新世代が解く!ニッポンのジレンマ元日SP2019 “コスパ社会”を越えて@渋谷 新谷友理、工藤郁子、ケイン樹里安…


出典:『新世代が解く!ニッポンのジレンマ元日SP2019▽“コスパ社会”を越えて@渋谷』の番組情報(EPGから引用)


新世代が解く!ニッポンのジレンマ元日SP2019▽“コスパ社会”を越えて@渋谷[字]


渋谷の若者100人インタビューから始まる、コスパ社会のジレンマ大研究。ニッポンは暮らしやすくなったのか?それとも?予定調和なきトーク・ドキュメント。8年目の記録


詳細情報

番組内容

今も昔も若者の街と呼ばれる渋谷。だがこの30年でその空気は大きく変わった。「コスパ」という言葉もすっかり馴染んだ今の時代、一見「明るい」若者たちの心の声は?今、これから、10年後、何を希望にこのニッポンは何を目指す?起業家、学者、アーティスト、研究者…さまざまなバックグラウンドの若者とオーディエンスが繰り広げた対話の記録。変わる渋谷の象徴の高層ビルで予定調和なしの空間から生れる言葉はどこへ向かう?

出演者

【出演】新谷友理,総理響心SoundsorChestrA,工藤郁子,ケイン樹里安,斎藤幸平,高橋祥子,田中和哉,朱喜哲,綱川明美,堀井翔太,渡邉康太郎,與那覇潤,【司会】古市憲寿,赤木野々花ほか



『新世代が解く!ニッポンのジレンマ元日SP2019▽“コスパ社会”を越えて@渋谷』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

新世代が解く!ニッポンのジレンマ元日SP2019
  1. 多分
  2. 議論
  3. 思うん
  4. 自分
  5. 例えば
  6. 結構
  7. コスパ
  8. 社会
  9. 結局
  10. 問題


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震災の翌年の元日から始まった
新世代討論。

今年は 渋谷再開発のシンボルとも言える
ビルを会場に

若者のリアルな声を伝える。

この絵が 実は年表になってるそうです。
うん はい。

スニーカーブームとか iMacとか。

あとヤマンバとか やっぱ渋谷のはやりが。
ああ そっか 渋谷のものがね。

魅力的な情報・文化に
簡単にアクセスできる

コスパのいい街として 人々を引き付ける
若者の街 渋谷。

今 どんな変化が起きているのか?

渋谷のアパレルメーカーの
カフェスペースで

ニッポンの未来まで 語り尽くす。

(拍手)

1985年以降生まれを中心に

12人のパネラーと
100人のオーディエンス。

さあ「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」
今年も始まりました。

テーマは…

集まったのは…

うつ状態から復活した日本史研究者から
ゲノム起業家まで。

平成の コスパっていう概念の
恐ろしさで

なんて言うか そこに
歯止めをかけるものがない。

我々は この時点で そういう…

そこが何なのというのを
突き詰めていくというのが。

否定した方がいいですよ。

第二部では コスパを越えた価値を問う。

いらんことする仕事なんです
多分 研究者って。

特に 人文・社会科学系って。

っていうことを
考えなきゃいけなくて。

AIが人間を 企業が国家を超えた時
どんな未来が待っている?

ここで議論してる理想論は
あったとしても いうて強いぞと。

どうやって勝つ?

2時間の議論のベースとなるのは…。

渋谷を行き交う若者100人から聞いた
等身大の声。

10年後の自分 10年後のニッポンについて
あなたのイメージは?

現実が そんな甘くない。

リアルな今 感じて下さい。

コスパの悪さを恐れない
長時間の議論の行方は?

はい
「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」

今年も お正月恒例の
大討論の時期が やって来ました。

古市さんにとっては もうお正月の
風物詩みたいなものですか。
そうですね。

でも こんなクリスマスツリーに囲まれて
やったのも初めて。

ここ アパレルメーカーの社員食堂として
使われてる場所らしいんですよ。

へえ おしゃれ。
NHKの社員食堂とは 全く…。

與那覇さんは MC席側に
今日 来て頂いてるんですけど。

年長者発言が期待されているようなので
申し上げると

自分らの世代にとって
渋谷って なんかこう

とんがった人がいる街みたいな
イメージだったと思うんです。

文化系だったら渋谷系とか
体育会系だったらチーマーとか。

チーマー自体が 多分…。
あっ 死語?

チーマー? え ご存じですか?
ほら赤木さん あんま分かってないですよ。

(與那覇)それは 結構つらいな。
90年代生まれ あんま分かってないですよ。

でも與那覇さん どうでした?

100人のインタビュー 今日 会場に
いっぱい貼ってあるんですけど

読んで下さいました?

目を通させて頂いて 驚くほど 皆さん
素直に答えてますね インタビューにね。

だから それは世の中が それだけ
平和になったということなのか

そういう時
素直な返事をしないといけないぐらい

逆に 大変な世の中になったのか
どっちなのかなっていうのが

今は 気になっています。

生活の満足度は 平成を通じて
今が最も高いとされる 20代若者。

この30年で 求めるものは変わったのか?
ここ渋谷では…?

<若者たちでにぎわう街 東京・渋谷。

駅から歩いて程ない所に この程
新しい名所が誕生いたしました。

名付けて ローマ字で「BUNKAMURA」です>

大人の街を標ぼうするスペースが
オープンした 平成の渋谷の幕開け。

だが その後 ブレイクしたのは
女子高生だった。

次に訪れたのが IT企業ブーム。

ビットバレーと呼ばれた渋谷は
ネット企業集積地に。

そして2010年代は ワールドカップや
ハロウィーンの騒動が記憶に新しい

非日常の街へ。

現在 100年に1度の規模をうたう
再開発が進められている。

平成を通じて「若者の街」と呼ばれながらも
変わり続けた渋谷。

綱川さんは このビルの中に
ご自身のオフィスがあるということで

そうなんです 実は このビル毎日来ていて
下から 今日も上がってきました。

上がってきた。
いつもの通勤ルートでした。

渋谷っていうのは 街として
人と共生してないっていうか

ある種 開発の中で 開発は どんどん
やるんだけれども 人は何も変わらない。

ここ 街なんかっていう
建物と他人かっていう

なんかこう 街とは呼びにくい
僕 印象受けますね。

今日 タクシーで来たんですけど
ちょっと年配めなドライバーさんで

「ちょっと ヒカリエお願いします」って
「ヒカリエって どこですか」って言われて。

あ もともと あそこの跡地だった所だよね
って言われて

ちょっと そうっぽいんで 一旦行ってみて
もらっていいですかっていうぐらい

やっぱり 変化に
追いついてないんだなっていう認識が。

それも 本当は UBERとかでも別にね

「ヒカリエ」って入れれば 多分ね
来れたわけだから。      ツール そこに。

それ 結構問題で Googleマップ
今日調べたら 東口に案内されちゃって。

分かるわ。
インフラに依存してるけど

そっちが全然追いついてなかったりする
とかも感じますよね。

今 僕 大阪なんですけれども
もともとは渋谷 よく来ていて

高校時代なんかは 毎日じゃないですけど
週 何回も来てて。

僕 東急線ユーザーなんで
この再開発に すごい不満を持っていて。

なんか 開発によって
すごい むしろ不便になっていく。

でも ほら あの 革命の最中は
生活レベルが一旦 落ちても

革命後に
なんか幸せな社会が訪れるみたいな。

だから 今は我慢しようみたいな感じでは
ないんですか? マルクス的には。

そうなればいいですけど
昔は 渋谷 すごい好きで

ライブハウス 行ったりとか
レコード探しに行ったりとか

服 買いに来たりとかしてたんですけど

むしろ 今
どんどん足が遠のいちゃって

今 副都心線つながってるんで
池袋まで行っちゃったりとか。

通り過ぎやすくなっちゃったんですね。

街のデザイン側の人たちが見てる
方向性が 多分

ここじゃないんじゃないかなというのは
なんか 聞いてて思いました。

逆に どこ向いている感じします?

いや そこが多分 分かんなくなってるから
こういうふうに

聞いてるんだろうなと思います。
混沌と。

というのは 正確に言うと
多分 ニーズがいっぱいあって

今までは きっと多分 ギャルだったら
ギャルのニーズみたいな感じに

109ですか なんか分かんないけど
…なんかが合わせてたと思うんですけど

多分 今は多様になってきて。

多様っていうのは インターネットとかは
すごく やりやすくて

まあ こういうサービスは この人って

パーッと つなげてると
思うんですけど

渋谷みたいな ロケーションが
絞られたものに対して

どうやって ニーズが多様なものを
やれるかっていうのは

多分 今 挑戦 ディベロッパーさんとかと
話をしてても 結構そこは

分かんないんですよねって 多分 みんな
言ってるかなと思うんです。

渋谷について ちょっと思うのは
そもそも「渋い谷」じゃないですか。

ずっと昔は ここが やっぱり
谷として 沼地だったりして。

東京オリンピック
前回の東京オリンピックの時に

モータリゼーションで どんどん
川を暗きょ化していくみたいな流れが

あったと思うんですね。

地名の中に
結構 都市の記憶が隠れていつつ

ヤマンバから ビットバレーから
人が集まるコミュニティーからって

姿を変えていく。

そういう意味で言うと 常に 今どこが
街が どこに向かってるのかって

なんか 微分というか
その傾きみたいなのが

一番最初に現れるっていう
場所なのかもしれないですね。

渋谷なんか 息 長いなと思って。

何回も何回も
終わったとかって言われてたんですね。

例えば そのビットバレーが 2000年代にあって
ITバブルがはじけて

一時期は 渋谷は IT企業は
敬遠したこともあったんだけど

逆に 今 また集まってたりとか

なんだかんだで
若者が ずっと集まり続けたりとか

意外と その なんか根強く ちゃんと

街として なんか 弾力性というのかな

すごい
息が長いなって感じはしますよね。

♬~

渋谷を行き交う100人の若者に
インタビュー。

今 日本に住んでないんですよ。
(取材者)どこに住んでるんですか?

フィリピンに住んでます。
あの 自由なんですよ。

フリー
かっこよく言うと フリーランスです。

意識高く 自分で…

仕事始めて 3年目ぐらいなので…

アパレルで働くんだろうなと思いながら
学生生活は過ごしていたんですけど。

夢とか やりたいことに近づいてるか
楽しく暮らしてるか。

楽しいと思うことを ずっとやってます。

楽って意味じゃなくて 本当に…

10年後は もう…

社会に対しては 不安要素もありますけど
でも まあ…

10年後? 10年後… う~ん。

まあ最悪の場合も考えて 公園とかの
過ごしやすい場所も探してます。

俺自身の向上心のなさですかね。

でも なんか
きれいな街 増えてそうですよね。

(取材者)きれいな街は増えてるのに
自分は路上生活してるかもしれない?

あ~ かもしれないです。 きれいな街で。
はははは…!

ご本人登場。    あ 本当だ。 こんな近くに
いらしたんですね。

全然 別に
そんなつもりで言ったわけじゃなくて。

単純に 自分は ホームレスに
なるんじゃないかなと思って。

いろいろ だから まあ
何にも要らないですよね 究極。 物とか。

(総理)ああ 分かる分かる。
地位とか。

え 分かります?
分かる。 めっちゃ分かる。

何もなくても大丈夫だから
まあ 最低ラインでいいかなって。

じゃあ あんまネガティブな意味じゃ
ないんですね その。

まあ全然 自分がいれば
もう それで幸せじゃないですか。

むしろ じゃあ
家も要らないぐらいな感じで

別に問題ないってことなんですね。
(なりょ)はい。

僕も お金ない人間なんですけど
やっぱり その はっきり言って

蛇口ひねれば 水出るし
まあ 餓死することもないし

好きなことは まあ大体
安い金額でできる。

もう 今で十分やっていけるのに

なんで こんなに開発するんだろう
というところの理由も分からないし

そのモチベーションも
別に特に こっちにはない。

だからまあ 自分さえあれば
別にまあ

どんな環境でも やっていけるかな
っていうのは すごくある。

デヴィッド・グレーバーって人が
すごい面白いことを言っていて

今 資本主義は もう物が ある意味
あふれているっていう話があって

だから わざと
不便な建物を造るんですよ。

わざと不便なサービスを作り出す。

で そうすると そこにまた
問題解決のための仕事が生まれて

ビジネスが生まれていってて
資本主義は これからもう ある種

飽和状態の中で
どんどん不便になることで

お金を稼ぎ出す みたいなシステムに
なっていくんじゃないかって。

ああ わざと不便にして。
(田中)また工事しなきゃ みたいな。

永遠に続く まあカフカみたいな世界。

蛇口ひねると水が出るとか それをなんか
つくる人とかっている…

必要なわけですよね。

なんか それって
どうしたらいいっていうのは

考えるんですかっていうか
単純に聞きたいかなと思いました。

そのインフラを… 整備には
まあ 税金とかもかかるし

で 巡り巡ると
やっぱり もともとは誰かが働いて。

要するに 例えば日本全員が
生活保護になったとしたら

それは誰も稼げないので 生活保護の
システムは破綻するわけじゃないですか。

だから どうするんだろうっていう。

堀井さんからは どう見えます?

こういう お金とか
別に もう要らない みたいな。

僕は 結構周りに 起業したりとか
若くして成功したいっていう人が

結構 多いので
すごい新鮮に聞こえたんですけど。

僕が所属してるインターネットの
まあ 起業みたいな 小さい村社会だと

割と その成功者のフレームワーク
というか

こうなると 成功のパターン
みたいなのが 割と明確にあって。

例えば 会社をつくって
有名な ベンチャーキャピタルから

お金を投資してもらって
まあ IPOかM&Aをすると。

そうすると 経済的にも精神的にも
承認欲求が すごく満たされるので

なんか そういうモデルケースが
ある部分で成立してるところに関しては

若者って すごい頑張ったりするん
だろうなって気がするんですけど。

そういうのがあったりするの…
ないのかなとは ちょっと思いましたね。

そういうモデルケースというか

頑張るインセンティブみたいなものがない
社会に生きてる方っていうのは

どうなのかなと。
今 目標って 何かあるんですか?

今は僕 バンドやってて。
バンドで売れたらいいかな みたいな。

俺の曲 かっこいいんですよ。
それを みんなに聞かせたいだけです。

お金っていうよりは
そっちって感じですか。

そうですね。
ついでに お金も もらえればいいかな。

お金よりも共感が大切。

そうです 感情なんですよ 感情
エモーショナルな。

(斎藤)でも お金があったら
そっちのがいいですよね。
そうですね。

斎藤さんが それ言うの?
(笑い声)

マルクス主義は
別にお金を否定してるわけじゃなくて

いかに お金が人々を魅了するかって
いうのを研究する学問なんで。

それはやっぱり乗り越えられないんですか
やっぱり そこは。

そこを前提にしないと
対抗戦略も考えられない。

要するに 蓄積の話だと思うんですよね。

お金がないと生きていけないから
お金稼ぐのは みんな同じなんだけど

稼いだものを すぐ使っちゃって
また働けばいいって

ためる必要はないって
こういう考え方の人もいるし

逆に お金を ためて ためて ためて
蓄積して

やがて マイホームを買いたいとか
やがて結婚して 子供を養いたいとか

そういう ためることを重視する人もいる。

いわゆる資本蓄積の問題じゃないんですか
彼が提起してる。

♬~

ちょっとストレスがあって。

今 移住して 島に住んでるんですけど。

まあ ひと言で言ったら ストリート
ストリートですね ひと言で言ったら。

僕は 今だと思いますよ。

今しか 今しかできないことを
やりたいですね 僕は。

毎日 酒飲んでそうですね。
まあ 遊んでるっていう感じですね。

何 するか。

完全に早く帰って…

ちょっと 楽して 生きてた方が
いいかなと思って。

いや~ なんか あんまり…
疲れちゃうじゃないですか 頑張ると。

今まで無理… 無理をしようとしたことも
なかったんですけど。

そんな稼いだこともないから

お金がある ありがたみも
まだ分かんないのもあるんですけど。

人の つきあいなかったら

そこを大事にしないと
お金も稼げないから 一番は人ですね。

20代の前半の方に
ぎっくり腰みたいなのをして

今は 結構 調子いいんで。

ヒューマンビートボックスで
日本で活動してます。

お金とかよりも全然ですね。 自由。
海賊みたいな。

僕 公務員 一時期やってたんですけど

結構 自分 曲げないといけない
仕事なんですね。

結構 心を病みまして やめたんですけど。

この人が やっぱり グラグラするから

この人が不安定になると
平穏が崩れるので

この人を第一に考えて…。
ありがてぇ。 ありがてぇ。

楽しく 毎日 生きたいなと思ってます。
ありがてぇ。

オークショットっていう政治哲学者の方が
保守の概念を解説する時に

「保守の反対は 合理主義である」
ということを言うんですね。

それは多分 合理主義 この場合
この文脈で言うと お金とか

それこそ 資本主義というのが
多分 合理主義に近いもので

そこから こぼれ落ちてしまう
言葉にしてしまうと

失われてしまうような
でも なんか直接は言い表せない

何か大切な要素というのを大切にする。

それは 一人一人 違うかもしれないから
それを大切にすることが保守である。

保守というより 姿勢とかスタンスだ
という言い方をしてて

保守は主義じゃないっていうことを
オークショットが言ってたんですけど

まあ そういうことを
すごく感じました。

これ まとめると すごく
極端な発言に聞こえるかもしれませんが

なので 保守化してるなっていうか

何か お金以外の大切なものがある人が
増えてるんだなっていう

印象を持ちました。

うん。
でも つながりとか みんな言うけど…

どうなんだろう。
そこの 面倒くささがいいんですかね。

でも むしろ逆の人も多くないですか。
家族とか親戚の方が みたいな。

そうですね。
結構 朱さんが なんか

うなずいてらっしゃいましたけど
共感なんですか?

コスパの話とかと比べると
面白いなと思っていて。

みんな コスパって言うんだけれど

パフォーマンスの部分って
別に お金の話じゃないんですよね。

コスパなの。 コスパって
やっぱ 企業の側の用語なので

パフォーマンスっていうのは
本来 その生産性を見るっていうのは

我々の発想なわけですけど
それって なんで みんな それを

コスパって言うんだろうねっていうのは
結構 気になりますよね。

でも お客さんからすると やっぱり安くて
いいものを コスパっていうふうに

多分 この数年 結構言いますよね。
この10年ぐらいかな。

そういうことの
やっぱり齟齬ってあるんですかね?

え~とね 測れてるのかっていうのが
あると思っていて。

いいものっていうのと 例えば
さっきの話にもありましたけど

無料で使えるサービスって
めちゃくちゃいっぱいあるわけですよね。

SNSとかもそうだし そこで無料通話なんか
できるわけですけど

それって 何に対して払ってるのか
っていう感覚が分かんないですよね。

実際には そのデータを使って
ビジネスをしたりとかっていうことが

回ってくわけだけど 何を払って
何を得てるのかということのところが

見えなくなってるので まあ それを
結果的に コスパが良く見える。

我々からすると 企業側からすると

コスパを良くするような出し方をするには
そういう なんか ある種の

ブラックボックスをつくればいい
っていうことも出てくるので

だから そこは結構 気にはなりますよね
ちゃんとできてるかって。

音楽やってる身からすると

最近 やっぱりバンド業界って
すごくコスパを重視するんですね。

「売れなきゃ意味がないんだぜ」
という言葉が

すごく なんて言うか 打ち上げでも
はやるようになったんですよ。

それを言うやつって ちょっと
ダサいやつの代名詞だったんですよ。

「俺は売れるためにやってる」
「何 言ってんだ お前」っていうのが

今は 「売れなきゃ意味ないからさ」って
言ったら

「かっこいいっす 先輩」みたいな感じで

ゆっくり そういうふうには
なってきてるんです まじで。

平成のコスパっていう概念の恐ろしさで
なんて言うか

そこに歯止めをかけるものがない。

それって
ビジネスの再発明みたいなことを

多分 今 チャレンジ
社会がしてると思ってて。

要するに その とりあえず数売れば
CDなのか分かんないですけど

数売れば それがビジネスになります。

だから 数って言ってるんですけど
多分 ビジネスにするために

数ですっていう時代が
多分 終わってきていると思っていて。

さっきのね なんか絆とかって
多分 近いと思うんですけど

まあ地縁だろうが まあ選んだ所か

それは 成り立ちは 人によって
違うとして ネットワークがあって

ネットワークの価値って数だけでしたっけ
っていったら絶対違うと思っているから

多分 みんな思っていて。

で そこに対して
ちゃんと お金をつけれるようになると

さっきの合理主義と保守っていうのは
僕は ちょっとよく分かんないですけど

なんか カウンタブルになったら
多分 あれなんですよね

合理的になるんですよね 多分ね。
(工藤)そうです。

だから
なんか お金が悪いわけじゃなくて

お金っていうのは
そもそも 価値の代替指標なんだから

その価値を ちゃんとつけれる仕組みを
多分 発明していこうっていう話を

多分 今してるっていう

社会実験をしてるみたいな
感じなんじゃないかなと。

(朱)その話
すごい そのとおりだなと思ってて

つまり 指標の話が出てたと
思うんですけど 測れちゃうんですよね。

ビューワー数とかって 今まで例えば
路上で バンドやったところで

何人 来ましたとかって
あるかもしれないけど

今って 常にこう デジタルに
カウントできちゃうので

そうすると それを求めちゃうんですよ。

企業活動って 要は
PDCAとかって言ったりしますけど

ちょっと チューニングして 良くなりました
どうなりましたっていうのを常にこう

パフォーマンスの側から見るってことを
やるんですけど

僕らにも なんか いろんなものがデータに
なっちゃって補足されちゃうので

どうしても 良かった悪かったってことを
判断しちゃいたくなると。

これはこれで 結構難しいのは
マーケティング側で よく思うのって

今 好感度とか
認知度とかっていうことが

あんまり もう見られなくなってきてる
っていうのがあって

そんなものよりも 実際
買うかどうかっていう行動と意識って

あんまり関係なかったりする。
それが分かっちゃうってことになると

どんどん やっぱ そっちにも
流れちゃったりもする。

カウンタブル イコール
だから正しいではなくて

そのカウンタブルっていうのは
かなり条件を区切っているので

その条件に区切った中で
ちゃんと成果として見えているっていう

最初の条件をよく忘れるというのは 結構
データサイエンスであるんですけど

ここを ちゃんと分かんないといけない
という 結構リテラシーを高めないと

単純に みんな翻弄されますみたいな
感じになるのかな。

申し訳ないんですけど ちょっと

おじさん世代には
分からない言葉が多くて

朱さんが マーケティング
やってらっしゃるってことで

要するに
コストパフォーマンスっていうのは

本来 経営者とか 売り手の側が
意識するものだったんですよと。
はい。

それを なぜか今は 消費者がみんな
意識するようになってるっていうことを

おっしゃったと思うんですよ。
要するに その なんて言うか

みんなが なぜか
経営者マインドになってしまってる。

全然 経営者じゃない人も含めて。
それこそ アーティストも含めて。

そのとおりですね。

(與那覇)
これは 斎藤さんのご専門の用語で言うと
昔で言う 虚偽意識なんですか?

そうですね。 実際 我々が
経営者的に振る舞おうとした時に

どんだけの資本があるかっていったら

せいぜい月末に さっきの
バイトの人じゃないですけれど

家賃をどう払うか 水道代どう払うか

旅行に ためようとか
そんな程度の資金しかないのに

経営者目線なんて
取ってる場合じゃないですよね。

だから そこが一つ面白いのは
なぜか みんながプチ経営者のように

狭義のベンチャー起業家じゃない人も
含めて 振る舞いだした時代として

今あるっていうことと
もう一つ 面白いのは

その コストパフォーマンスを測る
主人公は

本当に人間なんだろうか
っていうことじゃありませんか?

例えば 高橋さんのご専門のゲノムとか

あるいは 工藤さんのご専門の
AIとかっていうのは

実は ゲノムの目線で見たら もう人間が
コストパフォーマンス悪くなるかもしれない。

AIの目線で見たら
人間って すごい効率悪くて

雇いたくない存在ですよって
見えるかもしれない。

結局 コスパって言った瞬間
その パフォーマンスを

人間が認知できる指標で
もう予測可能なパフォーマンスと

定義を置いてるっていう その思考枠を
固定してしまってるんですよね。

例えば その 本を買う時も
特定の本を買おうと思ったら

今 本屋さん行くより
Amazonで買った方が

明らかに まあコスパ
行く手間も考えていいですけど

でも そうすると
そこでは測れないパフォーマンス。

本屋さんに行った時に 他の価値を
発見できるかもしれないとか

そこに置いてなかったものが
発見できるっていうのを

そもそも なくしてしまってるというのが
コスパの定義だと思っていて。

そこが コスパの なんか世知辛いって
おっしゃってた理由だと思っていて

本当は こういう考え方があるのに

まあ ここで自分で
定義しましょうとしちゃってると。

例えば 今の時点だけじゃなくて
この10年間で

すばらしい本に出会うかもしれない
可能性を閉じてしまうとか

その なんか 点思考じゃなくて
こう 長期的な思考が

抜け落ちてるっていうのが
コスパなんじゃないかなと思いますね。

音楽の価値もそうだけど 測れるものって
基本的にないじゃないですか。

基本的に数字だけじゃないですか。

だけど それが例えば
いろんなものに般化していった時に

何だか こっちの方がいいって
言われてるからいいんだ。

だけど ほんとは そんなもの 数字じゃ
測れないでしょっていうことを

前提として そういうことと
対峙するっていうリテラシーがないと

やっぱり なんか
もう コスパで負けちゃったから

俺は もう人生 意味がないんだみたいな。

今 中国で 人にこう 信頼度の得点を
付けるとか やってますけれども

人間が本当に そういう数字でね
測れるようなものなのかというところを

やっぱりね みんなで もう一回
考え直した方がいい時代に

なってるなって
僕は思ってるんです。

でも オリコンとかって
別に昔からあったわけじゃないですか。

(総理)はい。
それとは違うんですか?

昔からあったとしても 今の方が
それが過激だと思いますね 僕は。

え そうなんですか? え~?

♬~

私は 能楽をやっていたんですね。

能楽って 奈良から伝わってきて

聖徳太子の時代に栄えてて
それぐらい長いんです。

まあ 結構 見た目が分かりにくいんで
敬遠されることも多いんですけど

能の話って 主人公は死んだ人なんですね。

基本的に 歴史上の人物が
幽霊として出てきて

自分の過去の話とか 歴史を語って

で 最後 成仏して消えていくみたいな
感じなんです。

それが まあ形を変え
今に残っているっていうのは

どの時代であっても 変わらない

なんか 人間の普遍性みたいなものを
深く掘り下げている気はしていて。

なんか それに匹敵するものが

これから どう生まれるんだろうな
っていう問いは持ってますね。

だから ストーリー
人間が持つ共通のストーリーですかね。

能って いつ一番 はやったんですか?

それこそ 世阿弥とかなので
室町時代ですけど はい。

それ以降は
あんまり はやってないんですか?

形を やっぱり…
そのままの形が 今も伝わってますけど

それは 能楽の家の方が
伝統芸能として つないでいるんですね。

でも 一方で三島由紀夫が
「近代能楽集」みたいな形で

あの手法を取り入れて
作品を書いたりしてるので

そこを こう…
能楽から歌舞伎も出てますし

オマージュとして
いろんな芸術が生まれているんですよね。

ちょっと 言いかえると
ロングセラーという言い方をしちゃうと

いや それはむしろ 見えないだけで
実は あるんじゃないですかと。

ロングテールで
こそこそ売れてるみたいなの

あるんじゃないですか
っていうことになるから

現代という時代は そういう古典を
生みうるのかという問題として

考えた方がいいんじゃないですか?
(新谷)そうかもしれないですね。

要は マーケティングとかで言うと

ブランドを どうつくるかみたいな話って
結構あるんですけど

さっきの話と連動してて…

さっきから話が出てますけど
要はこう 実験計画みたいな話って

介入をして 結果を見ますっていうふうに
やるわけだから

時系列的に これが長くなっちゃうと
分かんないんですよ。

だから ものを買わせるのは簡単でも
ファンになってもらったり

好きになってもらうっていうことを
測位して

それと その何をやったら
良かったのかっていうことを

ひもづけるのは本当に難しくて 結果的に
どんどん近視眼的なものになるし

指標を追いかけちゃって
コスパを追求すると

今すぐ動かせるものばっかり
やっちゃうので。

そうすると 今起きてる現象って
なんか みんなが こうデジタルで

いろんなことが分かるようになったよって
喜んで PDCAとかばっかりやってると

なんか どんどん自分たちのブランド
毀損してるよね。

もっと長く続くはずだったものが

実は 嫌われてるよねみたいな話に
なってるっていうのが

一個 論点としてあります。

もう一個あるのは…

みんなが着物を着て暮らしてる時の能と
今の能って 多分 全然違うし。

電球みたいなものは 今も 白熱から蛍光
蛍光からLEDみたいな感じで

技術を変え 残っている。

そうすると 1世代前の ろうそくっていう
光源が なくなってるかっていうと

実は そんなことはなくて

実は 2018年が歴史上
最も ろうそくが売れた年であったと。

EUだけで
七十数万トン売れたらしいんですね。

で ろうそくと電球を
同じ光源っていうふうな枠で見ると

不便なものとしか
ろうそくは見えないんだけど

実は 光源じゃなくて 暗源というか
あの 闇をつくるために

ろうそくだけを
ともしているっていうことなんですね。

何が起こってるかっていうと
ものは変わってないんだけど

人間の捉え方が変わっている。
意味のイノベーションが起こっている。

でも ポイントは 1800年代に創業された
ろうそくの老舗は もう潰れていて

最近 潰れた。

逆に 最近始まった 炎を隠す ろうそくの
ブランドが すごく売れてるんですよ。

だから 人と物の関係が変わった。

光と闇との つきあい方が変わった
というふうに捉えた企業が

それを作って
意味のイノベーションに気付いて

それを うまくお客さんと
対話できた人たちが生き残っている。

だから常にこう 人の捉え方を
刷新していくっていうような取り組みは

長期的にも結構 重要かなと。
新しい価値をつくってるんですね。

今 その 数字で測れない価値みたいな話に
なってきてると思うんですけど

綱川さんと堀井さんは
起業家として 結構

数字はふだん意識しなきゃいけない部分も
あると思うんですけど

どう思って 聞いてらっしゃいました?

自分たちで 何かサービスをつくって
リリースして

ユーザーの方に使ってもらうというものが
多いんですけど

基本的に メジャラブルにしていく
というのが もう基本的なスタンスで

ユーザーが どれぐらい使ってるかとか。

あと それだけじゃなくて
その会社の価値みたいなものも

基本的には 時価総額みたいなもので
測られてしまうので

まあ 長期的に考えて
会社をどうしていきたいかとか

その 数字で測れない価値みたいなのを
つくっていくっていうのは

必要なんですけど 目の前だと本当に数字
数字に追われてるっていうのは

多分 結構あると思いますね。

じゃあ これ数字よりも
物の価値とかっていう議論は

やっぱり 負け犬の遠ぼえに聞こえる?
そうですね その…。

そうなんだ。 いや 分かんないですけど。
否定した方がいいですよ。

全然 否定してもらって大丈夫ですけど。
いやいやいや どっちでも。

その 会社も売り上げをあげて

ユーザーの方の利便性を出すというのも
重要ですけど

会社のみんなを食べさせていく
みたいなところも含めると

どうしても 数字を追いかけていくって
いうのが とても重要にはなりますね。

やっぱり企業と その人の生活で

その コスパっていうのの意味合いが
全然違うと思ってて。

だから企業って 1年間が
決まってるので 1期って。

その中で どう グロースさせていくのか
っていうのは重要な指標で

それが高ければ高いほど やっぱり
企業としての存続の可能性が高まるので

できることが増えるので
それは当然だと思いますし。

なんか ちょっと その一般の人の
生活の中のコスパと一緒で考えると

ちょっと違うかなと思いますね。

なんか あの 大切な
大切にしたいものとか

そういったところで言ってたこと
僕 結構 思ったのが

結構 今とか 直近の話が
すごく多いなと思っていて。

それは さっき おっしゃってた
そのカウントできるもの

計測できるものが 非常に
短視眼的になっているっていって

まあ逆で 多分
今までは何もできなかったけれども

短視眼的なものだったら
少し計測ができるようになったから

こっちに目が行きがちっていう気が
してるんですけど。

ただ単に 安いからいいっていうのは
むしろ だんだん減ってきていて

共感できるかとか 信頼が置ける企業か
みたいなのが進んでいる。

僕 注目してる企業で アパレルの海外の
会社で すごい面白いなというのは

ベーシックな
きれいな服を作ってるんだが

社是に 「過激なまでの透明性」
というのを掲げていて

いろんなものを公開してるんですよ。

公開してるのは 例えば原価率とか

東南アジアの
どこの工場の人たちと働いてて

工場長の顔写真とかというのを
全部 公開する。

でも 興味なくても なんか
かっこいいから 買っちゃうんですよね。

で かっこいいから買っちゃうって
すごい大事だなと思ってて

最初に感じて いいなと思って買う。

後から ウェブで調べたら あ なんか
かっこいいじゃんとかって思うという

その順番。
最初に感じて 後で学ぶみたいな

「feel first,  learn later」じゃ
ないですけど

「F F L L」みたいな感じの順番で
本能を刺激して

知識欲も満たされるとか
共感圏が広がるみたいなのって

だんだん その透明な社会とか
誠実な企業っていうところが

メジャーになってくるのかなっていう
気はする。

全て透明化しちゃったせいで

例えば 数字で 人の業績とか生き方が
測られるようになってしまったと。

だから それに対して
本当は数字にできないもの

透明化できないものがあるんじゃないか
というところまでは

多くの人が合意すると思うんですけど
そこから先 どうするのか。

もっと透明化が進めば
それも やがて ちゃんと指標として

織り込まれるようになると
考えるべきなのか。

ちょっと まあ
透明化に限界がある気がするんですが。

♬~

透明化に限界はあると思ってて
けど それをコスパというか

数値にしちゃうことが
また やばいなと思ってて。

例えば 君が まあ休日どれぐらい
リラックスできてるかっていうのも

数値になるわけですよね。
僕 今 活動量計を付けてるんですけど。

活動量計っていうのが あるんですか。
アメリカだと ちょっと問題になってて。

保険会社と
こういう 活動量計が ひもづいてて

だから その 運動してる人ほど
保険料が安くなったりとか

運動してない人は 保険料が
高くなっちゃう危険性があったりとか

問題になってるんですけど
だから そういう形で どんどん その

全部 管理されちゃうっていう
危険性はありますよね。

ただ みんな運動した方が
やっぱり いいんじゃないですか その。

でも 運動については 絶対
みんな運動した方がいいんですけど

例えば リラックスできてるかとかって
いうのは 人によって違うので

完全に主観の部分じゃないですか。

でも なんか逆に
こっちに影響されるっていうか

この活動量計に 「昨日は めっちゃ
よく眠れました」って言われたら

めっちゃ よく眠れた気がするんですよ。
(笑い声)

そっちを もう信じちゃう。

いや あの それは
そういう部分はあると思いますね。

でも結局 その感じ方さえも
主観じゃないですか。

だから 人によって違うものですよね。

例えば私も 土日 全く休んで
何も生産しなかったってなると

その方が 逆に
ストレスだったりするんですよね。

でも それって人によって違うから
さっきの「feel first」みたいなのは

結局 主観が まあ主観と
客観的に測れる部分の両方があって

その両方を ちゃんと吸い取りましょう
っていう話なんだけど

今の そのリラックスしてますよね
みたいなのは

全部 客観だけで捉えてるんですよね。

だから結局 その透明化できない世界も
透明化できる世界もあって

その両方があることを

きちんと認識しましょうっていうことに
なると思いますけどね。

自分が休めてるかどうかは
この 何ウォッチっていうんですか?

これは Fitbitです。
Fitbitに聞くって それ もう神ですよね。

そう 神なんですよ。
(笑い声)

そういうのと同じでしょ。

「私は 罪深いですか」って言って
「大丈夫ですよ」とか

「いや 罪深いね」って
言ってもらうのと同じで。

意外に 例えば ゲノムのデータとかが

本当に 神様になってしまうんじゃないか
っていう。

だから 僕 遺伝子検査
怖くて受けれなくて。
ああ~。

結果が もう呪いじゃないですか。
何かもう 信じちゃうっていうか。

そう 古市さん
ずっと受けて下さらないんですけど。

だって その がんになる割合とか
寿命とかを知っちゃうと

逆に それに影響されすぎちゃうなって
気がしてて あんま受けてないんですけど。

いや なんか それも でもやっぱり
それで知りたくない人は

別に知らなきゃいいっていう話で
そういう選択肢ができて

知りたい人は知れるし
それに対して 対策は打てるしっていう。

でも結局 それって手段なんで
結局 何を目指したいか

どういう未来に行きたいか
っていうところの手段として

じゃあ 自分は どういう病気のリスクか
知っておいた方が

ハッピーだからってことなんですよね。

だから その先に古市さんの行きたい
未来がないのであれば

多分 受けない方がいいと思いますし。

でも 社会全体で合理性を考えたら
みんなが ほんと受けて

みんなが活動量計つけて
それで その病気になりやすい人は

これだけ運動しましょうとかって
アドバイスされた方が

多分 平均寿命も延びるだろうし
健康な人も増えるだろうし。

まあ 社会の観点で言うと そうですね。

透明性と 透明にできないもの
それは絶対両立すると思ってるんですね。

さっきの 「feel」って主観なんですよ。
で 数字って客観なんですけど

その数字を どう設計するかっていうのは
主観なんですよ。

「ペンは1本です」って言う人と

でも これ ペンメーカーの人からしたら
部品の点数の方が重要なわけで

「これは 何点の点数のペンなんです」
っていう。

だから 人によって
このペンっていうものは

1と数えるものなのか
何個なのかみたいなのは

絶対 違いますっていう
捉え方があったとして。

じゃあ なんか私は
こういうふうに使いたいから

この数字を こう選びますっていう
主観の方が多分重要で。

で それを選べなくなる社会は
結構 大変だと思うんですよね。

だから みんなが これ つけて
監視されなきゃいけない

それを保険でっていう。

要は 今の話って
全部 客観的にできるという中で

どれを選ぶかとか
どう設計するかっていう

倫理とか 規範みたいなのが
すごい大事になってるんですね。

だから それ故に割と
ヨーロッパ圏 英語圏とかでも

やっぱり まあ倫理か
改めてこう 応用倫理学とか

それから そのなんか
そういうことに対しての関心

高まってるんだけれど
おっしゃったように 日本の場合って

あんまり 価値意識とか倫理意識って
そんなになかったり

例えば まあ 宗教がそうだったりする。
という時に 僕らは なんか

何を良いものとするのかっていうことの

議論をするベクトルを
あんまり持てなかったり

共有できなかったりするっていうのは
割と なんて言うか

逆に プラクティカルに言うと
競争力のうえではリスクだと思うんです。

日本市場が持っている。

それは よく思いますね。

やっぱり 例えばゲノム編集とか 新しい
そのテクノロジーが出てきた時に

それで 例えば
人のゲノムは編集できるんだけど

それをやっていいのかどうかって
結局 決めるのは倫理じゃないですか。

でも倫理って 常に相対的で。

例えば ここの人で話すのと
渋谷の100人で話すので

多分 答えは違いますし 同じ人でも
時代によって 変わってくるものなので

結局 ちゃんと
その なんか 答えを出せるか。

日本人って特に 自分の価値観を
しっかり持ってるっていうわけでは

僕はないと思ってるんで。
みんな やってるから やった方がいいと。

そしたら 会社も採用しようってなったと。

俺は やりたくないんだけど
会社のせいで やらなきゃいけない。

舞台やるなら 舞台の役者に まあ監督に
言われたから やらなきゃいけないって。

結局 それこそが
まさにジレンマになっちゃって

僕は したくないんだけど
社会的に合理的だから やってると。

…っていうふうに
絶対なると思うんで。

まあ 選択肢が多いっていうことには

そういうジレンマが潜んでるのかなって
いうふうに思いますけどね。

やっぱり 公的なところで もうちょっと
情報の支援が欲しいなと。

普通に
なんか 生きていければいいかなという。

結構 最近 すごい若者がハロウィーンとかで
暴れたりとか 多いと思うんですけど

まあ どっかで
なくなってほしいというか。

そういうところで
政治に関心が あんまないんで。

一番 理想ではあります。

でも逆に 私は働きたいんですけど

働いている方が やっぱり
こうやって お話しさせてもらっても

なんか 誇れる部分みたいなのが
あるなと思って。

はっきり 「専業主婦です」って
インタビューの中で言ってますけど

なかなか言いにくい社会。

「ニッポンのジレンマ」。

東日本大震災の翌年 停滞した空気を
振り払うべく始まった

若者たちの解放区。

2018年まで7年間 毎年テーマを掲げ

新世代が 対話を続けてきた。

聞いて下さい。 私たちは
バブルを真上で見て…

…と思うことが
僕 たまにあるんですよ。

学者の方のお話が
ちょっと失礼ですけど…

ちょうど この真ん中辺の所に
分断線がありますよね。

(笑い声)
越えられないような。

日本の中で これなら
「僕ら」と言った時に

日本人全員 入るだろうというものが
もう なくなっている。

私が 日本の国の形と言われたら 「最も
高度に発展した途上国」なんだろうと。

與那覇さんが出て頂いたのが 2014。

いや あのころ 日本というのは
ある種 最も進んでるけど

途上国なんだと
考えた方がいいんじゃないですか。

つまり これは欧米と同じじゃないと
考えた方がいいでしょうということを

言ったのは 当時はまだ いや
日本は先進国でしょっていう人が

基本だと思ったから
ああいうことを申したのですが

ちょっと いろいろあって休んでる間に
ああいうことを言っても

多分 誰も
驚かなくなったんじゃないですかね。

うん。 日本自体が
もう先進国じゃないなっていう意識が

ある程度 共有されちゃったというか。

あのころ 「中国が先進国で
日本が途上国です」って言うと

なんか 僕 すごいネットで
たたかれたりとかしてたんだけども

なんか今や 誰もたたいてくれない。
「そうだよね」って。

要するに もう日本は 欧米先進国と
一緒になったんだという言い方が

一つには 具体的なプレステージが
ぱっとしないということが一つと

もう一個は その 欧米というもの自体も

そもそも そんなに先進国だったのか
という風潮が ここ数年。

でも確かに
この番組なんか もう8回目なのかな。

多分 初期にいくほど
多分 もっと社会を変えなきゃ みたいな。

特に まあ震災後っていうこともあって
もっとなんか意識がすごい高いというか

どんどん なんか
ダウナーになっていくというか

今日も ゆるっとした感じじゃないですか。

ゆとりが欲しいとかでしたもんね
インタビューも。

昔だったら すごい 断言して
バシッと言うことに意味があったけど

今だったら そんな事言っても 「じゃあ
自分でやればいいじゃん」と言われて

終わりだと思うんですね。

そういう意味でも あんまり その
学者とか評論家が新しく

少なくとも メディア向けには
生まれにくくなってるのかな

という気もするんですよね。
そんなことないですかね。

「じゃあ 自分でやれよ」攻撃って
さっき話題になってた

みんなが 経営者になるべきだっていう
風潮の 多分 産物ですよね。

そう。 だから それが
学者とか評論家に対しても

すごい向けられるようになったというか
じゃあ やってよっていう。

社会について語るっていうモードが
すごく しづらい。

自分の身の回りのこと。
で それは多分 研究者もそうで。

例えば その メディア一つ出るにしても

お前 よう行くなみたいに
言われるわけですよ。

社会について しゃべるってことの
ハードルが ものすごく上がっている。

その 顔 出してる人は。

その Twitterとかを見れば いくらでも
社会語りは いっぱいあるんだけど

若者語りも しづらくなった。

やっぱりアッパーな番組が 今 ダウナーに
なってるって話になってましたけど

でも ダウナーになっていく中で
この なんか 語りにくさ自体を

一回 言語化していく必要は すごく
あるのかなって 何となく思いました。

だから すごい問題で
資本主義の行き詰まりっていうか

日本が あんまり
先進国かどうかっていう話

やっぱり 私たちも感じるわけですけど
確かに AIとかロボットとか

遺伝子とかって 新しい分野は
出てきていて 希望はあるんですけど

他方で 一番 手っとり早いのは
何かって言ったら

やっぱり そういう水道を民営化したり

まあ いろんな公共サービスを
カットしたりとか

あと種子法を 最近だったら
変えたりとかっていう

そういう流れは どんどん強まってるのは
やっぱり行き詰まりが。

自分の そのマネジメントの
及ばない範囲で

今 動いていることであるというふうに
なんかその 思ってしまっているから

その 自分のことしか語らないとか
自分の今 ここなんですっていう

インタビューあったじゃないですか。

「今 ここ」の話をしますとか これから
先のことは語らないであるとか

その家族の話だけに とどめてるのって
やっぱり その 自律的に

その ある程度
自分が介入できる範囲のことしか

なんか しゃべりづらくなってるし
もう多分 届かない

自分の声とか行動が 社会に及ぼす
可能性みたいのを

なんか 自分で切り下げてしまって
いるような気がしていて。

大学で僕 産学官連携 特にAI系の
まあ スタートアップとかを含めた

盛り上げるのを やろうと
思ってるんですけど。

どう考えても 一番うまい
ビジネスとして うまいところ

他のところでやられてから戻ってきていて
もう 明らかに後進国ですよという中で

だから そこを設計できないから
多分 期待も漠然として 多分できない。

だから
ダウナー系になっていくって。

渋谷の100人インタビューに始まり…

目標は…

はたから見たら 変な格好してるな
というのは あると思うんですけど。

努力してたら 一応 報われる環境が
いろいろあるんで。

なんか ニュースとかを見だして
現実を突きつけられそう なんか。

一番大事なのは 妹たち。

私 地元が長崎県なので…

家族が一番好きなので

家族とのコミュニケーションを
一番大事にしたいと思ってるので。

「コスパのジレンマ」を議論した前半。

「#ニッポンのジレンマ」
という つぶやきの場では…。

公共部門やマイノリティー。

コスパという物差しへの疑問を
指摘する声も広がった 2018。

僕らが 自分の能力を持ってて
自立的で やってるみたいなことが

そんなに当てはまらないような人たちが
いっぱいいる。

10人に1人ぐらいがいたりするような中で
どうやって回すかってことを

考えなきゃいけなかったりする
っていうのがあるので。

その合理性に関して判断するのは

別に個々人が それを内在化して
判断するんじゃなくて

社会全体の合理性をどう考えるべきかって
いう ある種の規範とかの話なんですよね。

その人を包摂するってこと自体が 実は
合理的である可能性も十分あるわけで。

そっちの方に つまり個人に責任を
帰責するんじゃなくて

その社会の方を
アップデートしていく方向に

ぐっと スライドさせていけばいいんじゃ
ないのかなって気はする。

政府かどうか分かんないですけど
ルールメーカーが ルールを作って

短期的には ここは お金にはなりません。

でも長期的に こういうことを考えないと
全体最適な社会としては

まずいですよねっていったところに
対しては

法制度を仕上げるっていう形だと
思ってます。

(斎藤)施設で 実際に事件として
起きてるわけじゃないですか。

だから 合理性とか コスパみたいな
判断軸で こういう問題を考えることを

本来 既に やめるべきで
我々は この時点で

そういう資本主義的な言語に とらわれて
思考しちゃってるっていうことを

もっと考える必要があるんじゃないか。

最終目標を 何に
政府なり 社会が考えるかですよね。

例えば Twitterだと…

…って意見もあったんですけど

この社会の結局 目的を決めないと 何が
合理的かも分かんないじゃないですか。

その時 この日本でもいいですけど
日本で得られるコンセンサスとして

合理って何なんですかね。
平等でいいのか。

僕も Twitter 今 見てるんですけど
藤ぱんださんという人が…。

…というようなことを
書いてくれている。

仮に ゴールが幸せだとした時に
ちょっと思い当たるのが

いろんな国で 幸福度調査みたいなのが
行われてますけど

戦後 第二次大戦後と今まで
幸福度調査を測っていって

ほとんど
幸福度が変わってないんですよね。

収入という意味で言うと
インフレの度合いを加味しても

収入が 3倍くらいになってるけど
幸福度自体は あんまり変わってない。

何のために コスパを追求してるのか
という 多分 問題で。

完全に コスパ人間って
実は少数派だと思うんですよ。

コストを考えない瞬間が 誰しもある。
ありますね。

そこが何なの? っていうのを
突き詰めていくっていうのが

忘我の瞬間というか 我を忘れて
没頭できるものっていうのを

みんなが持っていくっていうのは
結構 前向きなことなのかなと。

もう一回 その
豊かさの再定義というか

何が その
豊かさの基準になって

それが どう多様化していって

それが どういうコミュニティーに
なってっていうところが

実は結構 議論の観点で。

それを定義することって
そもそも この10年とか

どんどん変わる世の中で
正しいのかっていうのを

ちょっと聞きながら 思ってました。

まあ でも豊かさの定義っていうと

今日 なんか 大事なもの
みんな持ってきてるんですよね。

僕 CD持ってきましたね。
あ CD。

僕 MD持ってきました。
(笑い声)

よさこい踊り 趣味で
やってるんですけど

その時に踊ってた曲が入ってる
MDなんですよ。           エモいわ~。

もう捨ててもいいはずなんですけど
しのびなくって ず~っと部屋にある。

これが 「エモい」ってやつですか。

私は 本です。
(田中)ああ 私も本 持ってきました。

私の本は 恩師の先生から
恩師が退職される時に

冗談で 「形見分けだよ」って言われて
もらった本です。

物語があるものだなぁ。
(工藤)はい。

綱川さんは何 持ってきました?

10歳の時に お母さんにもらった
ぶたの縫いぐるみ。

そうか いまだに それを
ずっと持ってるっていう。

かわいい。
(與那覇)いまだにって悪口…。

いやいや いやいや…
すごいなっていう意味ですよ。

しかも お母さんに
会社始めたの言ってなくて ドキドキ。

僕は パソコン用のキーボードを
持ってきましたね。

それも 僕のじゃなくて
僕 双子で 実は兄がいて

自分の会社も
兄と共同創業して つくったんですけど

兄が いつも使ってるキーボードを
持ってきましたね。

価値 測れない話ですよね。
価値を測れないものが

実は大事っていうね。
こんなにコスパについて語っておいて。

でも それって前半に結局 もっと… 今が
中途半端な透明化だから だめなので

もっと 真の価値も分かるぐらいの
透明化が要るのか それとも…

こういう話になりましたよね。

後半も ある意味 同じことを
議論してるわけですよね。

要するに 障がい者の人を
切り捨てちゃうような合理性が だめで

包摂できるような 真の合理性みたいな
ものを追求するべきなのか それとも…

それは恐らく 田中さんの発言にあった
幸せを再定義するというやり方で

これまでは 幸せという概念に
入ってこなかったことも

幸せに入れていった方がいいのか

それとも 幸せっていう言い方自体を
何か別のものに変えた方がいいのか。

恐らく 共通する問題が
どれも あるのかなっていう気がします。

これからのニッポンの10年
大きなイベントが続く。

ちなみに 渋谷の再開発は
2027年 一旦完了の予定だ。

そんな中 2024年
3人に1人が 65歳以上に。

2028年には 応用範囲が広い
AIの登場も予測されている。

私が今 住んでる東北とかは
一概に良くなると言えない。

流行が生まれたりとか 新しいものが
出てくるとこだと思うんですけど。

これ以上 夏 暑くなったら嫌だなって。

暑がりなので ちょっと生きていけない。

やっぱり最近になってきて すごく変な話
トレンドのような感じでも入ってきてるので。

やること自体は 私の仕事柄だと
やっぱり 人間味が大切になるので

機械ではできないと 信じてるだけ。
私はね。

まあ 席は減ると思いますけど。

あんまり
人の手が要らなくなってるだろうな。

ニッポンの10年。

あのVTRでも結構 AIが
仕事なくなるんじゃないかとか

仕事 減らすんじゃないかとか
ありましたけど。

AIを活用した 外国人向けの
コンシェルジュのサービスを

提供しているので 日々 実は
お客様からですね 私の仕事

特にフロントデスクですとか コンシェルジュのデスクの
おねえさんなんかが

「私の仕事 なくなっちゃうんじゃ
ないの?」っていうものですとか

よく 質問として
受けることはあるんですけれども

それは ここ1~2年で 一気にトレンドが
変わってきたんじゃないのかなと

思っていて 例えば ホテルなんかですと
大量に たちすぎてしまっていて

全然 人が見つからないと。

なので ちょっと前までは
AIが ラグジュアリーだったのが

最近は 他にソリューション
ないんじゃないかっていうところまで

実は 進んできてるものも
あるんじゃないのかなと思います。

だから別に そこがもう みんなも拒否反応
示さなくなってるってことですか?

拒否していた人たちが 実は一部
もう ないと生きていけないところまで

進んでいる現実を認めだしたっていうのは
あるのではないのかなと思います。

雇用政策と AIの研究を

国立国会図書館さんの委託で
したことがあったんですけど

全く同じ研究成果が出たというか

他の白書で
産業構造に だいぶよるんですが

一時期 報道されたように 50%の人が

10年以内にAIに職業を代替されてしまう
ということが報道されたんですけど

よくよく考えてみると いきなり1人の
人をAIに置き換えるということは

すごく難しくて 作業の一部分を
タスクの一部が

AIに 機械に代替されるということが
よくある。

そういうことを いろいろ考えると

多分 10%ぐらいしか
影響は受けないだろうし

その人たちも例えば職を失っても再雇用の
訓練さえできれば カバーできる範囲。

昔の予想だと 労働時間
どんどん減ってくみたいな予想をした

経済学者もいましたよね。
(斎藤)そうですね。

ケインズが 1930年代に書いた論文で

2030年になると 人々は 週15時間しか
働かなくてよくなるんだという

有名な話をしていて その可能性が
結構 見えてきたなと思うんですね。

ただ 労働者の人たち自身は
依然として やっぱり労働して

自立するっていうことが
いいことなんだっていうふうに

とらわれてるので 不安なんですけれども
発想の転換をすれば

もはや 労働しなくても 自由になるような
社会が生まれ始めてる。

我々 もう すごい生産して
消費してってサイクルを

ず~っと この150年ぐらい
続けてきたわけですけど

ついに それから解放されるような
可能性が出てきてるんじゃないかなと。

でも週15時間ってことは 残りの時間は
何すればいいんですかね?

「問題は余暇である」っていうふうに
ケインズは言ったわけですけど

他方で ポール・ラファルグって
マルクスの義理の息子の人がいて

彼は 「3時間以上 働いたら
人間は不幸になる」と言うんですね。

つまり 「もっと友達と遊んだり
もっと酒飲んだりとかすればいいのに

労働者たちまで もっと働いて
もっと金持ちになって

もっと消費したいみたいに
とらわれてるのは おかしい」と言って

まさに それ今 環境問題に直面してて

多分 今の地球環境 守りたかったら
消費しない。

働かない 消費しないっていうのが
一番いいと思うんですね。

これをやるしかないんじゃないかという。

明らかに誇張されたイメージというのが
ここ数年 広まっていたわけですよね。

もう すごい大失業時代が来るとか。
完全に人間に追いつく 追い越すとか

そういったことが言われていた。

なぜ あそこまで誇張されたイメージが
広まったかっていうと

ある種の文化的なマゾヒズムじゃないかと
思うんですよ。

「こんな仕事って もう意味ない」って
言いたいんだけど

自分が言っちゃうと 「それ お前が
怠けてるだけだ」って言われるから

どこかで 「いや 意味ないですから」って
誰かに言ってほしかった人というのが

ものすごく いたんじゃないかなっていう。

そういう人が AIができてくると
「意味ないよ」って言われて

すごく なんか ホッと安心して

ああいう脅威を楽しんでいたんじゃないか
と感じることがあるんですが。

要するに 人間というのは
すばらしい価値を持ってるんだと

無限の可能性を
持ってるんだっていうのが

いわゆる ヒューマニズムと呼ばれる
考え方ですが

多分 「人間なんて ぶっちゃけ
AIと同じぐらいですから。

大したもんじゃないんです」って
言ってほしいと感じる人が

すごく増えたから
あれだけ AI脅威論って

もてはやされたのかなという気が
自分は したりします。

オランダなんか
週25時間か30時間か 分かんないけど

かなり 労働時間 少ないんですよね。

今 副業っていう時に その複数の「複」
っていうふうになってくると

生きる糧のための仕事の他に

自己実現のために買ってでもやりたい
仕事っていうのが

結構増えてくるかなと思っていて。

「お金払ってもいいから
これに携わらせてくれ」みたいな人も

だんだん増えてくるかもしれない。

例えば 「どうしても
このNPOに関わりたいんです」とか

「この企業の この企画の仕事を
是非やりたいから」とかっていったような。

その余暇の使い方の
クリエイティビティーっていうのが

すごい求められてくるんじゃないかな
っていうの思います。

社会学者のジョン・アーリって人も 確か
要は移動するツールはたくさんあるし

インターネットで
よくつながるようになって

逆に 直接対面で会うことの価値が
上昇するみたいなことを

確か「モビリティーズ」って
本の中に書いていて

ここにおられている皆さんも お正月に
放送があるのは分かっているんだけれど

やっぱり来る みたいなところとか

逆にこう 価値がシフトしていくのかな
みたいな気は やっぱしますよね。

今日のテーマのコスパじゃないけど…

それが価値になるんですね。
(渡邉)そう。

僕は これを大事だと思ってる
ということを表明できるから会いに行く。

それだけ豊かになってるってことだと
思います。

生産力が上がって
やらなくていいことが増えているから

好きに処分できるような時間が
増えている。

(高橋)それって生物学的に言うと
みんな我々 生物なんで

生物の意思って 結局
個体として ちゃんと生き残って

種として繁栄していくっていう
共通のミッションが 意思がある中で

働くっていうのは やっぱり
個体としての生存の能力を上げるための

手段として働いてる人が今 多いわけで。
食べるためにとか 生きるために。

でもそれが そうではなくなると。
働かなくても生きられるように

個体として生き延びれるようになる
ってなると

結局 種としての繁栄のために
働くんじゃないかと…

働くっていうか動くと思っていて。

共感とかは まさに その種の繁栄に
とっても有利なんですよね。

孤独感があるから みんな集まって
集団として生活するとか。

あと社会のために いいことをする

ボランティアとか
NPOとかが増えてるのも

個体としての生存の可能性が
ぐっと上がってきてるから

そっちにシフトしているし
余暇が増えると

そっちに どんどんシフトして
いくんじゃないかなと思いますね。

今の若者が大きくなっていくと

それこそ結構 多様性が もっとあるような
社会になっていくのかなというふうに。

AIにできないことを
自分たちがやらないと意味がないんで。

有機の農業をしていると思います。

人とのつながりですかね。

同じく有機野菜作ってると思ってます。
ほかの人と生きていくかですね。

もちろんお金とかも大事ですけど
お金じゃ買えないものですね。

どんどんIT化が進んでると思うので

なんか あんまりそういうつながりが
薄くなるんじゃないかなぁとか。

キングコングの西野さんという人が
すごく好きで

その方が お金の価値観が
すごい変わってきてるって言ってて。

人の心にゆとりができるような世界に
なっていくかなぁ というふうに。

2015年 資本主義の変化に対して
こんな議論があった。

グローバルの中で
最もハイクオリティーなものを

世界中の人が選ぶと。
すごい大きい資本が集まって。

で もう一方で
数字には 一切出てこないんだけど

なんかこう一方で
コミュニティーみたいな考え方が

非常に強くなってきてるじゃないですか。

で コミュニティー内に存在するから
それを選ぶっていう人たちが

すごい増えてきてるような気がしていて。

例えば 結婚式をやって
例えば 友達が趣味で

なんか カレーのチームを作ってると。

それは友達だから
そいつが作ってほしいと。 結婚式で。

それ 結構まずいし…。
(笑い声)

かといって 今までの概念で言う…

けど そっちの方が なんか同じ
コミュニティーの中にいて

そういうものの方が
なんか うれしいっていう人たちが。

それは 二極化してると思うんですよね。

こっち側は 場合によっては
金銭のやり取りがなかったり。

ネットっていうツールが
両方 生んだんですよね。

それは グローバル派で 一番いいものを
みんなが選べるっていう選択肢も

ネットによって生まれ
コミュニティーっていう

コミュニティーの中から
選択できるっていう。

昔だとコミュニティーっていうのが
すごいちっちゃかったんで

生活に必要なサービスなり ものを

コミュニティーの中から全部を満たす
ってことはできなかったんだけど

コミュニティーがおっきくなったんで
もしくは 複数持つようになったので

そういう なんか
選択ができるようになって。

新しい社会が
その2個を生んだと思うんですよね。

需要と供給で決まる…

そのパフォーマンスを 結果と置くのか
状態と置くのかによっても

結構 議論が変わってくると思っていて。

大体 コスパって言ってる時
パフォーマンスは その結果なんですよね。

何かを達成するとか何かを得るとか。

でも大体その 豊かさっていうのは
状態で 結果ではないんで

その辺りが やっぱり
コスパ悪いことしても

状態として いい状態になるっていう
ことが起こるのかなと思いますね。

つい最近 ソフトバンクの携帯が
不通になりましたっていうのが

一日のうち 結構な時間ね
被害が出たと思うんですけれど

あれって世界的に
同時に発生してたんですよね。

すごい大人数の人が
被害を被るっていうぐらい

当たり前だと思ってるインフラが

実は結構 脆弱だったっていうのが
見えた話だと思うんですけれど。

その話と最初に話したコスパの話は
結構つながっていて

我々は コスト負担してないことは
ままあるわけですよ。

例えば今も 通信キャリア
インフラ投資してるところと契約せずに

フリーライダーみたいに見えるような

プラットフォーマーの上にのっかってくる
サービスが増えてきていて。

要は 周りのところのインフラに対する
お金っていうのも

なかなか難しいってなると

通信会社1社でできる話では
ほんとはなくて

だからロングタームで
考えなきゃいけない。

いいですか。 また おじいさんには
難しい話が出てきたんですけど

要するに おっしゃりたいのは

グローバル資本主義とかっていうと
合理性の極致みたいに

合理性しか追求しないみたいに
思いがちだけど

実は結構 何らかの不合理性に
支えられたインフラの投資がないと

そういう合理性が機能する土俵がそもそも
できないと こういうことですか?

一面 そのとおりなのと やっぱり
投資できるのは規模の論理がいるので

グローバル経営は そこに投資する余地は
あるわけなんですけど

例えば それを今 日本の場合は
さっきおっしゃったように

ある種 既得権益とかもあることで
いろんなとこでやってきたんだけど

それがどんどん今
剥がれ落ちてってる中で

どこが負担できるんだっけ
っていうことは

実は 次のプレーヤーが
あんまり見えてないっていう。

そもそも5Gって
誰がやりたがってるんですか?

僕ら 携帯のスピードが今 めっちゃ遅い
とかってクレーム言ってる人

あんまり いないじゃないですか。
だから そもそも その技術の進歩って

あからさまに不便なものは もっと
いいもの欲しいと思うと思うんですけど

今のもう ここまできちゃうと
そんな別に4G 5Gで

そこまで みんな求めてるのかな
って気もしちゃうんですよね。

認識していないニーズだと思っていて

例えば 自動運転とかを
本気でやりだした時には

4Gと5Gは 格段に違うんですよね。

それを 要はパケ詰まりみたいなことが
車で起きたら困るわけじゃないですか。

「信号で今 パケ詰まってるから
動きません」みたいな。

それは非常に困るってことが
起きるっていってたことを

そこがインフラ投資をされてる国と
されてない国で

明らかに違うっていう状況には
なりますと。

だから さっき言った国家安全保障と
かなり近くなってきているのは

じゃあ 国として ここに
どれぐらいの投資をやるんですか。

しかもグローバル資本主義一本やりでは
なくなってきている。

トランプだったらブレグジット
っていったところに対する

感情を含めた反発
っていうところがあって

自分の国で投資しないと グローバルで
資本を投入してくれるわけでは

なくなってきているっていうのが
多分 大きいのかなと思います。

今 水と同じように インターネットって
必要になってるから

これは無償化すべきで
公共の財産として 我々で管理すべきで

ああいうのを利潤を追い求めてる企業に
もう任せるべきじゃないってことは

誰しもが水のアクセスをあるように

誰しもがインターネットへのアクセスを
っていうのは これは今後の…。

なんかでも 国家が管理するよりも
会社から管理してもらった方が

ちょっと安心な感じもしません?

国家が管理っていうのは
それはそれでなんか

ちょっと気持ち悪いのかなって気も
するんですけど。

あと通信を傍受したりとか
いろいろデータ…。

だから我々で もっと民主主義的に
管理に参加できるような仕組みを

作っていったらいいんじゃないかな。
国有化 私有化じゃなくて

共有っていう
人々が もっと民主的に。

え~ でも それは結局
国家なんじゃないですか?

(斎藤)
それは必ずしも そうじゃないと思う。
民主主義国家じゃなくて

なんか違う
なんか団体ができるんですか?

我々が その一個一個の投資をして…。
そこで 我々って誰なんですか?

(斎藤)いや 日本人の人たちが…。
(笑い声)

今まで だから個人情報とか あるいは多分
プライバシーの権利とかっていうのは

個人が国家 行政に対して
どう守るかっていう話だったのを

企業に対して設定してる
っていう話なんですよね。

それをやるようになってる
動きができてる

まあ ある種 民主主義的なというか

そういう議論の蓄積がある場所で
できてることと

僕らは今 それ会話できてるんでしょうか
っていうことを考えなきゃいけなくて。

グローバル企業と国家の関係
工藤さんは どう思いますか?

私 本業は公共政策コンサルタントで
自主規制を作ったりするのを

企業側のサポートとして
やっておりまして

最近になって データポリシーとか
データガバナンスみたいなこと

データをどう
企業として取り扱っていいか

それを消費者とかに どうやって
知らせていくかというところを

法律だけじゃなくて 倫理とか
そういう側面からも

やらなきゃいけないという側面
そのルール作りに対する意識が

日本国内でも すごい高まっていて。

あと もう一点あるのは
AIというのが登場したことによって

AIって いわゆるブラックボックス
何をどう判断しているか分からないので

そこに どうやって信頼してもらうか
っていうところが話題になってきて

そこが企業にとっても
関心地帯になっていて

倫理規範を作ったりする企業が
すごく増えています。

要は GAFAとかって
むちゃくちゃ強いわけじゃないですか。

ここで議論してる理想論は
あったとしても いうて強いぞと。

どうやって勝つ?
勝たなくて大丈夫なんですか?

勝たないと結局プラットホームとしては
彼らは成立するわけですよね。

ビジネスって多分 皆さんの前で言うの
恥ずかしいんですけど

競争領域と共有領域というのがあって
ビジネスって戦ってる部分…

片手で戦いながら 片手で握手しなきゃ
いけない部分もあると思うんですよ。

企業にとっての社会的責任って
正直コストでもあるので

みんなで作って 企業同士で 業界団体の
自主規制として作ったりすると

ちょっとずつ残すことができるので

それは一緒にやりたい
というところはあるので

例えば
パートナーシップ・オン・AIっていう

AIの倫理について考える組織を立てよう
作ろうといって作ったうえで

NGO NPOの皆さんとかも含めた

片手でAIの倫理について考える
というところで

そこは多分 競争領域ではないところ

お互いにとってメリットだよねというのが
最近のトレンドだと思います。

ちょっといいですか? また
おじいさん語に直したいんだけども…。

今日 何回目かな。
(笑い声)

要するに 平成という時代は

ソビエト連邦が崩壊してくのと
ほぼ同時に始まって

要するに社会主義が終わったと。

資本主義が答えだっていうことで
始まったわけなんですけど

多分 今のお話を聞いてると
意外とまだ終わっていない。

要するに 例えば何か
GAFAでも何でもいいんだけど

ある特定のものに
みんながコミットして

すごく理想的なものに それを作り上げて
いくことで世の中がよくなるんだ。

これ 社会主義的な発想で
あるわけですよね。

でも逆に つい最近までは
そういうのは コスパ悪いと

むしろ いっぱい好き勝手やり放題の
人たちが競争すると

すごい悪いサービスとか
悪辣なサービスをやりだしたら

よそに移りますって みんなが移るから
コミットして 規制とかしないで

やりたい放題やらせたら
ベストが残ってくれるんだと。

こっちの方がコスパがいいって。

そういうまさに
市場自由主義で解決するっていう

そういう資本主義的な発想が 平成の
30年間は席けんしたわけなんだけど

意外なところから
国家じゃないんだけど

国並にインフラを提供する存在が
現れてしまったことで

どうも これって市場の自由淘汰に
任せられないんじゃないか

という問題が
もう一度 頭をもたげてきた。

今日来てる方って すごくインテリで

頭のいい人だと思うんですけど
僕からすると。

だから こういう議論が市民レベルで
実際できるかっていうことが

実際みんなが あした 家に帰った時に
この議論を誰かとできるかって

僕 できないと思うんです。 正直。

だから そういう まず教育

それが リテラシーになるのか
なんか分からないですけど

なんか そういうことを
みんなで話すような場所がない以上は

結局 GAFA的なるものが
すごく強くなっちゃって

それに どういうふうな在り方を
国民から示すかっていう手法が

一生ないまま
俺は終わっていくような気がしてて。

そこは僕も すごい興味あります。

ちょっと前まで 世界一の教育水準って
言われてたデンマークですけど

先日 デンマークの出身の友人から
教えてもらったのは

デンマークでは…

自分たちが示す消費の行動が
企業を変ええる力を持っているんだ

ということが 教育の根底にある
というような話を聞いた。

で これ 個人が大きな社会に どう影響を
持てるかっていうことで言うと

企業だけじゃないなと思うんですね。

テート・モダンミュージアム
行ってきたんですね。

テート・モダン 近代美術館の目の前の庭で
無料で見れるエリアがあって

そこでは オラファー・エリアソンっていう
アーティストの作品があったんですが

24個の こんなおっきな氷河のかけらが

グリーンランドから持ってこられてる
ってやつなんですよ。

それが1週間の間かな 置いてあるから
少しずつ解けていくっていう。

氷河が解けて それで海面が上昇してって
いうことを切実に訴えてるんだけど

その大きな問題を真面目くさって
語るんじゃなくて

一つみんなが楽しく語れるような土壌を
作ってくっていうことかなと。

その 語るとか議論が必要だみたいな
意見になってますけども

その議論こそが
実は コスパが悪いんじゃないか

っていうような意見も 実は過去にも…。

収録が3時間を超え 議論そのものへの
疑問が生まれたのは 2016年。

言い方悪いですけども。

やっぱり背景が違うと
出す答えも違いますし。

こうやって
同じものを見ていても

こっちから見るのとこっちから見るのでは
違う物質に見えちゃうんですよね。

結局のところ まとまらないっていう
非効率があるので。

じゃあ これは雇用喪失なんですか?
この評論家みたいな人に対する。

そうだと思いますけどね。
でも他方で

議論してること自体を見たい
っていうこともあって

答えが出ないことを見たい
というのも やっぱりあって。

ただ実際の その結果を出す 成果を出す
効率性を上げる という意味では…

よくある例で言うと

ほとんどの経営の意思決定って
トレードオフすることが多いんで

結局 不確実なまま
どっちかにベットするっていうのを

誰かが やっぱり
意思決定しないとなると

みんなから意見吸い上げていくというのは
あんまり効率的じゃないなとは…。

この番組って なんか毎回ね
なんかよくある批判っていうのが

エリートばっかりで こういう議論して

全然そうじゃない人のこと
考えてませんよね とかっていう

すごい 一部の局地的な議論ですよね
っていう批判が

すごいたくさんくるんですよ。
でも とはいえ その前提が違う同士で

言葉交わすって
すごく難しいじゃないですか。

だから それって
ほんと可能なのかなって。

民主主義がそもそも可能かという議論にも
つながってくると思うんですけど。

土壌が違う 価値観が違う人との対話
みたいなことに…。

この話って もう答えは
出てるんでしたっけ? こういう話って。

僕に聞くんですか?
(笑い声)       答え あるんですか?

いや 分かんない。 この話 多分
民主主義が始まってから何千年かかって

ずっと議論されてきた
わけじゃないですか。

昔 大学の先生してた時は

議論とか ぶっちゃけ意味ないですって
いう人を叱る仕事をしていたんですよ。

あなたは勉強が足りない
みたいなこと言って。

ただ どうもそう言えないんじゃないかと
感じるきっかけが2つありましてね。

1つは 議論して正しい意見が残るとは
限らない場合が

例えば 企業の経営の場合であるって
お話があったけど

今 あの~ アクティブラーニング推しが
すごいけど

でも アクティブラーニングしたら
間違った意見が通っちゃいましたと。

やっぱり天動説ですよ とかって…
どうすんの?

それをどうしたらいいのかっていう
問題が一つ。

もう一つは 先ほど
芸術の話されたと思うんですけど

よく例えば 音楽は好きだけど
音楽評論は嫌いだって人いません?

あ いますね。
めっちゃくちゃいますね。

聴くのは大好きなんだけど 解説してる
やつがいると むかつくみたいな。

言葉にしてないで聴けよ みたいな。

要するに そもそも…

そういう感じ方とか
そういう何て言うのかな

感性が生まれる状況っていうのが
あるのかもしれないっていうのを

踏まえないといけないなと
思うようになって 最近あんまり

議論しろと言わなくなりました。

例えば 芸術評論とかって
基本的に歴史の中で 文化的な中で

なぜ これが生まれたかっていうところに
価値があったりとか。

彼女がおっしゃってたストーリーに
近いと思うんですよね。

どういう経緯でこれができたかっていう。

芸術のことでも そうですし
議論っていうことでもそうなんですけど

一つの正解を求めないといけない
分脈もありつつも

これだけ多様化してる中で
あなたはどう思う?

じゃあ それはなんで? って
違う価値観を掘り下げることで

自分の考え方が広がったりとか

それによって どんな多様な社会でも
自分が対応できる幅が広がるので

対話っていうのは 必要なのかなと。

オリンピックの引き継ぎ式 見ながら
やんや いらんこと言うと

なんか すごい楽しく見てたのにみたいな。

なんてことを みたいなこと
言われるんすけど

でも 多分いらんことする仕事なんです。
多分 研究者って。

人文社会科学系って
経済合理性でいいのかとか

いらんこと言うわけじゃないですか。

でも 必要な人にとっては
必要な瞬間があるわけで。

議論ってエンタメに
すぎないんじゃないかっていう。

それは多分そうなんですよ。
でも そのエンタメを見て

それを持って帰った時に
5年後 10年後 20年後ぐらいに

これ あれやろ みたいに
気付くことに意味がある気がしてて。

そこはなんか
変に諦めなくてもいいのかな みたいな。

言語化することを 怖がってしまう人
というのがいるとしたら

多分 言語化そのものが
怖いんじゃなくて…

言葉自体が怖いわけじゃないと
思うんですね。

で 分かったつもりになるっていうのは

ほぼ思考停止してしまうっていうことに
近い可能性があるから

あえて言葉にし続けることで
違う可能性を探り続けるというか。

既知と思ってることを未知として
扱い続けられるかっていうような

挑戦が求められていて。
だからこそ 他者との議論の中で

初めて創発が生まれる
というようなことなのかな。

なんか既存の枠組みから ちょっとずつ
広がっていくものっていうので

人類が広がってったわけじゃないですか。

利休が竹を切って 花入れにしたとか。

デュシャンが便器を置いて
アート作品と呼んだみたいなことって

それまでの価値観から
結構逸脱する必要があって。

その逸脱する余地とか既知を
未知化するみたいなところに

大きな議論の意味ありますよね。

でも それって その議論の中に
いろんなこと知ってる人が

一人いるって 前提だと思うんですけど。

居酒屋の「愛ってナンなん?」とかいうの
あるじゃないですか。

あれって
めっちゃ意味あると思うんですよね。

なんか僕 YouTube見てたら
すぐ 「ひろゆき論破」とか

すぐ「論破」とか出てくるんですよ。

議論がイコール論破で
敵を言い負かして勝ちみたいな。

ああいうの見ちゃうと ちょっと俺
そういうのしんどいって思うんですけど。

やっぱり やり方がある程度あったり
慣れとかがあったり

さっき創発って言葉がありましたけど
じゃあ 創発するためには

こういう人とこういう人を合わせて
こういう議論をしましょうって

そしたら こういうことができるかも
しれないっていう仕掛けとかを

そこを経験なしで設計するって
多分 不可能だと思っていて。

我々しかも 面倒くさいっていうことで
議論 日常において してないですからね。

あまりに早く諦めてて
実際 民主主義っていうのは

ほんとに 面倒くさいプロセスだと
思うけど

実際 日常で我々がやってる
民主主義的な実践って何かっていったら

4年に1回とか投票に行くぐらいで

本来もっと 草の根的に
ヨーロッパとか見たらやってるし

アメリカのオキュパイとかもそうですけど
そういう試みっていうのはあるのに…

これからの10年見据えた時にね。

欧米で働いてましたけど
マジで面倒くさいですよ。

私もずっとベルリンに
6年ぐらい いましたけど

それが やっぱりいろんな実践として
社会の中に根づいてきて

そういうのは どうやって労働者たちが
民主主義のない企業の中で

自分たちを守るっていうのを
作り上げてきた伝統があって

僕ら そういうの全然なしに
ただ なんか投票だけしてるっていうの

民主主義だと思って
しかも それもなんか効率悪いから

民主主義 なんか効率悪くね
みたいなふうなのは どうなのか。

今まで僕らが当然としてるような権利って
どうやって勝ち取られてきたかというと

人が死にながらも デモとか
いろんな戦いをやって勝ち取ってきて

しかも それが勝ち取られたからって
名目の権利になっちゃう可能性があって

日々の労働組合とかも含めた実践の中で
いろいろ権利が行使されるわけで

AIとかに任すと
多分もう一瞬で 我々は…。

そんなにAIって無情なんですか?

でも 人間もそうなんですよね。

裁判官が多分 直感的に この人は
有罪か無罪かを判断したあとに

そのあとで法律構成を考えたうえで
理由を述べる。

それと同じ仕組みを
AIでも実現しようっていう。

技術的な試みもそうですし

社会的な倫理とかで規律していく
っていうガバナンスの方法と

2つ 両方合わせ技で
やっていこうという話もあります。

昔は なんで日本人が議論できないか
議論を嫌うかっていう時に

個の確立が弱いからだと。

個人というものも しっかりしてなくて
いっつも周りに流されてるだけだから

議論してって言っても
意見が出ないじゃないかみたいに

私も教壇にいた頃は
そういうふうに思ってたんだけど

どうもそうじゃなくて
変な形で 欧米人以上に 我々は…

要するに 私は道を歩いてるんだから
話しかけてこないで。

これも私のプライバシーだからっていう。
(ケイン)個人主義ですよね。

ちょっと変わった個人主義に
今なってるんだと思います。

どうやったら 議論の場の参加者って
増やせるんだと思いますか?

僕 人間集会っていって
まさにコスパとは何かっていうのを

一般人 学歴も年も何も関係なくやるって
イベントをやってるんですけど

こういう場所 あえてさっき
田中さんが言ったみたいに

議論って ある種のスポーツなんですよね。

ルールがあって
例えば 言いすぎてはいけないし

相手の意見も聞くしって
まあ スポーツなんですよね。

例えば ロンドンのパブで 横の人たちと
しゃべるっていうのは よくありますと。

それは でも明文化されてないけど
そういうルールだっていう

文化的な背景が
やっぱあると思ってますと。

同時に思うのは なんかその
しゃべる技術じゃなくって

聞くスキルみたいなのを
多分もうちょっと

耳を傾けることが
もう少し重要なのかなって気はしてて。

僕は仲間と ちっちゃいウェブメディアを
今年 立ち上げて

要は 海外ルーツの人とかの経験とか
その親御さんの経験とかを

とりあえず載せていくだけで
つまりガッてしゃべるんじゃなくって

一旦みんなの意見を
とりあえず こうやっとく。

必要な人が必要な時に見れる状態に
一旦しておいて

自分の主体の位置みたいのを
ちょっと ずらし込む仕組み みたいな

つまりこう 直接タイマンで
しゃべるだけじゃなくって

そういうきっかけの手がかりを
一旦増やしておくみたいなの

すごい重要なのかな
みたいな気はするんですよね。

ちょっと海外にも手出したいな~。

ちょっと自分と違った人種の人に対して
受け入れ態勢がないのかな。

パリで大きなテロが続いた 2015年。

イスラム研究者が提示した

「文明の衝突」という
キーワードを巡る議論があった。

はい。
ひと言だけ。

イスラムって言葉が ちょっと
出すぎてる気がして。

「やめませんか?」っていうことだけでは
この問題には向き合えないです。

それは イスラム法の まあ聖典をですね
恣意的にせよ

原理主義的に解釈してしまった
過激な一派が

明らかに あの地でのさばっていて

人々をヨーロッパにもアメリカにも
送り込んでいて

そういう状況があるわけですから だから
その それを「正面から見ろ」っていう。

それを見るために ちょっと言いたいのは
政治学の方では 確かにそういうことで

言葉の定義があるんでしょうけど
フランスの現実を考えるのには

文明の衝突という言葉は 全く

有効じゃないという気が
どうしてもしてならないんです。

今 人々が そういうふうに考えて
行動してしまっているという事実を

ただ単に規範性抜きで指摘してるんです。

ただ 解決策のためには
信念を語るのは いいんですけど…。

(青井)ちょっと難しくて よく
分からなくなってきちゃったんですけど。

隠岐さんは 経済的な格差で
説明できることが多いんじゃないか。

フランスの当時起こってたね
テロ問題に関して。

で 三浦さんは もっと文明の衝突
宗教の問題だとか

そっちの要素が多くて ああいう対立が
起こってるんじゃないかなっていう

まあ 議論だったんですけど。

移民がテロリストになっちゃうって
すごい簡略化されていて

本当はもともと移民ルーツの人がなかなか
仕事がなかったりとか 差別されていて

で テロリストたちのリクルートする
グループが

まるで ソーシャルワーカーのように
彼らを勧誘していくっていう。

だから もともとはその 移民ルーツの人に
ちゃんとした仕事がないとか

社会から排除されてるとか
そっちがまず先にあるわけですよね。

例えば 技能実習生の問題とかが
あるわけですよね。

で つまり それって
産業に求められているから

人じゃなくって 労働者としてしか見ない
っていう部分があるわけで

衝突っていうメタファーで
捉えるんじゃなくって

個々の場所において どういうふうに
多様な人がいるのかっていうのを

きっちりちゃんと一回調べましょう
っていうところが

まず大事なのかなって気は
すごくするんですね。

なんで衝突ではなくって もっと…
何て言うんですかね もっとほんと

日常 だって別に
ぶつかり合ってるわけじゃないので。

融合みたいな…。
(ケイン)う~ん 融合というか…。

例えば アンダークラスって言葉を

やたら今 日本でも使おうとしている
人たちがいるんですけど

あれもやめた方がよくって つまりその
貧困の人たちは価値観が違うから

文化的に相いれないから
排除してしまえっていう

すごい強いニュアンスの言葉を
ぬるっと使ってしまうのは

本当にまずいんですよね。

どんなふうに実際 その
海外から やって来る人と

もともと日本にいる人が
混ざり合っていくのかって

難しいのかなとも思うんですけど。

それこそ対話とかできるんですかね。

僕自身も いわゆる韓国…
朝鮮半島にルーツを持っている

在日コリアンの
人間にはなるんですけれども

なんか やっぱり
いまだに こう そういう人たちが

例えば 韓国系日本人ですって言うかって
いうと言わなかったりするわけですよね。

そこには なんかやっぱ
日本人みたいな概念とかを

なんか排他的に使ってたりする
ってことは あるかもしれない。

でも 他方で それでも例えば
僕は研究者のコミュニティーであるとか

会社員であるとか いろんな場所で
私たちって言い合えるような

間柄の人が いっぱいいるし
そこでは会話ができたりする。

で それをやっぱりインフラっていうか
言語 日本語を一緒に使ってるよねとか

いろんなことに対して
利害を共にしてるよねっていうことを

大きな話にくくらずに 一個一個の
場所場所で考えるとかっていうことを

やってあげないと
作れないんですよね 共感性とか。

同じ人間で 私たちだよね
っていうような文脈って。

別に全てに当てはまらなくても
かまわないので。

斎藤さんは ヨーロッパの移民問題とかは
どういうふうに見てらっしゃいますか?

そうですね
私がちょうどベルリンにいた時に

ちょうどシリアから
だいぶ難民が来たりして

で 私の周りの友人なんかも
そういう支援をしたりだとか

周りの環境でも
道路で会うような そういう人たちが

増えたりとかっていう
変化はあったんですけれども。

今 日本が結局
かなり難しいところに立っていて

資本蓄積自体は かなり困難になって
市場は飽和しているっていう状態で

人口も減っていくっていう状況が
あるわけですよね。

だから とりあえず一方では
景気を刺激するために

オリンピックをやってみたり
万博をやってみたりするんだけれども

もうそれに人手が何十万人って労働者が
建設業界も必要になって

そういう人をどんどん
呼び寄せなきゃいけないけれども

他方では やっぱりそういう人たちが
入ってくるっていうことに対して

すごい不安もある。
特に今 保守政権の場合は

そういうのが やっぱり
非常に扱うのが難しい問題になってる。

だから この まあ
ヨーロッパなんかも そうなんですけど

やっぱり そういう人たちに
外国から来た人たちに対して

どうやって手を差し伸べられるか
っていうのを

労働者も含めて
市民の人たちが すごい考えている。

これから日本も
そうならざるをえないわけですから。

そういう問題 もっと連帯
海外の労働者と日本の労働者が

常にインターナショナルに連帯して
どう戦っていくかっていうのを

考えなきゃいけない時に
きてるんじゃないかと。

結局 海外ルーツの問題であるとか
外国人労働者の問題っていうと

労働者の問題なんですよね やっぱり。

意外とマイノリティーの問題なんです
ではなくって

マジョリティーのあなた方も含めた
問題なんですよって

多分 言う必要はすごくある。
でも すごく思うのは

マジョリティーの人の不安とか
しんどいことも

やっぱり きっちり一旦 言語化しておく。
で 実はそれ 照らし合わせると

同じ仕組みによって振り回されてる
部分があるよねってところを

もうちょっと打ち出していければ
いいのかなとは思うんですよね。

♬~

今ちょうど SDGsっていって
持続可能な開発目標とか

30年までの目標で出てますけど

官民あげて取り組んだり
っていうのはありますが

煎じ詰めると そこだと思うんですよね。
議論とか会話でもいいんだけれども

何を目的にするのかって時に
どう続けていくのかっていうことを

本格的に考えないと
続かなくなってきてるっていうのが。

今 例えば
労働者の問題でもそうだろうし

環境とか他のことでも
そうでしょうけれども。

続けるために
どうしたらいいのかっていうのは

一個一個答えを出していきましょうとか
真理を探しましょうではなくて…

それ自体が目標になっていくような会話を
やるっていうのが 何て言うんですかね

それぐらいしか 我々が共有できるものは
ないんだけれども

それを共有できるぐらいには
みんな追い込まれてることが

分かってきてるよねっていう雰囲気が

議論じゃなくて会話っていうところに
あるんでしょうね。

持続可能性っていうと まあ
でも とはいえ企業はやっぱり

短期でリターン出すことは前提だから

主体が国家とか社会って
なると思うんですけど

やっぱり環境問題の話が
斎藤さんも結構 関心あるんですよね。

そうですね。 このままのペースで
二酸化炭素なんかも排出していくと

2030年 だから
私たちのテーマの10年後には

地球の平均気温が 1.5度上がってしまう
っていうふうに言われていて

そうなると ほんとに氷が解けて
海面上昇して 洪水が起きたりだとか

他の地方では 干ばつが起きたりとか
っていう問題が出てくるっていう。

だから 私たちのね さっき
ビデオにも以前ありましたけど

世界的にもっと
問題を見なきゃいけなくて。

世界で見ると全然 後進国で

自分自身は二酸化炭素
出してないんだけれども

そのあおりを一番受ける島国の人とか

まあ アラスカの人とかっていうのは
非常にいて

住めなくなっちゃうような人が出てくる。
そういう時代に直面している中で

ほんとに短期的な利益だとか あるいは
コスパみたいなものを求めていいのか。

もっと大切な人間の命とか
人権みたいなもの

さっきの外国人の話もそうですけど

そういうものに
シフトしていくっていうことが

さっき出ていたお金だけじゃないんです。

もっと友達とか自由な時間が
って言ってる人たちも

そこでまだ止まっちゃってるんですけど

海外だと それが いろんな運動に
つながったりしているので

もう一歩なんじゃないかなって。

実感がないと なかなか人って
動きだせないですよね。

政治家とかって結構
年上の人たちなんで

自分たち もう死んでるぐらいにしか
思ってないと思うんですよね。

だから僕らの年代で 声上げなかったら
こういう問題って絶対解決しない。

実感っていうのって
すごい重要だと思ってて。

さっき ここの番組の批判に エリートの
議論ですよねって話をしてた時に

いや 僕 結構 逆だと思っていて

グローバルなエリートの集団に
あまり日本人が入ってないことは

結構 問題だと思っていて

さっきのSDGsの議論みたいなものも
すごいやってるわけですよね。

SDGsと企業をどうするか。
これを これは確かに分からないから

さっきのスペキュラティブアート
みたいな形

グリーンランドの氷山を持ってくる
みたいな形をとったり

いろんな形で実感を作ろうっていう
取り組みが 非常に

要は 欧米の それこそ
エスタブリッシュメントはしていると。

じゃあ日本って それ やれてるんですか
っていうと さっき言ったとおり

結構 政治家は じゃあ おじいちゃんが
中心ですよねってなったら

短視眼的で そういったものは ほとんど
できてませんっていったところの

その実感をちゃんと作り
ちゃんと議論するっていう

まさに そこを慣れてないことも
なんか一番発端が

そういう長期的な国際問題に
日本がどう立ち向かうかに

全く入れてない理由な気がしますね。

でも 移民も一個は
労働力不足っていうところから

多分 盛り上がった議論だと
思うんですけど

労働力不足も AIで
ある程度は代替できる。

これは今は 例えば仮に全部
代替できるのが3%だとしても

これからその割合は どんどんどんどん
上がっていくんですかね?

(工藤)そうですね。
徐々に上がっていくと思いますし

あとAIのブームは
この第3次ブームが来る前から

「機械との競争」っていう
本がありまして

AI IT 機械と人間が

労働 ワークフォースという関係では
競争関係にあって

人間が今まで
機械をうまく使いこなせていたんだが

しかし機械の進歩 ITの進歩の
技術革新の方が早くなってしまって

人間が キャッチアップ
できなくなっているから

経済停滞が ちょっと起こっているんじゃ
ないかという仮説が

経済学の問題提起がされているんですが
でも おっしゃるとおりで 逆に言うと

技術的なイノベーションが
ちゃんと社会に着地する

そして カルチャー 文化とか
生活になじんでいかないと

多分 本当のイノベーションには
ならないと思うんですよね。

個人的に そこが問題だと思っていて

大学を含めた高等教育に
こんだけ投資をしない日本っていう国は

それは だって社会重要性
上がるわけないですよねと思っていて。

さっきからリテラシーって言葉が
すごい出てくるのは

そりゃ だって そこ投資してないもん
っていう話だと思うんですよね。

ほんとにそれ 気付いてるんですよ
企業も ビジネス側だって気付いていて

経団連だって やっぱり消費者教育
ちゃんとやってもらわないと困るとか

哲学とか そういったものを
やってくれって言うわけですよ。

(與那覇)なんで自分でやらないで 人に…。
(笑い声)

(朱)そこを なんかお互い こう
企業は営利目的でしょとか

大学は みたいな話になっているのは
結構 本末転倒なとこがあって

もう もたない感じになっちゃってるので
ちゃんとやろうよっていうことを

合意できるぐらいに
今 追い込まれてるんだろうなと思う。

それこそコストっていうか お金を
じゃあ どっから持ってくるの?

っていう話になると思うんですけど
お金はどうしたらいいんですかね?

さっきの 日本人は変な形で個人化してる
って話じゃないけど

日本のお金持ちって社会と関わらなくても
生きていけるために

お金持ちを目指してたんだ
っていうことが なんか…。

世界の金持ちだと思いますよ。

今だから それは
1%対99%って言われてて

1%の人たちは 地球温暖化で
住めなくなるかもしれないから

シェルターを用意したりだとか

避難できるように
ヘリコプター手配したりだとか

そういう保険に入ったり
山火事になったら すぐ救急車

レスキューが来てくれるような
保険に入ったりとか。

今日は 経営してらっしゃる方も
いらっしゃるし。

その辺り どうなんですか?
経済的にも精神的にも安定してないと

そこまで そのシェルター作ったり
寄付したりしようというところまでは

いかないかなって気はしますけどね。

でも ただ起業家って やっぱり
とはいえ 社会貢献したいとか

そういう欲望がある人もいますよね。

いますね。 若い人は 結構そういうの…。

昔よりも若い人の方が
そういうふうに思って起業する人が

すごく増えてる気はしますね。

すごい有名になりたいとか
お金持ちになりたいっていうよりも

社会に対して 良い影響を与えたい
みたいな人が多く起業してると思います。

起業する時の社会理念みたいな
企業理念みたいなのっていうのは

もともと持ってるんですか?
それとも 後から考えるものなんですか?

自分で こういうものがあったらいいな
っていうところから

スタートしているんですね。

ただ スタート地点は
そこだったんですけれども

やはり何年か運用してくると
だんだん ゴールは一緒でも

間に入ってくるものは 変わってくると。

最終的に たどりつくところとして
もともとなかった

フィロソフィーみたいなところとかが
だんだん くっついてくると。

もともと まあ フリマアプリとかも
関わってましたけど

それは シェアリングエコノミーとか
そういう文脈もいろいろあったんですか?

きっかけは
人が欲しがるものを作ったりとか

世の中を
インターネットのプロダクトを通して

どう便利にできるかとかっていう方が
先でしたね。

そういう影響力を持ったものを作りたい
っていう気持ちの方が大きかったです。

結局それって 社会をよくすることと

あんま離れてないんじゃないかなって気も
するんですよね。 起業って行為自体が。

意識的によくしていかないと だめなのか
それとも好き勝手な競争に委ねても

単なる淘汰ではない学習が
発生するのかってことですよね

綱川さんの話にあったのは。

意識高く持って 社会性の高いことしろ!
みたいに言われて始めなくても

試行錯誤してるうちに だんだん社会って
こういうものを求めてるんだってことが

分かってくるみたいなことなのかな
と思うんですけど

一方で 朱さんのお話にあった

突如として持続可能性がブームになってる
のが よく分かんないんですけど

あれは要するに もう
完全に搾取し尽くすっていうモデルが

グローバル化のおかげで
成立してしまったから

自覚的に持続させないとだめだと
そういうことを言ってるんですか?

なかなか それは真かなと思っていて

やっぱり持続可能にして搾り上げるように
しなければいけないというように

ある種 思うぐらいまでには

ある種 完成はしちゃってるわけですよね
確かに。 そういうふうに言うならば。

だからこそ
だから 何て言うんでしょうか

今 もちろん それによって

不当な利益を貪ってきたじゃないか
みたいな話があり得たとしても

ある意味では 利害共同体になってる
っていうこと…。

例えば 国民経済ぐらいの規模だと
搾取し尽くすと

例えば 働き手が
ほんとに いなくなるとか

反乱や革命が起きるっていう
恐怖感があるから それはやばいって

どこかで自覚しなくても
自然とストップがかかったわけですよね。

なんだけど 完全にグローバル化すると
どっか どこも知らない島が

高波で沈もうが知らんっていう
そういうモデルも可能になってる。

高橋さんが遺伝子の専門家ですけど

よく遺伝子でも 要するに
完全に搾取し尽くす遺伝子が強いのか

そういうのは 意外と弱いのかとか
いろいろ議論があるような。

基本的に一番求められるのは

外界の環境の変化に対応できる
柔軟性を持つ生物が一番強いというか。

で まあ その多様性の話もそうで

例えば ストレスに強い人と
ストレスに弱い人って

もともと遺伝子も関係しているとは
言われてるんですけど

ストレスに強い人が全員になったら
いいのかっていうと そうでもなくて

結局 例えば津波が来た時に

不安に思って早く行動する人が
一定数いた方がいいとか

結局 その
いろんな多様性があること自体が

全体として 外界の変化に対応できるから
いいですよねっていう話なんですね。

そこは結構 持続可能性みたいな話で
経済合理性と何が違うかっていうと

結局 時間軸の問題なんですね。
今の世代だけの話をしたら

全員 ストレスが強い遺伝子に
書き換えちゃえみたいな話になるけど

結局 長期的な時間軸の中で見ると

それ自体が
持続可能でなくなってしまうと。

結局 時間軸をどこに設定して

話をしてるかだけの
問題かなと思いますね。

柔軟な遺伝子の方がいい
っていうことであると

日本人っていうのは
さっき「個が実は強いんじゃないか」

みたいな意見もありましたけど
多様性っていうものに対して…。

ああ はい。 多様性って語る時に

ただ単に違うものが
ばらばらに存在するっていうのが

多様性ではないんですよね。
結局 その…

何かで議論が衝突している場合って

ほとんどのことにおいて
合意してるっていう前提で。

例えば 私が遺伝子情報は 個人の人に
解禁すべきだって言って 事業を…。

起業して事業をやってますけど そんなの
だめだって言う人もいるんですね。

危ないって。
で 対立するわけじゃないですか。

でも その人とは
その遺伝子情報を活用して

いい社会を いい未来を
作っていきたいですよね

っていうとこは
もう ほぼ ほぼ合意してて

その手法のとこだけで
衝突してるわけなんですね。

多様性も一緒で
結局 外国人の方が来た時に

見た目が違うとか 体格が違うとか
言語が違うとかっていう

違いだけに着目するんじゃなくて

結局 日本っていう国を
いい国にしていきたいですよねとか

そういう合意してる部分に
いかに目を向けるかっていうところが

一番大事なんじゃないかなって
思いますね。

それで言うと 「5年で帰って下さい」って
最悪ですよね。  (高橋)はい そうですね。

要するに お互い搾取し尽くそう
ってことですよね。   (高橋)そうですね。

こっちは こき使うし 向こうは
日本から取れるもん取って帰るし。

すごい短期的な目線だなと。

そうなんですよ。 それって
結局 大変コストもかかっているし

大変パフォーマンスも悪いわけで…。

持続可能じゃないってことですね。

(ケイン)既に住んでる人って
もう めっちゃいるんですよ。

日本は 移民政策やってないですけど

地方自治体は それなりに
知識を蓄えてきた実績もあるので

それをもうちょっと使えるフォーマットに
ちゃんと置き直していく。

決定プロセスに
要は そういうことが分かる人が

入っている構造じゃないですよ
っていう話ですよね。

でも 結構
それ さっきの議論の話と一緒で

議論って 結局 今もやってますけど

この人数以上でやるのは 結構
マックスじゃないですか つらいですよね。

だから いくら多様になっても
そのあと 議論をするってなった時の

最後のアウトプットである人数って
結構限られていて

それこそ テクノロジーで
何とかするっていう話が

それこそ Twitterとか含めて
あるんですけど

少なくとも 今 現状
国会議事堂とか そういったところでは

こういう人で会話をしてます
っていった時に

当たり前なんですけど
絶対 シニアの政治家いるんですよ。

だって 普通に シニアが多い社会なので。

ただ そうじゃない人たちも ちゃんと
代表として入れるような仕組み

そして ここで だめなんだったら
じゃあ ある程度 分権して

地方… 地方公共団体とかで

ちゃんと ここは
こうやりましょう みたいなのを

ちゃんと分権していくとか
っていうふうにやらないと

議論の設計が そもそも違うから

変えたいって 多分 みんな
結構この辺の人とか

この話し合いとかを見てくれてる人は
多分思ってると勝手に思うと

じゃあ どうやって変えんの?
っていう方が 多分問題なのかな。

アパレルの会社たてたいなと思ってます。

やる気持ちが大事です。

とりあえず…

自分が一番大事です。

結構 好き勝手やってたいな
っていうのがあって。

自分の思ったとおりに
仕事だったりとか…

その仕事が 何か
まだ見当ついてないんですけど。

この職 別に
お金のためにやってるわけじゃない。

意外と 今日は 明るい話が多くて。

宮台真司さんが 90年代半ばに
「終わりなき日常」って言葉を言ってて

これって なんか すごい 平成って
時代に通しても言えるのかなと思って

すごい 平成って オウムの事件とか
大震災も何回かあって

でも それにもかかわらず
その時は すごい社会が慌てるんだけど

でも結局 すぐ日常が戻ってきたかな
って感じが すごいするんですよね。

何が起こっても すぐに
日常が ぶり返してしまう。

だから こうやって10年後も

それまでにも 多分
すごい大事件とかあるだろうけど

日常の強度っていうか それが すごい
結局あるんだなという気がすごいですね。

いいか 悪いか置いといてね。

今日来た人が
何パーセントぐらい分かったか

分からないんですけど 会話の内容が。
だけれども やっぱり こうやって…

俺 気持ちいいんすけど すごい。
俺だけかな? これ。

みんなで意見して 全然答えなんて
絶対これって出ないけど

そういうのを楽しめる日本であったら
ええなって思いました。

そんだけの余裕があったら
ってことですね。

僕は こういう場所
ずっと開いていきたいですね。

ちょっと 俺 鬱憤たまってるから
しゃべってくるわって言いながら

スポーツやってるというか
なんか まあ…。

結局 どんなに
システムが変わったとしても

やっぱり 僕は人間を信じているというか
心のつながりを信じれるんで

システムが変わっても
俺には仲間がいると。

最初のインタビューが
やっぱり すごい印象的だったなと。

みんな 自分の話を
結構してたじゃないですか。

何とか自分ができるのって
自分ぐらいしかないよねって

思ったりしてる人が すごく多いなって。
割と 実は ことばの力みたいなやつが

実は 今 大事になってるなと
とても思いますし

自分たちが 自分たちを
どう理解するべきなのかっていう話

概念をどう考えるのかとか
そこらへんのことに提供できる役割が

とても重要性を増してるなと思っていて。

僕自身 企業で働きながら 哲学の研究を
一緒にやってるんですけれど

そういう いろんなことをやる
アクティビティーが1個じゃなくて

どっかで調達しながら こちらでは
使ってみるとかっていうようなことで

横断しながら それぞれ
自分たちの言葉とか作っていって

流通させていくってことが
求められてるし

それがやれる環境なので ある種

そこまできたので あとはやるしかない
っていう感じもするので

非常に 前向きな感じは
すごくしますよね。

やっぱり 良くも悪くもなんですけど
変化をもう受け入れてる

変化していくっていうことは
もう受け入れてる人が多いんだな

っていうのは すごく印象的でした。

一方で でも変化する社会に対して

自分が どうアクションしていくのか
みたいなことを考えている人が

本当に少ないなと インタビューの中では。

すごく それは危ない…

危ないというか 大丈夫なのかって
結構思ってしまって。

もっと多くの
こういう同世代の人たちが

意思表示とか 動いていったらいいのにな
って ものすごく思いますね。

議論する時に
最大公約数にならずに…

…っていうのは 結構言えるなと思ってて。

やっぱり 面白いものとか 新しいもの
どんどん生まれてきますけど

例えば ブロックチェーンでも
動画共有アプリでも

ちょっと前になかったものが
どんどん出てくるものって

最初に それを作ってる人って
何らか 社会を誤読してるというか

今 既にあるものでは満足してなくて

「いや もっと こういうのあって
いいんじゃないか」っていうのを

思っちゃった 誤読しちゃったから

ものを世に投じてて
俺だけしか 今気付いてないんだけど

絶対 みんな これ面白いと思うはずだから
っていう行為がある。

その既存の枠組みを
ちょっとずつ拡張してくとか

広げてくみたいな
違いみたいな話もありますね。

そのために必要なのっていうのは
別に 必ずしも すごい専門家で

すごい知識がないといけないんだ
っていう話じゃなくて

もっと 今の
やっぱ Vを見てて思ったのは

怒りとか 今の社会に対する不満
みたいなものっていうのが

もっと 今 最近の
黄色いベスト運動じゃないですけど

社会を変えていくとか 自分たちの
可能性を広げていくためには必要で

民主主義って やっぱ そういう意味では
コスパは悪いと思うんですね。

あんなデモやって ずっと仕事行けない
みたいなことを やんなきゃいけない。

でも そういうことをやらなかったら
世の中 多分よくなっていかないし

それは 結局 僕ら一人一人が
やっていかないかぎりは

変わっていかないんだろうなって。

ここっすね。
ここ ここ。

民主主義 だめな感じが
パフォーマンスからすると

民主主義っていうのは
ベストな選択肢はないっていうのが

実証形式が 最近示していることで
ちょっと暗い気持ちになっていた一方で

でも民主主義には パフォーマンス以外の
価値ってあるような気がするな

というふうに思っていたんですが
ここだよっていうんじゃないですけど

それ以外の価値っていうのが
何となく 手触りとして

ちょっと
ヒントがもらえたような気がして。

心しかないの?
結局 民主主義の価値って。

そういう言葉で言えないようなところに

大事なもんがあんじゃねえのっていうのを
例えで ごめんなさい。

いやいや だったら言葉にしましょうよ
ちょっと。

(工藤)私 多分 政治的な有効性の感覚とか
社会に参画している感覚とか

それは 票数で考えれば

たくさん議論しても
そして 一票投じても

あるいは ロビイングとか
高いコストをかけなければ

実現できないことかも
しれないんですけど

この議論をしていて
高まった気持ちによって

政策的なアントレプレナーが
出てくるかも。

だから ソーシャルアクションを
始める人が出てきたりとか。

しゃべって テンション上げるみたいなね
そういうことです。

とか 起業を通じて
ビジネス上の起業を通じて

社会の課題を解決する人とかが
現れるって

そういう長期的な効果があるという点で

そういうところに 民主主義の価値の
ヒントがあるんじゃないかなというので

ちょっと ヒントをもらえた気がして。

工藤さんが 途中に名前を挙げられた
オークショットの会話の話って

すごい 今回の全体通して
大事だったなと思っていて

哲学者のリチャード・ローティが
言うのは

「議論っていうのは
唯一 制約があるとしたら

それは 会話への制約だ」
って言うんですけれど

その意味っていうのは 「続けることだけが
唯一の目的だ」って言うんですよね。

もちろん 一個一個 防衛したりとか
結論出したりとかはするけれど

何が究極の目的かっていうと

それを続けること それ自体だっていう
言い方をするんですけれど。

それ自体を希望に持つっていうことが

あえて言えば
民主主義の持ってる価値でしょうし

どっかに真理があって
それに至ろうとするっていうよりかは

私たちはもうやめないよ っていうことを
やるっていうことについて

希望を持ちましょうっていうのは
とても 今に必要な話なんじゃないかなと。

じゃあ なんか その政治の話題に対して
国民が 一喜一憂してても

意味があるってことなんですかね あれは。

一喜一憂したうえで
多分 それを… 難しいんですけど

少し言葉にしていくことが大切で

実証研究をしてる人から
「民主主義の価値がないよ」って言われて

憲法とか 法哲学とかが
シュンってならないで

でも いや こういう価値もあると思う

計量できない価値があると思う
例えば こういうこと。

だから あなたの研究だと 例えば
こういう研究を一緒にできないですか

っていう そういう会話。
建設していくってことですよね。

(工藤)
相手の文脈にとって 言葉を発して

一緒に合意できるポイントを探していく
っていうところ。

そのムーブメントが
多分 大切なのかなと。

やっと 民主主義が
日本で始まりかけたっていう

かけているって話なんじゃないですか?

始まりかけてるっていうんであって
始めてるとは 言ってないんですけど。

今 始まりかけてますか? 2019年。

始まりかけてるって言った定義は
今までは あんまり

議論っていう話が
多分なかったと思っていて 政策的な。

今 やっと そういうものが
メディアに出てきて…

だから別に成功してるとも言ってないです
始まりかけてるっていうのは そういう…。

♬~

僕自身は大学生で
大学通ってるんですけど

単位とかも 今では
コスパを重視したりとか…。

単位のコスパ?
教育ですら 形骸化
してるなって思う時もあるんですけど

その中で 学生も 大学側も
みんなコスパを重視するんじゃなくて

もっと議論する場であってほしいな
っていうふうに

今の話を聞いてて 思って
そういう意見を言いたいです。

あなたが作ったらいいんじゃないですか?
そういう場所を。

そういうことだと思います 本当に。
でも議論っていうとすごい堅苦しいけど

別に 食事中に なんか
たまたま 政治の話になるとか

社会の話になるのとかでも
いいわけですよね。

そんな別に 議論ってもの 特別な形で
別にやんなくてもいいんじゃないかって。

場としてじゃなく
いろんな人に会いに行って

話してみるとかだけでも
いいかもしれない。

何か不便なことがあった時に
自分で始めようって思う人もいれば

そう思わない人もいるっていう
お話に関して

私の中で思うのが
点の数なのかなって思っていて。

それが たくさんたまった時に
例えば それが ひらめきだったりだとか

「あっ こういうの始めてみようかな」
っていうのに

つながることもあるのかな
って思いました。

プロダクトを 若い人向けに作ることが
ちょっと多くて なので

瞬間だけ切り取ると 今の若い人向け
っていうところだけ切り取って

プロダクトを作ったりするケースが
すごく多いんですけれども

若い人の… 何て言うんですかね
今の状況だけじゃなくて

その人が… 何て言うんですかね
どうなっていって

社会に対して どういうふうな状況に
陥っていくかみたいなところを

前倒しで考えていくってとこを
あんまりしてなくて。

今の 切り取って ここに課題があるって
インサイトをすごく掘って

何か プロダクトを作るっていうのが
多分 今のスタイルだったんで

そういう視点を
もうちょっと持たないとだめかな。

やっぱり 自分が
どう生きたいかっていうのと

そこの先に どういうビジネスの形で
社会貢献するかっていうのを

つなげてらっしゃる方も
いると思うんですね。

だから 自分の軸と自分の幸せを維持する。

それが 周りの幸せを維持することに
つながる

それを 経済活動を使ってやっていこう
っていう人がいると思うので

最初は 自分がどう生きたいか
っていうのを

定義するところから始まっていくのかな
と思いました。

なんか みんな真面目な。
(笑い声)

まあ でも 幸せの再定義
って話もありましたし

目標が一緒だったら
方向性違ってもみたいな。

当たり前のイメージに
そこまで支配されずに

ちゃんとツッコミを入れることと
ちゃんと耳を澄ませることは

すごい重要な気がしていて。

それこそ コスパって言葉を使って
批判する必要もあるわけで

例えば 大阪だったら
都市再開発の一方で

母子医療センターの保育器を
クラウドファンディングやりますとか

言ってるわけですよね。
つまり コスパって言葉自体を批判する

人の命に使うなとか 生活に使うな
っていうツッコミもいるのと同時に

でも 経済合理性の領域において

「それ 経済合理性ないよね?」って
ちゃんと言っていく。

経済合理性をうまく転がす部分と

その指標ではかるのは
間違いなんじゃないかっていうのを

多分 どっちもやる必要があるのでは
ないかなっていうふうに思いました。

與那覇さんには
今日 いろいろ訳して頂いたり

ふかんした立場で
議論を聞いて頂いてましたけど…。

定年後の解説委員のくせに
しゃべりすぎました。
まだ定年してないから。

ただ一方でね 昭和というのは
先ほど 古市さんがおっしゃった

平成の「終わりなき日常」と違って

要するに この平和と繁栄は
いつか終わるんじゃないかという不安と

だから カメラの前で
何かマイクを向けられたら

個人的なことではなくて
社会的な何かを

発言しないといけないんじゃないかという
ある種の強迫観念につかれた

取りつかれた時代であったかな
というふうに思うんです。

そろそろ 私も この番組を
退場する年齢になっておりますし

逆に言うと そろそろ
昭和を知っている世代が

この番組にも きっと出なくなっていく
であろうと思いますから

まあ何と言うか 遺言のビデオみたいな…。

そんなこと言わないで下さい。

(與那覇)聞き流して頂けたら
今日はとてもうれしいです。

今日は 多分 ともすれば
とっちらかった話が多いな

っていう気がした人もいると
思うんですね。

でも それって
多分 未来の話をしたからで

こういう番組って よく
昔話になりがちじゃないですか。

まだ見てないけど 「朝生」とかって
多分 昔話ばっかりしたはずで

「平成こうだったよね」みたいな感じで
普通 討論番組って 昔話になりがち。

今日は すごい未来の話が多くて
それが すごいよかったなと思って。

実は なかなか こういう場で

未来のこと 語れるってことが
なかったんで

ただ 未来って多様じゃないですか。
多様だから 多分

いろんな議論が広がっちゃったんだろうな
っていうふうに思うんですね。

やっぱり 若い人の特権っていうか

未来のことを語れることだと
思うんですね。

未来に興味がある 未来に興味を持てる
っていう だから そういう意味では

今日 未来のことが たくさん話せて
よかったなとは思いました。

ということで 皆さん
もう4時間半に及ぶ大議論でしたけども

いいですかね?

なんか 言い足りてない顔の人も
いらっしゃるんですけど…。

確かにね 議論は尽きないですもんね。
答えって出ないもんね。

答え出てるんだけど
社会が動かせない 動きだせないとか

なんだかんだで 答え出すことの意味って
僕は それに懐疑的で

ディベート的に
「答え これです」って出しても

それで 社会とか 人々が動かなかったから
意味がないから

ちょっと モヤッとするぐらいで
いいんじゃないかなと思うんですよね。

正解ないですからね この議論って。

っていうのが ナレーションで流れてた。
(笑い声)

そのコメント そのまま頂いて
終わりにしましょうか。

じゃあ 皆さん 今日は
本当にありがとうございました 長時間。

(拍手)

♬~

もう これから先
死ぬまで成仏しないだろうなと思って…

年功序列とか
男女の差とかがなくなって…

…ってポジティブに見てます。

これに支配されると思う。
アドバイスしてきて

「あっ それいいじゃん!」みたいので
それを行動に移してって

そればっか みんな やってって

だんだん だんだん
これの思いどおりになっていく。

現金がなくなる気がするんですよ。
現金がなくなって もう…。

じゃ 全部これじゃん。
そうだよ。

えっ そう そうなる気がする。
これですよ。

カードっていうか もうこれだよ。
今 全部 会話聞いてますよね 絶対。

ドラマ 映画の仕事をしておりまして
いろんな…

結構 暗いと思うっす。

今でも 新しいことだったり
進んでたりするので…

それぐらいかな はい。

子育てしながら働きやすい世の中だったら
うれしいです。 でも なってなかったら

自分が対応していかなきゃいけないかな
とは思ってます。

一番大事にしていくことは…

若い20代とか 学生さん10代の子って

やっぱり なんか ちょっと心配。
そこ心配ですね。

仕事してる時の先輩
10個上とかもいるんですけど

同じように責任持って仕事できてんのかな
って すごい不安だけはありますね。

自分を…

多数決っぽいところが すごい強いと
思うので もうちょっと…

さまざまな言葉に込められた思いを
かみしめて

未来を変えるために
対話は終わらない。


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