偉人たちの健康診断「利休切腹 ウワサの真相!?」 関根勤、カンニング竹山、福田萌、本郷和人、植田美津恵、渡邊あゆみ



出典:『偉人たちの健康診断「利休切腹 ウワサの真相!?」』の番組情報(EPGから引用)


偉人たちの健康診断「利休切腹 ウワサの真相!?」[字]


秀吉に切腹を命じられたとされる戦国時代の茶人・千利休。近年「利休は死んでなかった」という驚きの説が注目を集めている。謎を解く鍵は人々の「うわさ話」にあった!?


詳細情報

番組内容

戦国時代、「お茶」を武器に天下に名を上げた茶人・千利休。歴史の表舞台に登場するのは50歳を過ぎてから。織田信長や豊臣秀吉たちがほれ込んだのは利休の驚異の「記憶力」だった。今回、門外不出の「利休のお宝」を特別に撮影。利休流記憶術のメカニズムに迫る。さらに晩年、秀吉の怒りを買って切腹を命じられたと伝わる利休だが、実は生きていたかもしれない、という驚きの新説を紹介。カギは人々の「うわさ話」にあった!?

出演者

【出演】関根勤,カンニング竹山,福田萌,本郷和人,植田美津恵,【司会】渡邊あゆみ




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偉人たちの健康診断「利休切腹 ウワサの真相!?」
  1. 利休
  2. 秀吉
  3. 家康
  4. 茶室
  5. 切腹
  6. ウワサ
  7. 茶会
  8. 関根
  9. 茶器
  10. 本物


『偉人たちの健康診断「利休切腹 ウワサの真相!?」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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本日 健康診断する偉人は
茶人 千利休。

今に伝わる 日本独自の文化
「茶の湯」を完成させた

戦国時代の芸術家です。

そんな 天才・利休が世に出たのは
実に 50歳を過ぎてから!

まさに スーパーシニアです。

高齢になっても 元気ハツラツで
戦国武将たちと対等に渡り合えた秘密。

それは 年を取っても衰えない
驚異の記憶力にありました。

今回 記憶力を鍛えるために利休が使った
「お宝」を特別に撮影。

更に 利休がつくった茶室を再現して
分かった 「茶会」の意外な効果とは?

これで ちょっと…

(雷鳴)

そして 利休切腹。

しかし 利休は生きていたという
驚きの説が!

鍵は 人々のウワサ話。

現場では 何が起きていたのか?

大胆な推理で歴史の謎に挑みます。

♬~

健康のヒントは歴史にあり。
「偉人たちの健康診断」。

♬~

(拍手)

皆様 こんばんは。
「偉人たちの健康診断」でございます。

今日 ご一緒して頂くのは
こちらの方々です。

どうぞよろしくお願いいたします。
(3人)お願いします。

さて 今回初めて ご参加頂きます
福田 萌さん。    はい。

ご主人様は オリエンタルラジオの
中田敦彦さん。    はい。

お子さん もうお二人いらっしゃる。
あ そうです。

ご主人は 不規則な生活で
いらっしゃいましょう?

そうですね やっぱり忙しいというか

休みも
ほとんどないような感じですけども

彼は サラダを食べるのが大好きで
特に コマツナが大好きで食べてます。

そして 歴史面からは本郷和人さん。

医療面 健康面からは
植田美津恵さんに教えて頂きます。

どうぞよろしくお願いいたします。
(植田 本郷)よろしくお願いいたします。

さて皆様 本日 健康診断いたしますのは
こちらの方でございます。

超有名人ですよね。
はい。

前半生は
あんまり よく分かんないんですね。

50歳からかな よく分かってるのは。
(関根)え~!

その 謎多き
千利休の人生なんですけれども

彼が 齢50にして世に出ることになった
理由は とある能力にありました。

利休が活躍したのは 戦国時代。

刀や鉄砲ではなく
自らの美意識や感性を武器に

時の天下人の寵愛を受け
権力の中枢にまで上り詰めました。

そんな「天下一の茶人」 利休の原点。

それは 意外にも
若き日の「大失敗」にありました。

利休の出身地は 現在の大阪府堺市。

当時 日本随一の国際貿易都市だった
堺の商家に生まれた利休。

身につけるべき教養の一つとして
茶の湯を習い始めます。

しかし 茶の道に進むうえで
大きな悩みがありました。

茶会を開きたいが
客に見せる掛け軸がない。

当時の茶の湯は 茶碗や掛け軸など

高価な中国の舶来品を茶道具として使い
客に披露するのが

「たしなみ」とされていました。

室町時代の足利将軍や
信長 秀吉といった天下人が

こぞって所有していた茶器は
どれも超高級品ばかり。

例えば 「唐物茄子茶入」と呼ばれる
こちらの逸品。

現代の価値で
1億円以上とも言われています。

当時…

堺の商人といえども
それだけ高価な茶道具を

おいそれと買うことなど
できなかったのです。

困り果てた利休のもとに
願ってもないものが持ち込まれました。

それは 墨跡。

中国の…

ええ品ですやろ。
ある高貴な方の品だったもんですわ。

[ 心の声 ] これを飾れば
恥ずかしくない茶会ができる。

いくらになりますか?

実は 売り主が
急に物入りにならはったそうで

特別に 120貫でええと
おっしゃっとりますわ。

120貫?
その数倍はするはずだ。

現代の価値でいえば およそ1, 200万円。
決して安くはありません。

茶人として名を上げたい利休は
必死に金を集め

墨跡を買ったのです。

これなら 誰もが感心し 羨むに違いない。

念願のお宝を手に入れた利休は
茶会を開く前に 仲間に披露することに。

すると…。

あ~らら 残念やわ~。

ほら ここが ちゃいまっしゃろ。

これ 偽物でっせ。

な な 何だって!?

それは 真っ赤な偽物!

利休は まんまと
だまされてしまったのです。

当時の茶会を記録した史料によれば…。

怒りに震え
偽物を破り捨ててしまったといいます。

当時 高価な茶器を 商人や武将たちが
争うように買っていたため

偽物が 多く出回っていたといいます。

茶人として 名を上げるには

本物か偽物かを見極める力
「目利き」が必要だったのです。

高い道具を買う前に 本物と偽物を
見分ける目を養わねば…。

真がんを見分けるには
どうすればよいのか?

鑑定のプロに教えてもらいました。

取り出したのは 赤い茶碗。

江戸時代に活躍した陶芸家 楽了入の…

これは 現在
おいくらなんでしょうか?

素人目には高価に見える
この茶碗も

プロは すぐに偽物だと
見抜くといいます。

なぜ分かるのでしょうか?

そこで 了入の赤楽茶碗の「本物」を
見せてもらうことにしました。

こちらが正真正銘の本物…

まあ 持った感じも…

こちらの 景色が とても出ている…

あと 口をつけた時に…

本物は お茶を飲みやすくするために
へりが滑らか。

見た目からして
口当たりが良いのが分かります。

一方 偽物は粗く作られていて
口当たりが悪そう。

細かい部分の作りが
全く違っていました。

更に 決定的なポイントは
「印」の形。

本物の茶碗の印は
「楽」を崩した字を使っています。

しかし 偽物の茶碗の印は

同じ「楽」でも 形が違います。

本物に触れ
細かな特徴を知り尽くすことが重要。

目利きには数多くの茶器の知識を

データベースのように蓄えることが
必要なのです。

茶器を買い集めなくても
目利きになれる方法はないものか…。

そうだ!

利休は 手早く茶器の知識を蓄える方法を
思いつきます。

ここに 一般公開されていない
利休の貴重な「お宝」が残されていました。

「利休茶入切型」。

利休が作った型紙です。

さまざまな茶器の形が 紙に写し取られ
切り抜かれています。

利休は 一度目にした茶器を
忘れないように

それぞれの細かい特徴を
書き込んでいました。

これは 茶葉を入れる茶入の形を
切り抜いたもの。

釉薬が垂れている様を示す 「なだれ一つ」。

「土は黒め」など
模様や色が書き込まれています。

他の切型にも
釉薬の細かい模様が描かれていました。

利休は 招かれた茶会で見た茶器の特徴を
紙に写し取っていたのです。

これこそが 目利きになるために
利休が編み出した オリジナル記憶法。

しかも これなら
茶器を自分で買う必要もなく 安上がり!

利休は 切型を何度も手に取り
特徴を覚えることで

誰にも負けない 茶器のデータベースを
築き上げていきました。

実は この利休の記憶法…

記憶を効率的に形成するためには
さまざまな感覚 つまり…

脳は 視覚や聴覚 手を動かす時など

感覚によって
活性化する場所が異なります。

茶器を見ることで
「後頭葉」が

触ることで
「頭頂葉」が活性化。

それに加えて利休の場合
紙に切り取り 特徴を書くことで

「前頭葉」が活性化し
特徴を声に出すことで

「側頭葉」も活性化していたと
考えられます。

利休の記憶法は…

独自の記憶法で
超一流の目利きとなった利休。

その評判は
次第に天下へ広まっていきました。

やがて利休の名は
時の天下人 織田信長の耳にも届きます。

(信長)
その方 目利きが優れておると聞いた。

我に仕えて
その力を存分に使うがよいぞ。

こうして
優れた目利きの能力が認められ 利休は…

この時 利休50歳。

利休の名声は
全国に とどろくことになったのです。

すごい。
(関根)はあ~!

いや~ 悪いやつがいるもんですね。
いつの時代も。
売りつけてね。

あんな感じで大物になる人って
必ず どっかで1回 失敗してますよね。

大損こいた的なことあって
勉強になってますよね。

紙を切ったりね 書き込んだり

あれで データを蓄えていくっていうのが
面白い方法ですよね。

そうですよね。 何か 紙で書くって
やっぱり大事なんですね。

今 いろいろデジタルになってきて

私も 自分の娘はデジタル世代で
育つのかなって思ってたんですけど

やっぱり 紙って
記憶が定着するんですか?

ただ メモを取る。

これも よく学校で メモ取りなさいって
言われたんですけれども…

で 記憶したいんだったら…

皆さんはね お仕事柄
もう本当に台本なく 大勢の人の前で

まあ せりふにしても
独自の覚え方って…。

台本 こうやって覚えると
覚えられないけど

立ち稽古で 立ちながら 動きながら
相手のリアクションだとか

そういうのを見ながらやると入りますね。
(竹山)入る。 入りますね 不思議と。

これだけだと入んないね。
そうなんですよね。

だから やっぱりあれ
五感で覚えるんですね。

(植田)そうですね。 関連づけながら

自分なりのイメージ 作りながら
やってるんだと思いますね。

本物か偽物かを見分ける真がん判定は
現代では こんな形に進化。

ブランド品を判定するアプリです。

写真を撮ると 人工知能のAIが

データベースの中から 似た特徴を持つ
1, 000点以上もの商品と比較。

瞬時に 本物かどうかを判定し

本物なら 商品名や型番などを表示する
仕組みです。

このAIによる真がん判定の方法も

頭の中のデータベースを活用する
利休の目利きと

原理的には同じ方法だと言えます。

へ~。

さて 一流の目利きとして
信長に重用された利休なんですが

そんな信長に
あの大事件が襲いかかります。

明智光秀の謀反により
織田信長は命を落とします。

信長の死後 利休は
天下統一に名乗りを上げた秀吉に

すぐさま 召し抱えられます。

秀吉は その後
数々のライバルを打ち倒し

天下人への道を
駆け上がっていきました。

そんな ある日のこと。

利休は 庭一面に咲いた
きれいな朝顔を披露したいと

秀吉を 茶会に招きます。

上機嫌で 利休の庵を訪れた秀吉。

しかし その目に映ったのは…

朝顔が全て刈り取られた無残な庭。

(秀吉)人を招いておいて 何のつもりか!?

憤る秀吉が茶室に入ると

そこには 「一輪の朝顔」が…。

これは 美しい…。

一輪だけ残すことで
朝顔の「美しさ」を際立たせたのです。

しかも…。

庭で刈り取られた朝顔は
秀吉と戦い 敗れ去ったライバルたち。

そして 一輪の朝顔は 熾烈な戦いに
勝ち残る秀吉を表現したものでした。

利休流の このもてなしに
秀吉は 心をわしづかみにされます。

こちらは 利休作と伝わる
今に残る唯一の茶室…

茶室の広さは 僅か二畳。

利休は それまでと趣の異なる
この茶室に

目指す茶の湯の神髄を
込めたといいます。

従来 茶会は書院造りの開放的な部屋で
行われるのが一般的でした。

開放的な茶会とは程遠い
茶室に込めた 利休の思い。

それは…

主人は 客のことを思い
客は 主人のもてなしに感謝する。

互いの心が深く交流することを
目指したのです。

そんな利休の茶が
歴史を動かす時が やって来ます。

1586年 小牧・長久手の戦い。

天下統一を目指す秀吉が

最大のライバル 家康と激突。

兵力で勝る秀吉軍でしたが
家康軍は局地戦で勝利するなど 奮戦。

戦いは こう着状態になり
8か月にも及びました。

戦では らちが明かぬ。

何とか 家康を取り込むことは
できぬものか…。

秀吉は 家康を説得し

和睦に持ち込もうと
考えます。

しかし家康は もともと信長の同盟相手。

格下の存在である
秀吉の説得に

そう簡単に応じるとは
思えません。

なぜ わしが
猿に頭を下げなきゃならんのだ!

秀吉は 何とか会談までこぎつけました。

しかし家康は 会談場所の大坂に
1万の大軍を従えて やって来たのです。

交渉次第では 戦も辞さない覚悟でした。

どうすれば
かたくなな家康の心をほぐせるのか?

一触即発の緊迫した状況で
秀吉は あることを思いつきます。

それは…。

利休を呼べ!

秀吉は 家康との会談を前に
茶会で家康を接待するよう命じたのです。

利休の茶に 和睦交渉が成功するか否かが
託されました。

心理学の専門家は 利休の「茶の湯」には

交渉を有利に進めることができる

仕掛けがあるといいます。

利休が待つ茶室にやって来た 家康。

まず目にしたのは
僅か80cm四方しかない 小さな入り口…

腰につけた刀を外し 身をかがめなければ
中に入れない小ささ。

茶室では身分を取り払うという
利休の考えによるものといわれています。

心理学的に見ると この にじり口には
興味深い効果が…。

身をかがめるだけで
相手を尊敬する気持ちになる?

そんなことが あるのでしょうか?

そもそも 人の感情は 体の反応によって
生じると考えられています。

例えば 怖いものを見た時。

目から入った情報は 「運動野」に送られ

鳥肌が立ちます。

そして 鳥肌が立ったという情報が

「扁桃体」に送られ

恐怖や不安などの感情が生まれるのです。

この脳の働きが 体の反応で
人の感情が左右される理由です。

利休の茶室では 小さい入り口を

頭を下げて くぐらなければならない
という体の動きが 謙虚な気持ちを生み

警戒心を解く効果があったと
考えられるのです。

(家康)失礼致す。

[ 心の声 ]
まずは 話だけでも聞いてみようか。

続いての仕掛けは
僅か二畳という 「茶室の狭さ」。

客の ささいな変化にも気付き
こまやかな もてなしをするために

利休が考えたといわれています。

せ 狭い…。 近い!

利休は 身長が
およそ180cmあったと言われ 大柄な体。

そして家康は おなか回りが大きいため

茶室では 互いの息遣いが聞こえるほど。

実は この距離感にこそ 人の心を動かす
興味深いポイントがあるといいます。

著名な利休と空間を共にするという
非常に…

まあ 簡単に言えば…

日本人の場合 どこまで近づかれると
不快感を感じるのか?

調査したデータがあります。

心理学者 佐藤綾子さんの研究によれば

全くの他人だと およそ110cm以内に
近づかれると 不快感を感じます。

家族や恋人は およそ60cm。

ところが 2畳という狭い空間の場合

パーソナルスペースを
侵された不快感が

逆に好意的な感情に
変わることがあるといいます。

一般には…

不安定な つり橋にいる男性と
安定した橋にいる男性に

それぞれ 同じ女性が話しかけます。

その後 女性に好意を寄せた割合を
調べてみると…。

安定した橋にいた男性よりも

不安定な橋にいた方が

およそ5倍も多く好意を寄せた
という結果に。

その訳は 不安定な橋にいるという
強い緊張感が原因です。

この緊張のドキドキと
女性に好意を持った時のドキドキを

脳が勘違いしたのです。

これと同じ効果が 茶室の中でも
起こっていたと考えられます。

…というのは
好意を持つ相手に対しても起こります。

次第に…

つまり パーソナルスペースを侵された
という緊張感が

逆に 好意を持つことに
つながることがあるというのです。

また 最近話題になった
「壁ドン」。

これにも
同じ効果があります。

パーソナルスペースを無視し
急に近づいてきた男子。

そこで感じる緊張感が
異性に感じるドキドキと結び付き

恋愛感情を持ちやすくなるのです。

一連の利休の こうした策に対して
家康は…

本当に すごいなと…

家康殿 穏やかな茶とは
泡がないものでございます。

(家康)いかにも…。

[ 心の声 ]
この辺りが 潮時かもしれんな。

利休との茶会を終えた…

そればかりか この時 家康が

驚きの行動をとったことが
史料に残っています。

陣羽織とは
戦の時に羽織るもの。

陣羽織が欲しいと
願い出ることは

秀吉の盾になることを意味します。

つまり家康は 秀吉の臣下になることを
自ら 申し出たのです。

利休のもてなしが 最大のライバル
家康の心を動かしたことで

秀吉は 全国統一への大きな足掛かりを
得ることができました。

敵の胸襟を開く 利休の茶。

こうして 利休は秀吉にとって
なくてはならない存在となったのです。

(関根)はあ~。
よくやったな~。

考えられてますねぇ。

それをやっぱり 経験上
利休は分かってたんでしょうね。

秀吉は ここから利休をもっと天下統一に
使っていくんですか?
(本郷)そうです。

今もう 既に家臣になった人間
そういう人間もお茶会に積極的に呼んで

お茶を 利休によって
振る舞わせることによって

結束を固めていく。

で やっぱり
秀吉の部下たちの心をつかむ

それはもう 利休のお茶だった
ということは言えますね。

朝顔の時も そうですし
狭い茶室も そうですけど

何か すごい
すばらしい演出家だなって思いました。

(関根)家康も 千利休に説得されて
下に入ったということによって

後々の天下が来るわけですよね。
(本郷)そういうことです。

だから家康も やっぱ頭がいいですよね。
そこで無理強いしないでね。

全く そのとおり。
(関根)ええ。

やっぱり 何か冷静になって考えてみる
そういう 何ていうかな

心のゆとりみたいなものも 利休が
家康に与えてくれたっていう感じも

あるかもしれませんね。

ここで「利休の2畳の茶室」を 本郷先生と
竹山さんが体験してみることに。

中に入ってみると
どんな感じなのでしょうか?

狭い! 狭いよ!

(関根)でも利休さん 180あって
これ 出はいりしてた。

(本郷)僕 170しかありません。
(笑い声)

じゃあ ちょっと中入りますね。
それでは家康さん はい。

本当は 扉があるってことですよね。
刀 置いてですよね。

(関根)家康さんも でかかったですからね。

一応 カメラを持って
入って頂いてますね 今ね。

(関根)どうですか?
お二人の感じ。

(竹山)うわっ この距離だ。
この距離。 ええ~!

(竹山)近いですね 先生。

どのぐらい お二人 離れてる感じですか?
何センチぐらい?

まあ 40~50cmぐらいですかね。
50cmぐらいですね。

近いですね~。

(本郷)いや~ これ うん
何か 強い香水とか つけてたら。

(竹山)いや もう たまんないですね
臭くてね。

は~!
(竹山)うわ~ 取れた。

(関根)ほんとに近い!
(本郷)こんな感じでございます。

近いですね。
かっぷくのいいお二人で。

これ 多分
ちょっと分かったですけど…

絶対。
なるほど。

すいません 失礼しますって気持ちに
自然となりますよね。

ちょっとお邪魔いたします
という気持ちに。
虚飾を捨てる感じに。

お二人とも ずっと目が合わなくて
伏せてる感じが見受けられるんですけど。

だって…。

(関根)近すぎて?
近すぎて。

でも これで ちょっと…

この閉ざされた空間で
2人で こうやって この距離で話すと。

それは あるかもしれないです。

お二人には このまま
直心の交わりを続けて頂きたいと。

ええ~! そうなんですか。
いやいや 狭すぎるな。

ちょっと お話を伺おうと
思うんですけれども。

単純接触効果というのもありまして

ただ ちょっと触れるだけで
すごく親近感が湧いたりとか。

よく テクニックでね
手相を見てあげるっていって。

あ そうそうそう。
こうやって うわ~といってね。

そうやって 手に取ってもらっただけで

何となく あ 何か
従わなければいけないかなって。

何かモテる女性って 自然と
やっぱり タッチが多い気がします。

(植田)そんな気がします。
そういう人いますよね。

何か やたらと触るように見える女の子。
そうそう。

何か そろそろ もう
出してもらえないですかね。
(笑い声)

何ですかね 先生
これね 壁があるから嫌なのかな。

空気薄い感じになってきました?
うん。 ここは開いてるんだけどな。

どうもありがとうございます。
ご苦労さまでございました。

さて 秀吉の右腕として活躍した
利休なんですが

晩年 秀吉の怒りを買い
やがては切腹を命じられてしまいます。

しかし 実は利休は生きていたかも。

天下統一まで あと一歩に迫った秀吉。

利休は
秀吉の専属の茶人というだけでなく

政治的にも重要な存在になっていました。

実際 九州の大名 大友宗麟が家老に宛てた
手紙には こんなことが書かれています。

つまり 根回しには利休が必要ということ。

1586年 秀吉が九州攻めを行った時

敵として攻められた島津義久は
利休に こんな手紙を送っていました。

秀吉から許してもらうため
一国の大名が口添えを頼むほど

利休の存在は 政治的に
大きなものになっていたのです。

更に 大友宗麟の手紙には

利休でないと 誰も
秀吉に意見できないとも書かれています。

絶対的な秀吉に はっきりと物申すことも
多かったという利休。

そんな利休の人生を
大きく変える事件が起こります。

(雷鳴)

京都にある大徳寺が
利休の寄進のお礼として

山門の上に 利休の木像を設置しました。

これでは 秀吉が山門を通る時

利休の木像の下を
通ることになります。

つまり 利休の股を
くぐるのと同じ。

おのれ 利休
わしを愚弄する気か!

事件から およそ2か月。

利休は 秀吉から
切腹を命じられます。

天正19年2月28日。

利休は 京都の自宅で切腹。

ところが…。

当時の史料には 利休の死に関して
どうにも不可解な記述があるのです。

それは 秀吉が母へ宛てた直筆の手紙。

利休が切腹した翌年に書かれたものです。

そこには
死んだはずの利休の茶を

秀吉が飲んだとも
読める一文があったのです。

利休の亡霊が出たのか?

秀吉の妄想なのか?

実は この手紙こそ 利休が生きていた
証拠だとする専門家がいます。

天正19年の2月に 千利休は
切腹したといわれてますけれども…

中村さんは そもそも
利休切腹の裏付けとされた史料は

信憑性に欠けるというのです。

切腹の根拠とされた史料は
利休が切腹したとされる翌日

京都の北野天満宮の宮司が書いた日記。
そこには…。

この「御成敗」が 切腹のことを指します。

日記には 3つのポイントが
書かれています。

1つ目は 「秀吉が
利休を切腹させた」こと。

2つ目は 「利休の首を
橋にさらした」こと。

そして3つ目は 同時に

「利休の木像が
さらされた」こと。

しかし…。

…というのが 私の見解です。

中村さんが この日記を伝聞だと
判断する理由。

実際に現場を見た者とは…。

京都にいた新兵衛は
伊達家の重臣に知らせるため

現場となった 戻橋で見たことを
記録に残していました。

新兵衛の手紙には

「利休の木像が はりつけに
されている」という

不可思議な光景を見た
群衆が

ざわめく様子が
書かれていました。

しかし
利休が切腹したことや

利休の首が
さらされたことは

書かれていなかったのです。

では 「首がさらされている」という話は
どこから来たのか?

別の興味深い史料が残っています。

利休の木像が はりつけにされた
前日に書かれた日記です。

秀吉に近い公家 西洞院時慶のもので

そこには こんな記述が。

京都でさらし首になったのは奈良の盗賊。

橋にさらされた首は どうやら

利休の首ではなかったようなんです。

つまり その日
現場にあったのは

はりつけにされた
利休の木像と 盗賊の首。

それが いつの間にか
さらされた首は利休で

利休は切腹したのではないか
という

ウワサに つながった。

「北野社家日記」を書いた人は
このウワサを聞き

記録したと考えられる
というのです。

社会情報学の専門家によると

ウワサが広まるには
公式があるといいます。

流布量とは ウワサの広まりやすさ。

多くの人が興味を持ち
その情報が曖昧であればあるほど

ウワサは広まりやすくなるといいます。

例えば 50年ほど前の ビートルズの
ポール・マッカートニー死亡説も

この公式に当てはまります。

世界的に高い人気を誇る
ポールが

自動車事故を起こしたという
ニュースが報道されました。

このころ ビートルズは
コンサートを行わなくなり

ポールは
人前に出なくなっていました。

しかも
ポールが 事故について

コメントを
出さなかったことで

「生死不明」という
曖昧な状況が生まれます。

この曖昧な状況が 臆測を呼び

「ポールが事故死した」というウワサが

世界中に広がったのです。

ファンの間では LPジャケットで

「ポールだけが後ろを向いているのは
死んだからだ」などと

証拠探しが過熱していきました。

利休切腹説の場合も
このウワサの公式が当てはまります。

まず 天下一の茶人である利休の木像が
はりつけにされたという

衝撃的な事件が起きました。

この時 なぜ本人ではなく
木像が はりつけになったのかという

よく分からない状況が生まれます。

この曖昧な状況が 臆測を呼び

「利休が切腹した」というウワサとなって

一気に広まったと考えられるのです。

はりつけになったのが
木像だということになると…

先ほどの 伊達家の家臣 鈴木新兵衛の
手紙には こう記されています。

更に 当時の公家の日記にも。

つまり 逃げて 行方をくらましたと
書かれています。

利休は切腹したのではなく
行方不明になったという

同時代資料が
残っていたのです。

利休の最後は 行方不明。

なぜ こんな不可思議な形で 歴史から
消えることになったのでしょうか?

一つ考えられるのは 徐々に変わり始めた
利休の立場を考慮した秀吉の「配慮」です。

茶坊主は茶坊主らしく
茶だけを点てていればよいものを。

政権内で 政治的影響力を持ちすぎた
利休を嫌う勢力が現れ

内乱の火種となる可能性が
出てきたのです。

もはや 致し方あるまい…。

秀吉は 自分が死んだあとも
豊臣政権を盤石なものとするため

利休を 政治の世界から外す決断を
下したのかもしれません。

木像を はりつけにしたのは

利休が政治的役割を失ったことを
公表するためだと考えられるのです。

♬~

切腹させずに 利休を生かすことを
考えたという秀吉。

真相は いまだ謎のままです。

いや~ いい話でしたね。
ねえ。

生きていたかもしれない。
(関根)…という説があるという。

だって あれほど仲良かった利休を
秀吉が切腹させるというのも

確かに理解し難い話で。
そうですよね。

いきなり お前 死ねって
言わないでしょう 仲いい人に。

(福田)言わないです。
別の方法を考えません?

ただ まあ 歴史的に考えると

石田三成たち 豊臣家の官僚的な武士
それが台頭してきて

新しい 次のステージに
豊臣政権は入っていくんですね。

その時 確かに利休は
まあ 言ってみれば要らなくなる。

それは間違いないんですね。

まあ これも歴史のロマンという。
(関根)そうですね。

まあ ロマンとしてね 楽しむ分には
全然 問題ない。

しかし これの論拠がですね ウワサ話。

そもそも植田先生 人は何で
そんなにウワサ話が好きなんでしょう?

いや~ 好きですよね 今も昔も。
(福田)好きですね。

人というのは
所属欲求というのがありまして

どこかに所属したい。

これは 誰かと一体感を持つことで
満たされるものなんですけれども

ウワサ話をすることで
みんなで気持ちを一つにしたい。

ああ そっか そっか。

だから 冒頭に
「ここだけの話なんだけど」とか

「他の人には言ってないんだけど」
というのがついて

そして ウワサ話が出来上がっていく
という傾向はあると思うんですよね。

さあ 今日はですね 千利休の
健康診断をしてまいりましたが

いかがでしたでしょうか?
いや 僕は あの茶室の造りね。

千利休さんというのは
非常に頭のいい人だなというのがね

分かりましたね。 ええ。

一番最初の大失敗
あれが もう努力の人

利休をつくっていったんだなということが
すごい分かったので

何か 天才ですけど もう
努力の天才だったんだなっていうのを

改めて思いました。
はい。

千利休という人の人生が ミステリアスで
やっぱり面白いなと思ったのと

茶室も 先生と入って 見せて頂いて。
何で お茶を飲ませてくれないんだって。

(笑い声)
飲んだことないから ああいうお茶って。

本郷先生 現代の日本から見て
利休という人の果たした役割 評価は。

室町時代の初めに飲まれていたお茶
けばけばしいんです。

それが どんどん どんどん
無駄なものは削られて 削られて

結局 あの利休の
わび茶というものが出来上がる。

あれは もう日本独特のものですよね。
ヨーロッパとか ないでしょう。

僕たちの わびだとか さびだとか
幽玄だとか やっぱり…

はい。
今日は どうもありがとうございました。

(一同)ありがとうございました。

京都で 前代未聞の茶のイベントが
開かれました。

そこには 利休が夢みた
「もう一つの理想」が込められていました。

当時 京都市中に立てられた高札が
残されています。

茶を楽しむのに 身分や貧富の差はない。

そんな利休の思いが
込められていたのです。

こちらは
その大茶会の様子を描いたものです。

この画期的な茶会は大きな話題を集め

当日 およそ1, 000人もの人が
集まりました。

むしろで 茶を点てる者。

傘一本で茶を点てる者など

皆 思い思いの茶を楽しんだといいます。

利休のもてなしの心は その後
日本文化に深く浸透していきました。

茶会で出された懐石料理は

日本を代表する「和食」として
生まれ変わり…。

茶菓子は 四季の移ろいを彩る
和菓子として大きく発展しました。

花や香 和装なども
茶の湯の影響なしには語れません。

利休が人生をかけて 追い求めた理想は
400年余りの時を超え

日本が世界に誇る 「クールジャパン」の
礎となっているのです。

♬~


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