先人たちの底力 知恵泉 ものづくりの先覚者 田中久重 アイデア生む極意とは 麻木久仁子、浜野慶一、鈴木一義、新井秀和…


出典:『先人たちの底力 知恵泉▽ものづくりの先覚者 田中久重 アイデア生む極意とは』の番組情報(EPGから引用)


先人たちの底力 知恵泉▽ものづくりの先覚者 田中久重 アイデア生む極意とは[解][字]


江戸末期、からくり人形師としてスタートしながら、時計、蒸気機関、電信機までを作り、日本の近代化の礎となった、天才発明家・田中久重に、アイデアを生む知恵を学ぶ。


詳細情報

番組内容

からくり人形師として大成功を収めた田中は、人々の悩みをものづくりで解決するという志を立て、明るさはろうそくの10倍、長時間の点灯が可能な「無尽灯」や、西洋時計と和時計のほか、二十四節気まで表示できる、画期的な「万年時計」を作る。さらに50歳を過ぎて、蘭学者の元で翻訳書から西洋の科学を学び、国産初の実用蒸気船を作るまでになった。職人からエンジニアになった先駆けといわれる田中のモノ作りの神髄に迫る。

出演者

【出演】麻木久仁子,金属加工メーカー代表取締役…浜野慶一,国立科学博物館産業技術資料情報センター長…鈴木一義,【司会】新井秀和



『先人たちの底力 知恵泉▽ものづくりの先覚者 田中久重 アイデア生む極意とは』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

先人たちの底力 知恵泉 ものづくりの先覚者 田中久重 アイデア生む極意とは
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アイデアが浮かばない時
どうしていますか?

今回は 創意工夫の心得をお伝えします!

う~ん… 大根とバナナで
大根バナナそば? いや 違うな。

シイタケミカン?
いや ミカンシイタケ? いや 違うな。

ねえ ちょっと
なに ブツブツ言ってるんですか?

いや実はね 新しい料理を 私
発明しようと 今 思ってるんですよ。

創作料理というんですか?
うわ~ 何か でも…。

まずそう。
うわ~!

とはいってもですねぇ。
まあね。

人が見たことない お料理を
つくろうと思えばね。

チャレンジ チャレンジ。
いいアイデアがね 浮かぶといいね。

でも どうですか? 麻木さんは
新たな自分を打ち出したいなんていう

願望とかって あったりするんですか?
ある ある ある。

やっぱ ほら 若い時は
結構 ほら 勢いよくいってるけど

年を重ねて 私も
だいぶ落ち着いて 円くなったんですよ。

はい。       何かこう おっとりした
イメージを打ち出したいの。

自分を変えたいというのはありますよね。
そう。

鈴木さん どうですか?

新たな発見をするために必要なことって
何ですかね?

ああ いきなり難しい あれですね。

江戸時代の技術書に
書いてあるんですけど

「起見生心」ってあるんですよ。

起こすということに 見ると書いて
生きるって書いて 心って書く

起見生心という。

これは いろんなものに興味を持って
いろんなものを見て

そういうのが蓄積されて
初めて新しいものを 何か見た時に

何かやろうとした時に そういう経験が
ものを言うんだという…。

いきなり バナナと大根を見てても
何も出てこなくて。

そうそう そうそう…! そうよ。
そうか…。

思い浮かばないのは 経験不足か。

では 今日はね
そんな新たなアイデアが必要な時に

どんなアプローチをすればいいのか

この方からですね
知恵を学んでいこうと思います。

ぜんまいを巻けば ひとりでに動く
いわば 人型ロボット。

江戸時代
「からくり儀右衛門」と呼ばれ

天才的なアイデアと卓越した技術で
人々を驚かせた

からくり人形師 それが…。

幕末 田中は からくり人形にとどまらず
ろうそくの10倍も明るい照明器具や

あらゆる時の数え方を網羅した時計など
それまでになかった製品を次々と開発。

(汽笛)

ついには 国産初となる
実用の蒸気船までも建造し

日本の近代化を リードします。

しかし 新たな分野のものづくりに
取り組む時には

いつも 大きな課題と
向き合わなければなりませんでした。

人々を心の底から喜ばせるものとは何か?

今の技術力では限界がある。
足りないものとは何か?

自らに問い続けた田中は
どのように課題を克服し

人々が求めるものを
生み出したのでしょうか?

そんな 田中久重の知恵を読み解く
今回の仕事人は…。

東京・墨田区に会社を構え

金属製品の設計 加工 組み立てまで
一貫して 製作しています。

浜野さんは 大学や下町の中小企業と
共同開発するなど

それまでになかった製品を
生み出しています。

東京スカイツリー周辺を回る
小型電気自動車。

墨田区から 観光PRのために
製作を依頼されました。

軽量化を目指して アルミ素材が使われた
ボディーは 変形しやすく

溶接には
熟練の技術が注ぎ込まれました。

こちらは 観測装置を守るフレームの
製作を担当した深海探査機です。

これを深海に送り込むと 深さ7, 800mで
世界初となる 魚の3D撮影に成功。

高い水圧をものともしない
溶接技術の確かさを証明しました。

技術力の高さを示すことで
ものづくりの現場を元気にしたい。

そんな情熱を持つ浜野さんは

田中久重の知恵を
どう読み解くのでしょうか。

♬~

アイデア 生まれるかな…。
あっ こんばんは。

こんばんは! お待ちしてました。
どうぞどうぞ いらっしゃいませ。

まあまあまあ どうも どうも。

浜野慶一さん いらっしゃいませ。
どうぞ どうぞ。    失礼します。

お先に 1杯やっておりました。

1杯目じゃないような気がします。
すいません。

まさに 田中久重と同じように
浜野さんも

いろんなものをね
生み出してるわけなんですけれども。

新たなものを生み出す時 取り組み

どんなことを
考えてらっしゃるんですかね。

何でしょう どちらかというと 技術だとか
テクニックだとか ノウハウよりも

そもそも 何のために
これをするんであろうか

まあ 大げさな話をすると
世のため 人のためなのか

そもそも 何のために
これをやるのかという

ここは まず
一番最初に考えるところですね。

日本のものづくりの特徴ですね。
あ~。

何か目的がないと
ものをつくらないというのは

やっぱり 日本的な
久重の時代から つながる…

ものをつくる 一般の人たちのために。
例えば 刀をつくるよりは

その技術をもって
スキとかクワをつくって

人々のために農地を開拓しなさいという
技術者も職人も

みんなのために ものをつくりたいという
思いが強いんですね。

そんな田中久重がですね いかにして その
技術力を高めていったのかというのを

今日は見ていこうと思うんですが

今日 ご用意したメニューが
こちらなんです。 ドン!

てんこ盛りときたら。
何か すごそうじゃないですか。

すごそうですよ。
普通に すごそうです。
楽しみだ。

さあ 田中久重は どんなアプローチで
その新しいものを生み出していったのか

まずは こちらの知恵から
ご覧頂きましょう。

江戸時代後期 庶民の間で親しまれていた
からくり人形は

祭りの出し物として 芝居や大道芸と共に
興行されていました。

ぜんまいや歯車を使って動く
からくり人形は

中国や欧米から渡った
からくりの技術をもとに

日本独自の発展を遂げていました。

そんな からくり興行を

夢中で眺めていたのが

少年時代の田中久重です。

1799年 久留米の べっ甲細工師の
長男として生まれた田中は

父の精密な細工の技を見ながら
ものづくりに触れます。

やがて 田中に こんな思いが芽生えます。

「自分が感動した からくり人形で
人を アッと驚かせたい」。

田中は 寝食を忘れるほど
からくりの考案に没頭し

精密で エンターテインメント性の高い
からくり人形を生み出します。

こちらは当時 多くのからくり人形師が
つくった 茶運び人形。

客が茶碗を受け取ることで停止しますが

田中の作品は 茶碗を受け取らなくても
目の前で ピタリと停止します。

その秘密は この歯車にありました。

歯車には人形が止まるための
ストッパーがあり

その最初の位置を変えることで
歩く距離を決めることができるのです。

この仕掛けで
客の前で ピタリと止めることができ

人形が 自分の意思で
動いているかのように見えるのです。

田中久重の資料を展示する
東芝未来科学館の谷口さんは

オリジナリティーのある
田中の からくり人形づくりについて

こう 話します。

からくりの構造が解説された
機械工学書 「機巧図彙」。

こうした本から ノウハウを学び

更に 田中独自の作品へと
昇華させていたのです。

そして 腕試しとばかりに

田中は 26歳の時 全国各地へと
からくり興行の旅に出ます。

すると 行くさきざきで大好評。

中でも 大坂では
一日に 1万人を超える集客があり

50日を超えるロングラン。

毎日 大八車いっぱいの金を
積んで帰ったといいます。

多くの人に喜んでもらったことが
何より うれしかった田中は

ますます からくりづくりの腕を磨きます。

ところが 事態が一変。

時代が天保に入ると
各地で飢饉が発生。

からくり興行も
できなくなります。

田中に 新たな思いが生まれます。

それは 人々の悩みを
ものづくりで解決し 役立てること。

心機一転 田中は久留米から
商人の町 大坂へ移住します。

そして 人々の悩みこそが
ニーズになると考え

まず行ったのが 多くの
人々への聞き取り調査でした。

その結果 夜中でも
帳簿付けなどの仕事が長時間できる

明るい照明器具がほしいということが
分かりました。

当時は 主に ろうそくやあんどんが
使われていました。

しかし ろうそくは明るさが足りず
あんどんは 燃料となる油を

頻繁に補給しなければならず
手間が かかっていたのです。

どうすれば もっと明るく
もっと長く 点灯できるのか?

試行錯誤を繰り返し
完成させたのは

「無尽灯」と名付けた照明器具。

ろうそくの およそ10倍の明るさ

一度 点灯すると 3時間から4時間は
安定した明かりを維持します。

明るさと長時間の点灯を実現するためには
大量の油が必要です。

まず 明るさについては
灯芯の面積を広くして

大量の油を燃やすことで
実現しました。

油を送り込むためには 空気を利用します。

仕組みは こうです。

蓋を開けて 油を注ぎ

ピストンを
上下に動かして 空気を圧縮します。

その圧力によって 押し込められた油は

パイプをのぼり 灯芯に達します。

余った油は 灯芯の
ケースからあふれて ボックスに戻り

空気の圧力によって循環し
灯芯に戻ります。

循環することで
大量の油が 無駄なく使われ

長時間の点灯が可能になったのです。

銘文には…

…と記されています。

明るさと 長時間の点灯という
ニーズを満たした無尽灯は

当時のビジネスを一変させる
大ヒット商品になりました。

この無尽灯が大ヒットした陰には
更なる 画期的な工夫がありました。

あっ… え~! これが実際
田中久重が つくったものですか。

(藤井)そうですね。 田中久重は…

今で言う このトリセツ。

図入りの丁寧な説明で 使い方はもちろん
分解して掃除ができるよう

メンテナンスにも 気を配っています。

正しく 安全に
できるだけ長く使ってほしいという

客への思いが込められていました。

無尽灯の大ヒットで 商売も軌道に乗り
田中は 京都で工房を立ち上げ

40人ほどの従業員を抱えるまでに
なっていました。

そして 更なる人々のニーズに応えようと
着目したのが時計でした。

江戸時代の日本では 現在と違い

「不定時法」と呼ばれる
時の数え方をしていました。

それは 季節によって変わる
日の出から 日の入りを

昼と夜 それぞれ6等分し

その一つを 一刻と定めます。

しかし 季節によって
日の長さは変わります。

例えば夏は 冬よりも日が長いため
夏の一刻は長くなります。

これが 不定時法です。

当時の時計は この不定時法に
合わせるために 不便を強いられました。

例えば この時計は
針が上下に動き

文字盤の時刻を示します。

文字盤は 目盛りの幅が異なるものが

いくつも用意されています。

これを 月に2回
1年で24回 掛け替えることで

何とか 不定時法に
合わせようとしていたのです。

その手間を省ける時計は
つくれないものか…。

田中は その理想的な時計の開発に
没頭します。

田中が残した アイデアのメモです。

そこには 歯車の組み合わせについて
何度も かき直した跡があり

試行錯誤していたことが うかがえます。

昼夜を問わず製作を続け

1851年 ついに 不朽の名作と称される
「万年時計」が完成。

時計の上部には 毎日の太陽と
月の動き 高さを示す天球儀。

側面には 洋時計や和時計
季節を表す 二十四節気など

時に関する さまざまな
表示を備えています。

これら全てが
連動して 動くのです。

万年時計は 直径およそ15センチの
箱の中に入った

強力な ぜんまいを 一度 巻くと

1年もの間 自動で動き続けます。

画期的なのは 時刻を示す目盛りの幅を
自動で動かし

徐々に不定時法に合わせていく 和時計。

夏は昼間が長く 冬は昼間が短くなる。

夏至と冬至の日を境に
その動きを反転させることで

1年間の不定時法が表現されています。

どんな仕組みになっているのでしょう?

2004年 これらの仕組みを解明するため
科学者や技術者が集まり

万年時計の分解調査が行われました。

すると かぶと虫のような形の
不思議な歯車が発見されました。

「虫歯車」と名付けられた この部品が
ポイントになります。

万年時計の内部を見ると
中心部には虫歯車。

隣の歯車と かみ合い
左右交互に動いています。

夏至と冬至のタイミングで
虫歯車が反転することで

一刻を表す目盛りの幅が
日の長さに対応しているのです。

画期的なアイデアと からくりの技術を
結集させた万年時計。

人々の悩みに耳を傾け
それを解決するために

創意工夫を凝らして 生まれたのです。

いや~…。
皆さん 食い入るように見てましたね。

すごいですね。
いや~…。

でも 人々のちょっとしたニーズをもね
見逃さなかった田中なのかなと

思うんですけれども。

いや~ でも まあ もちろん みんなね

ニーズというと いろんなレベルの
ニーズがあると思うんですけど

本当に…

今 見てて思いましたね。

それは 私たちは
大きかったらいいな

ちっちゃかったらいいなと
いろいろ言うけど

そこから 虫歯車までは
めちゃめちゃ距離 遠いですよ。

そうですよね。
うん。

人々の喜ぶもの もしくは難しいことに
チャレンジするというのが

すごい好きだった方なんだろうと
思いますね。

自信もあったんだろうと
思いますけれども。

やっぱり 依頼に来るということは
その人が困ってると

それを 俺が助けてやるという
何ていうんですか ものづくりの

俺じゃないと できないぞという
ちょっとあると思いませんか。

困ってることをね 僕らの技術とか経験を
積み重ねて ブレンドして

それで何か出来上がって 困ってた人が
「ありがとう」と言ってくれた時の その…

やっぱり 人々を いかに今の自分の
持ってる技術で楽にしたい

もっと便利にしたいって

その発想というのが
久重の中に あったんじゃないですかね。

でも 私たちの望みの上を来てますよ。
そうですよね。

「ああ これ これ」じゃなくて 「えっ?
そこまでしちゃった!?」みたいな。

(浜野 麻木)へえ~!
は~…。

不定時法じゃなくて 定時法
今と同じ時法で

それに合わせる生活に
なってるわけですよね。

久重が やったのは
時計に合わせる生活ではなくて

時計を じゃあ
日本人に合わせればいいじゃない。

まさに その原点と言ってもいいかも
しれないですね 日本の ものづくりの。

でもね この万年時計ですけれどもね
鈴木さんが そこまで お詳しいのは

先ほどの分解調査にも関わってらっしゃる
という方なんですよね。     そうですね。

一から見ました。
え~っ!

さっきの虫歯車ですよね。
はい。

人の手で微妙に調整している
というようなところもあれば

きれいに削られてるんじゃないのかなと
思うところもあるんですよ。

歯車をつくる職人さん
時計は 一つの産業になってたので

そういうのを削れる
工作機械に近いものが

日本にも 既にあったと思うんですが

そういうもので きれいに磨き上げられた
ピカピカのやつがあるんですよ。

かと思うと 先ほどの虫歯車のように
やすり目が残っていて

ほんとに苦労して 削ってるという跡が
残ってるものと

いくつか分かれるんですね。

でも 総力結集ですね 当時のね。
はい。

日本の町工場の技術の話なんかの時に

職人さんが ほんの ネジ1つにしても
何ミクロンを 手触りでシャッと削って

合わせていく それはもう
コンピューターの計算を超えたところだ

みたいな話って よく聞くんですけど
実際 そうですか?

あっ そうですね。

機械というのは
人間の技を置き換えただけなので

あるレベルまで行きますけども
それを超える技というのは

もし 機械でやらせようとしたら
とんでもない開発費と

機械をつくるまでの時間がかかるので
コスト的に合わないんですよ。

僕らは どちらかというと
ものをつくる部分で

僕らの積み重ねてきた経験みたいなものが
あるんですけど やっぱり…

逆に言うと そこが楽しかったりだとか
何か次の 何でしょう

さあ こうきたかと こうきたんだったら
じゃ次は どういくかなみたいなものが…

それを そうきたか 今度は それか
ワクワクって…

いや そうですよね。

いや~ すごいね。
ものをつくる人は すごいね うん。

でも いかにね そのニーズをつかむか
ということに長けていたとも言える

久重なんですけれどもね そこには課題も
尽きなかったということなんですね。

田中の万年時計は 人々を驚かせ
大いに称賛される傑作となりました。

しかし その一方で
課題があったことが分かってきました。

よく見ると 木で出来たフレームに
亀裂が入っています。

これは フレームの中に収められた
強力な ぜんまいの力によって

生まれたものだと考えられるのです。

当然 日本は木の文化ですので

木のフレームで こういうものを
つくろうとしたわけですね。

そうすると どうしても この下に
ぜんまいがあるわけですけども

巻けば巻くほど ぜんまいの力を フレームで
押さえなきゃいけないわけですね。

ですから このフレームに力がかかって
木ですから 当然それは大きく変形をする。

当時はまだ 材質の違いを今ほど知らず
強力な ぜんまいの力を考慮して

フレームを鉄にしようという発想は
なかったのです。

この万年時計の製作は
田中にとって 更なる転機となりました。

今の自分に足りないもの これからの
ものづくりに必要なものは何か?

田中が思い至ったのは
西洋のものづくり

その技術の根底を支えている
科学だったのです。

田中は 工房の切り盛りを
弟子たちに任せ

蘭学者 広瀬元恭の塾
「時習堂」の門下生となります。

なんと 53歳での新たな挑戦でした。

西洋の医学校を手本にした 先進的な
カリキュラムを採用した時習堂で

田中は 物理や化学 軍事学など
貪欲に学びます。

翻訳書から学ぶ 西洋の科学の法則は
田中の目を開かせました。

こうした
ものに働く力を研究する力学。

例えば ニュートンの
「作用反作用の法則」。

それは 物体が他の物体に力を加えると

逆向きに 同じ大きさの力で
押し返されるという法則。

科学を学ぶと 田中が それまで職人として
感じ取ってきた経験則が

明快な言葉を与えられ 普遍的な理論
法則として理解できたのです。

一方 西洋では 既に ある画期的な
動力源が産業を一変させていました。

これは 当時 田中が目にしていたと
思われる蒸気機関に関する翻訳書です。

絵や図面はありませんが 蒸気の力で
大きな船や車両を動かすことができる

蒸気機関の原理や構造が
解説されています。

田中は こうした文面から まだ
見たことのない蒸気機関をイメージし

あるものをつくり上げます。

日本初となる蒸気機関で動く
船の模型です。

田中は この模型を 天皇の側近である
関白の庭の池で披露し

大いに称賛されました。

その翌年のことでした。

日本を震え上がらせる事件が起きたのは。

ペリーの黒船です!

日本人が初めて見た
巨大な蒸気船。

西洋の圧倒的な力を目の当たりにして
激動の時代が始まります。

そんな中 いち早く軍事の近代化を
推し進めていた佐賀藩が

田中を蒸気船建造の技術開発者として
スカウトします。

願ってもない
佐賀藩の要請に応じた田中は

新設された理化学の研究機関
「精煉方」に身を置きます。

そして 国産初の蒸気船建造のために
研究に明け暮れます。

その試行錯誤の形が
今も佐賀市に残されています。

こちらが それにあたりますね。

あ これですか。 これがその実際の
蒸気船の模型ということなんですね。

はい そうです。

田中は 外輪船とスクリュー船の
2種類の構造を研究しました。

以前 製作した模型より

蒸気の発生効率を上げるための工夫が
なされていたと考えられています。

これ 実際に動いたって
いうことなんですよね?

はい。 そうですね。

私たちは これのことを
蒸気船模型とは言わずに…

雛形?
(富田)はい。

中身の構造まで実際に駆動するように
つくってあるという点で

雛形というふうに呼んでるんですね。
はあ~。

そして 船だけではなくて
これ 蒸気機関車ですよね?

(富田)そうです。 はい。

動くために必要なボイラーがあったり

今 外側に見えてます車輪が動くような
仕組みになってると。

実際に これ 精煉方で動かして 当時…

へえ~。

雛形づくりで改良を重ねることで

実際の蒸気船建造を
実現させることができるはずでした。

ところが 実物の建造を始めると

雛形づくりでは分からなかった
大きな問題が…。

蒸気の強大な圧力を封じ込めるのが
ボイラーのフレームです。

それが圧力に耐えられないと
破裂してしまいます。

重要なのは ボイラーを形づくる
鉄板同士を頑丈につなぎ合わせること。

当時は 留め具を
鉄板にしっかりと圧着させるための

強い力を加えられる道具がなく
失敗を繰り返していたのです。

田中は それを可能にする工作機械が
オランダにあることを知り

すぐに輸入。 問題を解決しました。

建造を始めてから2年余り。 1865年。

ついに 最先端の科学技術を駆使した

蒸気船 「凌風丸」が完成しました。

外輪船です。

主に 要人の移送に利用されるなど
活躍しました。

実用の蒸気船としては
国産初となる快挙だったのです。

人を喜ばせようと からくり人形師として
スタートした 田中のものづくり。

そこには 日本の職人たちが
脈々と培ってきた技術と真摯な思いが

受け継がれていました。

そして 西洋の科学を学ぶことで
大きく飛躍することができたのです。

ものをつくるにあたっても 同じものを
きちっと理解をしてつくるということを

久重は
もう できていたんだと思いますね。

で それに対して やはり…

そして 時代は明治へ。

田中は 75歳の時 東京に移住して
会社を立ち上げると

工部省からの電信機器類の製造を
一手に引き受けます。

洋館の立ち並ぶ銀座に工場兼店舗を構え
後の東芝という大企業の礎となりました。

規模は拡大しても 店内の片隅には…

…と書かれ 全国の客からの

あらゆる製品の
注文や相談に応じます。

常に学び 創意工夫を重ねる田中の
技術者精神は 生涯 絶えませんでした。

う~ん。 ということなんですけれどもね。

実は 田中久重が考案したものって
他にも ありましてですね

例えば こういったものです。

これ 懐中燭台。
まあ ろうそくの台なんですけれども

携帯できるということなんですね。
折り畳めるということでしょ。

そうなんですよ。 こんなに折り畳んで

しかも それを開くと
この三脚にもなっていて 持ち運べると。

こういうの 日本人 好きですよね。

パタパタッと ちっちゃくなって
パタパタパタみたいなのね。

旅行用に たくさん売れたみたいですね。

他にもですね…

写真機も いわゆるカメラ。
そうですよね。

どれもこれも 今の私たちの暮らしには
欠かせないといいますかね。

何か ちょっと見てたら…

あっ おっしゃるとおりなんです。

1つの発明から始まって
どんどんスケールの大小かまわず

もう縦横無尽に いろいろやって
最後は ちゃんと企業にするっていう

このへんのスケールというか
応用の利く感じが。

エジソン自体も それまでの工場とかで
動いてた技術を

レコードだとか 電話だとか…

で 日本人 だから
エジソン 大好きなんですよ。

でも それって 今の久重のように
人々のために ものをつくるっていう…

もしくは 久重の方が
もしかして エジソンよりも先に

人々のために
ものをつくってたっていえば

エジソンよりも 人々のことを思って ものを
つくっていたのかもしれないですね。

でもね 最初は からくり人形師から
始まって エンジニアへと

時代に合わせて 合わせて
自分が何をすべきかっていうのも

考えてたのかなと思うんですけど。

いわゆる職人として
すばらしい職人たちが

そこまで行き着いてる部分がある。

で 西洋から理屈が入ってくる
教えて頂くと

やはり あっ そういうことか…

僕らも どちらかというと 手を動かすのが
先に来るんですけれども

やっぱり どこかで壁があって
それを乗り越えるために

やっぱり学ばなきゃいけないって
いうことなんだろうなって。

つまり 経験だけでつくってると
同じものを同じ形で

少しずつ良くしていくことが
可能なんですけど

応用範囲っていうのは
やっぱり狭いんですね。

ところが そこに理屈を学ぶと あっ
これは ここにも応用できることか と

先ほど
いろんなものをつくってますけど

やっぱり それは その知識を得た時の
広がりが ああいう形で

ああ じゃあ これにもできる
これにもできるっていって

広がったんじゃないかと思いますね。

僕らも 電気自動車をつくった時に
一番最初 つくった時に

まあ 結構 思ったより
うまくいってしまったんですね。

で これはいけるだろうと思って
2台目をつくったんですけれども

そうしたら やっぱり
見事に うまくいかなかったんですね。

どういうところが?
理屈。

サスペンションをですね
自分たちで開発をしてしまったんですよ。

どうせつくるんだったら 全部 部品から
何から全部 自分たちでやってやろうと。

で 形には なったんですけども
結局 やっぱり人 乗りますしね

平らな道だけじゃないし 段差だって
乗り越えなきゃ 車ですからいけない。

そういうことを あまり こう
きちっとした…

経験的なものだけでですね。
経験的なものだけだったので。

そうか 見た目には分からないけど
こういう力が

僕らの知らないところで
かかってるんだっていうのが分かって

それを やっぱり学んで。
そうですね。

合計3台つくったんですけどね 3台目は
非常にいいものができたんですね。

でもね まあ 職人って呼ばれるね
人たちと エンジニアって

紙一重なのかなっていう
感じもしますよね。

一緒に共同プロジェクトみたいなものも
あったりしますけれども

そういうところに参加するっていうのは
どう思いますか?

まあ 出会いだけではなくて
プロジェクトだけではなくて

何か そういう もしかしたら…

久重は精煉方で ものすごく優秀な人たち
精鋭を集めましたので

技術者として やれること
で 蘭学者たちが教えてくれること

その中で 彼は
新しい次の時代のことを学んだし

ものをつくれるように
なっているんですね。

決して 蒸気機関も
1人でやってるわけではなくて

今 おっしゃったように
いろんな人たちの知恵

そういうものがなければ これからの先は
ものが つくれないんだっていうことは

実感したと思いますね。
なるほどね。

どうでしょう 鈴木さん これからの日本の
ものづくりということを考えた時に

課題は何でしょうかね?

彼が言った言葉で
「守 破 離」ってあるんですね。

「しゅ」 守る。 「は」 破る。
「り」 離れるっていう。

いわゆる型 いわゆる作法…

…っていう意味なんですけれども
やはり きちっと守るという

その型を守っていく。
型っていうのは やはり

経験を積むっていうことなんですね。
で 今…

やはり 久重のように
いろんな経験を積んで…

そこは やはり これからの日本はもう少し
きちっと その「守破離」ができるような

体制づくりっていうのを
やるべきじゃないのかなと思いますね。

久重は あれだけの混乱の時期において
当時の殿様たちだとか

社会も 「守破離」を許したし
やはり それができたからこそ

日本の近代 明治っていうのが
成り立ったんではないかなと思いますね。

世の中がね
これだけ こう多様化してきてる

時代が大きく
変わろうとしている時であるので

何かね その大企業だとか中小企業だとか
何かの組合だとか

性別だとか 国籍だとか 年齢だとか
何か そういうことは関係なく…

田中久重のように…

そういう ものづくりをしていきたいな
ということを考えています。

やっぱり 今日見ていて
あるいは お話も伺っていて

ああ やっぱり最後ね 知的探求心
これが まず一つと

その行く先に…

その二つを併せ持って
リードしてくれる存在が

こうやって歴史に名を残すんだなって
思いましたね。 うん。

そっか~。

えっ? えっ?
そこ?

私も大根バナナとか考えてたけど
ニーズないかな?

(笑い声)

すごい落ち。
すごい落ち。 最後 そこ?

考え直します はい。

思ったより おいしいかもしれない。
ですかね?


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