天皇 運命の物語 第1話「敗戦国の皇太子」 …戦争という荒波にもまれながら成長した若き皇太子の姿を描く。


出典:『天皇 運命の物語 第1話「敗戦国の皇太子」』の番組情報(EPGから引用)


天皇 運命の物語 第1話「敗戦国の皇太子」[字]


来年4月30日に退位される天皇陛下。皇后さまとともに歩んだ激動の歳月を4回シリーズで伝える。第1回は、戦争という荒波にもまれながら成長した若き皇太子の姿を描く。


詳細情報

番組内容

昭和から平成へ-。「天皇 運命の物語」は、天皇陛下が皇后さまと共に歩まれた激動の歳月を、NHKの秘蔵映像、発掘資料、側近や学友の証言などを通じて、4回シリーズで放送します。第1回は「敗戦国の皇太子」。昭和8年に生まれ「戦争しか知らない」少年として育った天皇陛下が、学友との交流や恩師との出会い、19歳の時のイギリスへの訪問などを通じて、「未来の天皇」に向けて成長していく姿を描いていきます。

出演者

【語り】山根基世



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天皇 運命の物語 第1話「敗戦国の皇太子」
  1. 皇太子
  2. 昭和天皇
  3. イギリス
  4. 天皇
  5. 同級生
  6. 日本
  7. 女王
  8. 訪問
  9. エリザベス
  10. チャーチル


『天皇 運命の物語 第1話「敗戦国の皇太子」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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(玉音放送)「朕ハ帝國政府ヲシテ
米英支蘇四國ニ對シ

其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨
通告セシメタリ」。

天皇陛下 11歳の夏。

父 昭和天皇の
玉音放送を
疎開先で聴いた。

目いっぱいに 涙があふれた。

天皇陛下 85歳。

来年4月30日の退位で
大きな節目を迎えられる。

貴重な映像と証言をもとに
4回シリーズで描く

天皇皇后両陛下の

激動の歳月。

(拍手と歓声)

日本が沸いた世紀のご成婚の舞台裏。

父の名の下に
行われた戦争。

その深い傷。

災害が相次いだ 平成日本。

前例のない中での模索。

戦没者への終わりのない鎮魂。

そして 来年の退位。

天皇陛下は 私たちに何を伝えられたのか。

昭和から平成へ。

「天皇 運命の物語」。

♬~

昭和天皇と香淳皇后の間に誕生した
初めての男子。

♬~

戦前 父 昭和天皇は現人神。

その存在は 絶対的なものだった。

天皇は 国を統治する君主であり

陸海軍を率いる最高司令官
大元帥だった。

(砲声)

このころ 日本は戦争の時代に入っていた。

きっかけとなったのは
日本軍による満州事変。

国際社会から批判が起きると
昭和8年に国際連盟を脱退。

日本は 軍国主義に染まってゆく。

皇太子は 将来の天皇 そして神の子として
特別な環境で育てられた。

天皇家の慣習に従い
3歳で両親と離された。

そのころの姿を記録した
貴重な映像がある。

側近たちが親代わりだった。

家族と会えるのは週1回。
日曜の昼を挟んだ数時間のみ。

父 昭和天皇と遊ぶ姿が記録されている。

6歳になると
皇太子は 学習院初等科に進学する。

皇太子が使っていた机と椅子。
学習院に 今も保管されている。

親から離され 側近に育てられた皇太子。
どんな少年だったのだろうか。

同級生は 当時の貴族階級である
華族の子どもたちなど。

80年近くたった今も クラス会が開かれ
交流が続いている。

私たちは
同級生に当時の話を聞くことができた。

最も古い友人の一人 明石元紹さん。

幼少期から高校まで 一緒に過ごした。

クラブ活動も同じで
今も率直に話せる仲だ。

皇太子は 決して
行儀がよい方ではなかったという。

明石さんが
今も忘れられない授業中の思い出がある。

側近による厳しいしつけは
ほかの同級生たちも よく覚えていた。

同級生は 同じクラスにいても

皇太子は
遠い存在だったと
振り返る。

「12月8日 6時」。

太平洋戦争が始まると 日本軍は

東南アジアから南太平洋にかけての
広大な地域を 次々と制圧した。

これは 昭和17年
シンガポール陥落を祝う祝賀行事の記録。

白馬にまたがった昭和天皇が
人々の前に姿を現した。

そして…。

8歳の皇太子。

母 香淳皇后と並んで旗を振った。

皇太子は このころから

戦意を高揚する役割を担わされていく。

「皇太子さま 皇軍必勝を祈念」。

「皇太子殿下 戦利品をご覧」。

戦争の勝利を祈る様子や
軍の施設を見学する姿などが

掲載されるようになる。

しかし 戦況は悪化の一途をたどる。

昭和17年6月。

日本は ミッドウェー海戦で
アメリカに大敗。

本土空襲の危険が増す中

小学5年生の皇太子をどう守るか。

この直後 国民に知らされないまま
集団疎開が行われる。

向かったのは 御用邸のある沼津。

教師や同級生も皇太子に付き従った。

しかし 日本軍がサイパンで敗れ

空襲の危険が更に高まったことなどから

日光に移動を余儀なくされる。

皇太子の疎開生活を記録した貴重な映像。

食糧難の中 子どもたちは

キノコや野草を採って
食べたこともあった。

昭和20年3月。

疎開先に一通の手紙が届く。

差出人は 父 昭和天皇。

東京が空襲を受けたことを心配した
皇太子の手紙に対する返信だった。

7月 皇太子は 更に山奥へと移る。

急きょ 民間のホテルを疎開先とした。

(玉音放送)「苦難ハ固ヨリ尋常ニアラズ。

爾 臣民ノ衷情モ 朕善ク之ヲ知ル。

然レドモ 朕ハ 時運ノ趨ク所…」

「以テ万世ノ為ニ
太平ヲ開カムト欲ス。

朕ハ茲ニ…」。

目いっぱいに 涙があふれた。

9月。

皇太子のもとに再び
父 昭和天皇から手紙が届く。

そこには 敗戦についての
自らの考えが記されていた。

終戦から3か月。

疎開先の日光から東京に帰る列車。

目にしたのは
想像を超えた 東京の姿だった。

軍国主義の中で
神の子として育った皇太子。

敗戦は 11歳の少年の運命を
大きく変えることになる。

日本を占領したアメリカなどの連合国軍。

徹底した民主化政策を進めた。

昭和天皇は いわゆる 人間宣言を行い

現人神であることを自ら否定した。

♬~

♬「赤いリンゴに 口びるよせて」

戦後の混乱期 市民の生活は困窮を極めた。

それまでタブーだった
天皇への批判を口にする人も現れた。

天皇は 神から人間へ。

そして 象徴となった。

昭和天皇は 全国各地を回り
生活に苦しむ国民と向き合った。

これは 当時の天皇家を
写した貴重な写真。

英字新聞を読む昭和天皇と
かたわらに立つ皇太子。

天皇の在り方が変わる中

皇太子も変化を求められていた。

こちらは 皇太子の
学習院中等科への進学を伝える

アメリカのニュース映画。

皇太子に どのような教育をするべきか。

皇太子の側近たちの議論を記録した資料が
見つかった。

学習院で生物を教えていた江本義数。

授業の様子を後に振り返った
貴重な音声が残されている。

ある日の授業で 生徒を4人一組にして
アリの生態を研究させた時のこと。

皇太子は 自分では動かず
指示を出してばかりいた。

同級生が失敗すると…。

その時 ある同級生が立ち上がった。

しかし 皇太子の姿勢は

すぐには変わらなかったという。

皇太子に衝撃を与えた教師が着任した。

児童文学作家の
エリザベス・ヴァイニング。

アメリカ人の教師を招いてほしいという
昭和天皇の希望で来日した。

最初の授業 ヴァイニングは
生徒を前に こう宣言した。

ざわつく生徒たちに構わず
ヴァイニングは名付けていった。

そして 森田さんは…。

私は アンドリューという名前をね。

だから「『マイ ネーム イズ
アンドリュー』と言え」って言う。

皇太子は 英語の名前を
受け入れた。

ヴァイニングは 後に こう回想する。

皇太子と同級生との距離は
少しずつ 近づいていった。

高等科に進学すると 今度は
寮で生活することになった。

相部屋での暮らし。
布団の上げ下げも 自分で。

食事は 寮生みんなで食べた。

皇太子と相部屋だった 織田正雄さん。

高校1年生の時の会話を覚えている。

最も古い友人の一人 同級生の明石さん。

皇太子が
変わったと感じた出来事がある。

それは 馬術部でのエピソードだ。

皇太子は 馬術の腕を買われ

高校2年生の時に
キャプテンとなった。

しかし 対抗戦では

誰でも乗りこなせる おとなしい馬を
あてがわれていた。

ある試合の前日 皇太子は自ら訴えた。

「自分を特別扱いしないでほしい」。

皇太子は 気性の荒い馬を乗りこなし
勝利をつかんだ。

「私は 天皇以外の道は考えられない」。

皇太子 高校1年生の時。

英語の授業で

将来 何に
なりたいか

問われた
時の答えだ。

このころ
いずれ
天皇になる

自覚も強く
なっていた。

天皇に必要な資質は 一体 何か。

そのことを
徹底的に教えた人物がいる。

慶應義塾の塾長を務めた 小泉信三。

昭和天皇から
皇太子の教育を任されていた。

戦時中の空襲で 顔に やけどを負い

息子を戦地で失った。

小泉は 週に1度
皇太子に個人授業を行った。

新しい憲法に定められた象徴天皇。

その在り方を学ぶため 皇太子は
小泉が選んだ本を音読していった。

連日 自習室で遅くまで学ぶ
皇太子の姿を

寮の相部屋だった織田さんは見ていた。

象徴とは 一体 何か。

別の同級生は
皇太子が悩んでいた姿を覚えている。

♬「ワッショイ ワッショイ
ワッショイ ワッショイ」

♬「ソーレ ソレソレ お祭りだ」

♬~

皇室典範で成人とされる
18歳になった皇太子。

皇位継承者としての立場を広く宣言する
立太子の礼に臨んだ。

国民の前に立ち おことばを述べた。

(拍手)

皇太子をジミーと名付けた
アメリカ人教師 ヴァイニング。

既に帰国していた。

成長した皇太子の門出に
ラジオを通じて メッセージを寄せた。

「グッド アフタヌーン
プリンス アキヒト」。

♬~

皇太子には 日本のあすの象徴として

国民の期待がかけられるようになる。

平成24年 天皇皇后両陛下は

イギリス・ウィンザー城を訪問された。

(歓声)

エリザベス女王の在位60年を記念した
昼食会に招かれた。

天皇陛下は これまでに7回
イギリスを訪れ

女王との交流を深められてきた。

これは
初めてイギリスを訪れた19歳の時に

エリザベス女王と撮った写真だ。

この時の訪問を天皇陛下は後に

昭和から平成を振り返って
最も印象に残った出来事の一つに

挙げられている。

(歓声)

♬~

皇太子 初めての外国訪問。

この旅で何を学び 何を考えたのだろうか。

世界中から 王族や国の代表が集まる

エリザベス女王の戴冠式。

昭和天皇の名代
代わりとして出席する

若き皇太子。

多くの人が見送りに詰めかけた。

出発の様子は この年に始まった
NHKのテレビ放送で生中継された。

港には 総理大臣 吉田 茂の姿もあった。

皇太子の訪問に
日本外交復活への期待を抱いていた。

皇太子の旅は 半年余り。

ハワイを経由して アメリカ大陸へ。

カナダを回り
ニューヨークを訪問したあと

再び 船に乗り イギリスに到着。

戴冠式に出席したあとは
ヨーロッパなどを回り

10月に帰国する日程が組まれた。

乗り合わせた客と共に 船旅を楽しんだ。

♬~

ところが そのころ…

イギリスでは思わぬ事態が起きていた。

日本の皇太子の訪問に反対する声が
次々と上がったのだ。

背景には 戦争の深い傷があった。

♬~

戦時中 日本軍は
占領していた東南アジアで鉄道を建設。

イギリス人の捕虜などに
苛酷な労働を強いた。

十分な食事も休息も与えなかった。

多くの捕虜が亡くなった。

イギリス人捕虜の遺族たちが建てた
記念館。

捕虜の写真や記録映像を展示している。

日本軍は捕虜を動物のように扱ったと
伝えている。

皇太子の訪問が
近づくと

反対する市民の声が
新聞に次々と載り始めた。

日本政府は 急きょ

ロンドンにある日本大使館の朝海公使を

皇太子のもとに派遣した。

4月27日 夜11時。

皇太子を乗せた船は イギリスに到着した。

深夜にもかかわらず
多くの報道陣が押し寄せた。

♬~

このまま 反対運動が長引けば
戴冠式に傷がつきかねない。

事態を打開するため
あの政治家が動いた。

イギリスの首相
ウィンストン・チャーチル 78歳。

戦時中は 日本に無条件降伏を迫る
ポツダム宣言を突きつけた政治家だ。

皇太子を歓迎する昼食会で
チャーチルは 一計を案じた。

野党党首や
訪問に反対する労働組合の幹部

反日感情をあおる新聞社のオーナーを
招いたのだ。

首相が反対派を

公式な食事会に
招くことは

異例だった。

食事が終わったあと
チャーチルは 突然 立ち上がり

予定にはなかったスピーチを始めた。

チャーチルは 立憲君主制を説いた
スピーチを通じて

何を伝えようとしたのか。

ハロー ナイス トゥ ミート ユー。

イギリスと日本の関係を長年研究する
ロンドン大学 ニッシュ名誉教授。

チャーチルは
国内の反対派を抑えるだけでなく

王室の役割を 皇太子に
伝えたかったのではないかと分析する。

昼食会の翌日 皇太子は側近を通じて
チャーチルへ感謝の言葉を伝えた。

このあと 皇太子の訪問に対する
反対運動は 徐々に収まっていった。

♬~

♬~

♬~

♬~

あの昼食会で 立憲君主制について
スピーチした チャーチル。

皇太子に語りかけた
もう一つの言葉がある。

イギリスへの旅で
多くのことを吸収した皇太子。

その姿が記録された雑誌が見つかった。

イギリスの有名雑誌「ピクチャー ポスト」。

皇太子が訪問中
異例の単独取材を行った雑誌だ。

エリザベス女王の戴冠式を
記念した特集号。

前を見据える皇太子。

そのクローズアップが掲載されていた。

私たちは この写真を撮影した
カメラマンを捜した。

ハロー。

ジョン・チリングワースさん 90歳。

エリザベス女王の取材経験もある
ベテランカメラマンだ。

皇太子を撮影した時のことを
鮮明に覚えていた。

チリングワースさんは
撮影場所に指定された

日本大使公邸を訪ねた。
ところが…。

撮影は無理かもしれない。

そう思った時のことだった。

皇太子は自ら カメラの前に立った。

自然な姿を撮りたいという
チリングワースさんの要望に応えた。

♬~

自らの意志で撮影に臨んだ写真。

素顔の19歳が記録されている。

イギリスを去る3日前。

皇太子は 思わぬ機会に恵まれた。

エリザベス女王から こう誘われたのだ。

ロイヤルスタンドに並ぶ
若き女王と 敗戦国の皇太子。

2人の親交は
以来 60年以上にわたって続いている。

皇太子の旅 最後の仕事は

父 昭和天皇への報告だった。

昭和天皇は
「ご苦労さま」とねぎらったという。

廃虚の中から立ち上がり

新しい国づくりが進む日本。

皇太子は 新たな役割を担い

歩み始めることになった。

皇太子 イギリスへの旅。

ある人物が 学習院の院長に宛てて書いた
一通の手紙がある。

書いたのは
皇太子の教育を任されていた小泉信三。

外国訪問に同行していた。

小泉は 皇太子の次の課題について
こう記している。

♬~

「天皇 運命の物語」。

明日 第2話は
日本中が沸いた 世紀のご成婚。

そして 沖縄で再び向き合った 戦争の傷。

天皇に
即位するまでの

激動の
道のりを
描く。

♬~


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