先人たちの底力 知恵泉「江戸の女傑 三井殊法 時代をひらく商いの知恵」 太田光代、ブルゾンちえみ、山本博文…



出典:『先人たちの底力 知恵泉「江戸の女傑 三井殊法 時代をひらく商いの知恵」』の番組情報(EPGから引用)


先人たちの底力 知恵泉「江戸の女傑 三井殊法 時代をひらく商いの知恵」[解][字]


江戸の女傑、今回は、三井グループの創始者、三井高利の母、殊法の人生に迫る。夫に代わって商売を繁盛させ、子供を一流の商売人に育てた女性ならではのビジネス力を探る。


詳細情報

番組内容

殊法は、戦国の世から江戸時代になったばかりの頃、伊勢松坂で質屋と酒・味噌を商う、三井家に嫁いだ。ところが夫は遊び人!代わって、商売を切り盛りし繁盛させたのが殊法だった。当時の主な商売相手は、領主や武家などの富裕層。しかし殊法は庶民に目を向けた。そこには「薄利多売」や「顧客第一主義」の考え方に通じる知恵があった!殊法の薫陶を受けた息子の高利が、さらなる画期的な商法で三井を築く大商人となってゆく。

出演者

【出演】太田光代,ブルゾンちえみ,東京大学史料編纂(さん)所教授…山本博文,【司会】新井秀和





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先人たちの底力 知恵泉「江戸の女傑 三井殊法 時代をひらく商いの知恵」
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  10. 太田


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江戸の初め 商いに腕を振るった

あの大商人の母が登場します。

今日も ご来店ありがとうございます。
これね サービスなんです。

あ~ そうなんですか。
ええ。

私のふるさとのお酒なんですけれどもね
どうぞどうぞ どうぞどうぞどうぞ。

ま~ ほんとサービス随分良くて
これ 私 飲みすぎちゃうな。

でも こうやってサービスしたら
どうですか?

また来たくなったりしませんか?
ええ もう毎日でも。

そう きましたか。
それが 私の作戦だったんですよ。

いや 実は この間
母に この店のことを相談したらね

サービスが大事だからって
このお酒 送ってきてくれたんですよ。

いいお母さんですねぇ。

店主。 私からも1つ
アドバイスいいですか?
はい。

お客が来ないからって いつまでも
いつまでも くよくよしてたらダメ!

だって 地球上に
お客 何人いると思ってるの?

えっ!

35億。 うそ その倍ぐらい。
そのとおり。

現在 世界の人口は76億人ほど。

チャンスは まだまだありますから
頑張って下さい。

頑張ります。
どうぞ お掛け下さい。        はい。

ありがとうございます。

いや~ 立ち止まっちゃダメですかね
太田さん。

頑張って下さい。
はい 頑張ります。

いや~ でもね 前回も強い女性について
お伝えしてきましたけれどもね

女性 強いですよね。
そうですね。 やっぱり女性強いですね。

まあ 今日は店主のお母さんのね
そういう思いやりにちなんで

あの大商人のお母さんの
話にしましょうか。

あっ あの大商人のお母さん?

びっくりぽんや!

明治初期 鉱山経営や銀行設立に奔走する
ヒロインを描いた 朝の連続テレビ小説。

そのモデルとなったのが
女性実業家 広岡浅子。

明治の女傑とも呼ばれる人物です。

実は この浅子
「殊法様の血が流れている」といわれます。

今回の主人公は 浅子のご先祖 殊法様。

江戸初期に生きた殊法は

あの 三井越後屋を創業した大商人
三井高利の母親です。

百貨店や銀行など多岐にわたる大企業。

現在の三井グループは 江戸の呉服商
三井越後屋から始まりました。

その三井家に伝わる歴史書に

殊法について
こんなことが書かれています。

大商人の息子に商いの基礎を教えたのは
母の殊法だった。

更に…

現代にも受け継がれた商売の考え方は

この殊法が先駆けだとも言われています。

江戸の初期 新しい時代を開いた
殊法の商いの知恵とは?

今回 殊法の知恵を読み解くのは…

お笑いコンビ 爆笑問題の
太田 光さんと結婚。

それを機に
事務所社長に就任。

爆笑問題を
大ブレークに導きます。

今や タレントや文化人を抱える
大手事務所の敏腕社長として活躍中。

その一方で 近年 ペットグッズショップや
フラワーショップをプロデュース。

新たな事業に挑戦しています。

江戸大商人の母 三井殊法の知恵を
太田さんは どう読み解くのでしょうか。

♬~

ということで
今回はね 三井殊法でございます。

あの~ 先ほどもありましたけれどもね

生命保険会社をつくった
広岡浅子の先祖であり

大商人 三井高利の
お母さんということなんですけれども

どうですか お二人 ご存じでした?

いや ちょっと知らなかったですね。
ですよね。

実は 私も知らなかったんですよ。

先生 この そもそも殊法って名前
変わってますよね。         そうですね。

これは おくり名といってですね
仏門に入って付けられる名前なんですね。

本当は例えば うめとか とめとか

そういう当時の女性らしい名前というかね
呼び方があったと思うんですけど

まあ そういうのは
なかなか伝わってないんですね。

殊法さんの記録が残ってない理由
というのは何かあったりするんですか?

伊勢の松坂の出身なんですけど

明治期に伊勢の松阪で暴動があって
三井家の屋敷も焼けてるんですね。

それで 向こうに残ったものも
なくなってしまったと。

江戸の方に残ったものは
まだ残っていてですね

今 三井文庫っていうところに
収められてるわけですけどね。

そんなこんなで
記録がなくなった可能性はありますけど…

それがまあ 一番の問題というか

そういうふうになってしまった理由だと
思いますね。

でもね 偉大な母は
たくさんいたとは思うんですよね。

でも なかなか その名前はもちろん
肖像画などが残ることはない?

はい そうですね。
そう考えると 殊法さんは貴重ですよね。

そこで 今日は そんな殊法さんにちなんで
こういったメニューを用意しました。

こちらです。

牛丼ですよ。 どうぞ!

わ~! すご~い!
おいしそうですね。 すばらしい。

どうぞ 先生も。
松阪牛ですか?

松阪牛の牛丼でございます。
わ~ なかなか。

立派なお肉。
どうぞ お召し上がり下さい。

いただきま~す。
いただきます。

おっきいお肉が入ってますね。
そうなんですよ。 ええ。

うん! おいしい。
おいしいです。

あ よかった。  ここで食べたので
一番おいしいかもしれない。

おいしい。
出したかいがあります。 ええ。

今日は ぎゅ~っと込めた
母の愛情を見ていこうと思うんです。

早速 大商人の母 殊法さんの知恵を
見ていきましょう。

三重県松阪市から 車で40分ほど。

人口1万5, 000人ほどの多気町は
殊法の生まれ故郷です。

中西さんで いらっしゃいますか?
そうです。

あ こんにちは。
「知恵泉」店主の新井と申します。

勢和の語り部会の中西です。
今日は よろしくお願いいたします。

この辺りは 奈良時代からの水銀の産地。
殊法の頃は

交通の要所としても
栄えた場所だといいます。

あ これが…?
そうなんです。

これですか?
これ…。

ここに 殊法さんの生まれた家があったと。
あったんです。

商家の娘だったという殊法は
嫁ぎ先の松坂を嫌がったといいます。

その時に 自分はお嫁に
あそこへ行くことになったけども

あ そうですか。
松坂は 田舎だと。

その田舎だと言った松坂の町の発展と共に
殊法は生きていくことになります。

当時の松坂は
戦国武将 蒲生氏郷が

商人たちを引き連れて
城下町を開いたばかりでした。

しかし 松坂は伊勢神宮参詣の通り道。

交通の便もよく
すぐに商いの町として発展し

豪商たちも現れます。
殊法が嫁いだ三井家も その一つでした。

商売の町 松坂。 今も こうして
江戸の豪商の家が残っているんです。

ちょっと行ってみましょう。

こんにちは~。
失礼しま~す。

こんにちは。
「知恵泉」店主の新井と申します。

どうぞ よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。

三井家をはじめ
江戸期の豪商の家は火事などで焼失。

旧長谷川邸は 当時の面影を伝える
貴重な一軒です。

じゃあ 奥の方へ ご案内しましょうか。
ええ。

本当に入り組んでますね。

ええ。
非常に複雑な建物になってます。

お金がたまってきますと陣地を買い取って
増改築を何度も何度も繰り返してます。

ですから 非常に複雑なんです。

建物が いっぱい増えてくってことは

それだけ儲かったっていうことですね。
そうですね。

お金がたまったっていうことなんですね。
たまったっていうことなんですよね。

1, 400坪もある敷地内には
4つの蔵が残されています。

そのうちの一つには 江戸時代に使われた
千両箱がありました。

触らせて頂きます。
触ってみて下さい。

ちょっとね 開けてみて下さい。
えっ? ちょっと。

どうしよう いっぱい入ってたら。

空っぽです。
ああ ほんとだ。 そりゃそうですよね。

あ これ 見えますかね?
見えるでしょ。

丸い跡が残ってる。

ここに じゃあ…

ええ~!

城下町ができた16世紀末
松坂は どんな場所だったのでしょうか?

そういう商業振興策が実って

各地にいる商人たちが
この松坂に店を構えて

そして 商業都市としての町が
形成されていきます。

その中で 三井も そのうちの一つ
一軒であったわけですけれども。

そもそも 三井家は武士の家柄。

戦国末期 戦に敗れ
仕えていた主を失いました。

松坂に逃れてきた三井家は
ここで刀を捨て

商売の道に入ることを決めたのです。

三井家は 酒や味噌の販売
質屋を手がけました。

越後守を名乗っていたので
「越後殿の酒屋」と呼ばれます。

商売を始めて間もない頃

殊法は 三井家の跡取り 高俊の嫁として
松坂に嫁いできました。

殊法は きっと 夫に従っての暮らしが
始まると思ったでしょう。

ところが 違ったのです!

子孫が記した 三井家の歴史書が
残されています。

その一冊 「商売記」には
こんなことが記されていました。

武士の気質の抜けない高俊は
商売に関心がなく 遊んでばかり。

この先 三井家は大丈夫なのかしら…。

殊法は 早々に
夫に見切りをつけたようです。

そして 自ら
商売に いそしむようになるのです。

「商売記」には そもそも殊法には
商いの素質があったと記されています。

その一つが
殊法が 徹底した倹約家だったこと。

例えば すり鉢の底が抜けたら
樋の受け筒にする。

ひしゃくの底が抜けたら
茶筒の敷物にするといった具合。

無駄なものなど 何一つない。

商売人に必要な やりくりの精神です。

そんな殊法が
商いの中で見つけたアイデアとは?

当時は領主や武家など 金持ちが商売相手。

庶民は相手にされなかったようです。

しかし 殊法が人々に向けるまなざしは
違いました。

松坂は商いの新興都市。

各地から たくさんの人が
集まってきます。

お金持ちもいれば そうでない人もいる。

例えば 家業の質屋。

質に入れる時の利息を安くすれば

もっと多くの人が
利用してくれるのではないか。

そうすれば 一人の利益は少なくとも
売り上げは上がる。

そう 薄利多売の考え方です。

どんな人でも無視しない。

リスペクトすることで
見えてくるものがあったのです。

人と 少し違うところを見ると。

そういう ねらいはあったんだと思います。

従来 開拓されてない客層を狙うと。

そういう点が子孫からも高く評価されて
殊法さんの業績として特筆されています。

更に殊法は 味噌や酒の販売でも
どんなお客にも親切に接しました。

お茶やタバコで お客をもてなし
小腹がすいていれば 冷や飯を出すことも。

それが 使いの丁稚であっても変わらず
誰にでも同じように振る舞います。

こんな店 他にはありませんでした。

主人から 「あの店に行っておいで」と
言われることもあるでしょうが

まあ そうでないこともあるでしょう。

ただ 「味噌を買っておいで」と
言われることもある。

そういう時に お使いの人に…

そういう ねらいがあると考えられます。

女性ならではの こまやかな気遣いや
サービス。

それが 商売につながることに
殊法は気付いたのです。

顧客第一主義にも通じる考え方。

また 当時としては珍しく
主人である殊法が 率先して店頭に立ち

客へのサービスを行いました。

その姿は 奉公人たちにも
よい手本となったでしょう。

まさに 実地の社員教育。

客からも 奉公人からも
殊法は多くの信頼を集め

店は 次第に繁盛していくのです。

後発だった越後殿の酒屋は

やがて 松坂の殿様に
酒を納めるまでになりました。

そして 後につながる
「越後屋」の名をもらうのです。

44歳で夫を亡くしたあとも
殊法は 順調に商売を続けたようです。

まずは
買ってくれる人の視点に立ってみる。

そこから生まれた知恵だったのです。

確かに あめ玉一つでもね くれるところの
お店と くれないところのお店

同じもの買いにいくんだったら
どっちがいいかっていったら

あめをくれるところに行きますもんね。
ええ。

今でも ポイントがつくお店があったら
そっちに行くとか

そういう感じでしょうかね。
ほんとに そうですね。

ブルゾンさん どうですか?

何か 時代関係なく その時その時に

活躍される女性っているんだなと
思いましたね はい。

商売のコツとして 倹約なんていうことも
出てましたけれども

どうですかね
これって 言い方 かえると

「ケチ」みたいなふうにも
捉えられますけれども

やっぱり それって大切ですよね。
大切なんでしょうね。

それまでは やっぱり武士的な商売なんで
そんな倹約とか何とかよりも

わ~っと 大きく儲けようという
感じだったんだけど

やっぱり
時代が だんだん変わってきて

とにかく 自分の身をきちんとおさめて
利益を積み重ねるという

そういう感じに変わっていった時代だ
ということなんでしょうかね。

知恵1つ目が
「どんな相手も リスペクトせよ!」

ということでしたけれども
これ 太田さん どうご覧になりました?

私が いつも何か こう感じてるのは
リスペクトって 比較的…

そういう人を
リスペクトすることによって…

1人でも2人でも違う意見
特に反対の意見を持ってる人にも

やっぱり興味を持ちますし

なぜ そう思ってるのかとかを
聞きがいがありますよね すごく。

やっぱり こうやって太田さんみたいに
いろんな意見を聞ける人もいれば

聞けない人もいるんで ほんとに…

ブルゾンさん自身は どっちですか?
どうでしょうね…。

ほんとに どっちもありますし

自分の意見をしっかりしなきゃいけない
という時もありますし

でも そうなって 独り善がりな
ネタになってもいけないから

世間の女性の悩みとは みたいなことを
見たりとか

ほんとに どっちものバランス
必要そうですよね。 難しいですけど。

自分の意志を貫く時と 意見をもらうの
どっちも必要なんでしょうね。

先生 この殊法さんの考え方っていうのは
当時の時代背景なんかを考えると

どうだったんでしょうかね?
最大の顧客は武士なわけですよね。

だから 武士に いかに取り入って
商売できるかっていうのが

重要だったんだけど だんだん
その 庶民が力をつけてくるっていうか

要するに社会が安定してくるんで

庶民も きちんと生活していかなきゃ
いけないわけですよね。

それほど お金はないけども
やっぱり消費していくわけですね。

殊法さんは そういう人を相手に
商売していこうと考えたわけですね。

だから 新しい顧客っていうのは…

そこで 一緒になって
大きくなっていこうっていう

そういうことだったんじゃないですかね。

ブルゾンさん どうですか?
いわゆるネタ探しのような時に

新たなニーズを見つけようと
することとかって あります?

そうですね そもそもキャリアウーマンの
ネタとか作った時に

若い子とか子どもがまねしてくれるとかは
全く思ってなくて。
そうですか。

子どもが
「元カレのことが忘れられなくて」とか

よく まねしてる動画とか見ると

「分かって言ってるのかな?」とか
思ったりするんで。

難しいですよね。

狙い 定めてない方が 意外と
うまくいったりとかもありますし。

殊法さんは 奉公人たちにね
自分の働いてる姿を自ら見せる

手本を示すっていうことでしたけれども

この点 太田さんは
どう ご覧になりました?

これ たまに私も やるんですね。

例えば一緒に車に乗って そうすると
私の電話を聞いてますよね。

それだけでね
能力 上がるんです 不思議と。

その子の能力が。 だから…

だから あの
本来 社長室ってあるんですけど

そこから降りてって
マネージャーの部屋に いっぱいいれば

そこで電話をしたりとか。
はは~。

そうするとね
結構 みんな聞いてるんですよ。

社長が どういう対応するかとか。

もちろん ギャランティー交渉とか
そういうことも大変ですから。

はあ~。 ブルゾンさんは どうですか?

先輩の姿みたいなものを見て
学ぶこととかって ありますか?

でも やっぱり 日々そうですよね。

やっぱり バラエティーとかも出ても
先輩だらけですし

あっ こういう時 こうしてんだとか。

それを活用できるか できないかは
分かりませんけど。

殊法さんもね
旦那さん全然 働かないわけですから。

まあ そうですよね。
やらざるをえないですしね。

そういう商店…
商売 そういうの多いですね。

お坊ちゃんで店を継ぎますよね。
そうすると自分 全然仕事しない。

で 奥さんが いい人が入ってきたら
きちんと切り盛りしてね

やっていくって感じですよね。

だから 商店では
娘が生まれる方が うれしいんですよね。

娘が生まれたら よく働く手代と
結婚すれば 商売発展しますからね。

さあ そんな殊法さんなんですけれども

もう1つですね 母としての
殊法さんの知恵 見てまいりましょう。

殊法と高俊の間には
8人の子供がいました。

後に三井創業者となる高利は
その末っ子 四男にあたります。

殊法は 子どもたちを
厳しく しつけたといいます。 例えば…。

ごちそうさまでした。

お米の一粒でも残っていたら 厳しく注意。

幼い頃から
倹約や礼儀の精神を教えたのです。

子供たちを立派な商人に育てたい。
殊法は大きな野望を抱いていたようです。

殊法は まず
子供たちの縁組みに こだわりました。

殊法さんの
男の子が 何人かいるんですが

こういう商人たちのネットワークを
利用して それに守られて

江戸に進出していって
成功したと考えられています。

17世紀初頭 江戸の町は新たな
商売の地として 発展し始めていました。

その可能性を感じた松坂の有力商人たちは
いち早く江戸に出て 店を開きました。

殊法も もちろん江戸進出を目指します。

まずは長男を 次に三男を

江戸の
親戚筋の店に 修業に送り出しました。

その後
兄弟が 日本橋で経営した呉服店は

大いに繁盛したといいます。

そして寛永12年 四男の高利が その店を
手伝うために 江戸へと向かいます。

この時 高利14歳。

殊法が せん別に渡したのは
お金ではなく 10両分の木綿でした。

高利の才能を買っていた殊法は
こうして商売の実地教育を行ったのです。

江戸での高利の活躍は
目覚ましいものでした。

長男から支店を任されると 僅か10年で
その元手を 10倍にまで増やしたのです。

ところが 28歳になった時 高利は

長男から 松坂に帰って 年老いた殊法の
面倒を見るよう 言い渡されます。

高利からすれば もっと商売を
大きくしようと考えていたやさきの

いわば 左遷人事。

殊法は 長男の理不尽ともとれる
高利への処遇に

あえて異を唱えず 松坂に迎えました。

その後 高利が江戸に出るのは
なんと24年後です!

そこには 殊法の
ある知恵があったんです。

殊法は 商才ある高利を妬む
長男の気持ちを見抜き

危険を感じたのでしょう。

松坂に戻った高利は 殊法のもとで
新たに「両替商」を始めます。

貨幣の流通が ますます活発になってゆく
江戸時代に必要とされた商売でした。

兄は江戸で呉服商 弟は松坂で両替商。

殊法は
二人の商売が かち合わないように

一族の中に もめ事が起きないようにと
心を砕いたのです。

そこには こんな時代背景がありました。

同じ時代に没落していく商人が
非常に たくさんいて

内輪もめというのは
結構 よくあるパターンですね。

大きな時代の変化としては
大きな商業の変化としては…

そうすると…

一族で結束して 安定した儲けを
安定した利益を 毎年 あげていく。

とにかく長くやると。

これからの商売は 安定が大切。

家族内の 小さなほころびであっても

放っておいてはダメだと
殊法は考えたのでしょう。

そして 24年の月日が流れました。

長男が亡くなった時 殊法は高利に
ようやく江戸行きを許したのです。

高利52歳。 ついに江戸に呉服を扱う
「三井越後屋」を開きました。

呉服商としては後発でしたが

母の薫陶を受けた高利は
新たな商法を取り入れ 勝負に出ます。

それまでの呉服商は 「屋敷売り」がメイン。

武家など 富裕層を得意先にして
訪問販売を行っていました。

集金は 年に二度。
時に踏み倒される危険もあり

その分 価格を高く設定していました。

一方 高利の新商法について

あの井原西鶴が
「日本永代蔵」に記しています。

「現金掛値なし」とは
店頭にて値札をつけて 品物を売ること。

現金払いにして その分 料金を安くし
客を喜ばせました。

更に 反物は一反ずつ売るという
当時の常識を破り

客の注文に応じての
切り売りを始めます。

庶民層を狙った このサービスは
小物を作ったり

着物の袖にあてるのに便利と
大当たりするのです。

江戸の町を行く人々が 次々に
高利の店を訪れるようになりました。

この時代 越後屋によって 呉服が
庶民に広まったとも言われています。

アイデアとして…

安いものしか買えない人でも
どんどん来て下さいと。

できれば そこから
お得意さんになってもらいたいと。

そういう取り引きです。

あとは 店頭で売る時に
現金でとるということが いわれます。

現金でとるということは
その場で お金をとるわけですから

踏み倒される危険がないと。

薄利多売や顧客第一主義は
まさに 母親譲りのアイデア商法。

やがて越後屋は 一日に150両も売り上げた
と言われるほど 大きな店に成長します。

越後屋の高利こそ 「大商人の手本」と
西鶴も称賛するほどでした。

高利の成功を見届けたあと
殊法は 87歳で亡くなります。

遺品の始末も 葬式の段取りも
全て自分で決めたといいます。

念仏を唱えながらの まさに大往生でした。

「三井家の商いの元祖は殊法なり」。

江戸の頃より続く老舗企業
その礎には

一人の女性の 一族への思いが
刻まれているのです。

ブルゾンさん いかがでした?

これが 10両になるか 20両30両になるかは
あなた次第ですよって

ミッションをかけることで やっぱり

子どもって張り切るじゃないですか
任されると。

すごいなと思いましたね はい。

2つ目の知恵が 「気配り心配りで
一族のほころびをなくせ!」

ということでしたけれども。

やっぱり 長男 立てなきゃいけない
っていうところもあったでしょうしね。

商人のおうちだと。

女の人って その場で
ぱっと やり合っちゃったら

それで 意外と終わっちゃうんですよね。

それで そっから
仲良くなったりするんですけど

男性と うまくいかなくなった時は
ず~っと こう平行線で

しかも もう こっちが それこそ
女性が忘れるぐらいになってるのに

そういう時の男性は覚えてる。
(笑い声)

きっと 長男の方も
できなかったわけじゃないんでしょうね。

ご主人が
全く 何もなさらなかったわけですから。

それを考えたら 一生懸命
やってるんだからっていうところで

じゃあ 私の この子は能力があるけど
私の手元に置いて

時期を待ちましょうって。
ちょっと長かったけど。

子ども たくさんできるんですね。

それが まあ 後の三井家の
発展のもとにもなりますね。

信頼できる人間に支店を任せるというのは
やっぱり 一門に任せるのが

一番いいんで そういう意味では
この雌伏の時期っていうかね

松坂時代というのは
結構 役に立ってるんですね。

殊法の場合は 一族 親族でしたけれども
身近な仲間という視点では どうですか?

気配り 心配り
例えば withBのお二人とか。

withBですよね。
まあ そうですよね。

まあ ほんとに過剰なことは
やってないですけど

本当に きつく言ってる分

ほんと 時々 「ほんと ありがとな」とか
言ったりはしてますね。

あんま きつくしすぎてもってことは
あるんで それぐらいですかね。

やっぱ そこの関係がほころぶと
ダメですよね。           そうですよね。

太田さんはね ご主人 太田 光さんとね
ずっと仕事をされてきましたけれども

どうなんですか? その身内と
仕事をするうえでのポイントというか。

幸いにして やってることが違うので。

あちら タレントさんだから。
私は もう社長業ですから。

だから まあ べったりではないので。

ただ う~ん… 彼は やっぱり私のことを
「社長」って言いますからね ふだんから。

それは さみしいことですよ やっぱり。
家に帰っても…。

仕事としては
きっぱり 線は引いてるんだけれども

ちょっと そこ もうちょっと
気配りあってもいいんじゃない? って

感じなんですかね。
まあ そうですね。

もうちょっとどころじゃなくてね
彼の場合は ちょっと

必要以上のこと 言いますからね。
何 言ってんだ この人って。

どうですかね 山本先生
その 親族がまとまるという点。

もちろん さっきみたいにね 長男と四男が
対立するということもあるわけだし

そうなると もう
ぐちゃぐちゃになるわけですよね。

それを うまく回避しながら
まとまっていくと

これが 非常に強い商売になっていく
ということなんでしょうね。

難しいですね これはね。 ほんとに。

でもね その親族がまとまるっていうか

三井家の家訓というものも
残ってるわけですよね。

そうですね これは やっぱり
親族が きちんと何ていうかな

一致団結することで
商売発展していくっていう話で。

三井家は
後には 三井八家っていって

八つの家で
三井家を支えることになるんですね。

やっぱり子どもが多かったもんですから。

その家訓をずっと守って 自分たちは
本家のもとで結束するっていう

そういうことが できたから
まあ よかったんでしょうね。

高利が そういう言葉を残すということは
やはり お母さんの教えというのを…?

殊法さんの教えがあったからですね。
自分も まだ江戸にいたかったのに

兄との関係が ちょっと悪くなったんで
松坂まで帰されて

こんな田舎で何やってるんだろうみたいな
思いもあったかもしれないけど

それで 結果的には
うまくいったっていうのがあってね

やっぱり殊法が思ってたような 一族は
対立しないというのが一番大事だという

そういうことを
考えたんじゃないんですかね。

やっぱり 良い手本を見せる
ということが大切なんですかね。

仕事をしていて 女性であるということを
意識することってありますか?

あんまり 「私は女性だから」って
やりながら 意識して 仕事してること

そこまでないですけど 何でしょう…

その逆も しかりですけど。

何か withBの2人だけを
プロデュースするよりも

私が入ることによって

2人が かっこよく見えてるとこ
あると思うんですよね。

何となく。 私も そうなんですけど

私が1人いるより 男2人いる方が
何か こう映えるというか

そういう意味で 男女の割合とか
男と女の人が一緒に

何か 仕事する意味とかあるのかなとか
思ったりはしますね。

確かに withBのお二人とは
互いに引き立てあってるというか。

ああ そういうところがあるわけですね。

何か そんな気がします。

社長という視点で いろいろ見てきても…。
そうですね。

芸人さん いっぱいいますからね。
そういうところがありますか。

やっぱり 男性の方が気が付かないんじゃ
ないですかね いろいろ。

(笑い声)
どうしましょう 先生。

女性は やっぱり 何だかんだいっても
すごい考えてるんですよ。

すごい 力がこもってますね。
恐れ入ります。

さあ 今回はですね
「江戸の女傑」ということで

三井殊法
取り上げてまいりましたけれども

殊法さんの生きざま
どんなふうに お二人は受け止めたのか。

ブルゾンさん どうでした?

今 結構 殊法さんが最初にやった
ちょっとしたサービス

でも 今の時代
結構 もうサービス飽和状態というか

どの店も サービスするのが
当たり前になっちゃってるので 逆に…

何か 興味ありましたね。

太田さん いかがですか?

その人に合わせたものを
提供するとかっていうのは

割と はまると
生きがいを感じるんですよね。

だから はまられたんじゃないかなと
思うんです。

あと もともと家系の性質 商売人の性質が
やっぱり息づいてるんだと思うので

それが 本当に発揮されたんじゃ
ないかなと思うんですね。

でも
女性だから できることというのは

今も昔も あんまり
変わってないんでしょうね きっと。

気配りとか そういったもの。

まあ 女傑っていうと いい言葉かどうか
よく分かんないんだけども

お二人の 女傑というか
成功されてる方のね 話 聞くと

やっぱり 女性は強いなと
しみじみ思いますね。

やっぱり 何が起こるか
分かんないところに

飛び込んでいけるっていうのは

どうも 私にもないし 男性にも
やっぱり ないところがあるんですね。

まあ もちろん
全然ないとは言いませんけどね。

そういうのを軽やかに越しておられる
というのが すごいなと思いましたね。

ここで出てきた殊法さんも
そうだったわけですね。

まあ でも 旦那さんが働かないから
あそこまで できたんで

やっぱり 旦那さんって
働かない方がいいんですかね。

は~ そっか…。

でも何か やっぱり女性の方が
商売に優れてるのかな なんて考えると

私の母も
これ お酒を送るだけじゃなくて

いろいろ 書いてくれれば
いいんですけどねぇ。

知恵が ここら辺に
書いてあったりしないのかな?

自分で頑張れってことですね。
自力で。

確かに 自分で頑張れって
書いてあるように見える。 (笑い声)


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