ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「チャーチル」 安藤和津、いとうせいこう、SHELLY、岡田准一


出典:『ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「チャーチル」』の番組情報(EPGから引用)


ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「チャーチル」[字]


MC岡田准一が、タフな精神で挫折を乗り越え続けた、元イギリス首相・チャーチルをプロファイル!世界の経営者が尊敬する人物のトップに選ばれ続ける秘密とは?


詳細情報

番組内容

現在も世界の経営者から絶大な人気を誇る元イギリス首相・チャーチル。子供のころは落ちこぼれで、政治家になってからも挫折の連続だったチャーチルは、どうやってリーダー像を作り上げたのか、MC岡田准一がプロファイル。落選の痛手を救った趣味とは?圧倒的な戦力のヒトラー率いるナチスドイツに対抗するための手段とは?第二次世界大戦で勝利し、戦後は作家としてノーベル文学賞も手にしたチャーチルの波乱万丈の人生に迫る。

出演者

【司会】岡田准一,【ゲスト】安藤和津,いとうせいこう,SHELLY




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ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「チャーチル」
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『ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「チャーチル」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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ある調査では
こんな結果が出ました。

そうそうたるメンバーを抑えて
1位に輝いたのが 今回の主人公。

イギリスの第61代首相
ウィンストン・チャーチル。

ヒトラー率いるナチス・ドイツに勝った
不屈の精神。

イギリス国民を鼓舞するスピーチ力。

そんなチャーチルの人生

実は 失敗と挫折
敗北と失望の連続だったんです。

イギリス屈指の政治家として知られる
チャーチル。

実は 政治以外にも
さまざまな顔を持っていた。

権威あるロイヤルアカデミーで
展覧会を開いたほどの画家の顔。

生涯で30冊以上の本を書き

ノーベル文学賞を受賞した
才能あふれる作家の顔。

レンガ職人の組合に加入し
自宅の壁を自ら作った レンガ職人の顔。

こうした知られざる顔は
失敗と挫折を繰り返し

それでも首相を目指した

チャーチルの歩みから
生み出されたものだった。

父親から
「負け犬」と蔑まれ

愛情に飢えた少年時代。

軍人として
成功できなかった
青年時代。

そして 当選と落選を繰り返した

政治家の時代。

そんなチャーチルが

なぜ 世界の歴史に
名を刻むことができたのか?

今夜は 不屈のリーダー
ウィンストン・チャーチルを

プロファイル!

♬~

イギリス国民に 「ウイニー」という愛称で
親しまれたチャーチル。

死後 半世紀以上が過ぎた今でも

彼を主人公にしたドラマや映画が
作られている。

第2次世界大戦で イギリスの首相として
国の命運を握ったチャーチル。

ヒトラー率いるナチス・ドイツと
和平交渉するか

それとも徹底抗戦するか
決断を迫られた。

(歓声)

チャーチルの このひと言が

ドイツが優勢だった戦争の流れを
変えることになる。

この時…

実は 初めて首相になったばかりの
遅咲きの政治家人生だ。

若い頃のチャーチルは
親も見放すほどの不良で

首相など 夢のまた夢だった。

イギリス オックスフォード郊外にある
ブレナム宮殿。

チャーチル家の屋敷である。

チャーチル家は
およそ150年にわたって続いた貴族の家柄。

1874年 チャーチルは
この宮殿で生まれた。

父 ランドルフは
後に財務大臣を務めた政界の貴公子。

母 ジャネットは
ロンドンの社交界でも有名な美女だった。

チャーチルは 7歳で
名門貴族の通う寄宿学校に入れられた。

これは…

常に…

息子の通信簿を見た
父 ランドルフは こう言った。

だが チャーチルは
どんなに冷たくされても

父を尊敬し 憧れていた。

演説原稿を読んだり
父が載っている新聞記事を集めて

どうしたら父のようになれるのか?
と考えた。

父親から突き放された息子。

優しく抱き締めてくれるはずの母親も
チャーチルには冷淡だった。

チャーチルが
寄宿舎から母に書いた手紙が残っている。

そんなチャーチルの孤独を癒やしたのが
おもちゃの兵隊。

チャーチルは 人形の兵士を
指揮している時だけは 夢中になれた。

その姿を見た父 ランドルフは

政治家よりも向いているのではと
チャーチルに軍人の道を勧めた。

なんとか士官学校に入学したチャーチル。

19歳になったある日
思いもよらない知らせが届く。

父 ランドルフが 演説の最中に
言葉に詰まってしまったのだ。

原因は 脳に至る重い病だった。

チャーチルの前から
目標とすべき偉大な父は 突然消え去った。

士官学校を卒業したチャーチル。

初めて自らの意志で選んだ場所は…

イギリスは
世界中に植民地を持つ大英帝国として

栄華を極めていた。

ところが 19世紀の末から
各地で植民地の独立運動が勃発。

武力反乱も しばしば起きた。

チャーチルは
そうした反乱を抑えるべく

インド スーダンなど 戦地を転々とする。

最前線に立ち
敵の弾丸をよけない命知らずの活躍で

頭角を現していった。

戦線を転々とする生活の中
常に持ち歩き 夢中で読んだ本がある。

父も愛読していた 「ローマ帝国衰亡史」だ。

大英帝国の行く末に危機感を持つ
チャーチルにとって

本に記されたローマ帝国の衰退の歴史は
他人事とは思えなかった。

大英帝国を保持するため
自分は どうすればよいのか?

戦場から戻ったチャーチルは
軍人をやめ 父と同じ…

24歳で下院議員に立候補したのである。

しかし
実績も知名度もないチャーチルは落選。

(チャーチル)とにかく 知名度を上げなければ
選挙には勝てない。 どうしよう。

その時 チャーチルが
目をつけたのは

南アフリカで起きていた
ボーア戦争だった。

イギリスが
新たな植民地を獲得しようと

オランダ系のボーア人に対して
起こしたものだ。

チャーチルは 新聞社と契約を結び…

これは 船に乗り込むチャーチルを
偶然とらえた映像。

何とか一旗揚げたいと
野望に燃える若者だった。

ところがチャーチルは 現地で
敵に捕らえられ捕虜になってしまう。

3週間が過ぎた頃
チャーチルは仲間と脱獄を試みる。

しかし…。

監視の目を盗んで脱獄できたのは
チャーチルだけ。

敵地の中で たった一人の逃亡が始まった。

チャーチルは ひそかに列車に乗り込んだ。

目指すは 500キロ先の
ポルトガル領 モザンビーク。

そこまで行けば
助かるはずだ。

脱走して すぐ
チャーチルには追っ手がかかり

懸賞金も懸けられた。

このまま駅に行っては危ない。

チャーチルは 思い切って
列車から飛び降りた。

脱走から丸2日
ろくに眠っておらず 何も食べていない。

いちかばちか 一軒の家のドアをたたいた。

(ノック)

男は 現地に帰化した元イギリス人。
この地で数少ない味方だった。

捕虜の身から脱獄し
単身でイギリスに生還したチャーチル。

マスコミは
こぞって英雄として取り上げた。

図らずも抜群に知名度を上げた
チャーチルは

選挙に立候補し
念願の初当選を果たす。

25歳だった。

さあ ということで しょっぱなから
すごい物語が見れましたけど。

(いとう)なんか インディ・ジョーンズ
みたいじゃないですか?

冒険譚 見てるみたいな感じがね
すごいしましたけど。

SHELLYさん どうですか?

お恥ずかしい話 私
全然 詳しくなくてですね。

ウィンストン・チャーチルっていう
すごい人がいて

割と欧米文化だと
知識をひけらかす人たちは

いろんな有名人の名言を
言ったりするんですよ。

「この場合 チャーチルだったら
何とかって言ってたね」っていう

そういう時によく出てくる
名前のイメージです。

いっぱい名言を残してる人物
っていう位置づけというか。

言葉がすごい?
言葉がすごい人っていうイメージですね。

せいこうさん どうですか?
(いとう)僕は今 57なんですけど

57ぐらいの人たちにとっては
政治の中で

チャーチルっていう名前が出てくる機会は
まだあったんですよ。

それ以降は すごく

アメリカの大統領の名前を
聞くことの方が多くなっちゃって

イギリスの政治家の名前を
言わなくなったけれども

チャーチルっていうのは 普通に
日本の中でも すごい保守の政治家で

軍人で 強い男っていうようなのが
あったんです。

私のイメージはね
ものすごいプライドが高くて…。

イギリス人って
プライド高いじゃないですか。

ちょっと
鼻持ちならないような部分もあり

演説なんかでも なんか
その部分をうまく交えながら

人を引っ張ってきた感じが
すごく するんだけど。

お父様も政治家で
小説書いていらっしゃいますよ こちらは。

イギリス留学も2年間ぐらい…。
はい。

でもね ああいう男の人を陰で支えた
チャーチル自体の奥さんだったり

子供だったりに
私は ものすごい興味があるの。

さあ それでは
最初のテーマにいきたいと思います。

なぜ 落ちこぼれが政治家になれたのか?

安藤さん どうですか? リストの中で。

それは やっぱり この人の人生から
考えたら お父さんですよね。

父 ランドルフ。
(安藤)ランドルフ。

厳しそう!
(安藤)ねえ。 子供にとって 親って

絶対に乗り越えられない存在でしょ
小さい時から。

レールがある程度できてるわけじゃない?
家庭の中で 自分の未来への。

そこからちょっと外れると負け犬だったり
ダメだって言われちゃうから

そこはね なんか
人の2倍3倍のね じくじたる思いはね

抱えているはずなのよね。

チャーチルも やんちゃな感じが
だいぶしてましたけど

それは やっぱり分かる?
(安藤)でもね

やんちゃってことは やっぱり
自我があるってことでしょ。

他の人と違うんだから。

自分は自分の道を行く みたいな
なんかがあるわけよ。

だから それをね お父さんがあえて

要するに
獅子が子獅子を崖から突き落として

はい上がってこいっていう意味で
お前は負け犬だって言って育てたのか。

でも俺 さすがに自分の父親から お前
負け犬だって言われたことないですよ。

すごい言葉ですよね。
すごい言葉だよ。

すごいわ。
ずっと抱えちゃう やっぱ。

すっごい傷ですよね それ。
負け犬なんて言われたら…。

このままいくと お前
負け犬になるよっていうことだったのか。

お前 すごいのに 違う方にいってるから

負け犬になっちゃうよって言われたら
頑張るかもしれないですね。

せいこうさん どうですか?
リストの中で。

僕はね この「ローマ帝国衰亡史」は
猛烈に気になるんですよ。

ギボンっていう人の書いたもの
なんですけど やっぱり政治家ってね

特に昔の政治家は こういう歴史書は
ものすごく読んだものなんですよ。

なぜかっていうと
大きな目で見れるでしょ 事態を。

そうじゃないと 自分が今こうやれば
こう受けるっていうだけの

政治になっちゃうけども
今は 文句をみんなに言われてるけど

100年後 この国を良くするためには
ここに川を通さなければならない

っていうことは
やっぱり 歴史書で学んでいくんですよ。

しかも 歴史書って
どういう視点をくれるかっていうと

常に自分を客観的に見るっていうやり方。

だから これを読んだことは
チャーチルにとって

俺 今
ただの不良みたいなことやってるけど

しかし いつか
これが報われる時がくる とか。

だから この歴史書が 僕は
大きかったんじゃないかなって思う。

特に 名を上げることに
あんだけ集中する人は。

どうやれば名が上がるか
分かってるんですからね。

岡田さんも すごい 歴史好きじゃ
ないですか。
そうだよね!

将来…

そうなの?

俺 応援演説するけど。
私も行く それは。

岡田君なら するよ。
いやいや 全然…。

それで やっぱり
読みあさってらっしゃる…。

なんか照らし合わせるのあるでしょ
人生で とか。

分からないことも なんか
歴史を学ぶと そこに物語があって

同じことを悩んでたり
それを解決した人がいたり

人間が経てきた感情みたいなのが

味わえる感じがして

歴史書を見て それをこう…。

歴史書っていう
難しいもんではなかったですけど

歴史を読みながら なんか
昔の人も変わんないんだとか。

(いとう)そうそう それそれ!
(SHELLY)確かに そうですね。

SHELLYさん どうですか?
リストの中で気になるものっていうのは。

(SHELLY)母への手紙は
ちょっともう聞いてられないですね。

「どうか どうか
絶対 絶対来てね お母さん」って

「do do do do do」って
もう ちょっと悲しいですね。

(安藤)切ない これ ちょっとね。
こんなに言って

会いに来てね  絶対会いに来てねって
言って 来ないことで

やっぱり 自分で
ちゃんとレールを敷いてって

頑張っていかなきゃいけない
っていうふうに思ったんですかね。

会いに行っちゃいけないんじゃない?
やっぱり そんなには。

私たちが思う こういう子育てだけが
ベストではない時代と

家庭環境だったのかも。
(SHELLY)かもしれないですね。

岡田さんは どう思いますか?
何で落ちこぼれちゃったチャーチルが

政治家になれた理由 何だと思いますか?
そうですね…。

でもやっぱり お父さん
すごくおっきいと思うんですよね。

追い求めているものが
途中でいなくなったというか

絶対的に褒めてほしい人に

褒めてもらえなく
なってしまったものって

なんか 一生つきまとうじゃないですか。

「何かを成すんだ」って 若いうちから
考えてる 考えてないって

なんか おっきいんだろうなっていう。

それが やっぱり
父の壁だったんだろうなっていう。

亡き父の背中を追って
政治家になったチャーチル。

だが 65歳で首相に就任するまでには

何度も失敗をおかし
政治生命を失いかねない挫折も経験した。

なぜ チャーチルは失敗続きでも諦めず
強い心を保つことができたのだろうか?

33歳の時
チャーチルの人生を変える女性が現れた。

9歳年下の妻は 生涯にわたり
チャーチルに安らぎを与えてくれた。

2人は5人の子供に恵まれる。

手紙には 2人の間だけに使われた
親密な呼び名が書かれている。

クレメンティーンが
チャーチルへ送る時は…

チャーチルから
クレメンティーンへ送る時には…

手紙には
名門貴族や政治家から連想する

堅苦しさは みじんもない。

家庭を得て
ますます仕事に打ち込んだチャーチル。

その甲斐あって…

(砲声)

就任3年後の…

イギリスは
フランスなどと 連合国の一員として

ドイツに宣戦布告した。

チャーチルは
ドイツに大打撃を与えるべく

「ガリポリ作戦」を立案した。

目標は トルコ・イスタンブールの占領。

黒海とエーゲ海をつなぐ
この要衝を抑えて

ドイツの補給路を断つ作戦だ。

ところが…。

イスタンブールを望むガリポリ半島に
上陸を試みた英仏連合軍は

6万もの犠牲者を出して大敗。

この事態を受けて 作戦の立案者である
チャーチルに 非難が集中した。

チャーチルは 戦争中にもかかわらず
やむなく辞任した。

このころ チャーチルは
妻への手紙に不可解な文章を書いている。

チャーチルは犬を飼っていなかった。

チャーチルは
彼にしか見えない「黒い犬」におびえ

その後も落ち込むたびに悩まされた。

この「黒い犬」とは何だったのだろうか?

大臣の座を追われたチャーチルは

妻 クレメンティーンの勧めもあり
田舎で静養することにした。

やがて チャーチルは 目に映る
豊かな森や湖の風景を描き始める。

チャーチルは 無心に何枚もの絵を描いた。

後に その心境を こう表現している。

気力を取り戻し
ロンドンに戻ったチャーチル。

この時 40歳。

大臣を辞任し
政治生命を絶たれたも同然だった。

(チャーチル)今の俺にできること…
あれしかない。

チャーチルが選んだのは
一兵士として戦場に向かうことだった。

大臣まで務めた人物が最前線に立つのは
極めて異例だ。

死と隣り合わせの塹壕の中で

チャーチルは
不思議な高揚感に包まれていた。

1918年11月
ドイツの降伏で戦争は終わった。

イギリスは勝利したものの
90万もの戦死者を出し

膨れ上がった戦費が生活を圧迫した。

4年後の選挙では

チャーチルの所属する自由党は大敗し
議席を失う。

それでもチャーチルは諦めなかった。

2年後の1924年 恥も外聞もなく
ライバルの保守党に くら替えして出馬

下院議員に当選する。

そして チャーチルが生涯忘れない
うれしいことが起きた。

父 ランドルフと同じ
財務大臣に就任したのだ。

この時 49歳だった。

さあ ということで チャーチルの
挫折と復活を見てきましたけども。

続いてのテーマは
なぜ 失敗続きでも強い心を保てたのか?

どうですか? SHELLYさん。
やっぱり 子猫とパグ。

こんなかわいい愛称で
呼び合ってたんだっていう。

すごい ほほ笑ましいですけど。

彼が幼少期から飢え続けた愛情を

一気にウワッて こう
くれた人でもあっただろうし。

専門家の方も 彼女が岩だったっていう
表現してたと思うんですけど

英語だと 「She is my rock.」とかって
言ったりするんですよ。

動かない何か 自分のことをずっと…
自分の軸となるものを

「自分の岩だ」っていう表現を
するんですけど

まさに そうだったんじゃないかなって。
よりどころみたいなイメージですよね。

結局 国と家庭って
私は いつも一緒だと思ってて

家庭をそうやって
大事に守りきる力がある人っていうのは

政治家になっても… 大きな意味で

国民って 家庭の中の家族と同じだから

そういう目で見守ることもできただろうし
多分 判断力… この人のいろんな部分

ここは ちょっと切り捨てて
ここは これって大事にっていう

そういう 家庭の中で
学習することもあったかしらと

ちょっと思いました 5人も子供いたら。
確かに 確かに。

せいこうさん
リストの中で気になるもの…?

僕はね この中で意外にね
絵を描くっていうことが

彼にとって大きかった。
絵を描く。

風景画ばっかりなんですよ 見るとね。
自画像は描いてるけど。

風景画って
どういう特徴があるかっていったら

遠くまでを正確に描く
っていうことなんですよ。

だから さっき言ってた 歴史書は
時間を遠くまで見ることじゃないですか。

これは空間を遠くまで見て
自分は ちっちゃいもんなんだと。

このぐらいのもんだと。
山は このぐらい大きなものなんだと。

普遍みたいなものを自分の中に入れて
落ち着いちゃうっていうこと。

人事のことは 人間のことは

しばらく どうでもいいや
というふうに考えるのは

とても これはすごい精神療法
自分で編み出した…。

なおかつ それをやるには 一人でなきゃ

孤独な時間と空間を
持ってなきゃいけないから アトリエを。

だから やっぱり
奥さんが そこを守ったんだろうなって。

いっぱいお客が来ても
今は ちょっとダメとか

今は入れていいだろうとかっていうことを
やってくれて

彼が自分で自分を
癒やしていったんじゃないかなっていう。

岡田さんは そういうのを
格闘技にぶつけて…?

そうでしょ!
絶対ぶつけてるから 大丈夫だね。

きめるとか 相手をきめるとか。
そうですね~。

やっぱ なんか でも
ちょっと違うことを

仕事とは また別の事とかを
なんかやっていくと

違う脳が刺激されたりとか
違う自分の立場ができる。

それで やれば苦しい時もあるけど
なんか形になっていくと

仕事にも生かせる何かが…。

絵でも何でも 多分
仕事に生かせる何かみたいなのが

つながるものが発見できたりする…
だと思うんですよね。

だって 結構
いろんなアーティストが思いつくのは

トイレだって言ってるじゃないですか。

全然 別の事してますもんね
トイレの中で。       (安藤)確かに。

名曲は大体トイレで降りてくるって…。

トイレか風呂場らしいですよ。
(いとう)ああ そうね 風呂ね。

安藤さん リストの中で気になるもの
ありますか?

(安藤)再び戦場に行っちゃう。

なにゆえに?
脱走した時 あったじゃないですか。

あれ 青春真っただ中じゃない? まだ
夢を追い続けている真っただ中の自分。

それをもう一回取り戻したかった
ある意味。

「チャーチル 僕は
こんなもんでは終わらないぞ。

お父さんを超えるには もう一発
何かやらなくては」っていう使命感。

ここが
チャーチルの愛されるゆえんっていうか…

軍人としてキャリアも積んで
いわゆる上った時に

6万人 殺してしまってるわけですよね。

その責任って すごく重かったんだと
思うんですよ 本人にとって。

居場所が自分がなくなって
唯一 一兵士として戻った時に

周りに認めてもらえる
共に戦うことを許されるっていう感じが

すごい本人はあったのかなという。

イギリスは 再び
フランスらと連合国となり

ナチス・ドイツと対決する。

その大戦のさなか
イギリスの首相となったのが

チャーチルだった。

大戦当初
ドイツ軍は破竹の勢いで各地に侵攻。

フランスのパリも占領し
英仏海峡までやって来た。

イギリスが降伏すれば ヨーロッパ全土が
ヒトラーの手におちるかもしれなかった。

絶体絶命の危機の中 チャーチルは…

第1次世界大戦で敗れたドイツは

壊滅的な打撃を受け
国民の生活は困窮を極めた。

そうした中 ヒトラー率いるナチ党が台頭。

1933年 ヒトラーはドイツの首相に就任。

そして 2年後
再軍備を宣言する。

この時 イギリスは
一旦は抗議したものの

ドイツの再軍備を追認した。

ドイツを封じ込めるのではなく
譲歩することで

ドイツを取り込もうという考えだった。

しかし チャーチルは違った。

1932年にドイツを訪問し ナチ党が
独裁への道を着々と歩んでいるのを

目の当たりにしていたからだ。

1939年9月 ナチス・ドイツが
ポーランドに侵攻。

(砲声と爆発音)

イギリス フランスが
ドイツに宣戦布告し

チャーチルは
海軍大臣として内閣に戻った。

その僅か9か月後 ドイツ軍は…

海を挟んでイギリスと向かい合った。

チャーチルが指摘した脅威は
現実のものになったのである。

1940年5月 チャーチルの生涯で
最大の出来事が起きる。

ヒトラーの危険性を
いち早く唱えたチャーチルが

首相に任命されたのだ。

ナチス・ドイツに対抗するには
国民の士気を上げ

野党の有能な人材を
取り込む必要があった。

いわば イギリスを
一つにまとめることだ。

その第一歩として
全精力を傾けて取り組んだのが…

チャーチルは 演説の準備を周到に行った。

まず口述でタイピストに演説文章を打たせ
その文章を徹底的に推敲する。

次に 全てを完璧に覚えるまで練習した。

その場で思いついたかのような
即興のセリフも

全て原稿に書いてあったという。

チャーチルは下院の議場に立ち
与野党の議員を前に演説を始めた。

(歓声)

議場は 感動に包まれたという。

チャーチルの就任後

それまでは入閣を拒否していた
有能な議員たちが

政権に参加した。

一方 パリを占領したナチス・ドイツは

ついに イギリス本土に
本格的な攻撃を始めた。

爆撃機による…

多くの市民が犠牲になった。

がれきと化したロンドンを
チャーチルは歩いた。

復興に当たる職員や
被害に遭った市民に自ら声をかけ

励まして回ったのだ。

チャーチルは どんな場所でも

帽子に葉巻とステッキというスタイルを
崩さなかった。

その変わらぬ姿に 国民は

イギリスは まだ大丈夫だと感じたという。

チャーチルは ドイツ軍への
具体的な対抗策も実行する。

ドイツの爆撃機を迎え撃つ体制を
つくったのだ。

1か月以上 続いた戦闘で イギリス軍は…

ロンドンの空から
ドイツ軍を追い出すことに成功した。

ロンドンは守ったものの 大陸では

ナチス・ドイツが
いまだ圧倒的な優勢を保っていた。

そこでチャーチルは
アメリカ ルーズベルト大統領と会談。

アメリカの参戦を要請した。

一人でナチス・ドイツを相手に
戦っていたようなチャーチル。

猛烈な仕事ぶりだった。

毎日の…

自宅に帰っても 寝るまで…

それでいて
昼間からシャンパンを欠かさず

日に10本の高級葉巻をくゆらし

夜はウイスキーやブランデーを傾ける。

心臓発作で倒れても 生活は変えなかった。

チャーチルが待ちに待った
アメリカが参戦し ドイツに宣戦布告。

米英両国は
形勢を一気に逆転させる策を練った。

米英中心の連合軍が英仏海峡を渡り

フランスのノルマンディーから

ナチス・ドイツの防御網を突破しよう

という作戦だ。

この勝負に負ければ イギリスは二度と
立ち上がることができないかもしれない。

チャーチルは作戦実行の前夜
イギリス軍の拠点 ポーツマスまで

自ら兵を見送りにいったという。

4, 000隻を数える大艦隊が投入された
史上最大の上陸作戦が決行された。

ドイツ軍との激しい戦闘の末
連合軍は上陸に成功。

ここから反撃が始まった。

連合軍はドイツ軍を次々と撃破。

そして 1945年5月 ベルリンが陥落し…

チャーチルの戦争は ようやく終わった。

さあ ということで
すごい時に首相でいて

歴史の中心に その時代の中心にいた人だ
ということが すごい分かりますけども。

続いてのテーマ いきたいと思います。

なぜ イギリスを
勝利に導くことができたのか?

SHELLYさん どうですか?

個人的な意見なんですけども
政治家にとってスピーチって

命だなって。

ドラマチックな間だったりとか
なんか そういうものって

ちょっとした このリズムだったりとか
タイミングだったり

必ずしも文章の内容だけじゃなくて

なんかこう
感情をのせて話してくる人って

すごく入ってくるじゃないですか。

それが やっぱり
人と全然違ったのかなって。

だから こういう時に
すごく必要だったんだろうなって。

僕 これを今 見た時にね ヒトラーと
すごく相似形に見えたんですよ。

ヒトラーも演説がめちゃめちゃうまくて

あんまり恵まれない環境から出てきて
戦場にいるのが大好き。

いちかばちかを やり倒す。

アドリブもめちゃめちゃ
うまかったと思うわけ ヒトラーは。

それでもう
あることないこと言っちゃうタイプ。

だけど チャーチルは
理性をきちんと入れて

できることだけを言うけれども

人々を熱狂させるには
どうしたらいいだろうっていう

それこそ…

だから それこそ 最初に言ったように
引用もしょっちゅうされるっていうのは

彼が その…

それが大きいんじゃないですかね。

安藤さん どうですか?
スピーチっていうのは。

思ったんですけどね ヒトラーは
彼が抱いていたのは野望で

チャーチルは志だったかもしれない。

野望と志って
すごく根本が違うじゃないですか。

やっぱ 志のある気持ちを通しての

本人の言葉でのスピーチだから
それは人の心をつかむと思うの。

どうですか?
せいこうさん リストの中で。

これ 僕 この中だとね
「帽子 葉巻 ステッキ」なんですよ。

これはね 写真も残ることが
分かってる人間のやり方ですよ。

それが新聞に載る そうすると
常に変わらず こういう状態で

余裕をかましてることは
まず イギリス国民がうれしい。

それから ヒトラーはすごく頭にくる。

やってもやっても全く平気の平左で

酒とか飲んじゃってんだよ。

っていうことを見せるための 彼は
きちんと それこそ役者としての

自分がどういうふうに ここを
勝ち抜くかを考えてたんだと思うの。

だからクレバーだし ちゃめっ気もあるし。

(SHELLY)そうか
ヒトラーに対してのイメージも…。

そう だから
メディア戦略ってことを考えた

最初の政治家だったかもしれないと
思いますね やっぱりね。

でも 裏に絶対スタイリスト 奥さん。

(いとう)奥さん。
奥さんですかね?

(いとう)そうですね。
裏プロデュース。

奥さんの指示ですかね これ。
2人で考えたんじゃないですかね。

家に帰って
「クレメンティーン どうする?」。

(いとう)「これが かっこいいかな?」。

「葉巻 まだやってていいかな?」みたいな。

「変えない方がいいわ 安心を与えるのよ」
みたいな。

(いとう)そうそう そうかも あるかも。

そしてですね このフリップを
見て頂きたいんですけども

世界の経営者が
最も尊敬するリーダーの1位が

ウィンストン・チャーチルという。
(いとう)今も こうなんだ。

どう思いますか?
このジョブズを超えてるという

選ばれるっていうのは。

(いとう)
チャーチルは一番苦難が多かった。

苦難の種類も多かった。
家庭的な苦難もあったし

自分が政治家として
落選したり当選したり

それから 作戦が失敗しちゃったり

それから ヒトラーが台頭したり…

…っていうことは
経営者は尊敬するんじゃないですかね。

毎日が だってそんなことでしょ
経営者って。

なんかその 徐々に徐々に上がっていく
っていう人生が多い中で

40代でガクンって底に一回ついて

そこから 60代で花開くっていうのは
結構珍しいのかなって。

そういう意味では なんか…

経営者って やっぱり
リスクをとる人が多い中で

なんか そういう一個
ロールモデルがいると

ちょっと安心するのかな。

この時代だから首相になれた…

首相になる人って
時代が選ぶ人だと思うんですけど

ヒトラーという すごいカリスマの

もう ゴリゴリの強い人が出てきて

ほぼ 後手後手に回ってるじゃないですか。

でも そこに後手後手に回るけど…

全部受けて その時に
ちょっと笑えるかとか

余裕を見せられるかとかって
そこの魅力の部分にじゃないと

そのカリスマには勝てないっていうか。

なんか そういう後手後手に回った時に
ほんとに しんどい 頑張る

朝から僕 頑張ってます
寝ません お酒も飲みません

みたいな人だったら
多分勝てなかったんだと思うんですよね。

チャーチルは イギリスが勝利することで
戦争が始まる前の

大英帝国が世界に君臨する時代に
戻ることを期待していた。

ところが 戦勝国の会議で
主導権を握ったのは…

イギリスの領土要求は
不調に終わったばかりか

インドなど かつての大英帝国の植民地も
独立の道を歩み始める。

チャーチルが目指した帝国の栄光は
幻となってしまった。

更に選挙でも
チャーチルの保守党は大敗。

首相の座を追われた時 70歳になっていた。

引退を考えても おかしくない年齢だが

チャーチルは
なおも野党の党首として活動を続けた。

東西冷戦の中で
イギリスの影響力を保つために

まだ自分にやれることがあると
チャーチルは信じた。

第2次大戦後の世界は
ソ連の社会主義陣営と

アメリカ中心の資本主義陣営の
対立構造だった。

チャーチルは東西の分断を
「鉄のカーテン」と表現し

その西側にいる我々は団結するべきだと
呼びかけた。

現在のEU構想を
いち早く世界に唱えたと言われている。

活動を続けること6年
チャーチルに幸運が訪れた。

政権与党への不満が爆発し
野党の保守党が選挙で勝利。

チャーチルは 76歳で首相に返り咲いた。

しかし 議会では…

…という声も少なくなかった。

新聞記者に いつ引退するのか聞かれた
チャーチルは こう答えたという。

そんな中 思いもよらない出来事があった。

自らの著書 「第2次世界大戦」が

戦争当事者の貴重な証言として
高く評価されたのだ。

チャーチルは序文に こう書いている。

ノーベル賞の受賞で まだまだ
元気そうに見えたチャーチルだが

衰えは隠せなかった。

耳がすっかり遠くなり
閣議の答弁も しばしば失敗した。

1955年 80歳になったチャーチルは
周りから引退を迫られ

ついに受け入れる。

首相官邸を去る前日 思わぬ光栄に浴した。

妻 クレメンティーンと共に
エリザベス女王から

じきじきに ねぎらいを受けたのだ。

それから10年が過ぎた 1965年

チャーチルは 90歳で

激動の生涯にピリオドを打った。

くしくも 父親が死んだ日と同じ日だった。

国葬には
チャーチルを慕う30万の国民が参列した。

チャーチルは人生を振り返って
こう つぶやいている。

チャーチルらしい なんか言葉で

締めくくってる感じも しましたけども。

チャーチルは長く年を重ねても
引退をしませんでしたが

なぜ 引退しなかったと思いますか?

一つは 任せられる人が
いなかったのかなと思います。

きらびやかな大英帝国を取り戻すぞ
っていう気持ちがあって

でも なかなか そうはいかなくて

でも 絶対に そこの目標に向かって

イギリスは行くべきなんだっていうのを
継承する強い人がいたら

あとは任せたぞって
できたかもしれないですけど

なんか こんな若い奴らには
任せてらんねえっていって

現役 貫きたかったのかなって。

よく 役者さんの世界でも
あるじゃないですか。

死ぬまで現役っていうのは 人間が誰でも
持つ夢だったりするじゃないですか。

それに チャーチルは
マグロと同じタイプで

止まったら 自分が人としての

もう 何かこう 目標がなくなっちゃって

自分の人生は それで終わっちゃうなって
思ってるタイプじゃないのかな。

でも 意外と素直ですよね
最後に辞めなさいって言われて

すっぱり辞めたっていうのは
あれは かっこいいと思う。

でも やっぱり あの時は
確か耳も聞こえなくて

あんまり スピーチも上手にできなかった。
(SHELLY)何度も失敗してたって…。

ずっと言葉の人かもしれないって
話だったじゃないですか。

その時は 引き際というよりは

彼は言葉の人としてそう思ったんだなって
感じがありますよね。

どうですか? 今日 チャーチルの生涯。

もう 終わりになっちゃいましたけど。

今 世の中がすごく
変わってるじゃないですか 世界政治が。

そんな中で この時代の
ちゃんと歴史書とか

いろんな文学を読んで
その時代の人間の肌感というか

その時代の気持ちとか感情とかを
感じておくのって

大事なのかなって思いましたね。

すごい このタイミングに
合ってる気がします。

この 今 チャーチルを
勉強するっていうのは。

政治家の中に教養と度胸が両方

それからチャーミングさというものが
あった時代の

やっぱり 最高峰の人だったと
思うんですよね。

ただ教養だけがある人も
まだいるかもしれないけど

チャーミングさもあって
この教養があった。

不良でありながら文学も語れるし
きっと いろんなことが語れたと。

絵画が語れたり それがまあ 普通の
ほんとは国際的な政治家なんですけど

なかなか
それができなくなってしまった今

やっぱり もう一回
チャーチルの重さが感じられる時期に

なってきたのかもなって思いました。

私たちも 今 ここに
こうやっていたかどうかも分からない。

だから ものすごい
今いる私たちにとって

大きな決断を
成し遂げた人だなっていうのは

今日 このね
いろんなもの見せて頂いて

実感しましたね。
あの時に彼の決断がなかったら

さまざまなことが
今どうなってるか分からない。

今がいいのか悪いのか分からないでしょ。

なんか 度量を感じる人なんですよね。

きれいにいるとかっていうこと
というよりも

なんか
その時代を受け止めた度量感があって。

僕のすごく思ってる言葉で 男は…

…っていうのが

自分が大事にしたいというか

岡田家があったら伝えていきたい
男子に伝えていきたい言葉

みたいなのがあって
それにすごい当てはまる…。

(いとう)それはあるよね チャーチルはね。

男は あとね やっぱりね
勝負師であるべきだと思った。

勝負師?
(安藤)勝負師。

今 勝負しないもん 誰も。
(いとう)そうですね。

失敗しちゃうからとかね。
岡田君に期待したいですね。

私もそう思います。

当選 目指して… いやいや。

出馬しないですから 僕は。

ということで 今日は皆さん
ありがとうございました。

♬~


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