趣味どきっ! 鍋の王国「牛鍋・すき焼き 文明開化のシンボル」 武井壮、料理研究家・冬木れい、向笠千恵子…


出典:『趣味どきっ! 鍋の王国「牛鍋・すき焼き 文明開化のシンボル」』の番組情報(EPGから引用)


趣味どきっ! 鍋の王国「牛鍋・すき焼き 文明開化のシンボル」[解][字]


日本人の冬のソウルフード「鍋」。このシリーズでは日本各地の鍋がなぜ誕生したのか、どう進化したのかを探る。家庭で本格鍋レシピも。


詳細情報

番組内容

日本人の冬のソウルフード「鍋」。このシリーズでは日本各地の鍋がなぜ誕生したのか、どう進化したのかを探る。家庭で本格鍋レシピも。今回はすき焼きのルーツを探って、横浜・京都・東京の名店を食べ歩く。一般に横浜で生まれた牛鍋(みそ味)が、関西からきたすき焼きに取って代わられたと言われているが、実はそうではなかったことを発見。

出演者

【ゲスト】武井壮,【講師】料理研究家…冬木れい,【解説】フードジャーナリスト…向笠千恵子



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趣味どきっ! 鍋の王国「牛鍋・すき焼き 文明開化のシンボル」
  1. 焼き
  2. 牛鍋
  3. 明治
  4. お肉
  5. 関西
  6. 牛肉
  7. スタイル
  8. 最初
  9. 横浜
  10. 作り


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そして 1859年 横浜が
1868年 神戸が開港。

外国の文化が 一気に流入しました。

すると 関東と関西に
牛肉の鍋が誕生します。

そのルーツを訪ねるのは

百獣の王にして 鍋が大好物の
武井 壮さん。

そして案内するのは
郷土料理にも詳しい

料理研究家の
冬木れいさんです。

まずは 関西。
京都で古くから続くお店を訪ねます。

ここは 寺町通です。
そしてここが あの本能寺ですね。

もうちょっと 歴史を感じますわね。

ここで
あんな事件が起こっていたなんてね。

大変なことが
起きてしまったわけですからね。
そうです ええ。

そんな寺町通で 冬木さんが案内したのは
すき焼きの老舗。

創業は明治6年と 大古参。

こんにちは。
こんにちは。

なんか すごいところです。
入り口から もう作りがすてきですね。

擬宝珠のような。
ようこそ いらっしゃいませ。

お世話になります。
どうも よろしくお願いします。

伝統を受け継ぐ五代目が
用意してくれたのは お店に残るお宝です。

こちらです。
こちらが そのメニュー。

お品書きというんでしょうか。
(三嶌)そうですね。

で もう これが 「すき焼」ですよね。
はい。

「三銭」!?

こちらでは すき焼きという
名前なんですね。

関西の方では 最初から すき焼きという
名前で 明治6年に創業いたしまして

こちらは 明治22年の時の

後ろの こう 合わさってる新聞が
明治22年の記載なので

そのころより 前のものかと思われます。
なるほど。

もともと西日本では
鋤の鉄部分を鉄板にして

魚などを焼いて食べていたと
いわれています。

それで すき焼きになったという
説があります。

もう一説ございまして 薄く切る

非常に貴重なお肉
せっかくの牛の命を頂くということで

大切に薄くすく。 それから すき焼きと。

なるほど。
お肉をすくように切る。

これ メニュー見ると分かりますけど
すき焼きが三銭 でも御飯が二銭と

ほとんど 御飯と
すき焼きの値段が

あまり変わらない
っていうね。

明治の最初はですね まだまだ牛のお肉は
皆さん 食べるのに不慣れでしたから

牛の方は さほど高くなかったと
聞いております。  なるほどね。

すき焼きの牛肉は
明治のころから薄切りです。

作り方は まず鉄鍋に
牛脂で 脂をひきます。

そして 砂糖。
は~。

鍋全体に広げるんですね。

なんかちょっと
初めて見るスタイルですね。

そこに 薄切りの牛肉。

お砂糖の上に 薄切り肉をのせて。

やっぱり すき焼きと言うだけあって
焼くんですね。  (三嶌)そうですね。

語源のとおり お肉を焼くというのが
こちらの流儀といいますか。

水分が 一切ないんですね。
ね。 まず焼く。

開店当初から さとうを
たっぷり使うのが流儀。

メニューには
追加用らしき
さとうもありました。

そこに 特製のしょうゆ。

関西のすき焼きは 砂糖としょうゆで
甘辛く仕上げます。

あ~ もういい香りですね。

うわ~!

まだ一口も食べてませんけど
もう おいしいです!

このままいっちゃって いいんですかね?
(三嶌)どうぞ どうぞ。

うわ 見て下さい これ!
いただきま~す。

先生 失礼します お先です。
どうぞ どうぞ。

ウフフフフフッ
ほころんじゃいますね。

うわ これは…。
うわっ。

ちょ ちょっと待って下さいね。
ちょっと待って下さいね。
そうですね。

やっぱり幸せは 逃さない方がいいです。

ありがとうございます。
ハイタッチですか!

本当にあの… 脂身が
しっかりあるんですけど

さっぱりした やわらかいお肉が

この鉄鍋で焼いた その香ばしさみたいな
こう おしょうゆの焦げたお味と

お砂糖の甘みが混ざって

何て言ったらいいんですか?
おいしいとかじゃないです。

もう しあわせです。

これはもう しあわせですよね? 先生。
そうですね はい。

続いて 野菜。

わ~ これも焼くんですね。
焼くんですよね。

野菜も 直接鉄鍋に。

そして再び
砂糖を たっぷりと振りかけます。

更に しょうゆです。

(三嶌)明治からですね
このすき焼きができまして

ふだんは和食を食べて

そして特別な時には このすき焼きを
食べるというような文化が

自然と出来上がっていったのかなと
思いますね。

ご主人 すいませんでした。
おいしそうすぎて

あんまり聞いてませんでした。
すいません。

そんな関西で 牛肉を食べる文化が
根づいた理由 それは?

(鳴き声)

牛の名産地だったからです。

但馬牛博物館の館長さんが
教えてくれました。

関西は牛文化といわれるように

関西には 現在の兵庫県 岡山県
鳥取県といった牛の産地があり

明治に入ってからは 神戸ビーフだとか
近江牛という牛肉の産地も

生まれ育ってきました。

その代表が 和牛の祖といわれる但馬牛。

もとは 普通の農耕牛だった但馬牛を
外国人の求めに応じて提供したところ…。

非常においしい。 「コーベ・ビーフ
ベリーグッド」と言ったのが

神戸ビーフの始まりといわれています。

外国人が絶賛した理由は
この地域独特の飼育法にありました。

(渡邊)三田や有馬郡辺りでは
農民の勤勉さを

牛が太っているか ということで
判断をしていました。

それで年貢米を 運んできた牛で
最も太った牛の持ち主に

褒美を与えていました。

そうしたことから…

(渡邊)…という習慣が 広がっていました。

霜降りになります。

もともと但馬牛は 肉に脂肪がつきやすい
遺伝子を持っていました。

そこに 麦を食べさせることで
更に脂肪分が増えるように

変化していったといいます。

ちなみに この但馬牛を交配して
生み出されたのが

日本各地の黒毛和牛 霜降り肉です。

この脂肪を おいしく味わうには
どうすればいいか?

そう考えた時 関西でたどりついたのは

薄く切るということだったと
いわれています。

続いて二人は 文明開化の先駆けとなった
横浜へ。

関東でも 独自の牛肉の鍋が
生まれていました。

文明開化のシンボルとして ここ横浜で
生まれたのは すき焼きではなく

牛鍋だったんです。
牛鍋。 名前は聞いたことあるんですけど

すき焼きと こう
やっぱり違うものなんですかね?
違いますね。

一目瞭然なので 見に行きましょうか。
はい。

二人は明治のころ 横浜一のにぎわいを
見せた 伊勢佐木町界わいにある

牛鍋店へ。

なんと…

今日は ようこそおいで下さいました。
どうも ありがとうございます。

今日はお邪魔します。
よろしくお願いいたします。

150年前から変わらない牛鍋が こちら。

あら!
すてきですね。

これが 牛鍋なんですか?
(青井)ええ。

こちらが 明治からの創業当時の
今まで至る牛鍋ですね。

生まれてきて 初めて見るスタイルの。

お鍋といいますか

これ 上にのっているのは
おみそですよね?  (青井)はい。

初代が いのしし鍋にヒントを得て
牡丹鍋っていうやつですかね。

いのししのお肉も やはり みそで煮て。
臭みを消すみたいなことですかね。

当時は 肉の質もよくなく

しかも 客は
牛肉に慣れていなかったため

みそ味で 食べやすくしたそうです。

そして肉は 大きなぶつ切り。

考案した初代が 大酒飲みで

酒を飲みながら
調理場で 包丁を握ってたと。

お肉も面倒だということで
最初から このブツブツと

ぶつ切りに切った。
そういう理由だったんですね。

まずは かつおと昆布の
あわせだしを入れ

煮えてきたら みそが焦げないように
注意しつつ 肉に火を通します。

(青井)どちらかというと
煮るというスタイルですね。 そうですね。

やはり鍋ですね 煮るから。
牛鍋という 名前のとおりなんですね。

おみそがからんで また。
おみそがからんで いいお色ですね。

これは 卵に混ぜてもおいしそうな
しっかり味 ついてそうですね。
そうですね。

見て下さい これ ちょっと。
うわ~ いい!

今まで本当に食べたことのないお味。

おみその香ばしい ほんのりとした苦みと
甘みと。

でもそこに 何かこう
お肉のうまみなのかな?

そういったものが混ざってきて

お肉も やっぱり
ブロック状になってるんで

かんだあとに お肉の味が
ズシンと こう やって来るような。

よりお肉感が出るんですね。

今 おっしゃられたとおり…

(青井)口に入れた時に ジワッと肉汁と
おみその味が 口の中に広がるんです。

文明開化の味といわれた 牛鍋。
相当 大人気だったんでしょうね。

創業当時は みんな…

じゃあ 牛を食べるっていうのは
まだ本当に習慣がなくて

ちょっとこう 新しいものというか
珍しいものというか。

そこに この牛鍋を
根づかせるっていうのは

結構 最初は大変だったのかななんて
思うんですけど。  (青井)そうですね。

先生!                    満足!
もうほんと 何ですかね…

ではここで ご家庭でも
明治時代に タイムスリップ。

冬木さんの 本格牛鍋レシピ。

まずは味の決め手 みそだれです。

江戸甘みそを使いますが 無い場合は
塩分が低めのみそと 砂糖で代用できます。

鍋にみそを入れ 酒 みりんを入れて
みそを溶かしていきます。

途中から火をつけ 強火で一気に
つやが出るまで練り混ぜます。

ここから鍋を作りますが 大事なことは
最初に だしを入れることです。

牛鍋の欠点は 焦げやすいこと。

最初に 昆布とかつおのあわせだしを
入れることで 焦げるのを防ぎます。

そして 牛肉。 だしにつかるように
鉄鍋に並べていきます。

次に みそだれを真ん中に。

更に 3センチに切ったねぎを入れたら…。

ここで 火をつけます。
煮えてきたら

みそだれを溶かしつつ
肉をひっくり返して

満遍なく火を通します。

焦がさないよう 注意しましょう。

お肉に火が通ったら
まずは 牛肉とねぎを頂きます。

溶き卵にからめて
お肉を味わいましょう。

食べ終わったら 第2弾。
だしを入れ 濃さを調整し

肉 しいたけ 焼き豆腐など
具材を入れ

味を調えます。

冬木さん特製…

みそと牛肉という おなじみの材料ですが
新鮮な味わいに驚かされます。

関西では すき焼きが広がり
関東では 牛鍋が大流行します。

しかし その牛鍋が
今では ほとんどなくなり

すき焼きに変わってしまったのは
なぜか?

すき焼きジャーナリストによれば
業界には ある定説があるそうです。

私も いろいろ取材したんですけれども

やはり…

また 上方のすき焼きをする職人さんが
大勢やっていらしたので

すき焼きという形で お店を営業される
ところが増えたんだと思います。

美食家として知られた 明治生まれの
喜劇役者の著作にも

同じ記述があります。

関東の牛鍋は 関西のすき焼きに
置き換えられてしまったのか?

定説を打ち破る店が 東京の日本橋に!

いろいろ見てきましたけれどもね

一般的にいわれている
すき焼きの作り方の流れと

ちょっと矛盾したお店が
ここ 日本橋にあるんです。
ああ そうなんですね。

その店を紹介してくれたのは
あのすき焼きジャーナリストの向笠さん。

実は 冬木さんの
お知り合いでもありました。

この店は 明治2年の創業。

横浜の牛鍋店の 翌年の開店です。

最初は 牛鍋店として
スタートしました。

(向笠)こちらのお店は なんと
その創業当時から 今に至るまで

その すき焼きの作り方が
変わってらっしゃらないんです。

もう 昔のまんまということなんですね。
はい。

出てきたのは この薄切りの肉。

これ 明治2年から
最初から この切り方なんですよね?
そうですね。

手前どもは こういうふうに割合
一つの肉を いくつかに小さく切って

そのスタイルは 変わっておりませんですね。
あ そうなんですね。

牛鍋というよりも 今のすき焼きって
いったような感じのスタイルですよね。
そうですね。

作り方は 牛脂で脂をひいて。

そこに しょうゆに みりんなどを合わせた
割り下を入れます。

そして お肉を入れて煮る。

お肉がおいしいですね~ これは。

続いて しらたきや野菜 お肉を入れて。

再び煮ます。

これ 今でいう 関東風の 我々が食べる
すき焼きのスタイルですよね。
そうですね。

でも 明治2年から
ずっと このスタイルだとすると

関東大震災を機に変わったっていうふうに
聞いてたんですけど

明治から もうこうだった
ということなんですか?
はい。

手前どもは こういう形で
商いをさせて頂いておりますけれども。

(向笠)そうですね。 いろいろ調べたり
いろんなお店に伺いますとですね

お鍋の炊き方 作り方はといいますと
お店ごとに…

なるほど。 関東風のすき焼きというのは
関西から やって来たみたいに

僕らは シンプルに思ってたんですけど

でも 横浜の あの牛鍋の流れとか

いろいろなものが こう 独自に こう
広がっていったんですね。

横浜の場合は 角切り肉で
上におみそをのせて煮るというのが

一つの大きな特徴だと思いますが

間もなく…

もう そのころから…

まだスタイルが確立されていなかった
牛鍋は

味付けや 具材の切り方など
店ごとのアレンジがされたといいます。

こちらが その一つの
いい例ではないかなと思いますね。
なるほどね。

じゃあなんか その関東大震災以降に
すき焼きに変わったっていうのは

作り方とか そういうことだけじゃなく
名前が。

つまり 関東のすき焼きは
関西から やって来たのではなく

牛鍋のみそで煮る文化が 独自の
しょうゆ味に変化したものだったのです。

では なぜ牛鍋という呼び名は
少なくなったのでしょうか?

私 思うんですけれどもね
「下らない」という言葉がありますでしょ。

江戸時代 上方から
例えばお酒にしろ おしょうゆにしろ

いいものは 向こうからやってきた
っていうのが 江戸っ子にとっては

潜在意識であったので

関東大震災ぐらいまでは
やっぱり上方のものって すばらしい

というような 意識があったから

関東大震災で すき焼きっていう言葉が
入ってきますと

「あ~ かっこいいじゃないか」とか
「いいな」っていう感じで…

実はこの店も 開店当初は
牛鍋店を名乗っていましたが

いつのころからか
すき焼き店に変わったのです。

(向笠)すき焼きは やはりね 私…

日本には あまた おいしいお鍋が
ございますけれどもね

やっぱり心のごちそう お鍋物のというと
やっぱり すき焼きだと思ってるんですね。

ですから 肉料理でありながら 同時に
栄養バランスを しっかりとれるという。

向笠先生のお話も止まりませんけど
私の食欲も止まりません。

勝負だなと思ってます 今 はい。

さあ今回は 京都 横浜 東京と回った
武井さん。 いかがでしたか?

こちらのひと文字で表させて頂きました。
ババン!

「一」という
ひと文字なんでございますけれども

いろいろな食材がね
まず一つのお鍋に集まって

我々の食卓を楽しませてくれる
最高の ごちそうでもあるという。

そして いろいろな地域で生まれた
牛鍋だったり すき焼きだったりって

関西風だったり関東風だったりっていう
ものが いろんな交流をへてですね

一つのすき焼きという文化をまとめ上げた
「一」ということでもありまして。

そして これを食べれば
家族が皆 一つになれるという

そういうことでございましょうか。
いかがでしょうか?    すばらしいです。

ナンバー1ということでございます。
はい。

ありがとうございました。
(冬木 向笠)ありがとうございました。

♬~
(テーマ音楽)


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