ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「水木しげる ゲゲゲの夢見た幸福人生」 泉麻人、田中麗奈、戸田恵子、岡田准一


出典:『ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「水木しげる ゲゲゲの夢見た幸福人生」』の番組情報(EPGから引用)


ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「水木しげる ゲゲゲの夢見た幸福人生」[字]


MC岡田准一がゲゲゲの鬼太郎の作者・水木しげるに迫る。妖怪に出会った少年時代、「ぬりかべ」に助けられた戦争体験、鬼太郎ブームの裏で苦しむ水木を救った妖怪とは?


詳細情報

番組内容

幸福の秘けつは妖怪にあり?ゲゲゲの鬼太郎の作者・水木しげるの壮絶な人生を、岡田准一がプロファイル! ▽近年発見された手記には、戦争への恐怖や、仕事に追われ歯車のように働く自身の悩みが赤裸々につづられていた。ピンチで何度も不思議な力に救われてきたという水木は晩年、「なまけ者になりなさい」と説いた。その真意とは? ▽少年時代に妖怪と出会った水木。戦地や仕事で苦しんだ時期も助けてくれたのは妖怪だった!?

出演者

【司会】岡田准一,【ゲスト】泉麻人,田中麗奈,戸田恵子




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ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「水木しげる ゲゲゲの夢見た幸福人生」
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♬~

♬「ゲッゲッゲゲゲのゲー」で おなじみの
「ゲゲゲの鬼太郎」。

主人公の鬼太郎は もちろん
ねずみ男や 一反もめんなど

個性的な妖怪たちは 誕生から
50年以上たった今も愛され続けています。

今日 プロファイルするのは この人

鬼太郎の生みの親
漫画家 水木しげる。

水木しげるの故郷 鳥取県境港市。

ユニークな妖怪が迎えてくれる
通称「水木しげるロード」は 大人気だ。

誕生から 50年以上たった今も 鬼太郎は
日本中の子供たちに愛されている。

実は 大人も…。

…みたいな感じが すごくします。

何となくね 哀愁を漂うというかね
あれ なかなかいいですね。

子供から大人まで夢中にさせる
「ゲゲゲの鬼太郎」。

作者の水木しげるが
よく口にしていた言葉がある。

しかし そう言った水木自身の人生は

「なまけ者」では いられないほど
大変なものだった。

太平洋戦争の激戦地へ送られた水木は

爆撃で 左腕を失ってしまう。

終戦後 漫画家になるも全く売れず
食うや食わずの極貧生活。

40歳を過ぎて
ようやく「ゲゲゲの鬼太郎」が大ヒット。

すると 今度は
締め切りに追われる毎日が待っていた。

水木の死後に発見された
大量のスケジュール帳。

その中に こんな絵がある。

仕事に追われ 歯車として動く
人格を失った自身の姿だった。

数々の体験を経て 水木が たどりついた

「なまけ者の幸福」とは
どのような境地だったのか?

今夜は 「ゲゲゲの鬼太郎」の生みの親
水木しげる。

その知られざる素顔をプロファイル!

♬~

一反もめん ぬりかべ 砂かけばばあ
ねこ娘に 目玉おやじなど

おなじみのキャラクター。

水木は 生涯で
1, 000種類を超える妖怪を世に広めた。

鳥取県境港市
海と山に挟まれ自然豊かな この街で

水木しげること 武良 茂は
子供時代を過ごした。

水木少年が 大好きだったのが…

毎日 朝寝坊をしては 三人兄弟の中で
一番よく食べる子供だった。

5歳のころ 後の水木に
大きな影響を与える人に出会った。

お手伝いさんの
のんのんばあだ。

「のんのん」とは神仏に仕える人の事を指す
この辺りの呼び名だった。

のんのんばあは 水木に

昔から言い伝えられている 妖怪や
不思議な話を たくさん聞かせてくれた。

誰も いないはずの夜道で
後ろから下駄の音がすると…。

境港市の正福寺。

幼い水木が のんのんばあに連れられて
何度も訪れた場所。

本堂に掛かっているのは「地獄極楽絵図」。

この絵に描かれている
地獄の光景を見て

水木は
死後の世界に 強い興味を抱いたという。

水木が 船着き場で弟と遊んでいた時
頭に ふと疑問が浮かんだ。

水木は 3歳の弟を
海に突き落としてしまった。

たまたま通りがかった近所の人が
弟を助け 事なきを得たという。

そんな水木が 何より情熱を注いだのが
絵を描くことだった。

13歳の時には 「天才少年画家現る」と
絵が新聞に掲載されるほどの腕前だった。

17歳になった水木は 絵の勉強を続け
アンデルセンや グリム童話など

文学作品をヒントに 絵を描いて
手作りの絵本を作った。

しかし 19歳の時 平穏な生活に
戦争の影が忍び寄ってきた。

1941年 日本は
アメリカのハワイ真珠湾基地を攻撃。

太平洋戦争の火ぶたが切られた。

世の中は どんどん戦争中心になり

水木青年も
いつ徴兵されても おかしくなかった。

近年 見つかった 水木の手記。

当時の思いが 克明に綴られている。

「画家だろうと 哲学者だろうと

土色一色にぬられて
死場へ送られる時代だ。

もう俺を苦しめるな。 時代だ 運命だ。

自己を全て捨てて
死にながらにして生きるのだ」。

21歳の時
ついに 水木にも召集令状が届いた。

向かったのは 激戦が続く南太平洋
ニューブリテン島のラバウルだった。

水木は ラバウルの中でも
最前線へと送られ

少数の部隊で 敵軍を偵察していた。

だが その時…。

(銃声)

突然の銃撃を受けて 部隊は全滅。

水木は 慌てて崖から海に飛び込み
1人 助かった。

だが ここから たった一人で

敵が潜むジャングルを抜け 味方の陣地へ
たどりつかなければならない。

逃げている途中に 装備を失った水木。

どっちに進めば よいのかも分からず
真っ暗なジャングルをさまよった。

この時 不思議な体験をする。

しばらく進もうと試みたが 駄目だった。

何だか 急にバカバカしくなり
その場で眠ってしまったという。

翌日 目が覚めると 水木は驚いた。

そこは 切り立った崖の上だったのだ。

このまま進んでいたら
崖から落ちていたところだ。

水木は 不思議な「何か」のおかげで
命拾いした。

その後 日本軍の部隊がいる小屋に
たどりつき 奇跡的に生還を果たす。

さあ ということで
水木さんの まあ もう戦争体験と

最初のころの壮絶な物語というのが
始まってきましたけれども

戸田さんは アニメで
鬼太郎を演じられているということで。

そうなんですよね。 非常に光栄に思って
やらせて頂きましたし

水木先生とも 思えば
何度か お会いしているんですよね。

すさまじい戦争の経験とか いろいろ
とにかく体験してらっしゃるから

何か上手なことを言っても
見透かされているんじゃないかっていう

そんな気がしましたね。
何か 明るくて

こういう何か戦争体験した
重さみたいなのは…。

全く感じないです。
全く感じなかったですね。

田中さんは 映画で。
そうです。 ねこ娘をやらせて頂いて。

映画のプロモーションの時に
お会いさせて頂いて

エネルギッシュで もう すぐこう
わ~って こう握手して下さって

緊張で いっぱいだったんですけど
すぐ こうほぐれて

その大きなエネルギーに
圧倒されたのを覚えていますね。

泉さん
一度 何かインタビューをされたと。

僕ね 90年代ぐらいだと
思うんですけれども

水木さんの仕事場でね 急に脈絡もなく
「あと5分で雨になるね」なんて言ってね。

ザッと 5分ぐらいたって降ってきたの。

多分 窓越しに雲を見て
これぐらいで雨になるみたいな

そういう生活をされてた方なのかなって
思いましたけどね。

さあ それでは
最初のテーマに いきたいと思います。

なぜ 妖怪に興味を持ったのか。

戸田さん どうですか?
リストの中で気になる…。

やっぱり のんのんばあっていう。

(戸田)
普通ね まあ怖がって聞かないか…。

普通は 怖いって思うものを…。
(戸田)怖いです。

私 子供のころは
おばあちゃんの仏間でさえ

おばあちゃんち行って 仏間で寝るって
言われたら ちょっと拒否。

子供の時って そういうの
ちょっと苦手なはずなんです。

だから その話は
やめてって 言うところを

何かこう 食いついて
聞いていたっていうのは…。

のんのんばあの お話のしかたが
すごく上手だったんじゃないのかなって。

ただ 怖がらせるだけじゃなくて
こう 興味を引くようにというか。

私も小さい時に 河童の伝説っていうのが
地元で飛び交っていて

悪い事したら
河童が 川に引きずり下ろすみたいな。

だから 怖い怖いって すごく思ってて

川を渡る時に すごい緊張しながら
渡っていたのを こう思い出すんですけど。

そうですね ずっと信じてましたね。
裏山に ゴジババっていうのがいるって。

ゴジババ?

5時になったら 5時婆っていう

鎌を持った妖怪が出てくる。
めちゃめちゃ 怖いじゃないですか。

お子さんがいるうちの親は
みんな そういうこと何か考えて

いろいろ言ってますもんね 今もね。

でも そういうのに興味を持って
逆に楽しいとか…。

空想するのが好きだったんでしょ。
子供のころから。

だから のんのんばあの話から
更に 話を広げて

物語作るような能力は
あったんじゃないのかな。

さっき見ましたけど 文学作品をもとに
絵本を作るっていうことが

どんどん どんどん あの見えない世界を
自分で作っていくっていうか

そういうのが すごく長けてたっていうか
お好きだったのかなって。

今だったら 例えば あの

じゃあ あの物語の絵のタッチは
どうだったかなと思うと

すぐ スマホで調べられたりですとか
美術館も すぐありますし

資料も たくさんありますけど

そういった意味では
一つね もし見たとしたら

それから
どんどん どんどん想像力を高めて

育てていける時代だったのかなって。

田中さん どうですか?
リストの中で 気になるものは。

ぬりかべの あのお話は ちょっと
ほんとなのかな?

これは 何なんですかね?
気になりますね。

でも 普通だったら
何か不思議なことがあっても

ご先祖様なのかなとか
私は ちょっと思ってしまうんですけど

やっぱり妖怪って発想が 多分
普通だったら出てこないのかなと思って。

大人になって 戦争に行ってても
水木さんは 何かあったら

あっ 妖怪のおかげだったのかなって
思うような…。

ず~っと 染み込んでたんでしょうね。

相当 染み込んでた。
ねえ。

何か 生きることとか 死ぬこととか
死んだ後の世界って何だろうとか

神社 行って「地獄絵図」見てとか

その何か 説明の なかなかできない
分からない世界っていうのに

興味を持った青年が 見えてくる感じが…。

ラバウルで 所属部隊が全滅する中
命からがら帰ってきた 水木しげる。

この時 22歳。

しかし 数日後 再び命の危機が訪れる。

マラリアだった。

高熱に苦しみ 何人もの仲間が
命を落とした感染症だ。

よりによって この時 敵の爆撃を受けた。

左腕に重傷を負い
手術で腕を切断された 水木。

野戦病院に運ばれ
誰もが助からないだろうと思った。

しかし その時…。

「食べたい」。

なんと 水木は 食べ物を求めた。

絶望的な状況の中 なぜ 生きる希望を
持ち続けることができたのか?

これは 水木が戦場に持参した
「ゲーテとの対話」という本。

ページの至る所に 水木が引いた線がある。

手術から回復した水木は
片腕で 絵を描き始めたのだった。

目に映る風景や 兵隊をスケッチした。

このころ 水木の人生に
後々まで 影響を及ぼす出会いがあった。

ある時 現地の村に行けば タバコと
食べ物を交換できると仲間から教わった。

水木は 早速 ジャングルを探し回り

現地に暮らす
トライ族の村に たどりついた。

村の生活は
農業を主体とした素朴なものだった。

それ以来 上官の目を盗んでは
度々 トライ族と交流し

彼らの生活を描き留めた。

すっかり 村人と仲良くなった水木。

祭りでは 大地や生き物に感謝する
踊りを見せてもらったり

自分用の畑を作ってもらうほどだった。

そんなある日 水木は 左腕の傷痕が
変わってきたことに気が付いた。

村の暮らしの中で
生命力が 体に みなぎってきたという。

昭和20年8月
上官の命令を受けて集まった水木たちは

その場で 日本の敗戦を知らされた。

部隊は 日本へ引き揚げる。

水木は トライ族に別れを告げに行った。

ところが…。

村の人々の熱心な説得に
水木は 心を動かされた。

その夜 上官に 日本へは帰らず
現地に残りたいと申し出た。

だが 「とにかく 一度日本に帰って

両親に相談してからでも
遅くはないだろう」と帰国を勧められる。

迷いに迷ったが 帰国することに決めた。

この時 23歳だった。

終戦から半年後 帰国した水木は
故郷の鳥取・境港に戻り 両親と再会。

戦後の混乱期 東京に出た水木は

鮮魚店や タクシー会社など
さまざまな職を渡り歩いた。

だが どれも うまくいかなかった。

その後 流れ着いたのは 神戸。

水木通りにあるアパートで暮らし始めた。

この時 水木の人生の歯車が
大きく動きだした。

同じアパートの住人に
紙芝居の作家がいたのだ。

「これは いい商売だ。
好きな絵を描いて金を稼げるなんて

最高じゃないか!」。

水木は その作家の紹介で
紙芝居の世界に飛び込んだ。

そして アパートの名前
「水木荘」から ペンネームを作った。

作家 水木しげるの誕生だ。

終戦から6年後 29歳の時だった。

さあ ということで 作家 水木しげるの
誕生まで 見てきましたけれども

続いてのテーマは
「なぜ生きる希望を持ち続けたのか?」。

泉さん どうですか? リストの中で。

このね トライ族の村に行った時に

もう日本 戻らないで
ここで 一生過ごしてもいいやって

思っちゃったりするというね。
(戸田)まあ 帰りたいですよ 普通は。

ほんとに悲惨な状態で巡り
見つけた村だから

よりいっそう 桃源郷のようなイメージを
持ってたと思うんですよね。

ただ単に 旅行して そういう
いい村があったっていうのではなくね。

また映るものが 本当に 水木先生の
描きたいものだったというか

そこも マッチしたかなっていうふうにも
思いますよね。

本当に描きたいから描くっていう思いが
そこで芽生えたのかな。

あくせくしない のんびりと。

だって 3時間しか
働かなくていいんでしょ?

どう見えたんですかね?

やっぱり戦争って こう命を奪い合って
自然も崩していくわけですよね。

土地も争って
奪い合う 殺し合う世界の中で

そのトライ族の 自然と共存しながら
生きていくってことに

水木さんの その妖怪とかの興味がある
自然と共に生きていくみたいなところに

リンクしたりとかしたのかなって
想像しちゃったんですけど。

その時代のやっぱり 軍国 日本に
嫌気が さしてたっていうのは

やっぱ あったかもしれないですよね。

それに比べて この村の人たちは
言葉は通じないが

これが 本来の人の生活ではないか
みたいなのが あったかもしれないですね。

「傷口から赤ん坊の匂いがした」というのも
ありましたけれども。

(戸田)これは 強烈な表現ですよね。

やっぱり 赤ちゃんの匂いということは
将来が いっぱいある匂いだと思うから

幸せの匂いじゃないけれども まだ
先は長いぞっていうふうに 私は思って

そんな匂いが
傷口から してきたんだっていうことで

水木先生の中に また先の未来が
すごい見えたのかなって

感じざるをえないですよね。

すごく 生に対しての執着が やっぱり
強い方なのかなっていうのがあって

常に 生の希望を持ってる。
何が何でも 生きてやるっていう。

田中さん どうですか? リストの中で。
私が気になったのは 「付録の人生」ですね。

例えば ぬりかべに助けられたり

そのトライ族に会えたっていうのも
奇跡ですし

何か その生かされたというか

自分だけ ご自身だけの力では
生きれなかったというのを

すごく こう感じてらっしゃるのかなと。

命に限りがあるってことは
やっぱり 親が亡くなったり

近しい友人が
若くして亡くなったりすると

本当に 生きるっていうことを
考えさせられるし

好きなことを やっていたいなって
強く思ったりする。

だから そういうことを再認識して
水木先生も希望を持って

より好きなことをするっていうふうに
思われたかなって。

何か でも命のあり方っていうのを

すごく考えてたんだろうなっていうのを
考えるんですよね。

自分の命の使い方とか
何かを 生み出すかぎりは

価値が そこにあって
無駄じゃないっていう

その 死が近い場所にいながらも
思い続けて いたんだろうし

紙芝居作家になった時も
今の この時代に 子供たちが笑えるんだ。

自分が 笑顔をつくれるっていう
何か感覚があるし

これは もう もうけもんだから
そういう人生を歩みたいっていう。

付録の人生のわりには
90いくつまで 生きられた。

戦後から 付録70何年あるんですよ。
こんな分厚い付録…。

でも何か いい生きるヒントみたいなのが
今日はね

いっぱい入っているような
気がしますけれどもね。

水木しげるの代表作「ゲゲゲの鬼太郎」。

テレビ放送開始から50年。
現在も愛されている。

だが 水木が 鬼太郎を描き始めてから
ヒット作になるまでには

実に 15年もかかっている。

神戸で 紙芝居の画家となった水木。

7年後 紙芝居に見切りをつけ
漫画家になるため上京する。

35歳だった。

翌年には 「ロケットマン」で
漫画家デビュー。

その後も 次々と漫画を描いていったが
ヒット作に恵まれず

本と布団以外は
質屋に入れるという極貧生活だった。

1961年の正月
突然 故郷の両親が水木を訪ねてきた。

もうすぐ 40歳だというのに
未だ独身の水木。

見かねた両親が
お見合いの話を持ってきたのだ。

相手は 地元の10歳年下の
布枝という女性だった。

水木は 故郷に帰って布枝に会うと

なんと5日後には 結婚式を挙げ
すぐに 夫婦で東京へ戻ってきた。

結婚しても
水木の生活は あまり変わらなかった。

一度 仕事を始めると
部屋に籠もりきりだったという。

1962年 水木40歳の時に
長女が誕生。

しかし 喜んでばかりも
いられなかった。

そんな水木に
千載一遇のチャンスが やって来た。

少年向けの漫画雑誌からの依頼だ。

編集者が 水木に提案したのは

当時 人気だった
宇宙が舞台のSFマンガ。

しかし 少し考えて こう言った。

人気雑誌に連載すれば
暮らしは ずっと楽になるはずなのに…。

しかし その数か月後

今度は 「自由なテーマで描いてほしい」と
改めて依頼された。

水木は 「それなら」と
快く仕事を引き受けた。

1965年当時 庶民の憧れだったテレビ。

画面から現れる 不思議な少年を描いた
「テレビくん」は 大好評だった。

水木は このマンガで
雑誌社の漫画賞を受賞。

43歳だった。

これを機に 水木のもとには
次から次へと 依頼が舞い込んだ。

そして 「ゲゲゲの鬼太郎」で
人気が爆発する。

悪さをする妖怪から人間を守るため

鬼太郎が 正義のヒーローとして
大活躍するストーリーだ。

実は この鬼太郎
随分前の紙芝居作家の時代から

水木が 何年も描いていた
キャラクターだった。

「墓場鬼太郎」。

現在 知られている
「ゲゲゲの鬼太郎」とは 全くの別物だ。

鬼太郎は あてもなく
全国を ぶらぶらと放浪している。

少年のような身なりでも たばこを吸い

大金が手に入れば スポーツカーを乗り回すなど
人間くさいキャラクター。

社会風刺の強いマンガだった。

しかし 雑誌に載せるにあたっては
多くの注文が出された。

これは 当時の編集者から水木への手紙。

これを機に 鬼太郎は
悪い妖怪を やっつけるという

勧善懲悪のストーリーに生まれ変わる。

更には 子供に人気が出るようにと

見た目も 丸みを帯びた
かわいいキャラクターに変えられた。

そして 1968年
「ゲゲゲの鬼太郎」 テレビ放送開始。

「巨人・大鵬・卵焼き」という
流行語が生まれるほど

子供たちの間で
強いヒーローが人気だった時代。

鬼太郎は 大ヒットした。

しかし 水木自身は
この鬼太郎に 疑問を抱いていた。

水木の死後 自宅の本棚から
スケジュール帳が見つかった。

仕事の予定や アイデアなどがメモされた
いわば雑記帳。

「ゲゲゲの鬼太郎」が 大ヒットを
飛ばしたころには こんな事を書いている。

ヒット作を生むための努力の連続。

しかし ヒットだけを追求する方針と
自分が納得する作品にしたいという

作家としての良心の板挟みで
苦しんでいたという。

そんな水木を救った キャラクターがいる。

それは 「ねずみ男」だった。

金と権力が大好きな ねずみ男は

鬼太郎を利用して 金もうけを企んだり
平気で嘘をつき 人をだまそうとする。

「正義」とは 正反対のねずみ男は
まるで 昔の鬼太郎だ。

水木自身が作詞した
「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌。

高度経済成長 真っただ中の
日本人の生活を

妖怪に託して 皮肉ったのかもしれない。

♬~

もう一つ 水木が こだわったことがある。

それは 妖怪を決して殺さないこと。

生前 娘に その訳を語っている。

そして 鬼太郎は
水木が 生涯 描き続ける作品となった。

続いてのテーマは なぜ
「ゲゲゲの鬼太郎」は 大ヒットしたのか。

戸田さん どうですか?

ねずみ男っていう存在の妖怪が

変な言い方 ちょっと
自信を持つっていうか 自分に。

何か ねずみ男みたいな人が
生きててくれると

私も生きてていいんだなくらいの…
何か頑張れる。

小さい時 見てて
すごい印象に残ってるのは

人間を 絶対こう
きれいなものというか 正義で

登場してないところに
ちょっと びっくりして

何か妖怪だから 人間だからで すごくこう
悪と正義が 決まってるんじゃなくて

全然 逆の時もあって
固定観念じゃないような

何か 物の見方を
すごく教えてもらえたなっていう。

正義 正義と 正面から うたうやり方を

僕は 好みじゃないみたいなことを
おっしゃってましたね。

どっかで やっぱり
そういう一直線で行くと

何か裏切られるよみたいなのを

どっかで持たれてた方なのかなって。
その戦争体験なんかの時から。

その水木さんの悩み みたいなのが

戦争が始まった 戦争 行かなきゃいけない
という 世論の動く怖さというか

正義だと思って信じてたものが

実は 何かを傷付けるとか
相反するものとかっていうのを

いろいろ感じてきた人生を
送られてきてると思うので

答えのない不安とか不満とか
おそれ みたいなものを

きっちり描くことが
できているっていうのが ウケたのかな。

でも 「ゲゲゲの鬼太郎」の水木さんが
作詞されたテーマ曲っていうのは

「ゲゲゲのゲ」が うまく世の中の全体を
ちゃかしているような

擬音としても 見事に使われてますよね。
これですね。

(田中)擬音が多いですね。
(戸田)本当に 最高!

(田中)子供にとって
もう天国ですよね この世界。

この時代って 「巨人の星」とか
スポ根ものが 人気だった時代ですよね。

何か すごいインパクトが…。

その中での
アウトローな感じなんだけども

この歌が 出来上がった…
テレビ放送が始まったのが

1968年のお正月ぐらいからなんですよ。

コマーシャルなんかでも 「オー モーレツ」ってのが
はやってたんだけど

そういう モーレツ時代から
ちょっと ゆっくり

世の中を見直す 時代の先駆け的なことを
やってるんだよね この歌はね。

内心 こういうふうに生きたいって
みんな思ってたんですかね。

絶対そうですよ。 本当に そう思います。
いまだに そう思います。

いまだに 朝 寝床でグーグーしたいです。

まずは 最初は こちらです。
「長生きの秘訣は 食にあり」。

さぞかし 健康的な食生活をしていたん
だろうと 思われるかもしれませんが

好きな食べ物は こちらです。

(田中)何か ユニークですね
食べてる姿 全部。 何か面白い!

(戸田)野菜を食べるとか 健康的な感じで
いらしたかなと思うけど…

…という精神 出てます。

この3つに限れば…

ぱっとね。
ああ そうですね。

続いては こちらです。 水木さんは収集家。
こちらを ご覧下さい。

お仕事場もね ほんとに
このスクラップの本棚が

ズラッと 図書館のように
並んでるんです。

今回 その一部を 特別に
お借りしてきたということで 本物です。

わあ すごい!
見てみて下さい。

(一同)夜!

夜の写真だ これ。
すごく仕事に密接なものですね。

(戸田)背景とか いろんな。
(田中)参考書ですよね ご自身の。

食堂の看板が写った こちらの写真。
漫画の背景に そっくり。

スクラップブックが生かされている。

この他にも
西洋の建築物や 絵画の記事など

さまざまなジャンルのスクラップブックが
およそ300冊 本棚に並んでいた。

更に 幼少期からの趣味もある。
新聞の題字や 犬や猫など動物の骨。

大人になると 仕事の合間を縫って

200体もの 連合艦隊のプラモデルを作り
眺めていたという。

私は 骨を集められるのは
ちょっと どうかなって…。

怖いとか触っちゃいけないって
いうんじゃなくて

持って帰られるというね。

そこは やっぱり
水木さんならではの発想ですよね。

骨って どうなってるんだろうってね。
組み立てたりとか されてたのかな?

続いては こちら。

増築改築 およそ10年間で10回以上
繰り返すほどの リフォーム魔だったと。

こちらを ご覧下さい。

最終的には
家が 迷路のようになってしまったと。

ほんとですね。
どこから どう見ていいのか。

部屋や階段が多く

そして なんと
トイレが5つもある この家。

実は当時 両親の他
住み込みのアシスタントがいたので

水木は みんなが効率的に生活できる家を
目指していたという。

リフォームする時 自ら図面を書くので

没頭して 漫画の締め切りに間に合わない
ということが 結構あったりして。

いろんな場所にね
自分の城をつくりたがる人なの。

家から始まってね
その中のスクラップをして

それを保存した
自分の世界ですか? 家の中の。

だから トライ族の村に
あの時 永住してても

独特の 水木村をつくっていたり…。
そうですね 面白いですね。

80歳を越えた 水木は
あるエッセイを執筆した。

人間の永遠のテーマとも言える
「幸福論」だ。

幸福になるヒントは 水木が
よく書き残していた言葉にある。

「なまけ者になりなさい」。

売れない作家のころから 人一倍働き
数多くの作品を残してきた 水木。

「なまけ者」とは 正反対だった。

映像に残っている 水木しげるは

カメラに おどけてみせたり
楽しそうにしている。

のんきで なまけ者のような
答え方をする事もあった。

だが 密かに書いていた手記には
こんな絵がある。

カラカラと 音を立てて回る歯車。

中心には 「劇画製作機」と書かれている。

タイトルは 「自画像」。

雑誌社の歯車となって
漫画を描き続ける 自分自身の姿だった。

50歳を前にして
働きづめだった 水木の体に異変が。

連日 強いめまいや
耳鳴りに襲われるようになった。

妻の勧めで 病院に行くと
過労と診断された。

慢性的な寝不足のため
体と心が 悲鳴をあげていたのだ。

15年間 休みなく働き続けてきた水木。

初めて
夏休みをとることにした。

水木が向かったのは

かつて兵隊として赴き 終戦を迎えた
南太平洋のラバウル。

あれから 26年の月日が流れていたが

自分に温かく接してくれた
トライ族の人々に 再び会いたかった。

知らせを聞いた村人たちは
大歓迎してくれた。

水木のために ニワトリやブタが焼かれ
村には 音楽が鳴り響いた。

東京の大都会で暮らす水木は

自然と共に生きる
トライ族の生活に触れて

改めて気付かされたことがあった。

帰国後 これまでの仕事を
セーブするようになった。

仕事を セーブしたのは
楽をするためではない。

実は 水木は
ラバウルで 村人と再会しただけでなく

亡くなった戦友たちのために
小さな墓標を立ててきた。

そして 自身の戦争体験を伝える

「総員玉砕せよ!!」の執筆に取りかかった。

次に 水木は 日本中 そして世界中に
妖怪探しの旅に出かけるようになった。

各地を訪れた水木は
まるで 子供のころのように

さまざまな妖怪の気配を
感じることができたという。

1996年 70歳を越えていた水木は
世界妖怪協会を設立。

大好きな妖怪研究に精力を注ぎ
80歳を過ぎても 国内外を飛び回った。

2015年11月 水木は自宅で転倒し
頭を強く打ち入院。

帰らぬ人となった。

93年の生涯だった。

さあ ということで
水木さんの生涯を見てきましたけども

「なまけ者になりなさい」と
常々 おっしゃっていたそうですが。

ちょっと私 「なまけ者になりなさい」って
最初 聞いた時は

「好きなことをやりなさい」って

言ってくれてるような気は
したんですけれども

今 ちょっと こう ず~っと見てると

いや もっと やんなきゃいけないなって
私自身は思います。

その なまけ者には 憧れるんですけれど

水木先生の この人生を見てくると

相当きっちり きっちり
もう ほんとに やってこられて

全然 そんな一気には
みんな比べては あれだけども

もっともっと やって 初めて
「なまけ者になりなさい」って言葉が

入ってくるのかなとも思うし

とっても 楽には
させてくれる言葉だと思います。

でも 100人が100人みんな なまけ者に
なったら いけないよってところもね。

あなたは まだ そんな順番じゃないよって
言われてる気もするので。

「なまけ者になりなさい」って 何か
自分に 言ってる感じがするんだよね。

本来ね 凝り性で勤勉な方だからね。
そうですね。

さっき 劇画製造機って出てきたけど
あれは つらいだけじゃなくてね

結構 きっちりやるのが
好きな方だと思うよ。

そういう きっちり仕事してる自分が
てれくさいんだよね。

だから なまけ者が
一番いいのよっていうテーマを…

テーゼを出したっていうか
そういうようなものを感じますね。うん。

水木さんも きっと その作家の中でも
競争があったでしょうし

何か その中で でも 「なまけ者に
なりなさい」っていう言葉があるだけで

本当に そういう道もあるんだけど
自分も頑張っているんだっていう

選択が2つになるというか
増えるというか

何か違う世界を一つ置いて想像したりとか
妖怪の世界だったり

「なまけ者になりなさい」っていう
場所も あるんだっていう

想像をするだけで いいな あの世界…
でも頑張ろうって また戻れるみたいな

水木さん自身の
バランスの取られ方だったのかなって。

何か いろいろ考えさせられる
回でしたけど

今日は 皆さんありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。

時代に のみ込まれる
世の中に のみ込まれる

世論に のみ込まれるみたいなことを
ずっと経験…

戦争も そうですけどしてきて

何か それをこう
そのせいにしてないですよね。

ものを作ってて 忙しくても それは何か
自分の人生のあり方というか。

何か どっか ひょうひょうとしてる感じを
見せながらも

強さを感じさせてくれる人だと思うし

そうですね うん…
頑張んなきゃいけないですよね。

頑張んなきゃいけないんですよね。

絶対やらないですけど 僕 一反もめんの
ものまねが得意だったんですよ。

絶対やらないですけど。 ハハハ…。

あれ? これ やる流れかな?

まあ 止めらんないよね これね。

これ言っちゃったら
絶対やんなきゃいけないもんな~。

ちょっと待ってね。

(ものまねで)鬼太郎さ~ん!

ほら こういう雰囲気になる。 ほら。

でも よく確かめて下さい。
ちょっと似てるはずなんで。


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