100分de名著 スピノザ“エチカ” 第1回「善悪」 國分功一郎、伊集院光、安部みちこ、白井晃、加藤有生子


出典:『100分de名著 スピノザ“エチカ” 第1回「善悪」』の番組情報(EPGから引用)


100分de名著 スピノザ“エチカ”[新] 第1回「善悪」[解][字]


善悪の区別は組み合わせ次第だとらえる「エチカ」。その視点から考えると、その人の活動能力を増大させるものが善であり、減少させるものが悪だとみることができる。


詳細情報

番組内容

「エチカ」の大きなテーマは、生きていく上で善と悪の区別をどうするかという問題だ。たとえば音楽は、人によって善くも悪くも働くことがある。すべては組み合わせ次第であり、そのもの自体に善悪はない。その視点から善悪を再定義すると、その人の活動能力を増大させるものが善であり、減少させるものが悪だととらえることができる。第1回は、スピノザが再定義した善と悪の見方から、私たちの行為の意味を捉えなおしてみる。

出演者

【講師】國分功一郎,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】白井晃,【語り】加藤有生子



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100分de名著 スピノザ“エチカ” 第1回「善悪」
  1. スピノザ
  2. エチカ
  3. 言葉
  4. 意味
  5. 完全
  6. 人間
  7. 無限
  8. 例えば
  9. 何か
  10. 神様


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世間から嫌われ
糾弾され続けた哲学者がいました。

オランダ生まれのユダヤ人でしたが
ユダヤ教と決別。

哲学者として 孤高の人生を送りました。

レンズ磨きなどで生計を立てながら
スピノザが考えたのは

人間が幸せに生きる道。

そして 「神」について。

その考えは ユダヤ教にもキリスト教にも
そぐわない 異質なもの。

異端 無神論者と罵られ
生涯 名声を得ることはありませんでした。

彼の死後 出版されたのが
「エチカ」です。

その思想は
後の哲学者や科学者に

多大な影響を与え続けています。

難解とも言われる哲学書
「エチカ」を読み解きます。

♬~
(テーマ音楽)

♬~

「100分de名著」 司会の…

伊集院さん
今月の名著は覚悟が必要ですよ。

みんな スタッフも
プレッシャー かけてくるんですよ。

「大変ですよ」みたいな。
はい。 何かと言いますと こちら。

スピノザの「エチカ」なんです。

哲学の本なんですけども
私も今回 初めて読んだんですけど

上巻の42ページ目で挫折。
全然 分からなかったです。

不安だね これは。
もう 先生に頼るしかありません。

哲学者で 東京工業大学教授の
國分功一郎さんです。

どうも はじめまして。
(伊集院 安部)よろしくお願いいたします。

フランス現代思想や 17世紀の西洋哲学を
研究してきた國分さん。

中でも 20年以上 取り組み続けているのが
スピノザだといいます。

出会いは どんなところだったんですか?

僕が若い頃 フランスの
20世紀の哲学者っていうのが

すごく はやったんです。

非常に流行したんです
ポストモダンの思想といって。

で 彼らの中で結構 人気があったし
注目されていたのがスピノザで。

だから 何て言うか
スピノザを好きじゃないなんて

え~ かっこ悪いなみたいな。
そういうもんだったんですか?

スピノザ 読んでないの? みたいな

そんなような
結構 位置づけだったんですよね。

でも 分かりやすいものでは
なかったわけですよね?

そうなんですよ そこなんですよ。 だから
みんな 何となく読んでたんですけど

僕も当然 その流行に乗って
読んでるんですけど

何か 分かんないな。

結構 若い頃あったんですよね。

今後 読んでいくと分かるんですけど
やっぱね…

でね 僕 よく言うんだけど
哲学者 たくさんいて

いろんな哲学 ありますよね?

例えば それは一つ一つ 携帯とかのね
アプリだと考えましょう。

そうすると 例えば カント哲学だとか
何とか哲学だってなって

そのアプリを頭に入れると いろんな
ことを考えられるようになりますよね?

ところがね スピノザ哲学って
何か OSが違うんですよね。

僕らの考え方と ちょっと。

ただね スピノザ哲学を勉強して
頭に入れようとしても

何か OSが違うからね
何か走ってくれないの。

そういうイメージなんですよ 何となく。

だから スピノザ哲学を
勉強していく時には…

それが気付いていくと

だんだん だんだん
スピノザが言おうとしてることが

非常に身近に感じられてくる
というところがあるんですよね。

だから なるべく今回もね
僕も そのOSの違い

そこを うまく説明できたらいいな
というふうに思ってるんですね。

スピノザが生前に出版した本は 2冊。

「神学・政治論」は匿名での出版でしたが

キリスト教会から異端と見なされ
発禁処分。

スピノザが著者であることも知られ
大きな非難を浴びました。

44歳の若さで亡くなると
友人たちによって遺稿集が出版されます。

これも発禁となりましたが
ここに収められていたのが「エチカ」です。

「倫理学」という意味の この言葉。

國分さんは その語源に着目します。

もともと たどってくと
「エチカ」っていう言葉は

「エートス」っていうギリシャ語から
来てるんですね。

あるいは 「人間が住んでる場所」
そういうことを指すんですよ。

ある場所に 例えば人が住んでいる。

そうすると
そこに習慣とか出てきますよね。

ふだん こういうふうにすると
繰り返されるパターンですね。

そういう形で 自然と すみかに基づいて
出てくる まあルール

基準みたいなものを 「エチカ」と
呼ぶようになったわけです。

このね 「エートス」っていう
「エチカ」の語源にあたる言葉が

「すみか」であるというのは
非常に 何というか示唆的で。

スピノザの この「倫理学」はね

頭ごなしに 「こうしなさい ああしなさい」
っていう本じゃないんですよ。

あなたは どういうとこに住んでいて
どんな性質を持っていて

その人 一人一人のエートスを
いわば考えて

その人にとってのエチカっていうのは
どんなものだろう

つまり うまい生き方っていうのは
どういうものだろうっていうのを

考えていこうっていう発想が とにかく
ベースにある そういう本ですね。

今っぽいっちゃ 今っぽい。
今っぽいと思います。

だからこそ 当時は
なかなか受け入れられなかったし

だからこそ 20世紀になってから

すごく みんなが注目し始めた
本でもあるんですよね。

「エチカ」は
特徴的な方法で書かれています。

それは 図形や空間を研究する数学

幾何学で用いられる論証法。

幾何学では 直線とは何か 円とは何か
といった「定義」を設定。

また 議論の前提となる仮定
「公理」を定めます。

そこから導かれる
さまざまな図形の性質を

「定理」という形で述べていきます。

その正しさは
「証明」によって 確かめられます。

スピノザは
この方法を 「エチカ」に取り入れました。

定義 公理
そして いくつもの定理と証明によって

正しさを確かめながら
論を進めていきます。

この方法で スピノザが
明らかにしようとしたのは

この世界や人間の性質でした。

その考えの出発点に 彼が考えたのは
「神」でした。

「神」は 唯一絶対に確かな存在で
無限である。

全てのものは神の中にあり
全ては神のあらわれだ。

スピノザは神を このように説明します。

第一部で出てくる
神についての定義なんですが…。

明らかに やる気をそごうとしてますよね
これの定義がね。

確かに でかい壁ですね。
やる気が そがれるようなね。

確かに 読み始めると大変なんですよ。
それは みんなで認めましょう。

最初が大変だぞって。
でも その方がいいですよね。

これを簡単って言われちゃったら
絶対 ここで やめちゃうから。

絶対 簡単なわけないですよ。
僕にとっても難しいです。
はい。

だから いろんな難しい言葉が
出てきてるんですけれども

ポイントを まずピックアップすると

何と言っても
この「無限」ってとこなんですね。
はい。

神様っていうのは無限でしょ?
っていうことなんです。

神様っていうのは
絶対的な存在ですよね。

とすると それが有限なはずがない
というふうに考えるわけです。

分かりますよ。 はい そこまでは。

例えば 伊集院さんも有限ですよね?
有限です。

時間的にもね 残念ながら
そのうち いなくなってしまうし

身体を持ってるという意味で
空間的にも有限ですよね。
はい。

でも そのような制限 限定が
絶対者である神様に あるはずがない。

とすると有限じゃないんだ 無限なはずだ
というふうになるわけです。
なるほど。

その無限というのを考える時に
じゃあ ちょっと これ

こんなふうな
論理の進め方になっています。

まず 神様は無限である。
これは いいとしましょう。

ってことは どういうことか。

神様に 外側はないでしょ?
というふうになるわけです。

そうですね。
無限ですから。

そうですよ はい。 無限ですから。

先ほど言ったように
有限だから 外側があるわけです。

ここまでが神様ってなるから
外があるわけで ないですね。

リミットがあるということです
有限というのは。

全体が神ってことか…。
ってことなんですよ。

つまり 全ては神の中にあるとすると

いかなるものも
神の内にあるわけですから

私たちも皆 神の一部であるっていう
考えになるんです。

まあ ちなみに専門用語
書いて頂きましたけど

その一つ一つを指す言葉として

こういう 「変状」とか 「様態」っていう
言葉があるんですけどね。

まあ いいですか これ?
いけますか?

いや 割と大丈夫ですよ。
割と大丈夫ですよねえ?

八百万の神みたいなことって
そういうことじゃないですか?

根本は違うんですけど
ちょっと近いところはありますね。

あらゆるところに神様がいるって
考え方ですよね。

スピノザの場合は 神様は一つですが
全てが神の中にあるし

一つ一つが神のあらわれですって
考えなんです。 で これってね

神って言われてるものが ほとんど
「宇宙」っていう意味に近いわけです。

こういう言葉があるんですけど
「神即自然」っていうね。

「Deus sive Natura」って
いうんですけど

まあ 自然って言ってますけど
これ 宇宙と読みかえてもらえたらね

大きな宇宙があって それは無限で
その外側はない。

あらゆるもの
森羅万象は その中にいて

全てが神のあらわれであるっていう
考え方なんですよね。

うわっ そりゃあ怒られるわっていう。

要は 何かね 「神は無限だ」って
言葉から入っちゃうと

すごい敬ってるじゃんって思ってたけど
ある意味「ない」と言ってるってことと…。

そうなんですよ。 近いんですね。
近いんですね。

だから ユダヤ・キリスト教の神というのは
基本的に人格神であって

ある人間のような意思を持っていて
人に裁きを与えるわけですけども

そういう意味で言ったら
やっぱり 無神論とか言われてしまう。

スピノザの考え方は全てが神のあらわれだ
っていう意味で 「汎神論」ね。

そこら中に神がいるっていう言葉でも
説明されることがあるんですけども。

これ あんま神様とか信じない
科学者の人からしたら

「そうだよ」っていう話…。
なると思うんですよね。

実際 有名な話で あの相対性理論で有名な
アインシュタインが

「私は スピノザの神を信じる」って
言ったって有名な話があるんですよね。

だから 「神」っていう言葉は
使っているけれども

非常に自然科学的な発想がある。

だから 僕らは どうしてもね
「神」っていう言葉が出ると

ちょっと警戒しちゃうんですよね
現代人はね どうしてもね。

だから ちょっと
その警戒心を ちょっと解いて

「エチカ」をちょっと開いてみて下さい
というのが最初に言いたいことかな。

「エチカ」の構成は五部に分かれています。

第一部 「神について」から始まり

人間の精神 感情 自由と

テーマが進んでいきます。

しかし國分さんは この順番どおりに
読まなくてもいいと言います。

これはとっても大事な点なんですけれどね
最初から読むと挫折しますので

最初から読まない。 僕のお勧めは
ここ 第四部から読むことなんですね。

ちょうど この辺りから すごく具体的に
倫理の話になっていくんですね。

感情の話をしていて 人間が どう生きるか
という話をしてますけれども

それこそ 感情って何だろう? って
基礎的な定義を知りたいと思ったら

三部に戻っていけばいいわけですね。
なるほど。

更に どこに行くのかなってことを
知りたいなら五部に行けばいいわけです。

そういう意味で 四部というのは
とてもいい出発点ですね。

で この四部というのはですね

さっき 倫理的な話が
ここから始まるって言いましたけど

もうちょっと具体的に言うと 「善と悪」
「善いと悪い」っていうのが

まあ ある意味で定義されていく
箇所なんですね。

伊集院さんは その「善悪」とか
「善い悪い」っていうことを

何と言うか
どういうふうに教えられてきたとか

どういうイメージをお持ちです?

子供みたいな答えですけど…

うん。 とっちゃダメ。
人のものを とっちゃダメ。

ああ~。

やっぱり 基本的には。
基本的な発想に 命令があって

だから その命令で倫理とかを考える
やり方でいいのか? っていうのが

やっぱり スピノザの
一つ ポイントになってきますよね。

だから スピノザの考える
善悪というのは

そういう命令とは ちょっと違う
発想なんですよね。

スピノザが 善と悪を考える上で
まず考察するのは

人は 「完全」 「不完全」という言葉を
どんな意味で使っているかということ。

例えば 家をつくろうとした人は

それが出来上がった時
「完成した」と言います。

周りにいる人は それが何であるか
知っている時には

「これは不完全だ」
あるいは 「これは完全だ」と思います。

なぜなら 家についてのイメージを
持っているからです。

しかし これまで見たことがない

何をつくろうとしているのか
分からないものについては

「完全」か「不完全」か 分かりません。

スピノザは 家とは こんなもの
橋とは こんなもの

塔とは こんなものというように

人が あらかじめ頭の中に思い描く
イメージを 「一般的観念」と呼びました。

私たちは それと一致すれば「完全」

一致しなければ
「不完全」と口にするわけです。

例えば 生まれつき
角が片方ない牛を見た時

牛の一般的観念と比較して
不完全だと人間は思います。

しかし これは人間の思い込みだと
スピノザは言います。

人間は あくまで一般的観念に基づいて

完全か 不完全かを
判断しているにすぎません。

自然の中に 完全なものと不完全なものが
あるわけではないのです。

スピノザは 「善悪」についても
同じように考えを進めていきます。

それ自体で これが「善」
これが「悪」というものは

存在しないというのです。

何か すごい入ってきましたよ。

ハイカロリーな食べ物は
いい食べ物なのか 悪い食べ物なのか

この食べ物は 善い食べ物なのか
悪い食べ物かは

その時の僕の状況による。
すごい すんなりきました それは。

きたでしょ?
それOKです。 分かりました。

うちのかみさんに 「ハイカロリーな
食べ物は もう あなた悪い」って

必ず言われますけど。
だから それ自体として善いもの

それ自体として 完全なものというのは
存在しないわけです。
はい はい。

それは
どういうものと組み合わせるか…

例えば こういう表現
されてましたよね。 音楽で。

憂鬱っていうのは
落ち込んでるっていう人ですね。

だから 落ち込んでる人が
音楽を聴くと 気分が高まっていく。

「悲傷の人」 例えば誰かを亡くして

それを悼んでる状態にある人のことを
指しています。

悲しみの中に浸ることが必要だから
邪魔になってしまうわけですね 音楽は。

聾者 耳が聞こえない 耳が不自由な人には
音楽は聞こえないわけですから

善くも悪しくもないと。

だから 音楽それ自体が
いい悪いとかは言えない。

あくまでも 組み合わせの問題なんだ。

「自然の中に 完全なもの 不完全なものが
あるわけじゃない」って言ってましたね?

ある意味で 全部 完全なんですよ
スピノザの考え方でいけば。
はい。

奇形とか そういうものはなくて 全てが
一つ 完全なものとして存在している。

僕 よく挙げる
トリカブトの例なんですけど。

人間にとって 毒である
つまり悪なんですけれども

しかし トリカブトはトリカブトとして
自然界に ただ存在してるだけですよね。

きちんとした 完全な植物として。

ただ 人間と組み合わせが悪い
ということなわけです。

組み合わせが悪いことによって
現れるのが 悪だって考えるわけです。

どんな善い悪いも 起源においては

そういうものだったんだろうと
思うんですよね。

でも それが多分 忘れられてしまって

その結果だけが取り出された時に これは
悪いんだから やってはいけません

これは善いんだから やりなさいという
先ほどの命令の部分だけが残っていく。

だから 元に 起源のところまで遡って

考えてみましょう
ということなんですよね。

でね 僕らが どういう根拠で
善いって判断してるかな。

組み合わせが善いって 結局 どういう
ことだろうっていうことについても

スピノザは答えを出してくれていて…。

僕たちが活動する力ですね。

それを増大したり 促進するものが
善ですね 善いですね。

つまり 何かと何かが
うまく組み合ったっていうのは

どういうことかっていうと その力を
増大させるでしょというわけです。

それに対して
例えば 胃腸が弱ってる時に

例えば 分厚いステーキとか食べると
胃もたれして

ものすごい 活動能力が
下がっていっちゃうわけですよね。

そしたら 善くないですよね?

活動能力が増大するか
下がるか 減少するか

それで考えてるってことなんですよね。

へえ~。
ほお~。

その人が…

…というのが
「エチカ」の考え方なんですね。

「善く」っていうのを
僕らは 漠然と使いますけれども

スピノザは ある意味で
具体的に考えてるわけです。

で 僕はね これはスピノザの言葉では
ないんですけれども

「実験する」って
よく言うんですけれども

どれと どれが
うまく組み合うかっていうのは

やっぱり分からないから うまく自分が
何と組み合うかっていうのを

いろいろ実験してくということが
すごく スピノザ的な実践なんですよね。

例えば
お笑いタレントなんかで言うとね

後輩とかが 「先輩 何を勉強したら
売れますか?」とか

「どういうことをしたら
善いんですか?」っていう。

そうすると 今 ちょっと特殊なジャンルに
強い子じゃないと

出る場所がなかったりするから
みんな 一生懸命ね

私は めちゃくちゃサッカーに詳しいとか
いろんなジャンルをやってくるんだけど

僕は いつも「楽しいやつしか無理。
善くない」って言います。

あなたは 何をやってる時に楽しくて

そっちの方向に対する努力は
苦労ではないっていうことにしか

活路はないですって 僕は言うんです。

ちょっと そことフィットするので。
フィットします。

すごくフィットするんですよ。
すごく今 いい点を出して頂いて。

スピノザの言葉を使うと…

こう定理してるんですよ。

善悪っていうのは

喜び 悲しみと
直結してるってことなんですね。

善いものっていうのは
僕と うまく組み合って

僕の喜びの感情を
高めてくれるものである。

楽しいって言ってもいいですよ
楽しいって言っても。

で そういうことが どういうふうにすると
起こるかってことを

よく知ってる人が
うまく生きていける人で。

ちなみにスピノザは 「賢者」って言い方を
よくするんですけど。

はあ~。

だから 山に籠もって じっとしてる
人のことじゃないんですよ。

いろんな これも楽しいよ
釣りも楽しいよとかね

分かってる人が賢者。

いや すごい これは
ヒントになるような気が。

すごい励まされますよね。
私 小学生の子供を今 育てていて

小学校って
やっぱり 国語もできた方がいい

体育も音楽もって
どれも こう できた方がいい。

だけど 本当は自分が楽しい
うれしいっていうものが

ぴったりくるっていう
実験ってことですよね?

どんな科目を勉強する時だって
この やり方っていうのがあるわけでね

人によってね あることを
うまく理解できるようになる筋道って

すごく違うんですよね。
はい。

数学の問題を理解する時に
どういうやり方だったら

この子は うまく理解できるだろうとか。
すごい分かりやすい。

僕 最初 確率とか分数とか
全然 分かんなかったんですけど

当時から 草野球が大好きで

打率っていうのの計算は
できるようになってたんです。

自分の打率を探すっていうことに
関しては

それを 今 算数の宿題をやらされてる
という感じもなく。       そうですよね。

全然できたし それは多分
喜びの感情であればよいっていうことと

ちょっと似てる。
似てるっていうか もう同じですよね。

同じですよね。 あまりに現代はね

「これが正しい」っていう本も
いっぱい出るじゃないですか。

「これは やっちゃダメ」。
そこに合わない人は とても窮屈だから。

ちょっと この章のスピノザ… あっ
あの挫折したはずのスピノザですけど。

いやいや 読むから
もう一回 ちゃんと読みますよ。

かなり今 入ってきてますね。
はい。

次回以降も どんな気付きがあるか
楽しみです。

ありがとうございました。
ありがとうございました。

ありがとうございました。


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