SWITCHインタビュー 達人達(たち)「伊東豊雄×小松義夫」 建築家…伊東豊雄、写真家…小松義夫



出典:『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「伊東豊雄×小松義夫」』の番組情報(EPGから引用)


SWITCHインタビュー 達人達(たち)「伊東豊雄×小松義夫」[字]


人にとって理想の住環境とは?世界的な建築家・伊東豊雄が、瀬戸内海の島で始めたチャレンジについて、世界中の「家」を撮影する写真家・小松義夫と語り合う。


詳細情報

番組内容

「建築家のための建築」ではなく、住む人が心身ともに心地よいと感じる建築を追い求める伊東。愛媛県の大三島で住民と一体になった取り組みをしている。自ら手がけた、島の自然や歴史と調和した建築について小松の感想を尋ねた。その小松が撮影した世界各地の家の写真は、バラエティに富む建築様式と生き生きした住人の表情が収められている。瀬戸内海の美しい海と夕景をバックにした2人の会話は終わりなく続く。

出演者

【出演】建築家…伊東豊雄,写真家…小松義夫,【語り】吉田羊,六角精児




『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「伊東豊雄×小松義夫」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

SWITCHインタビュー 達人達(たち)「伊東豊雄×小松義夫」
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『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「伊東豊雄×小松義夫」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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瀬戸内海に浮かぶ
愛媛県大三島。

大山神社を頂くこの島は
神の島とも呼ばれる。

この島に東京から足しげく通う男がいる。

伊東の作品は
常に建築界に衝撃を与えてきた。

街路樹の枝ぶりを
そのまま写し取ったかのような 商業ビル。

水の流れの中に出来る渦をイメージした
複合メディア施設。

そして 洞窟を思わせる曲線美を誇る
台湾のオペラハウス。

伊東は 王立英国建築家協会
国際建築家連合から

最優秀の建築家として
メダルを授与された。

更に 建築界のノーベル賞と呼ばれる
プリツカー建築賞も受賞した

世界的な建築家だ。

そんな伊東が 今 建築の在り方
そのものを問い直し始めた。

それを体現するような建築を作ること。

その取り組みの舞台が 大三島。

過疎化が進む島を 魅力ある島にして

大三島を 日本で一番住みたい島にする
という取り組みだ。

廃校になった小学校を ホテルに改築。

安らぎを感じさせる暖色の壁は
この島の赤土から作られたものだ。

手がけたのは 建物だけではない。

雨が少ない島の気候が
栽培に適していることから

放棄されていた畑で
ぶどうの栽培を始めた。

大三島ブランドのワインを
造ろうという試みだ。

乾杯!
(一同)乾杯!

2015年から栽培を始め 去年 ようやく
220本のワインを造ることができた。

今年は 1, 800本 出来そうだという。

建築家の仕事とは
単に 建物を作ることではなく

人が生き生きと暮らせる場を
作ることではないか。

伊東は そう考え始めている。

そんな伊東が会いたいと願ったのは…。

写真家 小松義夫 72歳。

自由に世界を駆け回りたいと
一匹おおかみのフリーランスを貫いてきた。

小松がレンズを向けるのは
ごく普通の人々が暮らす家。

そして そこで営まれる暮らし。

人が仲よく快適に暮らせる空間こそが
家であり

家という建物は それが形になったものだ
と考えているからだ。

これまでに 世界130か国以上を回り
家の写真を撮ってきた。

あの~ 家の写真を撮るっていうことは…

そこに住む人たちの 非常に こう…

それを こう 追いかけて
写真撮り始めたら

もう 面白くて
やめられなくなっちゃったんですね。

人は どんなところで
生き生きと暮らせるのか。

世界を股にかける建築家と
写真家の対話が始まる。

伊東さん 何か その~ いろんな…

結局ね…

だんだん まあ 年とともに…

ワラオ族っていう人たちが
住んでるんですけど…

「あいつ 寝てるな」なんて
懐中電灯やると…

対談の前日 小松は
まず 大三島を歩いてみることにした。

島のシンボル 大山神社へ延びる参道。

小松の足が止まる。

キャ~ すげえな これ。

かっこいい~。

作り方も そうなんですけど
月日がたってて これ自体

何かしゃべってるんですよね。 だから
応えなきゃっていうのがあるんですね。

島の南側に行くと…。

うれしくなりますね こういうの見ると。
おお~。

大正から昭和にかけて
盛んに栽培されていた タバコの乾燥小屋。

細い路地を行くと…。

うわっ!

そこにあったのは 樹齢数千年の古木。

木を中心に いろんなことが
始まっていきますよね。

ただ 大きい木なんだけど
鳥が巣作ったりとか

この木が水ためて どうなるとかって

そういう あらゆることの始めだと
思うんですね。

小松の目には 一本の古木が
森の生き物たちの暮らしを支える

住まいに映る。

一軒の古びた建物に入ってみた。

こんにちは。

元は役所だった建物を
町のにぎわいを取り戻そうと

伊東が カフェに改装したものだ。

ちょっと この辺り
法務局っぽいですね。

…っぽいですか?
昔の建物って 本当 かわいいですよね。

床も そのままなので もう…
はい ミシミシです。

地元の人々や
観光客の憩いの場となっている。

この島で取れた
かんきつ類のジュースで一休み。

うん おいしいですね。

♬~

翌日 小松は 島の西側にある

今治市伊東豊雄建築ミュージアムに
向かった。

伊東が設計した このミュージアムには
建築の図面が収蔵されているほか

島の人々の暮らしや歴史が
展示されている。

あの~ 大三島まで
わざわざ ありがとうございます。

昨日 おいでになられたと伺って
島の印象 いかがですか?

来た途端に…

ああ そうですね。 私自身も…

そうですね。
そういう土地ってありますよね。

あ~ そうですか。       ここだっていう。
僕も何か所かあるんですけど…

多分 ここは 伊東さんにとって

そういう場所だったんだと
思うんですけど…

なるほど はい。

私も ふだんは 東京で
建築の設計やってるもんですから

あんまり こう…
建築の現場には行きますけども…

やっぱり 自然との関係というか…。

まさに 土地と いろんなことが
かみ合ったんですね。

そうですね ええ。

ただ こう… 何ていうんですかね
伊東さんは この島に関わり始めて

いろいろ やっておられるの
分かるんですけど

一応 あの 建築家っていったら…
どうなんですかね? こう…

だから 個人的には 僕は ちょっと こう
僕がやってることから

距離を置いて
いつも見てたんですけども

伊東さん 何か いろんな こう…
ものすごい分かりやすい言葉で言えば…

むしろ その… もしかしたら…

まあ 大きく…

建築用語で言うと

近代主義の建築と 我々呼んでる…。

僕らも 学生の頃から

古いものは もう壊しちゃって
新しいものにした方がいいんだという

教育を受けてきて。

それだけではなくて…

そうは言いながら
昔の日本の民家のように

そこへ行ってしまうと
冬は寒いんじゃないか

夏は暑いんじゃないか
ということで

そういう生活は
今の人には なかなかできないから

じゃあ その技術を使って

もっと 自然との関係をよくすることが
できるんじゃないだろうか

もう一回 自然と親しむような関係が
できるんじゃないかということが

一つの理由なんですね。

まあ ここなんかも そうやって…

それが一つの理由。 もう一つはですね

ず~っと これも… まあ 自分も
若い頃 そうだったと思うんですが

小松さん言われる
かっこいい建築 作りたいなって

やっぱ思ってきて。
ええ。

それを じゃあ
「誰に自慢したいの?」っていうと

結局ね…

あ~ でも分かるような気がしますね。

だんだん 年とともに…

じゃあ 「建築って 誰のために 何のために
作るの?」ってことを

考え始めたんですね。

それで 何か我々にも
お手伝いすることできるだろうと思って

夜行バスで着いたら
まあ その被災地の人たちが…

いきなり 着いたばっかりに言われて

いや~ これは… 大変なところへ
来てしまったなと思ったんですけども…

その人たち… 家がなくなって
町がなくなった そういう人たちに

何言ってんの?
みたいなことだと思うんで

そこで…

2011年の東日本大震災
それは 伊東にとって

建築家としての在り方を考え直す
大きなターニングポイントだった。

地震発生から3週間後
被災地に入った伊東。

それから 何度も足を運び
住民の声に耳を傾けた。

仮設住宅は機能的だが 各戸が分断され
みんなで和める場所がない。

昔の家にあったひさし
みんなで腰を掛けられる縁側

そして 木のぬくもりが欲しい。

そんな声を受けて 完成したのが
みんなの家。

外には 待望のひさし そして 縁側。

家の中には
畳敷きのくつろげる場所を作った。

誰がいるのか
外から すぐに分かる大きな窓。

更に まきストーブ。

火のぬくもりを中心に 話の輪が広がる。

伊東は この経験を通して

建築は建築家のものだけではなく
人々の暮らしのためにあると

改めて感じたという。

その後 仮設住宅の人々が家を再建し
元の土地に戻った際

この みんなの家も一緒に移築された。

人々の暮らしに欠かせない場になっていた
みんなの家。

例えば 住宅で言えば 多くの建築家は…

壁と窓とが 一つになってるような

そういう家が美しいというふうに

どっかで思い込んできた
傾向があるんですね。

そういうものを信用しないぞっていう
そういう気持ちが

住民の人には 無意識のうちに
あったんだろうと思います。

まあ そういうことを もう一回
考え直してみようよと思い始めたんです。

その2つが折り重なって

自然との関係 それから

建築を誰のために作るのか
っていう問題で…

あ~ なるほど。
それで 当初は

自分の作る… かっこいいといわれる
まあ 建築家的な作品としての建築と…

「それ どうすんの?」みたいなことを
よく言われてたんですが

まあ 少しずつ それが…

まだまだ… もっと もっと 何か
できるんだろうとは思いますけれども。

被災地支援とともに
伊東が活動の舞台にしたのが大三島。

美術館の設計を依頼されたのをきっかけに
島に足しげく通うようになった。

豊かな自然。

ゆったりと流れる時間。

そして 温和な人たち。

すっかり
大三島の魅力に取りつかれたという。

今 島は高齢化が進み
人口は ピーク時の半分以下。

島に活気を取り戻すための
取り組みが始まった。

廃校になった小学校。

当初 民宿として使われていた。

取り壊しの話も出たが

人々の記憶が詰まった建物を
取り壊すべきではないと

快適なホテルに改築することになった。

工事は 地元の高校生も手伝った。

教室は 客室に。

理科室は
なんと 食堂に生まれ変わった。

更に 神社の参道にあった
古い木造の建物はカフェに。

放棄されていた畑は
ぶどう畑によみがえらせた。

昔からあるものを生かすことで
島の人たちが輝き始める。

取り組みは まだ始まったばかり。

野菜やパンを作ろうという若者も
集まってきた。

伊東は 今 島の未来を建築中だ。

昨日 あそこの…

あっ そうですか。
それが 何か…

それで あの もう
全く忘れてたんですけど

小学校2年の時に
東京の田無っていうところの

田無小学校っていうところに
1年通ったんですけどね

昨日泊まった小学校と同じぐらいの
歴史だと思うんですけど。

ああ そうですか。
ええ。 それが もう その時の…

昭和29年の田無っつって もう
思い出って こう きっかけですから

それが外れちゃったら ああ…

小川っていうか
道の端に水が流れてるんですよね。

それで…

そんなことが こう
わっと思い出されて

とっても 何か よく眠れましたね。
あっ そうですか。

非常に幸せに寝れて…。
ああ それはよかったです。

いや~ 私も あの 中学生まで

信州というか
長野県の諏訪で育ったもんですから

やっぱり ああいう…

いいですよね。
今朝も歩いたし 昨日も歩いた。

何でこんなにいいんだろうって…。
そうですね。

あと 土壁ですね。
そうなんですよ。

すごいですね。

絶対に あの土の家 いいんですよね。
その土があるものってね。

最近 我々も こう…

そういうところに こう…

いいですね そういうの。

そうそう 昨日歩いた
法務省の 何ていうんですか

あれは どういう名称なんですか?

みんなの家という。       そうそう。
みんなの家 そうそう。

あれも… あれもすばらしいですね。

ただ…

それで 今 みんなの家として
昼間 カフェ。

まあ ですから これも また
まあ 参道には

古い建物が いくつも残っていて

とてもきれいな民家も
あるんですけども

もう…

ああ そうですね
傷みが早いですね。

ひさしなんか もう
瓦が落ちてる状態。

まあ 僕らで
まあ 多少のサポートしながら

こう あの…
修復をしているんですけれども。

ああいう こう 古いもの…。

ああいう 使われなくなった
小学校っつったって

結局 町行く人とか何とかっていうのは…

そうなんですよ。
それを…

だから… 本当すばらしい試みだと
思いますね。

もう 一時は お金がないので

もう… 壊しちゃおうかっていうふうに
市は 思ってたようなんですが…

そういう人たちが 是非…

いや あれを… 元気になるといいですね。

核に… あれが核になって。

これまで 伊東が作ってきた
建築の数々には

周りの環境と建築を いかに調和させるか
というコンセプトが貫かれている。

バブル期の作品。

都市で 消費生活をおう歌する
少女のための家。

都市自体が 居住空間と考え

必要最小限の衣服のような家
というコンセプトを提示した。

2001年に開館した…

そこは 図書館 ギャラリー

映像音響ライブラリーから成る
複合施設。

透明なガラスの壁面と
やわらかな曲線を描く柱は

緩やかに 外界へとつながっている。

建物の内側にいる人が 外側の世界と
心地よい関係を作ることができる。

それが 伊東の目指す建築だ。

僕も 渋谷に オフィスがありまして
渋谷 今 ものすごい再開発

大きな再開発が行われて
もう 毎日 日替わりのようにして

駅の周辺 電車に乗るルートが
変わってるんですね。

それで ああいうのを見てると ますます
何か 高層化していけばいくほど

渋谷の特性 いろんな場所の持っている
違った力みたいなものがなくなって

全く同じ…

そもそも 本当に…

何か その…

まあ 東京っていう町は
どうなってしまうんだろう…。

そうですね。

でも 結局 何か 建築もそうですけど

使う側の人間を こう
分断していこうという…。

それで… それ やっぱり もう 僕なんかは
個人的に耐えられなくなってますね。

ああ~ でしょうね。

どこだかな…。
駅を 新しくしたのがあるんですけど…

座るところに 隣の人と…
全く これ 必要ないのに 何で…。

結局 もう…

いや それ ものすごく… 全くね
それ ベンチの話は象徴的ですけれども…

そうですね。
で 本当は やっぱり…

それが 最近 やっぱり あんまり 何か…

そんな気がしますね。

正常だとは 僕も思わないですね。
むしろ 技術に

人間が従っているような
そういう印象を受けますよね。

それと 反比例して…
比例してというか 反比例してというか

こういう場所に
足しげく来るようになりましたね。

だから 便利とか何とか
っていう言葉でも…

それ… わざわざ それを刺激するために
何か… 何て言うんですか

それのバランスのいい社会が出来たら
すばらしいなと思うんですけど。

そうですね。 だから ここで…

そう そう そう そう… そうですね。

そういう方が やっぱり 人間って 何か…
自然の中で 自然の一部分として

生きてんだなっていう実感を
持てるんじゃないかなと思いますね。

まあ そういう意味では
小松さんが 世界を歩いて

プリミティブな住宅を
撮られ続けておられる

ああいうのは もう 本当に
僕らにとって

考えさせられること多いんですよね。
そうですか…。

後半は…。

舞台をスイッチ!

小松は これまでに
20冊近い書籍を出している。

被写体は ごく普通の人々が暮らす家。

取材地は 行けるところならば
地球のどこまでも。

後半の対談は ホテルに改築された
小学校の2階で行われた。

ところで 小松さんは もう…

あまり 数えるの
好きじゃないんですけども

何か 今 パソコンで
こう カタカタやると

訪れた国っていうのが
ピコピコいくのがあって

それ やったら…

139!

へえ~。
あんまり 僕は 数で言うの

好きじゃないんですよ…。
ただ そうだなというふうに思いますね。

同じとこ 何回も行ったりしますし ええ。

すごい 危険な目に遭われたってことは
あんまりないんですか?

う~んと… そうですね 一度…

それは… ヨハネスブルクってとこ
危険だっていうんで

結構 いいホテル泊まって。

ただ 夕食に 外出て
そこが レバノン料理屋で

昔 レバノン よく行ってたもんですから
懐かしくて ちょっと…

それで ちょっと… どうなんですかね…

気が緩んだから
何か 隙が見えたんでしょうね。

彼ら いきなり切ってくるんですね。
指 切られちゃって。

シャッター指 切られちゃって。

4, 000円か 5, 000円入ってる…。

ホテル 逃げ帰ったんですけど。
ああ そうですか。

いや 普通の… 普通の人間は
もう そういうこと1回あったら

二度と行きたくないと思うんです。

そうは ならないわけですね。
ならないですね。      小松さんの場合は。

写真学校で学んだ後
スタジオカメラマンをしていた小松。

1年で 窮屈なスタジオから離れ

25歳で フリーカメラマンとなって
日本を飛び出した。

結婚したばかりの衛子さんを伴い

500ドルで買った車で 旅に出る。

東欧・中近東を巡る 撮影の旅。

旅路は 2万kmに及んだ。

以来 衛子さんは
小松の撮影の大切なパートナーだ。

35歳の時 転機が訪れる。

早稲田大学 登山隊遠征への同行を
依頼されたのだ。

目指すのは 世界第2位の高さを誇る…

山登りの経験は皆無。

だが 持ち前の無鉄砲さと好奇心で
引き受けてしまう。

何度かクレバスにも落ちる
危険なチャレンジ。

標高6, 400mまで行った小松。

酸素は 標高0mの半分以下。

生まれて初めての低酸素にあえいだ。

だが この経験が 小松に
生涯のテーマを与えることになる。

空気半分以下で 登山活動を

大体60日ですから
2か月 そこにいたんですよね。

6, 400のキャンプツーってとこまで
上がったんですけど

そこは もう
酸素が より少ないんですよね。

…で そこで 嵐に閉じ込められて
動けなくなったりとか

そんなことして 無事に終わって
帰ってきたんですけど

もう 本当に こう 幸せ…
それが終わって全部 撤収して

下に降りてくと 一日に500とか800とか
降りてくんですよね 高度を。

そうすると 本当 幸せなんですよ
空気が吸えるって。

それで 大体…

要するに 本当に…

後で いろいろ調べたら 人間のいわゆる
子孫を残せる限界というのが

大体4, 300mぐらいだって。 それ以上だと
次の世代作れないんですね。

ということは 人間って ものすごい
はかない存在だっていうことを

本当 思ったんです。 たった 4.3kmで

4.3kmって
こう倒すと散歩の距離ですよね…

それで動き始めたんですけど。

人が普通に生きていることのすばらしさ。

そこにレンズを向け始めた小松。

人が生きていることが形になったもの
それが 家だ。

(シャッター音)

土台の丸い石 壁を塗る泥
屋根をふく草。

全て その土地にあるもので 家を作る。

山から流れてくる川 豊かな放牧地
平地には 畑も作れる。

土地の人々は
ここをパライソ 天国と呼ぶ。

(シャッター音)

エチオピアにある
木の枝と草だけで作られた家。

これを見た小松は 「結局 家とは 人間の巣
なのかもしれないと思った」という。

人が暮らすことをやめれば
跡形もなく 大地に返る。

(シャッター音)

ポルトガルの岩を利用して出来た家。

岩を削るのでも 動かすのでもなく
岩と岩の間に人が住んでいる。

人間ではなく 岩が主人公。

この家を見た小松は
「柔軟な発想と自然に対する態度に

救われた思いがした」との言葉を残した。

小松は 72歳になった 今でも

一年の3分の2は 世界を飛び回っている。

今年 また これから
どっか行かれるんですか?

そうなんですよね…

2か所 非常に面白い
スレート屋根の家と

あと もうちょっと 何か
壁が すごい面白い

非常に印象的な壁の…
村落があるんですけど。

そっち行けるかな ちょっと…。

「そのあとは…」ってね 結構 頭の中は
そういうのが こう 回ってまして

今 あの…

今年の予定っつって
こう やるわけいかないんですよね。

予定入れたら 政治が…。
予定が立たないですね。

立たないですね。 政変が起きたりとか
すごい山火事になっちゃったりとか

だから 非常に ぼんやり…

じゃあ まだまだ 尽きないですか?

そうですね 尽きない…
これは やめられないですね。

(シャッター音)

家の中には そこに住む人々の精神性を
象徴するものもある。

これは ブルキナファソとガーナに暮らす
カッセーナ族の家。

全てが 曲線で構成されている。

先祖代々受け継がれた この形に

小松は 不思議な感覚を味わったという。

あそこは いわゆる一夫多妻で
奥さんが何人かいたら

奥さんが それぞれ あの家持ってんです。

それで あれの中
何度も入ったことあるんですけども

ものすごい安心するっていうんですかね
もう角がないんですよ。

女性が手でこねて 曲線作ってって。

あの家自体 あの部屋自体が
女性の部屋だっていう…

要するに 女性そのものだというような
ふうに僕は感じたんですね。

もう全部 曲線で 次の間に行くと
非常に儀式的なかまどがあって

かまどって あれ
女性の象徴なんじゃないかな。

それが 非常に
女性的な形のかまどがあって。

あそこで思ったのは
出入りするのに 一回

入り口が小さいもんですから
くぐらないといけないんですね。

体使って。 そうすると 本当の…
何て言うんですかね

女の空間が広がるわけなんですけど。

多分。 入った時に 全くそう思いました。

だから もう胎内回帰で。
あ~ そうですか。

完全に これも 要するに 僕の気持ち
気分的には

これはもう 胎内だっつって もう…

あ~ そうですか。
いや~ そのお話を伺うと

何か 見てみたいなと思います。
なかなかね

それは 写真でもさ 何かね
その身体感覚っていうのは…。

そうなんですね。 あれは まあ 今 行けて
それほど問題なく行けるんですけど。

非常に魅力的ですね。

世界中の不思議な家の数々。

だが いきなり訪ねてきた外国人に

やすやすと自分の家を撮らせてくれる人は
まれだ。

そこには 小松ならではの撮影術がある。

モーリタニアっていう
サハラ砂漠の一番西で

サハラ砂漠が 大西洋に
落っこちるとこにある国なんですけど

人口 非常に少なくて
その砂漠のど真ん中に行ったんですけど

オアシスの街で 昔 オアシスとして
栄えたんですけど

そこに ものすごい面白い
複合的な家があってですね

非常に面白い模様があるんですよね。

それを撮りたいって
一人で行ったんですけど

駄目なんですよ
家の中って 女の城だから

イスラムの結構 強いイスラムなんですね。
だから 駄目 入れてくれないんですよ。

それで 外側撮って
結構 途方に暮れて こうやってて

当時 フィルムのオートフォーカス
じゃないの使ってて

フィルム撮り終えると
フィルム入れ替えて

フィルムの缶からが
もう不要品ですから

捨てないんですけど ここに こう
入れてると もう賢い女の子が見てて

手出すんですよね。 あげる。

僕は オアシスの方の井戸の方行って
ラクダが水くんでるとこ撮ったりして。

その子が ず~っと僕の後 ついてきたら
ものすごく勘のいい子で

僕が家の中撮りたいってことを察して

僕が がっくりしてたら その子が
家の中から飛び出してきて…。

それは 要するに…

コーディネーター雇ってじゃなくて…

その女の子は 僕を案内することが
もう 楽しくてしょうがなくて…

勘のいい女の子ですね。

もう一つ 何か
ブルキナファソっていう国で

あの国好きだから
何回も行ってるんですけど

その ニジェールっていう国の近くの

村に ちょっと住み込んで
村の生活 撮ってたんですね。

で 近くに遊牧民がいるっていうか…

牛を飼ってるんですけど

それが あの 自分たちの牛も
持ってるんですけど…

そういう関係で成り立ってるんです。
なるほど。

そこ行こうと思ったら…

…って思ったんだけど。

運転手もいて…

そしたらね 遊牧民の人たち
何にも気にしないんですね 僕のこと。

写真の撮影許可も何にも…
撮っても 何にも

もう…

それで…

全然。

だから ああいうとこ行くんでも
ランドクルーザーで乗りつけるのか

ロバ車で行くのか 歩いて行くのかって…

そういう だから…

何か そういうものを味方にして
やれてる部分ってありますね。

あの~ もう一つ
是非 伺ってみたかったのは…

ええ。 はい。

あれもすごいなって思って あの…
あれも…

あれ 基本的に…

ああ そうなんですか。

自分の家の壁に模様を描く
アフリカの女性たち。

日本では 家は 専門の職人に
作ってもらうのが当たり前だが

自分たちで作る地域も多い。

伊東は そんな姿に
心引かれるという。

あれは 何か その…

自分の家は自分で描く。

そうなんですね。             へえ~。
それで 手でやるんです。

おばあさんから教わった図形とか
何とかの図形とか…。

それぞれ こう 違うんですか?
違うんですね。

へえ いいですね~。
楽しそうですね。

あの時はね… そうそうそう。 あの時は…

ああそうですか へえ~。
そしたら

何て言うんですかね 歌で…

いじりながら こうやってって。

それで あの これは何て言うんですかね…

通りがかりのやつは…
大したお金じゃないですよ コインで。

要するに それで あれすると…

すぐ。         それが歌になる。
歌になって。

それを塗って…

そういう 何て言うかな… もう…

ああ やっぱり 何か
出来上がった壁を見ていると

そういう 何て言うのかな
こう 楽しさっていうか…

要するに…

要するに…

そうなんですね~。
そのことが あの

至る所に出てくるわけですけども。

我々…

でも 実際に 僕も あの~

曲面の建築 よく作るんですね。

で コンピューターの
テクノロジーが発達すると

その~ 三次元の曲面って
図面も描きやすくなるし

それから 実際に 施工の人たちも

コンピューターで寸法を出しながら
作ってるんだけれども

その面倒くさい…

そうでしょうね。
それでね

あの まあ 台湾で
オペラハウスなんかをやった時に

これ 洞窟みたい
至る所 三次元の曲面で 洞窟みたい。

それは たまたまなんですが

かなり コンピューターの技術
もちろん 使うんですけども…

それを見ながらね
これが もし 本当に…

…って考えると

やっぱ…

…と思いました。

だから 僕は あれなんですね
日本の建築士…。

どうして みんな こんなに
ちゃんとしてるんだろうって。

ええ それで もっと 何か こう

いい加減っていう言い方
おかしいですけど

もっと こう…

…ってぐらい スッてやりますよね。

木造建築にしても。 それは それで
すばらしいことなんですけど

何か あの もっといい加減で
いいんじゃないかなって

ちょっと 思うこと多いですね。 ええ。

では 人にとって
本当に居心地のよい建築とは?

2人が 今 考えていることは?

僕も どういう建築作りたいかって
言われると

やっぱり 一番なのは 心地よい建築を
作りたいと思うんですね。

それで ある若い建築家の家族が

その家族は いろんなとこを やっぱり
建築家だから…

現代建築ですけどね。
見て… 子ども連れて歩くんですよ。

そうすると…

…っていうんですよ。

極端な例だとは思いますが…。
僕は それ そうだと思いますよ。

そうですか。
ええ。 彼ら… 彼らはすごいですよ。

うん。 だから 動物に近いですからね。
ええ。

だから やっぱり…

ハハハハ そうですね。
建築とか 社会とか そうですね。

いや~ 僕は 犬を飼っていて…

そういう 何て言うかな その…

お前 ここで食べなさいとか

ここでテレビ見なさいとかって
いうふうに…

そうですね。

何か その辺り…

そうですね。

例えば…

あれも つい最近なんじゃないですかね
個室っていう。

いや そうですよ。
プライバシーということが

もう
一番の条件だっていう時代があって

ねっ 戦後 特にね。
2DKっていう 3DKっていう

呼び名に
もう典型的に表れてますけども

あの そんなに…

そうですよね。
う~ん みんな 何か ねえ

寝っ転がって 食べながら
テレビ見ていたり

寝ながらテレビ見ていたり
いろんなことやってますからね。

…と あの~ すごく思ってます。

いろんな 何て言うかな こう…

世界のさまざまな家を撮ってきた小松。

中でも 特に忘れられない家があるという。

南米 オリノコ川の上に建てられた
壁のない家。

オリノコ川の
こう 一番デルタ地帯っていうのは

水路が網の目に張り巡らされてて…

ものすごい こう
ピースラビングっていうか 何て言うか…

そこに 大体5日ぐらい いたんですけど…

建築もくそも…

ハンモック 引っ掛けて
あれは すばらしくて

すごい快適なんですよ。

本当に こう幸せだったなって。

そこへ行った時に…

ああ なるほど なるほど。

それから トイレなんかだって
ただ やりっぱなしで

食べに来て
きれいになっちゃうんですよね。

だから
本当にそこで寝た時っていうのは

本当 その…

「あいつ 寝てるな」なんて
懐中電灯でやると

目がピカッて光ったりして。

普通の 何て言うんですかね 普通の人の…

世界平和とか
それから どうのこうのとかって

そんな 何か あんまり…

いや~ だから
普通の人の普通の暮らしとか

ちゃんと ごはん食べる
ちゃんとした暮らしっていうのが

まあ 一番 何かグサッと来ますね
我々には… はい。

♬~

対談が終わる頃 瀬戸内海に夕日が沈む。

♬~

暮らしと建築を巡る2人の旅は
まだまだ終わらない。

♬~


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