偉人たちの健康診断「現代医学で読み解く“忠臣蔵”」 竹下景子、関根勤、カンニング竹山、山本博文、植田美津恵、佐藤純…



出典:『偉人たちの健康診断「現代医学で読み解く“忠臣蔵”」』の番組情報(EPGから引用)


偉人たちの健康診断「現代医学で読み解く“忠臣蔵”」[字]


新発見の赤穂藩士たちのカルテや吉良の治療記録などをもとに、江戸城の刃傷事件から討ち入りまでを健康面から徹底検証。知られざる忠臣蔵の物語がうかびあがる。


詳細情報

番組内容

お家取り潰しになるとわかっていながら、なぜ浅野内匠頭は江戸城で刃(にん)傷事件に及んだのか?その要因のひとつに「天気」があった可能性が浮上。これまで比較的軽症だと考えられていた吉良の傷だが、治療記録からは一刻を争う状況だったことが明らかに…。さらに新発見の赤穂藩士たちのカルテからは、浪士たちが持病を抱えた病弱な集団だった可能性が浮かび上がる。資料を駆使し、現代医学の目で忠臣蔵を徹底検証する。

出演者

【出演】竹下景子,関根勤,カンニング竹山,山本博文,植田美津恵,佐藤純,【司会】渡邊あゆみ




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偉人たちの健康診断「現代医学で読み解く“忠臣蔵”」
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時は…

江戸の町を駆け抜ける…

今日のテーマは…

亡き主君の無念を晴らそうと

赤穂浪士たちが
吉良邸に討ち入る物語です。

エイ エイ オーッ!

この国民的物語の元となったのは

およそ300年前に起こった…

この事件を「健康」の視点から読み解くと

これまで語られてきたものとは
全く異なる物語が見えてきます。

あなたの平常心を失わせる…

更に…

屈強だと思われてきた赤穂浪士たちは

病を抱えた ひ弱な侍たちだった!?

現代医学で解き明かす

あなたの知らない
もうひとつの「忠臣蔵」の物語です。

健康のヒントは歴史にあり。

「偉人たちの健康診断」!

皆様 こんばんは。
「偉人たちの健康診断」です。

ご一緒して頂くのは こちらの方々。

どうぞよろしくお願いいたします。
(3人)よろしくお願いいたします。

さて 皆様
こちらに用意いたしました これ。

忠臣蔵のいでたちですよね。
これで あだ討ちに乗り込んでいくという。

討ち入りに行くという
姿なんですけれども。

その忠臣蔵に関して 今日は
健康面から見ていこうという試みですが。

そういえば 今まで
忠臣蔵で健康を語ったことないですよね。

健康 関係ないですもんね この人たち。
ねえ。

でも そういえば ドラマの中で

大石内蔵助の妻 理玖役を
演じられたということで。

(竹下)以前ですね。
お連れ合いは

ご病気なんか おありになったという?
全く そういうシーンもなかったので

特に気遣ってはいないんですが
ただ 山科に隠とんしてる時に

もう 酒浸りだったじゃないですか。
そうですね。

それは ちょっと
頭に痛い事柄でもあったので 妻としては。

こんなに飲んで 体に悪いんだろうなと。
でも飲めるってことは 逆に

肝臓や胃も丈夫なのかなと 勝手に
そんなふうに思っておりましたけれど

実際は どうなんでしょうね。

いろいろと気になることを
解説して頂くのが こちら。

忠臣蔵といえば 東京大学史料編纂所
教授の山本博文先生ですが。

どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。

研究者の先生も この健康面から
見ていくなんていうことは 今まで…?

あまりなかったですね。
赤穂事件で残ってる資料の中にですね

大石内蔵助が薬を買った
っていうのはあるんですね。

そういうのはあるんですけど あんまり…
まあ 彼らは元気で討ち入ってますからね。

あまり そういうことを
考慮してなかったわけですね。

で 今まで見逃されていた事実に
注目すると

まあ 大変な発見が
次々と出てまいりました。

まずは この忠臣蔵

討ち入りに至るまでの 発端となった
事件から見てまいりましょう。

今からおよそ300年前 江戸城 松の廊下で
太平の世を揺るがす大事件が起こります。

上野介! この間の遺恨 おぼえたるか!

うわぁ…。

殿中でござる! おやめなされ 浅野殿!
お離し下され!

殿中 すなわち 江戸城内で
赤穂藩主 浅野内匠頭が

突如 幕府の名門旗本 吉良上野介に
斬りつけた事件です。

当時の慣例では
将軍のいる江戸城で刀を僅かでも抜けば

本人は切腹 藩は取りつぶしという
思い罰が科されていました。

藩の取りつぶしとは 現代で言う
会社の倒産と同じこと。

内匠頭が起こした事件により

彼の家族や赤穂藩士たち およそ1, 000人が
路頭に迷うことになりました。

更に 内匠頭自身は
事件の責任を取り 切腹。

こんなにも大きな代償を払ってまで…

今回 健康の視点から 事件に関する
さまざまな資料を読み返していくと

内匠頭の新たな動機が
浮かび上がってきました。

これは 大石神社に伝わる
赤穂事件の詳しい いきさつを記した史料。

事件後の内匠頭が残した数少ない発言を
たどることができます。

切腹直前の内匠頭は
身柄を預かる屋敷の主人に

ふと こんな言葉を漏らしています。

内匠頭自身は 事件を起こした原因が

痞という持病にあると語っていたのです。

江戸時代の医学書には
次のように記されています。

これを現代医学で解釈すると

まず 「腹に物があるかのような違和感」
という症状から…

…といった病名が
浮かび上がってきます。

そこで ポイントとなるのが

「実体がない」という
記述。

これは
胃そのものには

腫瘍や傷など
目に見える病変がない

という意味に
解釈できます。

つまり
胃がんや胃潰瘍

ポリープといった
可能性は低くなり

残るのは
神経性胃炎の可能性です。

内匠頭は 持病の痞
すなわち 慢性的な神経性胃炎に

苦しんでいたと考えられるのです。

胃もたれがするので食べたくないと。

ず~っと胃の中にありますから

それが今度…

ここら辺で気が鬱滞してきますと…

そうすると 深く息が吸えない
という症状が出てきますね。

常日頃から胃の圧迫感や吐き気に
悩まされていたと思われる 内匠頭。

しかし…。

私は持病に痞がございまして
物事を取り鎮めることができません。

そのため 今日も…。

いくら 神経性胃炎に
苦しんでいたからといって

物事を
取り鎮めることができない

つまり 刀を抜いて
人に斬りつけるほど

自制がきかなくなってしまう
ことなど あるのでしょうか。

痛みと病気の関係について

長年研究してきた 佐藤 純さんは

内匠頭の持病に加え
もうひとつ重要な要素が

事件を引き起こしたと推測します。

浅野内匠頭さんですよね。

佐藤さんが注目しているのは

持病と事件当時の天気の関係です。

当時の記録によると
事件当日の天気は 曇り。

遡ってみると その前日も曇り。

更に前々日は
雨となっています。

連日のぐずついた天気

これが内匠頭の持病を
絶望的なまでに悪化させたといいます。

そういう時っていうのは…

元禄14年3月14日

事件当日に至るまでの気圧の動きを

各地で記録された天気をもとに
再現してみます。

すると 江戸上空を
発達した低気圧と前線が

通過していったことが分かります。

この時の…

…ということが分かってきました。

内耳とは
耳の奥 頭蓋骨の中にある器官で…

気圧が変化すると 耳の中と
外の圧力のバランスが変わります。

この時
内耳が過敏に反応してしまうことで

体が傾いた時と同じ信号を
脳に伝えてしまうことがあります。

その時 脳は
体が傾いていないにもかかわらず

内耳からの信号を
「傾いている」と誤って認識し

混乱状態に陥ってしまいます。

この脳の混乱によって
全身の神経が誤作動を起こし

痛みを感じる神経も
過剰反応してしまいます。

この時 真っ先に痛みが現れるのが
持病を抱えた部分。

長年
痛みにさらされていた…

神経性胃炎に限らず

頭痛や関節痛 リウマチなど
気圧の変化で悪化する持病は さまざま。

更には ケガや手術の治療痕といった
治ったはずの「痛みの記憶」までもが

気圧の変化で
呼び覚まされてしまうのです。

連日の悪天候により悪化した
内匠頭の胃の痛み。

それは想像を絶するものだったと
佐藤さんは考えます。

そうしますと…

よくあることなので 浅野内匠頭に
限ったことではないなと思いますね。

このごろ 毎日 胃がキリキリと痛む。

一体この苦しみは いつまで続くんだ。

連日の胃の痛みに

感情のコントロールも
おぼつかない状況にあった内匠頭。

そして
そこで引き金を引いてしまったのが

事件の被害者となる吉良上野介でした。

事件当時 内匠頭は
幕府から 貴族の接待役を任されており

吉良が その指導係となっていました。

いわば 教師と生徒の間柄だった2人。

そんな中
連日にわたる吉良の厳しい指導が

内匠頭を追い詰めていったのです。

そして 事件当日の朝。

もはや 内匠頭の胃の痛みは

絶望的な状況に達していたと
考えられます。

また この天気か…。

記録には
この日 内匠頭は 老中たちの目の前で

吉良から叱責されたことが
記されています。

内匠頭殿に このお役目は務まりませぬ!

武士としてのメンツを潰された内匠頭。

ふだんであれば
抑えられていたはずの怒り。

しかし 極限を超えた胃の痛みに

もはや 感情を
コントロールできなくなっていました。

上野介! この間の遺恨 おぼえたるか!

おや 今日は胃の調子がいいな。

内匠頭殿 こんな所で
また うつつを抜かして。

あ いや その…。

≪(鳥の鳴き声)

あっ ヒバリですかね?

ありゃ ウグイスだな。

悲惨な事件も
起きなかったのかもしれません。

なるほど
不幸な事実がいろいろ重なったと。

巡り合わせで。
ええ。

気の毒な感じもしますけれどね~
いやいや…。

でも なんか 見れば見るほど
やっぱダメですよね。

天気のせいもあるけども。 でも
何で我慢できなかったのかなっていう。

そうですね。
今の言葉で言ったら

ちょっと
パワハラに近い感じもしましたけど。

相当 言われたんでしょうけどね。
それが積み重なったらね

私もダメかもしれないと
思ってしまいましたけど。

当時の武士はですね 人に
何か悪口を言われるっていうのは もう

相手を斬り殺さなきゃいけないほどの
屈辱なんですね。

プライドがね。
(山本)だから 浅野内匠頭は

老中の前で けなされたわけですよね。
その場でキレたわけじゃなくて

一旦は下がったんだけど
このままにしておいては

もう 自分のメンツは
潰れっぱなしだっていうんで

わざわざ 吉良をさがして
斬りつけに行ったわけですよね。

偶然すれ違ったというよりは…?
偶然ではないんです。

そもそも やっぱり
武士は闇討ちをしないで

何か声をかけてから戦うっていう
作法があるんですね。

だから 浅野には
浅野なりの理屈はあるんですね。

でも そこに もしかすると

日々 天気が良くなかったっていうことが
災いしたかもしれない。

我慢できないとか何とかっていうのは
体調の悪さとかね

そういうのは やっぱり
考慮した方がいいかもしれませんね。

ギリギリのところで
天気が悪かったんですね。

今回は 痛みと病気のスペシャリスト
佐藤 純先生に加わって頂きます。

どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。

今 例えば 同じように
天気によって痛みが増幅して

感情をコントロールできなくなる
なんてことあるんですか? そういうこと。

意外にあるんです。
私の患者さんにも 痛みを抱えて

それが天気の影響で悪化するっていう人は
いらっしゃるんですが

問題なのは 浅野内匠頭もそうですが

自分の痛みっていうのが
なかなか他人には分からない。

そうですね。
(佐藤)立場もありますし

痛い痛いって言うわけにはいかない
ということが

ますます痛みを増幅するっていうことも
ありますよね。

じゃあ 浅野さんも
例えば お医者さんがいて

「痛いんだ 大変ですね」という言葉を
かけてもらってれば

少しは気持ちが…。
楽だったかもしれません。

で 天気が悪くなると 調子が
悪くなるんだよっていうようなことを

信じてくれるお医者さんが そばにいれば。

皆さんに そういう経験ないですか?
ちょっと天気が良くない 雨が降ったり。

私はですね 子供の頃 ぜんそくが
季節の変わり目によく出たんですが

やっぱり
台風の時期ですとか梅雨時になると

あっ お天気が崩れそうだなっていうのは
自分の息が 呼吸が少し怪しくなるので

よく分かってました。

僕は20代の時に足首を骨折したんですけど
雨が降りそうな時は痛かったです。

何年も何年も。 20年ぐらい痛かったです。
何なんですかね あれ。

先生 そういうのを「天気痛」って
名付けてらっしゃるんですって?

私はこれを天気痛と名付けまして。
そもそも 天気痛っていうのは

慢性の痛みがあって
それが天気の影響を受ける。

特に 気圧の影響を受けるっていうふうに
考えられるんですけれども。

先ほどあったような胃痛とか
それから 関節の痛み

それから 頭痛なんかが有名ですが

あらゆる痛みが
天気痛になりうる そういうものですね。

ただ 関根さんの場合 足ですよね。

足の痛い所が
そのまま気圧を感じているというよりは

やっぱり 耳の奥の内耳が感じて

それが脳を刺激して
自律神経を介して いろんな所の…。

で 一番自分が弱い所にくるわけだ。
そうです そうです。

なるほどね。

あなたは天気痛 大丈夫?

ここで 天気痛になりやすいかどうかを
チェックしてみましょう。

チェック項目は5つ。

先生 症状が出た時
どうすればいいんですか?

一つは…

温める 耳を。

大体 天気の影響を
受けやすい人っていうのは

耳の血の巡りが良くないなっていうふうに
思いますので

蒸しタオルで耳を温めたりとか
それから 私がお勧めしているのは

くるくる耳マッサージっていう ちょっと
耳のマッサージをして頂いたりして。

知りたい。
やってみましょう。

ということで ここで…

みんなで やってみましょう!

じゃあ 自分の耳をですね
引っ張って頂いて。

上にと下に。 上を5秒。

1 2 3 4 5。

それから下にも。 1 2…。

下は下を引っ張るんですね。
(佐藤)そうですね。

横に持ってきて 1 2 3 4…。

ちょっと痛いですね。
ちょっと痛い。

上と下から 耳を大きく

ギョーザのようにギュッと

大きく つまみますと

この耳の奥の方が引っ張られる感じ。

(竹下)ああ ありますね。
いいですね マッサージ。

さて この内匠頭自身は

事件後すぐに 即日切腹。

斬りつけられた上野介 実はですね
意外な病があったということ

襲われたということが
分かってまいりました。

上野介! この間の遺恨 おぼえたるか!

うわぁ…。

この事件で 額と背中を斬られた
吉良上野介。

現場に駆けつけた
ある旗本の記録によると…。

「畳一面が血の海のようで

吉良様は ろれつの回らない舌で
必死に医者を呼んでいました」。

吉良は すぐに別室に運ばれ

城内に詰めていた2名の医師が
応急処置を始めました。

しかし…。

ああ… ああ…。

血が止まらないぞ!

1時間たっても 2時間たっても
出血は一向に止まりません。

出血が続く場合

出血性ショック
というのを起こすことがあります。

刻々と生気を失っていく吉良。

すると…。

すぐに 栗崎を呼べ!
はっ!

こうして
急きょ 城下から呼び出されたのが…。

金瘡医とは…

道有は 戦国時代に発達した…

この時 道有が記した文書が
東京大学史料編纂所に残っています。

そこには 道有が行った治療の様子が
詳細に記されていました。

「事件から3時間後に
私が駆けつけた時には

いまだに血が止まらず
死にそうに のけぞっていました」。

文書によれば
吉良の額の傷は11センチにも及び

骨にまで達していました。

そして道有は 吉良が発していた
重大な危険信号に気付きます。

(あくび)

な… 生あくび!

3時間たって生あくびしてるのを
見た時には 少し焦ったかもしれません。

大量の血液を失った吉良は
脳の血液量が減少。

一刻も早く血を止めなければ…。

ここで道有が取り出したのが…。

幻の救命薬です。

金瘡医の道有だからこそ
持っていた薬でした。

道有は この軟こうを
吉良の額の傷に塗り付けていきました。

注目すべきは…

室町時代の金瘡医学の書によれば

石灰や鹿の角などの「カルシウム」と

髪を整える「油」から出来ていたことが
分かります。

この2つの成分には
現代医学から見ても

理にかなった止血効果があります。

カルシウムには
血管を収縮させる効果があり

血の出入り口自体を狭めることで
出血を抑えることができます。

更に…

実は 道有のこの止血技術

現在でもボクシングの試合で
見ることができます。

ボクシングでは 「カットマン」と呼ばれる
止血のスペシャリストが

僅か1分間で選手の出血を止めます。

この時 使用されるのが…

道有が使った「源氏之薄色」に含まれる
カルシウムと油分は

ボクシングの止血技術と 非常に
似た働きをしていたと考えられるのです。

こうして…。

血が止まりました。

血が止まったぞ!

ああ 助かった!

道有は吉良の額を6針縫い上げ
処置は終了。

道有が受け継いでいた戦国の救命医療が
吉良の命を救ったのです。

こうして 事件から2週間が経過。

道有の治療記録に
よれば

吉良の額の傷は
僅か14~15日で全快。

こうして治療は終了。

…と 思いきや!

不思議なことに
道有の記録には続きがありました。

額の傷は全快したはずなのに…

この時 吉良は額だけでなく もうひとつ
大きな傷を負っていた可能性があると

精神科医の小西聖子さんは
指摘します。

眉間の傷っていうのは かなり深くて
骨まで達してたっていうことですし

正面から突然 斬りつけられた
っていうことなので…

「トラウマ」とは 心的外傷のこと。

戦争や災害 交通事故
暴力などの恐怖体験が

後遺症のように心に残り続け

日常生活にまで
支障をきたしてしまう状態を指します。

うわぁ…。

突如 顔面を斬りつけられた吉良は

額の傷だけでなく 心にも

深い傷を負っていたと
考えられるのです。

眠れないとか それから 例えば…

こうしたトラウマに苦しんでいた吉良は
その後 更に追い詰められていきます。

事件から2週間後。

吉良は 儀式を台なしにしてしまった
責任を取り

長年勤め上げた その指導役を辞任。

仕事一筋に生きてきた吉良にとって
あまりにも不名誉な退職でした。

更に幕府は 吉良に
江戸城近くにあった屋敷から

本所への転居を命令。

当時 本所は
江戸のはずれと言われた

閑散とした地でした。

「もう吉良は用なしだ」
そう言わんばかりの幕府の冷たい対応。

吉良って男は
相当 嫌な奴だったらしいよ。

内匠頭は切腹したのに
吉良がおとがめなしなんて おかしいわよ。

吉良は 屋敷に引きこもります。

道有は こうした吉良の状態を見かねて

額の傷が治ったあとも
毎日 通い続けたのだと思われます。

栗崎にすがっていくというか…

そういう人に やっぱり いつも一緒に
いてほしいっていう気持ちがあって

それが感じ取れたっていうことも
あるかもしれないですね。

この時の吉良の様子を
道有は次のように書き残しています。

「吉良様は内心
内匠頭の家来たちが

今にも 復讐に
やって来るのでは
ないかと

ずっと気味悪がって
おられました」。

吉良が家臣や家族の前では
吐くことができない弱音を

道有は毎日 聞きに通っていたと
考えられるのです。

実は…

外科医として吉良の命を救った道有は

いつしか 心の傷を癒やすためにも
欠かせない存在となっていたのです。

こうして 徐々に
トラウマから回復していった吉良は

若い頃から大好きだった
ある趣味を再開します。

事件以来
人との関わりを避けていた吉良が

再び友人を招いて
茶の湯を楽しむまでになったのです。

そして…

道有殿 今度 ひとつ大きな茶会を
やってみようかと思っているんじゃよ。

それは よきこと。

しかし この日が
吉良にとって運命の日になるとは

この時まだ 知る由もありませんでした。

あら~。
なるほど。

心療内科的なことも だから
後半やってたってことですよね

外科手術からね。

これは ドラマとか映画では
描かれてないですよね。

吉良の心の傷っていうのはね。

まあね 吉良 悪者ですからね
ドラマの中では。

でも あの道有というのは
なかなか大変なお医者さんだった…。

そうですね 江戸城の御番医師ってことで
江戸城に登城して

何かあった時には治療する
っていう役だったんだけども

ちょうど この日はですね 非番で
自宅で町人の治療をやってたんですね。

で 吉良がああいうことになって
すぐに知らせが来て

早く登城しろっていうんで
一生懸命 登城していって

吉良の治療をしたってことになります。
よかったですね。

命の恩人ですからね その後もね
ありがとうございますっていう気持ちで

いろいろ心を開いたんでしょうね。
(山本)そうでしょうね。

ここからはですね
医療健康面からご解説頂きます

医学ジャーナリスト 植田美津恵さんに
加わって頂きます。

よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。

なかなか血が止まらなかった
という事だったんですけれども。

大量に出血してたっていうことなので
大量に出血すると

たとえ命が助かったとしても 後々
いろんな臓器の機能低下が起こって

日常生活が
なかなか不便になることが多いので

それを助けたっていうのも
すごいなと思うんですけれども。

あと 聞くと 眉間の傷も
シワとあんまり変わらないくらい

ほとんど目立たなかった
っていうことなので

救急処置もすばらしいし
また 外科の手術の技術も

すばらしい方だったんじゃないかなと
思います。

皆様方がね 今やっぱり
刀傷を負うって事は まあ…。

まず ないですね。
ないでしょうね。

ないと思うんですけれども
日々 擦り傷 切り傷 やけど

これ 特に
竹下さん 男の子2人 育てられたから。

子供の傷もありましたし うち
長年飼ってる犬が柴なんですけど

やはり若い時は 私よく かまれました。

ですから うちには 応急処置の ケガの…
一つの箱がありました。

しょっちゅう 誰か
私が一番多いんですけれども

結構 深手で時間がかかるんですよね
犬のかみ傷って。

そういうですね
応急処置 傷の対処法の新常識 こちら。

意外と誤解されがちな傷の対処法。

傷口には ご家庭の薬箱にある

白色ワセリンや軟こうなどを塗るのが
基本。

ポイントは このワセリンを塗る前と後に
何をするかなんです。

まず 傷口をナントカで清潔にする。

さあ 何で清潔にされます?
私 知ってる。

流水で どんどん。

あら~。 植田先生。

(竹山)水道水でいいの?

消毒液だと
傷口の細菌を殺してしまいます。

細菌の中には 化のうを止めるっていう
細菌もありまして

いわば いい細菌
それさえも殺してしまうので

だから 消毒液は使わない方がいいと。

回復をかえって遅くしてしまう
っていうことが言われてます。

さあ皆様 今度は このあとですね
傷口を何かで覆います。

ベターッてやつですよ。
空気に触れさせない 乾燥させない。

ビニールとかラップ。
ラップ巻きゃあいいんじゃないですか。

あららら… 大正解!

ちょっとね~。

関根さん おっしゃったように

乾燥させてしまうと
治りが悪くなるんですね。

だから ジュクジュクさせておかなきゃ
いけないので

ジュクジュクした その浸出液 あれが
皮膚の代わりをしてくれてるんです。

だから そのままにして
乾燥させないようにしておく

っていうのがポイントなんですね。

昔 あのジュクジュクを
拭いちゃってたんですよね。

膿むといけないと思って。
だから きれいに何だかね 消毒したり。

これが 医療機関が勧める
傷の対処法の基本ですが

動物のかみ傷や
異物が残ってしまった場合などは

病院で医師の診察を受けて下さい。

さあ いよいよ討ち入りでございます。

しかし これも新史料から
大石内蔵助はじめ 赤穂浪士の面々

実は 新たな事実が明らかになりました。

内匠頭が江戸城で
吉良に斬りかかった事件から 5日後。

江戸から およそ600キロ離れた
内匠頭の領地 赤穂藩にも

その知らせが届きました。

筆頭家老
大石内蔵助の口から告げられたのは…。

幕府の命により 城を明け渡す。

主君 内匠頭の起こした事件により…

仕事と家を失った…

「いずれ 主君の仇を討つ!」。

そのためにも
バラバラになってしまった仲間を

何とか まとめ上げなければなりません。

今回の取材で
赤穂浪士たちの健康状態を読み解く

決定的な史料を
特別に撮影することができました。

先祖が赤穂藩の主治医を務めていました。

(口分田)
何か薬の名前がここにありますが

ちょっと私は読み解くことができません。

そうですね
専門家の方に読んで頂ければと思います。

この赤穂藩士たちのカルテを
詳しく調査してもらったところ

このカルテは…

そこには リーダー大石内蔵助の
持病の記録も…。

(星野)
「大石内蔵助 食傷」

胃腸が弱かったんでしょうね。

半年ぐらいで
18回ぐらいの記載がありますので…

…ということが
考えられます。

他にも ぜんそくを患い

「食べても飲んでも味がしない」
と訴える藩士や

毎週のように
胃腸薬をもらっている

おなかの弱~い藩士も。

後に 赤穂浪士随一の剣豪と呼ばれる
この藩士も

マラリアが長引き
40日以上も寝込んでいたようです。

そう! 赤穂浪士は 決して
屈強な戦闘集団だったわけではなく…

年齢も 下は15歳から 上は76歳まで。

その差 なんと…

それぞれに応じた…

そんな病弱な浪士たちを どうやって
討ち入りまで導いたらよいのか…。

そうだ!

大石は…

それが…

大石は 藩の取りつぶし後
玄渓を頼って 京都・山科へ移住。

これまで 医師として
藩士たちの健康管理をしてきた玄渓に

連絡係を依頼したのです。

浪士たちの健康状態を
つぶさに把握することが可能になります。

大石が いかに的確に
浪士たちの健康を把握していたか

それをうかがわせる史料が
箱根神社にあります。

これは…

例えば 当時17歳だった
矢頭右衛門七に関しては

「飢渇」という文字が
記されています。

重病の父を抱え
食べるものにも困っていた

10代の浪士の食費を

大石が
立て替えていたのです。

更に この決済書をめくっていくと
「人参」という文字も…。

米屋に変装し 吉良邸のスパイをしていた
前原伊助が病に倒れた時に

大石が 朝鮮人参を
買い与えた時の記録です。

その価格は 現代の価値で およそ6万円。

決して安くはない額を
浪士の薬代に充てているのです。

そして 大石の右腕として活躍した
原 惣右衛門には 金十両を。

このお金も
惣右衛門の健康を
気遣ってのものでした。

(山本)原 惣右衛門
当時55歳で

そのころ どうも
体調がよくなかったようでですね

多少お金を上乗せして…

大石が一人一人の状況に応じて行った
きめ細やかなサポートのおかげで

浪士たちは 貧しい中でも 健康を
保つことができたのかもしれません。

更に 医師 玄渓を中心としたやり取りは

浪士たちの間に 「思わぬ変化」を
もたらした可能性があるといいます。

…みたいな感じが出来たんでしょうね。

玄渓を中心とした通信網が

いつしか浪士たち同士を結びつけ

「健康文通ネットワーク」を形成。

互いの健康を支え合っていたと
考えられるのです。

それをうかがわせる史料がこちら。

ある浪士が
病気の仲間へと宛てた手紙です。

病気の仲間に向けて
自分の手元にあった薬を

詳しい処方説明書付きで
送っているのです。

浪士たち自身が
互いの健康を見守り合いながら

来るべきその日に
備えていたのかもしれません。

大石様! 12月14日
吉良邸で大きな茶会があるようです!

年末の盛大な茶会となれば
夜はみな 疲れて寝入っているはず。

この日を逃せば 吉良を討つ機会はない!

主君 浅野内匠頭の切腹から 590日余り。

ついに 大石ら赤穂四十七士は 悲願の
討ち入りの日を迎えることになるのです。

全ては この日のために!

心身ともに万全の状態で討ち入りに臨む
浪士たち。

かかれ~!

茶会が終わって
寝静まった吉良邸に討ち入る四十七士。

圧倒的なチームワークで
主君の仇 吉良上野介を討ち取ったのです。

あくる朝 一人の武士が 吉良邸から
引き揚げる浪士たちを見かけ

その様子を絵に書き留めています。

ケガをした仲間を支え合いながら歩く
浪士たちの姿。

一人一人は病弱で 弱さを抱えた
赤穂浪士だったからこそ

助け合い 本懐を遂げることが
できたのかもしれません。

まあ 私 山科で内蔵助が酒浸りの日々って
言ったの 訂正します。

まあ こんなに 家臣の 同志たちのことを
気遣っての移住でもあったんですね。

お医者さんとの
手紙のやり取りっていうのは

当時 あまり怪しまれないで 自由に
行き来があったっていうことなんですか?

そうですね これは いいカモフラージュに
なったと思いますよね。

医者が患者のとこに行くのは
当たり前ですし。

そうか 浪士同士が会ってると
うわさになりますもんね。

特に 大石と
連絡をしょっちゅう取ってると

何か考えてるんじゃないか
ってことになるので

大石も連絡は取るけど
基本的には玄渓に任せる。

なるほどね~。

カルテがね 残っている…。
びっくりです。

これ 先ほどの口分田さんから
お借りしました。

大変貴重な 手書きの
いわばカルテになります。

ちょっと見てみましょうか 皆さん。

大体 どういうことが
書かれてるんでしょうか? 先生。

あっ 大石だけ分かる!
大石 分かりますよね。

大石内蔵助と書いてるんですね。

「食傷」 要するに
食あたりかなんかして

そのあと「疝気」
これは下腹部痛
なんですね。

大石 全部合わせると
26回ぐらい出てきて

しょっちゅうお医者さんにかかってる
っていう感じなんですね。

これ ぺラペラ見ると
赤穂浪士のことが書かれてるんですか?

いろんな人の名前がペラペラ出てきて
非常に面白いんですね。

こっちの方はですね
大高源吾というね この人は

右の腹が膨れて
痛むので

下剤を与う
っていうんで

下剤を与えたんですね
お腹が膨れる
っていう。

多分 悪いもの食べたんですかね。

(竹山)歴史の資料より こうやって
個人のカルテが残ってる方が

なんかリアルじゃないですか。
(山本)面白いですよ これ。

貴重な人ですね これ残したのは。
(山本)これは ほんとに貴重な資料ですね。

これだけ病弱というか 病気にかかってる
ってこと自体が 私も発見でしたしね

すごい いい資料だと思いますね。

選ぶ俳優さんもね なんか
顔ぶれが違うかもしれませんね。

(竹下)薬を持ってるような人が…。
弱めの人が。

(山本)おなかが弱い人…。

忠臣蔵を健康診断してきました。
いかがでしたでしょう?

僕は 皆さん あんなにいろんな所が
病気だとは知らなかったんで

びっくりしました ええ。

大石自身も健康ではなかったってことが
分かりましたしね。 胃が痛かったのにね。

こういった大きな目的を前に
ストレスもあったと思うんですけれど

それを大きな連帯感でね
前向きにいったっていう

そこの要に大石内蔵助がいたっていうのが
何かまた違った意味で

大石を頼もしく思う気持ちが
今日初めて芽生えました。

一つ やっぱり納得できたのがあって

今まで忠臣蔵っていうと みんなで
やるぞ~! みたいなことだけで

1年9か月 過ごしたと…。

やっぱ 皆さん 普通の人間だから 自分は
死ぬかもしれないってなったりすると

怖いと思うんですよね
おなか痛くなっちゃうと思うんです。

結局みんな そうだったんだなっていうのは
すごく感じますよね。

今日は どうもありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。

討ち入りから2か月後

大名家にお預けとなっていた
赤穂浪士たちは

この地で切腹を遂げました。

切腹の直前 浪士たちが語った
最期の言葉が残っています。

毎週のように胃腸薬をもらっていた
おなかが弱かった あの浪士は…。

「先日から腹を下しておりまして

切腹の際 万一
粗相してしまったら すみません」。

相変わらずの様子です。

ケガをして仲間に支えられながら帰った
あの浪士は…。

「討ち入りの折の傷は
お医者様をつけて下さったおかげで

昨日 ようやく治りました。

ありがたいことです。

今日は 結構な体で
死ぬことができますから」。

浪士たちの死は 京都にいた
医師の寺井玄渓のもとにも届きました。

知らせを聞いた玄渓が
この時 残したとされる言葉があります。

「夢」。

一人生き残った玄渓は この言葉に
どんな思いを込めたのでしょうか。

玄渓は 人の命を救うお医者さんです。

浪士のケガや病を治し
健康な状態で討ち入りに成功して

あとは何も残らないんですよね。
わびしい むなしい。

その一字を「夢」という字に
託したんじゃないでしょうかね。

一方 討ち入りで命を落とした
吉良上野介は

中野区の功運寺に眠っています。

天下の悪役と罵られ 何度も人々に
引き倒されてボロボロになった吉良の墓。

その同じ境内に 吉良を治療した
あの栗崎道有の墓もあります。

道有は 自らの死後
吉良と同じ寺に葬られることを望み

わざわざ 先祖代々の墓を
ここに移したといいます。

(佐々)吉良さんの討たれた首をですね
受け取ってきて

首と胴体を縫い合わせたのも
栗崎道有さんなんですけれども

余人の…
うかがい知れない深いつきあい

心のつながりっていうのが
あったような気がいたします。

道有は 世間の攻撃にさらされる吉良を

その死後もなお
支え続けようとしたのかもしれません。

時代を超えて語り継がれてきた忠臣蔵。

その裏には 2人の医師が胸に秘めた
もうひとつの物語があったのです。


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