プロフェッショナル 仕事の流儀「生老病死、四苦に立ち向かう~僧侶・髙橋卓志」 「仏教界の革命児」と呼ばれる…


出典:『プロフェッショナル 仕事の流儀「生老病死、四苦に立ち向かう~僧侶・髙橋卓志」』の番組情報(EPGから引用)


プロフェッショナル 仕事の流儀「生老病死、四苦に立ち向かう~僧侶・髙橋卓志」[解][字]


仏教界の革命児、僧侶・髙橋卓志。100人いれば100通りの送り方があると、手作りの温かな葬儀を創り出す。最愛の夫を失った妻にどんな葬儀で向き合うか、挑戦が始まる


詳細情報

番組内容

「仏教界の革命児」と呼ばれる、僧侶・髙橋卓志。100人いれば、100通りの送り方があると、手作りの温かな葬儀を創り出してきた。髙橋の葬儀は、「聞き取り」で始まる。故人の人生を遺族から聞き、音楽と写真を駆使して短い物語にまとめる。物語には、人を癒やし強くする力があるという。そして、髙橋に末期がんの40代の男性から相談が寄せられた。心配は、妻。最愛の夫を失う妻にどんな葬儀で向き合うか、挑戦が始まる。

出演者

【出演】僧侶…髙橋卓志,【語り】橋本さとし,貫地谷しほり




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プロフェッショナル 仕事の流儀「生老病死、四苦に立ち向かう~僧侶・髙橋卓志」
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その僧侶は
集まってきた人々に囲まれていた。

「仏教界の革命児」とも言われる この男。

執り行う葬儀も型破りだ。

落語好きのそば屋の主人の葬儀では

参列した落語家に「時そば」を演じてもらい
皆で笑った。

94まで現役だった理容師の時には

なんと
理容店のいすに男は座り 経を読んだ。

そして男は 故人をしのび
参列者と共に涙を流す。

多くの寺が危機にある 今。

♬~

高橋の 僧侶としての在り方が
注目を集めている。

♬~(主題歌)

♬~

高橋は 葬儀だけでなく

人々が生きるうえで抱える
あらゆる苦悩や困難に寄り添う。

20代 戦没者が眠る異国の地で
自分の至らなさを思い知った。

末期がんの男性から 引退を決意した
高橋に舞い込んだ 最後の仕事。

だが 妻は不安にさいなまれ
受け入れることができないかもしれない。

仏教とは 僧侶とは。

問い続ける男の記録。

僧侶 高橋卓志の一日。

それは 早朝4時半には
既に始まっていた。

(読経)

朝の勤行を30分かけ 行う。

42年間続けてきたつとめだ。

(鐘をつく音)

(鐘をつく音)

(鐘をつく音)

高橋の寺は
長野・松本の温泉街の一角にある。

高橋は 800年以上前に建てられた
この寺の19代目の住職。

檀家は およそ700軒。

檀家が減っている寺が多い中
その数を維持してきた。

高橋のもとには 多くの僧侶が
相談や研修にやってくる。

この日やってきたのは 福岡の若い住職。

高橋が僧侶として
最も考え抜いてきた事柄がある。

仏教を開いた釈迦は 人が避けられない
苦しみを 生・老・病・死の4つの苦とした。

そして その四苦の終着点とも言える
葬儀の在り方も

「苦とどう向き合うか」
という観点から考えてきた。

この日も高橋は 数時間後に行われる
葬儀の準備をしていた。

亡くなったのは 長年
ピアノ講師をしていた 76歳の女性だ。

常に高橋は 葬儀を行う際

その人の死が 誰に最も深い悲しみを
もたらすのかを考える。

今回の場合 それは 喪主でもある
一人娘の環さんだと 高橋は見定めていた。

いかに 環さんの深い悲しみ 苦しみを
癒やせるか。

その最大の秘密は
葬儀前日に行う「聞き取り」にある。

高橋は 家族がどんな人生を
歩んできたのかを 丹念に聞いていく。

環さんの母親は 病に倒れた夫の代わりに
パート勤めと ピアノ講師をこなし

長らく必死に家を支えてきた。

結婚して母親と離れて暮らすことになった
環さんには いくつかの後悔があった。

一つは 家を離れたくないという母親に
グループホームでの生活をさせたこと。

そして。

認知症で 手に負えなかったとはいえ

もう少し 自分の手で
介護できたのではないか。

そう悔やんでいた。

高橋は 思いに共感することで

相手が抱えるわだかまりを
吐き出させていく。

前日の聞き取りは この日 生かされる。

会場には 環さんや家族たち。

そして 親族や
母親のピアノの教え子たちが集まった。

葬儀冒頭。

♬~

高橋が流し始めたのは

環さんから提供された写真と
前日の「聞き取り」から作った映像だ。

♬~

前日 高橋は 深夜2時まで
この映像を編集していた。

♬~

環さんが話してくれた 母親の一生が
物語られていく。

♬~

そして映像は 人生の最後の場面へ。

♬~

続いて お経へ。

♬~

そして 式の最後。

環さんが 母親に捧げる曲を演奏した。

♬~

(拍手)

♬~

♬~

♬~

♬~

人々を「四苦」から いかに解放できるかを
考えてきた高橋さん。

高橋さんは 人生の終わりにやってくる
葬儀だけでなく

それ以外にも さまざまな問題の
解決のため 奔走してきた。

檀家たちとの交流の中で

介護を必要とする高齢者の急増を
実感した高橋さん。

15年前 この廃業した温泉旅館を借り受け
デイサービスセンターを設立した。

高橋さんは 他にも

高齢者への配食サービス
訪問介護など

老苦や病苦に対処する
ネットワークを作ってきた。

更に高橋さんは
より若い世代の困難にも力を尽くす。

例えば 山深い地で そば屋を開くなど
チャレンジする人に融資する

NPOバンクの立ち上げにも関わった。

高橋さんは 住職とは
十の職をこなす人のことだと言う。

僧侶として何ができるか。

その事をどこまでも追究する高橋さん。

でも実は 以前は
そんなことを全く考えていなかった。

あの日… までは。

高橋さんは 昭和23年
寺の住職の一人息子として生まれた。

中学生になると いやおうなく
父が執り行う葬儀に連れていかれた。

「絶対に僧侶になりたくない」
そう思った。

ところが。

大学受験の時 第一志望校に落ち
仏教系の大学に進学。

厳しい父に逆らうことができず
僧侶になる道を選んだ。

高橋さんは 「寺に生まれたから
世襲しただけのことだ」。

そう 開き直った。

「その日」がやってきたのは
29歳の時だった。

高橋さんは ニューギニアでの
遺骨収集団に呼ばれた。

第2次大戦中 1万人以上の日本人兵士が
戦死した ビアク島。

火炎放射器を放たれ 1, 000人の兵士が
焼け死んだ洞窟で 供養を行う。

洞窟には 水がたまり
兵士たちの遺骨が散乱していた。

高橋さんは 遺骨収集団のリーダーである
山田無文老師に

経を読むよう指示された。

そばに この地で夫を亡くした
一人の女性がいた。

戦後30年 亡き夫の子を
女手一つで育て上げた女性だった。

その時だった。

絶句してしまった高橋さんを
山田老師が どなりつけた。

高橋さんは
泣きながら お経を読み始めた。

その時初めて 思い至った。

高橋さんを変えた あの日。

あの日のことは
今も 胸に 焼き付いている。

去年 秋。
高橋は ある決意を固めた。

あと半年ほどで 住職の座を
身内ではない若手に譲る。

これからも高橋が僧侶として
生きていくことには 変わりがない。

だが 地域のよりどころとなっている寺が
その役割を果たしていくには

住職という地位は
後進に託した方がよいと考えた。

そんな時だった。

高橋のもとに 一通のメールが届いた。

それは 末期のがんの夫を持つ
妻からのメールだった。

「残された時間を
彼らしく生きていますよ」。

「それを見ると ますます
彼らしい葬儀をしたい と思いますね。

どうか力を貸してください」。

メールを送ってきたのは
2人の子どもを持つ 鈴木久美子さん。

45歳の夫 均さんは
末期の皮膚がんだった。

均さんは 20年以上 千葉・浦安の図書館で
司書として働いてきた。

本に対する造詣と愛情は 人一倍深かった。

4月上旬 高橋は 東京の
緩和ケア病棟にいた均さんを訪ねた。

この時 均さんのがんは
脳にまで転移していた。

均さんの両親は 高橋の高校時代の同級生。

高橋は 子どもの頃から
均さんをかわいがっていた。

均さんは 自分のことではなく むしろ
妻 久美子さんのことを心配していた。

4月半ば。 均さんは退院した。

最期の場所として自宅を選んでいた。

念願だった長男の入学式に出席。

均さんは 家族と共に
その後の日々を大切に過ごした。

そして

5月6日午後9時過ぎ。
均さんは 自宅で 亡くなった。

高橋は その日の深夜 駆けつけた。

均さんは 久美子さんの腕の中で
亡くなったという。

(鐘をつく音)

葬儀は 3日後の5月9日と決まった。

それは くしくも 高橋が
住職を引退する日の1日前だった。

高橋は かつて均さんの家が経営していた
温泉旅館の一部を移築した建物にいた。

均さん家族も 長い休みの度に来ていた
思い出深いこの場所で葬儀を行う。

祭壇に選んだのは
均さんが長年愛用していた机。

この机に 遺影とキャンドルを飾る。

妻 久美子さんもやって来た。

今回高橋は 亡くなった人の物語を描く
あの映像制作を行わない。

そのかわりになるものを
均さん自身が用意していたからだ。

それは 子どもたちのために選んだ本が
並べられた この書棚だ。

図書館司書だった均さんは

本につづられた物語にこそ
人の心を癒やす力があると話していた。

子どもの成長に合わせて
上に行くほど難しい本を並べ

大きくなったら読んでほしいと
願っていた。

この書棚は 自分の人生そのものであり
ここに来れば いつでも自分はいる。

だから安心してほしいという

子どもと久美子さんへの
メッセージだった。

高橋は 均さんのことを思い出していた。

物語が 人の心を癒やし
強くすることを信じてきた者同士。

明日の葬儀で 何をすべきなのか。

告別式が始まった。

(読経)

高橋が考えていたこと。

それは 今では顧みられることの少ない
仏教の葬儀が持つ物語性を

前面に押し出した葬儀だった。

葬儀もまた 一つの物語だ。

この世からあの世への旅立ちを描く物語。

その物語の力で 久美子さんと
子どもたちを 励まそうとしていた。

(一同)羯諦羯諦…。

(読経)

般若心経。

そして 均さんを乗せ あの世へ向かう舟を
つないでいる綱を切ると語った。

喝!

♬~

葬儀後 久美子さんは
人目をはばからず 泣いた。

そして こう言った。

♬~(主題歌)

♬~

住職として 最後の葬儀を終えた高橋。

その後向かったのは 東南アジアの仏教国。

日本以上に 仏教が人々と社会に
根づいている タイ。

ここで 僧侶として もう一度学びたい
そう考えている。

仏教とは 僧侶とは。

問い続ける高橋の物語は 続く。

坊さんという 一種の その宗教的な
特権に頼るのではなく

一人の人間として
視点と立脚点を 社会に置く。

そして その社会にあふれる
さまざまな苦しみを 緩和・解消していく。

それが坊さんだと そんなふうに思います。


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