100分de名著 スピノザ“エチカ” 第4回「真理」 東京工業大学教授・國分功一郎、伊集院光、安部みちこ、白井晃…


出典:『100分de名著 スピノザ“エチカ” 第4回「真理」』の番組情報(EPGから引用)


100分de名著 スピノザ“エチカ”[終] 第4回「真理」[解][字]


私たちは真理であるかどうかをどう判定すればよいのか。スピノザが提示するのは、数値やデータではなく「体験」としての認識。近代が切り捨てたもう一つの知のあり方とは?


詳細情報

番組内容

私たちは、真理であるかどうかをどう判定すればよいのか。スピノザが提示するのは、数値やデータではなく、「体験」としての認識。他者と共有できなくても、体験自体が明々白々と真実性を語るような知のあり方が、科学の一方で、確かにありうるという。第4回は、近代が切り捨ててきた「体験」という知のあり方をスピノザにならって提示し、あらゆるものが数値化、マニュアル化する現代、もう一つの思考のあり方の可能性を考える。

出演者

【講師】東京工業大学教授…國分功一郎,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】白井晃,【語り】加藤有生子



『100分de名著 スピノザ“エチカ” 第4回「真理」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

100分de名著 スピノザ“エチカ” 第4回「真理」
  1. 真理
  2. スピノザ
  3. 自分
  4. 認識
  5. 考え
  6. 何か
  7. デカルト
  8. エチカ
  9. 理解
  10. 基準


『100分de名著 スピノザ“エチカ” 第4回「真理」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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「エチカ」に記された 謎めいた言葉。

哲学者 スピノザの特徴が
色濃く あらわれているのが

「真理」についての考え方です。

人は どのような道をたどって
「真理」に近づいていくのか。

そこには 近代の社会が選ばなかった

スピノザの
深い 人間への洞察がありました。

「エチカ」 最終回。

スピノザの哲学から
人が幸せに生きる道に迫ります。

♬~
(テーマ音楽)

♬~

「100分de名著」 司会の…

今月は スピノザの「エチカ」を
取り上げています。

今日も 「エチカ」について
教えて下さるのは 國分功一郎さんです。

「エチカ」 最後ですねぇ。
最後ですね。

今日は
どんなところを見ていくんでしょうか。

そうですね これまで 善悪とか
活動能力の増大とか まあ自由とかね

「エチカ」のイメージを作って
いってるんじゃないかなということを

まあ 期待してますけれどもね。

ある意味でね どこか ちょっとこう疑問に
思うところもあると思うんですよね。

どういうことかっていうと
例えばね 活動能力の増大とか…

はい。

僕らは 正しさを客観的に
まあ 証拠を挙げて証明するとか

それをないものを 何か信用しちゃ
いけないっていうようなことを

漠然と思ってると思うんですけれども。
はいはい。

この人はっていう感じがするんですよ。

真理。 正しい。
真理。 まことの理。

真理っていう言葉をね
どういうふうに理解するか。

で スピノザの場合はね
真理 そのものというよりは

真理を獲得するっていうことですね。

簡単に言えば 何かを正確に
認識することを言っています。

物事を正確に認識するっていうのは
どういうことなのかっていうことを

スピノザは考えようとするんですね。

その際に ちょっと
僕らが常識だと思っているものと

少し違う考え方が見られるんですよね。

さあ では スピノザが真理について
語っている部分がありますので

ご覧頂きましょう。

う~ん
またちょっと難しいのが出ましたね。

真の観念を持っている人は

それが あっ 真だなって
分かるって言ってるわけですよね。

物事を正確に認識すると…

あ これで合ってるよねって
教えてくれるような感覚ですね。

何かね 数学の証明の問題とかやった時の
感覚を思い出すといいと思うんですけど

自分が出した答え自体が合ってるわって
こう 教えてくれるんですよね。

はい。
だって 証明されたわけだから。

スピノザはね
ちょっと比喩的にも言っていて…

だから 何か その ある観念を
しっかり獲得すると

それが 自分は正しいんですよって

教えてくれるようなことを
言ってるんですよね。
ほお~。

だから 真理っていうのは
単に 人から 聞き覚えで

何となく暗記してるだけじゃなくて
きちんと理解した時ですよ

あっ これは確かだ。
確かだ 確実だぞっていうふうに

何か こう 納得感が得られるって
いうようなことを

スピノザは言おうとしてるんですよね。

あれかな 何か 身近な例で言うと
俺は子どもがいないから

その感じは分からないんだけど。
はい。

まあ もので読むに どうやら親というのは
子どもが かわいいらしいじゃん。  ええ。

いや 理屈では分かりますよ。
理屈では分かったような気になれるけど

親友や その同年代が
子ども 生まれた時に言う

こういうことだったんだな 自分の
子どもが かわいいのってみたいなの。

多分 彼らは それをもう疑わないし。
なるほど なるほど。 そうですよね。

だから 知ってはいるんだけど
理解していないってことですよね。
そう。

俺からしてみたら
その知識は いくらでも

いろんな本でも ドラマでも出てくるから
分かってるつもりでも

どうやら 相当
違うっぽいんだなっていう…。

単に 知るだけではなくて
何かが自分の中で

あっ こういうことかという感覚が
得られるような そういうものが

この真理の獲得であり ある種の
正確な認識を得るってことなんですよね。

まあ ちょっと 次のとこも
読んでみたいと思いますけれども。

真理は 真理の規範だって
言ってるわけですね。

で 規範っていうのは
基準って意味です。

つまり 真理が
真理の基準だって言ってるんですね。

これね ちょっとした思考実験をすると
すぐ分かります。

何が真であるかの基準があると
便利ですよね。

はい。
定規みたいなのがあるとか。

これを基準を使って あ これは真理だな
あっ これは真理じゃないなって

分かったら すごい便利ですよね。

そういうのを発見したって言って
誰か 持ってきたとしますよね。

当然 それを持ってきた人に
僕は その基準が真だっていうのは

君は確かめたのかってなるわけですよね。

その定規は合ってるのか
という意味ですよね。    そうそう。

とすると その人は真理の基準が
真であることを証明する

別の基準を探さなきゃ
いけないんですよね。
はあ はいはい。

そうすると また2つ目のやつにも
同じことが言えますよね。

だから真理の基準というのを真理の外側に
何か定規みたいなものとして

設定しようとすると 失敗するんですよ。

これ 意外とショッキングなこと
なんですけど。

ということは…

だから 真理自身が真理の基準に
なんなきゃいけないわけですよ。
はい。

これを 先ほど言っていたね
真理を獲得すると ああ こういうことか

ああ なるほどって分かるってことに
こう つながってるわけですね。

いや 理屈としては分かるけど
それ 困る。

いや だって結局 確かめられない
ということですよね。
そうです。

だから そこがやっぱり
問題になってくるところだと思いますね。

スピノザ的な真理っていうのは
いわば 正しさを検証するっていう

客観的に 公共的に 公に検証する
ということはできないわけですね。

これは この考え方っていうのは
第1回で少し言ったんですけれども…

そもそもが。
うん。

このスピノザの考え方の特徴をね
ちょっと考える時に

まあ 比較してみるといい
哲学者がいるんですけど

スピノザより ちょっと年上の
デカルトという大変有名な哲学者ですね。

スピノザにも大きな影響を与えた哲学者
ルネ・デカルト。

あらゆるものの確からしさ
正しさを疑った デカルト。

しかし デカルトは気付きます。

今 「ものを考えている
自分」が存在することは

誰であろうと否定できない。

これこそ 誰をも納得させる
絶対確実な原理だ!

このデカルトの
考え方

スピノザとは
大きく違うと

國分さんは
言います。

「我思う 故に我在り」というのは
どんなことでも疑えるけど

今 私は疑っているから 疑っている
ということは考えているから

考えている私が存在しているはずだって
いう そういう話なんですね。

これは どうやったって
反論できないでしょっていうふうに

相手を説得する機能を持っている
真理なんですよね。

我? 我なんてないじゃないですかって
言ってる人でも

いやいや もう考えた時点で
あるじゃないですか…。

あなた考えてるんでしょってこと。
だから 考えてるってことは

考えてるあなたが いるんじゃないですか
というふうに説得できるわけですね。

なるほど。
切り返せるわけです。

それに対して スピノザの場合は

まあ そういうものを真理としては
考えなかったんですよね。

つまり あくまでも…

デカルト的な 真理というのを
公に共有しようという考え方と

スピノザ的な もう少し この真理と
私自身の関係を むしろ重視する考え方

2つの考え方が ある意味 17世紀に

並行して あったんじゃないかな
というふうに思えるんですよね。

多分 後々の この我々が生きている
この近代という時代は

まあ 基本的に
そのデカルトの方を採用したわけですね。

デカルトの考え方は
もちろん すごく大切なんですね。

そのエビデンスをもって 証明して
真理を みんなで共有するっていう

これは 科学の基本だし
とっても大切なんだけれども

それだけでは分からないし
それは実は扱えるものは狭いんですよね。

これはですね
20世紀のフランスの哲学者の

ミシェル・フーコーっていう人が
17世紀のことを論じてる時に

言ってることなんですけど
17世紀ぐらいに

真理の捉え方が少し変わったって
書いてるんですよね。
はい。

これを 彼は 「デカルト的契機」って
呼んでるんですけれども

デカルト以前には 真理っていうのは
こう 自分が何か少し変わったり

レベルアップしたり それこそ
ロールプレイングゲームでね

経験値を貯めると
タラララッタッタッターンと

レベルアップしてくわけですよね。

その レベルアップして初めて
ああ こういうことだったのかって

分かるもんだったっていうんですよ。

ところが デカルト以降 何かこう真理って
誰かに教えてもらって

認識するだけの対象に
なってしまったっていうんですよ。

ところが 17世紀に一人 例外がいると。

それは スピノザだっていうんですね。

つまり スピノザの場合は
何か ものを認識する時には

自分の方も変わんなきゃいけない。

誰でも 教えてもらえば
分かるようなもんじゃなくて

こっちも レベルアップしなきゃ
いけないわけですよね。
うん。

スピノザは 人間は心も体も
絶えず変化していくことに注目します。

かよわく 周りの影響を受けやすい
子ども時代は

世界や物事を
しっかり捉える力は まだ少ない。

成長し 大人になるにつれて
少しずつ 世界を見る目を養っていく。

この変化にこそ 真理への道があると
スピノザは考えました。

最初の段階では 神および ものについても
何の認識もないし

自己についても 何の認識もないわけです。

そういう段階では 人間は 非常に
不自由な状態にあるってことですね。

あるいは
受動的な状態にあるってことです。

だから 人間は最初は
自由じゃないっていうことなわけですね。

少しずつ 認識を獲得するということは
自分のことを理解していくことだから

だんだん 自由になっていって

つまり 自分が少しずつ
変化していくってことですね。

変化すれば変化するほど 更に受け取れる
ものの質や量も変わってくるから

アクセスできる真理も
変わってくるっていうことですよね。

例えばね 本を読む時とかね
高校生の時 読んだ小説を

大人になってから読むと 違うことが
見えてきたりとかって

よく ありますよね。

それで言うと 小津安二郎さんの映画を
10代の時に見た時に

理解したと思ったんですよ。

理解したのは こんなクソつまらない
ものはないと理解したと思った…。

でも 40越えてから
「こういうことだったのか~!」って。

何で おじいさんと おばあさんが
こう 海辺で座ってるの見て

すばらしいんだろうって
よく分かんなかったですよね。

何にも起こんねえな
この映画って思ってたんですけど

でも 今はもう
ワクワクが止まらなくなってて

映画は変わってないんですよ
何にも変わってないんですよ 全然。

だから 何か自分自身が 主体として
変化・変容することによって

初めて到達できる水準があって
初めて受け取れるようになるものが

あるっていうのが
スピノザの この真理観なんですよね。

はあ~…。

例えば水泳とかって 泳げるようになった
瞬間っていうのが 多分ありますよね。

はい。  それって やっぱり何らかの真理を
獲得してるわけですよね。

それって 人々と
公に共有できないですよね。

つまり 「こうやって泳ぐんですよ」って
説明はできますよ いくらでも。

水泳の先生も教えてくれるけど
やっぱり 自分で獲得しないと

できるように なんないわけですよ。

自転車とかも そうじゃないですか。
うん。

実際に 自分で できるようになって
その真理を いわば体得するというか

その真理を体験しないと
分かんないですよね。

しかも 不思議なのは
多くの人が体験できるのに

うまく 口では説明できない。
そうですね。 人には うまく言えない。

つまり 公に共有できないというか…。

何か 最初の真理の定義が
ここで理解できた気がするのは

一回 自転車 乗れちゃうと
もう 乗れるっていう行為は

何の説明もできないけど
もう ずっと乗れますよね。    ですよね。

だから それって いわば
自転車に乗り続けることによって

自分の 自転車に乗っている このやり方
この真理の正しさを

自分は ずっと
経験し続けてるってことですよね。

何か だから多分 芸事とかもそうで
教わっても なかなか

僕は もともと
落語を教わってましたけど

理屈で いっぱい教えてくれても
分からないことは分からないんですよね。

ある一回 何だか分かんないけど
できちゃう回があって

恐らく それは 何らかの変化で
できるようになってて

そこで つかんだら多分 それはもう何で
こんなことで悩んでたんだろうになるし。

スピノザは ものを認識するということは
そのものを認識するだけじゃなくて

自分の認識する能力も
認識するって言ってるんですよ。
ああ。

認識すると 自分の能力のことも分かって
だから 二重になってる。

だから やればやるほど

どんどん この自分のことが
分かっていくっていう。

単に知識が増えていくだけじゃない
ということを言うんですよね。

それ さっきの自分の小津安二郎の感じに
すごい似てて。               ですよね。

これは当然 揺れてる気持ちを
表現してんじゃん

これで みたいなことって 多分 これが
理解できるような まあ 年になのか

心境に 俺 なったんだってことの
バロメーターでも 恐らく あるから。

他の人とか 他のものとかを知ることは
世界を知ることは

自分を知ることにつながって 自分の
なぜかっていうと自分の認識する能力を

同時に理解していくから
ということは どんどんどんどん

自由になる きっかけが
増えていくってことですよね。

それは 能動的になる きっかけが
増えるということでもあり

喜びの感情も増えるわけで
ということは まあ 平たく言うと

幸せになっていくっていうかね。
う~ん。

…というのが
スピノザの すごく特徴だと思いますね。

極めて 個人主義のようにも見える
スピノザの哲学。

しかし スピノザは「エチカ」の中で
個人と社会の関係も論じています。

僕が いつも信じたいと思ってる
人間っていう

まあ一種の動物の その性質
本性は 社会的であるっていうか。

その もう群れで
生きるものなのっていうこと。

そうすると 自分一人にとって
いいっていうものが

恐らく 群れにとってもいいはずだという。

それは お前にとって
いいことだからっていう その本性は

群れの維持にとって
悪いはずがないっていうのかな。

スピノザの基本的な考えは
そういう考えです。
そこになるんだ。

「人間にとっては 人間ほど
有益なものはない」ということは

簡単な例は
助け合うとかいうことですよね。

更には 一緒に問題を解決していくことも
そうでしょうし

人を通じて自分のことを分かるってことも
よくあるわけですよね。

あるいは これも第四部ですね。

この2行目ですね。

「恐怖によって 服従に導かれる」
ということ 書いてありますけど

近代の政治思想の中には 恐怖によって
人間を服従させなければ

駄目だっていう考え方はありますね。

例えば スピノザと同世代の
ホッブズっていう哲学者なんかは

そういう哲学者ですね。

でも スピノザは そういう社会は結局
駄目だっていうふうに考えたわけです。

一人一人のコナトゥスを大事にし

一人一人の自由を尊重するような
社会があって初めて

社会は長続きしていく。

そこから その「国家の共同の決定」

これは法律とかというふうに言いかえても
いいとも思いますけれども

みんなで守ろうって決めたルールを
守って 生活するっていうこと。

先ほどあった 群れの利益ですけれども
共同の利益を考慮するっていうこと

そういうことも 一人一人のコナトゥスが
大事にされて

自由が大事にされて 生きている時に

初めて起こることですよね
ということなんです。

だから ある意味では 自分のことを
しっかり考えられる人たちが

集まってる時に 社会は うまくいくし
他人のことも考えられる。

いろんな 人の本性とか能力って
個人差あるじゃないですか。

いつも僕が 青くさい
理想の日本で思うことは

俺 おばあちゃんっ子だから
おばあちゃんと話すの

大好きなんだよっていう若者が
当たり前のように 介護職に就いて

当たり前のように食べていけるって
いうことが すごい大事で

でも その賃金的に食べていけないとか
いろんなこと 起こるじゃないですか。

そういう時に 国家に みんなが渡すお金
税金 預けるお金とかで

うまく配置ができるようになると
世の中は とてもいいと思うんだけど

なかなか
うまくいかんなと思うんですよね。

スピノザが言っていた
身体が何をなしうるか

私たちは知らないっていう
考えですよね。

やっぱり 何をなしうるかって
分からないわけですよね。

それを いろいろ実験しないと
いけないんだけども

実験にはね 基本的に
時間がかかるわけですよ。
ああ~。

だから やっぱり 一人一人が
自分のコナトゥスを生かして

それこそ スピノザ的な意味で
自由に生きるためには

まあ ゆとりですよね 時間的なゆとり
余裕 そういうものがなきゃいけない。

例えばね 古代ギリシャなんかではね
暇な時間っていうのは

一人一人が自分を見つめて
自分を磨き上げる

大切な時間だっていうふうに
言われてたんですよね。

まあ それは「スコレー」といって

「スクール」の語源にも
なってるわけだけども

だから その そういうスコレーとしての
暇な時間っていうものを

きちんと 一人一人が持てるってことが
大事なんだけれども

今はね 日本は特に 他の先進諸国と
比べても 労働時間 長くてね

ほとんど 家に帰ってきても
体を休めるしかなくて

それこそ 自分の身体に
何ができるかっていうことをね

発見する時間なんて
ほとんどないと思うんですよね。

それを なんとしても変えないと

一人一人が
本性を大切にしてくっていううえでね

とっても大切なことだと思いますね。

4回にわたって見てきた
スピノザの「エチカ」

伊集院さん いかがでしたか?

真理の回で すごく思ったことは
まあ これが答えだと

真理について描いてあるっていうページだ
これが答えだと思ってみたら

例えば ぴんとこないっていうことは
あって よくて

でも 何か自分の状況がスタンバイできた。

変化して 変化して
スタンバイできた時に

「あっ そういうこと言ってたんだ
『エチカ』って」って 分かるケースって

あると思うんですけど
いつか そのことを知ってると

いつか真理にたどりつく もしくは真理が
すっと入ってくるかもしれないし

もちろん
入ってこないかもしれないんだけど。

そういうものってあるなと
思いました。

難しいと思いましたけど
何か すごく 自分たちに近いことも

たくさん教えてくれたような
感じがしますよね。
ありましたね。

今 お二人が おっしゃってくれた
身近なところがあるというのは

ほんと僕 聞いてても うれしいし
同感なところなんですよね。

僕は いつも哲学について思うけど
哲学はね 万人のためのものなんですよ。

スピノザは
もう みんなに幸せになってもらいたい

みんなに自由になってもらいたいと思って
書いてるわけですね。

だから みんな一人一人が
「エチカ」の読み方を持っていていいので

自分なりの つきあい方を見つけてね

何か 生きるためのヒントを
得てもらえたら

ほんとにね
スピノザも喜んでると思います。

ありがとうございました。

♬~


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