アナザーストーリーズ 運命の分岐点「ゆとり教育~戦後最大の教育改革~」 現場の証言でひもとく… 松嶋菜々子、濱田岳


出典:『アナザーストーリーズ 運命の分岐点「ゆとり教育~戦後最大の教育改革~」』の番組情報(EPGから引用)


アナザーストーリーズ 運命の分岐点「ゆとり教育~戦後最大の教育改革~」[字]


2002年、戦後最大の教育改革というかけ声で始まった「ゆとり教育」は、実は本格導入の直前、既に方針が揺らぎ始めていた。現場の証言でひもとくアナザーストーリー


詳細情報

番組内容

2002年、戦後最大の教育改革というかけ声で始まった「ゆとり教育」は、猛烈なバッシングを浴び、わずか9年で終わった。1970年代に校内暴力や落ちこぼれ問題が表面化して以降、求める声が高かったゆとり教育。それはなぜあのタイミングで実現し、わずか9年で揺り戻しに至ったのか?実は本格導入の直前、既に方針は揺らぎ始めていた…。文部科学省の官僚、学校現場、学習塾らの証言でひもとくアナザーストーリー。

出演者

【司会】松嶋菜々子,【語り】濱田岳



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アナザーストーリーズ 運命の分岐点「ゆとり教育~戦後最大の教育改革~」
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今から 16年前。

日本全国で 学校が変わった。

円周率は 「3」でもいい!?

おなじみの公式も 教科書から消えた。

そして あちこちの学校で
不思議な授業が始まった。

戦後最大の教育改革と言われた
「ゆとり教育」の導入だ。

だが 吹き荒れるバッシング。

これほど物議を醸した教育改革が
かつて あっただろうか?

♬~

(チャイム)

よく耳にする言葉ですが 実際には

何が どう 「ゆとり」だったのでしょうか?

例えば 小学校で習う
円の面積を求める公式。

円周率は 「3.14」でしたね。

ところが これを 「およそ3」で

計算してもよいとした例が挙げられます。

「子どもには 良い教育を受けさせたい」。

多くの親が思うことでしょう。

果たして ゆとり教育は
そんな思いに応えられたのでしょうか?

ゆとり世代への風当たりは なぜか

上の世代から めっぽう厳しい。

一方 当事者たちは…。

単なる世代の差かもしれないが
きっぱり主張する若者を生んだのは

あの ゆとり教育だと考える声は
確かに多い。

それまでの詰め込み教育が
見直され始めたのは

1970年代に遡る。

受験競争が激化する一方

勉強についていけない
「落ちこぼれ」が急増し 社会問題化。

丸暗記ばかりを強いる勉強を
見直す声が上がったのだ。

教える内容は 相次いで削減された。

そして2002年 3割カットする

大胆な改革が行われた。

それが…

この時 教育の目標も大転換が図られた。

従来…

…が重視されていたのだが

「生きる力」を身につけることに
変わったのだ。

そのために 週3コマ
行われるようになったのが

「総合学習」。

混乱する学校が相次いだ。

実は ゆとり教育は
その誕生から既に混乱していた。

だから じゃあ ちょっと…

一体 どういうことなのか?

運命の分岐点は…

ゆとり教育が始まった日です。

教える内容が3割減り かわりに

「総合的な学習」という
新たな授業が始まりました。

生きる力を育むために

実に さまざまな試行錯誤が
始まったのです。

野菜を育てて 実際に売ってみたり。

全員で オペラに挑戦したり。

ヒツジや ヤギなどの動物を飼ったり。

ユニークな総合学習が行われました。

第1の視点は

戦後最大と言われた教育改革に
現場で取り組んだ先生です。

あの時 教育現場では
一体 何が起きていたのでしょうか?

南アルプスを のぞむ…

ここに ゆとり教育が始まる
25年も前から

一貫して 総合学習に
取り組んでいる学校がある。

(生徒)おはようございます。
(取材者)お邪魔します。

朝7時半 既に校内には
子どもたちの姿が。

総合学習で飼っているヒツジが… 逃げた。

先生は この場にいない。

子どもたちで なんとかする。

引きずられてる。

(鳴き声)

ヤギを飼っているのは 1年生のクラス。

ああ ダメ! 行っちゃダメ!
出ちゃダメ!

あっ ダメ! ユメちゃん!

朝から随分にぎやかだ。

ユメちゃん出ちゃダメだよ。
ユメちゃん!

(取材者)1人でやってるの これ?

ああ ああ…。

(生徒)そっちも出ちゃダメ!
ダメだってば!

飼育小屋や柵も みんな
子どもたちの手作りだという。

出来た! これで とれない。 オッケー!

このユニークな学校には あの時

全国の小学校から視察が殺到した。

2002年 ゆとり教育が始まった年だ。

その時は…

…っていうのを 伊那小の先生たちと
一緒に感じました。

全国の注目を 一身に浴びた 伊那小学校。

その教師たちが感じた
教育改革の光と影。

2002年に始まった…

その柱は3つ。

そして…

総合学習という名の
新たな授業が始まった。

この総合学習が
全国の教師たちを最も悩ませた。

なにしろ 授業のもととなる
教科書もモデルもなく

どんな授業をするか ゼロから
つくり上げねばならないのだ。

伊那小学校が全国に先駆けて

総合学習を始めたのは 1977年。

落ちこぼれが問題となり

文部省が初めて 教える内容を
1割カットすることを決めた頃だ。

学校現場に ゆとりを。

その方針を先取りした
新しい教育を つくろうと

実験を始めたのだ。

1997年から伊那小に在籍。

早くから 総合学習に取り組んできた。

2002年 文部科学省が
ゆとり教育を打ち出した時

何を思ったのか聞くと
意外な答えが返ってきた。

よく言われる…

田畑は 見直された箇所に
違和感を覚えたという。

伊那小の理念を象徴するのが…

ほんとに ここまで もう少し
やりたいのになという時に

チャイムで区切られてしまう
ってことがありません。

それから 時間割についても
子どもたちが

今 何をしなければいけないのか
こういうことが大事だっていうことで…

それから通知表は どうしても
二重丸が いくつあったとか

三角が いくつかという
そういうことで…

伊那小では 1977年以来

どうすれば 一人一人が
深く考える学びを つくれるか

試行錯誤を重ねてきた。

例えば 田畑たち5年剛組が
取り組んでいる 米作り。

この授業
いわゆる「農業体験」とは ひと味違う。

これが…

(田畑)品種改良をした…。

それこそNHKさんの 前の…

(生徒たち)あ~!
(田畑)あっ ごめん。 後ろ後ろ。

苦労して作った お米だから
1粒だって無駄にしたくない。

(田畑)みんなが 一生懸命 作ってね
1年かけて作った お米なので

今日 それを味わってみたいと思う。
どんな味がするのかね 楽しみです。

心を込めて炊いて 食べたいと思います。

自分たちならではの
手作り弁当を作る活動の中で

国語や算数を自然に学べるよう
工夫が凝らされている。

(田畑)え~と 料理をするので…

この匂いが 一番いいんだよ。

(田畑)大丈夫?

チャイムがないから
時間に追われることなく

とことん学べる。

≪うわっ うまそう!

先生 何で食べるの?
先生にも くれる?

いただきま~す!
(一同)いただきま~す!

そして教科の枠に とらわれず

子どもの興味に合わせて
学ぶことができる。

2002年に ゆとり教育が実施された時
全国から見学者が殺到したのは

総合学習に悩む教師にとって
こここそが お手本だったからだ。

あの年 全国の学校が

総合学習の在り方を
必死で模索していた。

おお すごい。

すごい 初めて見た。
17匹おった。 17 17。

例えば 全校生徒によるオペラ。

舞台装置や照明 衣装など
全て生徒たちが手作りした。

♬~

当時 オペラの指導で大活躍した
音楽の教師は どう感じていたのか?

いや あの 正直に言うと
「えっ こんなことを…」

…って思いながらの初年度でしたね。

しかし 間もなく
学校現場から悲鳴が上がり始める。

先生たちの負担が 急増していたのだ。

理由は 時間割。

週3回の総合学習に
労力を取られる一方

土曜日は授業が行えない。

その少ない授業の中で 決められた内容を
教えなければならないからだ。

総合学習は他の教科と
リンクさせなければ

教師の負担が大きくなりすぎると

視察に来た先生たちに
何度も伝えたという。

間もなく ゆとり教育へのバッシングが
強まり始める。

教師が負担に悲鳴を上げていることに加え
授業が減ったことで

学力が落ちているという
論調が相次いだ。

そして 学力を不安視する声は
伊那小にも及ぶ。

これは
2005年の職員会議の映像だ。

やたら宿題出すとか ドリルの時間をとる
ってことではなくて…

議論の末 伊那小では
従来の方針を貫くことが決まった。

そのかわり 更に学力を向上させるための
工夫が考えられた。

例えば ヒツジを飼っている…

ヒツジの餌となる草の重さを
どう計算すればいいのか

それも子どもたちが考える。

体重計の目盛りは…

0.01キログラム単位。

2.05あったから
コンテナが 0.50だから

ということは 1.55。

1.55。     うん。 だって最初
2.05でしょ。

すごいね。
暗算で やっちまったね 今。

1キロだよ。
1キロだよ これ。

こうして 3年生で習う
小数点の計算も学んだあと

ドリルで復習し 身につける。

ちなみに ヒツジを飼っていると
こんなことだって学べてしまう。

育てているのは
オスのゲンキと メスのヒドラ。

生き物に命が宿るのは なぜなのか…。

赤ちゃんが いるんだよ。

違うよ 赤ちゃんは
交尾しないと生まれないよ。

交尾って なあに?

交尾は 結婚のことだよ。

どうやってするの?

結局 2011年に
ゆとり教育は終わりを告げた。

だが伊那小では 今も総合学習を
中心に据える教育が続けられている。

今 伊那小学校で2度目の勤務を迎えた
ベテラン教師 田畑。

僅か9年で終わった
ゆとり教育の風潮を こう振り返る。

「戦後最大の教育改革」と
銘打って始まった ゆとり教育。

その大方針は なぜ 僅か9年で
変更を余儀なくされたのか?

実は ゆとり教育は
既に導入する時点で

混乱が始まっていたと
告白する男がいる。

ゆとり教育を推進した 立て役者だ。

ゆとり教育が生まれる時
果たして 何があったのか?

生きる力を育むという目標に
向けられた 教師たちの手探り。

ところが この ゆとり教育

世間から激しいバッシングに
さらされました。

薄くなった教科書で育つ
子どもたちの将来に

不安の声が上がったのです。

第2の視点は このバッシングの
矢面に立たされた官僚です。

ゆとり教育の導入を推し進め
PRし続けた人物です。

やがて彼を 皮肉な運命が襲います。

「ミスターゆとり教育」と呼ばれた男が
明かす アナザーストーリーです。

現在は映画評論家 大学教授など
多彩な顔を持つ。

寺脇が 教育行政を志した動機は?

その寺脇にとって 最大のミッションが…

2002年の導入にあたり
寺脇は全国を回って

保護者や教師たちに
ゆとり教育の意義を説き続けた。

最大の敵ね…。

「ミスターゆとり教育」と呼ばれた男は
何を求めて戦ったのか?

戦後日本が 高度経済成長を遂げた頃。

それを支えるのは
日本人の 「勤勉さ」と

そして誰もが 読み書き
そろばんができる

「優秀な学力」だと言われた。

う~んとね いい職に就きたいですね。

だから いい中学 入っとけばね

そういうのが多いから
いい中学 入りたい。

いいとこ入ってればね やっぱり会社とか
勤める時にも楽だからって言って

お父さんと お母さんが。

寺脇が文部省に入ったのは

高度経済成長が終わった 1975年。

この時期 教育の在り方に
大きな疑問が投げかけられていた。

いわゆる…

受験戦争が激しさを増す一方

授業についていけない生徒が
激増していた。

問題は やがて そもそも知識ばかりを
詰め込むことに意味があるのかという

教育行政への批判に発展していく。

1977年 文部省は初めて
教える内容を…

そして このころから若手官僚の間で

教育の方針を抜本的に見直す動きが
ひそかに始まった。

教育とは 国のためにあるのか

それとも 個人のためにあるのか?

画一的ではない 個性に合わせた教育を
行える可能性はないのか。

私と同じぐらいに入った
仲間たちの間では

それ やらなきゃいけないね
っていう話を

若手の間では
そういう声が非常に強かった。

仕事が終わったあと ですから もう
夜の9時ごろから会議室に集まって

今までの文部省の考え方を
仕事の しかたを

変えなきゃいけないみたいな
議論はしてましたね。

1984年 寺脇たちに追い風が吹いた。

中曽根内閣の時代に立ち上げられた
総理直轄の諮問機関…

ここで新たに打ち出された指針が…

官邸主導の新方針に
文部省は対応を迫られた。

臨教審が示した教育改革を受けて…

このころ 文部省内では
求めるべき学力とは何かを巡って

議論が絶えなかったという。

学力は 私だって大事だと思うけど

その人たちの思ってる学力と
私の思ってる学力が違うと。

…という新しい学力観を
私たちは言ってる。

重視すべき学力とは何か?

テストは意味がないのか?

拮抗した議論は 1995年

未曽有の事件によって
一気に風向きが変わる。

この二大事件が ゆとり教育への流れを
決定づけたという。

ああいうことを起こしてしまった。

人間が空中に浮くなんていうことを
真面目に信じて

そして洗脳されて
ああいう犯罪になっていく。

やっぱり従来型の…

…と思わしめた
っていうのがありますね。

「変化の激しい
先行き不透明な厳しい時代」。

事件のあと 文部省の答申に現れた言葉だ。

こうした時代に ふさわしい教育が
強く求められ始めた。

そこで登場したのが
生きる力を育む ゆとりある教育。

文部省は
ゆとり教育の実施方針を発表した。

そこには
土曜日を完全に休みにするなど

大胆な改革案が盛り込まれていた。

不安の声を上げる保護者のために

ゆとり教育のスポークスマンとなった
寺脇は

説得のため 全国を飛び回った。

寺脇は ゆとり教育への理解は
深まったと手応えを感じていた。

ところが 1冊の本が
その流れを変える。

ゆとり教育に対する
激しい反論が書かれていた。

著者の一人
当時 京都大学経済学部教授の…

西村は 5, 000人の大学生に対して
小中学校レベルのテストを行った。

結果は なんと
分数の問題で不正解が続出。

西村は ゆとり教育を
導入すると

ますます学力低下に
拍車が かかると

警鐘を鳴らした。

まあ ものによりますよね だから。

西村は ゆとり教育反対の
署名活動を開始した。

マスコミの論調は一転。

ゆとり教育反対の大合唱となる。

ゆとり教育推進の中核

初等中等教育局を率いていた
辻村哲夫は

世論の変化に
驚いたという。

まあね その時は その時で

正しいものは 正しい姿は
こうですよと…

まあ ちょっと そこのところが

残念なことになったかなとは
思いますけどね。 ええ。

このまま ゆとり教育を
本格導入すれば

どんな逆風に さらされるか分からない。

そんな不安が 文部科学省を覆った。

2002年4月からの全面実施を目前にした…

突然 文部科学大臣から
こんな文書が出された。

確かな学力向上のためのアピール
「学びのすすめ」。

「総合的な学習の時間などを通じ

子どもたちが学ぶ楽しさを実感できる
学校づくりを進め…」。

とある一方で

「放課後の時間などを活用した
補充的な学習や 朝の読書などを推奨…」。

教科の内容を減らしたのに
放課後や朝は勉強する。

ゆとりに かじを切るのか切らないのか
曖昧としか言いようがない。

なぜ こんな文書が書かれたのか?

寺脇によれば 事情は こうだ。

もっと激しい… あの 宿題を出せとか

なんか もう とにかく学力が
下がらないように こうしろみたいな。

だんだん 事務次官も不安になってきて
「それは確かに あれかもしれない

でも 大臣が
こうしてやれって言ってるんだ」。

だから じゃあ ちょっと…

新学期から…

しかし それは船出の時から

進むのか戻るのか
混乱を はらんでの航海だった。

その直後 寺脇に予期せぬ辞令が下る。

文化庁への異動を命じられたのだ。

左遷っていうか…

それなのにパアパアパアパアいってるから
っていうんで あの…。

寺脇が去ったあと 文部科学省では

ゆとり教育に対する揺り戻しが始まる。

スタートから6年後
指導要領は こう改訂された。

「これからの教育は 『ゆとり』でも
『詰め込み』でもありません」。

ゆとり教育実施には さまざまな
大人たちの思惑が絡み合っていた。

だが それは学校で学ぶ子どもたちの
知らないところで 起きたドラマだった。

このポスターを覚えていますか?

ある学習塾が出した
キャンペーン広告です。

「円周率は3でいいの?」。

「台形の面積の公式は
なくなっていいの?」。

そこに書かれたコピーは

子どもたちの将来を心配する親たちの
共感を呼びました。

第3の視点は このポスターを出した
学習塾の代表です。

日能研代表 高木幹夫。

ゆとり教育を巡って
行政や学校現場が混乱する中

独自の立ち位置を貫きました。

学ぶとは 一体どういうことなのか?

世間に問いかけた
アナザーストーリーです。

円周率3.14と
台形の面積の公式がなくなることを

大きく取り上げた このポスター。

ゆとり教育の導入が決まった
よくとし 1999年に

電車広告として出された。

それは とんでもない話だね
っていうことから始まったんです。

…いう話が
普通に その お母さんの茶飲み話とか

おばあちゃんがね 「大丈夫かしらね」
っていう そんな話をするわけですよ。

円周率は 3.14という

不思議で 計算のめんどくさい数字で
あることにこそ

大事な意味があると 高木は考えていた。

実は ゆとり教育は 受験界に
想像を超えた影響を与えることになる。

高木が代表を務める塾…

中学受験を専門に
全国に 150の教室を持つ。

難関校ともなれば 塾なしでは
太刀打ちが難しいのが中学入試だ。

だが中学入試には ずっと
付きまとい続けてきたジレンマがあった。

人気校では毎年
志願者を選抜するために

難題を練り上げる。

だが それは あくまで小学校で習う知識で
解けなければならないのだ。

その制約のもとが この…

文部省が
各学年で学ぶ範囲を定めたものだ。

長く学校現場では 指導要領を超えた
内容は教えてはいけないと

暗黙のうちに理解されてきた。

事実 文部省は
この指導要領に照らし合わせ

難しすぎる問題には
毎年 苦言を呈していた。

これが 入試のため
難しい内容を教えたい塾にとっては

悩みの種だった。

今でも だから 学校の笑い話って
そこで起きますよね。

子どもが自分の名前を
漢字で書こうとしたら

それは まだ学年として
教えてない漢字だから

ひらがなで書きなさいって言われる。

…っていう
ずっと その中にいたわけですよ。

あの ゆとり教育が導入される時

高木たちは真っ先に 学習指導要領が
どう変わるかを調べ上げた。

受験問題の傾向も当然 影響を受ける。

だからこそ 高木たちは
あのポスターを世間に問うた。

センセーショナルな文言は反響を呼び
文部省にも激震が走った。

影響は甚大で。

ただでさえ内容を減らして
学力低下って言われてる時に

そんなに安易な算数教育を
始めるのかいと これから。

学習指導要領が学力低下を
もたらすということを

分かりやすく説明する 象徴的なね

メッセージだったというふうに
思いますけどね。

高木たちのポスターは
文部省を激しく動揺させた。

その結果 高木たちは
思わぬ果実を手にすることになる。

2002年に発表された
あの 「学びのすすめ」。

ここに 初めて記された文言があった。

つまり 決められた範囲を超えた内容も
自由に教えてよいということだ。

以後 中学入試の問題は
はっきりと傾向が様変わりしていく。

その一例。

難問奇問と言われる問題が減り

持てる知識を総動員して
考えさせる問題が増えた。

不思議な現実がある。

ゆとり教育は 学力を低下させると

激しいバッシングを受ける中…

高木たちは新たに
こんなプログラムを始め

人気を博している。

例えば これは
火おこしに3日かけて挑むというもの。

なぜ火が付かないのか
どうすればいいのか

子どもたちだけで考えさせる。

まさに ゆとり教育が目指した
総合学習のような授業だ。

新たに作られた指導要領によって
ゆとり教育は終わりを告げた。

新学期を迎える子どもたちは

教科の内容が
1割増えた教科書を手にした。

2002年からの9年間
ゆとり教育を受けた世代。

不思議なことに この年代は今
少なからぬスターたちを輩出。

史上最強との呼び声すらある。

それは教育が もたらした必然なのか

それとも 単なる偶然なのか。

ゆとり教育は
僅か9年で幕を下ろしました。

いわゆる ゆとり世代の多くが
20代に入り

社会の主役になりつつあります。

羽生結弦選手 大谷翔平選手

他にも大勢 世界で活躍する
頼もしい顔ぶれが見られます。

ゆとり教育が
良かったのか 悪かったのか

それは いまだに分かりません。

しかし ゆとり世代の子どもたちは
自分たちの受けた教育を糧に

社会の中で しっかりと生きています。

ゆとりど真ん中世代の
この人を訪ねてみた。

(チャイム)

は~い こんにちは。

(取材者)よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

こんにちは
はじめしゃちょーです。

ユーチューバー 
はじめしゃちょー 26歳。

チャンネル登録数は国内最多の…

試しに あの質問をしてみる。

…ぐらいまでは言えます。

(取材者)すごいですね。
ありがとうございます。

興味があったから自分で覚えたそうだ。

どうぞ。

(取材者)これは何?

これ 来年
平成がもう 終わっちゃうんで

来年の年号を当てよう大会してました。

一見 遊んでいるようだが

自分で企画 編集し

毎日1本の動画を6年間アップし続け
収入を得ている。

何やりましたっけ…。

でも サボれるんですよね
総合の時間って。

う~ん…。

たま~に 生きますね でも。

再び 大きな教育改革が行われる。

文部科学省が発表した
新しい学習指導要領の考え方には

こうある。

新たな教育からは
どんな子どもたちが育つのだろうか。


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