日々、新たなり~篠田桃紅 105歳を生きる~ 105歳にして現役の美術家、篠田桃紅。老いや衰えに直面しながらも…


出典:『日々、新たなり~篠田桃紅 105歳を生きる~』の番組情報(EPGから引用)


日々、新たなり~篠田桃紅 105歳を生きる~[字]


105歳にして現役の美術家、篠田桃紅。老いや衰えに直面しながらも、歩みを止めることなく日々を生きる姿を追った。篠田が圧倒的な熱量で語る「105歳の現在」とは。


詳細情報

番組内容

篠田桃紅、105歳。書道家から出発して「墨の抽象画」という独自の境地を拓(ひら)き、世界的な評価を得てきた。生涯独身を貫き、今もアトリエ兼自宅で一人暮らしを続けながら、なお新しいものを生み出そうと格闘している。時に自問自答し、特に自虐や毒舌で笑わせながら、縦横無尽に語る篠田。「この年になると生き方の手本はない。自分で編み出さなくては」という篠田の日々を見つめ、驚異の言葉の数々に耳を傾ける。

出演者

【出演】画家…篠田桃紅,【語り】寺島しのぶ



『日々、新たなり~篠田桃紅 105歳を生きる~』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

日々、新たなり~篠田桃紅 105歳を生きる~
  1. 桃紅先生
  2. 作品
  3. 佐藤
  4. 先生
  5. 言葉
  6. 篠田
  7. 自分
  8. アトリエ
  9. 桃紅
  10. 映像


『日々、新たなり~篠田桃紅 105歳を生きる~』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

他にも、無料お試し期間のあるVODサービスが増えてますので、各社のラインナップを調べてみるといいかもしれませんね。

↓NHK関連商品

105歳にして現役の美術家
桃紅先生には

いつも びっくりさせられます。

その言葉をまとめて 本にしてきた私は
30年のおつきあい。

この秋 105歳の率直な心境を
語ってくれました。

(笑い声)

桃紅先生は 書道家から出発し

墨の持つ
無限の可能性を追求してきました。

墨で描く線に
2つと同じものはありません。

その時々の 「心のかたち」を託す
一期一会の線。

桃紅先生は 生き方も考え方も
全てが桃紅流。

そこから発する力強い言葉は
多くの人の心を捉えてきました。

人に分かってもらおうなんて
甘えん坊になったら駄目。

そりゃ 当然ですよ。
私が若い時だって

父や母の心境なんて
分かろうともしなかったし

分かるはずがない。

やっぱし…

それでいいんです。

桃紅先生が 医師の日野原重明先生と
対談した時の映像です。

お~ 先生 こんにちは。
あ~。

またまたまた お会いできて
ああ よかったですね。

日野原先生は 当時104歳。
桃紅先生は103歳。

二人の自由で軽妙なやり取りに
何度も吹き出しそうになったものです。

そうです。

(篠原)22年まで
スケジュールが決まってらっしゃるの?

(日野原)そうです。
全部決まってるんですよ。

あ~ あきれた! あ~。
(日野原)ええ 私はね。

いやいやいや。

対談の翌年
日野原先生は 鬼籍に入りました。

桃紅先生も…

…と口にするようになりました。

きれいじゃない。
すごく きれいですね。 ええ。

雑誌の編集者として桃紅先生と出会い

これまで9冊の本をまとめました。

桃紅先生のさまざまな言葉を
書き留めてきた私ですが

最近 今までには なかった話を
先生の口から聞くようになりました。

そして その生の言葉を
映像に残しておきたいと思いました。

(佐藤)半分生きて
半分死んでいるってのは

どういう状態のことを
先生は意味してらっしゃったんですか?

だけど ただ衰えちゃったら
おしまいでなく…

(佐藤)はあ~。

…っていうことを 私は知らせたい。

「105歳の現在」を語る桃紅先生。

その言葉の熱量に
圧倒され続けた日々の記録です。

♬~

私は 1か月ぶりに 青山にある
桃紅先生のアトリエ兼自宅を訪ねました。

桃紅先生は 105歳になった今も
通いのお手伝いさんの手を借りながら

この部屋で一人 暮らしています。

いつでも制作に取りかかれるように

アトリエには
和紙や画材が山積みになっています。

(佐藤)先生 ハロー!

この日は 画廊の人たちが
先客として来ていました。

佐藤さん。
みんなも そんな立たないでいいじゃん。

佐藤さん いらっしゃい。
(佐藤)はい。 ちょっと前 失礼しますね。

桃紅先生と長年つきあいのある
画商のトールマンさんです。

二人は 大激論の真っ最中。

話題は 絵を展示するのは
どういう場所が望ましいかについて。

いいですか? 桃紅さん。

そんな芸者屋さんでもない。
もう 桃紅さん わがまま。

こうなると
誰にも桃紅先生を止められません。

桃紅さん。

いつも 先生の話は
次々に展開していきます。

続けて 生き方のこだわりについて。

だから どなたも…

なになにの桃紅じゃない。
ただ 桃紅 篠田という。

私はアメリカ人ですとも言わない。

うん。

桃紅先生は
二度の世界大戦を経験しています。

旧満州で生まれたのは
第一次世界大戦が始まる前の年でした。

20代で書道家として自活を始めたものの
間もなく第二次世界大戦が勃発します。

終戦時は32歳。 疎開先で結核を患うなど
若き日々は 戦争に翻弄されました。

そしたら みんな面白がって
見てくれるでしょ。 だから私も見ますよ。

(笑い声)

戦争はスポーツに置き換えるべし。

実は ロジャー・フェデラーの
エレガントなテニスのファンだそうです。

この日 トールマンさんが来ていたのは

11月に東京で開かれる
展覧会の打ち合わせのためでした。

だけど いちいち思い出させられれば

ああ あの時に描いたなって
思い出せますけど。

桃紅先生は 自分の昔の作品を
ろくに見ようともしません。

私 一番最初に…。

何があったって しょうがない。

え?
いい記憶。

あの時こうだった。

そう?

そんな話をしたら
「あの人 バカじゃないですか」って。

誰も そう言いませんよ。

105歳を過ぎても 過去より未来が大事。

そう言っていたかと思えば
自虐的な言葉も飛び出します。

…って言ってますよ。 「徒然草」で。

(笑い声)

なかなか兼好法師なんて人も
思い切ったこと言うわよね。

「醜き姿を永らえて 何にかはせん」って
言ってんじゃん。

「40を過ぎたら死なんこそよけれ」って
兼好法師は言ってんの。

さあね…

二十歳には二十歳の人生がある。
30歳には30歳の人生。

40歳には40歳。

二度とないという40代。

桃紅先生 42歳の映像です。

フランスの記録映画に

気鋭の書道家の一人として
取り上げられました。

「書」の枠をはみ出し 独自の表現を
模索する姿が捉えられています。

40代は 桃紅先生にとっての一大転機。

43歳にして
単身ニューヨークへと渡ったのです。

日本人は 海外旅行すら
自由にできなかった 1950年代。

女性一人の渡米は
思い切った行動でした。

ニューヨークのアートシーンでは

当時 抽象表現主義が
全盛期を迎えていました。

アメリカの自由な空気の中で
桃紅先生は「書」の制約から解き放たれ

新たな表現へと
大きく踏み出していきます。

自分が生み出したものじゃないのよ。

いくら上手に書いたからったって。 ねえ。

で 私は やっぱり これは…

40代で見いだした
「墨の抽象画」という新たな道。

その独創性は高く評価され
桃紅先生は世界に認められていきます。

どの美術団体にも属さず

賞をくれると言われても 全て断って
ただ 作品づくりに打ち込んできました。

制作中に邪魔が入るのを嫌う桃紅先生が

珍しく撮影を許した
貴重な映像が残っていました。

墨と向き合い
自分自身と向き合う 終わりのない道。

自分だけの線。
その日 その時にしか描けない形。

桃紅先生は 生涯独身を貫き
一人暮らしを続けてきました。

芸術に身をささげ 同世代とは全く違う
生き方を選んだことについて

こう語っています。

(取材者)ああ。

ほんとに分からない。

そこなんですよ。

はい。 初めて分かってもらえる方に
出会った感じが。

多くの人々の共感を得てきた
桃紅先生の作品と その生き方。

新潟市に住む松木シュウさんも
強くひかれ続けてきた一人です。

高校の書道の先生だった松木さん。

桃紅先生を講演に招いたのがきっかけで
始まった交流は 30年余りになります。

こちらへ どうぞお入り下さい。

桃紅作品をコツコツ
コレクションしてきた松木さんは

定年退職後 自宅に展示室をつくりました。

桃紅先生の作品と その言葉が

自分を導いてくれるように
感じてきたといいます。

ベランダに…

…とかいうような感じで
二人で こうやって夜空を見てて

そしたら向こうの…

そういう方の表現するものは

私たちが見たことのない世界を
見せてくれる。

本物っていうのは そういうことに
尽きるような気がいたします。

東京 芝公園にある増上寺。

通れる? 気を付けて。

桃紅先生の
展覧会の準備が始まっていました。

47歳から104歳までの作品
それも大作ばかりが

各地から集められ 一堂に会します。

増上寺には 桃紅先生が78歳の時に描いた
襖絵「ひふみよ」など

いくつもの作品が収められています。

桃紅先生にとって
ゆかりの深い場所ということで

105歳を記念しての開催となりました。

展覧会を前にした 桃紅先生を訪ねました。

(篠田)すいません。

どうぞ どうぞ。

展覧会を さぞ楽しみにしているのかと
思いきや…。

偉そうに。

誰も引けないだろう こういう線は
なんていうような顔して…

ほんとに いい気なもんよ。

人間のやることっていうのは。

一本の線で…

人に何かを
気持ちがスーッとするだけでもいいけど…

その線っていうものに…

105歳にしてなお 自分の作品の価値を
問い続ける桃紅先生。

残された時間が多くはないと
感じているのか

こんなことも語り始めました。

もう なかなか…

今のところ まだなれない。

あとの人が困っちゃうようなこと。
どうやったらいいだろうってね。

困っちゃうっていうようなことは。

やっぱり考えて
きちんとした方がいいなと思うけど。

♬~

長年 桃紅先生は 毎日アトリエに入り
筆をとることを習慣にしてきました。

しかし さすがに最近 作品をつくる
ペースは 落ちているように見えます。

だけども…

はははは。

描きたいことが 無限にあるわけではない。

そう言いながら 桃紅先生は
100歳を過ぎてからも

新しいものを生み出し続けてきました。

先生の作品づくりの
現場に立ち会ってきた

職人の浅尾さん親子です。

桃紅先生特注の金箔や
プラチナ箔貼りのボードなどを制作。

出来上がった作品の仕上げともなる
表装を任されて 40年以上になります。

ちょうど…

私が伺った時に
お話ししてたんですけれども

その時に…

私 思いましたけれども。

でも まあ
今 100 こえてんですもんね。

まあ そんなこともなく…

枯渇したと言いながらも
次のアイデアを

すごく模索されてたんだろうなって
私は思いましたね。

100歳を過ぎてから
初めて描いた円や緑の線。

肉体的な力に頼れなくなった分

心が より はっきりと作品に
あらわれるようになったという桃紅先生。

新たに拓いた みずみずしい境地です。

桃紅先生の展覧会初日。

半世紀にわたる作品が
見られるとあって

オープニングレセプションには
大勢の招待客が集まりました。

海外での評価の高さから
外国人客の姿が目立ちます。

こういうふうに…

しかし この日は
会場に桃紅先生の姿はありませんでした。

体調を考え 大勢の人がいる場所に
出向くのは控えたとのことでした。

桃紅先生のアトリエの壁に
初めて目にする作品が掛かっていました。

草書体で書かれた
何かの文字でしょうか?

先生は
文字を作品にすることもありますが

私は 薄墨で書かれた
その たたずまいに 強くひかれました。

へえ~…

「寂」という字でしょう。
「寂しい」という。

(佐藤)ああ。
恐らく。

桃紅先生の心に
ふと浮かんだ 「寂」の一文字。

先生は寂しさを感じているのだろうか?

私は意外な気がしました。

桃紅先生が 105歳の誕生日の前日に
語ったことがあります。

(篠田)私っていうものの存在が
どうのこうのじゃなく。

(篠田)雪が降ったっていうのと同じよ。
あの日は雨だったっていうのと同じ。

(篠田)自然の一部なのよ 私はもう。

♬~

自分の生も死も
自然の中の ひとつの現象にすぎない。

生は死によって絶たれるわけではなく
ひとつのものである。

「寂」には
「悟りの境地に入る」という意味や

「死ぬ」という意味もあります。

この一文字には 桃紅先生の現在の心境が
凝縮されているのかもしれません。

秋晴れの暖かな日を選んで
桃紅先生は展覧会場に足を運びました。

あれは74年ですね。

え~ そんなに たっちゃったの。 へへへ。

桃紅先生 61歳の時の大作 「四季」。

全長30メートルの壁面に
春夏秋冬の移ろいが表現されています。

♬~

全然きれい。

縦横に交差する 墨の濃淡。

画面を貫く線にほとばしる 独特の勢い。
44年前ならではの大作です。

♬~

会場には 桃紅先生が
おととし描いた作品もありました。

赤と白で構成された画面に
104歳の時の心境が映し出されています。

(篠田)ちょっと気を許せば
火の燃えてる河に落ちちゃうし

こっちの氷の河に落ちちゃうし

その火と氷の間に
細~い一筋の白い道がある。

それが人生。

「二河白道」は 偏らずに生きることの
難しさを説く 仏教の教えです。

画面の中央に走る
あるか なきかの細い線。

思えば桃紅先生は その道を
100年余りも歩み続けてきたのです。

大体 衰えていくことの方が
多いけどね。

…っていうものも あるから生きてるのね。

だから 非常に…

冷たい雨が上がり
日ざしが戻ってきた午後。

私は 再び桃紅先生を訪ねました。

アトリエには 新しい作品が。

細い筆で引かれた金の線の重なりと
太い筆で描かれた墨の重なり。

(佐藤)先生 この作品
すごく すてきですね。

あ~ そう?
(佐藤)ええ すごく好きです。

(佐藤)これ まだですか? へえ。

私は…

(佐藤)え~ ほんとに?
ええ。 こういうものになる。

(佐藤)見てもいいですか?

(篠田)これくらいの
墨の薄さっていうものを金にかけると

こうなるっていうことを知ったわけ。

いろんなこと。

へ~って思うから。

(佐藤)いろんな案があるんですか?
だからね 迷っちゃうの。

(佐藤)先生 それ 幸せな悩みですね。

まあ 私の…

先生が まだ満足していないという
未完の作品。

これから
どう命が吹き込まれていくのでしょうか?

桃紅先生が 改めて かみしめている言葉を
見せてくれました。

(篠田)
「桃紅李白薔薇紫」。

先生が父親に
教わったという

漢詩の一節。

桃の花は赤く
李は白く

薔薇は
紫に咲いている。

その理由を
春風に尋ねても

一切知らないと答える。

春の風は一色なのに…

春の風は一色なのに
皆 それぞれの色に咲いてるじゃない。

篠田桃紅先生 105歳。

自分だけの色の人生を

一日一日 新たに生きています。

だけど 天才っていうものも

生まれないとは限らない。

生まれなくはないのよね。


関連記事