ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「玄奘三蔵 史上最強の僧侶」 中嶋朋子、夢枕獏、はあちゅう、岡田准一


出典:『ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「玄奘三蔵 史上最強の僧侶」』の番組情報(EPGから引用)


ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「玄奘三蔵 史上最強の僧侶」[字]


「西遊記」の三蔵法師は実在の人物だった!唐から天竺へ往復6万キロの旅をして、未知の経典を持ち帰った玄奘三蔵。壮大な旅を実現した玄奘の能力を岡田准一がプロファイル


詳細情報

番組内容

「西遊記」でおなじみの三蔵法師を、岡田准一がプロファイル!▽その実像は世界一タフな僧侶だった!唐から天竺へ往復6万キロの旅をし、未知の経典を持ち帰った玄奘三蔵。前人未到の旅を実現した秘密は、シルクロードの砂漠を乗り越える体力と、さまざまな言語を習得し、現地の王や学者を魅了する頭脳だった。▽さらに唐の皇帝をも取り込み、経典の翻訳をはじめ都に仏教の一大拠点を作り上げた玄奘。彼は最後に何を目指したのか?

出演者

【司会】岡田准一,【ゲスト】中嶋朋子,夢枕獏,はあちゅう



『ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「玄奘三蔵 史上最強の僧侶」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「玄奘三蔵 史上最強の僧侶」
  1. 玄奘
  2. 経典
  3. 天竺
  4. 皇帝
  5. 仏教
  6. 思うん
  7. 自分
  8. 翻訳
  9. 何か
  10. 長安


『ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「玄奘三蔵 史上最強の僧侶」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

他にも、無料お試し期間のあるVODサービスが増えてますので、各社のラインナップを調べてみるといいかもしれませんね。

↓NHK関連商品

孫悟空で おなじみの「西遊記」。

唐の国から お経を求めて
はるばる天竺へ向かう

悟空 八戒 悟浄たち。

時には妖怪を倒し 時には火の山を
越えていく 奇想天外な物語です。

ですが こちらのお坊さん
三蔵法師だけは

なんと 7世紀に
実在した人物でした。

孫悟空 猪八戒 沙悟浄を引き連れ

天竺 現在のインドへ向かう
三蔵法師の一行。

「西遊記」では
三蔵法師は かよわく

いつも 悟空に助けてもらう
人物として描かれている。

その三蔵法師 玄奘三蔵の

実際の肖像画が こちら。

身長は 2メートル近い大男だ。

およそ1, 400年前
天竺から唐へ経典を持ち帰った玄奘三蔵。

広大な砂漠や
険しい山を越え

6万キロに及ぶ
旅をした。

途中 何度も命の危険にさらされた玄奘。

それでも 旅を続けられた秘密は…

玄奘が出会った 3人の王。

玄奘の魅力に取りつかれた王たちは
気がつけば 手助けしてしまうのだ。

玄奘に ほれ込み
国に残れと引き止めた オアシスの王。

玄奘がとった驚きの行動とは?

仏教の本場 天竺。

並み居る論客たちを
黙らせ

王を感嘆させた 玄奘の弁論とは?

玄奘は 唐の皇帝の協力を取り付け
経典の翻訳を成功させる。

しかし それには
条件があった。

玄奘が皇帝に差し出した
翻訳の見返りとは?

今夜は 仏教の歴史に大きな足跡を残した
玄奘三蔵。

遠く天竺から 経典を持ち帰り
翻訳するという偉業を支えた

天才的な能力を プロファイル!

♬~

灼熱の中をさまよう 一人の僧侶。

唐の時代 天竺へ向かう
西の国境の外に広がるのは

広大な砂漠地帯だ。

玄奘は なぜ
このような過酷な旅に出たのか?

玄奘三蔵は
602年 洛陽

現在の中国
河南省で生まれた。

父は ひたすら古書の研究に没頭する学者。

幼い玄奘も 遊ぶことを好まず
勉強好きだったという。

13歳の時 転機が訪れる。

僧侶の国家試験が
行われることになったのだ。

学問好きの玄奘には…

それでも 試験会場まで行った玄奘。

門前で たたずんでいると
試験官に声をかけられた。

試験官は 玄奘の志に感心し
特別に試験を受けさせてくれた。

玄奘は見事 難関を
突破して 僧侶となる。

22歳の時
都・長安に出てきた玄奘。

当時 最も有名な高僧から教えを受けた。

玄奘は 一度の講義で内容を
理解してしまい 高僧たちは褒めたたえた。

しかし 玄奘は どんなに褒められても
満足しなかった。

玄奘が講義を受けたのは 「唯識論」。

唯識論は 「般若心経」の
「色即是空」に表されるような

この世の在り方を論じている。

しかし 天竺から伝わってきた唯識論は
断片的で

統一的な理論ではなかったため
玄奘は納得できなかったのだ。

25歳の時 ある人物との出会いが
玄奘の運命を変えた。

天竺から来た高僧
プラバーカラミトラ。

天竺の大学で 仏教理論を学んだ高僧は

玄奘が知らない
仏教の多くの経典について教えてくれた。

高僧の話に感銘を受けた 玄奘は

仏教誕生の国 天竺に行って
経典を学ぼうと決意した。

「西遊記」では
時の皇帝は仏教を信奉していて

玄奘の旅は
皇帝の願いでもあったと描かれている。

しかし 史実は全く逆だった。

皇帝が信仰していたのは
老子の考えをもとにした道教。

仏教は 日陰の存在だった。

しかも 唐の法律では…

そんな危険を冒し

長安から はるばる天竺へ行こうと考える
僧侶は いなかった。

628年 26歳の玄奘は
ついに長安を出発。

法を犯してまでも
仏教への思いを成就させるため

3万キロの旅に挑んだ。

これは 玄奘の旅の姿を描いた肖像画。

身長 およそ2メートル。
説法で使う絵巻物を背負っている。

国境へ続く道は 警備も厳しく

密出国を目指す玄奘は
昼は眠り 夜 闇に紛れて進んだ。

そして3か月後

ついに国境近くの街
瓜州まで来た。

玄奘は ここで 砂漠を30回も往復した
という老人と出会う。

老人は 意外なことを言いだした。

今にも倒れそうな やせた赤馬。

本当に この馬で砂漠を乗り切れるのか?

半信半疑ながらも 玄奘は馬を交換した。

翌朝 玄奘は
やせた赤馬と一緒に 国境越えに挑んだ。

この先は タクラマカン砂漠の
東につながる

「死の砂漠地帯」が
延々と広がっている。

玄奘は たった一人で
この過酷なルートを進んだ。

次の街までの間に
1か所だけあるという泉を目指したが

道に迷い 見つけることができない…。

その時 水袋が…。

無情にも 砂漠に染み込む水。

戻ろうか? しかし…。

経典を声に出して 唱えながら
一心に西へ進んだ。

さまようこと 5日目。

ふと 連れていた赤馬が勝手に歩きだした。

その先には なんと泉が!

馬のおかげで 玄奘は九死に一生を得た。

ついに
たった一人で砂漠を越え

最初の街 伊吾に到着。

しかし 旅は まだ始まったばかりだ。

玄奘というと 「西遊記」のお坊さんという
イメージが すごく強いですけども

こちら
玄奘の姿を表したもの。

等身大ということで。

(中嶋)等身大?
(はあちゅう)巨大ですね。

中嶋さん イメージ どうでしたか?
全然違います。 本当に かよわくて

みんなに こう 徳でもって
助けてもらってっていう

そういうストーリーばかりを
聞いていたので

意外でしたね この巨大な方っていう。

玄奘 どうですか?
もともと好きですか?

もちろん 小さい頃に「西遊記」を見たり

読んだりということぐらいしか
知らないですけれども

私 祖父が仏像を彫ったりという
木彫作家だったので

仏像を彫ってっていうことが
割と身近にあって。

で その仏像のストーリーとかが
好きなんですよね。

なので この方が どういう思いで
旅に出られたのかとか

そのストーリーに
すごく興味がありますね はい。

獏さんは 作家として。

玄奘のね やっぱり
あの 自分の志を貫く人間とかね

あと
遠くへ行く人って大好きなんですよ。

それで玄奘も いつか書こうなんて思って
もう30年 たっちゃいましたね。

でも ほんと 日本の仏教にも
すごく影響を与えた人ですよね。

もう今 僕らが読んでる経典の多くは
あの 玄奘の訳したもので

「般若心経」なんかも
玄奘の訳そのものですから。

はあちゅうさん どうですか?

私も 「西遊記」は すごく好きで
ただ その絵本の中のイメージだと

妖怪たちに助けてもらう
かよわいイメージがあったので

ちょっと今 実物大のパネルを見て

こんなにタフな お坊さんだったんだって
思って びっくりしてます。

(夢枕)
多分 マッチョな感じだったと思います。

そうですね。 格闘家のような
体だったのかな なんて思ってますね。

目の前にあるのが

玄奘が天竺まで行った
3万キロのルート。

ここら辺までの 長安から伊吾までの
お話ですけども。

まあ まだまだ。

道半ばにも行ってないとこですね。

それでは まず最初のテーマにいきたいと
思います。

獏さん どうですか?

天竺の僧ですね。 まあ インドの方ですね。

「天竺から来た高僧」 はい。

その僧に会って
もう いろんな話を聞いたんですね。

で それでもう
これは駄目だと思ったんですね。

仏教は 唯識論って何よって言われたら
答えられないといけないところが…。

じゃ 何で 宇宙は「空」なの? って
言われた時に

これこれ こうでこうで こうで
「空」なんだよ。

ただ 宇宙は「空」であるっていうだけじゃ
駄目なんですね。

そういうところが多分 玄奘は…

密出国をしてまで 決死の思いで

知りたいという思いで
旅に出るっていうのは どう思いますか?

(中嶋)私 すごい気になりました。
密出国って よっぽどじゃないですか。

もっと知りたいっていうエネルギーだけで
出ちゃったのかしらって

逆に思っちゃったんですよね。

だって
密出国を計画して 賢い人がやりますか?

でも すごいバイタリティーですよね。
(中嶋)バイタリティーですよね。

すごく ジャーナリスティックな
気質だったのかなと思いましたね。

今でも やっぱり渡航危険国に
この目で確かめたいっていって

そこで見たものを広めたいっていう方
いらっしゃると思うんですけど。

じゃ ほんとに何か伝えたいみたいなのも
あったっていうことですかね。

その 本当のものを知って
伝えなきゃいけないとか。

(はあちゅう)
知りたいっていう欲求って すごい。

でも 使命感までいかないと…
やりますかね? どうなんですかね。

ここに もうね いたら もう人間として
もう生きてくのも できないみたいな

何か 思い詰めた感じで
行ったんじゃないかと思うんですよね。

命を懸けて 知りたい。

はあちゅうさん どうですか?
世界一周とか されてますよね。

その場所に合わせた判断力と

あとは 人を信頼する力が
すごく大事になってくるなと思って。

玄奘も 多分すごく こう
人の意見を聞く能力っていうのは

あったんじゃないかなと思いますね。

他人の意見を ちゃんと聞いて。
(はあちゅう)そうですね。

懐の深さにもね 何か
つながってくるのかもしれないですね。

どうですか? 自分が連れてった
安心する馬を連れてって

いや この馬の方がいいよって
やせた赤馬を出されたら 替えれますか?

これ 大体が普通 失敗談ですよね。

でも そこが また導いてくれたっていう
お話として 私は好きですけれども。

水を最後に…。 経験があって
助けてくれたという。 あったっていう。

何かを感じたんですかね
人としてとか 経験値を重んじたのか。

可能性を探し続けている感じが
すごいする。

欲求とかに対する 疑問とかを
こう 探し続けている

エネルギーみたいなのは感じますけどね。

インド北東部にある
仏教の最高峰 ナーランダー大学の跡。

ここで勉強をした玄奘は
たちまち頭角を現した。

ある時 行われた 国王主催の弁論大会。

論争相手は仏教だけでなかった。

他の宗教の学者も数多く参加した
「知のバトルロイヤル」を

玄奘は勝ち抜いてゆく。

死の砂漠を越えて
オアシス都市 伊吾に到着した玄奘。

次に待ち構えていたのは またも砂漠。

しかも 東西1, 500キロという

巨大な タクラマカン砂漠である。

そこにあるのは
砂漠地帯にそびえ立つ 火焔山。

地表面の温度が なんと
70度にも達するという灼熱の山だ。

「西遊記」でも
ここは 最大の難所として描かれている。

山全体が燃えて その炎を消さなければ
三蔵たちは 天竺へ進めなかった。

ところが 玄奘は
火焔山に登ることはなかった。

なぜなら
火焔山の南西にある 高昌国に招待され

山を迂回するルートをとったからだ。

高昌国は 現在のトルファンにあたる地域。

シルクロード交易で栄えた
砂漠の国だった。

高昌国王 麹文泰は
仏教をあつく信仰していた。

唐から 高名な僧侶が旅をしている
という うわさを耳にして

是非 会いたいと思ったのだ。

その後 数日 玄奘は王の求めに応じて
昼も夜も 経典について講義をする。

王は 熱心に聞き入った。

国王を魅了した玄奘は
かえって 窮地に陥る。

…と申し出られたのだ。

玄奘は
「旅をやめることは出来ない」と断った。

それでも諦めない国王は 怒りだした。

死罪をも恐れず
猛然と国王に言い返した玄奘。

更に驚くべき行動で抗議した。

断食である。

4日ほどたつと 次第に体力は衰え
呼吸も乱れてきた。

これを目にした王は 自らの欲望のために
玄奘を苦しめたことを恥じて

出発を許し 兄弟の契りを結んだ。

更に
天竺までに通過する 24の国に宛てて

「弟の玄奘を保護してほしい」と
手紙を書いてくれた。

いよいよ 出発の日。

長安を逃げるように出た時とは
打って変わって

総勢30人もの人に守られての旅となる。

長安を出発してから 10か月。

一行は 現在のウズベキスタンの古都

サマルカンドに到着した。

玄奘が訪れた時代 ここは 火を崇拝する
ゾロアスター教を信じる ソグド人の国。

国王は最初 異教徒である玄奘に対して
傲慢な態度を見せた。

しかし 玄奘は1か月ほど滞在するうちに
国王に仏教の教えを説くと

なんと 王は 仏教に改宗してしまった。

玄奘が 旅先で人々を魅了した
秘けつの一つが…

高昌国から先の
中央アジアでは

多くの異なる文化と言語の人々が暮らす。

しかし玄奘は 現地の言葉を
数日でマスターし 話をしていたという。

633年 長安を出てから5年余り。

3万キロの旅の末
ついに 天竺のナーランダーに着いた。

31歳だった。

ナーランダーとは
知恵を与える場所という意味。

1万人の生徒と 1, 500人の教員が
勉強に励む…

玄奘は 学長で
106歳の高僧 シーラバドラに拝謁。

そして玄奘は シーラバドラの…

更に 仏教の さまざまな理論や
教えも熱心に学んだ。

すぐに頭角を現した玄奘は
留学生にもかかわらず

僧侶たちに講義をするまでになる。

ナーランダー大学でも 10名しかいない
高僧に上り詰めたのだ。

そんな玄奘の名声が
ある人物の耳に入った。

北インドを支配する ハルシャ王だ。

王は 玄奘を招いて こう言った。

およそ1か月後 ガンジス川の川岸に
作られた会場には

全インドから 18の国王と
その家臣が集まった。

論争の参加者は…

玄奘の母校…

いずれも 頭脳明晰で知られる学者たち。

史上空前の 「知のバトルロイヤル」
6, 000人の弁論大会が開かれた。

壇上に上がった玄奘は
集まった人々に こう言った。

そして 自らの仏教理論を論じ始めた玄奘。

夜になっても 誰一人
玄奘を論破できる者はいなかった。

毎朝 玄奘が まず仏教論を話し
反論する者があれば 論争し

反論を退ける。

これが 18日間 続いた。

ついに 会期が終了。

ついに玄奘は 仏教の本場で
トップにまで上り詰めたのだ。

この 長い道 3万キロ。

これだけ通ってみるだけでも ものすごい
半端じゃない距離だと思うんですけど

どこか 気になった場所ありますか。

天山越えを玄奘がしたという所へ…。
ここですね。

(夢枕)行ってみたんですけれども
途中で あの… 帰ってきました。

それぐらい危険だったってことですか?
(夢枕)この写真のところですね。

これが ムザルト川という
これが冷たい水でね。

落ちると もう ほんとに5分で
体が動かなくなって 死んじゃう。

玄奘の「大唐西域記」なんかだと
10人のうち 3人から4人までは

雪と氷のために亡くなったって
いわれてるんですね。

よく 玄奘行ったなと思いながら
僕は ここ行ったんですけれども。

では 続いてのテーマにいきたいと
思います。

獏さん どうですか?

相手を説得したりする
その言語の能力が

非常に優れていたんじゃないかと
思うんですね。

言葉の駆け引きも
すごいと思うんですけど

断食っていう 命をかけた
行為のような形もとられていて

やっぱり 駆け引きのテクニックが
すごく巧みだったんだなと思いました。

断食したのは テクニックですかね。
(夢枕)本心だったろうと思いますね。

天竺へ行けないんだったら もう
ここで死んでもいいという覚悟のうえで

多分 計算があったにしても
その覚悟をベースにしてるので

多分 その
迫力があったんじゃないですかね。

でも 王様に言われたことを覆すって
また むちゃなことを考えますよね。

思いが強かったっていうのも
あるでしょうし。

ただ その人には 一番
これが通じるだろうっていうことを

じゃあ こう キャッチできる才能が
あったんだとしたら。

最強のビジネスマンになれますね また。
その 口説けるというか 相手を落とせる。

何か そういう においもしますよね。
センスなのかもしれませんけど

言葉の選び方 タイミングのつかみ方が
すばらしすぎますね。

はあちゅうさん どうですか?
リストの中で気になるものっていうと。

私は 仏教に改宗した させたっていうのが
すごいなと思いましたね。

改宗させるっていうのは
もう人生を変えるような出来事なので

どんなメリットがあるかっていうことを
自分ごととして考えられるようにして

もう 即座に
相手のニーズっていうのを察知して

それを プレゼンテーションする能力が
あったっていうことだと思います。

普通は暴力でね 国とか
いろんなところの宗教を

改宗させるんですけれども その論ね
それを語ることによって

その 王様の心を動かして
改宗させたっていうのは

これは もう 並の感じじゃないような
気がしますね。

すごいことですけど 卓越した言葉の力
というのがありましたけども

まあ サンスクリット語の経典。
これ今 実はここに ありまして。

(中嶋)すごい!
(夢枕)ほ~。

インドで学んだという
サンスクリット語の経典になります。

経典 こんな感じだったんですね。
持ってもらって大丈夫ですよ。

一回 これ取れちゃったら大変ですね。
大変。 順番 分かんない。

(はあちゅう)
そうですよね。 ああ すごい。

この束で どれだけの教えなんですかね。
(はあちゅう)ほんとですね。

母国語でもない
この難解な言葉を学んで

本場の本場の 仏教の本場で
トップに上り詰めるって。

なかなか よそから来た人でね
頭のいい人って

煙たがられて 人間的な心理として
頭がいいやつを遠ざけちゃうみたいな

感じがあるかと思うんですけれども
やっぱり それができないくらい

すさまじかったんでしょうね
玄奘の才能みたいなものが。

(中嶋)弁論大会で 圧倒的に
彼が すばらしかったっていうのも

すごく気になるんですけれども。

弁論で戦うという大会があるというのが。
いや~ 興味深いですね。

でも そこでも まず
自分が論破されてしまったんだったら

命をささげますよって
自分の首を差し出してもいいっていう

この またキャッチーなフレーズを
まず 頭に持ってくるって

すごいプレゼン能力というか

どんだけのやつだって思いません?

そうですね。 ま 見に行ってたら
あの唐の人 命かけてるらしいよという

こう うわさで
みんな 興味を持ちますよね。

うん 興味を持ちますよ。
(はあちゅう)緊迫感あったでしょうね。

でも相当 準備もしていっていたとは
思うんですよね。

想定問答集みたいなものを作ったりとか
かなり こう 反論も考えていって

もちろん 周りの空気だったり
反応を読みながら

いろいろね こう 手を替え 品を替え

プレゼンテーションを うまく
していったんじゃないかなと思います。

だって 6, 000人も論破するって

一辺倒で 知力だけでいけるわけないと
思うんですよね。

だから 今日は もう寝てるだけとか
そんな日もあったんじゃないかな。

(はあちゅう)ああ ちょっとこう
おっと思わせておいて。

それが 仏教の真理に
精通している行動だとしたら

参りましたってなるような
そんな技も考えたんじゃないかなって。

負けたなと思うとね やっぱり その時に
悔しくない状況っていうのは

相手が 本当に すごくて
尊敬できる人だったらば

素直に 「参りました」って
言えると思うんですよね。

それだけ 玄奘の持ってる
人間力みたいなものが

強かったんじゃないですかね。

論破の 破るではない何かっていうのを
この時期には もう見つけていて

真理に近いようなことを
もしかしたら見つけていたから

きっと その 人の上に立てたのかな
というのを すごく思うし。

ある夜 玄奘は夢を見た。

目が覚めた玄奘は はっと思い当たった。

天竺に来て 8年。

39歳になった自分は
学問に熱中するあまり

経典を持ち帰るという志を
忘れていたのではないか?

642年 玄奘は ついに唐への帰路についた。

「西遊記」では 天竺に到着した三蔵は
雲に乗り ひとっ飛びで長安に戻っている。

しかし 玄奘の帰路には
またもや多くの難関が待ち受けていた。

インダス川を 船で渡ろうとした時のこと。

突風が起こり 船が あわや沈没しかけた。

慌てて 荷物を川に捨てる一行。

その時 大事な経典 50巻も
川へ流してしまったのだ。

玄奘は 対岸に渡ると
この地域を治める国王に面会した。

そして 得意の弁舌を生かして
王を説得。

国王の力を借りて 近隣の仏教国から
失った経典を取り寄せ

大勢の人を使って 写本を作らせた。

2か月余りで ようやく経典をそろえた
玄奘は 唐に向けて出発した。

この先の山岳地帯は 盗賊も多い。

なんとしても 経典を守らねばと
考えた玄奘は 一計を案じる。

玄奘は 経典を運ぶ自分たちには
被害が及ばぬよう

若い僧侶を説得して 隊列の先に行かせた。

そして 盗賊に出会った時には
こう言うように伝えた。

最悪の場合 若い僧を犠牲にして
経典を持って 逃げようと考えたのだ。

実際に 何回か盗賊に襲われたが

こうした用心のおかげで
玄奘は 被害を受けることはなかった。

644年 クスタナ国の
ホータンに到着。

唐の国境は 目の前だ。

しかし 玄奘は もともと密出国した身分。

無事に戻れる保証はなかった。

そこで 玄奘は
皇帝に直接 手紙を書くことにした。

密出国した罪を
問われないようにするためだ。

そして 皇帝の気を引こうと
こう付け加えた。

果たして 皇帝は
玄奘を罪人として捕らえるのか?

待つこと7か月
ついに 皇帝から返事が届いた。

645年 玄奘は
ついに長安に戻ってきた。

長安を出て17年 43歳だった。

早速 皇帝に呼び出された玄奘。

果たして 何を言われるのか?

不安を抱えながら 謁見に臨んだ。

ところが皇帝は 玄奘を快く迎えた。

一体 なぜ こんな歓待を受けたのか?

実は 天竺のハルシャ王が

玄奘が出発した直後に
使節を唐へ送っていたのだ。

途中の川で経典を失い
足止めされている間に

使節は 玄奘を追い越して
先に唐に着いていた。

使節から報告を受けていた皇帝は

玄奘の行動力や知識に感嘆し
その罪を許して 歓迎したのだ。

往復6万キロにも及ぶ前代未聞の大旅行は
こうして幕を閉じた。

何か 川に経典 流しちゃったり

ちょっと 人間らしい側面が
見えてきたような感じがしますけども

まあ トラブルとか
予想外のことが起きると

その人の人間性が出たりっていうことね
あると思いますけど。

受け入れてくれるか
分からない旅ですよね。

どうして
スタートできたのかしら?

玄奘がナーランダー大学で学んで
弟子もできて 地位もできて

普通の人だったら そこで居続けて
一生を終えると思うんですね。

もう ここで一生安泰だ みたいな感じで。

でも そこで何かやっぱり 彼が使命感を
持って やらなくちゃいけないって

気付いたところだったのかなと思って。

自分の知的好奇心だけで もしかしたら
20代は動いていたかもしれないですけど

でも ある程度の年になって 40代になって
このすばらしいものを広めるというのは

自分が人生をかけて やるべきことだった
って はっと気付いたと思うんです。

まあね 普通
帰らない可能性の方が高いですよね。

自分が やれることが
あと何年 これをやり遂げるには

どのぐらい かかってとか いろいろ こう
計算したうえで戻るっていうのって

何か こう決断ですよね。

でも 経典を失うっていうのも
これ 痛いですよね。

これはね 玄奘
ちょっと困ったと思いますね。

やっぱり一瞬 もう どうしようって
思ったと思うんですよね。

(夢枕)慌てたんじゃないかな。

十何年もかかって 持ってきたものが
こう ねえ 流されちゃったわけだから。

私だったら やっぱ慌てますしね。

ただ こうね それで
じゃ 戻ろうとかではなくって

ちゃんと その場で対策を考えて
周りの人を使って

本当に 一番早い問題解決方法を
とったっていうところが

やっぱり 聡明な方だと思いますね。

(中嶋)すごいですね。 普通だったら
落ち込んで 動けないですよね。

(はあちゅう)リカバリーが早いですね。
ほんと アスリートみたい。
すごいな。

その時 その時に対応する
対応力の高さばかりが

やっぱり すごく気になりますね。

それで玄奘のことですから どのお寺に
どういう傾向の経典があるかとか

多分 頭に入ってたと思うんですね。

なので ちゃんと 「君は じゃあ
ここへ行って こういう経典を」って

多分 指示できたと思いますね。

どうですか? はあちゅうさんは。

山賊に襲われないように 弟子を
先に行かせるなんていうところは

やっぱ 目的意識が はっきりしているから
そのためには

もう 犠牲をいとわない
という感じの印象を受けました。

すごい策ですけどね。

一団になっていって
壊滅してしまうよりはっていう

すばらしい策だとは思うし
ただ その若い僧侶も

やはり じゃあ行きますって
行くかっていったら

いや この人のために 行こう あるいは
あっ そういうふうなことだったら

行きましょうって
また そこで説得する力が

人たらしというか それが また
発揮されてるのかなとも思ったり。

ただ 行かしちゃうんですね 若人を。

これ でも すごい帰りですよね。

密出国してるから
帰ったら 殺されるかもしれないという。

玄奘 その辺は計算高いところはあって

多分 大丈夫だろうと思って
やってる節がありますね。

高昌国で 麹文泰に接待をされて
これはもう 王様と仲良くしなければ

駄目だっていうのは もう 確信犯として
あったと思うんですね。

だから 太宗が許可を出さなければ駄目だ。

で 玄奘が持ってる一番大事なものは
西域の情報だったと思うんですよね。

だから どのくらい行くと どういう
国があって そこが どうだったっていう。

(中嶋)そうですよね 身をもって
体験しているんですものね。

情報は知ってますよね。

そうですよね。
そんな人 国には欲しいかも。

西へ勢力を拡大したい太宗皇帝にとって

西域や天竺の事情に精通している
玄奘の存在は 大きな魅力だった。

玄奘は 自分は僧侶であるからと断ったが
皇帝の好反応を見て ある願いを申し出た。

玄奘は 膨大な数の経典を
翻訳しようとしていた。

なぜ そして どのように成し遂げたのか?

話を聞いた皇帝は 玄奘に こう要請した。

皇帝は 玄奘の
能力の高さに目を付け

天竺や西域の軍事
地理 経済 文化などの

情報をまとめさせようと
考えたのだ。

玄奘は これを了承する代わりに
経典の翻訳のために

多くの予算と優秀な人材を充てる事を
皇帝に約束させた。

いわば 取り引きだ。

玄奘は 天竺 西域の様子を口述し
弟子にまとめさせた。

その任務を与えられたのが 弁機。

筆が立ち
将来を期待される有能な若者だった。

一方 玄奘は 長安の寺で
経典の翻訳を始める。

全国から 優秀な僧侶 事務官たち
30名が集められた。

かつてない 大翻訳センターを
作り上げたのだ。

玄奘の日常は 多忙を極めた。

まず 早朝から経典の翻訳。

昼間は宮殿に行き 皇帝の質問に答えたり
手紙を翻訳する。

その後は 再び寺に戻り
夜11時ごろまで仕事をした。

帰国から1年半後 天竺や西域の
外交情報をまとめた「大唐西域記」が完成。

皇帝に献上された。

その2年後 玄奘46歳の時
ついに念願がかなう。

「唯識論」 100巻の翻訳を
完成させたのだ。

皇帝は 自ら
その序文を書くことを引き受けた。

ところが その年 不可解な事件が起きる。

玄奘の命を受けて
「大唐西域記」を執筆した弁機。

皇帝の娘と密通した罪で
なんと 処刑されてしまったのだ。

朝から夜遅くまで仕事をしていた弁機に
太宗の娘と密会する暇など あったのか?

しかし この事件に関して 玄奘は
皇帝に抗議することもなく

堅く 口を閉ざしたままだった。

一説では 皇帝に献上された
「大唐西域記」には

重要な軍事情報が盛り込まれていた。

しかし 後に削除されたという。

重要な情報を知りすぎた弁機は
口封じに殺され

玄奘は それを黙認したというのだ。

659年 57歳となった玄奘のもとに
高僧たちが やって来た。

「大般若経」を正確に訳してほしいという。

「大般若経」は 600巻
20万字以上もある 大経典。

玄奘は 他の一切の業務をなげうって
「大般若経」の翻訳に専念。

そして 僅か4年で
完訳したのだ。

時に 玄奘61歳。

翌年 急に
体の衰えを感じるようになった玄奘は

弟子たちに 最後の言葉を語りかけた。

そして 664年2月5日の夜。

玄奘は 眠るように
静かに息を引き取った。

62年の生涯だった。

「般若経」を完訳して
成すべきことを成したと言って

死んでいくって 羨ましいですけどね。

恥ずかしいですよね
玄奘の年を越しているのに

もっと いろんなこと やりたかったなって
何か 僕なんか言いそうですよね。

そう。
未練ばっかり残りますよね 多分。

ねえ。 あそこも行ってないし
食ってない物があるとかね。

最後のテーマ。

はあちゅうさん どうですか?

これだけの大事業をやろうと思ったら

政治的な取り引きも 必要に
なってきたのかな なんて思いましたね。

聖人的な立ち位置から
政治家になっていったというか

ちょっと 心境の変化もあったのかな
なんて思っちゃいました。

(夢枕)国家事業にしないと とても一人で
翻訳っていう事業はできないし

また 広めるという作業が
できないと思うんですよね。

私の中の玄奘は 求道者ですから

道を求める人って
止まらないじゃないですか 割と。

早くない? って私は思っちゃって。

ここで 私の学びは完成しました。

そして ちゃんと形に残します。

それで おしまいですって
言っちゃうんだって

ちょっと 寂しくなっちゃって。

でも ほんとに それぐらい命をかけて
やりたかったことだからこそ

もともとは 冒険者であり
求道者であったっていうところから

ちょっと もう…

全部 自分が担って
広めるっていうところに

人生を注いだんだと思うんですけどね。

ほほほほ~…。         変わっちゃったな
という感じが。

(中嶋)
変わっちゃった感があります。 うん。

玄奘のあと 唐には
これまでと違った仏教が

ちゃんと栄えていったという
現実があって

それは 日本まで伝わってきて

玄奘の翻訳した 漢訳の「般若心経」ね
みんな 読むことができるという。

(中嶋)そうですね。

きっと 子どもの時から
疑問に思ってたことを

自分で学びに行って
帰ってきて それを成し遂げるって。

何か 人間的な幸せとかを
捨て去った境地に

行っちゃったんじゃないかなと
思ってしまいますけどね。

もう その弟子を
見殺しにしたあたりからは。

もう
自分が人間ではなく 鬼になる覚悟で

これを完成させて 広めるんだという
目的のために生きてて

幸せとか 人間らしさみたいなものは

ちょっと 離れてったんじゃないかなって
私は感じました。

どうですか 今日 玄奘見てきましたけど
何か感じましたか? 生涯を見て。

最後 もう やり遂げたから
安心して 死ねるっていうふうに

彼自身が感じたっていうことは

もう 俺の人生は
このために あったんだっていう

ある意味 自分の意志では切り開けない
運命を受け入れるみたいな境地に

至ったんだと思うんですよね。

だから 誰でも 何か使命を持って
生まれてきたとしたら

それを成し遂げた時に
あ もう これで終わったんだって

もしかしたら 感じられるのかも
しれないな なんてことを

今日は考えながら 見てました。

いろんな旅もして
さまざまな宗教にも触れ

弁論大会で論破もし… という人が 自分の
言葉では教えなかったわけですよね。

経典を まず作るっていうところに

最後 そこに全ての命
残りの命をかけたっていう。

何か すごい強い思いがないと
絶対 動かない人だと私は思ったので

強い思いが
学んだ中に生まれたんでしょうから

それを聞きたかった。

玄奘の 一番すごいのは
その 帰ってきてから

自分の一生を その経典の翻訳に
ささげたというところに

その 本当のすごさがあるような
気がしますね。

翻訳する言語が 中国にないんですよ。

その言語を作って
翻訳したりしてるわけですね。

執念のようなものは
その旅よりも 帰ってきてからの方が

何か 強かったんじゃないかな
という気はしますね。

残すべきものだと やりきるものだと
信じていたんだとは思いますけどね。

玄奘が書いたもので
信じて 救われてる方もね

たくさん いらっしゃるし。

功績なんだろうなと思いますけどね。

♬~


関連記事