先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)「転換期のリーダー 徳川慶喜(前編)」 高田明、堀田茜、家近良樹、新井秀和…


出典:『先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)「転換期のリーダー 徳川慶喜(前編)」』の番組情報(EPGから引用)


先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)「転換期のリーダー 徳川慶喜(前編)」[解][字]


今年は明治維新150年。その年の最後の月に、江戸~明治の転換期の江戸幕府15代将軍・徳川慶喜を取り上げる。前編は将軍になる前、人々に期待された慶喜像に迫る


詳細情報

番組内容

江戸から明治の転換期の江戸幕府15代将軍・徳川慶喜。前編は人々に期待された将軍就任以前の慶喜像に迫る。水戸藩の7男として生まれた慶喜は、幼少期から俊英で、たびたび将軍候補をして名前が挙がる。しかし本人はその要請を断り続けた。将軍に就任したのは、最初のオファーから約14年後。「攻め」の経営で事業を大きくした高田明が、将軍職に就くまで「待ち」に徹した慶喜の思考を読み解いていく。そのほかのゲスト堀田茜

出演者

【出演】実業家…高田明,堀田茜,大阪経済大学特別招請教授…家近良樹,新井秀和



『先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)「転換期のリーダー 徳川慶喜(前編)」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)「転換期のリーダー 徳川慶喜(前編)」
  1. 慶喜
  2. 将軍
  3. 幕府
  4. 朝廷
  5. 自分
  6. 思うん
  7. 外国
  8. 高田
  9. 堀田
  10. リーダー


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♬~

はい どうぞ~!
あ どうも ありがとう。

なみなみと ついでもらって。
あっ どうもありがとう。

召し上がって下さい。
はい どうも。

あ~ ごめんなさい ごめんなさい。
遅くなっちゃった。

おかえりなさい。 待ってましたよ。
道が混んでて 遅くなっちゃった。

すいません 助かりました。
どうぞ どうぞ どうぞ どうぞ。

ありがとうございます。
あなたは…?

あっ 私 堀田 茜です。

よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

そうなんですよ 私が店主で。
ちょっとネギが切れちゃったもんでね

留守番をお願いして。 ええ。
助かりました。

いや でもね うちの店も
最近 閑古鳥が鳴いてるんでね

やっぱり こう若い子に
入ってもらった方がいいのかなぁ…。

まあ 華やぎますよね。 若い女性の方がね。

でも 変わらないところが好きっていう
お客さんも多いと思います。

今の若い子は
結構 渋いお店も好きですからね。

渋い店?
はい。

といっても 私に渋さがあるのかどうかも
分からないんですけれども

頑張ってみようかな。
ちょい渋です。

私も じっくり待ってみようかな
お客さんを。

歴史の中で 「待つ」っていうことの
大切さが分かるような方って

先生 誰か いないですかね?

15代将軍になった徳川慶喜という人。

この人は 結構ね 癖もある人ですけどね
面白い人物だと思います。

世間的にはね 好き嫌い両極端の評価をね
されてる人物なんですけどね。

ちょっと気になりますよね。
気になりますね。

早速 見ていきましょうか。 はい。

今から およそ150年前。

日本は 「幕末」という

大きな歴史の転換期を迎えていました。

その渦中にいたのが 徳川慶喜。

自らの手で 武士の時代に幕を下ろした…

もともと 力の衰えた幕府を
立て直してくれると期待されていました。

幼少の頃から
その秀才ぶりは評判を呼び

度々 将軍候補として
名前があがるほどの逸材。

12代将軍 徳川家慶が
実の子 家定に代え

将軍を継がせようと考えたことも
ありました。

また17歳の時には 松平春嶽や
島津斉彬など

有力大名が
将軍にしようと動きました。

ところが 当の本人。

…と 全く その気なし。

それでも 人々の期待は冷めることなく…

実に これが3度目。

しかし…。

何度 言われても 同じこと。

待って じらして
なかなか首を縦に振らない この男。

その間にも 時の流れは
どんどん激変していきます。

なぜ慶喜は 将軍になることを拒み
あえて待ち続けたのか。

慶喜の「待つ知恵」を読み解くのは…

実家のカメラ店から独立し
自分の店を持ったのは 37歳の時。

カメラ店の経営から 通信販売へと
時代を見据えたリーダーシップで

年商1, 700億円を超える企業へと
育て上げました。

休みなく 新たな知恵を繰り出す高田さん。

待っているだけでは駄目だと
攻め続ける経営スタイル。

一方 じっくり待つことで
天下取りに臨んだ徳川慶喜。

自分とは対照的な
転換期のリーダーの姿に

高田さんは 何を見いだすのでしょうか。

♬~

どうも。 こんばんは。

こんばんは いらっしゃいませ。
お待ちしておりました。    はい どうも。

高田 明さんです。 どうぞどうぞ。
こちら いいですか?

いらっしゃいませ~。
はい ありがとうございま~す。

今日は 「転換期」ということがね
テーマになるわけなんですけれども

高田さんも 数々の転換期を

乗り越えられてきたと
思うんですけれども。

そうですね 転換期は変化ですよね。

でも あまり
その時代時代で違いますけど

先のことばかり考えても もう
そのとおりにならないですからね。

私はですよ 今 瞬間瞬間をとにかく
大事なことに注力して 努力をすれば

その転換期には対応していける。

企業でも 自分でも
そう出るんじゃないかと。

私も じゃあ お客さん少なくても 今
ここに立ち続けることが大切だと思って

店主をやり続けた方がいい
ということですよね?

もう来年は ここに 30人ぐらい
入ってますよ。             そうですね。

ちょっと増築しなきゃいけないですね。
店員も増やさなくちゃいけないですね。

堀田さんは どうですか?
まだ お若いですけれども。

一番 転換期って言えるのは…

そこから
芸能の仕事をしだしたんですけど

今 いろんなモデルとか
バラエティーとか お芝居とか

いろいろ
やらせてもらってるんですけど…

それを 今は待ってるというか
逆に攻めですね。

攻めて いろんな出会いを
楽しみにしているところです。

そして先生 今日の主人公 徳川慶喜も
その転換期を生きた人物ですよね。

そうですね。

そう いないと思いますよ。
そうですか。

慶喜という人はね
非常に 独断型のね人物なんですね。

今日は その辺の知恵を ちょっと
見ていこうと思うんですけれども

皆さん今日 外 寒くなかったですか?
寒くなってきましたね。

なので 今日はですね
高田さんの出身地に ちなんで

平戸特産の あごだしを使った
お椀なんです。   あごだし。

どうぞ どうぞ。
きれい! 美しい。

どうぞ お召し上がり下さい。
いただきます。

そうなんですよ。
あ~ おいしい!

おいしいですか?
堀田さん 中の具も ちょっと どうです?

あれ? これは何ですか?
それ あごですよ。

あご?
はい。 あごのかまぼこ。

そうなんですよ。

飛ぶんですよ。
そうですよ。

だから 運動量が多いので
その分 脂肪分が少ない。

臭みも少ない
とっても上品なね だしが取れると。

栄養もあってね
ビタミンB6ですとか

抗酸化作用があるなんて
言われている

セレンなんていうものも
多く含んでるんですよ。

一杯 500円。 いかがでしょう?
どうですか? 高田社長 このプレゼン。

まあ それは普通ですね。
あ そうですか。 普通ですか?

いや あごっていうだけでは
もう駄目なんですよ。

僕 平戸で育ちましたから 港にですね
何万という あごが入ってくるんですよ。

それをね 橋の上からね
1時間で 100匹すくいました。

え~!?
そんなに?

すくってね 家に持って帰って
塩でまぶして

1日 天日干しするんですよ。

これをね 焼いて食べるのが焼きあご。
これを僕の友人なんかは

弁当で 1週間 あごだけで
おかずにしてましたから。       へ~。

そんな 飛んで おいしいあごを使った
だしですから

めちゃくちゃ おいしいでしょう?
おいしいです。

これ 500円どころじゃないですよ。

何か すごくイメージが湧いて
より おいしさが伝わってきて。

買います 買います。
ねえ。

しかも それで 同じ500円と言われたら
すごく お得な感じがしましたよね 今ね。

今のようにやられたら 日本中から
オファーが来て 大変なことになります。

そうですか?

そうなったら お店に立っとく暇がない
という…。 どうしますか?

それはそれで困ったものですけれども
オファー来るかな…。       そうですよ。

オファーは オファーでも
今回 取り上げるのは

なんと 「将軍になりませんか」という
破格のオファー。

江戸時代
何でも やりたいことができそうな

魅力いっぱいの職業です。

大きなお城に住み
欲しいものは 何だって思いのまま。

それに 気になる大奥
どうなってるのかな~。

初代 徳川家康から始まり
250年以上 代々受け継がれてきた

伝統と格式を受け継ぐ 名誉な役職。

そんな 憧れの将軍へのオファーを
何度も辞退したのが今日の主役…

結局 将軍に なるにはなったんですが…。

それも あなたしか いないんだからと
さんざん懇願された末のこと。

お願いします。

実は そこに 慶喜ならではの

「リーダーたる者は こうあるべき」
という信念がありました。

それが 今日
1つ目の知恵!

なぜか 将軍になることを
断り続けた徳川慶喜。

もともと 徳川宗家の出身ではなく
御三家の末席 水戸藩の7男坊。

ということは将軍候補に
名前があがるなんて

ありえない。

でも 運命とは分からないもの。

一橋家というのは 「御三卿」の一つ。

徳川宗家に後継者不在なら

将軍になれる可能性が開けたのです。

若くて 頭脳明晰な慶喜に対し

「将軍になってほしい」と考える人たちが
次第に増えていきました。

その中心人物が
老中 阿部正弘や 有力な大名たち。

「次の将軍は慶喜に」と画策します。

当時の日本は まさに荒波の渦中。

ペリーの要求に
余儀なく開国した幕府に対し

朝廷は かんかん。

町には 尊皇攘夷を唱える反幕府派が
あふれ 不穏な空気に覆われます。

こんな時 聡明な将軍がリーダーだったら
どれほど 心強いことか。

慶喜待望論が加速します。 ところが…。

…などと 期待されるのは迷惑千万と
言わんばかりの 超消極的態度。

実は慶喜 慌てず
機を見るべきだと

考えていたのです。

将軍になるなんて
貧乏くじ。

ですが 慶喜が消極的だった理由は
他にもありました。

有力な将軍候補がいたのです。

13代将軍の いとこにあたり

候補者の中で
血筋が最も宗家に近いのです。

家茂を支持したのは 将軍をはじめ
老中・幕臣たち

大奥 更に井伊直弼などの
譜代大名…。

要するに 多数派。

結局 家茂は

14代将軍に
おさまりましたが…。

火種は くすぶり続けます。

大老となった井伊直弼が
幕府に反対する勢力の一掃を図ります。

斬首など 100人以上の攘夷派を弾圧する
「安政の大獄」が起きたのです。

この時 慶喜も連座し…

それから1年。

今度は 井伊直弼が桜田門で凶刃に倒れ
入れ代わるように慶喜は復権。

前半生 最大の危機から脱し
運命が大きく変わっていきます。

2年後の 文久2年には

16歳の将軍
徳川家茂の

「後見職」に抜てき。

ついに…

早速 参勤交代の回数を減らし
大名たちの財政負担を軽くします。

また 諸藩から幕府への贈答品も禁止。

一連の改革によって
諸藩が倹約したお金で軍備を充実させ

外国の脅威に対抗できるようにしました。

また 都に…

暗殺が日常化している異常事態を改善。

朝廷の信頼を
勝ち取ります。

幕府再建のため 次々と改革を進める慶喜。

さぞかし感謝されていると思いきや…。

…と 幕府の中で慶喜批判の大合唱。

そんなやさき なんと
将軍家茂が急死してしまいます。

慶喜を支持する改革派は 色めきます。

リーダーとして 幕府を導く
機は熟していました。

ところが 慶喜は またもや拒みます。

一体 なぜ?

これまでの経験で…

…と思うようになったからだ
といわれています。

現体制の維持を望む 幕臣や大奥の反感を
押し切ってまで 将軍に就いたとしても

思うように力を振るうことが
できるわけがない。

そこで慶喜は ただ待つだけではなく

前代未聞の行動で
反対派に プレッシャーを与えます。

…であろうという見通しは
当然あったわけです。

実質 日本のトップとなった慶喜は

着々と 軍の近代化を進めながら
更に待ち続け 反対派をじらします。

幕府のトップである将軍の座は
空位のまま。

朝廷や外国との交渉など
国としての仕事は滞り

機能不全に陥ってしまいました。

こうした状況が続く中

慶喜を批判する人々にも焦りが生じ

次第に 慶喜支持に回ります。

最大の反対派であった
大奥の 天璋院篤姫も

慶喜の将軍就任を
認めたのです。

4か月もの間
将軍職を断り続けることで 幕府内の…

待って じらして

自分が やりやすい環境を
手に入れる。

ついに
15代将軍の誕生です。

ということなんですね。
堀田さん どうですかね?

なかなか決断しなくて
何て言うんでしょう じらす男って。

そうですね 慶喜の場合は
もう ひたすら…

本当に 今まで誰も
想像しえないやり方で

地位を築いて
すごいなとは思うんですけど…

だから 相当 自分に自信があったのかなと
思うんですけど どうなんですかね?

彼が 能力的に
秀でてたことは

もう 間違いないと
思いますからね。

慶喜という人は ほんと 若い時から
スターになったわけですよ。

いわゆる 日本の改革
幕府の改革を期待する連中からしたら

もう 希望の星ですよね。
私ね 慶喜っちゅう人物はね

コンプレックスが
そうなかったと思いますよ。

自信があったのじゃないかなと
堀田さん おっしゃったでしょ。

私も そこはね
根本的にあったと思うんですよ。

でも 当時の やっぱり状況からすれば

いくら自信があっても
乗り越えられない 自分では。

人の力を借りて 自分の周りに やっぱり
分身をたくさん作っていかないと

あの時代は
越えられないというところまで

発想は
慶喜の中にあったと思うんですよね。

だから それを見越してですね

やっぱり熟するまで待ったというところの
慶喜の判断。

これは 自信とは また別の部分で

すごい判断だったなというふうに
思いますね 僕は。

堀田さんは どうですかね?

今の仕事 待つ姿勢なのか
攻める姿勢なのかって。

今年 26ですし。
若い。

いやもう 待つ姿勢よりは

もうできるだけ 今のうちに攻めるという
姿勢を私は大事にしてて。

モデルを
最初 やらせてもらったんですけど

これだけじゃ 自分的にも満足できなくて
もっと いろんなことを

やっぱ 人生の中でチャレンジしたい
という思いがあって

バラエティー番組だったり お芝居に
出させて頂くようになったので

やっぱ待つよりも でも攻めてみて
分かったことも たくさんあるし。

いろんなことを経験できて
勉強できたっていうのもあるので

やっぱ 人生攻めだなっていうふうに
今 思ってますね。

それは すごく成長しますよ。
自分は もっともっと 上を目指したいと。

これは ポジティブになるんですよね。

もっと あれも学ぼう
これも学ぼうってする時に

もう26 27 28… 30の時には ドーンと
跳ねる 堀田さんが出てくるという。

頑張ります!
絶対に。

でも 高田さんも若い頃は
がむしゃらに働いたんじゃないのかと

思うんですけれども。
今も働いてるんです。

(笑い)
失礼しました 失礼しました。

でも 伺ったところによりますと 何か
1日で 1年分の売り上げをっていう

何か エピソードもあったとかというので。
ああ そんなのもありますよね。

ラジオ始まった時に…

ラジオショッピングで?
はい。 びっくり仰天ですよ。

ラジオで?
そんなことが起こるんです。

そのラジオショッピングに挑戦しようと
思ったのは 何でだったんですか?

それは たまたま僕 カメラ店
十何年 やってまして

宣伝に使ってたの ラジオを。
テレビのお金ないんですよ。

結構 安い価格で宣伝ができたんですよ。

1万9, 800円のカメラをしゃべったんです
長崎県内で。

そしたら 5分間で
50台の 100万円 売れたんですよ。

やりながら 手応えみたいなのは
あったんですか?

しゃべりながら。
はい。
もう こんな 来るんだと思って

私は 長崎で こんなだったら
全国に発信してみようと思って

全国に ずっと広げていったんですよ。

もともと
そういう攻める姿勢の性格なんですか?

いや~… もともとはシャイで
おとなしいんですけど。          え~!

これは 冗談で言ってらっしゃるのか
本当なのか どうなのか…。  分からない。

友人なんかは 何で 高田が
テレビに出るって おかしいなって

考えられないって
言われるぐらいですから。

でも やっぱり リーダーとなったら
会社を背負ってるし。

変わってくるんですよね 自分もね。
ええ。

まあ慶喜もね みんなが一つになるまで
待っていたのかもしれませんけれども。

彼はね
やっぱり 待たざるをえないんですよ。

なぜか 言いましたらね…

それから 大奥女性に嫌われて
幕臣の支持が全くないんですよ。

あの当時の中で
やっぱり 自分なりに責任感。

この国を 何とかしないといけない

朝廷と幕府を
何とかしないといけないという

そういう使命感はあったと思いますね。
使命感 強かったと思いますよね。

高田さんも どうでしょう。

社員を 一つにまとめるために待つ
といいますか そういったご経験。

やった経験はありますね 大きいことが。

テレビが ものすごく売れてる
デジタルに変わる時に

1, 759億というところまで行ったんですよ。

そのあと 「多分 1年2年は
売り上げが下がるな」と思ったら

案の定 下がったんですけど
その下がり方が もう すごいんですよ。

なんと 600億 下がったんです。

大変じゃないですか。

でも社員も もう1, 000人ぐらいいたら
社員にも活気を与えたいと思って

「最高利益の136億のピークを
超えましょう」と。

「超えなければ 私が社長を引退する」って
宣言したんです。    うわ~ 思い切った。

そしたら もう周りの社員も
一生懸命 動いて

見事にですね
154億まで上がったんですよ。
はあはあ。

そういう ちょっと 私の中では
奇跡みたいなことが起こって

社長は辞めずにすみました。
はあ~!

まあ そういうこともありましたよね。

売り上げが下がってる時に
そういった思い切った行動をして

反対の声はなかったんですか?
いや それは 「何で そんなことまで

言うんですか 社長を辞めるまで」って
言われたんですけど

でも トップに立つということは
これ 関連するか分かりませんけど

覚悟が要ります。 決断する。
で よく言われました。

「あの時に いかなかったら
社長 どうしてましたか?」って。

それは シンプルに
「辞めればよかったんでしょ」って。

「辞めてますよ」って。
あとは また人材いるわけですから。

そういう決断をしていくっていうのは

トップの
一番やらなきゃいけないことですからね。

それがまあ リーダーの
一つの大きな条件かもしれませんね。

どうですかね? 堀田さん。

例えば 現場で 自分の役割に
目覚めるような瞬間とかって。

雑誌の現場で 後輩ができてきた時に
私が周りの士気を高めるというか

ちょっと 何でしょう
おねえさんになってきたから

駄目なところは駄目って言って
いいところは褒めるっていう

役割をしなきゃいけないんだなって
つい最近 ほんと思ったところで。

今までは どの現場でも年下だったので

先輩に甘えてって きたんですけど

先輩になった瞬間に あっ このままじゃ
駄目だって すごい思って。 上を見たら。

自分だけじゃなくなるんですよね?
責任がね。        はい そうなんですよ。

そこで初めて 自分の役割みたいなのを
思った瞬間が最近あって

はっとさせられましたね。
ガンガン やったらいいですよ。

もう失敗はね
僕 一回もないんですよ 人生で。

やって 一生懸命やったことは
結果じゃなくて 失敗にならないですよ。

自分が成長しますから。

やるぞと思って やらなかったことは
後で もう後悔しますでしょ?

だから やった方がいいですよ もう。

さあ 続いての知恵を見ていきたいと
思うんですけれども

じらすに じらした
幕末のリーダー 慶喜なんですが

ただ じらすだけではなかった
ということなんですよね 先生。    はい。

慶喜が 将軍の後見職として
政治を動かしていた時期。

幕府は 「公武合体」で
国難を乗り切ろうとしました。

両者が力を合わせ これからの日本の
かじ取りをしていこうという体制です。

その象徴が 将軍 徳川家茂と

孝明天皇の妹 和宮の結婚でした。

しかし 公武合体は 最初から波乱含み。

幕府は開国し 外国との貿易を
進めていく立場。

一方の朝廷は
外国人を追い出して

二度と関わらない
攘夷という考え。

当時の幕府の権威は
ボロボロな状態で

何が何でも 朝廷の力に
すがるしかなかったのです。

これが悲劇のもと。

開港している 長崎・函館・横浜を
全部 閉鎖してほしいの。

聡明な慶喜は もちろん

外国を打ち払う攘夷は
ばかげていると思っています。

今 5か国に
「港を閉鎖する」などと伝えれば…。

(砲撃音)

江戸に 砲弾の雨が降るでしょう。

では 朝廷に「港の閉鎖はできない」と

伝えたら どうなるか。

公武合体は
崩壊し

幕府への攻撃は また激化。

内乱に発展すれば
外国の介入を招く おそれもあります。

朝廷と外国。

双方を納得させるには
どうすればよいか…。

ここで 慶喜は考えます!

開国と攘夷を両立させる。

不条理な難問の解決を迫られた慶喜。

たどりついた結論は

「横浜港だけを閉鎖する」という
折衷案でした。

これなら 朝廷も外国勢も
説得できるかもしれない。

まず 横浜閉鎖案を
ある会議に かけました。

文久3年 孝明天皇の意向により
重要な政策は

慶喜と 有力な大名たちによる合議制で
検討されることになっていました。

参加者は 旧知の仲。

慶喜を将軍候補に推薦するなど
長年 後押しをしてきた大名でした。

うむ… 勝てるわけがない。

しかし 今回は
全員が慶喜の案に異を唱えます。

「やめろ」というのが 多数派。

慶喜も 内心では
そう思っているのですが

「公武合体」を なんとしても
守らなければならない立場。

心を鬼にして…。

やおら 立ち上がって…。

うぬら 天下の…

なんと 慶喜…

横浜港は現状のまま 閉鎖はしない
という流れを断ち切ろうとします。

仲間と思っていた慶喜からの罵詈雑言。

薩摩の島津久光は
慶喜の豹変ぶりに激怒し

早々に
国に帰ってしまいました。

他の大名たちも続きます。

会議から 反対派を一掃した慶喜。

「横浜港を閉鎖する」と孝明天皇に伝え
公武合体を守り抜きました。

しかし その代償は高く

長年 自分を支持してくれた
大名たちとの間に

深い溝を作ってしまったのです。

一難去って また一難。

慶応元年。 4か国の艦隊が
こつ然と兵庫沖に現れました。

要求は 「兵庫港を開港しろ!」。

安政5年の修好通商条約で
兵庫を開港することになっていたのです。

しかし 京都に近い兵庫に

外国人が上陸するなんてと 朝廷が拒否。

公武合体を守るため
幕府は 朝廷の意思を尊重。

のらりくらりと
開港を延期していたのですが

しびれを切らした外国が
実力行使に打って出てきたわけです。

幕府の老中たちは動転して 「幕府の一存で
兵庫を開港しよう」と言いだします。

慶喜は この老中たちを
解任します。

朝廷を怒らせ
公武合体が白紙になれば

また 尊皇攘夷の嵐が
吹き荒れ

暗殺が横行するように
なってしまいます。

その上で…。

慶喜は 今度も自分の本心と
態度を使い分ける

「2つの顔」で
交渉に臨みます。

孝明天皇には 「兵庫の
開港はさせない」と

安心させ
公武合体を守る。

諸外国には どうするか。

慶喜は 修好通商条約を
取り引きに使おうと考えました。

7年前
幕府が 朝廷に無断で締結した条約は

いまだに 天皇の「勅許」を
もらえていません。

諸外国は 朝廷が
幕府より 上の権威だと見ており

勅許に こだわっていました。

条約勅許と引き換えに
兵庫開港を延期させる。

それが
慶喜の もくろみでした。

しかし 朝廷にとって
条約に 勅許を与えることは

外国勢への大きな譲歩。

すんなりとは いきません。

慶喜は 何時間も説得を続けました。

朝廷も なかなか折れません。

行き詰まった慶喜は 一芝居打ちます。

夜が更けたため
疲れて退出しようとする公家を…。

この一大事に退席などとは 何事だ!

「国家の一大事に退席するとは何事か」と
どやしつけます。

更に…。

「だが そうなれば 控えている家臣たちが
何をしでかすか分からない」と

脅したのです。

ああ… 分かった 分かった。

公家たちは 慶喜の恐ろしい剣幕に
けおされて

ついに勅許が下りました。

勅許という成果に 諸外国は満足し
兵庫開港も なくなりました。

2つの顔を使い分ける交渉術で
朝廷と外国 双方の信用を得た慶喜。

その成果を手土産に このあと
将軍へと上り詰めていくのです。

という事なんですね。
どうですか? 堀田さん。

突然 大きな声を上げて
みんなを黙らせてしまったりとか。

でも たまにいますよね。
あ 思ってた人と全然違ったっていう人。

何か 従わざるをえないというか

「はい」って 何か言っちゃいますよね
びっくりしすぎて。

そういう効果を
狙ったのかもしれませんよね 慶喜もね。

ちょっと びっくりしちゃいますよね。
この人を信頼して 大丈夫なのかと。

ちょっと 今までの信頼も

揺らいでしまうんじゃないかと思うぐらい
何か 引いちゃうというか。

私ね 前からね
お聞きしたいと思ってたのはね

ものすごく テンション
高いじゃないですか あのテレビね。

でも ふだんの声
全然ね そうじゃないじゃないですか。

あれは やっぱり
意図的なものがあるんですか?

それとも 自然なんですか?

いやいや 伝えたいって思う時には
声が ぼそぼそ言っても

絶対 伝わりませんから
演出じゃなくて 自然に出てる言葉。

あ 出てくるんですか?

だから慶喜も
よく 怒ったシーンとかありますよね。

その時には 公家が集まった時でも

ドーンといって
びっくりするというのは

あの時の想像ができるんですよ
本を読んでても。

うわっ 相当 テンション高く
おっしゃったんだろうなっていう。

やっぱり表現 伝えるって
そういうことかもしれませんね。

それを 何と言うんですかね 努力してね
身につけたというんじゃなくて…

その才能があったんでしょうね。

ちょっと高田さんと 何か通じるところが
あるかもしれないですよね。

伝えることが うまいっていうのが。

そうですね
やっぱり 問題解決って難しいのは

やっぱ 全く違った考えの人が
そこにいる時に

それをどのようにして収めるかというのは
よく「三方良し」ってありますよね。

例えば メーカーさんと商談します。

メーカーさんの やっぱコスト 我々の
コストというのは 常に商談なんです。

その時に これでは もうちょっと…
もう駄目ですって

双方が言い合った時には その折衷案を
やっぱり求めていくんですよね。

そういうのと
僕 同じじゃないかと思います。

慶喜はね
結構 うまい やり方してたんですよ。

というのはね もう条約勅許って
これはもう 大変な問題なんですよね。

孝明天皇が
結局 条約を認めなかったためにね

はっきり言ったら 幕末の争乱って
全部 そこに もとがあるわけですよ。

孝明天皇が 幕府の求めた条約に
すんなりと OK 出してたら

幕末の ああいう政治闘争っていうのは
まず起こらなかったと思いますね。

それを ようやく慶喜が強引にね

恫喝なんかをして
認めさせるわけですよね。

でも 勅許を出すというのと…
すごいなと思うのは

外国に対して 神戸港の開港を
延期させるというものを

そこに入れたことっていう その
解決のしかたが できないな 僕は絶対に。

どうですか? できますか?

そういう判断が そこに入れてくるという
その折衷案を両方納得して

最高のものに作り上げるという
そこが すごいなという。

孝明天皇の顔を立てたんですよ。

やっぱ その辺がね
ここは 譲らないけないとかね。

そういう あの流れでは
しかたなかったんでしょうけどね。

その辺も うまいといえば うまいし

それから柔らかい
柔軟だといえば 柔軟でしょうね。

リアリストと言うんでしょうかね。

賢いんですよ。

すごい つかめないというか。

だけど こう う~ん…
何か すごい つかめないなと思いました。

恐らく慶喜はね その重圧感の中でね
もがき苦しんだと思いますね。

だけど 彼は ほんとクレバーだから
どっかで冷めた面があって。

でも 人間ってね
いいところ 悪いところって

みんな 備えてるわけですよ。
100% いい人ばかりじゃないんで。

でも その中で正しいことをやってる
すてきなものが

あるいは 例えば タレントさんでも
いらっしゃるじゃないですか。

あの人 毒舌だよね
でも 何か好きなんだよねとか。

全然 しゃべらないけど
魅力あるんだよねとか

そういう部分の…

今の姿じゃないかなって。

100年たってね 歴史の評価が変わってくる
人物って やっぱ いると思うんですよ。

すぐにね 評価が決まる人間と

100年 200年たってからね
評価が変わってくる。

慶喜というのは
そういう 後者の方かもしれませんね。

いい面も悪い面も含めてね。
なるほどね。

どうでしょう 高田さんの考える
リーダーというのはですね

どういう存在だと思いますかね?

その時に
どんな世界でも 僕は思うんですけども

医療の世界でも 政治の世界でも
全て 学問の世界でも…

もう 教授のところは
学生さんが いらっしゃるし

お医者さんは 患者さんがいるし
我々には消費者がいる。

その人たちの幸せのために
何を貢献してるかっていう

そこの一点じゃないかと思いますね。

いや~ そう聞くと この店の経営
どうしようかなって悩んじゃいますよね。

ちょっと 食べ物のメニューは
少し増やして。

ちょっと少ないですかね? そうか~…。
お通ししか 出てきてないですからね。

どうしよう 私も
2つの顔を持ったりした方がいいのかな。

実は 次回のテーマに これ
つながるところでもあるんですけれども。

何でしょう。
気になってきちゃいましたよ。

そうですか?
はい。

じゃあ 次回もご来店お待ちしております。
楽しみです。


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