NHKスペシャル 平成史 第3回 “劇薬”が日本を変えた~秘録 小選挙区制導入 …政治改革の原点と悔悟


出典:『NHKスペシャル 平成史 第3回▽“劇薬”が日本を変えた~秘録 小選挙区制導入』の番組情報(EPGから引用)


NHKスペシャル 平成史 第3回▽“劇薬”が日本を変えた~秘録 小選挙区制導入[字]


「平成史スクープドキュメント」第3回は、日本政治を大きく変えた小選挙区制導入の舞台裏を描く。政治家たちがつづっていた秘蔵メモから浮かび上がる政治改革の原点と悔悟


詳細情報

番組内容

「平成史スクープドキュメント」第3回は、平成6年の小選挙区制導入の舞台裏を、新証言と新たに発掘した内部資料から検証する。「小選挙区制の生みの親」とも言われた後藤田正晴が生前記録していた膨大なメモを入手。そこには当時の政治状況への強い危機感と、政治改革の大構想がつづられていた。時に権力闘争を激化させながら戦後政治の形を一変させた選挙制度改革秘録。インタビュアー・リポーターは大越健介記者主幹。

出演者

【リポーター】大越健介,【朗読】柄本明,【語り】広瀬修子




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その劇薬は 55年体制と呼ばれた
戦後政治の形を一変させた。

平成日本の かじ取りを担った
政治家たちが 真相を語った。

1994年 平成6年に
衆議院で導入された小選挙区制。

劇薬とも言われた
選挙制度の下で

自民党は
政権の座を一度奪われた。

100議席以上 有していた社会党は

僅か2議席にまで激減した。

2019年4月で
幕を閉じることになった平成。

平成は 私たちにとって
どのような時代だったのか。

新たな証言や新発見の資料から

激動の30年を見つめるシリーズ

「平成史 スクープドキュメント」。

第3回は
政治家たちの肉声から浮かび上がる

小選挙区制導入に至る 1, 800日の舞台裏。

今回 私たちは
小選挙区制 生みの親と呼ばれた

元副総理が つづっていた
膨大なメモを入手した。

そこには 政治への
強い危機感が記されていた。

平成の初め
多くの国民が熱狂的に求めた政治改革。

私たちは
新たな選挙制度を選択した。

それは 政治に緊張感をもたらし

日本は 政権交代可能な時代に
突入した。

大きく飛躍することを
誓います!

しかし それは
民意の振れ幅が極端な

オセロゲームのような
政治状況を生んだ。

そして 平成が終わる今

政党の離合集散の果てに
たどりついたのは

一強多弱といわれる政治の姿。

劇薬は
なぜ どのように導入されたのか。

平成という時代を形づくった
その知られざる原点を見つめる。

♬~

竹下派内の動きについて
金丸前副総裁は…。

<私が 政治記者としてのキャリアを
スタートさせたのは

1989年 平成元年8月>

<前の月に行われた参議院選挙で
自民党が歴史的敗北を喫するなど

政治が大きく動き始めた年でした>

<そのきっかけは リクルート事件>

事情聴取は いつ受けられますか?
ちょっと まだ…。

<複数の有力政治家に
値上がりが確実な未公開株が配られた

戦後最大級の疑獄事件でした>

選挙制度の改革は…。

<国民の怒りが高まる中で

与野党が利害を抱えながら
議論していたのが

選挙制度の在り方でした>

<1つの選挙区から
3人から5人程度の議員が当選する

当時の中選挙区制。

カネのかかる政治の温床とも
言われていました>

<自民党は 多くの選挙区で
同士討ちの構図となり

サービス合戦が
助長されていたからです>

<1986年 昭和最後の衆議院選挙。

私は 最初の配属先の岡山で
選挙取材に当たっていました>

<岡山2区では 派閥の異なる
自民党の有力政治家同士が

激しく競い合いました>

<一方 一定の支持があれば
議席を確保できるため

野党側にも うまみのある
選挙制度とも言えました>

<平成の初め
この中選挙区制を変えるかどうかが

日本政治の最大の焦点だったのです>

東京・永田町の自民党本部。

その地下倉庫に

選挙制度改革の原点を記録した
未公開の資料が眠っていた。

政治改革委員会。

高まる政治不信に
危機感を強めた自民党が

1989年 平成元年に立ち上げた。

会長は 党の重鎮 後藤田正晴。

警察庁長官から政界に転じ

官房長官などを歴任した実力者だった。

70歳を超えていた後藤田は

政治改革を
最後の仕事と考えていたという。

それは なぜなのか。

後藤田が政治のあるべき姿や理念などを
ひそかに書き留めていた 膨大なメモ。

そこに つづられていたのは
時代の激しい変化と

それに対応できない政治体制への
強い危機感だった。

所得倍増や
国土の均衡ある発展を掲げた

戦後の自民党。

しかし 右肩上がりの成長を前提とした
国家運営は

過去のものになろうとしていた。

そして 東西冷戦も終結。

激動する世界と どう対峙するのか
問われていた。

一方 当時の政治体制は
自民党が過半数

社会党が
そのおよそ2分の1の議席を分け合う

55年体制と呼ばれるものだった。

与野党が もたれ合う
十年一日のごとき体制では

新しい時代に対応できないと
後藤田は考えていた。

衆議院への小選挙区制の導入。

これこそが 後藤田が
日本の政治を立て直すために

処方すべきと考えていた劇薬だった。

1つの選挙区で
1人の候補者しか当選できない

小選挙区制。

中選挙区制が助長した
派閥間の無益な抗争を断ち

選挙に カネがかかりにくくする。

そして 政党が政策を競い合うことで

有権者自身が
日本の進むべき道を選択することを

理想とした。

ただ 自民党にとっては

政権の座を奪われかねない
危険な制度でもあった。

後藤田が会長を務めていた
政治改革委員会でも

ほとんどが 反対意見だった。

後藤田が 党内の強い反対を
押してまで目指した小選挙区制。

その導入のカギを握った人物がいた。

どうも こんにちは。
はい どうも。

こんにちは。
よろしくお願い致します。

当時 47歳の若さで
自民党幹事長を務めていた 小沢一郎。

保守と保守の二大政党制を
志向していた小沢は

以前から 小選挙区制を強く主張していた。

しかし 剛腕と称された小沢の存在が

政治改革を
権力闘争へと変質させていく。

小沢が所属していた
最大派閥 経世会。

数の力を背景に
自民党を牛耳っていた。

小沢主導で
小選挙区制導入が進められる中

経世会の独断専行だと
他の派閥から猛反発が起きた。

1991年8月。

小沢らの経世会が後ろ盾となった
海部内閣は

政治改革法案を国会に提出した。

しかし 小選挙区制への
党内外の反発を抑えきれず

法案は ほとんど審議されないまま
廃案に終わった。

この法案に先立って

後藤田がまとめ上げていた
政治改革大綱。

選挙制度だけでなく
地方分権の確立や国会の活性化など

6つの抜本的改革を掲げていた。

当時のメモには 改革論議が 入り口から
権力闘争に変質していることへの

強い憤りが つづられていた。

<政治改革法案が廃案になったあと

私は 経世会を取材する
担当記者になりました>

おはようございます。
おはよ~う。

<当時 自民党内で
強い反発を招いていた経世会。

一方 派閥内部でも 小沢一郎氏への不満が
くすぶっていました>

<そして
経世会の会長の座を巡って

親小沢 対 反小沢の対立が
先鋭化>

<派閥の会合で
小沢氏が公然と批判される事態にまで

発展したのです>

<その急先鋒が 自民党の次の世代を担う
一人といわれていた

中村喜四郎氏でした>

<中村氏は 後に
ゼネコン汚職事件で有罪判決を受け

マスコミとの接触を
ことごとく断ってきました>

ありがとうございます。

<今回 中村氏は
24年ぶりに カメラの前に立ちました>

<政治の姿を大きく変えた
小選挙区制の導入。

自分が知る内実を

正確に伝える責務があるという
思いからだと言います>

<経世会のプリンスと呼ばれ

40歳にして
閣僚を経験していた中村氏は

小沢氏とも近い存在でした>

<しかし 小沢氏の影響力排除へと
動いたのです>

<政治改革を巡る動きを取材する中で

私には もう一人
強く記憶に残る政治家がいました>

<当時 小選挙区制に
最も強硬に反対していた

小泉純一郎氏>

<小泉氏は 加藤紘一氏 山崎 拓氏と共に
YKKと呼ばれ

反経世会 反小沢の先頭に立っていました>

<経世会内部で
反小沢を鮮明にした中村氏は

小泉氏たちと
行動を共にするようになりました>

<小沢氏を公然と批判したことを
小泉氏に伝えると

こう反応したと言います>

<この後 総理大臣になった小泉氏>

<小選挙区制の下 行われた郵政選挙で

自らの意に反する候補者に
公認を与えず 大勝。

鮮やかすぎるほどの身のこなしでした>

政治改革を求める 世論のうねりは
いつしか選挙制度改革へと姿を変え

やがて 55年体制という

強固な岩盤を崩していった。

1993年 平成5年3月。

経世会前会長の金丸 信が
脱税の容疑で逮捕された。

多くのメディアが政治改革を促し
それに反対する者は

守旧派というレッテルを
貼られることもあった。

後に自民党幹事長として

難しい対応を迫られることになる
森 喜朗。

社会が政治改革という熱に
浮かされていたと振り返る。

このころ 後藤田正晴は
宮沢内閣の副総理として

一度は葬り去られた政治改革法案の
成立を目指していた。

しかし 中選挙区に強い地盤を培ってきた
議員の反発は根強く

宮沢内閣もまた 政治改革法案を
成立させることができなかった。

そして 自民党にとって
最悪の事態に陥っていく。

野党が提出した 内閣不信任決議案。

激しい抗争の中で
経世会を離脱した小沢らが野党に同調。

賛成票を投じたのだ。

小沢の側近だった平野貞夫。

この直後 小沢を含む44人と共に

自民党を離党した。

更に 自民党に追い打ちをかけたのが

武村正義や鳩山由紀夫ら

改革に前向きな若手議員が
相次いで離党したことだった。

武村は 直ちに
新党さきがけを結成し

政局の鍵を握ることになる。

そして 1か月後の1993年7月
戦後政治は 大きな区切りを迎えた。

衆議院解散を受けた選挙で
新たに作られた政党が躍進。

自民党は 初めて下野し
55年体制は終焉した。

2度にわたって頓挫した政治改革法案は

自民党と共産党を除く
7党1会派で発足した

細川連立政権に引き継がれた。

この時 主導権を握ろうと動いたのが
新党さきがけの武村だった。

小選挙区と比例代表を並立させた制度を
前触れなく打ち出したのだ。

小選挙区を250議席とする一方で
比例代表も250議席とし

小政党も議席を確保しやすくした。

今回 武村は その内幕を初めて明かした。

武村の案をもとにした
政治改革法案成立の鍵を握ったのが

政権内で第一党だった
社会党の動向だった。

党内に小選挙区制に反対する議員を
多く抱えていたからである。

自主憲法制定を主張した自民党に対し
護憲を掲げ続けてきた社会党。

社会党にとって 憲法改正の阻止に必要な
議席を得るためには

中選挙区制が有利だった。

1位しか当選できない小選挙区制では
議席の維持が難しいとして

反対の立場を貫いてきた。

その社会党が なぜ
小選挙区制を受け入れていったのか。

今回 1989年に発足した
日本最大の労働組合の

中央組織に関する資料を入手した。

連合 初代会長 山岸 章の
6, 000枚に及ぶ発言録だ。

800万人の労働組合員を束ねる
山岸は

社会党に
絶大な影響力を持っていた。

山岸は 以前から

小沢らとは違う形で
二大政党制を構想していたという。

山岸は 社会党が 冷戦時の
イデオロギー対立を引きずったままでは

いずれ ちょう落するという
危機感を持っていたという。

小選挙区制に あえて かじを切り
現実的な政策を打ち出せば

社会党を軸とした政権も
可能だと考えていた。

社会党内で
山岸の構想への反発は強かった。

しかし
絶大な集票力を持つ連合の意向は

無視できなかったという。

社会党が小選挙区制を受け入れた
別の理由も

初めて明らかになった。

社会党の参議院議員だった
大脇雅子。

少数意見が反映されにくいと
小選挙区制に反対していた。

衆議院を通過した政治改革法案が
参議院で採決される直前。

党の最高幹部から 都内のレストランに
呼び出されたことを打ち明けた。

政治改革法案には

政治活動にかかる費用を税金で負担する
政党助成金の創設も盛り込まれていた。

当時 社会党には
70億円が交付されると試算されていた。

それは 党の1年分の収入に
匹敵するものだった。

そして迎えた 参議院の法案採決の日。

大脇は説得には応じず 反対票を投じた。

野党に転じていた自民党に加え

17人の社会党議員が
反対票を投じたことで

法案は否決。

小選挙区制は 三たび
葬り去られたと誰もが思った。

しかし この1週間後。

与野党それぞれの政治決断が
法案を思わぬ着地点へと導いていく。

1994年1月28日 雪の夜だった。

細川総理大臣と
野党 自民党の河野総裁との

トップ会談が 急遽セットされた。

この会談を
水面下で取りしきっていたのが

自民党幹事長だった森と
新生党代表幹事だった小沢だった。

会談の当事者が
その詳細を初めて明かした。

当時 自民党は 離党者が続出し

政治改革に後ろ向きと見られることを
恐れる議員も多かった。

森は 会談次第で
党の分裂も招きかねないと

悲壮な覚悟だったという。

小沢は 会談の結果次第では
自民党に壊滅的打撃を与えるために

衆議院の解散も
視野に入れていたことを明かした。

一方で 森は

政治改革を公約にしていた
細川や小沢にとっても

苦しい局面だと見ていた。

会談は 最後まで神経戦だったという。

そして 日付をまたいだ午前1時。

連立政権側と自民党の間で
交渉が成立した。

小選挙区の割合が増え
小政党に不利になった。

比例代表は 全国単位から
票が分散する地域ブロックに変更され

ここでも 小政党に不利になった。

政治家個人への企業・団体献金も
一団体に限り認められ

議論の発端だった政治資金の規正も
妥協が図られた。

小選挙区制導入を含む政治改革法案は

自民党が賛成に回ったことで
圧倒的多数で成立した。

この日 後藤田は

平成元年から5年間の歳月を
かみしめながら ペンを握ったという。

「未だ三合目」。

後藤田が政治改革に着手してから
1, 800日が たっていた。

<政治改革法が成立した2年後

小選挙区制による衆議院選挙が
初めて行われました>

<与党に返り咲いていた自民党>

<それに対し 小沢一郎氏が
新たに結党した新進党

そして 後に政権を獲る
民主党が挑みました>

<このあと これまでに
7回行われた衆議院選挙でも

自民 対 非自民の構図は
変わりませんでした>

<一方で 非自民の側は

離合集散を繰り返しました>

<この間
55年体制の一翼を担った社会党は

衆議院で2議席にまで激減しました>

<そして 理想とされた
二大政党による政権選択可能な政治は

定着には至っていません>

<この中で 私が
小選挙区制導入という大きな波を

したたかに乗り切ってきたと思うのが
公明党です>

<1999年から 自民党と
連立を組んだ公明党。

選挙では 小選挙区は自民党
比例代表は公明党と

支持母体に呼びかけ
存在感を示しているからです>

<小選挙区制という劇薬は 政治に
さまざまな地殻変動を起こしました>

<制度導入後
2度 政権交代が実現。

中選挙区制時代にはなかった
緊張感が もたらされたと言えます>

<その中で

政治主導の政策決定が
目立つようになったのも

大きな変化でした>

<しかし いわゆる死票が多く

政治に多様な意見が
反映されにくくなったという指摘も

無視できません>

<思い返せば 政治改革は

このままでは 国民から
政治が見捨てられるという

危機感から始まったものでした>

<にもかかわらず 今
投票率は下落傾向にあります。

国民と政治との距離が

当時より近くなったと

言えるのでしょうか>

<あの時 議論を戦わせていた当事者たちは
今 何を語るのか>

<小選挙区制は 東西冷戦の終結など

時代の変化に素早く対応するために
導入されたという側面もありました>

<今 日本に山積する課題に対し

小選挙区制という劇薬を
良薬として生かしていけるのか。

政治家と有権者に
共に課せられた 重い宿題です>

♬~

昭和から平成へ

変遷する日本政治の舞台となってきた
国会議事堂。

その中央に 憲政史に名を刻んだ政治家を
顕彰した 銅像が置かれている。

その中に ただ一つだけ
銅像の載っていない台座がある。

政治は 常に未完であることを
示しているという。

「未だ三合目」と 政治改革法が
成立した日につづった 後藤田正晴は

2005年 91歳で この世を去った。

自らが最後まで
手がけることができなかった

政治改革について こう書き残していた。

♬~


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