英雄たちの選択「武田勝頼・山城をめぐる最期の決断」 千田嘉博、平山優、飯田泰之、磯田道史、杉浦友紀


出典:『英雄たちの選択「武田勝頼・山城をめぐる最期の決断」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「武田勝頼・山城をめぐる最期の決断」[字]


戦国最強といわれた武田軍団。武田信玄の後継者・勝頼は、長篠の戦いの大敗の後、着々と巻き返し策を図り、いよいよ織田・徳川軍との最終決戦が迫る。勝頼の戦略とは?


詳細情報

番組内容

織田・徳川との最終決戦を前に、武田勝頼には、戦いの拠点として3つの山城が、浮かび上がった。(1)巨大な山城・「新府城」(2)重臣・小山田信茂のすすめる「岩殿城」(3)真田昌幸のすすめる「岩櫃(いわびつ)城」。勝頼は、最終的に、どの山城を選択したのか?城郭考古学者・千田嘉博さんが、現地を訪ね、3つの山城の戦術的価値を徹底的に検証し、戦国最強といわれた武田軍団滅亡の謎に迫る。

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】千田嘉博,平山優,飯田泰之,【語り】松重豊



『英雄たちの選択「武田勝頼・山城をめぐる最期の決断」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

英雄たちの選択「武田勝頼・山城をめぐる最期の決断」
  1. 勝頼
  2. 信玄
  3. 本当
  4. 新府城
  5. 織田
  6. 信長
  7. 武田
  8. 岩櫃城
  9. 千田
  10. 戦い


『英雄たちの選択「武田勝頼・山城をめぐる最期の決断」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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(出陣の合図)

群雄割拠の戦国時代。

中でも「最強」と謳われた軍が…。

「甲斐の虎」と呼ばれた

武田信玄の軍団である。

信玄亡きあと
この最強軍団を引き継いだのが…。

だが…。

勝頼は…。

その後 武田家は凋落の一途をたどり
滅亡した。

そのため 勝頼は「暗愚の凡将」と
評されてきた。

しかし その評価は正当なのだろうか?

勝頼は…。

これには信長も
こう評さざるをえなかった。

勝頼は
若輩といえども

信玄の掟を守り

表も裏もある
油断ならぬ敵である」。

勝頼の並外れた優秀さを物語るのが…。

峻険な崖の上に築かれた巨大城郭である。

いや~ どうもです!

こんにちは!

迫り来る 織田・徳川連合軍。

このとき 勝頼には…。

3つの選択があった。

または
断崖絶壁に囲まれた難攻不落の…。

それとも 知将・真田昌幸が築いた…。

3つの山城から見えてくる…。

武田勝頼 山城をめぐる選択

さまざまな専門家が 熱い議論を交わす。

本当に すばらしい。

もう病気にかかってるわけですよ 本当に。

武田勝頼 最後の選択。

戦国最強・武田の山城から その謎に迫る!

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択

そのとき 彼らは何を考え 何に悩んで
一つの選択をしたんでしょうか?

今回 取り上げる主人公は この方です。

戦国時代 「最強」と謳われた
英雄・武田信玄のあとを継いだ…

長篠の戦いで 織田・徳川連合軍に

大敗北を喫した武将として
知られています。

そして 長篠の戦いから7年後

まさに滅亡の危機が訪れた
武田勝頼の選択に

今回は迫っていきたいと思います。

あの名門・武田家を滅亡させた
張本人として

「暗愚の凡将」とも言われてしまう
武田勝頼なんですが。

「暗愚」なんていうことはないですね。
彼は優秀な人ですね。

優秀すぎると言ったほうがいいです。
というのは…

ところがですよ 7年もの間
その領国を守っただけではなくて

織田や徳川の領地へ攻勢をかけてですね

武田家最大の版図を
獲得しているんですよね。

でもね…

そうですか。 無理ができてしまうところが
これ ポイントで。

我々の組織や人生にも関わる話が
今日は ここにあるんです。

さあ 英雄・武田信玄亡きあと
苦悩する後継者の勝頼。

その真相に迫っていきます。

英雄・信玄亡きあと
武田家の家督を相続した勝頼。

勝頼とは 一体 何者なのか?

長野県のほぼ中央に位置する
諏訪大社。

「武勇の神」として
戦国武将の信仰を集めた

諏訪明神の総本社である。

信玄の四男として生まれた勝頼。

初め 勝頼は 諏訪家を相続し

「諏訪勝頼」と名乗っていた。

信玄の男子の中で 武田家代々使われた

「信」の字が付いていないのは
そのためである。

武田軍が 織田・徳川領内に
侵攻するさなかの出来事であった。

諏訪家を継いだ勝頼には
武田家相続の権利はない。

しかし 嫡男・義信は
謀反の企てが発覚し 自刃。

次男・信親は体が悪く

三男・信之は夭折している。

信玄の実質的な後継者は
勝頼のほか なかったのである。

亡くなる直前
信玄は こう遺言したと伝わる。

「後継者については

勝頼の子・信勝が
16歳になれば家督を譲る。

それまで勝頼には 陣代を申しつける」。

「陣代」とは 幼い当主に代わり

軍務や政務を統括する者のことを言う。

つまり 勝頼は 武田家を継いだとはいえ

幼い信勝が成人するまでの
中継ぎにすぎないというのである。

信玄と勝頼。

親子の関係を象徴する兜が
諏訪に残されている。

信玄の諏訪法性の兜。

チベット高原に生息する
ヤクの毛で飾られた兜である。

信玄の遺言に こうある。

「諏訪法性の兜は
勝頼が着用することとする。

その後 これを
信勝に譲るべし」。

信玄の息子とはいえ…

特に
武田家は 名門意識が強いので…

これは 恐らく…

ここにですね…

武田家を相続したとはいえ
勝頼を取り巻く状況は厳しい。

西には 織田 徳川
北に 上杉と

周囲を 敵勢力に
囲まれていたのである。

信玄の死から2年後。

勝頼は 織田・徳川連合軍に対し
信玄の弔い合戦を仕掛ける。

三河国 設楽原で行われた
大会戦 世にいう…。

戦国最強の武田軍の猛攻に対し

3, 000丁といわれる鉄砲を駆使した
織田・徳川連合軍。

圧倒した火力を用いた敵の戦術を前に

武田軍は 僅か半日で敗れ去った。

この戦いで信玄以来の

多くの重臣たちが
討ち死にした。

大敗北を喫した勝頼。

今回も さまざまな専門家の皆さんに
お越しいただきました。

よろしくお願いします。
お願いします。

まず 平山さん
武田信玄のあとを継いだ勝頼は

ものすごい大きなハンディを
背負っていたんですね。

はい。 実は…

ですから 勝頼という人は 実は

信玄が信長と同盟するために

重要な役割を担わせた
人物だったにもかかわらず

なんと 父・信玄が信長をですね
ある意味 裏切る形で

一方的な 同盟を破棄して
戦闘状態へ突入する。

そのあとを もろに受け継ぐということに
なってしまいました。

だから 信玄にとっていいように…

そうですよね。
勝頼を読み解く一番重要なポイントは

その部分を どう考えるかということに
あるんだと思います。

そして 飯田さんは 実は
武田家ゆかりがあると…。

そうなんですよ!
僕も 甲州のおうちで

何枚
信玄の偽物の書状を見せられたことか。

本物も 中には ありましたよ。

決まって 当主の方
「信玄公」って言うと思うんですけれども。

そのぐらいですね…

その飯田さんから見て
勝頼の この立場って

どのように思われますか?
非常に厳しいと思います。

というのもですね これ
現代に置き換えてみても

会社 特に ワンマン経営の会社が
傾くときって

必ず この事業継承に
失敗したときなんですよね。

この 事業継承って

必ずしも…

もちろん とんでもない無能な人だったら
駄目なわけなんですけれども 意外と…

そういった企業って
結構 多いんですよね。

そんな中 行われた長篠の戦いですが

勝頼にとっては 手痛い敗北と
結果的には なってしまいますよね。

長篠の戦いっていうのは…

現代風に言ったら…

「おりゃ! こんな勝ち方できるか!
君たちは土地も少なく 人口も少なく

こんなに鉄砲の豪華なものを
いっぱいそろえて

物量作戦で勝ったぞ!」と
こういう感じですよね。

だから そうなると
やっぱり 武田の戦闘力っていうのは

神のように強いとされてたものが…

賢い勝頼は
もっと広い あの平野を手に入れて

彼らと同じように
人口比でも経済力でも やっぱり持てば

対抗できるから 無理してでも
攻めかかるっていうふうになりますよね。

信長と家康が 初めて 武田軍の前に
首をそろえてきたのは

あのときが最初で最後なんですよ。

ここの選択だったと。

それは やっぱり
勝頼の置かれている立場。

これが あの戦いで
決戦に踏み切ってしまった 恐らく

最大の敗因 要因だろうというふうに
思ってます。

どっかの歌にあるような 尾崎 豊の…。
聴いたことあるような…。

それだったと思うんですよ。 やっぱり…

信玄が死ぬときに
言ったことっていうのは…

もしくは 駿河のほうまで引きずり込んで
たたけって言ってるわけですよ。

要するに…

ところが実際には 勝頼は もう
相手の城を攻め続けて 踏み出して

長い補給線を引っ張って
織田・徳川連合軍に

手を出したわけですよ。
それを お父さんが言うのよりも

はるかに困難な条件で
戦いに挑んでいったというのが勝頼です。

でも…

「ああ すばらしい経営者だ
すばらしいリーダーだ」っていうふうに

評価される。
さらに やはり 怖いのは

当時の 甲州・信州のような
中核になるエリアも

結局 別にですね…

弱いってなったら

やっぱり もう 武田じゃない大名について
守ってもらったほうが

いいんじゃないかっていうふうに
なってしまう。

そのために やっぱり
勝ち続けなければいけないですし

これが やっぱり…

何か 私 ちょっと
かわいそうになってきちゃった…。

それが全くないわけですから
まさに味方…

なるほど。
信長・家康に大敗北を喫した勝頼。

最悪の状況の中
しかし 勝頼は 巻き返しを図ります。

長篠の戦いで武田軍に大勝した

織田・徳川連合軍。

だが それ以上
兵を進めることはできなかった。

信長も家康も
武田軍を強敵だと見なし

深追いを
警戒したのである。

その間 勝頼は
着々と武田家の立て直しに奔走する。

まず 勝頼が手をつけたのが…。

信玄に仕えた重臣を描いた…。

長篠の戦いでは
信玄以来の多くの家臣が戦死した。

赤備えで知られる 山県昌景

武田四天王の一人 馬場信春

猛将・原 昌胤など

描かれた重臣のうち8人が討ち死にし

最強軍団を支える屋台骨は 揺らいでいた。

勝頼は 戦死した家臣たちの
後継者問題に奔走する。

「甲斐 信濃 上野の
名のある武将の
跡継ぎとして

子や孫はもちろん
出家した弟を還俗させ

町人となった者まで取り立て
二万の軍を作り上げた」。

その成果は着実に上がっていた。

長篠の戦いの3か月後
家康が武田領に侵攻したとき

勝頼は いち早く1万3, 000を率いて出兵。

これには 家康も驚きを隠せない。

「長篠敗戦の後
幾ほどもしないうちに

かくのごとく大軍を派遣するとは

勝頼には武道を感じるところなり」。

勝頼の巻き返し策は
外交政策にも及んだ。

当時の武田は 織田 徳川

そして 上杉と敵対関係にある。

勝頼は 信長や家康に対抗するため
驚くべき行動に出た。

長年の宿敵・上杉謙信と和睦したのである。

なぜ 勝頼は 謙信と手を結んだのか?

信玄の遺言に こうある。

「勝頼は 謙信と和議を結ぶように。

謙信は たけき武将なれば
年若い勝頼を苦しめることはない。

和議を結び
謙信を頼るとさえ言えば

決して
約束を破ることはないであろう」。

また 勝頼は

信長に追放された
将軍・足利義昭の仲立ちで

中国の毛利 関東の北条とも手を結んだ。

新たな信長包囲網を
築こうとしたのである。

さらに勝頼は 本拠地を移転することで
巻き返しを図っている。

信玄時代の本拠地
躑躅ヶ崎館から およそ20キロ

領国の中心地となる韮崎に

勝頼は 新たに 新府城の築城を
決意したのである。

信長・家康の大軍勢を迎え撃つには

手狭な甲府では難しいと
判断したためだと考えられる。

近年 発見された
武田家 家臣・真田昌幸の書状。

新府城の普請に関する 唯一の史料である。

「新府城普請の件

夫役は 家十軒につき一人

普請の日数は
三十日である」。

国を挙げての大工事は
急ピッチで進められていた。

勝頼の新府城築城に対する熱意のほどが
うかがえる。

高さ100メートル以上の崖が連なる
台地の上に築城された…。

東京ドーム5.5個分の巨大な土の城である。

昭和23年の航空写真。

この時期
木が伐採されていたため

土の城の全貌がよく分かる。

新府城の大手門。

ここには
巨大な「馬出」が写し出されている。

「馬出」とは 城の出入り口を
守るために築かれた

防御施設である。

敵の攻撃を
食い止めるばかりでなく

武者溜まりから出撃して

敵に
打撃を与えることができる。

守りと攻めの機能を
持ちあわせた

武田流築城術の
代表的な工夫である。

長年 発掘調査に携わる
閏間俊明さんと共に

千田嘉博さんが訪ねた。

いや~ どうもです!

こんにちは!

(千田)すごい やっぱり
落差がありますね。

(閏間)見下ろすとね 結構怖いです。

ちなみに 今…

12メーター! うわ~!
だから 本当に高さの差でいうと…

(千田)本当 よく分かります。

さらに
航空写真に写し出されていたのは

城の北側にある 奇妙な突起物。

ちょうど ここからが…。

(閏間)分かりやすいですよね
この出っ張りが。

堀の中に突き出た構造物は
「出構」と呼ばれている。

一体 どんな機能を
持っていたのか?

この場所に立っても
はるか向こうまで

堀を側面から見て いわゆる…

(千田)そういうためには
当然 これは弓矢ではなくて

鉄砲だということになりますから
やはり これは…

(千田)最高の守りの工夫だったな
というふうに言っていいと思います。

長篠の戦いで
鉄砲という火力兵器に大敗を喫した勝頼。

新府城に残された
対鉄砲戦を意識した防御施設は

時代に応じた勝頼の先進的な考えを
今に伝えている。

千田さん 新府城は
とっても立派なお城だったんですね。

すごいお城ですよね。

幾重にもですね
守りを固めているですね

非常に 本格的な
当時としては

全国的にみても最先端の
お城でありますし

何と言っても
広さがですね

24万平米。

東京ドーム5.5個分というですね
とんでもない巨大なお城であります。

守るとしたら どれだけ
人が要るんだろうというぐらいの

巨大なお城です。

先ほど 堀とか 土塁とか 出構とか
見ていただきましたけど

ものすごい巨大な井戸が
残っているんですよね。

発掘しても もう そこまで 危なくて…。

(平山)危なくて
下まで掘れなかったんですよ。

(千田)巨大な井戸の跡なんですよ。

ですから そういう守りが
堅いというのに加えて

そういう 水なんかも
しっかり確保するという

本格的な居城としての工事を

着々と進めていたというのは
本当に よく分かります。

つまり 長篠の合戦で 鉄砲で

湿地帯の彼方にある
柵や塀の前へ突進して

内側から撃ちすくめられる
ということが分かったわけですよね。

そしたら 今度
自分たちが造りゃいいやというので…

逆に…

ああいう戦い方を 物量の戦いをやって

しっかり用意した防護物の中で

柵の中にいるということを
したんですよね。

武田 強すぎるので

昔 日本で ロシアを怖がることを
「恐露病」って言ってたんですけど

「恐武田病」という
もう 病気に かかっているわけですよ。

織田・徳川の連合軍の
あの武士たちっちゅうのは

もう怖いんですよ 本当に。
「武田 怖い!」なんですね。

「七里岩」っていうですね

釜無川と塩川に挟まれた断崖絶壁の
台地の上に造ってあるんですけど

甲府に行くには かつて

あそこを通らないと
甲府に行けなかったんですよ。

すべての道が あの七里岩の台地の上に
ほぼ来る状況なんですよね。

しかし 本拠地を移すということは
これは

今のね 政治でも
難しいじゃないですか。
はい。

山梨は県庁を移すと言ったら 大騒ぎに
昔 なったことがあるんですけど

そう簡単なことじゃないんですよ。

これまで 信玄の側近として仕えてきた
古老たちは いないと。

そして 今度は
自分が新しく取り立てた

自分にとっての 本当の旗本というのを

引き上げていかなければ
ならないというと

ずっとある土地ですと そこに

館とか家とかが
建ってしまっている状態だと

序列を動かせないという心配から

本拠地の移動というのが出てくるところも
あると思うんですけれども。

やはり この中で気になるのは
財政上の負担なんですよね。

ところが…

その中で 大工事ですから
ある意味で言うと

それまで ため込んだものを
全部 出してしまったかもしれない。

そうするとですね
「金の切れ目が」じゃないですけれども

金が出せないとなると

ますます 先ほどの…

ある意味で言うと

勝頼を 一層 追い込んだっていう面も
あるんだと思うんですよね。

さあ 先ほどは 千田さんに
新府城を見に行ってもらいましたが。

ほかの山城にも行っているんですよね。
行ってまいりました。

このですね 「岩殿城」「岩櫃城」という
2つのお城なんですけれども

天然の要害を使ったですね
もう戦国屈指の

すごい山城なんですよ。
ぜひ ご覧いただきたい

というふうに思います。
また 遠くまで行ったんですね!

行かせていただきました!
ありがとうございます!   お願いします。

(雷鳴)

天正6年3月

勝頼にとって 思わぬ事態が発生した。

上杉謙信が急死したのである。

謙信亡きあと 上杉家では

2人の養子による
家督争いが激化。

武田の同盟者・北条氏政は

養子の景虎を支持。

しかし 勝頼は それに敵対する

景勝支持を表明した。

その見返りとして 上杉領国の一部を獲得。

武田の版図は ついに
日本海まで達することとなった。

だが 上杉の家督争いにより
北条との関係は悪化の一途をたどり

ついには 破綻を来した。

北条は
家康と同盟を締結。

結果 勝頼は

三方に 敵を
抱えることとなった。

さらに 天正10年2月初め

北信濃の武将
木曽義昌が

織田方と内通。

勝頼に反旗を翻した。

それに呼応するように…。

梅雪は 信玄の姉を母に 娘を正室に持つ
一門衆筆頭。

武田二十四将にも数えられた
重臣であった。

木曽義昌が防衛していた北信濃口

そして 穴山梅雪の駿河口に風穴が開いた。

織田・徳川軍は

二方面から
武田領に侵攻することができる。

危機が迫っていた。

勝頼は新府城内で軍議を開く。

このとき
勝頼の嫡男・信勝は

新府城での籠城を
強く主張した。

一方 譜代衆家老の
小山田信茂は

岩殿城での決戦を
進言。

そして 真田昌幸は

みずからが城代を務める
岩櫃城で

敵を迎え撃つことを
提案した。

ここに 戦いの拠点として
3つの山城候補が出そろった。

まず 山梨県大月市にある
岩殿城へ向かった。

すごいですね!

圧倒的な岩の壁ですから もう本当に

このお城の強さというのか
すごさというのを

実感できる光景ですよね。

武田領の東の…。

岩山に覆われた山城は

北条の押さえの位置にある。

おお~! これは…。

圧倒的ですね これ! うわ~!

へえ~! すごいですね これ!

天然の岩を使って ここで…

すごい構えになってますね。

これ 高さは 3メーターとか
4メーターあると思いますけれども

ほぼ垂直でありますから…

実は…

本当に鉄壁の守りといって
いいと思います。

うわ~! すごいきれいですね。

城下の町は よく見えますね。

はあ~! すごい すごい!

本当に これ 立地条件
すばらしい所ですね。

この岩殿山城ってね
すごく お城を造るのにふさわしい

立地だったっていうのが
すごくよく分かります。

標高600メートルを超える岩殿城。

籠城戦を戦い抜く条件を
満たしているのか?

へえ~ すごい!

こんな岩の山に

水が湧いてくる所があるなんて
もう奇跡ですよね。

へえ~! おお~ すごい すごい!

あっ まだ水…

次に訪ねたのが 群馬県東吾妻町の
岩櫃城。

見えてきました! 岩櫃城です。

すごいですね!
もう圧倒的な この岩の断崖絶壁感

本当に 見ただけで いかに要害堅固な
お城だったかというのが

よく分かりますよね。

武田領の北東を押さえる…。

天然の崖に囲まれた
真田昌幸の居城である。

山の中腹に築かれた本丸跡。

千田さんは ここに
独特の防御の工夫があるという。

こういう様子が分かります。

本丸に続く

幅20メートルの
巨大な「竪堀」。

堀の中を進む敵兵を
四方から攻撃

少人数でも 敵を
撃退できる工夫である。

新府城は お城の一番外側の所にですね

複雑な門でありましたり 出構といった
そもそも…

それに対しまして 岩櫃城ですけれども…

いずれも 戦術的な特徴を持つ
堅固な山城であった。

どの城で
織田・徳川軍を迎え撃つべきなのか?

苦悩する勝頼
その心の内に分け入ってみよう。

我が子・信勝の言うとおり

やはり ここは新府城にて
敵を迎え撃つべきか?

新府城は 武田流築城術の集大成
そうやすやすと落ちまい。

対鉄砲戦の防御の工夫が盛り込まれた
新府城。

当時の先端技術の集大成である。

だが 新府城は 今なお 築城途中にある。

やはり 籠城には 不向きではないか。

史料には こうある。

「当地において
防戦を遂ぐべしと思えども

普請も いまだ成就せず
櫓の一間もなければ 相叶わず」。

つまり 新府城は
未完成の城であったと考えられる。

では 小山田信茂が薦める岩殿城は
どうか?

あの難攻不落の城であれば
籠城戦も耐えうるであろう。

あるいは
真田の岩櫃城に向かうべきか?

岩櫃城であれば
我が同盟国・上杉の領土にも近い。

だが 昌幸を
本当に信頼してもよいのであろうか?

岩櫃城の麓には 勝頼のために
昌幸が築いたとされる

御殿跡が今に伝わっている。

だが 真田昌幸は 希代の
軍略家として知られ

後に 豊臣秀吉から
「表裏比興の者」

つまり「老獪な食わせ者」と
呼ばれたほどの策士。

果たして 昌幸に
武田の命運を預けてよいものか?

一体 どの城を選ぶべきなのか?

苦悩する勝頼に 選択の時が近づいていた。

織田・徳川連合軍が迫る中
勝頼に選択の時が訪れます。

皆さんの選択をお伺いする前に

今回も現地に行っていただきました
千田さん。

ありがとうございます!
楽しく行かせていただきまして。

楽しそうな様子が伝わってきて。
もう キャーキャー言って すごい…。

羨ましいな~! 僕も行きたい!

本当に すばらしい。
どのお城も すごくすばらしくてですね

ひと言ずつ 3つのお城のワンポイントを
申し上げますと

新府城というのは当時の築城術の

全国的にみても 最高のお城です。

本当に 技術の粋を凝らして造った
すごいお城なんですけども

このお城を守ろうとすれば やっぱり
何万っていう単位の城兵がいないと

とても守り切れないというですね
ちょっと難しいところだと思います。

2つ目の
岩殿城なんですけども

ほとんど 反則じゃないか
って思える

垂直の巨大な岩の上に
お城を造っていまして。

守りということで言えば
天然の岩で

もう登れませんから

ものすごい
守りは強いです。

ただし 狭い谷に
面していまして

周りを囲まれてしまうと ちょっと
ほかとの連絡の取りようというのか

ちょっと 本当に
包囲されちゃうっていうですね

そういう問題もあると思います。

3つ目の岩櫃城なんですけれども

天然の ああいう岩の断崖を
うまく使っているというところでは

同じなんですけども。
さらに やっぱり

真田が お城造りに

深く関わった
ということもありまして

本丸の周囲の所までも
堀を巡らせて

そこまで敵が来ても
まだ守るぞというですね

そういう利点のある お城でありました。

ただし やっぱり
かなり端っこの所にありますので

あそこまで行って 守る
ということがですね

やっぱり なかなか
ちょっと 大変だっていう

そういう問題点はあったと思います。
なるほど。

さあ そのお城
それぞれの特徴も踏まえて

勝頼の選択に迫ってまいりましょう。

平山さんは どの城を選びますか?

私はね 新府城です。
新府城。

嫡男・信勝の言うとおり

粋を集めて築いた最後の拠点。

そこで潔く戦って 滅びるというふうな
選択をするべきというふうに

信勝が言ったというふうにありますけど。

私は この考え方に共感します。

もう滅亡が免れないのであれば

自分がね あらゆる困難を取り払って
甲府を捨ててまで築いた最後の拠点を

何もせずに捨てるという
選択っていうのは

これは恐らく 相当 断腸の思いだったと
思うんですけど。

私は そういう意味では

もし 自分が その立場であれば
どこに逃げるべきでもなく

そこで最後の一戦をして 名を残そうと
たぶん 思うに違いないと思っています。

なるほど 新府城ということで。
さあ 飯田さんは?

私ならば 岩殿城を。
岩殿城 はい。

ここで重要なのが かつて

北条氏政との同盟の鍵になった

北条夫人だと思うんですね。

そして もう一つが信勝
つまり 嫡男の血筋です。

もともと 北条と同盟関係にあって

かつ 信勝は 信長の養女の息子です。

こういった関係からいって
むしろですね

確かに 正直 勝頼自身は
ここは 徹底抗戦して

討ち死にする以外
残された道はないかもしれない。

ですけれども…

北条氏って 例えば 今川滅亡の際に
氏真を預かったりですね

何て言いますか 今風に言うと
何となく リベラルといいますか

何か温かいところのある家で。
今回もですね それを頼る…。

そのままの武田家を 今の状態から
すぐに再興するのは無理だと。

将来に向けて 嫡男 正当な血筋を残す
っていうほうに

注目するのであれば
北条領に近いという意味で

岩殿に行くと
なるほど。
思うんですよね。

信勝を とにかく
生き延びさせるっていうことが

ポイントになるわけですね。
そうですね。 この場合

第一の目標になりえたんじゃないかなと。
ああ…。

実際に お城に行った

千田さんは どの山城を選びますか?

私は 岩櫃城を
選びたいと思います。

実際に 籠城して

織田・徳川の軍勢を
迎え撃つっていうことで言えば

岩櫃城が 一番戦うべき お城で。

勝頼が とにかく 何か月か
あの希代の名将であります

真田昌幸と共に籠城をしてですね
そこで耐えていれば…

とにかく最悪の危機は脱することができる
ということで…

だから 岩櫃城に行けばよかったのに
っていうふうに思います。

さあ 磯田さんは どの山城を選びますか?

私は3番 岩櫃城。
千田さんと一緒。

ですので 敵から遠い所

岩櫃まで退いて
敵を引きずり込むようにすると。

じゃあ 真田が

そこまで守ってくれるか
っていうことについては…

縁組み政策ですか?

真田と結婚政策をやって…

そうしたら 真田は…

だから こうやるしかないんじゃないかと。

実はですね…

そして ものすごい豪雪が降って

織田は大軍であるが故に 兵糧に困って
逃亡兵が続出する。

大体 退潮になってきて
もう駄目だと思ったら

昔の毛沢東だって何だって

奥地に入って
寒い所に行くのが いいんですよ。

もう攻めるのが嫌なぐらいになって
時間で じっと待つんですよ。

そのときに重要なのは…

ちゃんと思想教育ができているとか
戦術の。

そういうことだと やっぱり
真田と一緒にならないと駄目だな これは。

なるほど。

勝頼の運命を左右する大事件が起こった。

長野と群馬の境にある浅間山が
噴火したのである。

「天変地異は人心を惑わす」。
人々は こう うわさした。

「神の力は 人力の及ぶところにあらず。

噴火は これからの世が
信長に従う前触れであろう」。

武田討伐の総大将は
信長の後継者 織田信忠である。

信忠率いる織田軍は 怒涛の勢いで侵攻。

武田の城を次々と陥落させていった。

中でも 勝頼を追い詰めたのが
「高遠城」陥落の知らせであった。

高遠城は 諏訪勝頼時代

城主を務めた
信濃支配の拠点である。

壮絶な籠城戦の果てに 高遠城は落城。

僅か2日の出来事であった。

勝頼の身を案じ
同盟者・上杉景勝は 援軍を申し出ている。

それに対し 勝頼

「二千でも三千でも
兵を早々に

派遣していただけると
ありがたい」。

武田家存続のため
なりふり構わぬ勝頼の

切羽詰まった心情が
うかがえる。

どの城に向かうべきか?

ついに勝頼は
譜代衆家老・小山田信茂が薦めた

岩殿城へ向かう決断をした。

新府城から出土した
長さ1メートル以上の焼け焦げた材木。

城の北側を守る「乾門」の門柱である。

みずから 新府城に火を放った
勝頼 不退転の決意であった。

城を後にした勝頼一行。

新府城を出立したとき

500~600人いた兵たちは
途中で逃亡。

僅か41人となった。

さらに 勝頼を悲劇が襲う。

岩殿城を薦めた小山田信茂が
なんと織田方に寝返ったのである。

行き場をなくした勝頼一行。

ついには 織田軍に囲まれてしまう。

鎌倉以来続いた 名門・武田家は
ここに滅亡。

戦国最強と謳われた
武田軍団の終焉となった。

勝頼の首と対面した
信長は

「日本に かくれなき弓取」と

勝頼を称賛した。

「運が尽き
こうなっただけのことである」と。

だが 運が尽きたのは
武田だけではなかった。

勝頼の死から 僅か3か月後
「本能寺の変」勃発。

くしくも戦国の世は
ここから新たな局面を迎えることとなる。

ということで 勝頼は岩殿城を選び

後に 滅亡することに
なってしまうんですが。

千田さん どうでしょう?
岩櫃城を選んでいたらって思うと。

そうなんですよね。
やっぱり 岩櫃城へ行って

とにかく最悪なときを とにかく しのいで
…っていうのでいけばですね

武田家の運命 あるいは…

だから 岩櫃城に行っていたら 戦国時代は
もうちょっと長かったというのは

どうも間違いなさそうで。
ああ…。

大体 そもそも 天正10年
「イチゴパンツ」…

だけど それがなくて 塊としての
真田・武田みたいなのが残っちゃったら

油断しない信長とかが出来ちゃって
討ち取られないかもしれないし

戦国は長いですよ もうちょっと。
そうかもしれないです。

(千田)いずれにしても
その信長のほうも

随分 変わったんじゃないですかね。

その後 何て言うのか
もうほとんど天下統一できたぐらいの

何て言うのか やっぱり…

恐武田病から解放されて…

もう降伏してくるぐらいな
気持ちになっちゃうわけですよね。

で 油断がっていう。
で 本能寺の変に つながるんですね。

たとえですね…

そのあとですね 本能寺の変
そういった事件が起きたときに…

圧倒的に やっぱり…

その力っていうのを欲しがった
ほかの勢力によって

もう一回
大名になったかもしれないですし。

または新たに 信長に代わって

甲斐・信濃を押さえようという
勢力にとっては

こんなにすばらしい旗印は
ないわけですから。

命さえ 少なくとも どちらか…

さあ 結果的には 信玄を超える版図を
獲得した勝頼でしたけれど

あまりにも早く 瓦解し
滅亡してしまうわけですけれど。

改めて 考えたいのが 勝頼は

では 何を間違えたから
滅亡してしまったのか?

本当に難しい質問ですね。 ただ…

まるで 私は…

本当は 諏訪の人間で終わるべきはずが
突然 武田のトップにさせられた。

しかも…

だって 諏訪にいないんだもんね
高遠なんですよ。

まるで コウモリのような
扱いを受けている。

それを一生懸命 はねのけようと
求心力を なんとか強くして。

武田の家を
もっと隆盛に持っていこうとした。

やはり そういう…

っていうふうに
私は そういうふうに思っています。

だから 最後…

あそこに籠もっていたのは…

あれを滅ぼしたのは 実は 下伊那と
織田の軍勢ということになるんです。

(平山)だから 結局 追い詰められて
味方が誰もいなくなって

最後 滅んでいく。

僕は そうとしか 今のところ
言いようがないと思っています。

運がなかった。
信長は運がなかったと言いましたけど

私は…

皆さんのお話 聞いていると
しかも その先に

「暗愚の凡将」とまで言われてしまって。

本当に ほとほと
かわいそうに感じてしまうんですが。

磯田さん 最後に…
今日は 勝頼が主人公でしたが。

今回 伝統ある名門国家が倒れるときの
パターン。

国家だけじゃなくて
ひょっとしたら企業や集団も

似たものがあるかもしれない。

まず こういう武田みたいな
すごいのが出来上がると

周辺の国々が
レベルが上がっちゃうわけですよ。

これ 生物学でいうと
「共進化」っていいますけど。

例えば キツネが ものすごく足が速くて
狩りが上手くなると

逃げるために 察知して ウサギは
耳が大きくなってくるわけですよ。

つまり 武田がいたら
周りの国家は いやに強くなるんですよ。

上杉とか 特に 徳川 織田とかがですよ。

だから ひょっとすると
武田が 直接 間接に

徳川の 次の政権の父に
なっているわけですよね。

だけど なまじ強いから

能力が高いが故に 無理をして…
無理ができると。

無理ができちゃうんで
こういう結果になると。

本当 その辺り
考えたほうが いいですね。

やっぱり 優れている人で できる人ほど
無理をしない。

自分は 無理してないんじゃないかと。

そこを考えながら うまく やっていく

っていうことなんじゃないかなと
思いましたよね。

本当に 勝頼が暗愚だったら
僕は 争うことを諦めて

滅ばずに 名門として残っただろうと
思うんですよ。

皆さん 本当に 今日は
ありがとうございました。

ありがとうございました。


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