NHKスペシャル選「人生の終(しま)い方」 桂歌丸、武良布枝 「終活」とは異なる人生の総決算…歌丸さんを偲んで再放送…


出典:『NHKスペシャル選「人生の終(しま)い方」 桂歌丸、武良布枝』の番組情報(EPGから引用)


NHKスペシャル選「人生の終(しま)い方」[字]


人生の最期、あなたなら何をしますか?誰に何を残しますか?終活とは異なる「人生の終い方」一緒に考えてみませんか。番組進行は桂歌丸さん。歌丸さんを偲んで再放送します


詳細情報

番組内容

人生の最期、あなたなら何をしますか?誰に何を残しますか?「終活」とは異なる人生の総決算としての「終い方」、一緒に考えてみませんか?余命わずかの夫が亡くなる直前、家族に必死で伝えようとしたことは?水木しげるさんの意外な終い方は?進行は桂歌丸さん。病をおして落語を続ける姿や心に秘めた「終い方」を記録。歌丸さんを偲(しの)んで再放送します。

出演者

【出演】桂歌丸,武良布枝,【語り】樋口可南子



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NHKスペシャル選「人生の終(しま)い方」 桂歌丸、武良布枝
  1. 人生
  2. 家族
  3. 歌丸
  4. 自分
  5. パパ
  6. 終い
  7. 由美子
  8. 最期
  9. 子ど
  10. 小熊


『NHKスペシャル選「人生の終(しま)い方」 桂歌丸、武良布枝』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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♬~(出囃子)

こんばんは 桂 歌丸でございます。

あっ いつもの座布団の番組では
ございませんので。

「NHKスペシャル」 今日は 皆さんと

こんなテーマを
考えてみたいと思います。

「人生の終い方」について。

誰だって あっちへ行く事は
分かっていますが

こと切れるまでの
まあ 限られた時間にですね

人生の総決算として
何をしたらいいか

考えだしたら これは切りがなくて
止まらなくなりますよね。

あなたも 私と一緒に
これを考えていきましょう。

超高齢社会。

遺影の準備に

墓地の抽せん。

さまざまな終活が大ブームです。

でも 今日 考えるのは
こうした準備とは ちょっと違う…

余命宣告 死を意識してから
亡くなるまでの最期の日々。

♬~

「人生の最期の時…」。

番組では
そんな人生の終い方について

「ラジオ深夜便」などでエピソードを募集。

およそ500人から寄せられました。

無口で頑固な79歳の夫。

亡くなる数日前に残した
ひと言が

妻に生きる力を与えています。

「ようついて来てくれました」。

余命僅かの35歳の父親。

幼い子どもたちに
どんな言葉を残せばいいのか

悩み続けています。

そして 桂 歌丸さん。

体力の限界を理由に 今日

「笑点」の司会を引退しました。

それでも
今後も高座に上がり続けると

決めています。

「あそこでもって
買い物しようじゃないか」。

歌丸さんの心に秘めた
「人生の終い方」とは…。

あなたなら 誰に何を残して
人生を終いますか?

♬~

都内で開かれた あるお別れ会。

去年11月 93歳で亡くなった
漫画家 水木しげるさん。

「ゲゲゲの鬼太郎」の生みの親です。

8, 000人が 別れを惜しみました。

2年前 92歳の時
心筋梗塞で倒れた水木さん。

死ぬまで漫画を描き続けると

病床でも絵筆を手にしていました。

しかし 亡くなる半年前
突然 漫画の執筆をやめます。

その前後から家族との写真を
夢中で撮り始めました。

写真に込めた思いとは
何だったのでしょう?

前へ~!

21歳の時 南方の激戦地
ラバウルに送られた水木さん。

(叫び声)

あび叫喚の中 戦友たちが
次々と もだえ苦しみながら

死んでいく姿を
目の当たりにしました。

苦もんに満ちた友の死に顔は
水木さんの心に深く刻み込まれ

生涯にわたって
消える事はありませんでした。

復員後は 漫画家として
戦争の悲惨さを

繰り返し描き続けます。

90歳を越えても 戦場の記憶に
うなされていたという水木さん。

家族には 穏やかな笑顔の記憶を
遺そうとしました。

家族で集う お茶の時間。

妻 布枝さんと
散歩に出かける時の一枚。

同じ場所 同じ顔ぶれ。

それでも 何枚も何枚も
撮っていました。

水木さんが いつも繰り返していた
言葉があります。

ゲーテの詩集の一節です。

漫画でも遺言でもなく

自分の笑顔の写真を遺して
旅立った水木さん。

大切な人の心の中で

いつまでも
笑顔で生き続けています。

人生の最期に何をし
何を残したらいいのか…。

模索している人がいました。

こんにちは。
≪あっ どうも。

お邪魔します。
こんにちは。

首のリンパ節が
少し腫れているようにも…。

末期の食道がんを患う…

余命僅かと知り 葬儀などの準備も
全て自分で調えました。

それでも
まだ何か やり残している事が

あるのではないか。

そんな思いが消えませんでした。

高校を卒業後 郵便局員として
40年余り勤め上げた 団塊の世代。

責任感が強く
生真面目な父親でした。

唯一の息抜きが
職場の書道クラブの活動でした。

がんが見つかったのは3年前。

定年後 妻と旅行しようと
話していたやさきの事でした。

夫として 父親として
最期に何を残せるのか。

声も出せなくなった今

家族への思いを
手紙にする事にしました。

これまで
口に出しては言えなかった

家族への思いです。

2週間後 息子と娘を呼びました。

お母さんも 初めて… 3人とも。

「お母さん 定年退職して
これからという時に

こうなってしまい ごめん。

これまで 四十数年も いろいろ
尽くしてくれて ありがとう。

2人で 恥ずかしくない家庭を
作ってこられましたね。

一番の思い出は
自分が親になった時。

生まれてきた政弘と真紀を
初めて見た時は

感動ものでした。

自分が しっかりしなきゃと
感じました。

今は 2人とも よきパパとママ。

もう安心です。

人生に悔いはありません。

ありがとう」。

(すすり泣き)

思いを手紙に込めた桑原さん。

ひとつき後。

今日まで 本当に
お疲れさまでした。

家族に見守られながら

穏やかに息を引き取りました。

残された 妻のチヨエさん。

桑原さんの手紙が 今を生きる
支えになっていると言います。

♬~

ちゃんと考えて 伝えてくれれば
受け取った人にとっても

力にもなり支えにもなるんですね。

まあ 私も かみさん
それから 子ども 孫 ひ孫

それから弟子… 弟子はいいです
そんなものは 何だって。

あるいは 友達や何かに
何と言っていいか

これはまた 難しいですね。

実は私も 人生を終うのは

まだまだ
80年ぐらい先ですけれども

その時になって
慌ててもいけませんですから

今から 真剣に
考え始めているんです。

杯を高々と上げたいと思います。
乾杯!

(一同)乾杯!

落語家など 200人以上が在籍する
落語芸術協会。

桂 歌丸さんは
その会長を務めています。

本日は お忙しい中
厚く御礼を申し上げます。

ごゆっくりと お過ごしになって
頂きたいと思います。

(拍手)

終い方を考えるようになった
歌丸さん。

きっかけは 亡き友と交わした
ある約束でした。

7年前に亡くなった…

豊かな表現力で人気を集めた
古典落語の名人でした。

「よそう また夢になる」。

(拍手)

同世代だった2人。

50年以上にわたって
切さたく磨してきました。

圓楽さんは 亡くなる前

突然 歌丸さんに
電話をかけてきました。

そして たったひと言
絞り出すように言いました。

「歌さん 頼む」って言った
言葉の中には

いろんな頼むが
入ってた訳ですよね。

お時間でございます。

(拍手)

以来 亡き友に託された
落語界を背負う歌丸さん。

あ~ いて。

しかし 間もなく80歳。

幕が下りると
待っているのは車椅子。

腸閉塞など さまざまな病気で
入退院を繰り返し

肺にも病を抱えています。

お疲れさまでした。
ありがとうございました。

体重も
この一年で 10キロ落ちました。

医師に止められながらも
全国を飛び回り

時には
月の⅔以上 高座に上がります。

(拍手)

この日の演目は
100年以上前の古典落語。

数時間に及ぶ大作です。

歌丸さんのほかに
演じる人は ほとんどいません。

「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏!」。
「待った 待った!」。

「義理に絡まる体でごぜえます。

どうぞ 離して
死なせておくんなせえ」。

「待った。 待ちなさい 待ちなさい。
いいから そこへ お座り。

いいから 落ち着いて お座り」。
「お久しぶりでごぜえます」。

伝統の話芸を守り
次の世代に伝え残すまでは

やめる訳にはいかないといいます。

「8つの時に お別れ申した…」。

その気迫は
後進にも伝わっています。

実は 歌丸さん

落語界を託してもいいという人が
ようやく見えてきたそうです。

いつか訪れる
旅立ちの日のために

終い方を考え始めた
歌丸さんです。

全国からの 500通のお便り。

「最期まで 自分らしく生きる」。

その大切さを教えてくれたという
声もありました。

「周りから 人情派といわれていた
裁判官の夫。

仕事に励んでいた5年前

まさかの末期がんの宣告。

残された時間 後進を育てたいと

大学教授に転身しました。

抗がん剤をうちながら
亡くなる2か月前まで

教壇に立ち続けました。

自らの信念を貫いた
夫の終い方。

教え子たちは 今
司法修習生となり

夫の志を
受け継いでくれています」。

孤独死とされた最期にも
その人らしさが しのばれ

救われたという声もあります。

「トラックの運転手で
独身だった兄は

ずっと独りで 生きてきました。

癌になった事も 誰にも言わず

たった独り
自宅のアパートで息絶えました。

自然や動物が好きで

長年 乗馬クラブに通っていた兄。

亡くなる日
いつもより多めのニンジンを手に

愛馬を訪ねたと聞きました。

最後のお別れをしたのでしょう。

病気に気付けなかった事を
後悔しましたが

兄は 人生のしまい方も

自分で選択したのだと
思うようになりました。

どこまでも まっすぐに生きた
兄でした」。

若くして人生の終い方に
向き合う人もいます。

大体 いつも こっちに寝てて
昼間は。

こんな感じに テレビを見てます。

末期がんで
余命数か月と告げられた…

子どもたちが
すごい やってくれる。

看護師をしている…

ママ! 大体 94~95。

小学4年生の…

滑って ジャンプできた?
ジャンプは してないよ。

パパの病気が治りますように。

そして
小学校入学を3か月後に控えた…

ずっと一緒にいられますように
とか。

「パパ いつも ありがとう」。

容体が悪化していく中
子どもたちの成長を

いつまで見届けられるのか

そればかり考えていました。

「特に一番好きなのは パパです」。

この前も こう
妻と 話 したんですけど…

サンキュー。

しかし がんは全身に転移。

海愛ちゃんの入学式に
出席できるのか…

厳しい状況でした。

(由美子)海ノ介! う~みのすけ。

初めて子どもを授かったのは
10年前。

海愛ちゃん
あと おうちまで1時間だよ。

小熊さんは 休みの度に
子どもたちと出かけ

スポーツやキャンプなど
さまざまな事を教えてきました。

(由美子)
立ってごらん 立ってごらん!

お~!

♬「げんこつ山のたぬきさん」

♬「おっぱいのんで ねんねして」

パパ… パパの事 撮影。

毎年 親子で行っていた スノーボード。

海ノ介くんは
今は 一人で練習に励んでいます。

検定会を行います。

自分が挑戦する事で
パパを元気づけたい。

海ノ介くんは 大人でも難しい
試験に挑んでいます。

(海ノ介)海も頑張るからって。

ただいま。

イエイ。
イエイ。

(小熊)ぎりぎりじゃん。

スピードが…。

自分は もうすぐ
子どもたちのそばにいて

何かを教えたり 励ましたり
できなくなってしまう。

残された時間の中で

どうしても
伝えたい事がありました。

この先 どんな困難に直面しても

「立ち向かう事 あきらめない事」。

小熊さんは 携帯電話に
メッセージを吹き込もうとしました。

しかし 何と言えば
幼い子どもたちに伝わるのか

言葉が見つかりません。

若くして 人生をどう終うか
迫られる小熊さん。

どんな言葉を残せばいいのか
探し続けています。

大切な家族に 何も残せないと
悩む人もいました。

50年間 一人で居酒屋を
切り盛りしてきました。

世話好きで 常連客から
お母さんと呼ばれてきました。

(せきこみ)

1年前 末期の肺がんと診断された
高松さん。

激しい痛みがありますが
入院はしないと決めています。

理由は 娘の悦子さん。

軽度の知的障害があり

一人残していくのが
心配でしかたないのです。

高松さんは 女手一つで
悦子さんを育ててきました。

頼れる家族はおらず

いつも店に
悦子さんを連れてきていました。

店で食事をとらせ
客たちにも紹介してきました。

しかし 去年 店を閉め

今では訪れる人は
ほとんどいません。

2週間後 高松さんの容体が急変。

痛みに耐えきれず
緊急入院しました。

悦子さんは
毎日 お見舞いに訪れました。

大丈夫? 大丈夫?

大丈夫?
うん 大丈夫。

最後まで 自分の体より
娘の事を気にかけていた高松さん。

ひとつき後 心残りを抱えたまま
息を引き取りました。

しかし 高松さんの思いを
受け止めた人たちがいました。

献杯。
(一同)献杯。

かつての常連客 50人です。

悦子さんを励ますために
しのぶ会を開きました。

ありがとうございます。
頑張って下さい。

えっちゃん頑張れ。 しょうがない。
順番だから いいんだよ。

悦子さんを案ずる
高松さんの姿を

常連客たちは
ずっと見ていたのです。

(拍手)

娘に何も残せなかったと
悔やみながら旅立った高松さん。

支える人の輪を残していました。

「立ち向かう事 あきらめない事」。

それを子どもたちに
どう伝えればいいのか。

悩み続けてきた小熊正申さん。

これまでにないほどの
激しい痛みに襲われていました。

この日は
海ノ介くんの10歳の誕生日。

でも 起き上がる事ができません。

うん。

体力は 限界に近づいていました。

小熊さんは ある決断をしました。

残された力を振り絞って

家族旅行に
出かける事にしたのです。

言葉では伝えられなくても

最期まで前向きに生きる
自分の姿を覚えていてほしい。

向かったのは
家族で よく出かけた温泉。

その時の記録です。

体の負担が大きく
入れなかったお風呂。

気持ちいいね。

あえて 子どもたちと入りました。

いや~ 分かんない。

(海愛)パパ 何 食べる?

数日前から 食べ物も
受け付けなくなっていた小熊さん。

この日は
家族で食卓を囲みました。

これを食べてみようかな ナマコ。

(由美子)ナマコ?

手伝う。

海ノ介くんも カメラを回し

小熊さんの姿を
懸命に記録していました。

賛成する人。
(3人)は~い。

(由美子)じゃあ 願いは誰が言う?
海愛。

(由美子)海愛 言って お願い。

じゃあ みんなで…

(由美子)うん いいよ。
いっせ~ので。

(一同)乾杯!

体を起こしているだけで
苦しい状態でも

小熊さんは 決して
つらいとは言いませんでした。

(由美子)よかった 本当に 来れて。

(由美子)そうだね。

4日後。

小熊さんは 家族一人一人の顔を
見つめたあと

眠るように息を引き取りました。

(すすり泣き)

「立ち向かい あきらめない」。

命を懸けて 子どもたちに伝え
人生を終えた小熊さんです。

先月。

小熊さんが楽しみにしていた
海愛ちゃんの入学式です。

(由美子)頼むよ これから。

ねっ 海愛。
頼りにしてるよね。

「つらい事があったら
旅行の時のパパの姿を見よう」。

そう決めて
3人は 前へ進みだしました。

人生の終い方も 十人十色。

これが決まりというのは
ないですね。

でも 一生懸命 生きていれば

きっと 何かを残す事に
なるんではないでしょうか。

つまり 人生の終い方を
考えるという事は

どう生きていくかを考える事に
ほかならないんではないかと

私は思っております。

まあ 私も まだまだ頑張って
最期は そうですね…。

高座の上で
お笑いを しゃべりながら

あるいは
家族みんなと しゃべりながら

それも
笑いながら 終わりたいです。

皆さんは いかがでしょうか?

それでは
そろそろ お時間ですので

この辺で失礼させて頂きます。

♬~

♬~


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