先人たちの底力 知恵泉「人の役に立つには 社会事業家 賀川豊彦」 優木まおみ、川原尚行、杉浦秀典


出典:『先人たちの底力 知恵泉「人の役に立つには 社会事業家 賀川豊彦」』の番組情報(EPGから引用)


先人たちの底力 知恵泉「人の役に立つには 社会事業家 賀川豊彦」[解][字]


社会事業家・賀川豊彦。貧困地区の救済や関東大震災からの復興で大活躍した人助けのエキスパート。卓越したアイデアで弱い立場の人たちを救おうとした賀川豊彦の知恵に迫る


詳細情報

番組内容

近代化が進む明治・大正時代、繁栄の影で取り残された貧しき人たちがいた。彼らを救うために立ち上がったのが、社会事業家・賀川豊彦だ。賀川は、病気や犯罪がまん延する貧困地区の人々を救うため、数々のアイデアを生み出し、実現して行く。東京を襲った関東大震災では、災害ボランティアを組織し、未曽有の大災害からの復興を支える大きな力となった。常に弱き人たちを支え続けた賀川豊彦。人助けのエキスパートの知恵に迫る。

出演者

【出演】優木まおみ,特定非営利活動法人ロシナンテス理事長…川原尚行,賀川豊彦記念松沢資料館副館長…杉浦秀典




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先人たちの底力 知恵泉「人の役に立つには 社会事業家 賀川豊彦」
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誰かの役に立ちたい。
ふと思うことってありますよね。

そんな時の とっておきのヒント
お見せしますよ。

ねえねえ マスター これ募金箱ですか?
そうなんですよ。

どうしたの?
こんなの お店に置いちゃって。

いや 気付きました?
はい。

12月に入ったからね
歳末たすけあいの時期じゃないですか。

ですのでね 私も 何か人の役に
立てることはないかなと思いまして。

でも 本気で集めたかったら
こんな 暇そうなお店じゃなくて

駅前とかで活動とかした方が
集まるんじゃないですか。

今 暇そうと言いました?
いつも あんまりいないなと思って。

まあ 確かにいないんですけれども
いや 違うんですよ 優木さん。

人の役に立ちたいというのはですね

どこに置くかじゃなくて
気持ちが大切なんですよ。

確かに。 う~ん。

ということでね ここに置こうかなと
思ってるんですけど…。

そうだ。 今日は そんな優木さんに
ぴったりのお酒が入ったんですよ。

え~ 何ですか?

人の役に立ちたい気持ちが詰まった
こちら銘酒 「賀川豊彦」。

あ~ 知らない。

実はですね 日本が発展していく中で
取り残されてしまった

困難な状況にある人たちに
手を差し伸べた社会事業家なんです。

日本が近代化の歩みを急速に進めていた
大正時代。

その繁栄の裏で 多くの人が貧困に苦しみ
生きる希望を見失っていました。

彼らの力になりたい。

立ち上がった男がいます。

21歳の時 単身
神戸の貧困地区に乗り込みます。

時代から取り残され 生活に行き詰まった
人々を救おうと 大奮闘。

次々と事業のアイデアをひらめくものの
大きな壁にぶつかります。

個人の力だけでは
社会の問題を解決することはできない。

ヒントを探すため 日本を飛び出します。

向かったのは アメリカ。

そこで 賀川が目の当たりにした…

新進気鋭のリーダーとして
日本中の注目を集めていった やさき。

史上空前の巨大災害に直面します。

家も仕事も失い
生きる気力をなくしてしまった人たち。

賀川は 再び立ち上がります。

震災からの復興のため 賀川が立ち上げた
一大プロジェクトとは?

社会を変えるアイデアを
次々と実現していった賀川豊彦。

その生きざまには 人の役に立つ
ヒントが詰まっています。

今回 賀川の人生を読み解くのは
医師で 国際NPO理事長の川原尚行さん。

アフリカのスーダンで
医療ボランティアとして

活動を続けてきました。

長い間 内戦が続いたスーダン。

多くの人々が貧困にあえぎ

医療すら
満足に受けることができない状況です。

外務省の医務官だった川原さんは

安定した地位を捨て
スーダンへと向かいます。

そこで取り組んだのは きれいな…

貧困にあえぐ人たちのニーズに応え

希望の光をもたらそうと
奮闘してきました。

困難を乗り越え 人を助けることを
生涯の仕事とした者同士。

川原さんは 賀川豊彦の知恵を

どのように読み解くのでしょうか。

う~ん。
というね 賀川豊彦。

ねえ あの時代に どんなふうに
人を助けていたのか 気になりますよね。

ねえ。 なかなか普通
できることじゃないですよね。

そうですよね。

こんばんは。
こんばんは。
お待ちしておりました これはこれは。

はじめまして。

どうぞ どうぞ いらっしゃいませ。
こんばんは。

スーダンで医療活動などのボランティアを
されてるということですけれども

川原さんは
賀川豊彦のことは ご存じですか?

そうですね 本当に人のために
生きられた方ということ

ほんと 心から尊敬しておりますね。

実は 10年ぐらい前ですかね
私が 神戸で講演したことがありまして

あなた方の活動というのは…

その時は 賀川豊彦のことは
ご存じだったんですか?

あんまり知らなくてですね
それから 自分なりに調べてみて

今日は その話 詳しい話
聞かれるというんで

とても楽しみにしてまいりました。
似てるところを 何かね。

さあ その賀川豊彦を
見ていくわけなんですけれども

今日ご用意したコースは こちらです。
どん!

まあ シンプルですけれどもね
どうなのかと。

賀川は ほんと
常に困難な状況にある人たちに対して

どうすれば 役に立つことができるのか
というのを考え続けた人なんですよね。

そこで 1つ目のメニューが こちらです。

「一人では
乗り越えられない壁」と。

若き日の賀川は 一人で

貧しい人たちが暮らす スラム街に
飛び込んだわけなんですよね。

ところが そこで大きな壁に
ぶつかることになるんですが

一体 その壁を
どうやって乗り越えたのか。

まずは こちらから見ていきましょう。

中学校を卒業後 神戸神学校に進学。

ここで出会ったのが
キリスト教の教えです。

世のため 人のために尽くす
奉仕の精神の大切さを学びました。

自分も 困っている人たちの
役に立つことはできないだろうか。

その時 賀川の脳裏に浮かんだのが
神戸の都市部にあった貧困地区です。

狭い地域に 7, 000人もの人が
密集して暮らし 環境は劣悪。

死亡率は 他の地区の4倍に達し
犯罪も多発していました。

21歳の時 賀川は決意を固め
行動を起こします。

人々を救おうと
単身 スラム街に乗り込んだのです。

しかし そこで待っていたのは
想像よりも はるかに厳しい現実でした。

このころ…

生活環境は どんどん悪化していきます。

恐喝やスリは 日常茶飯事。

仕事がないため
朝から 酔っ払っている人ばかり。

賀川自身も殴られ
前歯を 2本なくしました。

衛生状態も ひどく
およそ20軒に 共同トイレが1つ。

雨が降ると 汚物があふれ
臭いが町じゅうに充満しました。

(賀川)大丈夫ですか? さあ…。

水を。
はい。

助けても助けても終わりが見えない
貧困地区の悲惨な状況。

賀川は 本音を
日記に こう漏らしています。

「道… いやだ
…臭い。 便所」。

「ペスト」。

「ああ 恐ろしい」。

もう 一人の力では どうしようもない。

賀川は
ピンチを打開する策を打ち立てます。

明治44年1月
賀川は 活動に賛同する仲間を集め

ボランティア組織
「救霊団」を結成します。

みんなで力を合わせて
頑張っていこう!

(一同)おう!

皆さん お握りが出来ましたよ。
(歓声)

チームができたことで

一人ではできなかった 社会福祉事業に
次々と取り組んでいきます。

行き倒れの病人を診る診療所の開設。

栄養のある食事の提供。

貧困地区の環境は
次第に良くなっていきました。

ボランティア組織の結成から
3年がたった 大正3年。

賀川は 次のステップへと踏み出します。

先生 そのお荷物 一体 何を?
アメリカに行くことにしたんだ。

アメリカって…!?

活動を仲間に託し
アメリカへと旅立つことを決めたのです。

(汽笛)

繁栄を謳歌していたアメリカ。

その陰で
深刻な貧困が広まっていました。

賀川は
さまざまな社会事業について学ぶ中

衝撃的な光景に出くわします。

大規模なデモです。

全米各地でわき起こる労働運動。

一人一人の力は弱くても…

社会を変えるアイデアを探していた
賀川は

アメリカで
もう一つのヒントをつかみます。

それが 「防貧」という発想。

2年半後 賀川は帰国。

おかえりなさい 先生!
先生!

仲間たちと一緒に 貧困を未然に防ぐ
仕組みを作ろうと 奮戦します。

まず取り組んだのが
職業紹介所の設立です。

賀川記念館の西さんが
その跡地を案内してくれました。

賀川が 自ら 職場を見て回る
貴重な映像が残っていました。

仕事を得て 経済的に自立した人たち。

貧困に陥ることを未然に防ぐ仕組みが
整い始めました。

そして賀川は アメリカで見たものを
日本で実現させていきます。

大正10年 史上類を見ない
巨大なデモを指導します。

盛り上がりを見せた労働運動。

労働者たちの待遇は
少しずつ 改善されていきました。

一人一人の力が弱くても 団結すれば
大きな問題を解決できる。

賀川は 社会事業の新たな可能性を
示したのです。

なぜ そんなにまで
人の役に立ちたいのかなとかも

すごく気になりますね。
目の前にいて 見てしまったんでしょうね。

何か きっかけがあって見ちゃった。
そう 何かがあって見ちゃったと。

で やっぱり やらざるをえないと
思ったんじゃないんでしょうかね。

でも あの中に出た…

あれは
非常に大きな言葉だなと思いましたね。

そうですね。
そうですね。

こんばんは。
あ こんばんは。 お待ちしておりました。

ようこそ いらっしゃいました。
よろしくお願いします。 どうも。

チームを作って その壁を乗り越えた
というところから

始まったわけですけれども 組織力
というのは やはり すごいですよね。

そうですね やっぱり 一人一人は
先ほどのビデオにありましたけども

非力で そして微力かもしれません。
でも 決して無力ではないんですね。

それぞれが持ってる力や 潜在的な力を
一つに結集して ある方向に向かわせる。

その時に そのチームというものが
すごく力を発揮していくんでしょうかね。

私もですね もともと外務省で
外務省の医務官として

スーダンに行けといわれて
行ったんですけれども

私 ちょっと外務省を辞めて
この団体を作ったんですけれども

団体の名前が 「ロシナンテス」って
いうんですね。 ちょっと聞き慣れないな。

人の名前のような感じが 何か…。
どっかで聞いたような名前。

ドン・キホーテが乗る
ロバのような痩せ馬のことを

「ロシナンテ」というんです。
ああ~!

私も ある意味 ほんと力ない
世界では非力なんですけれども

やっぱり それでも力を合わせて もう
ほんと 賀川さんと同じ理念ですよね。

ロシナンテが集まって
ロシナンテスになれば

きっと何か大きな力に
なるんじゃないのかなと思って。

ロシナンテの集まりが ロシナンテス
なんですね。           そうなんですよ。

最初は 日本人だけと思ったんですが

今度 スーダンのスタッフも
やはり できまして

スーダンのスタッフも 最初は それで私と
いろいろ話をしていくうちに

だんだん ロシナンテスの志というか
思いが伝わって。

私は ある意味 日本に来てますけれども

日本人のスタッフ スーダンのスタッフが
今 頑張って

スーダンでも
支援活動を ずっと やってるって

まさに チームに結成できたのかなと
思いますね。

やっぱりね 一人だけだと
諦めちゃいそうにもなるしね。

無駄かな どうせ 思ってても
届かないかなって思うことが…

励ましあいますしね。
そうですよね。

川原さんが もともと
そのチームプレーの大切さというのを

どこで こう学んだのかって
気になりますよね。         そうですね。

私 あるスポーツをしておりましたけど
何だと思いますか?

ラグビーを ずっと
高校大学と やっておりまして

ほんと 一人一人が
いろんな役割が 全然違うんですけどね

それが結集して
一つのボールを追っかけて

それで トライに結び付けていくと。

このラグビーをしたために
やっぱり チームプレーというのは

とても大事だなということを
学びましたね。        ああ そっか。

ラグビーといいますとね
有名な言葉がありますよね。

あ~!
私たちも聞きますよね 何か。

これ私 神戸で講演した時に
そのことを話すと

神戸の方が 実は同じ事を それこそ
賀川さんが言ってたんですよ

ということを聞いたんですよね。
そうですか? 杉浦さん。

そうですね。 賀川豊彦は 生涯ですね

「一人は万人のために
万人は一人のために」というですね

この言葉を
非常に 賀川は大事にしていった。

私は みんなを必要としてる。

こういったところを
賀川は ものすごく大切にして

組織の一つの形成の原理と
いうんでしょうかね。

チームを組織した賀川なんですけれども

しばらくすると
アメリカに旅立つことになりました。

これ 残された方からすると
リーダーが いなくなって

ちょっと びっくりする部分もあると
思うんですけれども。

今だったらね 何か 「ちょっと賀川さん
どうしたらいいんですか」っていって

こう インターネットで
ビビビ… みたいな 連絡取って

「すぐ返信来たよ 夜だけど向こうは」
みたいなことができるけど

絶対できないわけですし。

賀川豊彦は これぞと思う人物がいたら…

ですから こと うるさく
あれやこれやと言うよりも…

お任せするというか そうすると どんどん
皆 それぞれ成長を促していくわけですね。

川原さんも スーダンの活動そのものを
他の方に任せることはあるんですか?

これはもう ほんと任せてますね。

任されるということで。

支援されてる側も やっぱり自分たちで
何かしなきゃいけないということで

一生懸命 我々と いろいろ
話もしますしね 何かしよう。

任せるという時には
信頼するというところも伴わないと。

そうなんですよ。 信頼する 大事。
ねえ 大事なのかもしれないですよね。

主人と私が 家族のチームだとしたら
出張の ロケとかの仕事が入った時

ちょっと あんまり信用してないので
チームを。

そうなんですか?
それ言っちゃって大丈夫ですか?

すごい心配になりますもん。

私が 夜いないと
多分 家が回らないだろうと思って。

1日でも限界ですけど。 心配で。
そうですか。

賀川もね その 信頼して任してる間に
アメリカに渡って

多くのことを学んできた
ということでしたよね。

まさに 自分の求めたのが
これだというですね。

これを彼は そこで もらって
帰ってきたっていうんでしょうかね。

そういった中で
対抗軸ではないんですけども…

それによって 社会を少しずつ
いい方向に持ってくんだという

そのひらめきを与えられたのは
実は アメリカ留学だったと言えますね。

さあ チームを作って 困難を乗り越えた
賀川なんですけれども

続いてのメニューが こちらなんです。

「やる気を
呼び起こす」ということなんですね。

これ 知りたいですね。
ねえ。

賀川はですね その後 かつてない規模の
巨大災害に直面することになるんですが

それを乗り越える鍵になったのが
「やる気」だったということなんですね。

大正9年 賀川は 自伝的な小説…

神戸の貧困地区での活動が描かれ
100万部が売れる大ベストセラーになり

賀川の名は 全国にとどろきました。

さまざまな事業の最前線で活躍していた
大正12年9月

衝撃的なニュースが飛び込んできます。

関東大震災が発生したのです。

近代の日本が経験した
未曽有の巨大災害でした。

賀川は 居ても立ってもいられず
東京に向かいます。

2日かかって
東京に やっと たどりついたものの

想像を絶する被害に 言葉を失います。

家を焼け出され 家族を失い
生きる気力をなくした被災者たち。

賀川は 彼らに
どう向き合ったのでしょうか。

今から7年前 関東大震災に直面した
賀川の胸の内をしたためた

書が見つかりました。

「血が こみあげてくる。
永遠に若い おまえの血が。

おまえの血は 私の血だ」。

書からは 廃虚と化した東京で
賀川が感じた絶望と

残された被災者を救おうという決意が
読み取れるといいます。

賀川は すぐ行動に出ます。

被災地への緊急支援を訴える講演活動。

その数…

有名人の賀川を見ようと
人だかりができました。

多額の募金と 膨大な援助物資を
集めることに成功します。

賀川さんが来ると みんなが
どうしたんだということで

そういうことは 十分 自覚してですね…

1か月後の東京。

被災地に届いたのは
お金や物資だけではありませんでした。

多くのボランティアが集まったのです。

被害が大きかった東京の下町を拠点に
仮設の住居となるテントを設営。

食糧支援や医療活動に取り組みます。

民間主導の災害ボランティアの
始まりともいわれる この活動によって

被災者は命をつなぎ
暮らしを立て直すことができたのです。

昼夜 被災地で奮闘するボランティアたち。

賀川は 彼らのやる気を呼び起こすことも
忘れませんでした。

じゃあ がれき ここに載せて。
(一同)はい!

お願いします。
はい。

賀川先生!
ああ 先生!

石田君 よく やってくれてるな。
これからも君の力が必要だ。 頼んだぞ。

光栄です 先生!
ははっ…。

菊池さん 朝から晩まで励んでいるね。

私になんかに…。
身を粉にして 頑張ります。

皆さんも どうかよろしく。
はい! 頑張ります。

現場を回っては 皆の頑張りを認め
褒め続けた賀川。

雑誌にまで文章を寄せ
その奮闘をたたえました。

こうして 賀川は
ボランティアのやる気を刺激し続け

被災地での支援活動を
3年以上にわたり 続けます。

当時 活動を一緒にした菊池千歳さん。
98歳の時の証言が残っています。

ボランティアが活躍し 復興へ向けて
力強く歩んでいった東京。

その陰で 震災による失業が
大きな社会問題となっていました。

経済的に自立することができず
生きがいも見失っていたのです。

このままではいけない。

賀川は 画期的なアイデアを実現します。

信用組合を作ったのです。

賀川が作った信用組合では

被災者同士が お金を出し合い
まとまった資金を作ります。

そこから 事業を興したり

仕事を続ける
運転資金のない人に

低金利で融資するのです。

当時の貴重な映像が残されています。

身近な物を担保にして
お金を借りる人たち。

賀川の信用組合は
被災者たちに自立への希望を与えました。

それから 90年がたった今も

この信用組合は 地元の中小・零細企業の
力になっています。

絶望の どん底にいた被災者たちの
生きる気力を呼び起こしたい。

震災からの真の復興とは何かを
模索し続けた賀川は

こんな言葉を残しています。

賀川は 生きる気力を呼び起こすことでね
被災者たちの課題を解決して

その後の自立まで考えていた
ということなんですけれども。

賀川豊彦はですね
こういった被災地に対しては

段階的なアプローチって
いうんでしょうかね

こういったことを考えておりました。

まず その食事だとか それから家だとか
衣服とか必要ですから

そういった 生活支援活動というのを
行っていかなきゃいけない。

その次に この被災者の人たちの自立を
どうやって お助けするかという

こういった
賀川豊彦は段階を経ながら

人々のために お仕えしていったって
いうんでしょうかね。

これが特徴だと思います。

なかなか できないですよね。

また 地元だとか 何か理由づけがあれば
そこに ずっと長くって やるけど。

すごい方ですね。
そうですよね。

私も 2011年3月11日
東日本大震災があったんですけど

私 たまたま スーダンから帰国して
東京にいまして。

居ても立ってもいられなくて
それでもう 宮城県の方に行きまして。

そして 一人じゃ
やっぱり 何もできないですけど

「もう 仲間 連れてきますよ」
っていうことで。

もう ボランティアの方
いろんなところから来て下さって。

ボランティアの方は今度は もう
そこに同じ 住みついて。

それで がれき撤去を
やったりですね

それから また
子どもたちが困ってたら

「寺子屋」というのを
学習支援も やったり。

更に 農業もちょっと
心のよりどころで

もともと
農業をやってたのが

その畑も全部 塩に
つかってしまったというので

じゃあ我々 農地を見つけて
みんなで農業しましょうと。

全部 事業を引き渡して
そして もう同じですね 自立すると。

そうですね 自立していく。
やっぱり うれしいですね。

もう本当に 何か心を通わせた方たちが
元気になっていく姿

私も こう元気をもらうという
感じですね。

そう考えるとね 当時 賀川が
やっていたものと同じというか。

そうですよね。
そうですね。

あの信用組合って ほんとすごいですよね。
あれ 今に続く形ですよね。

そうなんです。 今に続いているんですね。

彼は この信用組合を作って
お金を借りた人は 映像にあったように

家にあるもの それこそ変な話ですけど
鍋 釜 包丁 家にあるもの。

それこそ 朝 まだ炊いた時の
米粒が残ってるような お釜を持って

「すいませんけど これで」って
お金を十分に貸したというんですね。

そして その質草というのは もう簡単には
流さないで 長く置いといて

そして もう普通の市場価格で
十分にお金を見て 貸すんですね。

うわ~ これは…。
うわ~ すごい。

スーダンでも導入したいぐらいですよ。
そうですか。 是非。

時空を超えて 私まで
やる気にさせられた。 賀川さんから。

まあ そんなふうに
やる気を呼び起こしてね

災害からの復興を成し遂げた
賀川なんですけれども

最後のメニューはですね こちらなんです。

「狭い殻を破ろう」
ということなんですね。

貧しい人や 被災者の支援活動を
成功に導いてきた賀川。

ある日 神戸の貧困地区で
衝撃的な光景に出会います。

この ぬすっとどもが!
(子どもたち)離して。

(賀川)君たち どうしたんだ。
俺の銭 盗んだんですよ。

ものを盗んで何が悪い!
盗まれる方が悪いんだよ!

行くぞ! ほら 行け。
(子ども)離して!

貧困地区で
当たり前のように行われるスリや窃盗。

それを見て育った子どもたちは
犯罪行為を悪いことと思わなくなり

盗みに
手を染めるようになっていたのです。

過酷な環境に生きる…

賀川の脳裏に浮かんだのは
幼かった頃の つらい思い出でした。

賀川は 4歳の時に両親を亡くし
徳島県の本家に引き取られます。

しかし 新しい家庭環境に
なじむことはできず

孤独な幼少期を過ごしたといいます。

賀川が暮らした場所を
案内してもらいました。

一人でいることが多かった 少年時代。

寂しさを紛らわしてくれたのは
鳴門の豊かな自然でした。

家庭環境に恵まれず
自分の殻に閉じこもりがちだった賀川。

12歳の時
人生を変える転機が訪れます。

「In the beginning…」。

アメリカ人牧師 マヤスとの出会いです。

英語を熱心に習い
まだ見ぬ外国の話に 胸を躍らせます。

この出会いによって 世界を
大きく広げることができた賀川。

今度は 自分が子どもたちの未来を変える
手助けをしようと考えます。

みんな 準備はできたかい?
(子どもたち)はい 賀川先生!

賀川のアイデアは
「遠足」に連れていくことでした。

貧困地区の狭い世界しか知らなかった
子どもたちの視野を広げるためです。

初めて乗った汽車に
「家が走る!」と みんな大騒ぎ。

訪れたのは 海や山でした。

つらい現実から離れ
豊かな大自然に触れるうち

子どもたちは 生き生きとした姿を
取り戻していきました。

さあ じゃあ みんな並んで。

じゃあ みんな こっちを向いてね。

(シャッター音)

賀川と子どもたちの遠足は
毎年の恒例行事となり

新聞でも 大きく取り上げられました。

更に賀川は 子どもたちが心安まる
居場所を作ろうと保育所や幼稚園を設立。

その数は…

おはようございます。
おはようございま~す。

関東大震災から復興した東京で完成した
この幼稚園も その一つです。

賀川は こうした施設で
子どもたちが 自ら考え

自ら学ぶ力を育もうとしたといいます。

生涯 子どもたちの未来と幸せを
考え続けた賀川は

こんなメッセージを残しています。

「子供は
大人より えらい。

次の時代は子供のものだ。

子供が地上に天国を造る」。

どうですか?

「子供は大人より えらい」っていう言葉は
すごい…。

私も 子どもが今 5歳と1歳なんですけど
環境を整えてあげるというのが

すごい 子どもの成長には
大事なんでしょうね。    そうですね。

実際 その子どもたちは その後
変わったっていうことなんでしょうかね。

中には 何人かの人が
やっぱり 何ていうんですかね

親の環境から 賀川豊彦の影響を受けて

よりよい生活へと
変わった人たちも いますけども

やはり なかなか抜け出せない子もいた。

ですから そういった子どもさんを
何とか その子らしい…

そのために 幼稚園だとか保育園だとか

いろんな形の取り組みというのを
彼は してたみたいですね。

でもね 優木さん 将来の社会をつくるのは
子どもたちといいますか ねえ?

ねえ まさに そうですよね。

実は私もですね やっぱり子どもたちが
未来をつくっていくと思ってまして。

スーダンというのは
ず~っと内戦してたんですね。

スーダン 南スーダンの子どもたち
合わせて22人を長崎に連れてって

で 日本も原爆があった
悲しいことがあったのに

ここから みんな
はい上がってきたんだよと。

だから 内戦終わったあとも お前らが
やるんやぞというふうなことで。

その 行ったメンバーの一人がですね
「日本で勉強したい」と

そのあと言ってきて
3年間 留学したんですよ。

最初の1年は 日本語 分かんなくて
泣いてばかりだったんですけど

みんながみんな
そういう 自分たちのところ

地域を つくっていくというので。

私も そのお手伝いを ずっと
やっていければいいかなと思ってますね。

子どもたちの支援ということなんですね。
そうですね。

賀川豊彦は
後に東京に住むようになるんですが

もう自分のポケットマネーで たくさんの
人を 大学とか行かせてるんですね。

いろいろ聞いていくと 本当 賀川さんと
川原さんが すごい似てますね。

ほんと そっくりです。

いや でも もう賀川さん ほんと
時代が 100年前ですよね。

あの当時
あれだけのことをされたというんで

やっぱり全てで 強い者だけで
社会が構成できるもんじゃないですから

やっぱり 弱い人も含めて
それがあっての もう人間社会ですから。

自然社会と思いますんで

そこに いかに手を差し伸べるか
ということが とても大事だと思いますね。

それも ちゃんと続くように。 持続的に。

その仕組み作りというのをね
ほんと 賀川先生に学びながらですね

現代社会でも 本当に やっていかなくちゃ
いけないのかなと思うんですね。

すごい やる気を頂いた気持ちでして。
優木さん いかがでした?

賀川さんの
その何か 人間力というものに

もう ほんとに すごいもう
魅了されるというか。

自分が できることが
ほんと ちっちゃくても

やっぱり 何か一つ
そして 何か施しを受けたりしたら

また何か 返そうっていうのを
改めて思って。

大きいことは できなくても
小さいことから やっていこうと思います。

じゃあ… これ 忘れてませんか?
あ そうですね。 私もやりますよ。

マスター
いくらか寄付をされたんですか?

私ですか?
はいはい。

私はね 皆さんが寄付されたあとに

後で まとめて やろうかと
思ってるんですけど ええ。        ああ。

みんなでスクラム組んでいきましょうか。
はい 是非。

ありがとうございました!
今日は ご来店。


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