先人たちの底力 知恵泉「幕末動乱の処世術 島津斉彬 小さな世界をぶち破れ!」 宮内義彦、山本博文、村井美樹、新井秀和


出典:『先人たちの底力 知恵泉「幕末動乱の処世術 島津斉彬 小さな世界をぶち破れ!」』の番組情報(EPGから引用)


先人たちの底力 知恵泉「幕末動乱の処世術 島津斉彬 小さな世界をぶち破れ!」[解][字]


「西郷どん」を抜擢し世に出るきっかけを作った薩摩藩主・島津斉彬。外国の脅威が高まっていた時代、「日本」がまとまるために打った策は、スケールの大きなものだった。


詳細情報

番組内容

開明的な斉彬が藩主になったのは、なんと40歳を過ぎてから。保守的な父に阻まれ疎んじられていたのだ。そんな状況を打開するために斉彬は藩取り潰しを恐れぬ強攻策に出る。藩主になって「オールジャパン」体制を築くという目的のためだった。また「日本」の軍事力産業力を高めようと製鉄・大砲製造・ガラス製造を推進。鹿児島にある博物館「尚古集成館」では斉彬の業績の大きさに加え懐の広さまで窺(うかが)い知ることができる

出演者

【ゲスト】元・オリックス会長…宮内義彦,東京大学史料編纂(さん)所教授…山本博文,村井美樹,【司会】新井秀和


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先人たちの底力 知恵泉「幕末動乱の処世術 島津斉彬 小さな世界をぶち破れ!」
  1. 斉彬
  2. 日本
  3. 自分
  4. 藩主
  5. 宮内
  6. 無茶振
  7. リスク
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  9. 反射炉
  10. リーダー


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新しい時代を切り開くには

思い切った事が必要かも!?

♬「ひとり酒 手酌酒」

♬「演歌を聞きながら」

♬「ホロリ酒」
こんばんは~。

何やってるんですか?
いらっしゃいませ。

カラオケですか?
あ すいません 音 漏れてました?

めちゃくちゃ漏れてましたよ~。
あっ 大変 失礼いたしました。

でも 熱唱で
結構お上手じゃないですか。

そんな事はないんですけど。
どうぞどうぞ お掛け下さい。

お待ちしておりました。

この店って カラオケって
やってましたっけ?

なかったんですよ。
でも 店主として

何か新しい事
始めたいなと思って

導入したんです カラオケ。
最新型でしょ。

最新型!?

う~ん 微妙ですね。
あ そうですか。

ちょっと違いますよね。
違いますね。

駄目ですかね?
だって このお店って

歴史を 落ち着いて
じっくり語り合うっていうのが

楽しい店じゃないですか。

て… 展望ですか!?
え~ そう言われると…。

この店を
どういうふうにしようとかね

そういうのは やっぱし
歴史に学ぶ必要ありますよね。

そうですか。
幕末に ちょうどいい人いますよ。

そうですか。 どんな?

大河でやってる
「西郷どん」のですね

まあ 主君になる人ですけどね。

というと 開明的で有名な
あの方ですよね?     そうです。

今日は是非 その話
聞かせて下さい。

是非 是非。
ねえ。

激動の幕末。

日本が 「開国」か
「攘夷」で吹き荒れていた時代。

将来を読み 先進的な政策を

数々と打ち出していった
リーダーがいました。

西郷隆盛や 大久保利通など

幕末維新の英雄たちを
育て上げた人物です。

近代的な工場を
いち早く建設し

巨大な大砲をはじめ
西洋式軍艦まで建造し

近代日本の礎を築きました。

しかし 斉彬が藩主になれたのは
なんと 40歳を過ぎてから。

当時としては
遅咲きの大名でした。

父の斉興や重臣たちが

斉彬が藩主になる事を

強硬に反対したからです。

一体 なぜ?

それに対し 斉彬は
徳川幕府をも巻き込む

大胆な知恵を使って
藩主となります。

そこには 小さな事には
こだわらない

大きな志があったのです。

開明的な名君 斉彬に
リーダーのあるべき姿を探ります。

その知恵を読み解くのは
経済界の革命児

宮内義彦さんです。

まだ日本に 「リース」という
概念がない時代に

新たな業界として誕生させた
人物です。

パソコンなどのIT機器から
飛行機までリースするという

固定概念を覆す大胆な手法で
業界を発展させてきました。

常に 時代の先を読み

まだ 確立されていない
自然エネルギーや

高齢社会を見据えたサービスにも
取り組み

いつの日か 大きく花開いて
ほしいと 果敢に挑んできました。

経済界の第一人者 宮内さんは

斉彬の知恵を
どのように
読み解くのでしょうか。

あ いらっしゃったかな?

(一同)こんばんは。

お待ちしておりました。
あ どうぞ どうぞ。

え~ 宮内義彦さん
お待ちしておりました。

宮内さんといいますと
時代の先を読んで

新たな事業を 次々と展開されて
きたわけですけれども

どうしたら そういった事が
できるんですかね?

そうですね 古い話に
なりますけどね 私どもの会社は…

13人で。
はい。

ちっちゃな ちっちゃな
会社でしたからですね

それで もう少し会社を
一人前にしないといけない。

何か新しい事をしないと
それができない。

ただ やればいいというわけじゃ
なくて 成功しないといけない。

それでも やっぱり…

それを若干の
成功体験が出るとですね

もっと やろうという気に
なるんですね。

そして 徐々に
大きくなってくると

もう そういうふうに新しい事を
するのが 我々の仕事だと

みんなが思ってしまうわけです。

何ていうかな DNAみたいに
なってしまうわけですね。

ですから それが ずっと
幸いな事に 絶える事なく

今日に至ったかなと
思っております。

先生 でも あの~
動乱の幕末期にですね

斉彬は 先が読めるというのは
すごい事ですよね。

そうですよね。 世の中の人が
全然見た事もないようなものを

本人も見た事がないようなものを
書物だけでね 学んで

新しく家臣たちに
つくらせていくわけですよね。

で どんどん どんどん
薩摩藩を発展させ

薩摩藩だけじゃなくて 日本という
のを強化しようとするって

そういう発想があったからね
そういう事ができたんですかね。

さあ という事で

今日 ご用意いたしましたメニュー
なんですけれども こちらです。

新しい事を…

(笑い声)
どうですか?

かなり だしが
大事な感じの… ねえ。

いいところ
気付きましたね~。

そうなんですよ。
どんな だしなのか。

何が花開くのか

楽しみにして頂ければと
思うんですけれども。

さあ 斉彬は どのように
時代の先を読んで

先進的な政策を次々と打ち出して
いくようになったのか?

まずはですね ゆかりの場所に
私 行って参りましたので

ご覧下さい。

いや~ 桜島 雄大ですね~。

この場所は 島津斉彬が愛した

別邸だという事
なんですけれども

この風景が好きで
大切なお客さんが来た時には

この場所で もてなしていたと
いう事なんですよ。

分かりますよね。
もう 桜島 独り占めですからね。

桜島の雄大な姿を一望できる
島津家の別邸…

斉彬が 幕府の要人まで招き
歓待したという自慢の邸宅です。

しかし 斉彬が 藩主として
この邸宅の主となれたのは

40歳を過ぎてからでした。

なぜ そんなに
遅咲きだったのでしょうか?

江戸の薩摩藩邸で生まれた斉彬は
未来の藩主として

子供時代を江戸で過ごします。

幼い頃から 文武に
たけていた斉彬に

大きな影響を与えた
人物がいました。

重豪は 早くから
蘭学に興味を持ち

海外の文物収集に
力を入れてきた才人でした。

世界地図をつくり…

更には 天体観測を行う
天文館まで設立します。

しかし 当時としては

あまりにも早すぎた西洋文明への
傾倒ぶりだったため

「蘭癖大名」と揶揄されます。

そんな重豪を尊敬し 異国の文物に
強い興味を持ったのが

斉彬でした。

彼は 異国の文明を吸収しようと
必死でした。

これは 斉彬が 当時の言葉を

ローマ字で つづったものです。

18歳の時には
シーボルトが来日した際

重豪と共に シーボルトと面会。

直接 外国人と交流する事で

世界情勢や西欧の科学技術に
更に興味を持ち

その道を深く学んでいきました。

しかし こうした斉彬の
西洋文明への傾倒ぶりを

快く思っていなかった人物が
いました。

斉彬の父…

実は 重豪の蘭癖によって
薩摩藩の財政は破綻し

現在の価値で およそ
5, 000億円もの借金を抱え

その尻拭いを 斉興は
させられていたのです。

その苦い経験から 斉彬が藩主に
なれば 同じように大金を使い

藩を破綻させるに違いないと
危惧したのです。

斉興は 斉彬について
こう語っています。

斉彬を 強い異国に対し
こびを売っている…

…と
見なしています。

更に 西欧の技術を
取り入れようとする姿は

「無用のもの好き」と
あしざまに言っているのです。

斉興は 更に 斉彬の異母兄弟
久光に肩入れし

藩の軍事部門を
任せるようになります。

久光は 斉彬とは異なり
国学に造詣が深く

伝統を重んじる
堅実な人物でした。

その結果 藩内では

斉彬派と 久光派に分かれ
内紛に発展。

斉彬派の
およそ50名が粛清され

斉彬は
窮地に立たされていきます。

しかし それでも 斉彬は

自分が藩主にならねばと
考えていました。

実は 薩摩の行く末を左右する
ある大事件に

衝撃を受けていたからです。

これは 斉彬自らまとめた
「清国阿片戦争始末に関する聞書」。

あのアジアの大国
清が戦争に敗れ

イギリスに植民地化
されている事を
記しています。

西欧列強の次の標的は
日本であると

強い危機感を抱いていたのです。

斉彬は こう考えていました。

藩という
小さい世界の事だけでなく

「日本全体の行く末が
第一」であり

そのためには
薩摩が先んじて
近代化すべきだと。

それに対し 斉興ら重臣たちは

まずは 「薩摩藩が盤石になり
強くなる事が第一」

藩の財政を破綻させてまで

近代化する必要はないと
反対していました。

両者の意見は埋まらず 平行線。

そこで 斉彬は
ある強硬策に出ました。

斉彬は 大胆にも あるものを
利用する事を思いつきます。

それは
徳川幕府の力を借りる事。

斉彬は 若い頃から交流があり

旧知の仲だった
老中 阿部正弘を訪ねます。

斉彬は 阿部に対して

西欧列強の脅威に
立ち向かう事が重要と説得。

開明的な人物で知られる阿部は
これに同調し

斉彬が藩主になる事を望みます。

そのために 2人が打った手は…?

まず 斉興派の家臣たちを
弱体化させるため

前例のない策を講じます。

薩摩藩が 以前から琉球と
行っていた密貿易を突然糾弾し

斉興の右腕である家老を
自害に追い込みます。

斉彬は 薩摩藩が消滅する
危険さえも顧みずに

大きな目標のために
動いたのです。

更に 斉彬と阿部は
なんと将軍まで動かし

斉興に赤い茶入れを与えます。

それは 当時の慣例から

将軍が 大名に隠居を
ほのめかす事を意味していました。

こうして 斉興は隠居。

斉彬は 晴れて藩主となり
大きな目標に突き進んでいきます。

村井さん いかがですか?

なんか 随分
思い切った事をしてましたよね。

そうですね。 まあ 本当に
カリスマ性があって

マクロの視点で物事を見れる人
だったと思うんですけど

それにしても 自分の藩の
暗部をリークしてって

かなり危険な事というか

よくやったなというふうには
思いますね。

宮内さん
ご覧になって いかがですか?

そうですね やはり
この2人の視点といいますかね

よって立つベースが違うと。

ですから…

…という視点で考えると

どちらも とてもリーズナブルな
考え方なんですけれども

斉彬としてはですね

たとえ 父親であり 力を
持ってる人であってもですね

この人を排除しないと 自分の思う
日本国が どうにもならないと。

ですが 彼としては
どういうのかな

やむをえず やった事であり

しかも やるという勇気は
大したもんだと思いますね。

宮内さんは 次々と新しい事に
挑戦されてきてですね

時代を どう読んで 発想して

そのリース業というものを
始められたんですか?

結局 リース業というのは
日本になかったわけですね。
はい。

だけど アメリカで
とても発展してるから

これを持ってこようという

そういうベンチャービジネス
だったわけですよ。

だけど 日本の従来の
例えば きっちりした

大企業にとりましては もう
自分の城があるわけですからね

そういう冒険をしなくてもいい。

私どもは 城もないと。
まあ 野武士みたいなもんですね。

なんとか城を築きたい
というような気持ちが

あったと思いますね。

だから リース業というのは
実質的には 金融事業なんですね。

ですから 当時の
日本の金融業というのは

銀行さんが
真ん中へ ドンと座ってですね

銀行に 自分の事業を
よく見てもらって

これならいいというところに
資金を得てというようなので

この産業というのは
成り立ってたわけですね。

そこへ ちっちゃなもんだけれども
新しい金融手段ができたわけです。

当時の銀行さんから見ると
新しい 妙なものが出てきて

それが どんどん大きくなり
資本市場を大きくする

きっかけになるという事で
長い目で見るとですね

どういうのかな 平地に
乱を起こされたような事が

感じがあったかも分からない。

でも いろんな軋轢が
生まれそうなんですけれども

そういうものも
あったんじゃないんですか。

それはね やっぱり
新興勢力というのは いわゆる…

やはり できるだけ協力している
部分を探してですね…

斉彬は その点 どうだったん
ですかね?       そうですねぇ。

まあ 薩摩藩というのは
エスタブリッシュメントなわけですよね。

もう きちんとした大藩でね。
ええ。

その中で 自分は まだ
世嗣でしかないわけですよね。

で 自分の父親を押しのけないと
自分のやりたい事ができない

という事になると 薩摩の中だけで
いくら頑張っても駄目だから

やっぱり どこかに
つながる必要がある。

それが幕府であり

気心が通じていた
阿部正弘なわけですよね。

村井さんは 目標のために
大きな力を借りるというのは

どうですか?
え~!

まあ 例えば 力のある
プロデューサーさんとか

力のある監督さんとかに
うまく擦り寄ってとか

のし上がっていくとか
できたらいいんですけど

私 結構 不器用でですね。
そうですか。

そういうのが 世渡り下手というか
苦手なんですけど

もうちょっと そういうのが
要領よく できたら

もっと上に行けてたのかなとか
思ったりもしますけどね。

宮内さんは どうですか?

大きな力を借りるという
斉彬の心情をどう思いますか?

よく分かりますね。 物事を成就
しようと思ったら やむをえない。

仕事の話じゃございませんけど

政府の規制改革会議を
長く携わってたわけですね。

そして 規制改革というのは
我々 民間の委員が

かく すべきだという事を
政府に提言するわけです。

一生懸命 議論して
提言するんだけども…

そういう時にですね
経済財政諮問会議というね

閣僚と民間とで
議論する場があるわけです。

それで そこに ひそかに
お願いしてですね

是非 議長を呼んでくれと言って
呼んで頂いてですね

この件と この件とは 大変
苦労して 動きませんという事を

そこで言うとですね…

それは おかしいじゃないかと
それを動かせと…

そのひと言を頂くためにですね
お願いして

そこで 現況報告というのを
やらして頂いて

動く事ができたという
そういう経験がありますですね。

は~ まさに大きな力ですね。
そうですね。

そういうところに ひと言
言わせるって重要ですよね。

だから 阿部正弘と
ツーカーになって

そこで やってもらうので

まあ そのあと うまく進むように
なるわけですよね。

それは
まあ 何のためかといったら

自分が権力を握るとか 単に藩主に
なりたいっていうんじゃなくて

やはり そうしないと
薩摩藩の近代化

日本の近代化ができないという

そういうつもりで
やってるわけですからね。

とはいえ 先生
日本のためとはいえですね

斉彬は 密貿易の事まで 幕府に
伝えるわけなんですけれども

これは かなり
危険な賭けだったとも…。

危険は危険なんですけどね

やはり それまで 阿部正弘と
良好な関係を築いていると。

だから
ここまで出しても大丈夫と。

その事によって
自分が藩主になると

阿部にとっては
自分の その何ていうか

片腕とは言いませんけども

まあ 力になる外様大名が
できるという

そういうね お互いに
ウィンウィンの関係を

築いてるから
まあ できた事なんですね。

ビジネスの世界でいきますとね
何か新しい事をやるというのは

これは リスクをとるわけですよ。

リスクというのは
まあ 別の言葉で言うと

賭けかも分かんないんですけどね。

リスクを…

そのリスクを できるだけ
本当の怖いものにしないように

コントロールしていくと。

そして グッドリスクまで
もっていけと。

とっていいと思えるリスクまで
よく つくり上げると。

そうすると それをそこまでやって
リスクをとるべきだというのは

私は ビジネスだと思いますね。

だから斉彬は ちゃんと そこまで
見越していたって事なんですね。

細心だというふうに言われてる
人間がとったリスクですから

まあ コントロールできるという事
だったんでしょうね。

なるほど。

そして ついに藩主として

名実ともに リーダーとなった
斉彬なんですけれども

目指していたものを 次々と
実現していくわけなんですね。

その手腕を見ていきましょうか。

斉彬の業績をまとめた博物館…

さあ やって来たのはですね

斉彬が興した事業の一部が 紹介
されてる場所なんですけれども

いろいろありますよね。

斉彬は 鎖国の時代に どうして
こういった事業を進めたのか

見ていこうと思います。

斉彬は
西洋の近代的技術を取り入れ

軍事力を強化し始めます。

大砲や
大砲をつくるための鉄。

鉄をつくるための反射炉まで
自前で製造しました。

そのために 集成館という

大規模な近代的工場群までも
つくったのです。

館長の松尾千歳さんに

斉彬が興した新事業について
伺いました。

さまざまな取り組みの中で

斉彬が 最も苦労したものが
あるといいます。

こちらの方が 反射炉で使った
耐火煉瓦なんです。

耐火煉瓦?
(松尾)はい。

鉄をつくる施設 反射炉には
1, 500度の高熱でも溶けない

耐火煉瓦が
大量に必要でした。

しかし
そんな煉瓦は

まだ日本には
存在していませんでした。

必要な物を ヨーロッパから
輸入できればいいんですけども…

(松尾)非常に変わった 苦労する
方法をとらざるをえなかった。

これ 実は 薩摩焼の陶工たちに
命令が下って

同じ焼き物だから
何とかしろというので…

見た事ないものをつくる機械
道具もないものをつくれと

斉彬は言うわけですから…

実際 耐火煉瓦の製造は
困難を極め

最初につくった反射炉は
熱に耐えられず 倒壊しました。

実は 家来たちの方が
一度 音を上げてまして

何回やっても失敗すると。

それで 斉彬に
自分たちには つくれません

というふうに訴えたら
斉彬は…

それから 佐賀が先行して
つくってましたので…

そこまで殿様に言われたら
もう せざるをえないので

4~5年の歳月をかけて
薩摩の技術者たち 総力を挙げて

反射炉をつくり上げていくという
形になります。

斉彬の激励に 家臣たちは奮起!

見事 耐火煉瓦の生産に成功し
反射炉を完成させました。

斉彬には どんなに困難な
プロジェクトでも

部下を奮い立たせる

リーダーとしての
資質があったといいます。

本当ですと
声もかけてもらえないような

身分差があるような人たちが

斉彬から直接 指示を受けて
動いてるわけですから

やっぱり
やりがいもあったと思います。

ああ それが その現場の人たちの
心をつかむ。            つかむ。

斉彬は 現場の人たちを
奮い立たせながら

耐火煉瓦の他にも
日本初の西洋式軍艦や

ガラス工芸品の薩摩切子という
特産品まで生み出しました。

更に 街のインフラも整備しようと
仙巌園の庭の灯籠を使い

ガス灯まで つくりました。

これら 薩摩の産業を見た
オランダ人は

こう 語ったといいます。

多額な資金と労力
そして 時間を費やした斉彬。

ところが その成果を 斉彬は

幕府や佐賀藩
越前藩など

他藩の
来訪者に

積極的に
見学させます。

それは なぜだったのでしょうか。

斉彬は こう語っています。

「幕府も
諸大名も

それぞれの領地を守る
というような意識では

欧米の脅威から
日本を守る事はできない」。

「日本一致一体となって

一様に 高性能な軍備を備えて

初めて 本当の防備が
できるというものだ」。

「日本一致一体」
日本が一丸となって

近代化 工業化に取り組まないと

植民地化されるという思いを
抱いていました。

日本が一丸となって
というのは

現代の我々
理解できるんですけども…

ですから 斉彬の考えを
今に置き換えると

これ 極端な話ですけども…

言ってるような事を 斉彬は
主張しているわけなんです。

更に 斉彬は 軍備だけでは

日本を守る事ができないと
考えていました。

「国中末々の者が困窮せず

豊かな事が基本である」。

斉彬は…

…というようなところまで
突っ込んだ近代化を

やってるわけです。

…という発想だったもんですから。

国の豊かさとは何なのか。

斉彬は 常に先を見据えて
考えていたのです。

う~ん… いろいろと新しい事業を
手がけてましたけれども

ご覧になって いかがですか?
村井さん。

ほんとに 耐火煉瓦への執着心とか
すごいですね。

ついていく職人さんたちも
大変だと思うんですけど

やっぱり
軍事力だけじゃなくて

ちゃんと
特産品にも力を入れたり

ほんとに 視野が広い人なんだなと
思いますね。

宮内さんは
どう ご覧になりました?

いや 私も 全く そう思います。

彼 やはり いわゆる軍事力で
守っていくという事だけでなく

富国強兵ですか
こういう事を考えたというのは

とても 当時としては
先進的だったんだろうなと。

それにしても 先生 今でいうと
無茶振りっていうんですかね。

ほんとにね 矢継ぎ早に
いろんな産業を興すわけですよね。

まあ これが 例えば
軍艦をつくりたいとかね

きちんとした大砲を
つくりたいってのが

もとにあるわけですね
軍事力を強化するって事で。

大砲をつくるためには
反射炉が必要なんで

反射炉をつくって
いい鉄をつくる 出すわけですね。

で それをつくったら

今度は その反射炉の煉瓦が
全然 今の煉瓦じゃ役に立たない。

だから 新しい煉瓦を
つくらなきゃいけないって

煉瓦をつくらせるとかね。

目的が はっきりしていて…

それを 家臣たちに振っていった
というのが 斉彬ですよね。

そういった 目的が
はっきりしていたから

多少の無茶振りでも

みんな ついていった
というところも あるんですかね?

これをやらなきゃ
できないわけですからね。

無茶振りするしかないですね。

ただ 振られた方から見ると
ほんとに藩主自ら

しかも カリスマ性のある
藩主自らが やってくれと

お前たちにも
できるはずだっていうふうに

声をかけて回るわけですからね。

それはもう 死ぬ気で
やるしかないわけですよね。

藩主に そこまで言われたら
やらざるをえないですよね。

でも どうなんですか?
村井さん。

例えば こう 監督さんとかに
無茶振り…

こんなふうに 演技してくれとか
言われたりとか…。

私 結構 そういう
無茶振りされればされるほど

燃えてしまうタイプというか。
そうですか。

負けず嫌いな方なのかも
しれないんで

割とこう 斉彬タイプの
リーダーだったら

何くそ! みたいな感じで

ついていっちゃうかも
しれないですね。

宮内さんは どちらかというと

いや 私の勝手な
想像なんですけれども

無茶振りする側なのかなって
思ってしまうんですが…。

あのね 企業の経営者というのは
みんな そうだと思うんですね。

そうですか。
そうでないと 動かないですよね。

私なんか いつも言ってたのは

例えば 人間の能力が
単純に 100だといたしますとね

100の能力のある人に対して

そしたら 無茶振りっていうのは
どこまで できるかっていうと

まあ 目分量で 120ぐらいまで。

この人にですね
150やれと言ったら

潰れてしまうと。

だから 無茶振りもですね
もう 全然 無理だという

ほんとの無理を
やっちゃいけない。

だから 120ぐらい。
はぁ~。

確かに そうですよね。

その 150の事は できないかも
しれないですけれども

120の事ができたら
成功体験といいますか。

そうなんです。
うれしくなりますよね。

そうすると その人
120になるんですよ。

そしたら 今度は 140言おうかな。
そこへ 持っていくと。

それから 部下の 100なのか

この人 100なのか80なのか
見極める事。

どうやって
見極めてらっしゃるんですか?

バランス。
これは だから あの…

方程式ないと思いますけどね。

だから 時々
とんでもない仕事を与えて

「しまった!」という事
あるんですよね。

ちょっと あれは無理だったと。

それは
こっちが悪いわけですよね。

じゃ 本当の本当に失敗して
できないっていう前に

そこも見極めて。
そこを見極めてあげないと

かわいそうですね。

斉彬の場合は ほんとに
ほんとに 無茶振りですよね。

課題があるから
150だろうが 200だろうが

これを やれっていうわけですよ。
そっか~。

みんな苦労して
結局 ある程度できたのが

日本人の偉いとこ
という事なんでしょうかね。

そこまで みんなが苦労して
つくり上げたものをですよ

惜しげもなく 他の藩の人たちにも
見せてしまうって。

これは 何ていうんですかね…
躊躇は なかったんですか?

それ 躊躇ないんですね。
不思議なほど 躊躇がなくて

どんどん いろんなとこに
案内してるんですよね。

鹿児島にやって来た
勝 海舟とかね

そういう人たちも
工場を見せたりね

そんな事をしてるわけですけど。

やっぱり これは
オールジャパンの発想なんですね。

斉彬は ほんとに
日本全体が強くなってほしいと。

そのためには 力のある藩には
同じような事をやってほしいし

幕府にも どんどん率先してね

それ やってほしいってのが
あって。

そういう面では
斉彬の人のよさというのかね

やっぱり 広い視野と
まあ 好人物だというところを

よく感じますよね。

宮内さんは あえて 独占せずに

情報を公開してきた経験とか
というのはあるんですか?

それはね ビジネスの社会では

そういうのは
ルールになってですね

自分たちだけで発明したものは

どう言うんかな… 「知的所有権」
という事で登録して

権利を確保すると。 しかしそれは
公開するわけですよね。

それから 今の企業社会では

その会社のやってる事
というのは

ほとんど
オープンになってるんです。

ですから 隠せないですから

非常に 透明性の高いところで
競い合ってるっていうのは

今の我々の事業ですね。
なるほど。

宮内さん 軍備だけでなく

民を豊かにしなければ
国が守れないという

この斉彬の考えは
どう ご覧になりますか?

これは やはり 為政者のですね

ほんとに心得ないといけない
当然の事であり

なおかつ なかなか
当然のようにやってくれない

という事だと思います。

それで 明治政府になっても

富国強兵という事は 第一の
国是だったわけですけども

結局 「強兵」の方に

どんどん 傾いていったという
歴史があります。

だけど やはり 昭和に入って

第2次大戦で
敗戦になった時にも

この「強兵」を外して
「富国」でやってきたという

本当の富国を中心になった
初めての日本というのが

今なんだろうなと。

そんな感じで なかなか
この2つは両立しないんだろうな。

村井さんは

斉彬の このリーダーシップ
見てきましたけれども

いかがですか?
あの時 あの時代で

そこまで
世界が見えていた人って

ほんと 少なかったと
思うんですよね。

で やっぱり
カリスマ性もあるし

多少 ちょっと
無茶振りはしますけど

もうちょっと 長生きして
ほしかったなと思いますね。

宮内さん リーダーについて
見てきましたけれども

何かを変えなくては
いけない時のリーダーって

何が必要なんですかね。

やはり 先見性というか
時代感覚というか

一つ上のところで 世の中の流れを
正確に読む力というのが

一番必要なんじゃないかなと
思いまして

斉彬は それを持っていた人
なんだろうと思いますね。

何か成し遂げるという事は

まさに リスクを
とってるわけですね。

しかし それが ほんとに
一か八のギャンブルだったら

これは
すぐ潰れちゃうわけですから

潰れないように リスクを
とっていくという意味では

前後左右を見ながらですね

阿部正弘に
いろいろ 話をつけるみたいなね

手を打ったうえで動く
という意味では

とても立派なリーダーだと
思いますね。

そして 先生
斉彬の新事業のおかげで

意外なものが
生まれたという事なんですよね。

それが
ここにあるんですけれども…

芋焼酎という事なんですね。

これもね 基本は
軍事のためにつくるんですね。

新型銃の発火装置のために
まあ 雷管をつくると。

そこに
それをつくるためにはですね

大量のアルコールが
必要なんですね。

アルコールは 当時は 米の焼酎とかね
そういうのは あるんだけど

薩摩は
米が あんまり とれないんで

それで 米を あまり使っちゃうと
民衆が困ると。

じゃあ 芋で 甘藷でつくれば
いいじゃないかというんで

芋焼酎をつくらせる。

芋焼酎は やっぱり
臭みがあるんですけど

その臭みを抜いたら 実際に
庶民も飲める酒にもなるし

まあ 米を使わないで そういう
武器にも使えるしって事で

開発させたわけですね。

それが その末裔がこれ
という事になりますね。

今 私たちが味わっている これは
そんな歴史があったという。

伊達や酔狂で
つくったんじゃなくて

やっぱ それなりの目的があって
つくってるんじゃないですかね。

せっかくなので頂きましょうかね。

お芋の香りが…。           ねえ。
うん ほわっとしますね。

では。
斉彬公をしのんで

乾杯。

どうですか?

とてもいいです。
飲みやすくなりましたね。

おかげで。
今の時代は
飲みやすくなりましたね。

今日は
ご来店ありがとうございます。


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