100分de名著 スピノザ“エチカ” 第2回「本質」 東京工業大学教授・國分功一郎、伊集院光、安部みちこ、白井晃…


出典:『100分de名著 スピノザ“エチカ” 第2回「本質」』の番組情報(EPGから引用)


100分de名著 スピノザ“エチカ” 第2回「本質」[解][字]


古来ものごとの本質は「形」とされてきた。しかし、スピノザは本質を「力」とみることでこれまでとは違った見方を提示する。それぞれの特性にあった力ののばし方とは?


詳細情報

番組内容

古来ものごとの本質は「形」とされてきた。しかし、スピノザは、本質を「力」とみることでこれまでとは違った見方を提示する。人間もそうした視点でとらえてみると、決められた本質を目指すのではなく、それぞれの特性にあった「力」ののばし方を考えるべきだという発想に変わっていく。第2回は、あらかじめ固定された「形」ではなく、それぞれの環境で独自にのばしうる「力」として本質をとらえるスピノザの人間観に迫る。

出演者

【講師】東京工業大学教授…國分功一郎,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】白井晃,【語り】加藤有生子



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100分de名著 スピノザ“エチカ” 第2回「本質」
  1. スピノザ
  2. 欲望
  3. 感情
  4. 本質
  5. 人間
  6. 自分
  7. コナトゥス
  8. 刺激
  9. 状態
  10. 変状


『100分de名著 スピノザ“エチカ” 第2回「本質」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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哲学者スピノザの代表作 「エチカ」。

ここで スピノザが考えるのは
人間の本質について。

スピノザは 「コナトゥス」
といわれる「力」こそ

人間の本質だといいます。

これは 古代以来の考え方の
大転換でした。

人間をつき動かす 「欲望」。

そして さまざまな「感情」。

それらを
スピノザが深く見つめた背景には

激しい情念が吹き荒れた時代が
ありました。

今回は 人間が持つ「力」について
理解を深めます。

♬~
(テーマ音楽)

♬~

「100分de名著」 司会の…

さあ 今月の名著は
スピノザの「エチカ」ですが

前回は スピノザ独特の
「善と悪」について 取り上げました。

伊集院さん いかがでしたか?
最初 すごく難しいと言われて

実際に読むのは まあ難しいんですけど
大ざっぱに言うと 自分が楽しかったり

うれしかったり 喜ばしいと思うことは
まあ 善いこと 善だろう みたいなのは

元気が出る言葉でしたね。
そうですよね。

スーッと入ってきましたもんね。
うん。

國分さん 第2回の今日は
どんなところを見ていきますか?

そうですね 前回はね 善と悪っていうね
善い悪いの話をしましたけれども

そこで 「活動能力」っていう言葉が
出てきましたよね。

能力ということですから
つまり 「力」ですね。

この 力っていう概念を見ながら
人間の本質っていうのに

迫っていきたいなというのが
今日の もくろみになります。

さあ その力について
スピノザは どのように言っているのか

まず こちらをご覧下さい。

スピノザは考えました。

人間であれ 動物であれ 草木や石であれ
この世界にある あらゆるものは

全て 神のあらわれであると。

では 一つ一つの存在とは
どういうものなのか。

全てのものには
できるだけ 自分の存在を

維持しようとする力
「コナトゥス」がある。

この力こそが
私たちの本質なのだと

スピノザは言うのです。

生きていたいとか そういうことかな
コナトゥス。

このコナトゥスは
「努力」って訳されるんですけど

努力って言葉は 日本語だとね
何か 一生懸命 頑張って

何するみたいな イメージがありますけど
そういうことじゃないんですね。

ある 何か傾向とか方向性を持った
力っていうような意味です。

我々を含めた あらゆるものには
まあ 自分が存在し続けようとする

あるいは…

というのが
この定理が言っていることで…

…って スピノザは言ってるわけですね。

現代のね その生理学とかでいう

ホメオスタシスの原理っていうのが
ありますけれども

例えば 水分が少なくなると
水分を欲求して 水を飲むとか

血糖値が下がってくると
元の状態に戻そうとして

食事をとりたいという欲望が生まれるとか
これと まあ非常に似ていますね。

正常な状態でいたいというか それは
「いようぜ!」と思うものでもなく

なってるということですね。
そうです。

これ自体 まあ 割と分かると
思うんですけど

ポイントはね これが本質だって
言われてるところなんですよ。

哲学では こういうふうに
本質を定義したことないんですよ。

古代ギリシャでは 本質っていうのは
「エイドス」って呼ばれるんですけど

エイドスって 形って意味なんですね。

見かけ 外見 そういう形によって
物は定義されるっていうのが

まあ 古代ギリシャの考えで そのあとも
ず~っと続いてきた考えなんですね。

一つ 例を出してみたいと
思うんですけれども

農耕馬 競走馬ってありますけど

農耕馬は ゆっくりと しかし着実に
畝を耕していったりすることに向いてる。

それに対して 競走馬っていうのは

その力を スピードとして
表現する方向に向かっている。

つまり 2つの力のあり方は
全く異なっている。
うん。

ところが
にもかかわらず 僕らは

いや 馬でしょっていうふうに
言うわけです。

なぜかというと
同じ形をしてるからです。

力が本質であるっていうのは
どういうことかというと

この馬は 所詮 同じ馬でしょって
考えないっていうことなんですよ。

農耕馬の力のあり方というのは
少しも 競走馬にも似てない。

むしろ それは畑で働いている牛に
近いでしょうというふうに

考えるというのが

本質が力であるという考え方の
非常に革命的なとこなんです。

女だから 野球部に入れません
みたいなことに なるじゃないですか。

いや 女子はケガするから
みたいなこと 言うんだけど

運動能力でいうと 俺の100倍うまい
女子の選手なんか

いっぱい いるんですよね。

今の例は とってもいい例で
この本質の話と

前回やった 善悪の話を組み合わせて
考えて頂きたいんですよ。 つまり…

なるほど なるほど。
力のあり方が違う。

ところが もし
これを エイドス的な考え方で

いや どっちも馬でしょって
なっちゃったら

馬なんだから こう育てればいいんだって
なるわけです。

同じことが 人間にも応用できますよね。

男なんだから こうするのがいいんだ

女なんだから こうするのがいいんだって
なるわけです。

そうじゃなくて 個別 具体的に…

まさしく具体的に
僕たちが実践できるような

倫理のあり方というのが出てくる
という。

個物の本質っていうのは
先ほど言った コナトゥスですね。

自分の存在に固執しようとする力
ということでしたけれども

水分が 身体から無くなっていったら
それを欲しいっていう

何か こう衝動を感じる。

スピノザは何かをしたい あるいは
僕に何かをさせようとする力

これも本質だというふうに言っていて
これを欲望というふうに呼んでいます。

スピノザは 人の心に生じる欲望について
こんな言い方をしています。

人間は 自分を維持する方向に働く力
コナトゥスを持っています。

生きている中で
さまざまな刺激を受けると

その刺激に対し
コナトゥスのあらわれとして

自分を維持するための衝動
欲望が生まれます。

この欲望もまた
人間の本質なのだというのが

スピノザの考え方です。

スピノザは 欲望について
少し別の定義をしています。

「おのおのの変状」とは?

例えば 太陽のもとにいると
やがて 肌が日焼けしますよね。

人間は さまざまな刺激を受けながら
さまざまな状態に置かれます。

その一つ一つの状態を 「変状」と呼びます。

人は それぞれの状態に応じて
異なる「欲望」を持つ。

それもまた 人間の本質。

スピノザは そう語っているのです。

コナトゥスは
一つの原理みたいなものですよね。

我々を貫いている傾向ですよね。
はい。

その傾向に基づいて
ある力が 僕らを動かしている。

まあ それは「欲望」であると。

その力を人間の あるいは
あらゆるものの本質というふうに

考えましょうというふうに
言ってるわけですね。

しかし かなり難しい文章でしたね。
ええ。

ポイントはいいですね。 欲望とは要するに
本質だって書いてあるわけですね。

ここは いいですね。

難しいのは 中ですよね。
特に変状っていうやつですよね。
はい。

これは スピノザの哲学を理解する上で
とっても大切な言葉で…

例えば さっきのVTRの例ですと
日が当たるという刺激を受けると

僕の皮膚は 黒くなるという形で
変状している。

こういうふうに
いろんなものが刺激を受けて

変化するわけですよね。
それを 変状というふうに言うわけです。

皮膚が カサカサに乾くっていう
状態になる。

水分が足りないから 変状じゃないですか。

でも これは補給しないと
死んじゃうわけで

そうすると 「水を飲みたい!」って
いうものが湧くし 飲むし

これが 欲望っていうことですよね?
そうですね。

この やっぱ
欲望という言葉の使い方も

やっぱり 非常に大きく
哲学の中の転換になっていて

基本的に 欲望というのは
否定的に捉えられてたわけですね。

理性 対 欲望というのが
ごく普通の考え方だった。
そうですね。

古代ギリシャを読んでも
アリストテレスとかを読んでも

欲望と理性の闘いがあってっていうのは
よく書いてあることなんですよね。

それに対して スピノザは
中立的に見てるわけです 欲望を。

全然 否定的に見てないんですよ。

欲望を悪いもの
無欲・禁欲 宗教みたいなことにおいては

そういうイメージですけど
そうじゃないんだ。   そうじゃないです。

欲望というのは とにかく
僕らを動かしてる力であって

コナトゥスを根源としてるから

それはもう なくすもなにもないんですよ。
それに基づいて 動いてるんだから。

これも組み合わせで 善い悪いってことと
つながってますよね。

完全に つながってます。

欲望自体が善いとか
欲望自体が悪いじゃなくて

このケース 欲望は善い
このケース 欲望は悪いっていう。

一人で閉じこもって 自分勝手にやるのが
一番楽しいというタイプの人って

例えば それが チームスポーツの
部活にいたら それはダメですよ。

合いませんよ それは合いませんけど
職人の世界みたいなとこって

どこまでも1人で 黙々と
自分が作りたいってものを

追求していく能力がないと
いいもん 出来ないじゃないですか。

そうすると これは むしろ大歓迎の
善い欲望であり

能力だったりするじゃないですか。

黙って 黙々 一人は絶対ダメだって
いうのは おかしいですよね。

前回 その「エチカ」っていう言葉がね

「エートス」という言葉と
つながってるってお話しましたけど

どういう場所で生きていて
どういう生態を持っていて

この生態を持った
この私の欲望には 力には

どういうものを組み合わせると
いいだろうかというのを

考えるという発想なんですよ。

だから 同じ刺激を受けても
人によって 変状のしかたが違うし

欲望のしかたも違う。

それを考えないで 社会を設計したり
教育をしたりしていくと

とても まずいことが起こるでしょ
という話なんですよね。

スピノザは 人間が心に抱く感情を
次のように定義します。

「感情」とは 先ほどまで見てきた
身体の「変状」です。

つまり ある刺激によって
私たちの身体にあらわれる状態です。

スピノザは この感情が
私たちの活動能力を高めたり

低めたりすると考えました。

喜びとは 私たちの活動能力が増大し

完全性が より大きくなる
変化に対して生じる感情。

悲しみとは 私たちの活動能力が減少し

完全性が より小さくなる
変化に対して生じる感情。

スピノザは そう考えました。

この喜びと悲しみ。
更に欲望。

スピノザは この3つが
人間の基本的感情であるとしました。

スピノザは 幾多の感情を
この3つの感情で説明します。

外部の刺激によって生じた
これらの感情と共に

人は 活動能力を増やしたり
減らしたりすると考えたのです。

僕 ちょっとスピノザの
とても理屈っぽいというか

数学的なところで
今 気に入ったのは

途中に出てきた
「大なる完全性や小なる完全性」って

1夜目に勉強した
不完全なんてものはないっていう

言葉に対する こだわりじゃないですか。
そうです。

そこ 気付いて頂けたの
すごい うれしいですね。

だから それ自体は
存在として完全なんだけれども

それを満たしている力が 増大したり
減少したりはしますよねと。

だから 増大することを

完全性が より大きくなる
というふうに言ってるわけですね。

「喜び」 「悲しみ」 「欲望」
これ 入ってくるんですか。

基本的に 全部に共通してるのは
全てが変状だってことですね。

外部から刺激を受けて
悲しみの方向に行くとか

喜びの方向に行くとか

こういうことをしよう
という力が出てくるとか

そういうのを
ず~っと 持続し続けてるのが

人間存在だっていうことに
なるわけですね。

いくつか 例を挙げてみました。

先ほど 「愛」と「憎しみ」は
紹介していましたけれども

「ねたみ」を見てみると…。

は~…。

これは 「憎しみ」って言葉を使って
定義してますよね。

「憎しみ」は 前に定義してたわけですね。

括弧の いっぱい ついてる
計算みたいですね。         そうですね。

ねえ。
その「憎しみ」の中の 括弧の中には

「外部の原因の観念を伴った悲しみ」が
入ってって やっていくと

成分は この3つですよという。
そういうことなんですよ。

「喜び」 「悲しみ」 「欲望」。
だから これを戻れば分かるし

この反対が 「愛」だっていうのも
分かるしってことですね。

だから 「愛」っていうのは
単に うれしいんじゃなくて

あの人のおかげで
うれしいんだっていう

その喜びの対象が
はっきりしてるってことですね。

「憎しみ」の場合は
ムカつくぞって なってて

その対象が
はっきりしてるってことですよね。

もう少しいきますと 「嘲弄」ですね。

言い方は難しいんですけど
自分がバカにしていることが

自分が嫌いなやつの中にある
というのを発見した時に

あいつは こういう 所詮くだらないやつだ
ニタニタ というような感じですね。

はあ~。
うわ~ 面白いな~。

この当時のヨーロッパって
笑いというとね

多くの場合 嘲弄として
とられてたらしいんですね。

上流階級の社交界なんかだと

嘲弄というのは
非常に強いパワーを持っていて

スピノザは そういう嘲弄と
ガハハって 楽しく笑うことを

きちんと区別しようとしたんですよ。
ガハハと たくさん楽しく笑うことは

とっても大切なことだって スピノザは
「エチカ」の中でも強調していることで

逆に 「嘲弄」と いい笑いをね
気持ちいい笑いを区別してるという

そういう定理でもあるんですね。

でも 徹底的に感情の分析してますね。

スピノザが なぜ こう
人間を動かす感情について

こんなに詳しく語ったのか
当時の時代背景をご覧下さい。

スピノザが生きた
17世紀半ばのオランダで

ある悲劇的な事件がありました。

その主人公は 共和派の若き指導者
ヤン・デ・ウィット。

学者肌の理知的な人物で
財政再建を推し進め

争いが絶えない周辺国とは 和平を模索。

スピノザも共感を寄せていました。

しかし 議会を率いる彼は
民衆の間では不人気。

多くの民衆は 君主のような
強い存在を求めていたのです。

そこに 海外貿易をめぐって
イギリスと戦争が勃発。

フランスにも侵攻され オランダ国内は
パニック状態に陥りました。

民衆の恐怖心は
共和制に対する怒りに転じます。

標的となったのは
辞任したばかりのヤン・デ・ウィット。

ぬれぎぬを着せられ 逮捕されていた兄を
監獄に迎えに来た時

暴徒と化した群衆が襲いかかりました。

民衆は憎しみから 兄弟の遺体の肉を
切り取り 持ち帰りました。

スピノザは デ・ウィット兄弟が
むごたらしく殺されたことを知り

怒りに震えました。

虐殺現場に 「汝ら野蛮極まる者ども」と
書いた抗議文を

貼り付けに行こうとしましたが
下宿の主人に止められたといいます。

恐怖から権威を求め
憎しみを燃やした人々。

感情のもたらす負の力を スピノザは
目の当たりにしていたのです。

この事件は
スピノザの晩年に起こったものなので

別に直接 スピノザが
「エチカ」を書く きっかけとかね

影響したわけではないんですね。

けれども やっぱり
スピノザが生きていた時代を

非常に象徴する出来事だと思うんですね。

スピノザは 17世紀の哲学者ですけれども
16世紀 17世紀を考える時に

絶対 ヨーロッパを考える時に
避けて通れないのが 宗教戦争ですね。

宗教改革があって
そのあと 新教と旧教で猛烈に対立して

普通の一般の人が
この宗教的感情が絡むと

ものすごく残虐なことをすると。
で 虐殺なんかも起こるということで

大変 それまでの人間観が
揺さぶられるんですね。

で 哲学者たち 知識人も
その事実を非常に重く受け止めて

この17世紀には たくさんね
情念論 感情論というのが

たくさん書かれるんですよね。
へえ~。

スピノザ自身が その「エチカ」の中でね
例えば 「第四部 定理三三」で…

だから
受動的な感情に巻き込まれてるかぎり

非常に不安定になって 何をしでかすか
分からないような状態に置かれる。

更には…

だから スピノザは どうしたら それを
乗り越えられるだろうかというのを

考えたということですね。

じゃあ どうするって
言ってるんですか?

答えだけ まず読むとね…

私たちを どうしようもなく動かしている
受動的な感情を 自分で理解する。

理解することによって
その受動的な感情から

ある程度
逃れることができるというのが

スピノザが 感情に対して与えた
処方せんなんですよね。

それは 完全にはできないです。

けれども 何で俺
こんな嫌な気持ちになってるんだろ。

あっ 俺 あいつのこと ねたんでるんだ。

何で俺 あいつのこと ねたんでるんだろう
と分析できるわけですよ。

分析すると その 僕たちをとらえてる
ネガティブな力が

少し 手を離してくれるっていうのが

スピノザが 最終的に
言おうとしたことなんですね。

何か たまにあるのって
あのさ 人とケンカしてる時にさ

原因が分かんなくなっちゃうことない?
ええ。

自分が 何に関して怒ってるのかが

もう 怒るために 怒り始めちゃってる
というか そういう時に

俺が怒ってる部分は この部分だとか
多分 分析で何とかなったりとか

少なくとも
減るんだということに関しては

僕は とても好きなところ。
僕も好きなところなんですよ。

つまりね 度合いで考えてるんですよ。

完全に能動だとか 完全に自由だとか
そういうことじゃなくて

今までより ちょっと楽しくなったでしょ。
悲しみが ちょっと減ったでしょ。

そういう考え方であるというのは

スピノザの すごく
プラクティカルなところだし

いろいろ利用できる。

明日からできる 実践できる
というところなんですよね。

國分先生 ありがとうございました。
ありがとうございました。

♬~


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