英雄たちの選択スペシャル「決戦!西南戦争 ラストサムライ 西郷隆盛の真実」 家近良樹、加来耕三、淺川道夫、三宅民夫…


出典:『英雄たちの選択スペシャル「決戦!西南戦争 ラストサムライ 西郷隆盛の真実」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択スペシャル「決戦!西南戦争 ラストサムライ 西郷隆盛の真実」[字]


西郷は、なぜ敗れたのか?運命の決戦・西南戦争を徹底検証!発掘調査から判明した最大の激戦地・田原坂の死闘とは?新資料が明かす西郷の壮絶な最期とは?驚きの真実に迫る


詳細情報

番組内容

西郷隆盛はなぜ敗れたのか?日本の命運を賭けた決戦・西南戦争を徹底検証!最大の激戦地・田原坂で発掘調査が進み、超リアルな戦闘記録も続々発見。謎に包まれた戦いの真相が明らかになってきた。西郷の書簡から見えてきたうぬぼれと野心とは?最強のサムライが結集した薩摩軍を破るため、政府軍がとった驚異のインフラ作戦とは?新資料が明かす西郷の壮絶な最期とは?本格ドラマとドキュメントで熱い男たちの知られざる激闘に迫る

出演者

【出演】大阪経済大学教授…家近良樹,作家…加来耕三,日本大学国際関係学部教授…淺川道夫,【司会】三宅民夫,【リポーター】浅野里香




『英雄たちの選択スペシャル「決戦!西南戦争 ラストサムライ 西郷隆盛の真実」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

英雄たちの選択スペシャル「決戦!西南戦争 ラストサムライ 西郷隆盛の真実」
  1. 西郷
  2. 薩摩軍
  3. 新政府軍
  4. 士族
  5. 田原坂
  6. 熊本城
  7. 山県
  8. 政府
  9. 戦い
  10. 政府軍


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<九州の地で その後の日本の運命を変える
戦いが始まりました>

撃て!
(銃声)

<立ち上がったのは
明治維新最大の英雄…>

主力は北上。 敵援軍をたたく。

<その下には 政府に不満を持つ
3万の士族が結集しました>

<迎え撃つのは 最新の兵器を装備した
平民主体の新政府軍>

<一進一退の壮絶な戦闘が

繰り広げられます。

両軍の…>

<なぜ 日本人同士が争い
殺し合わねばならなかったのか?>

<近年 西南戦争の
舞台裏を明かす新資料が

全国で
続々と見つかっています。

初めて
浮かび上がってきた

ラストサムライ
西郷隆盛の
壮絶な最期。

こよい あなたは

知られざる歴史の真相の
目撃者となるのです>

<すべての始まりは
西郷と共に

幕末を戦い抜いた男たちの
因縁でした>

東京・大阪の鎮台に出兵を命じよ!

<新政府軍を率いた…>

ただ「断」の一字あるのみじゃ!

<不平士族の急先鋒…>

<男たちは 明治政府の大改革
徴兵制をめぐって激突します>

徴兵に
日本の未来が かかっちょります。

平民に戦ができるか!

サムライが国を守る時代は終わりました。

<日本の未来をめぐる
男たちの熱き戦いのドラマとは?>

<西南戦争最大の謎。

開戦に否定的とされていた西郷が
なぜ挙兵したのか?>

おいの体 おはんらに預けもんそ。

先生!

<近年 研究が進む西郷本人の書簡。

そこから
驚きの事実が明らかになってきました。

「ひとたび動いたら
天下を驚かすことをなす」。

それは 西郷の
飽くなき野心の表れなのか>

そういうチャンスがあれば
立ち上がろうというね。

西郷のうぬぼれというものが
やっぱり あったと思います。

田原坂…。

こん田原坂じゃ!

<西南戦争の勝敗を決した…>

ここではですね
大量の薬きょうとですね

小銃弾が ここで発見されました。

<最新の発掘調査から
浮かび上がったのは

無数の銃弾が飛び交う
過酷な近代戦の実態>

<決死の覚悟で
白兵戦に打って出た薩摩軍>

<追い詰められた山県は

徴兵制を揺るがす
禁断の決断を下します>

<時代から見捨てられたサムライ同士が
殺し合う死闘>

先生!
先生!

<その先で
西郷たちを待ち受ける運命とは?>

<日本のターニングポイントとなった
西南戦争。

その真実を徹底検証します>

<西南戦争の引き金となる事件が
起こります>

<当時の公文書が明かす襲撃の目的。

それは 新政府軍の武器・弾薬を

強奪することでした>

<その知らせを聞いた西郷隆盛は

「しまった」と ただ ひと言
つぶやいたといわれています>

<なぜ 薩摩士族は暴発したのか?

そして 西郷が「しまった」とつぶやいた
真意とは?

西南戦争勃発の謎に迫ります>

♬~

<襲撃事件前夜
日本は異様な雰囲気に包まれていました>

<現在の知事にあたる熊本県令を
殺害します>

<その3日後 福岡県の秋月で
士族230人が蜂起。

さらに翌日

明治維新の中心となった長州の萩で
300人の士族が挙兵>

<いずれも短期間で鎮圧されたものの…>

<原因は政府が急速に進める近代化政策>

<そこで やり玉に挙がったのは

かつて江戸時代に武士と呼ばれた
士族でした>

<明治6年 政府は

士族が独占していた軍事を取り上げ
平民に開放します。

徴兵制の導入です>

<「真の近代国家となるためには

身分によらない国民軍を
作らねばならない」。

そう政府は判断したのです>

<自分たちの誇りを奪われ
不満をくすぶらせる士族たち。

そんな中 士族たちの視線は

鹿児島にいる一人の男に
注がれていました。

明治維新最大の功労者…>

<薩長同盟を成立させ
幕末の勢力図を塗り替えた

抜群のリーダーシップ>

<鳥羽・伏見の戦いに始まる…>

<新政府で比類のない存在だった西郷は…>

<故郷 鹿児島に帰り
隠とん生活を送っていても

影響力は健在でした>

<「西郷が起てば
全国の不平士族が呼応する。

政府を危機に追いやることも
不可能ではない」とみられていたのです>

<西郷が鹿児島で設立した…>

<そこには 西郷を慕う
薩摩士族が集まっていました。

薩摩士族は

「維新の立て役者だった自分たちが
政府に ないがしろにされている」と

強い憤りを抱いていました>

桐野どん。

政府の横暴 我慢にも程があっど。

<中でも 反政府の急先鋒だったのが…>

<士族としての誇りを
人一倍 持っていました>

政府打倒の兵を
起こすべきでは ごわはんか!

西郷先生は どげんお考えじゃ!

西郷先生は おいたちの気持ちを
よう分かっておられる。

こげな悪逆政府を作るため
徳川と戦うたわけじゃなか!

そんこつを思うと…。

そいなら…。

政府の奸臣を討ち 御政道を正す。

いずれ先生が起ってくれもんそ!

おおっ!

そんときにこそじゃ!

<桐野が政府に不満を募らせる理由。

それは 日本の国防に対する
強い危機感でした>

<このころ 日本は諸外国との間に
多くの問題を抱えていました。

北の大国ロシアと
樺太 千島の領土問題。

朝鮮との武力衝突。

清国との間には 台湾出兵問題
そして 琉球の帰属問題。

日本は いつ戦争になっても
おかしくない

緊張状態にありました>

<外交・軍事に精通していた桐野。

徴兵制に基づく平民の軍隊では

日本を守ることができないと
考えたのです>

え~い!

「何かあった場合には
我々は起つんだ」ということをですね

みんなが唱えていたようですね。

撃て!
(砲声)

撃て!
(銃声)

<桐野と志を同じくする士族は
続々と西郷の下に集まり

その数は1万3, 000人に
上りました>

<この動きを
最も恐れていたのが

新政府の陸軍トップ…>

(ノック)
(部下)電報であります!

入れ。

「薩摩士族の情勢 いよいよ不穏」と。

西郷大将は
起つのでありましょうか?

「政府を武力で脅す」。

そげな無法を許しゃあ
国はのうなり

御一新は無に帰す。

西郷大将が それを一番
分かっちょるが…。

じゃが…。

西郷大将は情け深い。

もし 子飼いの連中が暴発すりゃあ…。

連中を見捨てることなど…。

至急 厳戒態勢を敷け!
「もしもに備えよ」と。

はっ!

<実は 山県と西郷 桐野は…>

<明治政府の大改革 徴兵制をめぐって
浅からぬ因縁がありました>

<政財界で説得工作を進めていました。

そんなとき
山県に スキャンダルが起こります>

<徴兵制に反対していた陸軍少将 桐野は
山県を激しく糾弾します>

<追い詰められた山県。

このとき救いを求めたのが西郷でした>

このとおり お願いします。

おまんさあは 何を言うちょっとか
分かっちょっとか!

徴兵に 日本の未来が かかっちょります。

平民に戦ができるか!

サムライが国を守る時代は
終わりました。

何じゃっち?

西洋の強国 その源は世襲軍人にあらず。

平民の兵隊
それぞれの国への忠誠心にあればこそ。

これからの日本は

帝の下 万民が 等しゅう国を
守らんにゃならんのです!

山県さあが そげん仰せなら
何も言いもはん。

先生…。

じゃっどん 士族は…。

士族は どげんなっとか?

日本中の士族が 絶対 許しもはん!

士族は…。

じゃが…
サムライを取るか 日本を取るかです。

先生…。

なりもはん!

もう やめやんせ。

ありがとうございます。

そういう点でね

山県なんかからの
申し入れがあったときに

「もう やっぱり来たか」というね
「もう そういう時が来たか」というね。

だから…

<日本のため 徴兵制を容認した西郷。

しかし その後の政府の方針は
西郷の思いを大きく裏切るものでした>

<士族たちは
サムライの証しである刀を奪われます>

<さらに…>

<士族たちは 誇りだけでなく
生活の安定まで失うことになります>

<不満を募らせる士族たち。

その反乱を恐れ
先手を取ろうとしたのが

新政府の陸軍トップ 山県でした>

<山県は ひそかに
汽船・赤龍丸を九州に向かわせます。

狙いは
鹿児島にあった陸海軍の兵器工場>

<その中核施設…>

<西南戦争当時は…>

<記録には「最新式の銃の弾薬を

1日3, 000発も作ることができた」と
書かれています>

<山県は こうした兵器工場が

反政府の色が濃い
鹿児島にあることを危険視。

武器・弾薬を運び去ろうとします。

この行動が薩摩士族の激しい怒りを
誘うことにつながりました>

それを政府が勝手に持ち出すっていうのは
泥棒だというような

何で そんなことをするかっていうんで
みんな

鹿児島のサムライたちは
怒りまくっていた。

<薩摩士族は
新政府軍の火薬庫を次々と襲撃。

士族の反乱を恐れた新政府の行動が

かえって 彼らを暴発させることに
つながったのです>

<火薬庫襲撃事件の知らせを受けて

桐野利秋は こう つぶやいたといいます>

「いまや 皆の激しい怒りは

矢の弦をはなれ 剣の鞘を脱した。

抑えようにも抑えられぬ」。

<そして 士族の期待を
一身に集めていた西郷は…>

ちょしもった。

<「しまった」と つぶやいたといいます>

<西郷は挙兵に賛成していたのか否か>

<従来 この「しまった」発言は

西郷が新政府との対決を
望んでいなかったことの証しとして

取り上げられてきました>

<しかし 果たして それは真実なのか。

綿密な史料調査から
新たな西郷像を提示している

大阪経済大学の家近良樹さん。

西郷は新政府との対決を
決意していたと考えています>

<家近さんが根拠とするのが この手紙。

西郷が神風連など
相次ぐ士族反乱を受けて

親友に送ったものです。

その中で 西郷は こう書き記しています>

<「ひとたび動けば
天下を驚かすことをなす」。

この一文に政権打倒の意志が
込められているというのです>

そういう意味での「しまった」で。

一度ね 天下が動いたら

みんなが びっくりするような行動を
取ろうという発言とね

結び付けたら 当然 そうなると思います。

<「いずれ 新政府と対決するが
今は時機ではない」>

<それが西郷の真意だったとしても

火薬庫襲撃事件を起こした士族たちを
見捨てることはできませんでした>

<事態は さらに悪化します>

<新政府の密命を受けた警察官が

士族たちに捕まったのです>

<目的は何か。 厳しい尋問が行われました>

吐かんか こら!

西郷の…。

何じゃっち!?

西郷先生を殺すちゅうとか!?

<警察官は拷問の末

西郷暗殺計画を
自白します>

西郷先生の命を狙うなんど
こん政府の卑怯もんが!

<2日後の…>

<西郷以下 私学校の幹部が集まり

今後の方針を決める大会議が
行われました>

(一同)そうだ そうだ…!

じゃっどん!

おはんたちゃ よう考えやんせ。

一気に軍を起こせば
「暴徒」「賊」じゃっち言われもんど。

賊…。

そいじゃっで 政府の非道を
まず明らかにせんにゃならん。

そんためには 西郷先生と桐野さあたちが
東京に上り

政府に詰問すっとが よか策じゃっとじゃ。

じゃっどん 兵もなく 西郷先生の御身を
どげん守るちいうとな?

じゃれば 帝に

西郷先生を お召しいただくちいうとは
どげんじゃ?

帝は ほんのこて
西郷先生を ご信頼されちょっ。

陛下の命なら
政府も手を出せんということか!

考えもなく 戦をすっとは
控えにゃならんち。

そうじゃ。

<意外にも
士族たちが検討していた対応策は

穏健なものでした>

<政府に 事の次第を問いただすか。

あるいは 西郷を認める…>

<いずれも 実現すれば
戦争は回避できたはずでした。

西郷暗殺計画や
火薬庫襲撃事件のあとでも

士族たちの間では
冷静な意見が検討されていたのです>

<その会議の流れを変えたのが
桐野利秋でした>

おはんたちゃ
そげん我が命が惜しかちゅうとか!

西郷先生の命が狙われたとじゃっど!

細んか議は言うな!

君側の奸をのぞき 御政体を いま一度

一新させんにゃならん。

西郷先生と 堂々 出兵
ただ「断」の一字あるのみじゃ!

そうじゃ!
(一同)そうじゃ!

崇拝してる若者がいますからね。

その機運が1万人の若者が
共有してたとしましたらね

恐らく そこのメンバーは…

<桐野が檄を飛ばしたあと

士族たちは熱狂の渦に巻き込まれます>

先生!

何も言うことはなか。

おいの体 おはんらに預けもんそ。

先生!

<西郷は 最後に

「自分の体を お前たちに預ける」とだけ
答えたといいます>

<そして…>

<最初の目標は新政府軍の拠点…>

<西郷たちは 後戻りのできない戦いへと
突き進んでいくのです>

西南戦争 西郷隆盛の知られざる実像。

表と裏を知り尽くした
専門家の皆さんと共に迫っていきます。

皆さん よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

西郷が挙兵をした。 維新史の
第一人者でいらっしゃる家近さん

明治政府は どう受け止めましたか?

これは やっぱり
ものすごく…

さあ 政府軍と それから薩摩軍

どっちが強かったのか? この時点で。
軍事専門の淺川さん。

だから 万が一 戦いになったときに
部隊を どうやって作るかとかですね

かなり
いろんな課題を持ってるということで…

なるほど。
一方 その薩摩の側につく人たち

あるいは士族の人たちは
どういうふうに感じてたんですか?

これが
決起するわけですからね。

私 ちょっと やわらかい話 しますとね…

となると
鍵は西郷が何を考えていたかと。

(加来)そうだと思います。
ねえ!

おいの体 おはんらに預けもんそ。

<挙兵にあたり「自分の体を皆に預ける」と
発言した西郷。

その真意は どこにあったのか?>

家近さんは 戦う気があったんじゃないか
ってお考えなんですか?

「自分の体をね
お前たちに預ける」というのはね…

戦うという?
(家近)そういうふうに私は思います。

…というのが 私の解釈なんですけどね。

私は違うと思いますね。

自分の意志っていうことではなくて
周りから言われてっていう?

…という意識があると思いますね。

見方が分かれて
非常に興味深いんですが。

(淺川)少なくとも
「政府に尋問の筋之あり」
ということで

東京へ行ってですね
自分たちに対する

いろんな圧力が
ありますから
これに対する

いろんな 曲直を正す
みたいなことをですね

しようと思ってたんだろうと思います。

ただ…

そういう流れの中で やっぱり…

ある面で そういう 何ていうんですか
覚悟っていうんですかね。

それで やっぱり
「身を預けます」というような

言い方だったんだと思いますけどね。

ここで 戦略を
地図を使って見ていきましょう。

政府軍の戦略 いかがでしたでしょうか?

一方 実際に薩摩軍がとった戦略は
こちらです。

陸路で北上するという作戦です。

その中で 山口や高知
鳥取の不平士族と合流して

京都や東京へ向かうという策が
とられました。

(家近)それだけの自信も
あったと思いますね。

さあ 明治10年2月15日
西郷隆盛率いる薩摩軍が出立。

彼らが初めに狙いを定めたのが
政府軍の籠もる熊本城でした。

<戦場となった…>

撃て!

斬り込め!

<薩摩軍は一斉攻撃をかけます。

このとき 桐野たちは
新政府軍を打ち破るのは

時間の問題だと考えていました。
しかし…>

<予想外の反撃を受け
突破することができません>

<西南戦争の初戦 熊本城攻防戦は
薩摩軍の手痛い敗北に終わります。

一体 何が勝敗を分けたのでしょうか?>

<攻撃の3日前…>

「熊本鎮台の兵隊は
西郷大将の前に整列し

その指揮を受けるように」。

<西郷は挙兵した当時も

いまだ陸軍大将の地位にあり

鎮台の兵士に命令できる立場でした>

<しかも 熊本鎮台のナンバー2にあたる
樺山資紀は薩摩出身。

西郷と同じ町内で生まれ
戊辰戦争を共に戦い抜いた仲でした>

<「樺山が寝返れば
戦わずして熊本城下を進軍できる」。

そう 薩摩軍は踏んでいました>

<しかし…>

「いかに西郷大将であっても
一私人が大兵を引率して

鎮台下を通過することは
断じてなり申さぬ」。

<樺山は西郷が私的な理由で
挙兵したとして厳しく非難。

徹底抗戦の構えを見せます。

薩摩軍にとっては予想外の展開。

しかし 指揮官の桐野利秋は
事態を楽観視していました>

鎮台の樺山が戦うつもりじゃっち?

あん恥知らず 政府の犬が!

(一同)そうじゃ そうじゃ!

じゃっどん 熊本城なんど

こん イラサ棒で ひとたたきじゃ!

すぐに落ちもんそ。

ハハハハ!

<桐野が 熊本城を
簡単に落とせると思っていたのには

理由がありました>

撃て!
(銃声)

<そもそも 薩摩士族は…>

撃て!
(砲声)

<伝統の白兵戦術に加え

銃・大砲などの近代兵器の訓練にも
力を入れていました>

撃て!

<さらに
長期戦に向けた準備も万全でした>

<士族の戦闘能力に加え
武器・弾薬の補給でも不安のない薩摩軍>

<対する熊本鎮台の兵士は その多くが…>

<樺山も その戦闘経験の乏しさを
嘆いています>

「夜 歩哨に出すと

犬が がさがさ歩くのを

敵が襲来したと言って発砲する。

実に だらしのない骨頂だった」。

<しかも 当初 熊本鎮台側の兵力は
2, 500人と少なく

薩摩軍を率いる桐野は
自分たちの敵ではないと考えていました>

<しかし 戦いは 薩摩軍の
もくろみどおりには進みませんでした>

<実は 山県は薩摩軍の動きを読み
援軍を派遣していたのです>

薩摩は?

即刻 熊本に援軍じゃ!

東京・大阪の鎮台に出兵を命じよ!
(部下)はっ!

<なぜ 山県は
先手を打つことができたのか?

その秘密は 当時の先端技術だった
「電信」にありました。

新政府軍は
イギリス製のモールス電信機を導入>

<明治2年に 東京~横浜間で
開通したのを始まりに

全国に電信網を張り巡らせ

九州 熊本の情報を
即座に入手できる体制を築きました>

<これは 当時の東海道を描いた錦絵。

工期を短縮するため
街道の松の木を電柱代わりにして

電線を引きました>

<電信を使えば 熊本から東京まで
僅か1時間足らず。

政府軍は薩摩軍の動きを

リアルタイムで
つかむことができたのです>

<さらに 政府は 大量の兵士を
戦地に送り込むことができる

輸送インフラの整備にも
取り組んでいました。

東京から熊本城に向かった援軍の動きを
記録から再現します。

西郷が兵を挙げる4日前

2月10日 午後1時に部隊は
現在の千代田区を出発>

<午後3時45分に
横浜に到着します。

ここからは海路です>

<2月14日 西郷たちが
挙兵したときには

すでに瀬戸内海の
広島沖にいました>

<この海路の輸送を担当したのは
岩崎弥太郎率いる三菱です>

<実に7%もの戦費を
輸送に費やしました>

<船は
17日午後4時
長崎に到着>

<そして
20日 正午過ぎ

熊本城に
入城します>

<このころ 薩摩軍は
いまだ熊本城から

10キロ離れた位置に
ありました。

電信と輸送手段を駆使し
援軍を素早く送り込んだ政府軍。

熊本城は 当初の2, 500人に
援軍900人が加わり

総勢3, 400人で
薩摩軍を迎え撃つことになったのです>

<熊本地震で被害を受け
大規模な修復工事中の熊本城>

<新政府軍は
どのように薩摩軍を迎え撃ったのか?

その真相に迫るため 特別な許可を受け
案内してもらいました>

NHKの浅野と申します。
熊本城調査研究センターの鶴嶋です。

よろしくお願いします。
お願いします。

<今から400年前…>

<現在 地震で崩れた石垣が並べられ
間近に見ることができます>

正面にありますね
このちょっと四角っぽい石が

これ 2トン近くあるんですよ。
重さで言えばですね。

え~!
これ 長さ どのくらいあるんですかね?

この石垣だったら
薩摩軍が大砲を撃っても…。

確かに当たってると思うんですけども…

やっぱり
びくともしないという感じですね はい。

<こうした巨大な石が積み重なり
堅ろうな守りを誇った天下の名城>

<新政府軍は この城の造りを利用して
薩摩軍を迎え撃ちます>

ここは
熊本城の一番北側になる

監物櫓っていう
櫓が置いてあって。

監物櫓…。
監物櫓っていうんですけどね。

砲台?
はい あそこの…

櫓のですね 左手の
ちょっと木が茂ってますが

その辺りに砲台を置きます。
大砲を置いてるんですね。

<到底 下から登ることはできません。

新政府軍は ここに大砲を据え
上から薩摩軍を狙い撃ちにしました>

陣地っていうのは高いほど有利ですね。
とにかく お城に入れないように。

この お城のラインで 薩軍を打ち負かす
っていう作戦を立てるわけですね。

<実は 新政府軍は
薩摩軍を迎え撃つため

熊本城に綿密な改造を
施していました。

新政府軍の将校の一人…>

<これは 若き日の乃木が作成した
熊本城攻防戦の地図です>

<青い印は砲台。

大砲が四方に
にらみを利かせていました>

<柵で囲まれているのは…>

<銃を持った歩兵が待ち構えていました>

<近代的な要塞として造り替えられた
熊本城。

改造の手は
細部にまで及びました。

こちらは城の南にあった
防御陣地の跡>

<西南戦争当時は
石垣の一部が取り壊され

斜めになっていました>

<改造前 石垣の上では
体を隠しにくいため

薩摩軍から狙われやすいという
欠点がありました>

<改造後 斜面によって
体の大半を隠すことが可能になり

効率的に反撃することが
できたのです>

<新政府軍は
熊本城の至る所で石垣を作り替え

防御陣地を強化していきました>

戦いやすいように 政府軍は

石垣自体も作り方を変えてしまった?

<容赦のない改造が施された熊本城。

城のシンボル 大天守も
例外ではありませんでした>

えっ! じゃあ この天守は

西南戦争のときは なかったんですか?
もう ありませんね はい。

焼失してしまってですね。
はあ…。

<戦争の始まる3日前
突如 燃えてしまった天守。

実は 新政府軍みずからが
天守に火を放ったと考えられています>

戦争の3日前に いきなり焼けるって…。

<薩摩軍を迎え撃つためなら

どんな犠牲も辞さない覚悟だった
新政府軍>

<天守が焼失した…>

<これは 戦後 家を焼かれた人々が
その補償を求めて

熊本県に提出した書類です>

<世帯主の名に加えて
家の間取りが事細かに記されています>

<新政府軍は 民衆に犠牲を強いても
万全の迎撃態勢を敷いたのです>

撃て!
(銃声)

<なりふり構わぬ防御計画によって
難攻不落の要塞と化した熊本城>

<桐野が甘く見ていた
政府軍の兵士たちは

熊本城に立てこもり 粘り強く抵抗します>

<薩摩軍は戦闘が始まった22日の夜
早くも方針の転換を迫られます>

敵援軍が 小倉より
来るちいう知らせじゃ。

じゃれば まず 敵援軍をたたきもんそ。

うんにゃ 目の前の熊本城じゃ。

力攻めすれば すぐに落ちるじゃろう。

そげんしたら 兵が死ぬばっかいじゃ。

何を弱気な!

敵兵が平民上がりじゃちゅうても
侮りは もう許されもはん!

今日の戦ぶり 敵は ほんのこて
よう調練されちょっち思いもした。

そいじゃっで…。

兵の一部を残して 熊本城を囲む。

主力は北上。 敵援軍をたたく。

そげんすれば
熊本城も おのずと落ちもんそ。

(一同)はっ!

<「政府軍の援軍が
北から接近中」。

この情報をつかんだ
薩摩軍は

3, 000の兵を
熊本城に残し

主力は
北上することを
決定します>

<熊本鎮台は自分たちに従うはずだ
という見通しの甘さ。

たとえ戦闘になっても
たやすく打ち破れるという おごり>

<西南戦争の初戦 熊本城攻防戦は
薩摩軍の手痛い敗北に終わりました>

西南戦争の第1幕「熊本城の攻防戦」
ご覧いただきました。

現場に足を運んだ浅野さん。
はい。

どう感じましたか?
西南戦争当時のお話を聞くと

私たちが今 見ている熊本城とは
あまりにも違っていて 本当に驚きました。

薩摩軍の攻撃に備えて
石垣の構造自体を

作り替えてしまった
話などですね

もう本当に
政府軍が徹底した守りに

力を注いでいたっていうのが
本当に伝わってきましたね。

これ… 精鋭もいるし

西郷さんの薩摩軍 結構強いんじゃないか
と思われている中で 政府軍が優勢。

軍事の専門家の淺川さん
どういうふうに ご覧になりますか?

平民の人たちが戦うので
武器も いろいろ考えたんだそうですね。

「放擲弾」という 熊本鎮台で考案された

急造兵器の一つなんですけれども…

何で こんなものを
作ったのかというと…

逆に言うと 薩軍にとっては

あまり都合のいいことでは
なかったはずなんです。

ただね その 思うんですけどね…

ますます 政府軍にですね
囲まれる形になるわけですよね。

今 ちょっとね 「おごり」というのが
出てきたんでね

言いますけどね 結局 私…

それはね ものすごく感じますね。

<熊本城で敗北を喫した薩摩軍。

その後の戦局は さらに
混迷をきわめていくことになります>

薩摩軍が熊本城に手こずる間

政府軍は
さらに援軍を派遣していきます。

これに対して
薩摩軍は部隊の一部を残したまま

主力部隊を北上させます。

ここで両軍が激突。

結果は…

上に行けないということですね。
(淺川)行けないということですね。

ということは…

さあ このあと 重要局面を迎えます。

西南戦争の行方は その後
意外な展開を迎えることになります。

<たび重なる敗北で 九州を攻め上り
東京に至る道を断たれた薩摩軍。

根本的な戦略転換を迫られていました>

おのれ!

東京を目指す道は
もう難しかかもしらん!

いまや敵軍は増えるばっかいじゃ!

当座 どげんしのぐ?

田原坂…。

こん田原坂じゃ!

<薩摩軍が目を付けたのは

熊本城の北にある 田原坂。

西南戦争で
最大の激戦が行われた場所です>

<小高い丘が連なる田原坂は
戦略上の要衝>

撃て!
(銃声)

<戦うこと…>

<なぜ これほどの犠牲を
出すことになったのか?>

<それは 政府軍の指揮官
山県有朋の誤算から始まりました>

<新政府軍を率いる山県は
九州に上陸します>

賊軍の動きは どうなっとる?

「田原坂にて 我が軍を迎え撃つ構え」。
先鋒より電報あり。

「賊軍が防御を固める猶予を与えず
速やかな進撃を請う」と。

「進撃はならん。

さらなる兵の到着を待て」。 そう伝えよ。

しかし それでは みすみす…。

西郷 桐野を甘う見ちゃあならん!

この一戦 もし我が軍が敗れもすりゃあ
熊本城は落ちる。

さすれば 日本中の士族が
どうなるか分からんぞ。

ゆえに 兵力が整うまで待つんじゃ。

(一同)はっ!

<薩摩軍が田原坂に
陣を構えたことを知った…>

<その脳裏にあったのは
全国の不平士族の動向でした>

<新政府軍が万に一つでも敗れれば

全国各地で反乱の火の手が上がる。

そう考えたのです>

<しかし この慎重策が裏目に出ます>

撃て!
(銃声)

進め!

<しかし そこに待ち受けていたのは
薩摩軍の激烈な反撃。

新政府軍の兵士は次々と倒れていきます>

<実は 薩摩軍は
新政府軍が援軍を待つ時間を利用して

田原坂に
堅ろうな陣地を築いていたのです>

<新政府軍を苦しめた薩摩軍の陣地とは
どのようなものだったのか?>

中原さん この道幅は 車1台

通れるくらいの広さはあるんですけど

昔から ここは大きな道 主要な道だった
っていうことですか?
そうですね。

<これまで 田原坂の戦いは

この一本道をめぐる攻防戦のイメージで
語られてきました。

しかし 最新の調査から

それとは全く異なる実像が
見えてきたのです>

<やって来たのは 田原坂の
一本道を見下ろす高台。

従来は 戦場とは
考えられていなかった場所です>

調査で どんなことが分かったんですか?
はい ここではですね…

どのくらいの数 見つかったんですか?

そんなにも見つかったんですか?
(中原)はい 出ました。

<薬きょうや銃弾が
見つかったということは

ここで戦闘があったことを示しています>

<中原さんたちは 調査結果を手がかりに

これまで謎に包まれてきた
薩摩軍の陣地の全貌を推定しました>

<薩摩軍の陣地は
田原坂の台地全体に築かれていました。

田原坂の戦いは 一本道ではなく

台地全体をめぐる
壮絶な攻防戦だったことが

明らかになったのです>

実際に 我々が
いろんな所で調査をやってみると…

<巨大な要塞と化した田原坂。

新政府軍は一本道を避け
台地の斜面を登って

攻撃を仕掛けようとします。
ところが…>

あそこがですね
今 旗がひらひらしている所。

ピンク色の旗が…。
はい。

あそこに薩摩軍の陣地があったんですよ。

じゃあ 政府軍は あの陣地に向けて…。
登ろうとするんですよ ここを。

でないと 陣地が取れませんからね。
結構 高いですよ。

だから こっちの兵隊が
政府軍の兵隊が20人ぐらいいても

それが いつの間にか 10人になり
5人になり 1人になっても

結局 上には たどりつけない。

そういうことが 田原坂で ずっと
どこでも 恐らく やってたんですね。

<これは
薩摩軍の陣地を撮影した写真です>

<薩摩軍は ただでさえ攻めにくい台地に
堅固なとりでを築き

いかなる攻撃も寄せつけない
構えでした。

新政府軍の記録は
その難攻不落ぶりを伝えています>

<この不利な状況を覆すため
新政府軍は予想外の策に出ます>

<別動隊を編成し 海路 九州沿岸を南下。

薩摩軍の本拠地 鹿児島を
襲撃したのです>

<九州沿岸の制海権は

新政府の海軍トップ 川村純義の手に
握られていました>

<船で自由自在に
軍を動かすことができた新政府軍>

<政府軍は ここから
主力兵器である

スナイドル銃の
弾薬製造器械を強奪します>

<スナイドル銃は後込銃といって
後ろから弾を込め

素早く発射できることが利点>

<弾薬の製造器械を奪われた薩摩軍は

やむなく 旧式のエンフィールド銃を
使うことになります>

<問題は…>

<スナイドル銃に比べ
はるかに手間がかかり

スピードの低下は明らかでした>

<一方…>

<物量において
圧倒的な優位に立った新政府軍。

田原坂の戦いで使った銃弾は…>

(銃声)

<しかし それでも 薩摩軍の堅固な陣地を
攻略することはできませんでした>

<新政府軍の苦戦の理由。
それは…>

<ここは 新政府軍が
田原坂の西に築いた

砲台の跡です>

(中原)田原坂も 今 ずっと見えますね
坂が。

<しかし この砲台は 田原坂の台地より
低い位置にありました。

薩摩軍の陣地のすべてが見通せないため
正確な砲撃ができません>

<さらに 戦いの最中の天気は
ほとんどが雨。

視界の悪さに拍車がかかりました>

撃て!
(砲声)

突撃!

(銃声)

<泥沼の様相を呈する 田原坂の戦い>

<新政府軍は戦局打開のため

田原坂台地を見下ろすことができる場所を
必死に探しました。

それが 田原坂の南西にある横平山です>

<横平山の展望台に上がりました>

おお~! 見晴らし いいですね。

いいでしょう。
ここからだと全部見える。

<先ほどの砲台からは見えなかった

薩摩軍の陣地も 一望することができます>

<新政府軍は 横平山を攻略することで

一気に戦局を
ひっくり返そうとしたのです>

そういう点でも ここが やっぱり

一番よかった場所なんじゃないかなと
思いますね。

狙え! 撃て!

(銃声)

撃て!

(銃声)

<物量に任せ 力押しで
横平山を占拠している薩摩軍の陣地に

取りつこうとする新政府軍。

一方 迎え撃つ薩摩軍は
ここでサムライの本領を発揮します>

<両軍が入り乱れる白兵戦。

士族の猛攻の前に
平民主体の新政府軍は

なすすべもありませんでした>

<苦戦を強いられた新政府軍。

兵士の脳裏に浮かんだのは
戊辰戦争を勝利に導いた

英雄 西郷隆盛の影でした>

<新政府軍の密偵の報告書には
こんな記述が残っています>

<実は…>

<カリスマ西郷の身に何かがあれば

寄せ集めの薩摩軍は
求心力を失い 瓦解する。

それを恐れ
前線から遠く離れた本陣にいたのです>

<戦場に出てもいない西郷の幻影におびえ
足並みに乱れが出始めた新政府軍。

士気の低下は顕著でした>

♬~

西郷…。

<手詰まりとなった山県のもとに
ある提案が持ち込まれます>

「士族上がりの巡査を集め
斬り込みをかけたい」だと?

はっ! 剣を封じるには剣。

そいじゃって
こいを得意とする巡査 士族がよかかと。

士族…。

そりゃあ ならん!

士族だけを特別に集めた部隊を
今さら作るなんぞ

それこそ サムライ時代への逆行じゃ!

政府みずから
徴兵制を崩すことにほかならん。

<山県に持ち込まれた提案。

それは 士族出身の警察官から
優れた者を動員し

薩摩軍の白兵戦術に
対抗するというものでした>

<このころ…>

これを奥の倉庫に運べ。
はい!

<戦いに参加できず
忸怩たる思いだった士族出身の警察官。

特別部隊の結成は 渡りに船の提案でした>

<しかし その一方 平民主力の軍隊を
目指してきた山県にとっては

受け入れ難いものだったのです>

(部下)閣下。

「田原坂 いまだ抜けぬ」との知らせ。

そうか。

<3月11日に行われた総攻撃も失敗。

事ここに至り 山県は決断します>

<集められたのは…>

<その武器は 現地で急きょ集められた…>

<「抜刀隊」の誕生です>

<そして…>

<これは 抜刀隊に参加した
警察官のリストです。

実は 驚くべきことに

抜刀隊の多くが薩摩出身の士族でした。

彼らは 西郷というカリスマに
命を預けるのではなく

警察官として
新政府に忠誠を尽くす道を選んだのです>

チェスト!

<薩摩士族同士が殺し合う死闘>

<政府の記録は 戦いのすさまじさを
こう記しています>

<抜刀隊は
薩摩軍と互角以上に渡り合い

新政府軍は息を吹き返します>

<しかし 抜刀隊の被害も甚大でした>

<傷を負わない者はいない
という惨状でした>

そういう
武士だったと思います。

<降りしきる雨の中
田原坂 最後の決戦が行われます>

(砲声)

<新政府軍の猛攻撃が始まりました>

(砲声)

<見晴らしのいい
横平山を
占拠することで

薩摩軍の陣地の
全体像を把握した
新政府軍。

田原坂の南から回り込み
攻撃を加えます>

ひけ! ひけ!

<虚をつかれた薩摩軍の防衛ラインは
一気に崩れました>

<17日間の激闘の末 ついに 新政府軍は
田原坂を攻め落としたのです>

<山県の誤算から始まった
西南戦争最大の激戦 田原坂の戦い>

<新政府軍にとって
多大な犠牲と引き換えにつかんだ

苦すぎる勝利でした>

死闘が繰り広げられた田原坂。

それまで 薩摩軍は
あんまり準備もなかった 油断もあった。

そういう中で
ここで かなりふんばります。

軍事の専門家の淺川さん この戦いを
どういうふうに ご覧になってますか?

<淺川さんが注目したのは

熊本城への補給ルートになっていた
田原坂の役割です>

作戦目的としてなんですけれども…

それが やっぱり 長期化した
大きな原因っていうことだと思います。

不利な状況だったですけど
よく考えましたね。

ここで持ちこたえることが
できれば…

もう一つ この戦いで
新政府軍が大変苦戦をして

抜刀隊っていう
刀を持った兵を入れるということを

山県は 非常に苦しみながら
決断をしますね。

これは…

無理ですよね 鎮台兵には。

ただ 抜刀隊は
多くの人が亡くなってますよね。

どういう気持ちで
戦いに臨んだんでしょうかね?

自分のところで サムライの時代が

終わるという思いっていうのは
それは当然 あったかもしれませんね。

ただ…

家近さんは…?
抜刀隊を組織するときにですね…

<実は 薩摩藩の士族は

鹿児島城下に住む「城下士」と

地方の郷村に住む「外城士」とに分かれ

伝統的に対立を続けていました>

そういうものが… いろんなものが
ないまぜになっていく。

そこに だから ドラマとしての
西南戦争の味わいというか

やっぱり あるんでしょうね。

その後の戦局 どう動いていったのか
見ていきます。

田原坂の戦いで敗れた薩摩軍
なおも抵抗を続けます。

そこで 政府軍は海軍の力を使います。

別動隊で 船で

熊本から 援軍を送り込みます。

熊本城を攻めていた薩摩軍を
背後から打ち破ります。

と同時に 熊本の北部で
抵抗を続けていた薩摩軍も

同じく後退することになるんですね。

敗北が続き
もはや勝利を見通せなくなった薩摩軍。

このあと 西郷と山県を待ち受ける運命を
ご覧ください。

<田原坂の死闘から3週間後の…>

(砲声)

<しかし その後も砲火はやむことなく
九州各地で戦闘が続きました。

どうすれば 戦いを終えられるのか?>

<焦点となったのは西郷の身柄でした>

<新資料から明らかになった
西郷追跡作戦。

水面下の知られざる攻防に迫ります>

<西南戦争の最終局面。

新政府軍 山県の目的は

薩摩軍の総大将である西郷を
捕らえることにありました>

<これは…>

<写っているのは なんと…>

<新政府軍は 薩摩軍を追い詰めるため

九州全土に
電信の情報網を

作り上げていました>

<後れを取った薩摩軍は

新政府軍の追撃を受けながらも
転戦を続け

宮崎県の延岡に たどりつきます>

<ついに 西郷を捕捉した新政府軍。

謎に包まれてきた
追跡作戦の舞台裏を明かす資料が

見つかりました。

政府軍の兵士の手紙。

そこに 延岡で行われた
戦闘が記されています>

<これは…>

<薩摩軍では 兵士の逃亡や降伏が相次ぎ

軍としての体裁を
保てなくなっていました>

「薩摩軍を八方より狙撃した」。

(銃声)

突撃!

<薩摩軍の陣頭に立っていた西郷>

<そこで目にしたのは

徴兵制によって動員された
平民たちの戦いぶりでした。

半年間にわたる実戦で鍛えられた
新政府軍。

薩摩士族を前にしても
おびえることがない精強な兵へと

変わっていたのです>

こん場所は もう危なか!

先生! 早よしてたもんせ!

見れ。 あん強か兵隊を。

外国じゃっても負けん。

こいで もう 日本も大丈夫じゃ。

<「日本も大丈夫だ」。
西郷は そうつぶやいたといいます>

<戦争中 常に傍らに置いていた愛犬を
山に放すと

少数の味方と共に
新政府軍の包囲網をかいくぐり

山中に行方をくらませたのです>

(部下)閣下!

西郷 桐野 共に行方がつかめません!

何? 腹も切らんで逃げたと?
はい。

戦は終わらんぞ!

あの西郷が消えた。

<山県は 新政府軍の将校に宛てた書簡で
こう つづっています>

<西郷を逃した罪は
自分にあるというのです>

それは 普通の

ちょっと
英雄的なぐらいの存在じゃないから

それは あるでしょうね。

<西郷の居場所をつかめない政府軍は

捜索部隊を九州全土に送り出します>

<新政府軍の兵士は
こう書き記しています>

<しかし 西郷の行方は
一向に知れませんでした>

<消息を絶ってから2週間後の9月1日
情勢は大きく動きます>

<すでに政府軍の占領下にあった鹿児島に
西郷が現れたというのです>

ある意味では…

<今度こそ西郷を取り逃がすまいと
決意を固めた山県。

4万の大軍勢で

アリのはい出る隙間もない
包囲網を敷きました>

<西郷たちが潜伏していた
城山の洞窟です>

<すでに 死を覚悟した西郷と

その命を
何としても救いたい部下たち。

決断の時は迫っていました>

西郷先生の助命
政府に訴えさせてたもんせ!

先生は 日本に必要なお方ごわす。
こんとおり!

そいは できもはん。

こん戦で死んだもんは
どいだけになるち思うとか。

命果てるまで戦うのみじゃ。

先生!
先生!

<謎の多い西郷隆盛の最期>

<近年 その謎を解く手がかりとなる
新資料が見つかりました>

(大谷)碓井福太郎
という兵士の
日記です。

<日記によれば…>

<2人に対応したのは…>

<川村は薩摩出身で
西郷の親戚にあたる人物でした>

先生の命ばっかいは 助けてたもんせ!

こん戦は もとは先生を暗殺せんとした
政府のたくらみじゃ!

政府が薩摩に送り込んだ巡査も
言うちょいもした!

そげん暗殺疑惑をただしたかち
思うちょっとなら

まず 法があるじゃろう!
告訴こそ筋目じゃ!

そいを私情を押し通さんがため
兵を起こすなんど

国のありようを崩すようなもんじゃ!

じゃっどん…!
罪は罪!

西郷は賊として征伐せんにゃならん!

<日記には

「賊名を以て
征討をなす」と
述べたあと

川村が漏らした言葉が記録されています>

昔を思えば おいも

西郷さあとは
兄弟のように育ったでなあ。

帰って こげん伝えやんせ。

「家族は おいの下にあり
心を残さんでよか。

そして潔う
降伏してたもんせ」ち。

<「潔く降伏してほしい。
家族の面倒は見る」。

それが川村が伝えたメッセージでした>

<川村の言葉を聞いた西郷は
ひと言 こう つぶやいたといいます>

回答は いりもはん。

<川村の降伏勧告を断った西郷。

新政府軍から もう一通の手紙が
西郷のもとに届けられました>

<送り主は山県有朋。

かつて 戊辰戦争を共に戦った

盟友 西郷に宛て こう書き記しました>

<山県が西郷に求めたのは自決でした。

みずから命を絶ち 無益な戦いを
回避してほしいというのです>

普通に… 冷静に考えたら
西郷と山県っていうのは

もう合わないと思うんですけどね。
でも 変な話ですけどね

違うからこそ
評価できたかしれませんね。

全く違っていたからこそ
かえって認められたかもしれませんね。

<手紙の最後で 山県は こう結んでいます>

<西郷は 山県の手紙を読み終わると
それを大事に懐にしまったといいます>

<そして…>

撃て!
(砲声)

<新政府軍による
城山への総攻撃が始まりました>

<西郷の選んだ道。

それは部下たちと共に
突撃することでした。

そして…>

(銃声)

先生!

先生!
先生!

もう… ここいらでよか。

チェー!

<倒れた西郷を

桐野が介錯したと
記されています>

うわ~!

<その後 桐野も西郷の後を追うように
戦死を遂げました>

♬~

閣下。

♬~

<西郷隆盛の死によって

7か月に及んだ西南戦争は
幕を下ろしました>

♬~

政府軍の勝利で終わった西南戦争。

この戦いは
その後の日本に何をもたらしたのか?

その意味で やっぱり…

西郷さんそのものの死。
それは私たちの…

日本人に
どういう影響を与えたでしょうね。

そうするとね
大体ね ものすごく…

そういう存在なのかなっていうか。

「未完」っていうのは
完成してないという。 はい。

だから 何といいますか…

こういう人物って
そう いないんじゃないですかね。

月並みなことで言えば…

それと裏表で…

だから 日本人の在り方にも
大きな影響を与えていったことは

間違いないでしょうね。

ありがとうございました。

<鹿児島市にある…>

<西南戦争で命を落とした薩摩軍の将兵
2, 023人が葬られました>

<サムライたちの魂を導くようにそびえる
西郷隆盛の墓>

<その傍らに寄り添うように
桐野利秋が眠っています>

<西南戦争のあと 政府内部で
確固たる地位を築いた山県有朋は

軍の強化に邁進します。

これは 山県が起草に深く関わった…>

<陸海軍の軍人に心構えを説いたものです>

<軍人が絶対的な忠誠を誓うのは
天皇ただ一人>

<国家の危機に際しては

進んで命を投げ出し
犠牲となることが理想とされました>

<徴兵制による国民軍の成立によって
諸外国と戦う準備を整えた日本。

この後 山県ら軍の首脳部は

日清戦争 日露戦争を
主導していくことになります>

突撃!

<ラストサムライ 西郷隆盛の死を越えて
富国強兵への道を ひた走った日本。

近代国家となるために
何を得 何を失ったのか?

その問いは今を生きる私たちに
突きつけられています>

徴兵に日本の未来が
かかっちょります。

おはんたちゃ
そげん我が命が
惜しかちゅうとか!

堂々
出兵あるのみじゃ!

もし我が軍が
敗れもすりゃあ

日本中の士族が
どうなるか分からんぞ。

(銃声)

(桐野)先生!


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