あしたも晴れ!人生レシピ「幸せのタネは夫婦の中に」 益子直美、医師・石蔵文信、賀来千香子、高市佳明…


出典:『あしたも晴れ!人生レシピ「幸せのタネは夫婦の中に」』の番組情報(EPGから引用)


あしたも晴れ!人生レシピ「幸せのタネは夫婦の中に」[解][字]


歳月とともに、互いに無関心になっているご夫婦も多いはず。改めてお互いを知り、その関係を点検すれば、新しい夫婦の形、幸せにたどり着けるかも。そんな夫婦の例を紹介。


詳細情報

番組内容

それぞれの夫婦に、それぞれの形、幸せがあります。超一流ボートレーサーの妻を支える専業主夫の夫。今では自立した男として講演をするまでに!ユニークな夫婦の形を紹介。山田和夫さんは、なくなった妻の意志を引き継ぎ、自分でパンを焼き、路上生活者に寄付しています。きっかけは、妻が山田さんに託した一枚のパンのレシピ。それが、失意にくれる山田さんを再生させました。その他一例、さまざまな夫婦の幸せを見つめます。

出演者

【ゲスト】益子直美,【講師】大阪大学人間科学研究科招聘教授・医師…石蔵文信,【司会】賀来千香子,高市佳明,【語り】大海吾郎




『あしたも晴れ!人生レシピ「幸せのタネは夫婦の中に」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

あしたも晴れ!人生レシピ「幸せのタネは夫婦の中に」
  1. パン
  2. 夫婦
  3. 益子
  4. 邦博
  5. 和子
  6. 本当
  7. レシピ
  8. 和夫
  9. 奥様
  10. タネ


『あしたも晴れ!人生レシピ「幸せのタネは夫婦の中に」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

他にも、無料お試し期間のあるVODサービスが増えてますので、各社のラインナップを調べてみるといいかもしれませんね。

↓NHK関連商品

それぞれの夫婦に それぞれの形があり
それぞれの幸せがあります。

女子バレーボール 元全日本代表選手
益子直美さんと

元プロの自転車ロードレーサー
山本雅道さん夫妻。

益子さんの大病など2度の試練を乗り越え
結婚生活13年目。

お互いの心境は?

時速80キロで競い合うボートレース。

この女性は トップレーサーの…

その夫が こちら日高邦博さん。

何でも こなすスーパー専業主夫。

そんな夫に 妻は?

そして焼き上がった このパン。

実は路上生活者に無償で配られます。

この支援活動をしているのが こちら…

この活動の背景には
山田夫妻の深い絆がありました。

それぞれの夫婦 それぞれの形
幸せのタネは 夫婦の中にあります。

♬~

「あしたも晴れ!人生レシピ」。

今回のテーマは
「幸せのタネは夫婦の中に」です。

夫婦… 夫婦に限らず パートナー同士
その数だけ

さまざまな形が ありますけれども
改めて その関係性 仲を点検すると

未来の生きがいや 更なる幸せが
見つかるよ ということですよね。

はい。 本当に お似合いのご夫婦を
拝見すると

すてきだな 羨ましいなって思いますね。

ゲストは益子直美さんです。
よろしくお願い致します。

益子さんは 2006年に ご結婚されて

ご主人 夫が自転車ロードレーサーの
山本雅道さん。

ひと言で言うと どういう夫婦関係で
いらっしゃいますか?

お互い アスリートというのも
あるんですけど

チームの仲間という感じですかね。

ないところを補い合ってるというような
何か そんな感じです。

益子さん 山本さんご夫妻が
これまでに乗り越えてきたことは

一体どんなものだったのか?

そして そこで見つかった幸せのタネは
何だったのか?

まず そこから ご覧下さい。

結婚13年目 山本雅道さん
益子直美さん夫妻です。

益子さんは 一回り年上の
いわゆる姉さん女房。

その益子さん まだ52歳ですが すでに
人生の最期を見据えて書き記す

「エンディングノート」を残していました。
そこに書かれていたのは…。

夫への切実な願いでした。

このノートに込められた妻の思いとは…。

益子さんは かつて女子バレーボール界を
席けんした エースアタッカーでした。

一方 山本さんは
プロの自転車ロードレーサー。

全日本選手権 アンダー・トゥエンティースリーを
連覇する実力の持ち主でした。

雄大な自然を舞台に繰り広げられる
男たちの熱い闘い!

2人が出会ったのは 2002年。

ロードバイクの競技 ツールド北海道に
出場した山本さんを

益子さんが NHKの番組で リポーター
として取材していた時でした。

伴走車に乗る益子さんに対して…。

プロポーズしたのは 12歳年下の夫
山本さん。

益子さんが 40歳の誕生日の翌日でした。

年の差婚ということで お互いの家族から
多少の反対がありましたが

乗り越えた2人は ゴールイン。

現在 益子さんは
夫が経営する店を手伝いながら

地元の小学生に バレーボールを指導。

未来のアスリートの育成にも
努めています。

そんな夫妻が 13年の結婚生活で
一番つらかったというのが…。

毎日ホルモン剤を飲み 時には自分で
排卵誘発剤の注射も打ったといいます。

しかし 子宮の状態が思わしくなく
治療は難航。

苦しむ妻の姿に 山本さんは
タイムリミットを設けることを提案。

それが益子さんの45歳の誕生日でした。

夫婦2人の時間を思う存分
楽しもうと決めた益子さんは

夫の趣味のロードバイクに親しみ
自転車レースにも出場するなど

充実した時を過ごしていました。

そんな時 益子さんは極度の体調不良を
訴え 病院に駆け込みます。 結果は…。

びっくりしました。 まさか自分が。

あんなスポーツやってて。

一つの壁を乗り越えた夫妻に
新たな試練が襲いかかったのです。

手術を決断した益子さんは
夫に あるものを託します。

それが このノートでした。

3年に及んだ不妊治療。

益子さんの夫への切ない思いが
にじみ出ていました。

そして その下に つづられていたのは…。

益子さんは なぜ年下なら
いいと思ったのでしょうか?

2時間半にわたる手術は成功。

今は不整脈もなく
健康な状態になったといいます。

大変な手術を乗り越えて
2人の絆に変化はあったのでしょうか?

本当に ほほえましい
ご夫妻なんですけど

お互いに協力し合う様子がね
何か すごく出てたんですけれども

ご夫婦が うまくいくためのルール
みたいなのは ありますか?

けんかは しょっちゅうなんですけど

次の日に持ち越さないというのは。
もう引きずらないような。

それは お互いが
そういうふうにしてます。

では専門家も交えて
ここから進めて参ります。

男性更年期 そして夫婦関係の問題に
ついてが ご専門の

医学博士 石蔵文信さんです。
よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

石蔵さんは 夫が定年退職をして家にいる
それが元で妻が体調を崩すという

「夫源病」という言葉を考え出された方
として知られています。

大変失礼な。
いえいえ。

いろんな夫婦の形を これまで
ご覧になってきたということなんですが

どうでしょう? 益子さんたちご夫妻の
夫婦のコミュニケーションのあり方

ご覧になって どう お感じになりました?

やっぱり病気のことなんで
それを共感してね

受容して 受け止めてあげるとですね
つらいことが半分ぐらいになるんですよ。

無視しちゃうと
倍ぐらいに つらさを感じる。

ここが もう非常に大きくて
大概の男性は もう

「そんな俺 医者じゃないから
分かんないよ」って言ってね

「病院に行きなさい」というと それじゃ
全然 受容と共感にならないので

やっぱり受け止めてあげたということが

すごく
良かったんじゃないかなと思います。

そうですね 確かに。
やっぱり一回り違うんで

主人は もう元気だし 体力もあるし

私は もう どんどん衰えて
免疫力も低下して。

たぶん 私の 12歳年上の年齢の体調とか
分からないと思うんですよ。

まだ 主人は老化というものが。

でも何か相談すると すごく やっぱり
親身になって いたわりですかね。

石蔵さん このようにね 問題を克服した
解決した夫婦の強みというのは

どういうとこに ありますか?

はい。 大変失礼なんですけど
夫婦の愛というのは

結婚後3年から5年で大体 冷める。
なんてことを!

医学的には そうなんですよ。
医学的に そうなんですか?

ホルモンとか そういうのが
ちょっと減ってくるんですね。

情熱的なホルモンが。 だから そこで
子どもができたりすると

子育てという共同作業が また強みを生む。

今度の場合は 子どもさんが
いらっしゃらなかったんで

今度は病気という 克服したことが
2人の共同作業になってきたんですよ。

だから どうしても こう 愛情 愛情
というんですけど

夫婦って長いことやると
愛情よりも同士的なものとか

そういう仲間的な絆ですね。
そっちの方に移った方が結構もって

愛を語るよりは そっちの方が
いいような気がします。

じゃあ チームでいいんですね?
そうだ。 最初に おっしゃってた。

最初に おっしゃった まさに。
いいじゃないですか。

まさに そうですよね。

では続いてのご夫婦なんですが
今度はですね

妻が働き 夫が家庭を支えているという
ご夫婦が見つけた愛のタネです。

岡山県・児島ボートレース場。

全国から女性ボートレーサーが集い
6日間 行われた この大会で

5日間 勝ち続けたのが日高逸子選手。

日高選手は これまで…

57歳にして全国各地を転戦する
超一流レーサーです。

そして夜9時 自宅のある福岡へ。
1週間ぶりの我が家です。

出迎えたのは夫の邦博さん。

全国24か所あるボートレース場を
転戦する日高選手。

その送迎をするのは夫の役目。

しばらくぶりに帰ってくる家。
楽しみといえば…。

夫・邦博さんの手料理。

実は邦博さん 専業主夫なのです。

ボートレーサーにとって体調管理は重要。

特に スピードに結びつく体重調整は
気を遣うといいます。

結婚23年目。
ボートレーサーと専業主夫。

2人が出会ったのは
都内の旅行専門学校。

共に ツアーコンダクターを
目指していました。

当時 邦博さんは片思い。

6回も告白しますが
恋は実りませんでした。

卒業後 邦博さんは旅行会社へ就職。

ツアーコンダクターとして活躍します。

日高選手も旅行会社へ就職しますが

希望のツアーコンダクターでは
なかったため

別の仕事を探していました。

そんな時 テレビで見たCMが…。

「ボートに乗れば 1, 000万円」というもの。

実は幼少の頃 両親が離婚。

祖父母の家に 兄と預けられた日高選手。

小学生の頃から新聞配達をするなど
お金に苦労して育ってきたのです。

豊かになりたいと飛び込んだ
ボートレースの世界。

日高さんは人の倍 練習を重ね
僅か数年でトップレーサー。

27歳の時の年収は
およそ2, 700万円でした。

彼女の活躍を常に気に留めていた
邦博さんは

時々 彼女と連絡を取っていました。

そして 1996年の冬
2人は福岡で会うことになりました。

7回目のアタックは成功し めでたく結婚。

しかし妻はトップレーサー。
2人は3つの約束をしました。

その一つ。

2つ目は ファンに親しまれた…

3つ目は…

人に預けず 2人で育てたいという
強い思いがありました。

そして1年後の春 長女が生まれます。

日高選手は約束どおり…

育児は そのころ会社が倒産した
邦博さんが担います。

しかし 周りには頼れる人はおらず
助けを求めることはできません。

私が申し込んだんですけど…

レースで全国を転戦する日高さんは
出席したくても日程が合いません。

邦博さんに任せることにしました。

さらに包丁すら持ったことがない
邦博さんは離乳食を作るのも大変でした。

しかも子どもの成長を見られない
日高選手のために

邦博さんは一目で分かる
育児レポートを作りました。

そこには就寝時間や日々変化する
我が子の様子が

事細かに記載されていました。

さらに…

邦博さんは 保育園の送り迎え

小学校 中学校 高校 15年間
娘2人の弁当を作り

保護者会の会長を
務めるなどしてきました。

また家事 育児だけでなく
家計管理を毎日 行います。

さらに日高選手のスケジュール管理など
まさに主夫 アンド マネージャー。

もしもし すいません。
宿泊の予約をお願いしたいんですが。

そして この日 邦博さんが向かったのは
町内会の会議が行われている公民館。

邦博さんは 地域の班会にも
まめに顔を出し

近所とのつきあいも大切にしてきました。

この日は町内会の役員を
決めることになっていました。

邦博さんの主夫ぶりは 地域の方にも
頼もしく映っているようです。

そして この日の会議で 邦博さん
町内会の副会長に選ばれました。

妻に代わり 家庭を守る邦博さん。

その活躍が うわさで広がり
次々と講演会の話が飛び込んできました。

日高さんと結婚したことが 会社勤めで
得られる生きがいや成功とは違う

かけがえのない経験を
もたらしてくれたのです。

いい関係ですね お二人のね。

育メンとかね 家事ダンという言葉も
あるんですけれども

もっと前の時代に
こういう選択をしたって

すごいですよね。
すごいですよね。

まず優先順位を
何にするかですよね。

多くの男の方は
仕事を優先順位にするんですけど

よく考えたら
仕事は何のためかといったら

家族を養ったりするためなんで

本当は家族を養うというのが
一番 優先順位が高い。

でも ここに働いてる女性がおられて

そしたら今度は 男性はプライドとか
メンツを気にするんですよ。

やっぱり妻よりは給料
高くなかったらいけないとか

もう そのプライドを捨てるのが
ものすごく大変で。

この方は これを捨てられて
やられたんが立派ですよね。

今 リタイア後の男性が何もできない。
家のことを何も知らない。

生活能力がないという問題が
多々言われますが それの対策というか

ヒントが いろいろ邦博さんの中に
ありそうですね。

邦博さんを見習うのは
ちょっと つらいので

もうちょっと レベルを下げて頂いて
まず自活なんですけど

まず一番大事なのが料理。
自分の口に入るものを自分で作る。

我々も しょっちゅう
男の料理教室というのを主催して

しょっちゅう 60以上の
包丁 握ったことのない方に

1人で全部やって頂くという講座を
やってます。

例えば すき焼きのたれを使って
肉じゃがを作るとか

あんまり複雑な シェフが来られて
いろんなことというよりも

簡単 簡単で やられた方が
いいと思いますね。

そうしますと今の日高さんご夫妻のように
夫婦同士の役割分担を見つめ直す中で

将来 夫の自立 自活のタネが
あるかもしれませんね。

そうですね。 例えば うちの家でも
「手伝います」というのは禁句なんです。

手伝うというのは
無責任なイメージなんで。

だから風呂を洗うんだったら
ずっと洗って下さい。

ゴミを出すなら あなたの役目。

だから あなたがゴミを出さなかったら
ゴミは家にありますと。

だから かなり責任感を持たす
ということですね。

手伝うんじゃない。 担うんだと。
担うんだ。

それが ポイントやと思います。

続いてはですね 妻から
あるものを受け継いだことで

失意から立ち上がった男性の例です。

毎週水曜 夜9時30分。

池袋の公園に「てのはし」という
ボランティアグループが集まります。

確認しているのは ビニール袋。

中には 小分けにされたパンが
入っています。

そのパンの入った袋を手に
彼らが向かったのは

駅周辺で暮らす路上生活者。

このボランティアグループは
炊き出しや生活支援を行い

路上生活者の社会復帰を目指しています。

その一役を担うのが このパンなのです。

豊島区要町。 路地裏にある この住宅で
そのパンが作られていました。

作業している人の中には 元路上生活者や
今も路上で暮らしている方もいます。

この手作りパンの支援。
始めたのが山田和子さん。

今から 13年前のことでした。

妻・和子さんは 子育てが終わった頃

当時では珍しかった天然酵母と
国産小麦を使ったパンを自宅で焼き

知人たちと「こんがりパンや」という
パン屋を始めました。

玄関に陳列棚を設けた
ユニークなパン屋さん。

その味は評判となり 雑誌やテレビなどで
取り上げられるまでになりました。

そんなある日 近所の会合で

ボランティアグループ
「てのはし」を知りました。

この活動を大切したいと思った和子さん。

「てのはし」が来る毎週水曜日は
和子さんにとって特別な日でした。

しかし 支援活動を始めて3か月たった
2009年1月

和子さんは体調不良を
カレンダーに記します。

そして2か月後 検診を受けた和子さんは
がんに侵されていることを知りました。

和子さんは すがるような思いで
民間療法を受けます。

しかし その間もパン屋を
閉めることはありませんでした。

その後 痛みが ひどくなり
緩和ケア病院に入院。

パン屋は仲間に委ねました。

他の患者が次々に亡くなっていく中

それに耐えきれず
和子さんは自宅へ戻ってきます。

その時は体力もなく
パンを焼く音ですら体に響きました。

パン屋は休業 そして支援も終わります。

ところが8月のある日 和子さんが突然

「パンを焼いてくれない?」と
言いだしたのです。

しかも水曜日だけ。

病床で和子さんが 和夫さんに託したのが
この1枚のレシピ。

パンを焼いたことがない和夫さんに
分かるよう 量や焼き方は もちろん

伝えづらいところは
イラストまで描かれていました。

そして8月の終わり がんが発覚して
僅か5か月

和子さんは 和夫さんが付き添う中
旅立ちました。

まだ57歳でした。

法事などが終わると 和夫さん
何もすることがない自分に気付きます。

会社は前の年に退職。

1人で過ごす家には電話も鳴らず
誰も訪ねてきません。

失意の中 誰もいない家で暮らす和夫さん。

毎日 パンが並んでいた棚や
大きなオーブンを見ては

元気だった和子さんの姿を
思い浮かべたといいます。

そして忘れていた 和子さんが残した
1枚のレシピを思い出したのです。

イーストパン。

小麦粉みなみ 1, 000グラム。

洗双糖 40グラム。

真塩 20グラム。

和子さんが去って5か月 和夫さんは
台所に立ち パンを作り始めました。

前を向いた和夫さん
和子さんの遺志を受け継ぎ

毎週水曜日に
パンを焼くことにしたのです。

こうして始めた和夫さんのもとへ

「てのはし」から元路上生活者が
手伝いに やって来ました。

この支援が始まって10年。

その材料費は週2日
スーパーで アルバイトをし

和夫さんが賄っています。

再開した このパン屋 和夫さんは

「池袋あさやけベーカリー」と
名付けました。

さらに月に2回 水曜日の夕方。

山田さんの自宅が ひときわ
にぎやかになります。

さまざまな事情を抱えた子どもたちが
一緒にごはんを食べる 子ども食堂。

1食 子どもは100円 大人は300円。

この支援も 亡くなった和子さんの
縁から始まりました。

和子さんのパン教室に来ていた
生徒から支援を求められたのです。

しかも和子さんの知人も
参加しているのです。

和子さんが亡くなって10年

和夫さんの家に 和子さんがいた頃の
にぎやかさが戻ってきました。

この新しい生活のきっかけを作った
1枚のレシピとは…。

山田夫妻のパン屋さんと子ども食堂
今も笑顔で営業中です。

このお話は ちょっと… ねえ 本当に
奥様が残されたものが 本当ね

まさに人生レシピで
ご主人の生きる糧だったり

つながりだったり ご縁だったりね。

材料費を週に2回のアルバイトで稼いでる
という紹介がありましたが

そのアルバイト先のスーパーも生前

和子さんが お店のマネージャーさんと
懇意にしていたことから

働くことができるようになったという。
人間関係や地縁もね

奥様が もともと
作っておいて下さったものを

和夫さんが引き継ぐことができたという。

大体の男性というのは 会社人間なんで

仕事の話なら コミュニケーションを
とれるんですけど 地域では奥様の方が

よっぽど コミュニケーションがとれて
ぽつんと孤立しちゃう。

特に奥様が亡くなられたり
1人の方だったら

65歳以上の独身男性って2週間に1回
ぐらいしか しゃべらない方が

1割…も いらっしゃるんですよね。

それぐらい孤立 孤独というのは
大きな社会問題になってきてます。

それが奥様のコミュニケーション能力を
利用して こういうふうに

社会と つながっていくって
本当すばらしいなと思います。

益子さんは ご自分が そのお立場だったら
いかがですか?

そうですね… やっぱり主人は
まだ若いので

私は今 住んでいる町の地域の町内会の
班長とかやって ご近所の皆さんと

よく井戸端会議をしたり
しょっちゅうしてるんですけど

主人は やっぱり つながりが
全然ないんですよね。

だから元気なうちに やっぱり
社会とのつながりとかも

少なからず作っておいた方が
やっぱり老後とかも楽しめるし

私も安心だなというのを
すごく感じました。

今おっしゃったことって
きっと逆も成り立つんですよね。

お互いの何か持っている関係を
共有しておくということが

大事になっていくのかなという気が
しました。                 そうですね。

ただ一般には 女性は夫のことを
よく知ってるんですけど

夫は奥様のことを あんまり知らないし

女性は
コミュニケーション能力が高いので

夫抜きの いろんなコミュニティーに
参加されてるんですよ。

だから このように やはり現役の時から
できれば生きておられる時から

奥様のコミュニティーに
もっと入っていけば

ちょっと しんどかった何か月間は
なかって

すっと入っていけたかなと思うので

お互いのことを知るということは
すごく大事。

特に男性は女性に
あんまり興味を持たない。

髪の毛を変えても分かんない。
爪を染めても分かんない。

だから何をしてるか分かんない。

そういう まず奥様に興味を持つという
ことが すごく大事かなと思いますね。

同士であり。
同士であり。              興味も持つと。

益子さん エンディングノートの情報を
更新するのに

何か今日 役に立ちそうですかね?
本当です。

ミッションをね 主人にも。
ミッション!

生きがいを残してあげたいというのも
あるんですけど

それよりも元気なうちに
2人で生きがいを見つけて

2人で楽しめることを
コミュニケーションが増えるようなことを

どんどん やっていきたいなというのを

今日 ご夫婦2組 見せて頂いて
感じましたね。

今日は どうもありがとうございました。
ありがとうございました。

♬~

「人生の思い出レシピ」のコーナーです。
今回の思い出レシピは こちらです。

お~ 焼き菓子か揚げ菓子だと
思われますが

ちょっと ひねってますね。
甘いのかな? どうなんだろう。

視聴者の方からお寄せ頂いた投稿をもとに
イラストで再現したものです。

では一体どんなストーリーがあるのか
賀来さんの方から ご紹介お願いします。

山梨市の村松みち子さん
76歳の方からのお便りです。

「私の思い出のレシピは
ねじり棒菓子です。

農家で育った私が小学生の頃
忙しい母に代わり

父がよく作ってくれた おやつが
ありました。 それが ねじり棒菓子。

小麦粉に ヤギのミルクと卵と お砂糖を
加えて ねじって油で揚げます。

すると甘い香りが家中に広がりました。

雨の日には友達を呼んで
父と一緒に作りました。

たくさん作った思い出のレシピです」。

お父様の手作り。
ねえ そうなんですね。

ヤギのミルクを使ったお菓子ですって。
甘いんですね。

お友達も喜んだんじゃないでしょうか。
ですよね。

ご投稿ありがとうございました。
ありがとうございました。

今日は夫婦の中に幸せのタネがある
という話でした。

ねえ。 三者三様というか
本当に ご夫婦の数だけ

いろんな形があって。
考えさせられました。 ねえ 本当にね。

同士であるという。
そうそうそう あと感謝。

医学的には愛情は3年から5年で
なくなるという驚がくの事実を

サラッと教わりましたので
それを念頭に置いて。

同士になるべく
ちょっと日々 精進しようかと。  本当に。

幸せのタネ 見つけていこうかと思います。

♬~


関連記事