時空超越ドラマ&ドキュメント 美子伝説 小田部雄次、打越孝明、小平美香 新井浩文、田中麗奈、岩松了、田口浩正…



出典:『時空超越ドラマ&ドキュメント 美子伝説』の番組情報(EPGから引用)


時空超越ドラマ&ドキュメント 美子伝説[字][再]


江戸から明治へ。激動の時代に、その表舞台にファーストレディとして突然立つことになったのが美子皇后だった。近代化を急ぐ当時、皇后の背負った使命や宮中での生活とは?


詳細情報

番組内容

二十歳前に明治天皇のきさきとなった美子皇后。住み慣れた京都を離れ東京に移り、新国家を代表する女性としての使命を担うことになる。その美子皇后の実像とは?番組では野心あふれる新聞記者が、皇后のさまざまな謎に挑んでいく。歴史上初めてドレスを着た皇后、その背景には何があったのか?日露戦争に際し、皇后が見た不思議な夢とは?宮中での生活をみつめながら明治を駆け抜けた美子皇后を描く。出演:新井浩文/田中麗奈ほか

出演者

【出演】新井浩文,田中麗奈,岩松了,田口浩正,梅沢昌代,綾田俊樹,宇野祥平,山野海,土村芳,足立智充,高橋綾沙,後藤ユウミ,いとうせいこう,【解説】小田部雄次,打越孝明,小平美香,【語り】渡邊佐和子




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時空超越ドラマ&ドキュメント 美子伝説 小田部雄次、打越孝明、小平美香
  1. 皇后
  2. 女官
  3. お上
  4. 美子皇后
  5. 明治
  6. 日本
  7. 天皇
  8. 三千子
  9. 宮中
  10. 明治天皇


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せっかくやるんだったら
ほんとは 罰ゲームとかやった方が

ちゃんとね
みんな真剣にやるような。
そうね。

さあ はい じゃあ 行きますよ~。
真剣勝負で はい。

ほら。

はい。       は~い。

ちょっと~。

あら。
減らないね みんな。

減らないですね。
減らないよ。

でも どうせ引けないから。

う~ん! う~ん!

引きましたね~。
あっ そろそろね

新年の挨拶のお時間に
なってしまいましたね これ。

ちょっと 前向いて。

新年…。

(一同)明けまして
おめでとうございます。

(笑い声)

(五百旗K助)
こりゃ愉快だ!

伊藤博文 井上 馨

山県有朋にまで
不倫疑惑か。

果ては お上まで
巻き込むつもりじゃあ…。

<1907年 明治の世が
ちょうど40年目を迎えたやさき。

幸徳秋水が創刊した
「平民新聞」に

政権を揺るがす
一大スキャンダルが掲載された>

<「妖婦 下田歌子」と題された
その記事は

宮中の女官だった
歌子と

政権トップとの
色恋沙汰を

生々しく描いたもの>

でもね 僕だって 皆さんを
あっと驚かせる「ネタ」を

用意してるんですよ。

元女官だなんて
小さい 小さい…。

標的は ずばり 美子皇后。

<美子皇后は お上

つまり明治天皇より
3つ年上の姉さん女房。

近代国家の名に
ふさわしく

さっそうと
ドレスを着こなし

表舞台に登場した
新時代の皇后さま>

この国の本丸を相手取って
世紀のスクープを ものにしてやる…。

まあまあ なんて鼻息の荒い
記者さんでしょう。

確かに 明治も終わりを迎える
このころは

時の政権への不満が噴出。
不穏な空気が漂っていました…。

今から ちょうど150年前。

徳川に取って代わって船出した
明治新政府。

瞬く間に 欧米列強と 肩を
並べるまでに成長したものの

その内実は 西洋の「猿マネ」と
皮肉られていました。

かの文豪 夏目漱石も

明治日本の近代化への目覚めを
かなりクールに見ています。

「これを一言に
していえば…」。

上っ面 上滑りの開化…。

漱石さん なかなかの辛口。

(笑い声と拍手)

さすがは夏目漱石!

要は この国 張りぼての
近代国家って事なんですよ。

なんせ 突然の革命により

国家元首に
祭り上げられたお上は…

当時 まだ
16歳の若さ。

それまで 政治とは 無縁の
暮らしだったのに加えて

大の「外国嫌い」で
「社交嫌い」ときてる。

時の政府首脳も
頭の痛い問題だったに違いなく。

ねぇ 伊藤さん。

お上は 大事な政務を
大臣たちに任せる事も多くてな。

待ったなしの
変革の時代にあって

実に
ヒヤヒヤさせられたものだったよ。

あなたは どうですか? 西郷さん。

もう死んじゃったんだから
洗いざらい教えて下さいよ。

あいは おいが命ば落とした
西南戦争の時のこつでごわす。

いたく落胆されやったお上は
引きこもりが続いたそうでごわす。

繊細すぎっとは
いかがなもんかち…。

2人とも お上の事では
随分 頭を悩まされたようです。

そんな中 どうやって
明治という激動の時代を

乗り切る事ができたかって?

そこで登場するのが 我らが皇后
美子さまってわけです。

<きゃしゃな体で 病弱だったと
いわれている美子皇后。

しかし その行動は型破り。

外国嫌いだった お上と違って
この皇后さまときたら…>

外国との交わりが
広くなるにつれて

日本も近代化に

遅れをとっては
ならぬとの思いが

高まります。

(笑い声)

なんとも まあ
腹の据わった皇后さまですよね。

僕はね
日本の急速な近代化の秘密は

皇后さまが握っていると
踏んでるんですよ。

つまり 「美子皇后の謎」こそ
今世紀最大のスクープ 間違いなし!

K助記者の思い込みはともかく

美子皇后は 確かに 明治の世に
大きな足跡を残しています。

皇后の私がドレスを着る事で

この国が一歩でも 前に
進むんやったら お安い御用や。

ファーストレディーとなって 歴代皇后の
中で 初めてドレスを着た美子。

欧米と
対等に渡り合う事を目指して

女性の教育にも 力を注ぎます。

お国のために 命を落としてった
名もなき多くの人たちも…。

日清・日露 2つの戦争によって
傷ついた人々。

晩年の美子皇后は

傷い軍人や遺族を励ますために
全国を回ります。

そんな彼女でも 言い知れぬ孤独や
不安を覚える時がありました。

私は この国における
全ての民の母

国母であらねばならんのです!

生まれて間もない近代日本の母
国母として

美子皇后は 数々の困難な使命を
背負わされていきます。

一人の女性が

美しく 果敢に生き抜いた
激動の明治を描きます。

赤裸々にね!

♬~

美子皇后が生まれた 京都。

かつて出家した皇族の女性たちが
暮らしていた大聖寺に

美子皇后ゆかりの品が
おさめられていました。

こちらが 宮さんのお住まいの
御殿だったところでございます。

お召しになっていた袿です。

(取材者)これが…。

ほんとに細い細い。
(取材者)失礼ですけど

金澤さんが 身長おいくつぐらいで
いらっしゃいますか?
私?

145かな。 5~6っていうところ。

(取材者)
で… 金澤さんから見ても

小さいなって感じですもんね。
そうですね。

それを拝借しても…

皇后さま
とっても小柄だったんですね。

♬~

(金澤)
いやいや 私は…

(取材者)そうですよね~。

はいはいはいはいはい
御機嫌よう。

更に かわいがっていらっしゃった
お人形も。

千代子さんと春永さん。

お顔 ちょっと見してもらって
いいですか?         はいはい。

♬~

そういう事も
その時には あったでしょうしね。

確かに 小さなお体で
激動の明治を受け止めるのは

大変だったかもしれません。

でも 美子皇后は
その荒波を乗り越えてみせます。

これは 実際に身にまとったドレス。

この きらびやかさも
肌を見せるデザインも

日本には なかったものでした。

ドレスの袖は どんどん短くなる。

でも逆に この国は
世界に知られるようになる。

<しかし
お上 つまり明治天皇の方は

皇后とは 考え方が
違っていたようなんです>

お上の こんな言葉が
残されてるんです。

「私が…」。

<皇后とは まるで真逆>

このとおり
お上は かなりの外国人嫌い。

そこで僕は こう考えたんですよ。

この皇后さま お上を差し置いて

ちょいちょい政治に 口を
挟んでたんじゃないのかってね。

つまり ここに
僕の暴きたい

「1つ目の謎」が
潜んでるんですよ!

(西郷)K助さぁは なんか
勘違いをばしちょいやっなぁ。

あなた ひょっとして…。

おいの事 知っちょいやっとな?

なんか
上野公園で見た事あるような…。

あの~… え~と…。

「さ」 で始まる名前でごわす。
西郷どん!

ピンポーン!

♬~

なんかイメージと違うな…。

<維新の立て役者であり 今や
国民的英雄である 西郷隆盛。

お上からの信頼も厚かったが
新政府の方針と相いれずに辞職。

その後
西南戦争を起こし

自決に追い込まれたのは
明治10年の事。

わざわざ あの世から
お越し頂いて

こりゃ どんな話が
聞けるか楽しみだ~>

お上は 表向きは 日本の西洋化ば
受け入れもしたどん

やはり生まれ育った宮中の
伝統的な暮らしば

恋しく思っておったんじゃろう。

西郷さんも 随分
悩まされたそうですもんね。

皇后さぁは
そん お上ば支えるべく

日本の西洋化に
尽力されたとじゃ。

あれは おいが初めて皇后さぁに
謁見ば許された時の事でごわす。

美子皇后の公式記録
「昭憲皇太后実録」によると

皇后が西郷隆盛と
対面したのは

明治五年 正月一日。

当時 西郷が
取り組んでいたのが…

明治2年 京都から東京へ
引っ越してきた明治天皇。

しかし その生活スタイルは
京都の宮中のままでした。

当時 明治天皇の周りを
固めていたのは

同じく京都からやって来た
古株の女官たち。

武士出身の政府首脳を
毛嫌いする彼女たちは

天皇との面会を妨げるなど
日常茶飯事。

やっかいな存在でした。

近代国家を目指す
西郷たちにとって

避けては通れない
宮中改革。

そこに 皇后が関わっていたと
いわれています。

この時 美子皇后と西郷は
何を語り合ったのか

想像を膨らませてみましょう。

新年にあたり

御機嫌麗しく拝し奉り
恐悦至極に存じあげもす。

はぁ…。

おめでとうさん 西郷。

うわさにたがわず
ほんに大きな体のお侍さんやな。

(笑い声)

こいわ こいわ。
東京での暮らしは慣れもしたか?

あっ… 宮中の「しきたり」には
驚かされっぱなしや。

朝から晩まで
女官どもに囲まれて

おちおち夢さえも
自由に見させてもらえやしません。

もう少し 辛抱してくいやんせ。

こんたび おいは
そうした「しきたり」に

大なたば振るって
改革ばしようっち思うちょりもす。

怖い事 言いはる。
こないだ 京の都から

連れてこられたばかりやいうのに
今度は 宮中までも

西洋風に作り替えようと
なさるおつもりか。

皇后さぁは 「和魂洋才」ちゅう
言葉をば知っちょりもすか?

まあ 耳にした事は。

日本の心ば持ちながら
西洋の技術をば

取り入れていくっちゅう意味で
ごわす。

そないな けったいな事
できるんですか?

おいを みっくいやんせ。

西洋の軍服をば
着ちょりもすどん

魂まで 異国に
売ったつもりはありもはん。

こん中身は 正真正銘

日本の行く末ば案ずる
西郷隆盛に違いなか。

ああ…
お体に似合わず 器用な御仁じゃ。

確かに
お国なまりは消えてはおらん。

日本が末永くあるためには

「けったい」な事でん
「器用」な事でん

なんでん
やっていかねばなりもはん。

外国は 隙さえあれば
こん国ば狙っちょってな。

そこんとこ
お上は もちろんの事

皇后さぁにも
重々 ご理解賜りたく…。

そしたら私は… 西洋の馬にでも
またがって和歌でも詠みますか。

(笑い声)

そんとおりでごわす!

皇后さぁならではの「和魂洋才」で
あいやっな。

(笑い声)

美子皇后は 嘉永2年 1849年

公家の中で
最も位の高い五摂家のひとつ

一条家の娘として生まれました。

天皇の結婚相手としては
申し分のない家柄。

美子は 幼い頃から
花嫁修業のスパルタ教育を受けます。

体は あまり丈夫では
ありませんでしたが

物事を学ぶ事には熱心でした。

という エピソードが
ありますので…

そうめいな少女だった美子。

おきさきとして期待されていた
彼女を不幸な出来事が襲います。

肉親の相次ぐ死です。

10歳で母を 15歳で父を

更に入内する直前に
家督を継いだ兄を。

自分を支え
守ってくれる家族がいない中

明治維新の渦中にある天皇家へ
嫁ぐ事になったのです。

(鼻をかむ音)

小さかお体で
まっこち けなげなお方じゃった。

激動の時代にあって 誰よりも
ご苦労しやったとは皇后さぁじゃ。

一身に 日本の行く末ば
背負われて…。

そいつは どうですかね
西郷先生。

えっ おはんは誰な?
「い」で始まる名前です。

伊藤俊輔か!

ご無沙汰いたしております。

博文に改名したのを お忘れに…。

俊輔 年ば食ったが~。
だから 博文ですってば。

もう先生よりも 随分と
年上になってしまいました。

<こりゃ~ 面白くなってきた。

西郷は 期待外れだったけど

伊藤は 今なお現役で
明治政府を引っ張るリーダー。

どんな 美子皇后黒幕説が
飛び出すやら>

ところで伊藤公
あなた 先ほど

美子皇后に
一家言ありのご様子でしたよね?

そうそう そうだった そうだった。

皇后さまには
おそれ多いのですが

私は あのお方は
政治家だと考えております。

何を言いだすっとな。

その合理的な判断力。
必要とあらば

いかようにも れいりに
立ち振る舞う事のできる行動力。

宮中だけに閉じ込めておくには
実に もったいない。

俊輔! 歯ば食いしばれ!

これが その証拠です!

こいは?

西郷先生が 西南戦争で
非業の死を遂げられた時

皇后さまが
お詠みになった和歌です。

どういう意味ですか?

お上は 西郷先生の死を
心の底から嘆き

女官たちに 追悼のための和歌を
作るように命じられた。

その時 詠んだのが
この歌って事ですね?   さよう。

悲しみのあまり 国事を
おろそかにしがちだった お上を

戒められたのだろう。

うそじゃ うそじゃ うそじゃ!
うそじゃち言うてくいや 俊輔!

こりゃ痛快だ! いつまでも
落ち込んでいる お上のために

活を入れたって事ですね。

時には 悪妻をも買って出る。
まさに女傑だ!

(いとう)はい という事で

まあ こちらはこちらで
進めていきたいと思いますが

まずは 明けまして
おめでとうございます。

美子皇后って どんな人?

番組では 各界の

「美子ラブ」な
人たちを集めて

座談会を主催。

題して 皇后…

司会は お正月の「BSプレミアム」では
おなじみの…

始まり 始まり。

美子皇后っていうのは どんな?
ひと言でいうと。

明治の皇后さまっていうのは
ほんと驚きで 私にとっては。

というのは
皇太子妃の時代が ないんですね。

今の皇后さま 昭和の皇后さま
大正の皇后さま

みんな 皇太子妃の時代があって
ご修業の時代だと思うんですね。

それがなくて
いきなり 一条家から皇后。

しかも時代が あの時代ですから。

それを乗り切ってみえた力
というのは

単なる まあ言葉悪いですけど
お飾りではないですね。

(小平)ちょっと この写真を
ご覧頂きたいんですが

これは 明治6年の
12月2日に

女学校に行啓された時の
写真…

お雇い外国人 オランダ人の
女性の先生たちが2人

そして
女官さんたちが4人。

外国人に 初めて
対面されたのが

「実録」によると
明治5年ですから

そんなに
たくさんな経験は

おありになったんじゃ
なかった時期だと

思うんですけれど 非常に
泰然とされている。

女教師さんの方が
伏し目がちに

遠慮されて
らっしゃるんですけど。

(いとう)こちら側がね
むしろね。

新しい事に物怖じしない
皇后像っていうのが

こういった写真からも 読み取る
事が できるんではないかな。

プライドみたいなものを
感じますね。

もう負けないという。

全然 負けてないよって
いう気持ちで。

しかし まあ
とはいえ 突然ファーストレディーに

なるわけじゃないですか。
このプレッシャーというか。

まあ 覚悟を決め

幕末から決めてきたんだろうな
とは思いますよね。

公家が
だんだんと武家に代わって

新しい時代を担うであろうという
雰囲気は 強くなってきますよね。

そうしますと
将来 皇后になるかもしれない

自分の生き方というのも
自然に身についていって

その プレッシャーではあるけれど
むしろ 彼女の性格からすると

面白い時代が来たんじゃないか
というふうに 私は思ったと思う。

宮中改革というのが
一つのキーポイントで

天皇付きの女官
皇后付きの女官

分かれていて 反目し
合っているという

そういう状態が
まだ 明治の初年です。

それでは よろしくない
という事を

西郷隆盛や 吉井友実が
意見を出すんです。

ただ まあ いかんせん
女の世界なので

なかなか困ったみたいなんですね。
(いとう)なかなか変えられないと。

それで 宮中改革の先頭に
立ったのは 皇后です。

ああ 最終そうなんですね。
しかも荒技でして なかなね。

全員 クビなんですよ。
全員!?

重要なのは 全て皇后の配下に
女官を置くという。

反目してる時代じゃないと。
一本化したって事ですね。

そうなんですよ。
新しい女官 新しい血を入れる。

例えば 跡見花蹊という

女傑といって
いいでしょうね。
それから

実践女学校をつくった
下田歌子だったり

近世までだったら…

自分を
支えてくれるような。

すごく人間的に
っていうか

リーダーシップが
すごいある人ですね。

でも まあ皆さんから出てくるのは
本当に すごい人なんですけど

あまり知られてない。

明治天皇が 日露戦争で
神様のようになって

しかも 男尊女卑の
日本社会が続きますのでね。

それから ひとえに
資料が世に出てないという事に

尽きると思いますね。

皇后が亡くなって
100年で活字にした

「昭憲皇太后実録」っていう
基本資料が出たんですね。

それは 何年ですか?
それが 平成26年ですから。

ほんとに近頃なんですね。
ですから まだ着手したばかりと。

近代をつくったっていうと
男性ばかりクローズアップされますけど

女性からは どんな視点で
見られるのだろうかという事に

非常に私は
関心を持っておりましたけれども。

楽しみですね。 この研究が
いろいろ進んでいくと

また違う近代国家 日本の姿が
見えてくる可能性もある。

天皇 皇后を先頭に立て

西洋に追いつけ追い越せと
突き進む 明治の日本。

でも 一口に西洋化といっても
簡単ではありません。

特に 食生活の急激な変化は

長年 宮中の味に
なじんできた人々に

衝撃を与えました。

こちらは…

歴史的に重要なメニューなので
レプリカを保存しています。

料理長いわく 肉中心の西洋料理は
両陛下を大いに悩ませた?

当時は…

血が すごく肉に入っているので
ものすごい食べにくい。

多分ですけど そんなには
召し上がってないと思います。

食事のマナーも
一から学ばなければなりません。

面白い資料を見せてもらいました。

宮内省の顧問を務めた モールさんが
宮中のテーブルマナーに物申す。

赤ワインに どうやら
氷を入れていた

という記録が
あったんですが

その氷を
入れるべきではないと。

他にも 当時の日本人にとっては

初めての事ばかり。

苦労されたんでしょうね。

さて 宮中改革で うるさ方の
女官を排除した 明治政府は

新たな天皇像を
国の内外に アピールしていきます。

髪は すっきりと
分けられ

軍服は 諸外国の
君主の装いを参考に

オリジナルで作られました。

しかし こうした
急激な西洋化は

天皇が望んだ方向とは
違っていたといいます。

そういうのは きっと
ある人だったんだろうなと

私は思います。

ドイツ人外交官モールは 初めて
天皇に挨拶した時の印象を

こう書いています。

それに対して…。

初対面の外国人にも
物怖じしない皇后。

政府は天皇に続き 皇后のファッションも
西洋化しようとします。 しかし…。

納得できない
という事で…

天皇の嫌った 「女性の洋装」。

そこに着手しようとしたのが
ヨーロッパ留学から帰国したばかりの

伊藤博文公だった…。

早急に 西洋に倣って
改革をせねば

我が国は いつまでたっても
一等国の仲間入りなどできません。

そのためには まず手始めに

皇后さまに
ドレスをお召しになって頂き

国民に 範を示して頂かねば
ならんのです。

<でも やっぱり…>

(明治天皇)欧風好みの伊藤が
宮中改革に着手すれば

後宮の衣服にまで
及ぶであろうが

それは 心底困る。

(笑い声)
随分と お上を困らせておいでだ。

うるさい! なぜ 事の重大さが
ご理解 頂けないのか。

まるで わしを
欧風かぶれのごとく。
でも確かに

伊藤公が 音頭取りをして建てた
鹿鳴館は

我々 庶民の目から見ても
実に不評でした。

税金を使って
何を「猿マネ」やってんだってね。

黙れ 黙れ 黙れ! わしとて
好きでやっとるのではない!

長きにわたる ヨーロッパ視察の間

ずっと悔しい思いをしてきた
わしの気持ちが 分かるか!

我が国のご婦人連中が
和服で 姿を見せてみろ。

まるで おもちゃか
飾り人形のごとく

人間扱いされんのだぞ。

まあ お気持ちは
お察ししますがね。

で そのあと どうやって
お上を説得したんですか?

皇后さまだよ。

彼女は 何をしたんですか?

わしは あのお方には
つくづく驚かされたよ…。

(伊藤)お上の言葉に
ついカッと来た わしは

家に立て籠もったんだ。
また 大人気ない事しましたね。

♬~

おかまいのう。 ついでに
立ち寄っただけやさかい。

(伊藤)驚いたよ。
おそれ多くも皇后さまが

臣下の家へ わざわざ足を
お運びになるなんてな。

「明治天皇紀」によると

明治17年3月
伊藤博文は 宮内卿に就任。

宮中の西洋化を
推し進めようとします。

しかし天皇が
面会を拒否し
続けたため

伊藤は
辞表を
提出。

周囲の
とりなしで

辞任には
至らなかった
ものの

天皇との
関係は

微妙な
ものに。

そんな時 極めて異例の出来事が
起こりました。

東京・高輪にある伊藤の屋敷を

美子皇后が訪れたのです。

この時の2人の会話を
大胆に推測。

伊藤が 辞表を出したいう話を
耳にして…。

面目ございません。

西洋化が 喫緊の至上命題だ
という事について

お上に じっくり
ご説明させて頂きたいのですが

一向に お目通りが
かないません。

もはや 万策尽きました。

なんや その程度の
覚悟やったんか…。
へ?

国家存亡の危機とか
喫緊の至上命題とか

随分と ものものしい言葉で
大騒ぎしてたわりには

やけに あっさり
諦めるんやなあ思うて。

そ それは…。

伊藤が ここでくじけたら
お上は どないなりますの?

お上だけやない この国の民も
みんな みんな…。

しかし 民は
私が西洋化を口にすれば

やれ また「猿マネ」だとバカにして
はやしたててると聞きます。

ええやないの そないな事。

伊藤 私は いつも思うんです。

外国の方と お会いするでしょ。

そしたら みんな
「エクセレント」 「ビューティフル」言うて

大層 褒めて下さいます。

でも本当は その青い目の奥で
私の事を

物珍しい ひな人形としか
見てへんのちゃうかって。

「猿マネ」 大いによろしい。
皇后さま。

皇后の私が ドレスを着る事で

この国が 一歩でも前に
進むんやったら お安い御用や。

それにな
うちも 一度は着てみたい。

涼しそうやもん。

(笑い声)

(伊藤)
皇后さまの突然の訪問の直後

あれほど わしに会う事を
拒否されていたお上が

面会を
お許しになって下さったんだ。

<つまり皇后が お上に
ドレスを着たいと願い出たと?>

(伊藤)とは言い切れん。
だが わしは確信しておる。

(伊藤)なんたって あの日以来
わしと皇后さまは

心で
つながり合っていたのだから…。

いまだ着慣れていない
洋服姿の私。

この姿が 写真として

後の世に
残されるなんて

ちょっと気恥ずかしい。

♬~

結構 かわいらしい
皇后さまかもね…。

♬~

これは インパクトありますよね
確かにね。

それまでの
日本の女性っていうのは

十二ひとえに代表されるような
お顔が見えて

あとは手の先も見えないぐらい
全部 覆われている方が

いきなり これですから。

この部分 肩の部分とかね

この二の腕の部分は
出ますのでね。

これは もうほんと
大胆な変貌だと思いますね。

日本を近代化する
西洋化するキーパーソンのように

まあ シンボルにしたいという
政府の思惑などがあったという?

明治の外交の基本は
やはり 条約改正。

要するに 幕末に結んだ不平等条約
治外法権の撤廃とか 関税自主権

このために 頑張ってるんですね。

そうすると 外国から見て
遅れた日本のイメージは悪い。

だから 鹿鳴館
やったわけですね。

だけど国民が まだ西洋化のイメージに
慣れていないから

やはり 皇后さんがやれば
女性の方々も

だんだんと 西洋文化に
なじむだろうという

広い計算は あったんじゃないかと
思ってます。
なるほど なるほど。

これは…

これ 明治18年の。

お茶女の。 皆さん
もう 昔の和装で。

それが翌年 これが明治19年です。
翌年 いきなり これ。

あまりの変わりようですよね。
(小平)たった1年で。

これは 皇后の
洋装化に従って

女学校の服制も変わった
という事を表しているので。

影響力って こういう事だなってね
よく分かる一例です。

明治天皇と美子皇后は 現在の
皇居で暮らしていましたが

その宮殿は 太平洋戦争末期の
空襲で失われてしまいました。

今はなき その明治宮殿に
ご案内しましょう。

明治天皇は 当初
徳川家が不在となった

江戸城で暮らしていました。

しかし明治6年 火の不始末が
原因で 江戸城は炎上。

そこで政府は 構想5年
建設期間4年という歳月をかけ

明治21年に 天皇の新しい住まい

「明治宮殿」を完成させます。

宮殿は 「表」と「奥」の
2つのエリアに分かれています。

「表」は 宮中儀式や
政府要人との謁見を行う
パブリックスペース。

その中で 最も大きな建物が…

主に パーティーに使用します。

2階建ての御学問所は
天皇の執務室。

「奥」は 天皇と皇后が生活する
プライベートスペース。

この「奥」こそが
美子皇后のホームグラウンドです。

ここでは
総勢300人ほどの女官たちが

天皇と皇后の
お世話をしていました。

彼女たちは 原則として
結婚は禁じられ

許可なく
外出できませんでした。

まさに
厚いベールに包まれた世界。

昭和20年の空襲で焼けてしまう
までの およそ60年間

明治宮殿は 近代国家日本の
顔であり続けました。

(いとう)何ですか? これ。

あ~ なるほど。

ところで 明治宮殿が完成するまで
すったもんだがあった事を

ご存じでしょうか。

これ 全部で…

今のコンペだって
そんなに出さないですよね。

なぜ 32もの設計案があるのか。

そこには 近代国家を目指す日本の
苦闘の跡が浮かび上がります。

ここに 何か白い建物が。

このシルエットは 西洋だぞ これ。
(小沢)そうですよね。

そこには こういう建物が

建つ予定だったんですよ。
(いとう)うわっ これはすごい。

パリ オペラ座に倣った洋館。

東京のど真ん中に 西洋風の宮殿が
建とうとしていたのです。

(いとう)これ 何ですか? これ。

更に 宮殿の「表」と「奥」の間に

鉄橋を架けようという
大胆なプランまで。

西洋に追いつけ追い越せと
頑張った 32の設計案です。

ポシャったんですね。

すいませんね。
細かい事は思いついちゃって…。

この格闘の跡が。
そうなんですよ。

(小沢)ほんとに そうですね。

和風の建物である
という事ですよね。

今はなき 明治宮殿の雰囲気を

ちょっと味わえる場所が
ありました。

東京・赤坂にある
明治記念館です。

今でこそ結婚式場ですが

実はここ かの大日本帝国憲法の
草案会議が開かれた由緒ある場所。

この絵 ご覧になった方も
いらっしゃるのでは?

完成したのは 明治14年。

明治宮殿と
同じ内装が施されています。

見ると正面が。
びっくりしますよね

入ってくると。

柱が1本もない壁 大壁。

和風を西洋風に
見せかけるための建築技法です。

左側の壁は 柱がたくさん。
日本古来の木造建築です。

もちろん 右側の壁にも
柱があるのですが

それを隠して さも西洋風。

まさに 和魂洋才のお部屋です。

それだけでは ありません。

壁を飾るのは 京都御所の

紫宸殿にも描かれている 錦華鳥。

更に天井は 日本古来の格天井。

西洋化しても
和のスピリットは健在です。

ほんとですね。
不思議な空間ですもんね。

さっきの外から見たら 安心して
日本の人は

「あ~ 今までと同じじゃないか」
ぐらいに思ってて

入った途端 「ん?」って
「何だこれ?」とも思うけど

懐かしいものもあるし
まあまあ いいかって。

西洋も いいかって。

おっ。

こりゃどうも。
新進気鋭のジャーナリスト…

今ちょうど 「2つ目の謎」を
取り組んでる最中なんですけど

いくつか
面白いネタを拾ってきたんで

ちょっと聞いてもらえますか。

♬~

これは 明治22年の
憲法発布式を描いた錦絵。

<両陛下が 仲良くそろって
馬車に乗るなんて

それまでの
常識じゃ考えられない珍事。

ヨーロッパの
王室に学んだ演出でしょう>

これで晴れて 西洋と肩を並べる

一歩を
踏み出したわけなんですけど

話は そう簡単じゃなかった
ようなんですよね…。

確かに K助記者の言うとおり

天皇と皇后 二人で手を取り合って
西洋化の道を歩んだ

とは いかなかったようです。

宮内省の顧問
ドイツ人 モールの言葉です。

また 医師のベルツは 日記に
こう記しています。

外側は洋装になっても
心は 追いつきません。

西洋の夫婦のようには 皇后と
接する事ができない明治天皇。

何だか
不穏な空気が漂っていますよね。

で 更に こんな話まで
掘り当ててしまったんですよ。

お上は 女官たちに あだ名を
付けるのが大好きっていう

変わった趣味を
持ってるんですけど

例えば 「スズメ」とか「ニャン」とか
「おマル」とか

何ともまあ 愛嬌のある あだ名が
多かったんですよね これが。

それじゃあ 美子皇后には どんな
あだ名を付けたのかっていうと

そのスっと鼻筋が通った
お顔だちからか

付いた あだ名が…。

でも これって ちょっとねぇ…。

やはりクールな感じで そして
そんな愛嬌を振りまくような

そういう方では ないんですよね。
そっから考えると

天狗というのも なかなか
言い得た感じだなあと思いますが。

<明治天皇が
美子皇后に付けた あだ名…>

ここに 僕の暴きたい
「2つ目の謎」が潜んでるんですよ。

つまり こんな二人が
うまくいくわけないって

思いませんか?

美子皇后は
生涯 子を産む事がなかった。

一方でお上は 側室をもうけ
うち 5人の女性が御子を宿した。

その数 男女合わせて15人。

後に皇太子となった
明宮さまを産んだのは

3人目の側室である…

美子皇后の心中は
いくばくのものか?

というよりも
そもそも 二人の夫婦仲って…。

(高倉)お黙りやす!

どこの馬の骨か分からん
記者ごときが

おそれ多いにも 程がある!

これはこれは 高倉さん。

筆頭女官 自らお出ましとは
実に光栄です。

<もとは 美子皇后の
幼い頃からの家庭教師で

彼女が入内して間もなく
今の地位に就く。

その忠誠心は 並外れている>

疑問を持ったまでの事ですよ。

一等国を目指す日本の国母に
御子が いないなんて…

そのお気持ち
察するに あまりある。

そのために
側室というものが あるんどす。

皇后さんの おつとめは

ややを産む事以外にも
ぎょうさん ありますのや。

確かに そうかもしれませんが

西洋では 一夫一婦制度が
当たり前。

近代国家を目指すなら
側室を もうけるなんて

あるまじき行為だ。
黙らっしゃい!

あんたに 見せてやりたかったわ。

早蕨さんが 明宮さまを
お産みになった時の

皇后さんの お喜びようを。

それは それは
まるで 我が事のように…。

明治12年
8月31日。

早蕨の権典侍こと
柳原愛子が

青山御産所にて
明宮

後の大正天皇を
出産します。

美子皇后は
出産の知らせを
聞くと

直ちに
お祝いの
品を

愛子のもとに
届けさせ

夜は 祝いの膳を
用意させました。

その日の皇后の様子を
大胆に推測します。

♬~

皇后さん!

皇后さん!
おはようさん。

たった今 御子さまが
お産まれになりましたで!

男の子どす!

♬~

ありがたい事や。

ほんに ほんに ありがたい事や。

(高倉)待ちに待った
お世継ぎの誕生。

あんなに無邪気に喜ぶ皇后さんを
見たのは 久しぶりどす。

とは言っても 寿子さん
皇后さまの心中は

穏やかでは なかったのでは
ないのでしょうかね?

しょうもない あんたと
一緒にしなさんな!

下々の者と 皇后さんとでは
次元が違うのどす。

あても あん時
皇后さんの お心を理解せずに

口にした事が あんのや。

でも もし ややが皇后さんの
お子やったらと思うと 残念どす。

寿子 お上の子は
この国の子。

この国の子は 私の子です。

皇后さん…。

それだけやあらへん。

私は この国における
全ての民の母

国母であらねばならんのです!

まことに
おめでとうござりまする。

その言葉は 早蕨のものや。

一番おきばりになったのは
あの方やさかいな。

さあ大事なのは これからや。

御子が健やかに育つよう 一層
気を引き締めねばなりません。

(高倉)承知しました!

白菊の花の
香りに満ちる
この秋

明宮が
無事に

立太子の日を
迎えました。

その花の
香りのように

天皇の み代が
幾久しく

続きますように。

あん時の皇后さんは
神々しかったえ~。

国の母たらんとする 強い決意に

満ちあふれてはりました。

歯の浮くような美談。

宮中の秘密を暴くスクープには
程遠いか…。

(鳥居大路応子)そりゃ あんた

スクープいうたら あてに
任しといておくれやす!

あなたは?

鳥居大路応子と申します。

明治2年から 15年ほど宮中に
お仕えしたんどすけどな

あの伏魔殿に ほんに嫌気が差して
辞めてしまいました。

女官同士の妬み嫉みの
応酬ゆうたら

そりゃもう あんた
「源氏物語」の世界どすがな…。

へぇ~ そうなんですか?

皇后さまと お上の夫婦仲って

ほんとのところ
どうだったんですか?

美子さまには
お上の子を宿す機会が…。

そないな事まで
一介の女官である私が

分かるはずおまへんやろ。

そやけどな…。
そやけど…?

とっておきのネタがあるんどす。

とっておき… ですか?

<応子の話によると…

宮中には 不幸な死の影が
常に付きまとっていたという。

お上が側室との間に もうけた
15人の皇子たちのうち

つつがなく お育ちなのは 5人>

<初めて お上の子供を みごもった
葉室光子は

明治6年に
男の子を出産。

しかし その日に
赤子は亡くなり

光子も出産の4日後に
世を去った。

更に その2か月後。

橋本夏子が女の子を出産したが
やはり その日に亡くなり

夏子も翌日 世を去った>

私には
偶然とは思われへんのどす。

えっ? 誰かが仕組んだとでも?

そないな事
誰も言うてまへんやろ。

(笑い声)

でも…。

まず 足の爪先で2~3回

廊下を なでるやろ?

(応子)ほいでから 次に…。

(床を踏み鳴らす音)

(応子)足の裏を し~っかり
廊下に ふんばって…。

(下駄の音)

ちょ… 一体 何を
始めたんですか?

廊下が ツルツル滑らへんかどうか
確かめてるんやおまへんか!

ん? どういう事ですか?

宮中の廊下には

油が た~っぷり塗られてるいう
うわさが立ちましたんや。

すってんころりんしたら

ややもろとも
あの世行きやって…。

ややもろとも あの世行きやって。

そんなまさか!?

(油を たらす音)

こうした宮中の うわさに
ついて書いているのが

歌人の 柳原白蓮。

白蓮は
早蕨の権典侍こと

柳原愛子の姪で

幼い頃 よく宮中に
出入りしていました。

彼女が聞いた うわさによれば…。

(応子)すってんころりん。

(応子)すってんころ…。

(本を閉じる音)
ハハハ! そんな与太話

信じる事ができないなぁ。

(女官A)
ったく! 応子さんも随分

ある事 ない事
言ってくれたものね。

(女官B)まあまあ。

私たちが 正しい女官の姿を
ご紹介しましょうよ。

(女官A)そうね。

まあ確かに 私たち女官の間には
いさかいが絶えなかった。

派閥争い
ってやつね。

(拍子木の音)

(女官A)300人の女官たちの中で
その てっぺんに立つのが…

(女官A)お上や皇后さまに
お目見えする事が許された

選ばれし人たち。

(女官B)中でも
「典侍」と呼ばれる女官は

全てを取りしきる トップ。

高倉寿子さんは
40年にわたり典侍を務めた

大ベテランなんですよね~。

(女官A)
この高級女官たちが

それぞれ派閥を
率いてるってわけ。

(女官B)高級女官には専属で

5名ほどの女官が
配属されるんです。

(女官A)私たちは 高級女官を
「旦那さん」と呼んで

炊事洗濯などの お世話をする。

同じ屋根の下で何十年も
一緒に暮らすから

家族のような結束力!

(女官B)そうなると
派閥争いが生まれるのも

無理ありませんよね。

(女官A)そうなのよね。

派閥争いの中心に 常にいるのが…

(女官A)というのも
主に 権典侍にだけ許された

「大切な 大切な しごと」が
あったからなの。

(女官B)
待って! 待って待って!

ベラベラ ベラベラ しゃべりすぎじゃあ…。

(女官A)それはね お上の…

(女官A)お上の寝室に はべり
皇子を みごもったなら

宮中での地位は盤石。

私たちも 力を持った権典侍を
旦那さんにできたら

何不自由なく仕事ができる
というわけ。

これが 宮中に生きる女の本音…。

(女官B)わ~! さすがに
しゃべりすぎだと思います!

(女官A)えっ!?

(女官A B)大変な事になる前に
早い事 おいとましましょ!

(いとう)さあ ここからは

応子役を演じました
山野 海さんにも

参加して頂きます。
よろしくお願いします。

鳥居大路応子と
申します。

明治2年から…。

恐ろしい説を。
(山野)はい。

(笑い声)

是非 お聞きしたかったのが
女官さんというのは

どうやってなれるもの
なんですか? 試験とか?

(小田部)
試験があるわけじゃなくて

名門の家の適齢期の
お嬢さんがいれば

声がかかってきて 入っていって
そのまま一生 奉公するという。

面接とかもなくてって事?
みんな親戚関係ですからね。

分かってるわけですよ 人脈的に。

これが 「女学雑誌」といいまして。

(いとう)「女学」だから
女性雑誌ですね。

創刊号に女官さんの名前が
全部 リストで載ってるんです。

めちゃめちゃ
憧れられてたんですね。

憧れと模範と。

(小田部)日本で最高の
トップレディ集団ですよね。

(いとう)そういう事ですよね。

まして 参政権がない時代だから。
給料も最高ですよ。

この構造は大奥と
ほとんど変わらない構造ですか?

大奥の場合は 末端の女性に
子供を産ませる事も

ありえたと思うんですけども
公式には ありえない。

だから高倉さんが やっぱり夜を
共にできる女性を選ぶわけですね。

これは 皇后さんの承認のもとに。

もう やたらめったら
天皇が そこにいる女性

気に入ったからってわけに
いかないんですよね。

皇后さまが早蕨さんに
嫉妬ですか?

う~ん…
それはどうかしらと思います。

そうなんだ。 えっ どうして?

教えて教えて?
あっ あっ…。

お顔が近すぎませんか?

あっ こりゃすまん。

<クセの強い古株の女官と比べて

なんて初々しいんだ!

なんたって 久世三千子は

明治42年に女官に
なったばかりの
18歳。

お上と美子皇后からの
寵愛も深く…>

2人の関係を
知るには

うってつけの人物です。

後年 結婚して
山川姓となった三千子は

宮中の思い出を
1冊の本に まとめ

貴重なエピソードを
伝えています。

で 皇后さまに嫉妬はないと。

権典侍の夜伽は
寿子さんが決めるわけですけど

当然 皇后さま監督のもとに
選んでるわけですから。

いうなれば 早蕨さんは

皇后さま お墨付きの
権典侍なんです。

ご立腹になるとは考えられません。

なるほど。
じゃあ 三千子ちゃんから見て

皇后さまと お上の夫婦仲は
どういうふうに見えるのかな?

最高の ご夫婦だと思いますわ。

どの辺が?

お上が女官たちに
あだ名を付けるのが

ご趣味なのは
知っておられますか?

ああ… うわさでは。

三千子ちゃんは
なんて呼ばれてるの?

「スズメ」って お呼び頂いてます。

あら~ かわいいねぇ。
じゃあ 皇后さまは?

「お天狗さん」です。

全然違うんだね。

そんな妖怪の あだ名
付けられたら

夫婦仲も悪くなるのが
当然じゃないのかな? ちっとも。

私 ちょっと
羨ましいくらいなんです。

お天狗さんが?

だって 私を 「スズメ」って呼ぶ時と

皇后さまを 「お天狗さん」
って呼ぶ時の お上って

ちょっと違うんです。

どこか敬意に満ちていて

お二人が
ずっとずっと深いところで

つながっているような気がして…。

あっ 聞いて下さいますか!?

とっても ロマンティックな話が
あるんです!

はいはい 聞く聞く。

(雷鳴)
わ~!

(三千子)皇后さまは
カミナリが大っ嫌いでね。

えっ 天狗なのに?

ああ…。

(三千子)大丈夫ですか?

ああ 三千子… 少しの間だけ
一緒にいてくれへんか。

(雷鳴)

もちろんです。

(明治天皇)ああ 天狗さん。

小さく片づいてるなぁ。

いつになっても
こればっかりは苦手で。

せっかく頂いた 「天狗」の名も
返上しないけません。

(雷鳴)        わっ! わ~!
(明治天皇)ハハハ。

スズメ

今 どの辺で光ってんのか
見ておいで。

はい。

気いつけて。
はい。

(雷鳴)

ああ…。

へぇ 本当…。

あっ…
期待外れでしたでしょうか?

あっ いや そんな事ないよ。

実に仲むつまじい夫婦じゃないか。

こりゃ いい記事
書けそうだなぁ。 うん。

独身でしょ?

へっ? なに? 突然。

バツイチだけど。

だからか~!
えっ?

もう分かってないなぁ!

おじさん。
おじさん?

仲がいいとか悪いとか
男と女ってのは

そんな単純な図式で
割り切れるものじゃないって事よ。

ましてや
天皇さまと皇后さまだもの。

庶民の私たちには
想像を超えた心模様が

あらせられたに違いないわ。

印象に残ってる
皇后さまの お姿があるのよね…。

(三千子)皇后さま 煙草が
大好きでらっしゃってね。

その たしなみ方が
何とも言えないのよね。

♬~

(三千子)どこか物憂げで…。

きっと 皇后さまには

人には言えない
心の隙間があって

それを癒やしてくれるのが

煙草だったんじゃないのかなって。

♬~

結局 仲が良かったのか
悪かったのか…。

悔しいけど 僕には お手上げだ。

再婚しようかな~。

(せき)

こんなの どこが おいしいかね…。

美子さま。

♬~

今回 美子皇后が愛用した
喫煙具を

特別に
撮影させて頂きました。

煙草盆は牡丹と獅子の
蒔絵が施された

品格漂う一品です。

上部にある器は
火種の炭を入れる場所。

引き出しには 煙草の葉や小物を
おさめていました。

愛用の煙管は銀製です。

長く使い込まれた煙管。

描かれているのは
天皇家の御紋である菊です。

昔は これでも…

田植えを ご覧になる行啓に
行かれた絵があるんですけれど

その中で お付きの女官がですね

この煙草盆を こう持って

後ろで
控えている絵などもございます。

肌身離さず持ち歩くほど
煙草を愛していた美子皇后。

皇后が実際に使っていた
煙草の葉が

今も残されていました。

およそ100年前に製造された
刻煙草。

御料煙草専門の農家と
職人によって作られていました。

更に 皇后の煙草の吸い方は
かなり特殊なものだったという

記録が残されています。

…という
喫煙の作法。

なぜ 煙管を2本使う必要が
あったのでしょう。

煙草っていうのは…

煙管が冷えている状態の
一服目の味に

強い こだわりを持っていた
美子皇后。

ストレスという言い方が正しいのか
分かりませんけれども

自分なりに
生活を維持していくというか

自分らしさを
維持していくための

一つのアイテムだったのかも
しれませんね。

ふと生まれる心の空白を

煙草で紛らわせていたのかも
しれません。

皇后さまには
煙草の歌があるという。

まず これも驚きなんですが
その内容がですね…。

(打越)
「おもふどち」というのは
親しい友達。

語り合って
こう 時が過ぎて

ああ
気付かないうちに…。

労働者みたいな感じですよね。
「ああ 大変だったなぁ」って。

一方で 煙草の事は
気にされていたと思われる歌が

こんな歌がありまして
これ 今と同じですね。

やめたいけども なかなか
やめられないなって。

(いとう)人間的な。

そういう歌も
ありますし。

ほんとに お好きだったって事で。

他に何か趣味とか
あるんですか?

ありましてですね これは ほんと
私も意外だったんですが…

魚釣りは したんですか?

私の勤めてる明治神宮にも
池がありましてね その池にも

皇后専用の お釣り台
というのがありまして。

(いとう)へえ~ そうなんすか。

ここですね。 ここから
釣り糸を垂れていたっていう。

釣ったあと 触ったんすかね?

魚 結構… ねえ?
結構ですよ あれ。

アクティブですね。

♬~

まあ
仲良かったと思いますけどね。

非常に仲むつまじい様子だった
という事が新聞に。 当時の。

みんな それを見に行っていて

特に女性たちが たくさん
見に行っているという事で

お手本のような ご夫婦という。

やっぱ 憧れられてる… ね。

(小平)今と あんまり変わらない。
(山野)ほんとですね でもね。

やっぱりね 天皇夫妻を

我々の夫婦関係で
ものを見ていいのか。 例えば

天皇の子は皇后の子じゃない
って言い方って

今でも するんですよね。
国のための子供であるという。

今の美智子皇后さまも 今の
皇太子殿下を お産みになった時

私の個人の子供ではないという
考え方ありますから。

で 天皇の方としても
それは分かってるから

お互いに支え合ってた
みたいなとこ

あったんじゃないかなって。

明治天皇と美子皇后の

ほほ笑ましい なれ初めのエピソードが
残されています。

当時16歳の天皇との
初お目見えのために

京都御所に参内した
当時19歳の 一条美子。

天皇は…

…と言って対局を
挑まれるので

美子は遠慮せずに
お相手します。

実力は 天皇の方が上でしたが…

天皇は新鮮な
驚きを覚え

これが おきさき決定の決め手の
一つになったと言われています。

美子の指し手は
どんなものだったのか。

将棋サロンの皆さんに
推理して頂きました。

「入玉」って言って…

勝負を諦めず 逃げ回った
美子の玉。

天皇を驚かせるほどの
一手といえば

王将自身が率先して動く

この 「入玉」ではないか
といいます。

天皇陛下も びっくりしたんじゃ
ないですかね。

こんにちは。

再び うら若き女官の
久世三千子です。

これから皆様に
お上と皇后さまの1日を

ご案内いたします。
(拍子木の音)

(鳥の鳴き声)

(三千子)朝8時。 宮中の1日は

女官の甲高い掛け声で
始まります。

もちろん 「昼」ではありません。

(あくび)

(三千子)
お上の お目覚めを知らせる

宮中独特の
「決まり文句」なんです。

およそ300人の女官に
独特の宮中言葉で 伝言レース。

(三千子)担当医による
健康診断を受け 朝食。

メニューは パンと カフェオレです。

西洋嫌いと言われた お上ですが

朝は いつも洋食でした。

(三千子)
そうこうしているうちに…

じゃあ 皇后さまの朝は
というとね

と~っても大忙しなんです。

(三千子)お目覚めは
お上より30分早い 7時半。

すぐに髪を結い お化粧をします。

(三千子)朝食は その場で
手早く召し上がります。

実に お支度には
90分も かけるのです。

これも 美しく折り目正しい姿で
お上のもとへ伺うため。

(三千子)朝食後
お上は お勤めの準備です。

洋風スタイルの 「表宮殿」で
お仕事をするため

和服から軍服へ チェンジ。

(三千子)執務室で
ご政務に励まれます。

そのころの皇后さまはというと…。

(三千子)皇后さまは
とても勉強熱心な方。

新聞は 世間の情勢を知る
貴重なツールだと

毎日9種類も読まれていました。

(三千子)更に 私たち女官にも
新聞を読むよう指示。

自由に外出できず
世間の事情に疎い私たちを

心配されていたようです。

(三千子)仕事を終えられた お上は
お風呂で おくつろぎ。

…というわけにはいかず 入浴にも
宮中独特の しきたりが。

お上の体を洗う女官たちは
2チーム。

上半身である 「お清」担当と

下半身である 「お次」担当です。

(三千子)もしも
「お次」を担当する女官が

「お清」に うっかり
手を触れてしまえば…。

(ため息)

(三千子)最初から やり直し。

果てしなく入浴が続くので

お上は あまり お風呂が
お好きではなかったみたいです。

夕食の時間。

しきたりに のっとって

お上と皇后さまの
テーブルは別々。

(三千子)
でも 晩酌は お二人そろって。

お上は 大のワイン通。

おつまみは あま~い お菓子。

(三千子)という お考え。

皇后さまは お上の飲み過ぎを
心配しておられました。

(三千子)こうして
宮中の長い一日が

終わりを迎えるのです。

こりゃどうも。
五百旗K助です。

この間まで
新進気鋭のジャーナリストだなんて

いきまいてましたけど
それも もう返上ですかね…。

黒幕説にしろ 仮面夫婦説にしろ
どれも いまひとつパッとしない。

でもね

なにも やさぐれて昼間から
飲んでるわけじゃないんですよ。

これは 次のスクープに挑戦するための
景気づけの一杯。

なんたって 次の謎は

そんじょそこら
なまはんかな根性じゃ

到底 挑む事のできない
ネタなんですから!

大日本帝国憲法の発布。
議会の開設。

着々と近代国家への
地盤固めを進める明治政府。

アジアに勢力を拡張する
欧米列強に対抗し

軍備の増強に努めます。

そして…。

日清戦争に大勝した日本は

その賠償金で
大国ロシアへの備えを強化。

ついに 明治37年。

日本は日露戦争に
かろうじて勝利したものの

犠牲は甚大。

8万を超える戦死者を出す
結果となりました。

国民の負担は
これに とどまりませんでした。

日清戦争の8倍近く およそ17億円
という戦費の大半は

借金と増税で賄われました。

更に ロシアとの講和条約が
多くの国民を落胆させます。

獲得した領土や権益は少なく
賠償金を日本が放棄したからです。

戦争が終われば
豊かな暮らしがあると

信じていた国民の不満は爆発。

都内各所での焼打ち事件にまで
発展しました。

暴徒と化した民衆は

明治天皇の暮らす宮殿にも
迫りました。

堀を越えて聞こえてくる
怒号と銃声。

天皇は
ひどく心を痛めたといいます。

(銃声)

そこまでして 我々国民が

耐えて 耐えて 耐え抜いたのは
なぜか?

決まってるじゃないですか。

皇后美子さま 御ためですよ!

国を挙げて まい進した
日清 日露の戦争。

美子皇后も 国民の戦意を
鼓舞する役割を務めます。

兵士たちが狙いどおりに
撃ち放つ大砲の音は

遠く西の国々にまで
響く事でしょう。

負傷者や その家族の
慰問に奔走し

戦争で手や足を失った軍人には
義手や義足を下賜。

至る所で勝利を収める
我が国の軍人たち。

さぞや
日本人らしい魂を

世に知らしめている
事でしょう。

傷病兵のために
皇后自ら包帯を作り

兵士たちは その包帯を
家宝としました。

一歩たりとも退かずに
戦い抜くという

日本の軍人ならではの
魂を

目の当たりにする時を
迎えています。

これじゃ まるで ギリシアのアテナ。

戦の守護神だ…。

ここにこそ 僕が真相を暴きたい
最後の謎が潜んでるんです。

なぜって?

僕には美子皇后が

国民の気持ちが戦争に向かうよう
鼓舞する役割を担ったと

思えるからです。

なんたって ここに
決定的な証拠がありますから。

新聞に掲載されたのは
「美子皇后の見た夢」でした。

時は 日露戦争の開戦から
2か月ほどたった 4月13日。

その夢の内容とは…。

「皇后陛下は 葉山の御用邸に
ご滞在されていた

2月の初旬の夜
とある夢をご覧になった。

白装束の男が現れ 平伏し
次のように告げたという」。

「私は 坂本龍馬と
申す者です。

今回の ロシアとの
戦争は

私が必ずや
守りましょうぞ」。

なんと 美子皇后の夢枕に
現れたのは 坂本龍馬。

幕末 海援隊を率いて世界の海に
乗り出そうとしていた龍馬が

日本軍を守ると
請け負ったのです。

記事が発表された
ちょうど このころ。

日本海軍が総力を挙げた
旅順の海上封鎖作戦は

失敗が続いていた。

戦局の悪化と 美子皇后の「夢」が
発表されたタイミング。

出来すぎだと思いませんか?

来ました。 これが
先ほど ドラマの中に出てきた

「坂本龍馬と申す者にて候」と
言って出てきたと

こういうふうに
書いてあるんですけれども。

しかし まあ
ほんとに よくできた…。

まあ 海が
日露戦争は重要ですから

それで 必死で どうしてやったら
勝てるだろうかって事を

皇后なりに考えられたと
思うんですが それで見た夢が

この坂本龍馬じゃないかなって。
これは推測ですよ。

ありうる説。

実は今と違い 明治の このころ
坂本龍馬の名は

世間に ほとんど
知られていませんでした。

それなのに記事では
龍馬が忠義の鬼となって

今も
海軍を守っていると

大々的に
アピールしています。

実は この裏には

龍馬と同じ
土佐藩出身の政治家

田中光顕の存在が…。

龍馬に
心酔していた田中は

その功績を広く世に
伝える事に努め

後に 土佐・桂浜の
龍馬像建設にも

深く関わっています。

新聞記事が出た頃
田中は

宮内大臣として
美子皇后に仕えていました。

当時 宮中には
今の田中光顕も

それから その前の
土方久元

その前の 佐々木高行という

これも土佐藩なんですよ。

こういう人たちが周りにいて
どっかで私は もう

「坂本龍馬 海軍 船」
っていうのは

話があったんじゃないかと
思うんですよ。

日露戦争で 海軍が苦戦してる時に
海軍の神様が大丈夫だって…

これは まあ ちょっと
出来すぎてるんでね。

我々としては
どこまで本当なんだろうなって。

ただ 新聞に載っちゃうというのが
すごいですよね やっぱり。

皇后の意図じゃなくても
結果としてね やっぱり

鼓舞したというのは
間違いないようですよね。

(打越)まあ 鼓舞にはなったと
思いますね。

<記事によると 美子皇后は

夢について尋ねるため
田中と会い

龍馬の写真を見せられた。

皇后の夢が なぜ新聞に掲載され
田中は どう関わっていたのか

僕は 想像を巡らせてみた>

皇后さまの ご覧あそばされた夢に
現れたという御仁とは

この人物では
ございませんでしたか?

この者は?

元土佐藩士
坂本龍馬でございます。

倒幕運動の最中
惜しくも命を落としました。

なぜ 私の夢の中に この者が?

今でこそ 知る者はいませんが
この坂本龍馬こそ

帝国海軍の礎を
築いた男だからです。

はあ… けったいな話や。

田中と同郷の者が
わざわざ葉山まで やって来て

私の夢枕に立つやなんて。

この度 ロシアとの戦は

我が国にとって
危急存亡の一大事。

挙国一致で
乗り越えねばなりません。

しかし ちまたでは
「恐露病」なるものが

流感のごとく出回り

民は あらぬ不安を
抱いております。

もし 皇后さまの夢に現れたのが
維新の英傑 坂本龍馬であり

そして その事を
民が広く知るところとなれば

いまいましい恐露病など
たちどころに吹き飛ぶでしょう。

田中。 何を考えてるのや?

戦局は今
芳しいものではございません。

これまでも十分 私は
民を思い 励ましてきました。

しかし いま一度
民の力を結集するためには

皇后さまの夢の お力が
必要なのでございます。

お上におかれましても!

大本営で指揮を執られる
お上におかれましても

戦局の悪化は
憂慮のタネとなっておられます。

お上は… いかが お過ごしや?

食事も喉を通らず 眠れぬ夜を
お過ごしでいらっしゃると

伺っております。

♬~

<新聞に美子皇后の「夢」が
掲載された後

日本の戦局は
徐々に好転の兆しを見せ始める>

で 結局 勝ってしまった。

世界最強の陸軍といわれた
あのロシアに…。

よかったではないか。

あの高慢ちきな大国に
一泡吹かせてやったんだから。

晴れて 一等国の仲間入りだ。
(笑い声)

ハハッ… なんてまあ幸せなお方だ。

20億の戦費のうち8割が借金。

失った命は
ロシアより はるかに多い。

これでどうして勝利したなどと
言えるのですか?

確かに 見た目は立派な一等国。

しかし その実は
張りぼての一等国にすぎない。

ならば聞こう。

もし あの時
宣戦布告しておらねば

ロシアは 満州を占領し
朝鮮を侵略し

ついには 我が国を脅かすまでに
なるという事は目に見えておる!

かの戦いは 日本の明るい未来への
とば口だった。 違うか?

違います!

庶民は重税にあえぎ 田畑は荒れ
遺族たちは路頭に迷う。

追いつき追い越す事に
取りつかれてるうちに

いつしか 足元から
線路がなくなっていた…。

戦争で勝利して
あなた方が得たものと

我々国民が失ったものを
比べた時

僕は この国の未来に
がく然とする!

そして そのきっかけが

美子皇后の見た
「夢」だったとしたなら…。

(笑い声)

あの夢に罪などない。

あの夢は 皇后さまが
お上を励ますために

お伝えになられたにすぎん。

お上を励ますため…
どういう事ですか?

(煙を吐く音)

お上は ロシアとの戦いには
反対だったんだよ。

♬~

「今回の戦争は 朕の志ではない。

しかし 事態は
既に ここに至り。

いかんともする事が
できない。

もし 敗戦という事に
なれば

朕は どのように
祖先に謝り

臣民に対すれば
いいのだろうか」。

(伊藤)涙されておられたよ。

お上が ですか?

(伊藤)無理からぬ事…。

勝算も分からぬ戦に
民を送り出すわけだ。

お上の背負い込まれたものは
想像に余りある。

皇后さまから
夢の知らせがあったのは

お上が涙された日から
2日後の事だったそうだ。

つまり お上を勇気づけるために
皇后が「夢」の話をしたと…。

さあ 話は ここまでだ。

わしは今 韓国統監で多忙なんだ。

あんたの たわ言のために
呼び出されるなんて 勘弁勘弁。

あなたは 本当に

皇后さまは夢を見たと
思いますか?

そんな事は どうでもいい。

政治は 結果が全てだよ。

日本は ロシアに勝利した。

それが全てだ。

しかし その勝利の陰に…。

泣きたくもないのに涙する人間が
あまたいるという事を

忘れてはならない。

僕に口があり
ペンを持つ右手があり

言葉をつづる紙があるかぎり
僕は彼らの代弁者でありたい。

(笑い声)

まあ せいぜい頑張りたまえ。

♬~

<明治42年 秋

伊藤博文が
ハルビン駅で暗殺された。

銃撃したのは
祖国の独立を願った

朝鮮人の青年だった>

結局 最後の謎の真相も
分からずじまいか…。

<でも 一つ確かな事は

美子皇后の「夢」が
国民の心を鼓舞したのは

間違いないわけで…>

K助さん 大変! 幸徳秋水 逮捕。

< そして 例えば
僕たちのような はみ出し者は

この国に
居場所をなくしていった…>

<恐れていた事が
現実になったのは

日露戦争終結から5年後の事。

権力者のスキャンダルを
ひるむ事なく暴露してきた

平民新聞の幸徳秋水。

僕の先輩であり
尊敬すべきジャーナリスト…>

<彼の逮捕は

一つの時代の終わりを
告げるものだった>

人々が 大新聞の伝える日露戦争の
戦況に熱狂している中

社会主義者として 戦争の悲惨さを
訴え続けていたのが

幸徳秋水でした。

権力は もちろん そんな幸徳を
放っておくはずがなく

再三にわたる 新聞の発行禁止

警察による徹底的な尾行が
行われました。

日露戦争に勝利したあと

自由に物言えぬ圧力が
強まる日本。

そんな中 明治43年6月1日
幸徳秋水は逮捕されます。

26人が起訴された 「大逆事件」。

容疑は 天皇暗殺を計画・共謀し
爆弾を製造していたというもの。

その中心人物が
幸徳だとされたのです。

♬~

僕が 天皇暗殺計画の
首謀者だとさ。

そんな大物扱いしてくれるなんて
光栄極まりないよ。

大逆罪だなんて
ジャーナリストにとっては

もう最高の勲章だからな。

そうですね 僕も鼻が高い。

下手すりゃ死刑だと?

やれるもんなら
やってみろってんだ。

「ペンは剣よりも強し」って事を
きっちり証明してやるよ。

(笑い声)

でなきゃ
この国は終わりですよね…。

ああ 終わりだ。

何ですか? これ。

君が皇后の事 嗅ぎ回ってるって
聞いたものだからね。

特ダネだ。
そんな大事なもの…。

墓に持っていくくらいなら
君に くれてやる。

餞別だよ。

僕は この国に捨てられる。

いや 僕だけじゃない。

これから この国は
もっと多くの命を犠牲にして

やみくもに 前へ前へと
進もうとするだろう。

不道徳な統治者。
利己的な資本家。

帝国主義という怪物が徘徊する
今の世にあって

僅かに希望と言えるものが
あるとするなら…。

その一つが
彼女なのかもしれない。

敵ながら
あっぱれな皇后さまかもな。

♬~

<幸徳秋水からの
最後の置き土産を開けてみて

僕は少し ドキッとした>

<美子皇后が詠んだ歌の数々。

そこから 「戦の守護神」とも
「明治の黒幕」とも違う彼女が

顔を のぞかせていたからだ>

累々と横たわる
戦友の屍を

踏み越えて
進まねばならない。

そんな兵士たちの
心を思うと

胸が
締めつけられるようだ。

国のために散っていった
あまたの命を思う時

私の脳裏に
まず浮かぶのは 親の心。

子を失った 親の心です。

子の帰りを
待ちわびていた親。

夫の帰りを
待ちわびていた妻。

父の帰りを
待ちわびていた子。

みんな みんな
涙を手向けとして

一心に
手を合わせている。

恥ずかしいかぎりや。

私の詠んだ歌なんて

なんの気休めにも
ならへんさかいな。

あなたは…。

随分と 私の事

詳しゅう
調べてくれはったみたいやな。

でも 大して面白い話も

見つからんかったと違うやろか?

一つ お尋ねしても
よろしいですか?

なんです?

「夢」は 本当に見たんですか?

フッ… 忘れたわ。

皇后なんて

夢さえも自由に見る事を
禁じられた存在ですから。

ただ…

必死やった。

外国に負けへん
立派な皇后さまになろうって

夫を支える貞淑な妻の
模範になろうって。

そして…。

お国のために
命を落としてった

名もなき多くの人たちも
みんな みんな ひっくるめて

この国の
お母さんになろうってな。

♬~

<翌年 大逆事件の判決が
言い渡された。

判決の結果は 死刑>

<悔しいかな ペンは剣に
勝てなかったというべきか…。

僕の集めた この記事も

もう決して
日の目を見る事はないだろう>

♬~

< その後 日本は
関税自主権の全面回復に成功し

長年の課題であった
条約改正を実現した。

名実ともに 一等国。

欧米諸国と対等な国際関係を
結ぶ事となったわけだ>

< そして 明治45年
明治天皇が崩御。

美子皇后は 女官たちの前でも
涙を見せず

毅然とした態度を
通した。

しかし
自分の部屋に戻った彼女は…

せきを切ったように涙したという>

♬~

悲しいんは
誰よりも 一番でしょう。

けど 私が泣き崩れていては

この国の これからは
どうなると思いますか。

<明治天皇の死を見届けた2年後
彼女は息を引き取る。

享年66。

これが 僕の知り得た
美子皇后の物語だ>

♬~


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