分の大事にできる範囲っていうのを
知ってたんじゃないですかね。

150人が経理やって
150人もかかるんだっていう こんだけで。

(倉田)ねえ やっぱ
あのくらいの広さになるとね。

それだけで
パーフェクトにできる範囲というのが

もう 知っていたのか

天下の広さを 甘く見てない感じが
するんですけどねえ。

前田利家が 61歳の時
天下人 豊臣秀吉が死去。

この時 次の天下を狙える人物が
2人いた。

しかし 利家が 自ら
天下を取ろうとすることはなかった。

なぜ 利家は…

秀吉は 死の直前

利家や家康をはじめ
諸大名を枕元に呼び 遺言を残した。

秀吉に 後を託されたものの

利家も
病の床にふせることが多くなっていた。

利家は 病を押して
京の伏見城に赴く。

そこで 7歳の秀頼と共に
諸大名の新年の挨拶を受けた。

秀頼の世話役という役割を
忠実に果たそうとしたのだ。

更に 利家は

「大坂城に秀頼を移すように」
という遺言も 実行しようとする。

だが それに反対する人物がいた。

諸大名の中でも

家康の官位と石高は
群を抜いて高かった。

…というのが持論で
次の天下人を狙っていた。

秀頼の権威が高まることを恐れた
家康は…。

しかし利家は
家康の意見をはねつけた。

正月10日 利家は遺言どおり
秀頼を 大坂城に移した。

ここでも 秀吉の遺志を…

一方 家康は
秀吉の遺言や定めを無視して

天下人への道を 着々と進んでゆく。

秀吉の遺言で禁じられていた
大名家同士の婚姻を行い

徳川の勢力拡大を図ったのだ。

家康の行動を受けて

諸大名は 利家ら豊臣派と
家康派に分かれて対立。

家康の方は いずれは
関ヶ原のような形でね…

天下への野望をあらわにする
家康に対して

利家は ついに直談判を決意。

単身 家康の屋敷に乗り込もうとした。

心配した息子が
一緒に行くと申し出ると…。

利家は 己の命と引き換えに

家康を攻めて
豊臣家を守ろうとしたのだ。

だが 家康の態度は
思いも寄らぬものだった。

家康は 利家を 盛大にもてなし

利家の言うことを
ごもっともと受け入れたのだ。

当てが外れた利家だったが

結局…

その2週間後 利家の病状が悪化。

利家を慕う大名が
大勢 見舞いに訪れる中

意外な人物がやって来る。

なんと あの家康だった。

家康の訪問から 1か月後。

利家の最期を悟った まつは
こう 語りかけたという。

だが 利家は断った。

そして 最後に こう 言ったという。

ということで
利家の生涯を見てまいりましたが。

ほんとに 知れば知るほど
分からないし

何か 魅力にあふれてる人だなあと
思いますね。

何か どうしても 天下人って

どこかで 恨みを買ってたりする
傾向があると思うんですけど

思いやりに たけてる。

まあ 若い頃 暴れてたり
いろんな経験をしたからこそ

人の気持ちが分かる人。

だから 自分だけじゃなくて
みんなで幸せになろうとか

あまり 不幸な人を
出したくなかったのかなっていう

感じはしますよね。

どう 思いますか?

(有野)元は 信長さんに
興味があった人なんですよね。

信長の あの格好 面白いなあ。

うわ~ あの生き方 いいなあ
かっこええな。

天下を追いかけだして
で 秀吉と仲良くしてて

で 自分の加賀っていう国をもらって

加賀百万石 検地したら
すげえ 楽しいやん。

何これ 面白~いって思ったら
自分の国が大事になって

幅を広げるんじゃなくて
ここだけ大事にしようって

思いだしたんじゃないですかね。

やっぱり 私は 傾奇者というか

最後まで やっぱり かっこつけたい
っていうところはあって

秀吉の 最後の遺言を守らない
大事にしないような男っていうふうに

見られたくないとか

平気で 昔の上司を裏切る男に
思われたくないとか

親友に 刃を向ける男と
思われたくないとか

その瞬間瞬間 格好悪い生き方を

したくない人だったのかな
っていうふうに思いますね。

自分の息子じゃなくて

秀吉の息子の秀頼のことを言いながら
亡くなる。

これも やっぱり 最後の
かっこつけなのかなっていうふうに。

美意識ですよね。
はい。

こんだけ 天下人を見続けた人って

他に まあ あんまり近くで
もう いないですよね。

信長という
絶対 天下人になるであろう人物と

天下泰平を目指すっていう

自分たちの力で
これを 一つにまとめきる。

敵をなくして 味方に全部する
っていう感覚で 秀吉まではいて

家康が 露骨に 次は俺だっていう。

それに まあ 利家は そんなにこう
理解が得れなかったというか

何か そこに自分が行くという欲は
そんなにないというか

泰平 みんなが味方で

ほんとに心配して 最後
亡くなっていったのかなっていうのは

思います。

当時としては
やっぱり珍しいというか

人間の こう 尺度。

自分なりの物差しというのを
しっかり持とうと

それが 天下という
在り方だったりとか

文武二道というものを
極めるっていうことも そうだし

今に通じる美意識みたいなのが

すごくあった人なのかな
っていうふうに思うし

「いや~ 嫁が怖くてさ」
みたいなことを

何か 言える強さみたいなのが

持ってる感じが
すごい するんですよね。

そういう意味で すごい何か

魅力的な人だなって
すごく思いますけどね。

っていうことで 今日は皆さん
ありがとうございました。

(有野 倉田 原田)
ありがとうございました。

そうですねえ…。

う~ん 何かやっぱり
現代的な人だと思う。

感覚が
今にも通じるものがある人だと思うし

言葉にすると
何ていう言葉が はまるのかなあって

ずっと 収録してからも
考えてたんですけど

自分の 大事だと思ってる人たちには

きっちり… 恥じない生き方というか。

ものすごい
勉強した人だと思うんですよね。

ものすごい成長って言ったら
変ですけど

天下を狙える場所まで
駆け抜けた

それだけの経験 してきた人だと思うし

何か… う~ん…。

肖像画が… 描き直してあげたい。

(笑い)

そんなこと… そんなこと すいません。

若い頃の肖像画を
是非 ちょっと

もうちょっと いい感じに
描き直してあげてほしいな。


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