ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ THE ALFEE×宮嶋泰子 なぜ45年も一緒にいられるのか?解散しないのか?


出典:『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ THE ALFEE×宮嶋泰子』の番組情報(EPGから引用)


[字]ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ THE ALFEE×宮嶋泰子


結成から45年、今まで解散のことは全く考えなかったという3人。好きな音楽が違う3人がなぜここまで続けられたのか?笑いを交えたトークで全てが明らかに!


詳細情報

番組内容

美しい顔立ちに長髪でエレキギターをかき鳴らす高見沢俊彦。アコースティックギターを担当し音楽の知識は随一、軽妙なトーク術を持つ坂崎幸之助。スーツ姿にサングラス、誰もが聴き惚れる歌声の桜井賢。個性がバラバラな3人が音楽ルーツを詳しく語る。

1974年にデビューし、ヒット曲が出るまで9年間の売れない時期を過ごした。疑問だらけの新人時代、レコード会社との契約破棄…現在の3人からは想像できない秘話が明かされる。

番組内容2

地道なライブ活動と楽曲制作を続け、ヒット曲がないにも関わらず1983年には武道館公演を行えるほど人気が高まる。その公演前に発表したシングル「メリーアン」が大ヒット。高見沢曰く「売れるとは思っていない興味のない一曲だった」という。ヒット曲誕生の裏話とは。

また、ライブの数が通算2700本を突破した彼らに、その魅力や想いを聞くほか、「なぜ45年も一緒にいられるのか?解散しないのか?」という質問も投げかける。

出演者

【ゲスト】THE ALFEE(ミュージシャン)

【インタビュアー】宮嶋泰子(テレビ朝日スポーツコメンテーター)

次回放送予定

次回12月29日(土)はシンガーソングライターの半﨑美子に、編集者の舘野晴彦が迫る!お楽しみに!

番組概要

様々なジャンルで時代を切り開いてきたトップランナーたち。彼らはどのようにして“新たな時代の扉”を開いてきたのか?人間洞察のプロのインタビュアーによって、知られざる「裸の履歴書」が明かされる!!

番組ホームページ

<番組ホームページはこちら!>

www.bs-asahi.co.jp/interview/

制作

BS朝日、ViViA



『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ THE ALFEE×宮嶋泰子』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ THE ALFEE×宮嶋泰子
  1. 桜井
  2. 坂崎
  3. ライブ
  4. 本当
  5. デビュー
  6. 僕ら
  7. 高見沢
  8. グループ
  9. ヒット
  10. アルフィー


『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ THE ALFEE×宮嶋泰子』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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〈若者のさざめきが
あふれている街 東京 原宿〉

〈半世紀近く前

誰が このにぎわいを
想像しただろうか?〉

〈竹下通りを見下ろすビルで

60も半ばになろうという
男3人も

感慨に ふけっていた〉

皆様 こんばんは。
はじめまして。

どうも
今日 よろしくお願い致します。

テレビ朝日の
宮嶋と申します。

アルフィーです。
よろしくお願いします。

いや また ここ
すごいところですね。

すごいね ここ。

原宿が一望 出来るんですけど。

竹下通りじゃないですか! これ。
そうなんですよ。

なんか 「今日 ここで」って
言われたんですけど それはまた?

やっぱ 原宿はですね

まあ 僕 結構10年近く
ここ住んでた事がありまして

学生時代から。
学生時代!

ええ だから
そこで3人で練習したりとか。

あ~ じゃあ 思い出の場所?
そうですね。

『メリーアン』とか デモテープなんかを
僕の部屋で作ったりとか。

そうなんですか。
ええ だから この辺は…。

こんなに
開けてなかったですけどね。

こんなに人が
いなかったですけどね。

そうそうそう 実は

私 皆さんと
まさに同じ年代なんです。

学年が一緒なんです。
同学年ですか? あっ…。

そうですか。
じゃあ お互いに呼び捨てで。

あっ はっ はっ…。
そういう事じゃなくてね。

じゃあ 原宿の
その変わりようも…。

もう 知ってますよね。
はい はい。

ぜひ 今日は いろいろと…。

(一同)よろしくお願い致します。

♬~

〈THE ALFEEが
結成されて

今年は
ちょうど45年の節目に当たる〉

〈リーダーは
エレキギターの

〈坂崎幸之助は

アコースティックギターと
コーラス〉

〈ベースの桜井賢が

メインボーカルという
3人組〉

〈長い助走期間を経て
80年代に大ブレイクを果たし

以来 数々の
大ヒットを生んできた〉

♬~「あなたを見た」

♬~「すがるような瞳と」

♬~「風に揺れる長い髪」

♬~「ときめく出逢いに胸は
はりさけそう」

♬~「メリーアンメリーアン」

♬~「メリーアン
Won't You Stay For Me」

♬~「星空の下の
ディスタンス」

♬~「燃え上がれ!
愛のレジスタンス」

〈何よりも大切にしている
ライブは

〈国内で
これだけの実績を誇るバンドは

他にない〉

〈THE ALFEEは
いかに生まれ

いかに成功したのか?〉

〈3つの個性が語る
愉快な思い出話には

唯一無二の輝きがあった〉

♬~

♬~

もう この先

半分もう諦めかけましたね。
ダメだったんで。

その時 アルバムを
作ってたんですよ。

あっ そう。
僕も どれでもいいから

「いいっすよ それで」。 いいよ…
そんなもんでみたいな感じで。

今 平均はそうかな。

年間60本。
多い時は どのぐらい?

ねえ。
ねえ。

これだけ長くやってると。

この秘訣を…
例えば 他の3人組に

っていう事が
一番大きいと思いますよね。

〈現在のTHE ALFEEは

3人が明治学院大学在学中に
誕生した〉

〈時は 1970年代の初め〉

〈学生バンドが
プロへと羽ばたく事も

夢ではなくなった時代の事だ〉

〈彼らの音楽的ルーツは

それぞれ 微妙に
異なっていたらしい〉

いや もう なんかね
ここ来て これを見るだけで

ああ 同じ時代なんだな
っていうのが

すごく よくわかるんですよね。
同年代ですからね。

本当に サイモンとガーファンクル
それから

レッド・ツェッペリンって もう
本当ね 嬉しくなっちゃいます。

皆さん 学生の頃って
どうだったんですか?

それぞれ 好きな洋楽の人たち
っていうのはあったんですけど

でも みんな やっぱり
同じようなの聴いてますよね。

うん そうですよね。
でも 僕は これはですね

高校の時に…。
君は これか。

武道館で 来日コンサート
見に行きましたから。

それで ハマッちゃったんですよ。

やはり これは…
これでバンドっていうか…。

うん ですよね。
まずは ええ。

ツェッペリンが
僕の入り口でしたね。

高校時代。
その前は これでしょ。

あっ これはね ビートルズ。
そう その前は このビートルズ。

これは 小学校の頃ですけどね。

(坂崎)これが出たのは 中2か。
うん これ 中2です。

(坂崎)68年ですね。
これは やっぱり

これは もう外せないですね。
入り口。

で 桜井さん これだね。
桜井は これですね。

ああ~
サイモンとガーファンクル。

こっちの方が好きでした。
ハッハッハッハ…。

(坂崎)こちら推しでしたか。

このコピーバンドで
桜井のグループが

優勝したんです 高校の時。

高校3年の時。
明治学院高校。

『The Boxer』っていう歌で
それコピーして

コンテストに出て 優勝して。

で 僕は その時 高校の時

これやってましたんで 2人…。

アハッ。 で その頃?

坂崎は この時は これだね。

え~。
ハッハッハッハ。

この辺も好きでしたけどね。
こっちじゃないですか?

あなたは 最初は こっちでしょ。

フォーク・クルセダーズね。
「おらは死んじまっただ」。

(坂崎)「おらは死んじまっただ」。
「なあおまえ」ですよね。

ねえ~。
(スタッフの笑い)

これ 中学1年の時ですね。
はあ~。

高校に入って
こんな感じになった時に…。

ああ ガロ。
これ 全員 全員ね。

あっ これ 全員ですか?
全員好きですよね。

(坂崎)大好きでしたね。
で 大学に入って

3人で これ。

クロスビー・スティルス…。
CSNY。

これをコピーして。
(坂崎)ニール・ヤングとかですね

デヴィッド・クロスビー。

「高見沢 これ聴いてたの?」
みたいな。

ツェッペリンじゃなかったんだ。
これとこれじゃ

合わないですからね。 やっぱりね。
そうですね。

ええ これとこれは。

入り口は これだった
っていうんで

あっ 一緒じゃん 高見沢。
やっぱ 同世代だな。

兄貴の影響で
小中学校ぐらい聴いてたんで。

私たち 英語を覚えると
必ずビートルズの

こうね 歌詞を書いて

一生懸命覚えたりして。

それで これやってんだけど

一番上のコーラス…

これ3人のハーモニーなんですね。

「一番上のコーラスって 桜井でも

ちょっと高いんだよな」って
話してて

「1オクターブ下げて
やってみる…」。

歌ったら 歌えたんです。

やっぱり これやってましたから。

これやってましたね。
これ「アーアーアー」でしたから

高かった。 ハハハ。
へえ~。

それで じゃあ 3人で
これハモろうよ。

コピーしようっつって。
これ やりだしたね。

コピーしだしたんです。
これをコピーしていた

日本で一番うまかったグループは
これですよね。

あ~。
これだ これだ…。

アハハハハ…。

名前言えよ 名前。
僕らの先輩なんですけどね。

ガロね。
ええ お世話になりました。

私たちも よく聴きました 本当に。

このガロが
この クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの

コピーがめちゃうまくて。

全部ひも付いてますね
この辺がね。

ひもが繋がってますね。
アルフィーとね。

へえ~。

〈当時から
卓越したテクニックと

ハーモニーの美しさを
武器にしていた3人は

大学2年で デビューを果たす〉

♬~

〈デビュー曲 『夏しぐれ』は

ゴールデンコンビといわれた
松本隆と筒美京平が

作詞作曲を手がけている〉

〈だが 残念な事に売れなかった〉

でも デビューしてるの
大学時代でしょ?

大学2年の時ですね。

74年。
19… 二十歳。

でしょ? 大学にいながら
デビューしちゃうって

これまた すごいなと
思ったんですけど

まあ 当時は
よくあった事ですかね?

まあ そうですね。
結構あったみたいですよ。

でも 大学1年の時から もう
デビューの話あったよね?

桜井は その…。
僕 高校の時から

デビューの話はあったんですけど

乗り気がしないっていう連中が
何人かいたんで

ずっと延ばしてたんですけども

もう そろそろいいだろう
っていうのが

ちょうど
大学の2年の時だったんですよね。

関係ないだろ それは あんまり。

いや すごい関係あるよ これは。
そう?

大きな影響ありましたよ。
だって

って言ってんのに

高見沢が入った瞬間に…。

ひどいよね。
もう その時から 桜井は

この業界を信用してないんだよね。
そう。

ですよね それ ひどすぎますよね。

そんなデビューですから
売れるはずないですよね。

(宮嶋と桜井の笑い)
はっきり言って。

だって リードボーカル
やった事ない人間がやるんですよ。

どのぐらいでいけるかな~
っていう算段はあったんですか?

いや 最初が… ねえ。

全く。
ないよな。

っていうか 最初は 本当に
鳴り物入りで

かなり お金を使ったみたいで。
新聞の… ねえ。

もう 一面広告 出たりとか。

ええっ! 本当ですか?

バーッといくと
思ったんでしょうね。

思ったんでしょうね。
僕らがじゃないですよ 周りがね。

僕らの なんか コーラスが
気に入って頂いてたんで

コーラスが
すごく素晴らしいっていうんで

デビューに至ったんですけど

コーラスを
生かせるような楽曲では

なかったんですね それほど。

やっぱり ほら デビューした時
さっきも言ったように

僕がいきなり
ギター弾いてたのが

「もう ギター弾かないでいい」
って言われたんですよ。

ハンドマイクなんですよ。
ハッハハハ…。

これ おかしくないですか?
で 桜井が

ボーカルなのにギター…。
楽器やってなかったんです。

ボーカルだったんです。
それを…。

「ギターでも弾いてろ」
っていう…。 えっ!?

弾けないギターを

ず~っと 嘘弾き 弾いてたんです
エア。

エアギターですよ。
元祖ですから 元祖。

エアギター 元祖ですね 本当に。

そんな感じでしたから
やっぱり…。

そうですよね。
確かに 勢いもありましたけど。

なんとか… でも
テレビのレギュラーなんかも

『ぎんざNOW!』に
僕ら出てましたから

レギュラーで。
えっ そうなんですか。

毎週木曜日 出てましたからね。
へえ~。

じゃあ 本当 こう
結構プッシュして 会社は

なんとか売り出そうっていう
感じではあったんですね。

ありましたね。
ちょうど やっぱり さっきの

ガロとか チューリップとか
いわゆる そういった…。

バンドブームね。
(坂崎)バンドブーム GS…

グループサウンズが廃れて
数年後ですよね。

まあ フォークとかロックが
やっと そういったグループを

たくさん
デビューさせてた時期が

74年なんですよ。

その頃 他でデビューされた
グループの方って?

(坂崎)ふきのとうとか。
ふきのとうですよね。

あと 甲斐バンド。
甲斐バンドもですよ。

あっ 甲斐バンドも!
よく聴きました 私も。

あっ そうですか。

本当に じゃあ もう
みんな林立ですね。

いろんなグループが。
多かったですね。

でも それは
どうだったんですか?

自分たちの思惑とは違う
もらった曲で ちょっと違うのと

はてなマークが この辺にあって

それが結構 続かれた?

まあ 1年ぐらい
それでやってたのかな?

(桜井)そうそう。
で シングル2枚出して…。

それも鳴かず飛ばずで。

パロディソング。
おふざけソングです。

それが1975年の12月10日が
時効だったんですよ。

その日に合わせて発売を決めて。

随分 攻撃的というか そんな…。
(坂崎)そう 僕ら 普段

ステージだと
結構おちゃらけがあったんで

多分 その辺の…。

ちょっと
起死回生の一発みたいな。

ただ 乗り気か乗り気じゃないか
といったら 僕ら

3人とも また はてなマーク
いっぱいでしたよ。 そういう曲。

でも 周りが そういうブーム…。

なんていうの…
機運があったんで

出てたんですけど…。

はあ?
その時効の前の日に

発売中止なんですよ。
理由は?

理由はですね やっぱり こう

その当時 僕らが
所属していたレコード会社の

社の良識に合わないという

まあ そういう見解のもとに
発売中止なんですよ。

放送禁止とかじゃなくて発売中止。

自主的にですよね。
そう 自主的に。

そんな事あるんですか?
(桜井)そこで 急に

「今日から歌わなくていい」
って言うから

「なんで?」って言ったら
「発売中止になったから」って。

はあ?
前代未聞です。

制作会議とか 営業会議とか…。

やってよねですよね ちゃんと。
やってるはずなんですけどね。

でも そういう事も
一切 僕ら聞かされず

九州かどっかのツアー…。
そう ツアー中ですね。

ちょっとショックでしたね。
やっぱりね。

だから それで まあ
発売中止になって

それも
オリジナルじゃないんですよ。

やっと。
やっと お尻に火がついて。

それから じゃあ
自分たちでやる気になったと。

もう 楽曲を作ろうみたいな事に
なりました。

〈この出来事を機に

3人は 所属していた

〈ライブ活動の一方で

研ナオコや
かまやつひろしなどの

バックバンドを務めながら

楽曲作りに励んだ〉

〈役割分担は
おのずと決まったそうだ〉

曲は でも お作りになるのは
お好きでいらしたんですよね?

いや 好きとか嫌いとか もう
やらなくちゃしょうがないですよ。

やらざるを得ないというか。
でも やっぱり向いてましたね。

3人で自分の楽曲を

3曲ぐらいは書いてこい
っていうんで

会議とかやるじゃないですか。

アハハハッ。

(桜井)やっぱりね
向かないものは無理ですよね。

そうか。
そこで もう 割り切って

お前は作れ もう
という事になったんですよ。

自分たちの アルフィーっていう
カラーを作るために

坂崎がDJとかをやってたんで

一応 宣伝部?
宣伝部で。

桜井が歌ってたんで
営業部。

一応 で 僕が
制作部という事で

一応 一手に引き受けるように
なりまして。

いろいろ
紆余曲折あったんですが。

で 僕 曲を作るようになって

そこで こう バランスよく
歌を作るようになりましたね。

じゃあ 曲作る時には なんか
気にされた事とかありましたか?

ああ ありますよ やっぱり
アルフィーは

アコースティックですから…。
当時はね。

当時のね。
当時 流行ってる楽曲が

やっぱり こう そういった楽曲が
多かった。 叙情派フォーク?

あっ そうね
ガロもそうでしたよね。

だから 叙情派フォークって
僕 知らないんで

坂崎に… 部屋行って
いろいろ教えてもらって。

これが
なんとかってグループで

これが なんとかってグループで
みたいな。

当時は レコード
よく聴きましたね。

あんまり 高校の時
聴いてなかったんで。

聴いたら 結構ね
ハマッちゃいまして 僕は。

例えば それ どういうのですか?
叙情派というのは。

フォークにハマりましたね。
ハハハハ。

高田渡さんとか… 高田さんは
叙情派じゃないですけど

生活派ですけど。
でも 渡さんだとか。

あとは それこそ まあ
グレープ さださんとか

その辺のを 高見沢
よく聴いてましたよ。

さださんのは よく聴いたな
グレープは。

でもね 難しいんですよ。
周りのスタッフの人たちがね

「いいか? 高見沢
『神田川』みたいな曲 作れ」

って言うんですよ。
そんなん無理でしょ?

『神田川』があれば
それでいいじゃんな。

『神田川』は売れてる曲だから。
隅田川とか作ってもね。

隅田川もあるじゃん。
「春のうららの」ってあるじゃん。

アハハハハ。

あれは
隅田川って曲じゃないけど。

利根川にしようか?
利根川もあるか。

あれは無理がありますよね。
そうですよね。

それで 当時
船頭さんが多くてですね 周りに。

高見沢… 制作部に
みんな 行くわけですよ。

「これを作れ! これを作れ」。
「今度は こういうのが流行るぞ」。

「こういうのがいい。
これがいいんだ」って。

ああ~ もう爆発…。
頭の中… ウニでしたね。

そうですよね。

〈作りためた新曲で

再デビューを果たしたのは
1979年〉

〈相変わらずヒットには
恵まれなかったものの

ライブの集客力は
着実に伸びていった〉

〈彼らの底力は

この時期に
鍛えられたのかもしれない〉

まあ その… それ 2枚目の
アルバムなんだけども…。

これですか? ワ~オ。

(坂崎)これは
レコード会社 変わってからの

2枚目の…。
髪の感じも 随分違う。

(坂崎)すごいですよね。
桜井さんは同じですけど。

80年ぐらいから
坂崎がDJやるようになって

そこで 少しずつ
全国に名前が知られてきて

営業部のですね 売り上げが
伸びてくんですよ すごく。

ここがすごく かなりね
助かりましたよ。

かなり それなりに

小ホールぐらいは だんだんね。
(坂崎)そうですね。

ツアー出来るように
なったんですけどね。

私 それ ちょっと伺って

何年も ヒットがない…
じゃないですか ここまでね。

だけど いろんなところで
ライブやると

そこそこ こう
お客さんがガーッと集まって。

それは なんだったんですか?

ものすごく 評判
よかったんですよね ライブって。

はい ライブ そうですね。

まあ すごく こう…。

それで 息も長いし ええ。

それは すごく嬉しいですよね。

だから ライブ自体は 本当に

レコード会社のない時期も

よく ラジオの公開番組とか
そういうのに呼ばれたんですよ。

「僕ら レコード出してないんですけど」
とかって言っても…。

面白いから。
(坂崎)打ち上げも

盛り上げてくれるしみたいな。
え~! ハハハッ。

だから 高見沢が
その曲をね 作ってる時でも

「坂崎 ちょっと お前

しゃべり勉強してこい」
とかっつって

タモリさんとか
赤塚不二夫さんとかのグループに

一人で行ったりして。

その時に 僕らと同世代で

一番そのグループの中で
若手だったのが 所なんですよ。

所ジョージなんですよ。
ああ 所さん。

それで
所と仲良くなって

「幸ちゃん
一緒にやろうよ」とかって

誘われたんですけど。

「いや 俺 アルフィーがあるから」
っつったら

「やめちゃえばいいじゃん」
とかって…。

軽く言われたんですけど。
ええ~。

その時に やめないで
よかったですよね。

そのあと ヒット曲
『メリーアン』が売れた時に…。

アハハハハ。
(坂崎)「アルフィーに

なんで誘ってくんねえんだ」
っつってましたけどね。

で まあ しゃべりとか
もう そういうとこでね

ラジオ的なしゃべりですけどね…。

それで あとは
じゃあ ヒット曲だけだな

っていうふうになってきたのが…。

それから
4年ぐらいかかったんです また。

そっから
また4年ぐらいかかって。

もうね 何やってもダメなんですよ
ダメな時は。

本当。 もうね ダメ。

で これで
なんか盛り上がってきて…。

これでちょっと みんなで頑張って
武道館まで行こうみたいな。

もう武道館まで
来てたんですよ ライブが。

「これでいこう」っていう楽曲が…。
ヒットの前にね。

ヒット曲がないのに
武道館で出来たんです。

それ すごくないですか?

それだけの動員力は
ちょっとついてきたって事は

確かにありましたね。
ヒット曲なしでね。

その曲も よかったんで

これで武道館にちょうどいいな
っつって。 で やったんだよね。

でも ダメでした。
ハハハ。 ダメでした。

もうそこで その時点で
もう… ギブですよね。

ギブアップですね。

〈ファンは増えているのに

大ヒットがないという矛盾〉

〈けれど 武道館ライブと同じ年

じわじわと
チャートをのぼり始めた曲がある〉

〈THE ALFEEを
代表するナンバーと

いわれるようになった
『メリーアン』〉

♬~

♬~

僕が出そうと思った
『暁のパラダイス・ロード』

っつうのが
売れなかったんで

もう 僕 ギブアップですから
もういいやと思って…。

半分もう諦めかけましたね。
ダメだったんで。

その時 アルバムを
作ってたんですよ。

いろんな曲があったんで
その時 ディレクターが

その武道館前に じゃあ 1つ

シングルカットしなきゃ
いけなかったんで

「これがいいんじゃないか」
っつって…。

あっ そう。
僕も どれでもいいから

「いいっすよ それで」。 いいよ…
そんなもんでみたいな感じで。

それでいきましょ
みたいな。

出したら
じわじわと…。

すぐは売れなかったです。

6月発売で
武道館が8月なんですよ。

そのあとです。 『メリーアン』が
売れ出したの。 9月。

じゃあ 武道館で聴いた人たちが
これいいねって…。

いや 多分
そういうのがあるんでしょうね。

じわじわ あとは
アルフィーっていうのが武道館で

ヒット曲なしで
やったらしいぞみたいな。

相乗効果かな。 だから…。

作った時も。 だから 全然。

結構ね あれ? えっ? えっ?
って感じですよね。

ほう~。
これ? これが? みたいな。

あっ そう~。
そうですね。 だから

それを…
『メリーアン』が売れたんで

あの路線を ちょっと こう

引き継いでいく
って事にはなりましたね。

ちょっとロックっぽい感じで。

なんか 私 皆さんの
アルフィーの曲って聴いてると

気持ちがいいんですよね。
元気もらえるっていうか。

それは嬉しいっすね。
外国のグループとか

参考されたりしてるの
ありますか?

ああ もちろん
ツェッペリンもそうだし

サイモンとガーファンクルも
そうですけど

バンドでいうとクイーンとか…。

でしょ! やっぱり
元気が出るなっていう

すごいなんかね
共通項感じますよね。

クイーンは
好きですね。

デビューが
クイーンは73年で

僕ら74年なんで。
あっ 1年先輩だけなんだ。

まあ 規模は
全然違いますけどね。

外国の同期って どなた?
キッス。

あ~ これですか。
ええ。

すごいね。
古いな~。

向こうは
なんとも思ってないけどね。

こっちが知ってるだけですけどね。
(一同 笑い)

(桜井)
「誰? それ」って言いますよ。

クイーンも
コーラスやるし

どちらかというと…。

僕らも やってましたから。

なんか そういった部分
ハードだけじゃなくね 彼らもね。

高見沢はね
曲によっては 本当に

この人たちのね
それぞれの いろんな要素ですか

そういったものが入ってますから

面白いですよね。
本当ですよね。

一つの方向性だけじゃ
ないもんですから。

全く違いますからね。
本当 そう思います。

そうか… でも やっぱり
ヒット曲が一つ生まれると

いろんな事が
変わってくるんじゃないですか?

いや 変わりますよ~。
ヒットが出れば これでもう

ずっと 一生 安泰だと
思ってたんですよ 僕は。

そしたら
『メリーアン』売れたでしょ。

売れたらディレクターが…。

次もあるんだみたいな。

その時に言われた言葉がね

「いいか?
ここで一発屋で終わるのか」。

「あるいは
次も繋げていくのか」…。

でも 「今が勝負」って

ず~っと言われてたような
気がするんだ。

「今が大事だ」。
「大事な時だ」。

「今が勝負だ」。 これって
デビューの時から

ず~っと言われてたんで。

『メリーアン』は何年目で?
9年目です。

9年目!
9年間 ずっと言われて…。

言われてて。
出ても 言われるんで

これ なんかずっと言われるんだな
と思って。

今でも だから…
「次の曲が大事だ」っていうんで

その次 作ったのが
『星空のディスタンス』。

これは 本当に狙いましたよね。

『メリーアン』に続くっていうんで

僕らのコーラスと
ハードロック的な要素を含めて

狙って作った楽曲でしたね。

こう初めて狙ったものが
狙いどおりに…。

いった!
いったっていうのがありますね。

〈ようやく
THE ALFEEの

快進撃が始まった〉

〈1984年には
『星空のディスタンス』〉

〈周囲からのプレッシャーを
はねのけて

送り出す楽曲が
次々にチャートイン〉

〈不遇時代を乗り越えた3人は

トップアーティストに
なっていく〉

なんか あの…
どうやって作るんですか?

キーボードたたきながら
なんかやってるとかじゃない?

どうやってやるの?
あの その

楽曲によって違いますけどね。
ええ。

昔は…
なんか 私 伺ったんだけど

高見沢さんって
手書きの楽譜を作られる…

書かれるって聞いた…。
あっ そうですよ。

昔は だって 手で書かないと
わかんないですから。

ただ 歌詞も手書きで…
ワープロとかない時代ですから。

(坂崎)
漢字が わかりづらいんですよ。

高見沢の。
ハハハ…。

だから 僕が書いたやつを
全部 桜井が清書してくれて。

これは
「て」なのか 「こ」なのか…。

ひらがなもね
繋がってますんで

「て」なのか 「こ」なのか。
歌詞が読めない!

書くと
「読めない」って言うんで

みんなが
こう きれいに書いてくれます。

桜井は もう とても
きれいな字を書きますので

読みやすい…。
字ですね~。

読みやすいのは坂崎だよね。
そっか。

1枚目のアルバムは

歌詞カードを 坂崎が
全部 歌詞 書いたんですよ。

で これは…。
あっ これは 桜井だよ。

これは俺かな?
うん そうそう。

あっ これ桜井の字だ。
これ 桜井の字ですよ。

これ桜井の…。
これ 桜井の字なんです。

本当だ!
これワープロじゃなくて…。

いや~。

ちょっと これ 見てみてください。

これね 本当 手書きなの。

って来たんですよ。 高見沢も

一応
覚悟してたらしいんですけど

却下されました。
「お前は いい」と。

「お前は いい」?
「お前は いい」。

それからですよ
ず~っと印刷になったの。

あの~ こう まあ お一人でね

大体 高見沢さんが 曲を作られる
という事なんですけれども

お二人からの 注文みたいなの
なんかあったんですか?

めっそうもないですよ。
ハハハハ…!

制作部あっての
アルフィーですから。

何をおっしゃいますか!

桜井さんあっての
アルフィーじゃないですか。

そうですか?
(一同 笑い)

いや もう でも
あれですよね…。

っていうんですから

これは もう お任せしてますから。

どんなものが来ても ちゃんと
我々が 歌いこなすようにしてる。

「こんな曲 歌いたいな」とか

「こんなテンポがいいんじゃないかな」
っていうのはね

ちょっと待ってると やっぱ
出てきますね 高見沢の中から。

常に 一緒に音を出してるから

やっぱ なんとなく
以心伝心っていうんですか?

同じような気持ちで
「あっ こういう楽曲

今 いいんじゃないかな」
っていうのは

同じような気持ちに
なるんじゃないですか?

今は 「このアコースティックが
いいんじゃないか」とか

「ハードがいいんじゃないか」とか。

それって やっぱり 長年やってる

あうんの呼吸っていうのかな?
そういうものが…

確認し合った事はないですよ
もちろん 言葉に出して。

でも それは
あるのかもしれないですね。

ああ~。
うん。

これ また やっぱり
ツアーだったりとか

ライブが生きてくみたいな
ところがあるんですね。

そうですね。
やっぱり バンドはね

ライブやって
なんぼのものですからね。

♬~「……時が止まる」

(観客の歓声)

♬~「心がわり責めない
また逢える日のために」

やきつけようぜ
BAY-AREAのすべてを!

(観客の歓声)

〈ファンの間では

伝説のように語り継がれている
ライブが 数多い〉

〈1986年のお台場では
10万人が集まった〉

♬~「時代は変わる激しく変わる」

♬~「この国の明日を嘆きながら」

〈翌年には 日本初の
オールナイトコンサート〉

〈地道に続けてきたライブが

通算2700本に達したのは

今年10月の事だ〉

〈前人未到の記録を
今も 更新し続けている〉

なんか やっぱり
アルフィーっていうと

ライブっていう感じですよね。

もう 結構 いろんな
ライブされましたよね?

なんかメモリアルなライブ。
ああ そうですね。

あと こけら落としとか。
ああ~。

13号埋め立て地の…

東京ベイエリアって
名前を付けて。

高見沢が付けたんですよ
東京ベイエリアって。

おお~。
そうですよ。

命名者?
あの頃「ウォーターフロント」って

呼んでましたからね あの辺り。
はいはい。

なんか インパクトに欠けるんで
コンサートタイトルを

「TOKYO BAY-AREA」
というタイトルで…。

すし屋で考えたんでしょ?
そうそう。 すし屋で。

代々木のすし屋で。
代々木のすし屋で考えたの。

(スタッフの笑い)
みんな 使ってますからね。

今 みんな タダで使ってますから。
使ってますけどね

命名者 私ですから。
あっ そう~。

まあ それが10万人… 結果的にね。

あと 東京ドームも こけらを
やらして頂きましたし。

ねっ なんで こけら落としに
やっぱり 呼ばれるのかって

それは やっぱり
集客力があるから?

あと まあ
アルフィーに任しとけば

間違いないというのが
あるんじゃないですか?

なんかあっても
許してくれるだろうみたいな。

あっ そう~。
ええ。 あの いわゆる

「信頼と実績のTHE ALFEE」
といわれてますね。

By マキタスポーツ。
そうそう マキタスポーツ。

鉄板だ 本当に。
ええ。

信頼と実績は ええ。
ああ~。

積んできましたからね。

国際フォーラムとかもそうですし
パシフィコ横浜もそうですし。

でも やっぱりライブだから…
なんつったって 生ですから

いろんなハプニングが
あるんじゃないかなと

思うんですけど
それはいかがでしたか?

つい この前 PAの電源卓…
卓の電源が落ちて…。

えっ!
春のツアーで。

スピーカーが
使えなくなっちゃったんですよ。

音が出なくなっちゃって。

モニター関係だけは
出たんですけども

どうしようもない もうちょっと
繋いでくださいっていうんで

「じゃあ 1曲やろう」っつって
坂崎の生ギターで

ドーンとやりましたよ。
生声で。

生声で。
マイクなしで。

一番 ステージの前に行って
で アコギだけで…。

へえ~。
はい 3人で。

もう 電気ないと僕らの楽器
全く 音 出ませんからね。

そうですよね。
そのためにいるんですよ!

その日のためにいるわけだから。
生ギターを…。

備えを常に…。
弾き続けて。

45年で 初めてやった。
初めてだな。

あっ そう~!
やっと役立ったね。

でも 大喝采で歌いましたよ。
(桜井)すごかったですよね。

でも そのライブも

もう 通算 2700?

2700… そう ツアーのね 本数は
2700本 超えましたね。

今 超えてますね。

年間 大体
60本ぐらいですかね 今は。

今 平均はそうかな。

年間60本。
多い時は どのぐらい?

多い時は 倍ぐらいです。
120~130本 やってましたね。

月に20本ぐらいですね。
やれる月が決まってるんで。

3日やって 移動があって
2日やって 移動があって

3日とか。 そういう感じで…。

その間に
レコーディングとラジオと。

だから 30代の頃は
本当に 今 思い出しても

ちょっと 思い出せないぐらいの
怒とうの日々でしたね。

なんか やっぱり 病みつきに
なるとこってあるんですか?

まあ 病みつきというよりも
なんか こう…

まあ 結局…。

はい。
だから

最初から デビューの時から
そうじゃなかったじゃないですか。

やっぱり 徐々に徐々に…
それが9年かけてヒットが出て

なんか その… 徐々に こう

ゆっくり ゆっくり 僕らも

最初から 盛り上がったバンド
じゃなかったんで

なんか そういったものに関しては
もう 倍返ししたいんですよね。

ああ~。
だから そういう思いは

強いかもしんないですね。

何が好きですか? 一番。
そのライブツアーの中では。

やっぱ 毎回 それは 多分

お客さんとの
やり取りであるとかね。

自分たちの その日の 精神状態も
あるかもしれないですけど

毎回 やっぱ 違いますね。
うん。

なので 飽きない。
よく言われるんですよ

同業者の方々に 「そんなに
やってて飽きないの?」とかね。

「ツアー 疲れないの?」とかね。
言われますけど

いや~ 飽きる事はないですね。
はあ~。

あと 不思議な事に
いまだに そうなんですけども

ちょっと
おなかの調子が悪いぐらいだと

ステージ出ると
治っちゃうんですよね。

お客さんのパワーで。
アハハ…。 そう。

また そのあと 楽屋に戻ってから

調子悪くなる事も
ありますけども。

でも 本当に
あそこの空間だけは やっぱり

別の空間になれるんですね。

〈来年は デビュー45周年を迎える
THE ALFEE〉

〈個性の違う3人は

人生の大部分を
共に走り続けてきた〉

♬~「君に…逢いたい」

でも 本当に 皆さん こう
やってらっしゃる事も

キャラクターも違うんで
「ああ なるほどな」と

思うんですけど。
なんで こんな長い間

ご一緒にいられるんでしょうね?

ねえ。
ねえ。

なんでですかね?
自然体だから?

まあ そうですね~。

多分 3人でいて
心地良いんですかね?

さあ どうだろう。
まあ 楽はあるでしょ。

まあね。
ホホホ…。

っていうか 出会った頃と
あんまり変わってないんで

やっぱり 友達…。

っていうのが 先なんで。
だから… まあ あとは

やっぱり 9年 我慢した
そういうところが…

絆っていうんですか?

嘘っぽくなりますけども。
照れくさいね~。

(一同 笑い)

「絆」って書けないですからね。

あとはね 3人とも なんか…。

ああ~。
「どうぞ どうぞ」っていう。

だから なんか
その辺の緩さっていうかね うん。

そういうのは
あるかもしれないな~。

この世界で
成功してる人たちとは

なかなか そういう…

それじゃあ
なかなか成功しないですよね。

3人とも
そういうのがないんですよね。

だから まあ 時間はかかったとは
思うんですけど。

理解してもらえると
逆に それが

こう お客さん…
ファンの方にも

心地良い部分
なのかもしんないですね。

そうなんですよ。
大体 こう グループの方って

みんな そうなんですけど

まあ 15~16年…
15年ぐらいやるとですね

もっと早ければ
7~8年で分裂したりとか

全然 それがないから

なんでなんだろうなと
思ってたんですけど。

やっぱり バンドは それぞれ
小さな国みたいなものですからね。

僕らは 僕らなりの
「ALFEE'S LAW」って

いうんですか?
そういったものが… なんか

うまく機能してるというか。

「ALFEE'S LAW」って
どんな事ですか?

う~ん…。

どうなんでしょうね。
3人でいる事?

ああ。
なんか そこが やっぱり一番…

ステージなんかでも
1人でも欠けたら

ツアー 出来ませんから。

そういった部分では
時代とともに

まあ 変化はしてきましたけど。

この理由っていうのは

1つの理由って ないんですよね
きっとね。

でも どうなんですか?

こう 他人のね… 他人というか
まあ 3人で…

他人って言っていいのか
よくわからないですけど

ここは プライバシーだから

ちょっと 踏み込まずに
いようかなとかって

そういうのって
あるんですか?

もう 変わんないっすよ ず~っと
それは。

結構 土足で入ってきたりする事
ありますよ。

踏み込むとか…
考えた事ないから あんまり。

あとは だから その秘訣とかね。
よく聞かれるんですけどね

これだけ 長くやってると。

この秘訣を… 例えば

他の3人組に こうすれば…。

っていう事が

一番 大きいと思いますよね。

秘訣は だから
ないんじゃないですか?

秘訣は ないね。
この桜井 坂崎 高見沢じゃないと

出来ないんですよ。
だから ここまでは。

まあ 要するに
アマチュアの部分ってのは

残してるのかもしれないね。
ああ~。

アマチュア… アマチュアリズム
っていうんですか?

音楽を好きだった あの頃。

今でも そういう
音楽好きですから。

まず 「音楽が好きだ。
コンサートやりたい」。

そこから始まってますから

そのあとから いろんなもんが
ついてくるだけなんで

まず そこでしょうね。

それが 長続きしてる事の
一つかもしんないですね。

〈ライブに
無上の喜びを感じるという

THE ALFEEの3人〉

〈60代半ばの今も

同じ一つの夢を
思い描いている〉

これから でも どうですか?

人生100年時代なんていう話も
ありますが。

まあ とりあえず 目標としては
今 2700超えてるんで

ライブ本数3000本を
目指そうかなとは思ってますね。

はあ~。

大体 僕らが…。

出来るんじゃないかなと。
そこを まず 目指していけば。

う~ん。
この間 いや なんか

40周年がね 来て

「ああ ここまで来たな」と
思ったら

もう45周年ですからね
あっという間に。

だから あと5年ぐらい

あっという間かなって感じも
しますけどね。

その時には
3000本を目指している

僕らでいたいですね ええ。
ええ。

3000?
3000ですね。

ちょうど70歳で

デビュー50年で 3000本で。
うわ~ いいな~。

きれいですね。
きれいですね~。

きれいだね。
じゃあ 今から ちょっと ねっ

ライブの本数を…
確認しながら…。

(一同 笑い)

大学時代の関係が

そのまま 3人とも ふ~っと こう
45年間 続いてきたって

すごいなと思います。

なんか
こういう世界の人たちって

「自分は こうなるんだ」って
それに向かって ガーッと頑張る。

そうじゃなくて
楽しくて 好きな事

ワーッと
ずっと やり続けてきたら

ここまで来ちゃったみたいな
感じなので。

ああ こういう生き方って なんか

それぞれの人間関係も
素敵だし

それはそれは もう うらやましい。

それで こう お仕事が出来るって
最高ですよね。

〈THE ALFEEが
今 大切にしている言葉〉

でん!

「Confidence」
「信頼」

高校の その桜井が
最初に組んでたグループ名が

コンフィデンスだったんです。

今でも 僕らの中での

やっぱり 原点であるし
今でも 好きな…。

「信頼」ってのもありますよね。
ねっ 言葉でね。

桜井が もう 本当に作った…。
グループ。

メンバーですけど。
いまだに平メンバーですけどね。

(一同 笑い)

(スタッフ)そうなんですか?
(坂崎)その頃から 平メンバー。

一番 最初なんです。
原点です。

で リーダーやって
リーダーやって… 平です。

ハハハハ!

〈揺るがぬ
信頼…〉

〈そんな
仲間がいる

人生は
豊かだ〉


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