英雄たちの選択「右大臣吉備真備 左遷からカムバックした男」 倉本一宏、江上剛、里中満智子、磯田道史、杉浦友紀…



出典:『英雄たちの選択「右大臣吉備真備 左遷からカムバックした男」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「右大臣吉備真備 左遷からカムバックした男」[字]


奈良時代、度重なる左遷にめげず、しまいには、右大臣まで出世した人物がいる。吉備真備(きびのまきび)である。波乱万丈の真備の人生の秘密をたどる。


詳細情報

番組内容

今年、西日本豪雨で被害を受けた岡山県の「真備町」。ここが、吉備真備ゆかりの地である。真備は、20年近く唐に渡った学者としてスタートし、帰国後、歴代の天皇に仕えた。ところが、真備の前に立ちはだかったのが、藤原一族の俊才・藤原仲麻呂である。仲麻呂は、真備を九州の筑前そして肥前へと左遷を命ずる。真備は、いったい、なぜ度重なる左遷にめげず、右大臣に上り詰めることができたのか?その真相に迫る。

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】倉本一宏,江上剛,里中満智子,【語り】松重豊




『英雄たちの選択「右大臣吉備真備 左遷からカムバックした男」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

英雄たちの選択「右大臣吉備真備 左遷からカムバックした男」
  1. 真備
  2. 仲麻呂
  3. 吉備真備
  4. 仕事
  5. 自分
  6. 中国
  7. 活躍
  8. 天皇
  9. 当時
  10. 本当


『英雄たちの選択「右大臣吉備真備 左遷からカムバックした男」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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いつの世も
人生 何が起こるか分からない。

「地方や閑職に飛ばされ
もう帰ってこられない」。

現代でもそんなイメージがある この言葉。

しかし 今から1, 300年前。

相次ぐ 左遷の目に遭いながら
逆境に耐え カムバックした英雄がいた。

その名は…

ひいては…

奈良時代 2度 唐に渡り

日本に
もたらしたとされるものは 数知れず。

学者ながら
70代まで朝廷に仕え

右大臣にまで 大出世。

そんな吉備真備とは
どんな人物だったのか?

今年7月
西日本豪雨で被害を受けた この地に

吉備真備の原点はあった。

さらに 真備町から日本各地に散らばる
吉備真備 活躍の痕跡とは?

各界の第一人者たちが

吉備真備の生涯を徹底分析。

現代に生きる すべての社会人へ送る。

奈良時代の
大カムバック劇の真実を探る!

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

そのとき 彼らは何を考え 何に悩んで
一つの選択をしたのでしょうか?

今回 取り上げるのは こちらの人物です。

奈良時代 20年近く
唐に渡った学者です。

そして
その経験を生かし

ご覧の5代の天皇にブレーンとして仕え

最終的に
右大臣にまでなった人物なんです。

異例の大出世を遂げるんですが
実は苦難の連続で

何度も都から遠ざけられるという
人生だったんです。

そして そのルーツが

今年 西日本豪雨で被害に見舞われた…

岡山県出身の磯田さん。
はい そうです。

今回は 磯田さんが
「絶対にやりたい」と言った

企画だと聞いています。
そうです。

これは もう「僕が司会をやっている以上は
やってくれ」って言って

一生懸命 言ったんです。 あそこの真備町。
はい。

あれ 水害の町として 今回
紹介されることが多かったんですけど

悔しかったんですよ。
あそこね すごい英雄が出てるんですよ

吉備真備という。

なので 町名に
漢字が採られているわけですけど。

英雄ルーツの町。 しかも 古代 吉備の

非常に歴史ゆかりの深い町なので
これ 知ってもらいたいので。

それで 吉備真備というのは
80まで生きてて

しかも 健康寿命で
現役バリバリで働くわけですね

そのぐらいになっても。
だから 朝廷に70を過ぎても

頭脳がね
衰えることなくて 尽くしていたと。

もう超人と言っていいと。
超人。

この高齢化社会の中で
ぜひ ちょっと取り上げてみたい

人物だったんですね。
うん。

早速 吉備真備を見ていくんですけれど
今回は ルーツの真備町も取材しました。

そこには真備の後の活躍につながるものが
残されていたんです。

古代より現代に至るまで
世界有数の大都市である。

その中心部にある 一基の石碑。

奈良時代 唐に渡り 活躍した
吉備真備の功績を

今の中国に伝えているのだ。

古代 中国は世界最先端の国。

日本は
中国にならった国造りを目指し

優秀な人々を
遣唐使として送り込んだ。

真備が旅立った
第8回遣唐使には

帰国後 真備と共に活躍する玄

唐で高官にとりたてられた
阿倍仲麻呂と

多くのエリートが集っていた。

中でも 留学生として選ばれた真備は

唐で多くを学び その秀才ぶりは
目をみはるものがあったという。

記録にもある。

真備の中国での活躍ぶりを表現した…

その長さは なんと…

真備の才人ぶりを示す
さまざまなエピソードが紹介されている。

その中の第六段目には
こんな伝説が描かれている。

ある日 真備は
唐の囲碁名人と対局をすることになった。

真備は囲碁の経験が少なく
勝てるはずがなかった。

すると…。

なんと真備は ひそかに
相手の碁石をひとつ飲み込んだ。

その結果 真備は勝利する。

しかし 名人は疑った。

「私が こんな初心者に
負けるはずがない。

そうか! こいつは きっと
ずるをしたに違いない。

ならば どんな手を使ってでも
こいつの悪事を暴いてやろう!」。

真備は服をすべて脱がされ

下剤まで飲まされ

碁石を隠していないか

調べられてしまうが

結局 出てこなかった。

真備は超能力を駆使し

碁石を体内に
とどめてしまったとか。

まさに 常識を超越した鬼才ぶり。

しかし これは吉備真備という人物を語る
一端にすぎない。

真備の唐滞在は およそ20年に及び
天平7年 帰国。

まもなく 朝廷に出仕して
唐から持ち帰ったものを献上した。

多岐にわたっている。

中でも興味深いのは
当時 中国で使われていた

最先端の
弓や矢などの武器。

これらの武器は その後の
日本の戦いのありようを変えたと

日中軍事史を研究する
来村多加史さんは言う。

主に 弓。 しかも かなり…

唐から帰国後 およそ40年。

真備は 日本の国造りに
大きく貢献していくことになる。

そんな吉備真備とは
一体 どんな人物だったのだろうか?

そのルーツは…

今年 西日本豪雨で大きな被害を受け

現在も復旧作業が続く この地にあった。

町の中心部に位置する…

真備の祖先 下道氏の一族が
葬られたとされる古墳だ。

じゃあ 中へ入ってみます。

倉敷市の学芸員 藤原憲芳さんに
その内部を案内していただいた。

はい どうぞ。

ここは 古墳の…

箭田大塚古墳は 真備の祖先の
実力の程を示しているという。

(藤原)この箭田大塚古墳は…

真備の元の名は…

その祖先は 現在の真備町一帯の
下道郡の豪族であり

交通の要衝である ここに
古墳を築いて

多くの人に力を見せつけたのだ。

さらに 真備町の隣町 矢掛町では

近年 真備のルーツに深くつながる
史料が見つかり 注目を集めた。

矢掛町にある
寺の地下から見つかったもの。

その人骨を調査した
矢掛町の学芸員 西野 望さんは

ある特徴に気付いた。

やっぱり この… 骨の断片なんかが

ちょっと黒くなっている所ですとか

ちょっと この骨なんかも 少し
灰色がかってると思うんですけれども

そういう意味で…

火葬されたとみられる真備の祖母の骨。

それは
火葬の文化が大陸から日本に伝わって

僅か10年ほどのことだったという。

恐らく…

真備は生まれながらにして

外国との深いつながりを
背景に持っていたのだ。

天平7年に 唐から帰国した真備は 時の…

さらに 後に孝謙天皇となる

阿倍内親王の教育係に選ばれるなど
重用された。

真備は 橘 諸兄 玄と共に

積極的に朝廷政治に参画していく。

当時の朝廷にとって
真備は待望の人材だったと

奈良時代の歴史を研究する
渡辺晃宏さんは言う。

行っても 帰ってこれない人
いっぱい いますのでね。

唐での経験をもとに
国に尽くす使命感に燃えていた 真備。

しかし 事は順風満帆には進まなかった。

藤原不比等の孫 広嗣が
真備に牙を向けたのだ。

異例の出世を遂げた真備を妬み
こんな言葉を吐いたと伝えられる。

そして ついに
広嗣は朝廷へ反旗を翻し 挙兵。

だが 僅か2か月で鎮圧され
処刑された。

これが 真備が最初に直面した
乱だったという。

「田舎者」とまで評された
真備。

後に ある決意を固めた。

それまでの名 「下道真備」を改め

「吉備真備」と名乗ったのだ。

「吉備」という氏は
瀬戸内海周囲の巨大勢力であった

この地域の名をもとにしたものだった。

氏を変えた真備は
引き続き朝廷に尽くす覚悟を固めた。

そこに立ちはだかったのが…

後に真備を 大いに苦しめる相手だった。

こうして 真備の新たな試練が
始まることになる。

磯田さん 武器や暦など
多くのものをもたらした 吉備真備。

長い歴史の中では どういう存在だったと
考えればいいんでしょう?

地元では…

ひと言で言うと…

テクノクラート?
はい。 要するに便利なんですよ。

最新技術を持って 来るわけですから。

やっぱり 唐まで行ってね
20年も暮らして帰ってくると。

まず帰ってきたら「礼記」と「漢書」という

儀式の在り方と書物を教える
天皇の先生になったわけですね。

古代史が ご専門の倉本さん。

真備の存在って どういったものだと
考えればいいんでしょう?

そうですね 律令制というのが

スタートしまして
実際の運用が始まったわけですが。

実際に 国家を
運用していく際に

どういうものが
必要なのか。

当時 唐は世界随一の帝国ですから。
ええ。

しかも 遣唐使についた学生として行くと
日本国からのお金も使えるし

唐からも大量に下賜金がありましてですね
それを使えるんです。

普通の凡俗だったら
大変な大都会ですから

遊ぼうとか思うのが
普通の人間だと思うんですけど

彼は たぶん…

彼は文学には
ほとんど興味を示さずに…

それほどですか。
ええ。

里中さんは この時代のマンガを
多く描いていらっしゃいますけれど。

いろんな登場人物がある中でも 真備って
どういう存在だと考えていますか?

ひと言で言うとね すごく真面目な生涯
っていう感じがするんですよ。

本当に真面目に仕事をこなして。

ただね 何度も遣唐使として
行ってるんですが…

かなりの方が 船が難破したり
漂流したりして 亡くなってますから。

あれ 確か2回 行くわけでしょう?
ええ。

それなら 4回全部 難破せずに
帰ってくるんですから すごい強運ですよ。

強運だけじゃなくて ひょっとしたら

何か 漕ぎ手をうまく工夫したり
天候を読んだりとか

何らかの… 彼自身が
工夫していたかもしれない。

それはね あるかもしれないですね。

彼は かなり地位が低いので
いい船じゃないんですよ。

ねえ そうですよね。
4隻で行くんですが

第3船なんです 彼はね。 だから…

やっぱし 何か妖術 使えたんですかね?
(倉本)いや 妖術というかね

天気を読むとかですよ
そういうことだと思うんですよ。

知恵があったのかもしれませんね。

江上さんは 企業小説を
多く書いていらっしゃいますけれど

これから真備の生涯を
見ていくわけですけれど。

私は この吉備真備ね こんなにね

身近に感じること
ないですね。

銀行員として
長く勤めたりした
人間にとってね。

最近 いろんな官僚の不祥事が起きたり
企業の不祥事が起きたりするのも

やっぱり こう 人に仕え過ぎてね
自分の判断基準が そのつど揺れるから

やっぱり 自分の…

組織に
生きる人にとって非常に身近な…。

奈良時代がもう… 本当 迫るような感じが
するんじゃないかと思いますよ。

ヒントがありそうですよね。
ええ。 そんな人だと思います。

VTRで 真備のルーツが
倉敷市の真備町にあったということをね

お伝えしましたけれど。
磯田さん このルーツが 後の活躍に

どんな影響があったと考えますか?
あったでしょうね。

真備 ひと言で言うと…

先祖の墓を見ると
天皇のお墓に準ずるぐらいな

350メーター規模の巨大古墳とかが
ずらっと並んでるんですよ。

しかも その吉備王国っていう…
天皇のきさきは吉備から大抵は来ていて。

位に就くことは 必ずしもないけれども

天皇の子どもは 吉備の孫なんです。
一人はいると。

ところが
今 自分の現状はといったら

衛士の正位ですから

要するに 兵士の
ちょっと毛が生えたようなもんですよ

お父さんの仕事は。
はい。

「何で こんな門番に
毛の生えたような仕事を

やってるんだろう」というのがあるから

「世間 どうせ こんなもんだ」っていう

「宮仕えなんて こんなもんだ」というのが
あったんじゃないかなと。

おばあさんの遺骨って
ありましたけれども

おばあさんも 結構
長生きのはずなんですよ。

真備が ある程度 青年に
近くなったころですかね

お亡くなりになったっていう
記録があって。

っていうと まあ
健康な家系だったかもしれない。

ああ~ なるほど。

そう思いますね。
だから いろいろ処置を施したとしても

火葬された骨って
こんなに長い間 年月たつと

もっと粉々みたいに
なっちゃうんですよね。

でも 結構 残ってましたよね
形が。

だから 基本 骨が丈夫。

別に健康番組じゃないですけれど…。

人間は やっぱり 骨でね。
骨が丈夫だと やっぱり違うっていう。

あのおばあさんの…
祖母といわれる方の骨を見て

真備の健康はね やっぱり この家の

何か 骨密度にあるのかなとか
思いましたね。

真備ね 子どもに教えを
垂れてるんですけど

それの目録が
残ってるんですよ。

「医方を知れ」って…
「医学を知れ」っていう

項目を立ててるから だから

相当な医療知識があるんですよ
この家系は。

へえ~ 面白い。

倉本さんは どのように このルーツと
照らし合わせると 考えますか?

当時はですね…

しかも 当時
律令制がスタートすると すぐ…

そうやって 彼は
生き残っていったんだろうと思います。

ということで 真備は
名前を「吉備真備」として

決意を新たにするわけですけれど

このあと 苦難に遭い
決断を迫られることになるんです。

天平12年 朝廷に激震が走った。

真備が長らく仕えた…

聖武天皇は 混乱が続くこの都では
政治が続けられないと判断し

新天地を求める旅に出たのだ。

その結果 平城京は
5年間 天皇不在の状態が続く。

そこに登場するのが
光明皇后の甥でもあった…

仲麻呂は この機会をとらえ
実権を握ろうとする。

真備と同じく朝廷のブレーンでもある

玄が 突然 大宰府に左遷された。

まもなく大宰府で玄は

藤原広嗣の残党とおぼしき者により
命を落とした。

盟友の死。

「次は自分が標的にされる」と
真備は恐れた。

しかし 状況は目まぐるしく変わる。

代わって 真備が教育係をしていた…

後ろ盾を得た真備は

「これで みずからの立場が
脅かされることはない」。

そう期待した。

その やさき…。

都から筑前国への突然の左遷だった。

さらに…。

筑前のあと…

1年間で 2度の左遷だった。

しかし 真備は めげなかった。

ここで死んだ藤原広嗣の怨霊を
鎮める儀式を行い

結果 地元の人々の心をつかむ。

だが 立て続けに次なる任務が。

まもなく 真備は遣唐副使に任命され

58歳にして
荒波の中 再び唐へ行くことになった。

ここでも 真備は成果を上げた。

唐の高僧であった鑑真と対面。

結果 来日に こぎ着け

仏教の戒律を
日本中に広めることに成功したのだ。

仲麻呂の相次ぐ左遷命令に屈せず
次々に成果を上げた真備。

これで 都に戻れるはずだった。

しかし

仲麻呂は そんな真備を 都へは戻さず

唐から大宰府へ送った。

大宰府は 日本と関係が悪化していた
新羅に近い。

つまり これは
真備が防衛計画の責任者に就くことを

意味していた。

仲麻呂の相次ぐ左遷命令は
4年で4度にも及んだ。

この真備の左遷には

仲麻呂の どんな思惑が
込められていたのだろうか?

真備との対比で言うと…

吉備真備 60歳の新たな試練。

その脳内に分け入ってみよう。

私は一生懸命 務めを果たしてきたのに

一体 こんな老体で
何度 左遷されなければならないのだ?

恐らく 仲麻呂の天下は
これからも続くであろう。

ならば 私が もう すべきことはない。

役目を果たしたのだから
もう おとなしく引退しよう。

いや 待て。
今回の命令は 新羅に対する防衛。

ならば まだ
自分の活躍する余地はあるのでは?

今こそ 唐での経験をすべて生かして

この任務に応えるべきではないか?

そうすれば ゆくゆくは胸を張って
都に戻れるかもしれない。

私は与えられた役割を全うしよう。

吉備真備は選択に迫られていた。

改めて その真備の動きを
整理してみましょう。

まず 真備は 都から筑前国

現在の福岡県の辺りに行くよう
命じられます。

そして 同じ年には

現在の佐賀県と長崎県の一部

肥前国へ命じられます。

それだけではなく

唐に遣唐副使として送られ

鑑真を日本に連れてきました。

これで ようやく都に戻れると思いきや

結局 都ではなく
大宰府に行くことになってしまった。

こういう動きを命じられたわけですね。

かなり短期間で
あちらこちらへという感じですけれど。

まあね。 でも もともと
中央で活躍できるとは

思ってないでしょうけど。

真備 すらすら中国語もしゃべれるし
漢文も読めるし。

だから仲麻呂も こんな人がいたんじゃ
煙たいし たまったもんじゃないので。

江上さん この短期間で
真備があちらこちらに動いていること

率直に どういうふうに思いましたか?

会社に勤める人にとってですね
というふうな立場で言うと…

仲麻呂も その立場としたら
あまりにも有能で かつ静かに…

藤原広嗣の霊を慰めたりするということを
真備がやりますよね。

そこで彼が そういうふうに
地元の人たちに溶け込むような きっと…

一番 汚れ仕事をやったと
思うんですよね。

これはね 僕は もう本当に 実例もあって。

私の ある先輩はですね…

でも 銀行員ですから

財務とか そういうところに
ポストとしては いるわけですね。

彼がやったのは…
そういう仕事があったんですって。

銀行マンがですか?
そうそう 銀行マン。

ここは もう覚悟を決めてですね…

炎にあたりながら 汗だくだくで。

それを ずっと「何やってるんだ?」と
みんなは見てるんですね。

それを やり続けたわけですよ。

それで人生が変わって
再建をできる人間ということで

そういう人生を
歩むようになるんですけど。

「人財力」ですよね。
何か そういう言葉があるようですけど。

そういうつもりで
覚悟を決めて生きたって言ってましたね。

だから この真備の生き方って
一つ一つがね

現代のサラリーマンというかね
それに ぴったり ぴったりきますよね。

そうですね。
うん そんな気 します。

仲麻呂の人生ね
ほかの部分もいっぱいありますけど

見てみますと やっぱり…

しかもね 忘れちゃいけないのは…

(里中)そういうふうに
やりたかったと思うんです。

仲麻呂っていうのは 藤原氏でも
一番 頭が良かったっていわれているので。

それなりに やっぱり実力はあったんです。

ところが はっと見ると…

「一体 あいつは 何が楽しくって
頑張るんだ? 気持ちが悪い」。

この仲麻呂みたいに エリートでね

ひょっとしたら偉く…
社長になるかもしれないと思う人には

やっぱり ごまをすったりとか
いろいろ ついて

自然と派閥も きっと出来たけども
やっぱり真備は そういったところとは

ちょっと
距離を置いてたんでしょうかね?

そうですね 想像ですけどね

やっぱり 学者だと
本人も自分のことを思っていたし。

重要なのが やっぱり…

都にいられるとね。
(里中)ちょっと目障りですよね。

そういう意味で 地方にやって
それなりに国費もかけて

勉強してきたんだから 役に立てよ おい!
という感じで

やらせたんじゃないかな
と思いますけどね。

都にね 真備を置いておいて
仲麻呂と天皇の仲が悪くなったときに…

怖いでしょうね たぶんね。
確かに。

皆さんから
いろんな話 出ましたけれど

選択にまいりましょう。

真備は 仲麻呂から 大宰府に
防衛の責任者として赴任するよう

命令され 選択に迫られます。

もし 皆さんが真備の立場だったら
どちらを選択するでしょうか?

まず 里中さん。

はい。 私だったら…

仕事ってね 望む仕事ばっかり
くるわけじゃないんですよ。

まっとうな人間って
どんな仕事でも 一生懸命やるんですよ。

新しい仕事 難しい仕事

自分に向いてないな
と思われる仕事でも むしろ…

仕事って やってみなきゃ
分からないんですよ。

狭い知識とか体験の中で

自分は これがやりたいっていうよりも…

それによって 新しい喜びとか

「あっ もしかしたら自分は
これ 向いていたのかもしれない

気が付かなかったけど」ってことは
いっぱいあると思うんですよね。

では 江上さんは
どちらを選択されますか?

私はね…

これは ぜひとも
引退してもらいたい

というふうに思います。

というのは なぜでしょう?

会社に勤めるとか
官僚も含めて 思うと

私は 今の組織に生きてる人たちは

「会社以外の人生はないよ」
みたいなですね

「そこで仕事を果たさなければ
君は本当に駄目な人間だ」と

こんなふうに
思い込まされている面が強いので…

真備には引退してもらいたい。

そう思いました。

さあ 倉本さんは
どちらを選択されますか?

これは大宰府に行くしかありません。

律令官人というのは
天皇の命令で行くわけですから

それに反するっていうことは

勅命に逆らうことですから
これは ありえないですね。

しかも VTRでは「左遷 左遷」と
言ってましたけど

私は 逆の考え方をしてまして…

当時 仲麻呂が… 新羅とですね
戦争を起こそうとしていたわけですね。

その間に…

そうすると そこの防衛を
まず やってくれということで。

それほどの人格と技術だと
思うんですよね。

質問ですけど
その当時 大宰府に送られるというのは

例えば その新羅との関係からすると

かなり緊迫度の高い
任務だったんですかね?

それは ある程度 そうでしょうね。
一触即発というのか…。

しかも真備に対して「こういうことをやれ」
っていうのも やってますし。

真備のほうから「こうやってください」
っていうのも上申してますから…

しっかり適材適所で
中国関係の外交だとか 防衛だとか。

じゃあ そんなに
中国のいい技術を持ってるなら

使ってくれよっていうことで。

実地で中国から持ってきた技術
使えますよね これね。

それは楽しいのかもしれませんよね。
なるほど。

ただし 普通の貴族から見れば

例えば 今で言うと…

本店に いたい人も
いっぱいいるわけですから。

そういう人も いたかもしれませんが。

それは分かるな~。
絶対 出てくるんですよ。

絶対やってみたいな。
特に軍学を学んだ人って…。

大村益次郎が
一番そうなんですけれども。

本当に やったらどうなるのかってね
試してみたいと思うんですよね。

建物も建ててみたいし。

一番 その…

城とか
いろいろ造るわけですね 新しい…。

では 真備の選択を見ていきましょう。

大宰府左遷の命令を受けた真備は
決断した。

真備の朝廷への要望として
それは記されている。

真備は 大宰府で

対新羅の防衛責任者という職を
全うする道を選んだのだ。

そして 防御のための城を
ここに築くことにした。

現在の…

真備は
ここにある標高416メートルの高祖山に

「怡土城」という山城を造ることにした。

糸島市の学芸員 瓜生秀文さんは

真備が怡土城に仕掛けた
独特の工夫を発見したという。

まず 山城の入り口を案内してもらった。

ここがですね…

城の入り口にあたる ここは
一見 石で覆われた壁のように見えるが

これは 怡土城が築かれた
当時のものと思われる

土塁の基礎工事部分だという。

瓜生さんは ここで あることに気付いた。

ところが ここは もう…

この硬い土塁を
佐賀大学に分析してもらったところ

中から検出されたのは
にがりの成分だった。

土に混ぜると セメントのように硬くなり
凝固剤の役割を果たすのだ。

真備は そのとき出来る にがりを
利用したと考えられている。

では 具体的に
真備が土塁に にがりを

どのように活用したのか
見てみよう。

外側の部分は
敵からの攻撃に備えるため

より強固に
しなければならない。

そのため 砂と粘土を

交互に積み上げる方法が
とられていた。

真備は効率的に にがりを使って

硬い土塁を作ろうとしたようだ。

土塁を固めるのに
にがりを使ったのには

真備ならではの理由があると
瓜生さんは考える。

それを踏まえたうえで ここに…

真備の怡土城での仕事は
それだけに とどまらない。

緩やかな斜面となっている高祖山の山肌が
効果的に活用されているのだ。

それまで日本の山城は
主に頂上部に土塁を巡らせた…

一方 怡土城では
山の頂上から平野部にかけ

土塁を斜めに巡らせた。

これは当時 唐で主流の…

真備が斜面を利用したのには
新羅に対する独特の戦略があったという。

(瓜生)もし 山の頂上部やったら
下りてこな いかんでしょ。

でも ここは平野部につながってますから
城門を通じて。

開ければ 出撃できるという…

真備は 唐で学んだ築城法の多くを結集し
この怡土城を造り上げたのだ。

左遷にめげず 現地でベストを尽くす真備。

仲麻呂は ついに折れ
これで真備の左遷は終わった。

すると ここから状況は逆転。

今度は仲麻呂が苦境に立たされる。

仲麻呂の後ろ盾…

仲麻呂は求心力を一気に失い
対新羅への計画も中止になった。

すると 真備にチャンスが訪れる。

孝謙天皇が太上天皇となり

真備を大宰府から朝廷に呼び戻したのだ。

真備が復権し
立場を脅かされ始めた 仲麻呂。

そして ついに

仲麻呂は
朝廷に反旗を翻し

孝謙側と全面戦争に。

仲麻呂軍に対峙する。

戦いの
最初の山場は

琵琶湖南岸の
勢多橋だった。

真備は先回りし
ここを焼き払った。

まず 東に
進もうとした

仲麻呂の動きを
封じたのだ。

このとき 孝謙軍が使ったとされるのが

真備が唐から持ち帰ったものでもあった…

全長200メートルを超える
勢多橋の対岸から

きたる仲麻呂軍を攻撃するには
うってつけだった。

その後 逃げる仲麻呂軍を

孝謙軍は先回りして 追い詰めていく。

そして…。

琵琶湖の西岸 鬼江で
仲麻呂は斬られた。

真備と仲麻呂の因縁の対決は
こうして幕を下ろした。

ドンピシャの所に
軍勢を派遣している。

一方 仲麻呂の軍勢は まさしく右往左往

行ったり来たりでね。

彼の慌てぶりっていうのが

このルートを見ただけで
分かるかなっていうとこですね。

彼の場合は
すべてに通じてるといいますかね…

その後 真備は軍師としてだけでなく

行政官としても活躍し

計5代の天皇に仕えた。

吉備真備は
最終的に右大臣にまで上り詰め

81歳で大往生を遂げたのである。

最終的には 真備は5代の天皇に仕えて
右大臣にまで なりましたけれど

ちょっと年齢で
見ていきたいんですが。

結構な年ですよね?
当時に考えたら。       ねえ。

90とか 100とかの感覚じゃないですかね。
もう化け物ですよね。

70歳で 軍隊で
相手 制圧しちゃうわけですからね。

「東大寺が造りたいよ 真備を呼ぼう!」。

「仲麻呂が反乱 起きたよ
真備に鎮圧させよう!」。

…というやつですよね。
問題解決しちゃうわけですよ。

いや こうやって見ると
本当に知識だけではなくて

実務の能力も本当に高いし。

ですから 企業に勤めてる人も

参考にしてもらいたいと思うんですけど。

ただ ひと言 あえて言えばですよ

70 80にもなって その一番ね…

活躍するトップでね うん。
能力があるからいいんですよ。

だけど 現代の時代は
能力がないのに 70 80で

その地位に しがみつこうとする人が
多すぎて 若い人の活躍がないから

閉塞感があるといわれている日本に
なるわけでしょう。

新しいイノベーションが起きないと。

真備は そういうタイプじゃなかった
ということだけはね

ひと言 言っておきたいですね。
そうですね。

最先端のものが このおじいさんしか…
20年間 唐で暮らした彼しか…

私は まあ 勝手に
こう思っているんですが

「仲麻呂の乱」って
いわれていますけれども

本当はね…

それはね 真備の目から見ると

仲麻呂のやってることを
よくよく見ると

この平和な…

それは 何かっていうと 仲麻呂が
まだ 光明皇后がご存命のころにですね

いろいろ 国のね
役所の呼び名を変えたりするんですね。

「天皇」 「すめらみこと」っていうのを

「皇帝」に変えちゃうんですよ。

仲麻呂は「俺は頭がいい 天才だ。

もう 国を引っ張っている」。 だけど…

そこで 中国かぶれの彼は気が付いた。

中国を見てると 皇帝というのは
始皇帝から始まったわけですが…

何々王朝 何々王朝と代わりますよね。

怪しい話 怖い話になってきましたね。
怪しい… 怖いですね。

そうすると 皇帝だったら

天皇には なれないけれども…

だから 長い年月をかけて…

実力のある人って そう思いますよね。

でも 唐で… 長い間 唐の空気を
味わってきた吉備真備からすると

仲麻呂の考えている怪しい計画
想像かもしれないけれども

もし それが本当に そう思ってたら

これは危ないことだということで…

ああ~ 面白いですね その考えね。
でも それも自分のためじゃないですよ。

ちゃんと理屈に合った考えで
動いたんじゃないかなと思いますけどね。

里中さんが おっしゃったように

中国の歴史を
いっぱい知ってるわけですよ。

歴史書も いっぱい読んでるんですよ。
つまり…

(倉本)たぶん 真備さんから見たら…

(倉本)「こういうやつは
こういう末路を迎える」っていうのは

中国だと やたらといっぱいありますから
それが いつか起こるんだろうと。

それまで
自分は長生きしようということを

狙っていたんじゃないかなと
考えています。

ずっと見てくると
仲麻呂と真備と比べると…

光明皇后も利用したし
孝謙天皇も利用して。

本当に 実直に仕事をして。

だから この2人の人生を対比するとね

最終的に…

それが見えてくる気がするんです。

そういうふうな人であったから
誰からも信頼されるというか…

やっぱり 彼を見てて
やっぱり上手に…。

上手にというか
生き残った理由というのは

やっぱり 彼から出ていく…

野心のないオーラみたいなね

こういうのをね
やっぱり上手に出せる人。

だから そういう意味では
すばらしい生き方をした

英雄じゃないですかね。

天平宝字8年というのは 一つの…

ターニングポイントになりまして。

この年 彼は70歳になる。

当時は 正月に年を取りますから。

正月に「致仕」といって

一旦 引退届を出すわけですよね。

でも たぶん
彼が引退を表明したことによって

やっぱり この人は もう年だし
権力には 何ていうか

望みがないんだと思ってるんだと
みんなに思わせる。

すると この人は安心だから

「まあ 東大寺でも造ってなさいよ」
と言って 戻す。

それが正月なんですよね。

9月に仲麻呂の乱が起こる。

だから なぜ彼が そのときに
中央にいられたかというと…

本当に彼は たぶん
引退しようと思ってたと思うんですけど。

…で 鎮圧できたということだと思います。

そこまで見える人間だから。
先が見通せる…。

真備の その人生を見てきましたけど
磯田先生 いかがですか?

僕が好きな逸話の一つが

大蔵省の蔵が焼けちゃったときに

真備が恐るべきことを
やってたんですよ。

自主的に 蔵を火事で焼けるのを予知して
造ってたの。

「大丈夫 僕が造ってあったから」って。

だから 彼は恐らく
中国や時代を ずっと見てれば

蔵っていうのは焼けるもんだと。
国家の蔵が焼けて

税金 取っても入れる場所がない事態を

中国でも見ただろうし
歴史書の中でも見ただろうし

実際の自分の歴史でも思っただろうから。

恐らく 蔵のスペアは
自分の金で造ってたと。

それで みんなに「やっぱ すごいわ
この人!」って言われるっていう。

そういうところで 信用され
欲は取らなかったけど

人に与えて
たぶん 終わりを全うできたんだろうと。

だから 私 こういう人が

今回 水害の目に遭った
真備町のゆかりの人としてね

出てきてるっていうのが
真備に負けないように

やっぱり 防災とかも
あらかじめ用意しておくということも

大事だなと思いましたね。
う~ん なるほど。

今日は皆さん ありがとうございました。


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