アナザーストーリーズ「Vシネマの男たち~逆境を乗りこえる熱があった~」 哀川翔、遠藤憲一、映画監督・三池崇史らを…



出典:『アナザーストーリーズ「Vシネマの男たち~逆境を乗りこえる熱があった~」』の番組情報(EPGから引用)


アナザーストーリーズ「Vシネマの男たち~逆境を乗りこえる熱があった~」[字]


Vシネマ!アクションからお色気、仁きょうまで、ブッ飛んだ作品を数々生んだ熱すぎる物語!哀川翔、遠藤憲一、映画監督・三池崇史らを育てた圧倒的な熱!痛快な逆転劇!


詳細情報

番組内容

Vシネマ!アクションからお色気、仁きょうまで、ブッ飛んだ作品を数々生んだ熱すぎる物語!バブル絶頂の1990年、邦画不況で映画が下火になる中、カラオケ動画やレンタルビデオの配給をしていた人々が大勝負を賭けたVシネマ。スタッフは素人ばかりで失敗続出!だが強烈なエネルギーと工夫で逆境を乗りこえていく。哀川翔、遠藤憲一らの俳優、そして映画監督・三池崇史らを育てた、痛快なアナザーストーリー!

出演者

【司会】松嶋菜々子,【語り】濱田岳




『アナザーストーリーズ「Vシネマの男たち~逆境を乗りこえる熱があった~」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

アナザーストーリーズ「Vシネマの男たち~逆境を乗りこえる熱があった~」
  1. Vシネマ
  2. シネマ
  3. 哀川
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  5. 監督
  6. 現場
  7. 三池
  8. 渡邊
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  10. 取材者


『アナザーストーリーズ「Vシネマの男たち~逆境を乗りこえる熱があった~」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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あなたも 名前だけはご存じだろうか?

レンタルビデオ店の片隅に置かれた
あれ あれ。

な~んだ B級か なんて方は
ちょっと待った!

ぶっ飛んだ内容を見てほしい。

気分的には ワーッ…。

今宵は めくるめくVシネマの世界へ。

は~っ!
(連射音)

♬~

ちょうど平成という時代が始まった頃

全国にレンタルビデオショップが
広がりました。

その棚の一角を占めた独特のジャンルが
静かなブームを呼びました。

Vシネマ。

内容は…

…恋愛から お色気に至るまで
バラエティーに富んでいました。

製作本数は数千とも数万ともいわれ

同時期に作られた日本映画の数を
はるかに しのぎます。

はちゃめちゃでもいいから
とにかく 思うままに作る。

そんな 限りなく規制のない
Vシネマの現場からは

さまざまな人材が育っていきました。

映画やドラマに欠かせない
いぶし銀の俳優たち。

そして今や 世界の名だたる映画祭や
ハリウッドで称賛を集める

監督たちです。

きら星のような才能が生まれた
Vシネマの現場とは

一体 どんなものだったのでしょうか?

まずは Vシネマを
ご存じない方のために

この世界きってのスターをご紹介しよう。

ハメやがったな 伊能。

お前ら! 何しとるんじゃい ぶち殺せ!

(銃声)

ヤクザの抗争を描いた「修羅がゆく」は
大ヒット作品だ。

小銭稼ぎのチンピラが…。

その言葉
きっちり利子付けて返しまっせ!

うちには一銭も入れんちゅうわけか。

難波の金融業を描いた「ミナミの帝王」は
大阪で知らぬ者はいない。

私たち 人呼んで…。

Vシネマは 知恵と工夫の固まりだ。

アイキャッチ… ジャンクション!

予算がない中
突拍子もない表現を次々生み出した。

どうしたの!

おしゃべりだけど用心深い…
あんた 確かそう言ったな。

そして Vシネマには こんな名優も。

この底知れぬエネルギー
一体 どこから生まれたのだろう?

運命の分岐点は…。

Vシネマの製作発表が行われた日です。

映画でもテレビでもなく
レンタルビデオ専門に

オリジナルの作品を10本 作る。

駆り出されたのは
当時 人気の俳優や原作者たちでした。

第1の視点は…。

何とも野心的な この企画を生み出した…

型破りなVシネマで天下をとる。

恐れを知らない豪腕で
奇想天外なジャンルを立ち上げました。

Vシネマに命を懸けた男の
アナザーストーリーです。

(取材者)お願いします。

待ち合わせは おしゃれなバー。

仕立てのいいスーツで現れた
その男の名は…。

映画の名門 東映の子会社
東映ビデオの社長だった。

この会社の本業は
東映の映画をビデオにして販売すること。

そして カラオケ用の映像作りだった。

なのに なぜ
Vシネマに挑むことになったのか?

我々の企画 製作 販売ということで
全力を投球いたしまして

ここに あえて
10本の製作をしたわけでございます。

Vシネマに込めた野望と情熱は

88歳の今も健在だ。

(取材者)どういう意味ですか?

(取材者)ビクトリー?

ビクトリー。

渡邊は一体 何に勝とうとしたのか?

1980年代。

映画館には閑古鳥が鳴いていた。

ああ 日本映画はジリ貧だったのだ。

それは 名門東映も 同じこと。

かつては
年間100本を超える映画を量産したが

80年は 月に1本。

しかし この男
親会社の不振にいきまいていた。

その試みが
どれほど大それたものだったか。

そもそも渡邊が身を置いてきたのは

映画会社では本流とはいえない
テレビ事業部。

だが 逆境になると むしろ燃えるのが

渡邊という男だ。

1970年代 漫画家とタッグを組んで
生み出したのが あの「仮面ライダー」。

当初は赤字だったが
見事 記録的ヒットに導いた。

その他にも 時代劇にアニメ 特撮ヒーロー
誰もが知る大ヒットを

数々 生み出してきた。

一度 食らいついたら
ヒットするまで諦めない。

まさに 猛獣のような男。

遊びも豪快だった。

それをよく知るのが
60年来のつきあいだという この男。

銀座のバーテンから
日本有数の映画配給会社を興した大立者…

そんな男だからこそ
流行の移り変わりにも目ざとかった。

このとき 目をつけていた現象があった。

1980年代半ばに巻き起こった…

街なかには あっという間に
1万5, 000軒もの店が出来た。

ところが 一つ問題が。

どの店も ソフトが足りなかった。

邦画不況で新作が作られなかったからだ。

で 渡邊 ピーンときた。

レンタルビデオ用の新作があれば
必ず需要があるはず。

では どんなジャンルが受けるのか?

調査を担った一人が 部下の…

任侠映画の
プロデューサーだったが

邦画不況のあおりで
子会社に異動になっていた。

これは 吉田が実際に行った調査を
忠実に再現したものだ。

時は トレンディードラマ全盛。

レンタルビデオ店にはそうしたドラマには
満足できない若い男たちがあふれ

もっとアクの強いものを求めていた。

そこで 吉田は思わぬ場面に出くわした。

客は 2泊で返却するビデオを
何本もまとめ借りしている。

そんなに見きれるのか?

兄さん 5本もビデオ借りて
全部見れるの?

ああ… 2日ぐらいで全部見るよ。

俺は つまらないところは
早送りで飛ばすけどね。

早送り!?

映画屋の吉田にとって早送りは屈辱。

しかし 渡邊は笑い飛ばした。

それを逆手にとって
ある方針を打ち出した。

明快じゃない。

快適じゃない。

とにかく ど派手でスピーディー。

渡邊は 快テンポのアクションものを
ラインナップで出すと決め

すぐさま準備を始めた。

慌てたのは 親会社だった。

「このご時世に 新作が売れるわけがない」。

撮影所は使えないことになった。

そして 俳優や監督からも
力を貸せないという つれない返事。

この逆境 もちろん渡邊は めげなかった。

むしろ 燃えた。

そうでしょ。

ビデオの「V」でもあるのだろうが

それはまさに
負けられない闘いだった。

早速 第1作の製作を開始。

ところが いよいよ撮影に入る前日。

渡邊から突然 中止命令が。

俳優もスタッフも準備万端なのにだ。

(取材者)明日!?
翌日ですよ。

渡邊には テンポも内容も
気に入らなかったらしい。

現場の混乱など お構いなしだった。

で とんでもない命令を下した。

20~30代 経験のない若手を
製作陣に据えたのだ。

プロデューサーになった 加藤和夫。

なんと 新入社員だった。

27歳で もちろん映画作りは経験なし。

Vシネマって
どういうもんだか分からんけど

とにかく
どういうことをやろうとしてんのか

とりあえず やってごらんになって。

それに我々はうまく…
うまくではないんですけど

ヤッホーでのってったっていう感じだと
思うんですよね。

企画は イカした車で 派手に
鉄砲を撃ち合うハードアクション。

みんな 燃えに燃え
撮影は動きだしたが…。

段取りが分からないんですよ。
もう ほとんど みんな

生まれて初めて スタッフ…
普通の映画だったりテレビで撮ってる

スタッフが来たので 「どうなってんだい」
みたいな話になったりとか。

昼飯 食ってたんですよ。
そしたら 製作部の助手の子が

「あの…」って来て
「何?」って話をしたら…

燃えたのは スタッフではなく 車だった。

カーアクションの要が消えた。

だが 落ち込む暇はない。

ならばと
拳銃のぶっ放し方に全てを注いだ。

有り余るお金があったわけじゃないし

何とか その中でできることを
必死こいて みんなでやってみたいな…。

全員が どっかで ある瞬間から
覚悟をしちゃったっていうことだと

思うんですね。
それも 決死の覚悟じゃなくって

なんか みんなニヤニヤ ニコニコしながら
一斉に走ってるみたいな

そんな感じかもしれないですね。

完成したのが こちら。

ガンアクションに全てを懸けた作品だ。

世良公則演じる刑事と犯人が

全編 ひたすら銃をぶっ放す。

は~っ!
(連射音)

(連射音)

これが よもやのスマッシュヒットに
なるから 世の中は全く分からない。

レンタルビデオランキングでも
映画を差し置き…

この時 映画会社の反応は
一体どうだったのか?

さあ一体 渡邊は どうしたか?

尻尾を巻く… わけがなかった。

これだ。

もう あれですね…

渡邊は 勝負に出る。

東京タワー真下の高級ホテルで
Vシネマ旗揚げを ぶち上げた。

それが あの記者会見。

一気に 10本分の製作を発表する

圧巻ぶりだった。

銀座の帝王と言われた人脈を駆使し

渡邊は 名だたる俳優や監督
原作者を口説いた。

我々の企画 製作 販売ということで
全力を投球いたしまして

ここに あえて
10本の製作をしたわけでございます。

背水の陣で送り出した作品たち。

そのほとんどが 映画不況の中 大ヒット。

そして翌年には
月に2本を作る量産体制に入っていく。

そうでしょ?

やるなら ド派手に。

それが渡邊の 流儀。

渡邊が人生をかけて勝負に出た
Vシネマの製作発表。

よく見ると その壇上には

明らかに周りとは違う空気を まとった
男性がいました。

2つ目の視点は 哀川 翔。

独特の存在感を放つ
個性的な俳優です。

その当時の彼は 役者の経験が
ほとんどありませんでした。

いきなり主役に
抜擢された 哀川 翔。

やがて彼は
「Vシネマの帝王」と呼ばれるまでに

のし上がっていくのです。

「働き方改革」という言葉など
まだ この世に存在しなかった時代。

壮絶な撮影現場を生き抜いて
人生逆転を図った男の

アナザーストーリーです。

どりゃ~!

野性味あふれる演技で活躍する
俳優 哀川 翔。

我々は皆 豊臣家のおんために

はせ参じたものばかりでございます。

哀川が おとなしめの車で現れた。

(取材者)おはようございます。
おはようっす。

Vシネマとの出会いは
哀川の人生を大きく変えた。

うわ すごいな~。 何だ これ。

あの日の高揚感は忘れられないという。

(哀川)すごかったもんね。
みんな こう 有名な方々ばっかで。

もう それなりに形つくった人たちが
来てたっていうね 感じだったけど

俺 それどころじゃねえ みたいな。

「やるぞ!」みたいな。

哀川にVシネマの出演オファーが
来たのは バブル絶頂の…

当時の哀川は…。

一世風靡セピアのメンバー。

♬~(「前略、道の上より」)

ところが この年 メンバーの
方向性の違いから

突然 解散した。

当時 28歳。 これから どうするか?

そんな時 Vシネマのオファーが届いた。

(哀川)うわ~ 来たね。

もう この なんか
「貸し出しできます」って すごくない?

デビュー作
「ネオ チンピラ 鉄砲玉ぴゅ~」。

哀川演じる
主人公は

対立する相手を命懸けで殺す
鉄砲玉に任命される。

菊池。
はい。

川村。
はい。

順公。
はい。

怖くなったアニキたちが

次々 「ぴゅ~」っと
トンズラする中

1人残されたチンピラが

覚悟を決めるまでの
葛藤が描かれている。

しかし哀川
全く乗り気ではなかった。

その時 ほら
芝居したいと思ってなかったから。

「俺は歌でいいんだ」なんて思ってたから。

だから 全く興味がなかったです 当時。

だって 芝居の勉強したことないんだから
一回も。

ないんだから。
踊って歌ってただけだから。

それに オファーが うさんくさかった。

演技経験が ほとんどないのに
いきなり主役。

それでも
スタッフのしつこさに根負けした。

実は 新人プロデューサーだった岡田

キャスティングが
崖っぷちだった。

電話出た人が 社長につなぐ時に
社長が それを聞いてて 遠くから…

そんな岡田が哀川に たどりついた理由が
ぶっ飛んでいる。

スタッフは1か月かけ
六本木で聞き込みを続けた。

そして
岡田が手にした有力情報が 哀川だった。

一世風靡セピアの解散後
毎晩 元気に飲んでいるという。

しかも とっておきの情報があった。

(岡田)…っていう情報を得て。

もう一月 延ばせませんかっていう話を

翔さんの方に聞いたら 「どういうこと?」。

必死で説得する岡田を
哀川は いぶかった。

なぜ俺なんだと。

いや なんで俺なのって聞いたよ。

聞いたの 「えっ なんで俺?」って聞いて

いや 六本木で一番元気だって
聞いたからって。

あっ それならいいやと思って。
それなら納得するけど みたいな。

じゃあ 監督に会おう。

だが その名を聞いて 戦慄が走った。

監督は
ピンク映画出身の鬼才…

「新宿の暴れん坊」と恐れられる
武闘派だったのだ。

(取材者)なんで…?

こうして 六本木一
元気な男と

新宿の暴れん坊

新人 岡田の顔合わせが
始まった。

ちょっともう半身でね 俺も椅子に座って。
何があるか分からないから。

そんな殴りかかってくる
なんてことはないのに

もし殴りかかってきたら どうしよう
みたいなところもありましたよね

なんか知らないけど。

役に対しての質問とか
そういうのは なんか一切なくて。

いてついた空気を破ったのは
新宿の暴れん坊だった。

「哀川…」とか言って…

「この人 俺と3本もやろうとしてるんだ
いきなり」みたいな。 全然知らないのに。

こちらが 元新宿の暴れん坊 高橋伴明。

哀川の どこが気に入ったのか?

確かね センチュリーに乗ってたんだ 彼。

(取材者)渋いっすね。

(高橋)
「今どき?」と思ったね。 この若さでね。

なんで こんなの乗ってるの
って聞いたら…

1本だけじゃ もったいないな
っていう感じはした。

間もなく 2人の共通点が分かる。

(飛来音)

哀川の父親は 自衛隊のパイロットだった。

哀川が 5歳の時のことだ。

高橋も 若くして父親を亡くした。

そんな運命の重なりが
2人を近づけたのかもしれない。

「鉄砲玉ぴゅ~」の撮影が始まった。

その現場は とにかくすごかった。

いつも 1時2時 終わるの。

(取材者)夜の?
夜の。 夜中の。

夜中の1時2時で 帰りも3時。

それで また朝7時集合。

それがね 毎日だった 3週間。

俺 おかしいと思ったもんね。

(取材者)そこからですか?
それが すごいと思ったね。

飲んで 結構…

現場が好きなんだよね。

…みたいなのが よくあったよ。

それで もうグダグダになりながらやると
すぐ酒も抜けちゃって。

まあ それくらい
若かったっちゅうことだね。

そんな
はちゃめちゃな現場だったが

いざ撮影に入ると
スタッフの熱は すごかった。

その姿を見た哀川も 腹が決まっていく。

でも やっぱり それは
この低予算なんだけど

その低予算をギリギリ使って
はしょることなく 全開でやった。

想いだね それは。 意地だよね。 うん。

映画に負けないんだっていうさ
その やっぱり意地なんだろうな。

俺も必死だったもん。 うん。

自分自身にも負けたくなかったし
相手も そうなんだけど

現場の監督とか カメラマンとか

それと録音部さんとか
いろんな要するに技師さんにも

負けたくなかったし
っていうところがあって

絶対この人たちに うんと言わせて
やるんだみたいなところがあったから。

そして 作品は完成した。

哀川は 鉄砲玉に任命された
チンピラを

体当たりで演じた。

♬~

人を 殺さなきゃいけないんだよ。

ビビって
逃げださないように。

畜生!

主人公は 覚悟を決める。

♬~

この作品で 哀川は
大事な気付きを得る。

自分が なんか芝居に対する想いを
存分に こう メッセージできたというか。

はあ 俳優業っていうのは
すごいなというね。

「鉄砲玉ぴゅ~」は
若い男性の心を がっちり つかんだ。

レンタルビデオの
貸し出し回転率では

あの 「インディ・ジョーンズ」を抜いた。

やがて哀川は
チンピラ役から 組長へ。

黒田! 死ねや~!

(銃声)

Vシネマの帝王として ヒットを支えた。

Vシネマから育った俳優は
哀川だけではない。

寺島は Vシネマ第1作に出演。

役者をやめようかと悩んでいたが

初めて名前のついた役を もらったのが
うれしかった。

そして 苦労続きの30代
40本近くのVシネマに出演して

腕を磨いたのが…

例えば台本上に 何々と何々が
対決するみたいな

そんなことが… やり合ってることが
数行に書かれてるのを

どうやれば
スリリングなものになるかを

監督も含めて俳優たちが
いろいろアイデアを出して

どの現場に行っても
「えっ!?」と思っても 何かあるだろう…

宝物です ほんとに。

タフで エネルギッシュな現場が
彼らを鍛えた。

その後も哀川は壮絶な現場を
いくつも くぐった。

冬の海で必死になって泳いで

しかも 15分フルでまわすから
お前 頑張れよって言われて。

やっとの思いで終わって
はぁ… って思ったら

ごめん 哀川
もう一回やってくれないかって。

だから そういうね
過酷な思い いっぱいした。

雪にも埋められたし つるされたし
まあ いろんなことやりましたよね。

そんなことで
差をつけられてはたまらん。

それだけは言うておくぞ。

≪さすがは黒田家随一の豪傑。

今 テレビや映画で活躍を続ける。

Vシネマは
B級作品と見られることも多い。

それをどう思うか尋ねると
こんな答えが返ってきた。

なかったら もう 違う職業とか
やってたんだろうな 俺 多分なぁ。

カブトムシのおじさんに
なってたのかもしれないしな。

(笑い声)

熱狂的なファンを増やしていくVシネマ。

しかし 製作現場では
ある問題を抱えていました。

あまりにも製作本数が多すぎて 肝心の
スタッフの数が足りなくなったのです。

第3の視点は そんな事情から
思いがけず監督になった男…

監督になるなど夢にも思っていなかった
三池が生み出したのは…。

サイボーグになったヤクザに

レオタード姿で犯人を逮捕する
女性警察官。

破天荒な手法に次々に挑んだ三池は

やがて カンヌ映画祭に
招待されるまでになります。

常識破りの過激な作品を作った男が

逆境から自らの道を切り開いた
アナザーストーリー。

一見 怖そうに見えるんですが
とっても優しい監督なんですよ。

♬~(ピアノ)

日本一忙しい映画監督と言われる

鬼才 三池崇史。

Vシネマで監督デビューし
Vシネマで腕を磨いた。

(拍手)

あのカンヌ国際映画祭では
5作品が上映された。

そのうちの1つは Vシネマ作品だ。

三池は どうやって
Vシネマから世界へ羽ばたいたのか?

大阪府八尾市で育った三池。

映像業界に入ったのは
専門学校在学中の二十歳の時だった。

フリーの助監督として
テレビや映画に携わったが

監督になろうとは
つゆほども思っていなかった。

なりたいとも思ってなかったですし…。

俺は まあ ブルース・リーに
なりたかったんですよね。

(笑い声)

で 多くの映画会社は

東大・京大・慶應・早稲田・一橋とか 普通…。

学力検査 試験で受けるから。

ところが…

Vシネマの勢いに目をつけた
テレビ局や大手商社など40社が

次々 市場に参入。

Vシネマは戦国時代へ突入した!

競うように作品を作ろうとした結果

招いたのは 深刻な…

そこで白羽の矢が立ったのが
助監督10年目の三池。

ある企業から
監督オファーの声がかかった。

映画はハードル高いけど
Vシネマだったら4, 000万か… っていう。

お小遣いを なんとかして
要は ランボルギーニ買う代わりに

Vシネマ作ってみました みたいな
そういう人たちがいたんですよ。

…っていう感覚で。

ひょんなことから監督になった三池。

しかし状況は厳しかった。

何の準備もしていないのに
撮影が1か月後に迫っていたのだ。

始まってみると もう無我夢中…
我を忘れて 一生懸命 わ~っと楽しむ。

ほんとにお祭りになるんです 気分的には。

わ~… で こうだ こうだ… わ~って。
まただよ! また徹夜か! みたいな。

で 眠い…
寝た寝た! とか言って。

で う~んって レフ持って
う~んって起き上がる。

その オーバーにやって… で~し! って。

いやいや
そんなんしなくてもいいじゃんって。

命 懸けたね 今 みたいなね。

デビュー作は
「レディハンター」。

アイドル 柏原芳恵が演じる元自衛官が

悪の傭兵軍団と戦うハードアクション。

気合いの入った三池は
爆薬を多用し 派手に撮りまくった。

(爆発音)

でやっ!

どんどんテンポアップして
撮らなきゃ駄目だよとかっていう

先輩たちが 突然 現場に現れて
アドバイスしだしたりとか。

やりたいようにやった結果は

アクションに金をかけすぎ
赤字。

しかし
壮絶なVシネマの現場は

大切なことを教えてくれた。

妥協する。 うわ~ これ 時間ない!
もう… こうやれば撮れるじゃんって。

ああ なるほどねって。
追い詰められたから思うんだけど

結果 見て つないでみると
いいカットなんですよ。

計算したものだけじゃなくて
こうやろうと思ってたものが

いろいろ思いどおりにいかなくて
いろんな面で。 崩れてきた時に…

そして三池は 休む間もなく
2作目に突入していく。

それが この作品。

私たちにも段取りがあるの!

(一同)私たち 人呼んで…。

(一同)アイキャッチ・ジャンクション!

この作品で三池は 斬新な演出に挑んだ。

ホラーなカメラワーク。

お色気シーンも新たなアイデアで撮影。

映画界の常識を
かまわず踏み越えていった。

4, 000本ぐらい売れれば
製作費 回収できるんですよ。

パッケージとして置くと もう
せいぜい こんな… 4, 000本ぐらい。

だから なんか 自由なんですよね。

三池作品に数多く出演する遠藤。

撮影現場で驚くべき光景を見た。

山の中に… 川とかあって そこに
いろいろセットを組んでたんですね。

それが全部流されちゃったんです 台風で。

即座に違う発想にして

ラストシーン近くを
まるで変えたものにして。

だから三池さんも そういう
きつい しんどい現場の中で…

あらゆるアクシデントを
知恵と工夫で乗り越える。

企画は どんどん ぶっ飛んでいった。

この背の墨が…。

殺されたヤクザが
サイボーグとなって復讐する

「FULLMETAL 極道」。

哀川 翔と 竹内 力の ダブル主演。

「DEAD OR ALIVE」。

(叫び声)

(爆発音)

予算や期間が激減しても

三池は自由に
そして過激になっていった。

なんか全く規制がないから 好きなこと
やろうぜみたいなところがあって

Vシネマは すごくすばらしかったって
当時…。

…って 三池さんもおっしゃってました。

そして 2003年。

三池の集大成とも言える作品が生まれた。

始まりは ある俳優からのひと言だった。

それはビデオも売りやすいので

ヤクザが主人公だったらいいんだよね。

設定は Vシネマでは
やり尽くされた ヤクザ。

予算は全盛期の半分以下。

これまた厳しい条件だった。

ならばと 制約を逆手にとり

奇想天外な世界観をつくり上げた。

やべぇ。

止めろ!

(ブレーキ音)

むちゃくちゃをしでかす
ヤクザの兄貴分を

処分するよう命令された弟分。

だが 兄貴が死んだあと
恐怖の世界に引きずり込まれる。

ああ… うっ あ… あっ!

そうやって作っていくと
今度は面白いことに…

なんと 作品は

カンヌ国際映画祭の
「監督週間」に招待された。

「日本ヤクザ
カンヌに衝撃」。

エネルギーあふれる作品に
観客は熱狂。

「三池ワールド」と絶賛された。

(拍手)

いっとき やっぱり 映画監督とかって
呼ばれるのが気恥ずかしかったんで

自分では「映画監督もどき」。
(笑い声)

でも 自分の中では
映画監督とかって呼ばれると

さっき 「もどき」ってつけてた
時期があるみたいに…

…っていうのは ずっとありますよね。

監督になるはずのなかった男は

Vシネマで世界に羽ばたいた。

Vシネマ。

予算も時間も
到底 恵まれたとは言えない環境の中で

自らの知恵や発想を工夫して
斬新な手法を生み出した人々がいました。

はちゃめちゃで無鉄砲だからこそ
タフな役者 強じんな製作者が育ちました。

そして 数々の目をみはるような作品が

この強力なエネルギーから
生み出されていったのです。

Vシネマは以前に比べると
衰退しつつあります。

けれど あのころ培われた
タフなスピリットは永遠です。

あれから30年がたった今でも
Vシネマには熱狂的なファンがいる。

これなんか ヤクザ映画でしょ。

実録だとかいうのが面白いよね。

どうだろ…。

あ これもVシネだ。
セクシー系のVシネ。

その後も多くの才能が
Vシネマで腕を磨いた。

海外でも高い評価を受ける…

そして 「リング」で
世界的に有名になった…

Vシネマの現場にいた彼らを見いだし

メジャーな存在に引き上げた
プロデューサー…。

今まで経験したことなかった
新しいものを感じたから

やっぱり この 若い人たちと一緒に
賭けてみようというのは

そこが一つの原点かなっていうふうに
今だったら思えるんですけどね。

Vシネマ史上
最年少で監督デビューした…

Vシネマとして製作された
「呪怨」は

その怖さが口コミで広がり

後に ハリウッドリメイク。

ハァ ハァ…。

ハッ…。

日本人として初めて

全米興行成績1位を獲得した。

今も最前線で闘っている。

よ~い… はい!

僕の場合は そのVシネマという
土壌があってくれたことで

チャンスを頂けたし
今があると思ってますね。

もう何でもいいから
じゃあ その条件をもとに

自分のやりたいことを
詰め込んでみようじゃないかとか

思いをぶつけて 作品を作って

そっから のし上がってくる。

Vシネマの 逆境と闘う魂は

今も生きている。


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