いだてんが駆け抜けた時代 大河ドラマ「いだてん」のスタートを前に主人公の二人を徹底分析! 中村勘九郎、千鳥、為末大


出典:『いだてんが駆け抜けた時代 大河ドラマ「いだてん」のスタートを前に主人公の二人を徹底分析!』の番組情報(EPGから引用)


いだてんが駆け抜けた時代[解][字]


大河ドラマ「いだてん」のスタートを前に主人公の二人を徹底分析!日本初のランニングシューズを開発!?聖火リレーに込めた思いとは?【出演】中村勘九郎 千鳥 為末大


詳細情報

番組内容

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」のスタートを前に、主人公の二人がどんな人物なのかに迫る歴史バラエティー▽初めてオリンピックでマラソンに出場した男・金栗四三が開発したランニングシューズを大公開!▽感動秘話!オリンピックを呼んだ男・田畑政治が聖火リレーへ込めた思い▽千鳥・ノブが歴史番組の司会に挑戦!▽千鳥・大悟のモノマネに中村勘九郎が爆笑?激怒?▽為末大が100年前の五輪を徹底解説!

出演者

【出演】中村勘九郎,為末大,佐藤栞里,【司会】千鳥,和久田麻由子,【語り】新井秀和




『いだてんが駆け抜けた時代 大河ドラマ「いだてん」のスタートを前に主人公の二人を徹底分析!』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

いだてんが駆け抜けた時代 大河ドラマ「いだてん」のスタートを前に主人公
  1. 金栗
  2. オリンピック
  3. 日本
  4. 足袋
  5. 田畑
  6. 何か
  7. スポーツ
  8. マラソン
  9. 時代
  10. ドラマ


『いだてんが駆け抜けた時代 大河ドラマ「いだてん」のスタートを前に主人公の二人を徹底分析!』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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新国立競技場が
急ピッチで建設されています。

その競技場がある
明治神宮外苑から

日本人とオリンピック
知られざる物語を紹介します。

明治記念館でございます。 どうぞ どうぞ。

今年の「大河ドラマ」は
オリンピックがテーマの「いだてん」。

ばっ そぎゃんね!

主人公は2人。

日本で初めてオリンピックに出場した

マラソンランナー
金栗四三と…。

何やってんだよ~。

日本にオリンピックを
呼んだ男 田畑政治。

脚本は宮藤官九郎。

豪華出演陣が物語を盛り上げます。

それならば 話が早い。

♬「一目で よかばってん」

オリンピックと日本。

そこには 知られざる苦難と
挑戦の物語がありました。

マラソンランナーの金栗四三は 107年前
初めてオリンピックに出場します。

しかし 当時の日本は
スポーツが ほとんど知られておらず

ランニングシューズすら
ありませんでした。

え~?
うわ~!

1964年 田畑政治は 東京オリンピックを
執念で実現させます。

田畑は 開会式に

日本人 そして世界に向けて
あるメッセージを込めていました。

100年前
スポーツと初めて出会った日本人が

スポーツに熱狂し ついには

オリンピックを開催するまでの
感動の物語。

(2人)明けまして
おめでとうございます。

さあ いよいよ 今年の大河ドラマ
「いだてん」の放送が始まります。

はい。 この番組では
「いだてん」が描く時代背景と

日本人とオリンピック
その数奇な運命をご紹介していきます。

ということで 主演の中村勘九郎さんに
お越し頂いています。

ありがとうございます!
よろしくお願いいたします。

勘九郎さん もう絶賛撮影中ですよね?
もう絶賛撮影中です。

また この 「大河ドラマ」初主演というのは
やっぱ 気合い入りますか?

そうですね。 けれども
金栗さんというのは… 何だろう

今 一般の方々は
多分 まだ知られてない人なので

それを みんなで盛り上げていく
っていう感じなんで

そんなプレッシャーとかっていうのは
あんま感じてないです。        へえ~!

今日は いろんな話をお願いします。
よろしくお願いします。

さあ そして スポーツ大好き
佐藤栞里ちゃんでございます。

お願いします。
よろしくお願いします。

さあ そして 為末 大さんでございます。
お願いします。

お願いします。
さあ 以上のメンバーで…。

お~い!
あらあら… あら?

大悟 大悟! おいおい。
すいません。

コメディーがすぎます。
(笑い声)

大悟 おるよ~。

さあ 今年の「大河ドラマ」 まず
勘九郎さんが演じている金栗四三です。

金栗という人物
ひと言で言うと どんな人なんですか?

(勘九郎)ひと言で言うと
もう とにかく一途というか

走ること マラソンに対して…

マラソンバカというか とにかく もう
それしか見えないっていう人ですね。

金栗さんは 何か ちょっと以前
クイズ番組のVTRで

ちょっと見かけたことが
あったんですけど…。   そうですか!

すごい走ってたかもな
っていうぐらいの…。

走ってた… でしょうね その時代。
ざっくりとしてるね 情報が。

アスリートの世界では もう有名?

いや これがね
あんまり アスリートの世界でも

有名じゃないまでは いかないんですけど。
そうなんですか!

今回で 多分 知った人いるんじゃないかと
思います。

アスリートの中でも…。
スポーツで歴史に名前を残すって

金メダル取るか ファウンダーになる…
最初にやった人になるかって

この2つなんですよ。
はあ~ 走るスポーツの創始者?

そうですね。 マラソンの
特に駅伝マラソンの創始者です。

へえ~ すごいな~。

皆さん 実は この部屋の中に

金栗を語る上で欠かせない
あるモノがあるんですが…。

何 何?   分かりますか?

何だろう? オレンジジュースが
好きだったとか…。
あ~!

勘九郎さんは もうお分かりですか?
いや 分からないですね。

分からない? ハハハハ…。

さあ それは 正解はですね… 大悟さん!
はい。

靴を脱いでみて下さい。

実はですね…。
皆さんね ちょっと

気付いてなかったのかも
しれないですけど…。

ほとんど見えて…。
タッタラ~。

金栗さんはね
このラバーソールで走って…。

違う違う違う!
そっちじゃない そっちじゃない。

ラバーソールじゃないです はい。
こちらです!

足袋! 大悟
ずっと足袋を履いてたんよね 今日。

足袋をね もう来てすぐ。 これが
すごく大事やったんでしょうね

「まず 足袋を履いてみて下さい」。

入りの30秒後ですよ。
まだ 荷物も置いてない状態で

「足袋をとりあえず」。
足袋を とりあえず足袋を。

相当 金栗さんにとって
この足袋というのはね

重要なもんなんでしょうね。

要は シューズがまだない時代で

そんなに… 何ていうんですか
グローバルに

シューズメーカーみたいなもの
なかったんで

まあ 西洋は
もうシューズが始まってるんです。

さっきの映像は
まだ はだしでしたもんね。

そうか そうか 勘九郎さんね。

このちょっと前か 同じぐらいですかね。
そうですね。 はだしか わらじか 草履。

はだしか わらじか 草履の時代に
マラソンを始めたってこと?

走れるものなんですかね? この足袋って。

これが ただの足袋じゃない。
いろんな秘密がある…。 そうなんですね。

日本のマラソンの歴史
そして オリンピックへの歩みは

足袋から始まったんです。
すごい。

この体勢は いつまでやれば?
もうOKです。 もういいです。

プルプルして…。

大河ドラマ「いだてん」の放送を
目前に控え

金栗旋風吹き荒れる

故郷の熊本県を
訪ねました。

地元の愛が詰まった
かかしも元気に走ります。

田舎は かかし作るから。

金栗の通っていた小学校に
やって来ると…。

子どもたちは 朝から
走って走って 走りまくっています!

盛り上がるでしょうね。
盛り上がるよ~ 絶対。

おっ!

1891年 明治中期の日本は
近代化したばかり。

そんな時代に金栗は
8人きょうだいの

7人目として
生まれました。

子どもの頃は体が弱く
泣き虫だったといいます。

そんな金栗が 一体 どうして
マラソンランナーへと成長していくのか。

その秘密を 子どもたちは
学校の道徳授業で学んでいました。

金栗は 毎日 往復12kmの山道を

走って登下校するのが
嫌で嫌で たまりませんでした。

くじけそうになる金栗を
支えたのは

病気の父に代わって家族を支えた
兄の声でした。

なぜだと思いますか?
(児童たち)はい!

おっ たくさん手が挙がった。

金栗の諦めない気持ち。

子どもたちは歌詞を作り 歌にしました。

♬~

1910年 金栗は上京し
東京高等師範学校へ入学します。

この時 金栗は まだ
マラソンランナーになるとは

夢にも思っていませんでした。

しかし 運命が一変します。

金栗をマラソンランナーへと導く
恩師と出会ったのです。

校長の嘉納治五郎です。

嘉納は講道館柔道の創始者。

日本の体育の父ともいわれ
日本に スポーツを広めた人物です。

当時 体育の授業は
兵士育成の役割が強く

軍事訓練の要素が
取り入れられていました。

しかし 嘉納は スポーツは
心身を鍛えるのに最適だと考え

教育に取り入れ
毎年 長距離大会を行っていました。

新入生の金栗は 上級生を抑えて
3位に入る大活躍を見せます。

嘉納は 長距離ランナーとしての
金栗の才能に ほれ込みます。

実は 嘉納には ある夢がありました。

それは
オリンピックに日本人が出場すること。

当時 オリンピックは まだ

西洋の国々しか
参加をしていませんでした。

その中に アジアの代表として
日本が出場すれば

国内でも スポーツが
一気に注目されるに違いない。

目指すは 2年後に迫った

第5回
ストックホルム大会でした。

オリンピック出場を懸けた
国内予選会が開催されました。

金栗は マラソン競技に出場。

足袋を履いて挑みます。

2時間32分45秒の好タイムで 見事 優勝。

嘉納は金栗に 日本人初の
オリンピック出場の夢を託します。

しかし 金栗は困惑します。

もし結果を残せなければ
国の恥。

負けることは許されない
時代だったのです。

そんな金栗の背中を押したのは
嘉納の ある言葉でした。

最初なので
うまくいかないかもしれないけれども

しかし 最初に その道を開いていく
っていうことが大事なんだ。

そういうことを言って
金栗を説得するわけですね。

嘉納治五郎は優勝して帰ってこいとは
言ってないんですね。

しかし 一つ 大きな問題がありました。
足袋です。

実は 予選会の時
金栗の足袋の底が破れたため

途中から はだしで
走らざるをえなかったのです。

なんとか マラソンに耐えられる
足袋が欲しいと

金栗は顔見知りの足袋職人に相談。

その協力で 足袋の底を補強し

ついに 日本初の
マラソン用の足袋が誕生しました。

すげえな 本物?

これが金栗四三さんが着用されていた
足袋になります。

この足袋の特徴として
一番工夫されてるのはですね

足袋底がですね 実は
厚めの布が3枚はってあって

当時は
舗装された道路とは限らないので

厚手の布を重ねて
はっているんだと思います。

ボロボロの状態。
練習の熱心さを物語っています。

実は この厚手の布 意外なものを
利用していたかもしれないといいます。

この足袋のレプリカを
うちの町の方で作ろうとした時に

専門の業者に「近い布は何ですか?」と
聞いた時にですね

実は 柔道着の布が近いんじゃないか
という お話は聞いたことがあります。

金栗四三さんの恩師であられるのが
嘉納治五郎校長であるので

そういったところからのお知恵が
あったのかなと

勝手に想像は致しました。

はあ~ すごいお話ですね~。

今日はですね 熊本から
マラソン足袋を持ってきて頂きました。

そうなんです。
こちら 精巧なレプリカなんですが

よくご覧下さい。 これ…

一緒なんですよ 僕も。
え~!

すごい 運命!
すごい運命!

25半なんです。  そうなんすか。
はい。

あ~ すごい。 ここなんですね。

結構 穴 開いちゃってる。
すごいですね。

いいとこ減ってますね。 内側。
そうですか。 それは どう 例えば…?

(為末)母指球っていって
親指の付け根っていうんですかね

そこで最後 キックするんですけど
それが減ってるんですけど…。

こっちの方が
減りが あれなのかな?

この左右差は
走り癖とかなんですか?

(為末)だから 右足の方が
若干 蹴り足っていうか

この最後に 親指の付け根で
グッと踏んで 左が…。

多分 右のかかとで 入って…。

映像見ると 左足だけ 金栗さん
ちょっと がに股になって…。

へえ~!
じゃあ 右でキックしてた…。

そうですね。 すごい。

もう それ すり減り具合を見て
分かるっていうのは すごいですね。

現代のシューズと比べて
どうなんでしょう?

やっぱ 2つ やることがあって。

衝撃吸収と あと摩擦なんですよ
大事な点は。

摩擦がないと滑るんで
その分 スピードが出ないんですよ。

多分 相当 これ
石畳 滑ったろうなっていう…。

へえ~ そうか…。

布で… 雨とか降ってたら もう
ツルツルだったんじゃないかっていう…。

重うなるでしょうしね 雨やったら。
あ~ そうですね。

そんな中で 金栗は
嘉納から説得されて

オリンピックに ついに
挑むことになるんですよね。

すごいですよね!
これ 栞里ちゃん 大変なことでしょ?

走ってみて 君 足速いから
もうオリンピック出ろってね。

絶対 最初は
「無理です」ってなっちゃいますね。

しかも 相談をしたくても
相談できる人もいないですよね。

誰も知らないから
そのオリンピックっていうものを。

専門的に教えてもらうわけでもないし。

だから 難しいと思いますね。
大変なことになりましたね!

さあ ここでですね 金栗さんが
いかに大変だったかを

皆さんに もっと知ってもらいたい
ということで

こちらのコーナーにまいりましょう。

「大悟のクセがすごい偉人伝」!
(拍手)

日本に マラソン経験者がいないから
当然 正しい練習法も分からない。

金栗は苦悩していました。

あ~ 息が苦しい…
何か楽になる方法はないか…。

勘九郎さんを前に よく そんな
大根演技ができるな。 申し訳ないです。

よし 何か気を紛らわす方法… そうだ!

歌だ! 歌を歌えば
気が紛れるかもしれん。
なるほど。

そうだ みんな 子どもの頃の歌
あれを歌おう。

「さっちゃん」だ 「さっちゃん」を歌おう。
あ~ あれね。

♬「さっちゃんはね」
(変わったリズムで)♬「さっちゃんはね」

クセがすごい~!
金栗さんも クセすごい~。

♬「さっちゃんはね」
こんなんは いいんです。

さあ そして 金栗さんは
マラソンに適した呼吸法はないか

必死に模索します。
ハア… 何か いい呼吸法はないか…。

ハアハア ハアハア…。
何か呼吸法は…。

うう~ しんどい!
そら そうやろ。

吐いてばっかりやから しんどいやろ。
肺が ちっちゃくなる。

吸えよ。 何か ないか…。
スッスッ ハッハッ…。

スッスッ ハッハッ…
スッスッ ハッハッ…。
おっ 楽になった。

「歌のクセがすごい」は関係ないんです。

あれは 関係ないけども いろいろ考えて
呼吸法を編み出したという。

これ あれじゃないですか?
学校のマラソン大会で教えてもらった…。

スッスッ ハッハッ…。
わしらもやってた 子どもの頃。

これ 金栗さんだったんすか?
う~ん だから

全く教科書がなかったんじゃないかと…。

手 どうすればいいかとか
足 どうすればいい…。

え~!? そんなところから?

多分 いろんなパターンをやっていく中で
これがいいんじゃないかっていうのを

編み出していったんじゃないかと
思うんです。

もうほとんど独学で…。
独学ですね。 全部 やってったって感じで。

すごい時代で
すごい記録 出してたんですね。

そして いよいよ 金栗 日本人として
初めて オリンピックに出場するため

旅立つことになります。 もちろん…

初めて尽くしの日々が これから待ってる。
大変だ。

実は 金栗は マラソンの競技の前に

ストックホルムで
あるモノを集めていたそうなんです。

この部屋の中にあるんですけど…。
また これ…。

さあ 分かりますか?

集めるものですか?
集めたんです。

それは 何か 気持ちが落ち着くとか
そういう意味があるんですかね?

あっ!
あっ 分かりましたか?

やっぱり あれじゃないですかね 多分。

ちょっと…。
多分 この…

お花じゃないですかね?
はあ~ 花!

さあ どうでしょうか? ご覧下さい。

金栗の遺品の中に
非常に珍しいものがあります。

開けたことない?

あっ! 押し花…。

なぜ金栗は レース直前に 異国の地で
押し花をしていたのでしょうか?

そこには 国の威信を背負い
オリンピックに出場した

複雑な思いがありました。

1912年 金栗は 船と列車を乗り継ぎ
ストックホルムに向かいました。

貴重な資料が残されています。

オリンピック遠征日記。

非常に細かい字で書かれており

金栗の きちょうめんな性格が
伝わってきます。

へえ~ 真面目なんだな。

初めて見る外国の景色
その感動をとどめようと

イラストや地図で
詳細に記録しています。

見るもの全てが驚きでした。

6月2日。 17日間かけて
ようやく ストックホルムに到着します。

長距離移動の疲れ
日本とは全く違う異国の世界。

白夜を初めて体験し 眠れず
コンディションは最悪でした。

マラソンコーチもおらず
見知らぬ異国で一人 練習する日々。

1か月後
オリンピックの開会式を迎えます。

初めて見る
巨大なスタジアムと大観衆。

各国の選手団
2, 000人以上が参加する中

日本からは団長の嘉納と
選手は僅かに2人。

想像を超えた迫力と緊張に 金栗は

「生きた心地なし」と圧倒されました。

絶対 緊張しちゃうよ。

長年 金栗を研究してきた
学芸員の村上さんは

そのプレッシャーをこう推測します。

レースが だんだん近づいてくる
不安 そういうものを

誰にも
相談できないまま 一人で抱えて…

その責任を果たさなきゃいけない
っていう気持ちが

すごく大きかったんだと思います。

そんな中 金栗がとった行動が
押し花でした。

金栗は 一体 何のために
押し花をしたのでしょうか?

手がかりは 押し花の横に書かれた…

スウェーデン大使館に
問い合わせてみました。 すると…。

僅かに つづりは違うものの

大通りの名前と判明したのです。

そこは オリンピックのスタジアムから
程近い場所でした。

金栗は マラソンの練習途中で
花を摘んでいたのです。

かわいいね。

金栗が摘んだのは
一体 どんな花だったのか?

東京大学の植物学者に
調査を依頼しました。

100年前の花の種類
果たして分かるのでしょうか?

ペッチャンコになって
中がよく見えないと

何だか迷いますけど 結構
大事なところが残ってるので…。

裏から光を当て 潰れた花の中までも
浮かび上がらせます。

すると興味深い事実が判明しました。

菜の花の仲間など 押し花の多くが

金栗の故郷 熊本の町なかや里山でも

よく見かける植物だったのです。

町なかの路傍で咲いてたり

あるいは ちょっと近郊に行った時に
ちょっと里山的なところで

咲いてるような花を
メインに選んでる感じがしますね。

中でも 金栗が好きだったのは
オオイヌノフグリの仲間だといいます。

これは もしかすると
すごく大事に思って

押し花にしたんじゃないかな
っていう感じがします。

風景って結構 人間のメンタリティーに
影響あると思うんですけど

生えてる植物が…

金栗の日記にも
それを裏付ける言葉がありました。

ついに迎えたオリンピック
マラソン競技の当日。

出場選手68人が
一斉にスタートを切りました。

果たして…

手がかりがあります。

オリンピックで着たユニフォームが
残されています。

ゼッケン番号は 822。

さあ 皆さん 金栗がどこにいるのか
探してみて下さい。

分かりましたか?
もう一度 見てみましょう。

いました。 822番のゼッケン。

なんと 後ろから5番目。
金栗は出遅れてしまったのです。

実は スタートした時に
何が起きたのか

50年後 金栗が語った

貴重なインタビューが残されています。

あの時のことを
鮮明に記憶していました。

金栗は 必死に走り続けます。

しかし 折り返しを過ぎた辺りで

コンディションを崩して
コースを外れ

行方不明になってしまいます。

見つかったのは なんと翌日でした。

初めてのオリンピックで
惨敗に終わった金栗。

その時の心境を日記に記しています。

金栗は再起を誓ったのです。

いや~ あの押し花が だから
心のよりどころだった…。

やっぱり 不安…
本当に不安だったんでしょうね。

プレッシャーと…。

建物の造り 人 もう全部
異次元で違う世界だから。

でも 押し花をチョイスする
っていうのが

本当 かわいらしい方だな
っていうのは思います。

しかも 故郷のお花を
自然にとっちゃう辺りが

何か ちょっと切ないなって
思いました。

今でさえ 人々の期待を背負って
オリンピックに出るって

相当なプレッシャーだと思うんですけど。
きついでしょうね やっぱり。

まあ だから 実質 自分の成果が

外国人の
日本の評価を決めるっていうふうに

思い込んじゃってたとこも
あると思いますし

あとは ウォーミングアップとか
オリンピックでしますよね。

競技場に入る時に
大体 コーチと一緒に行って

最後 背中をトンと押してもらって
入るんですけど…。

僕も コーチがいなかったんですけど
その瞬間に一番

何か孤独を感じて…。
えっ いなかったんですか?

僕も いなかったんですけど。
あ~ そうなんですか。

でも あの瞬間だけ 「何で 俺は
コーチをつけなかったんだろう」って

いつも思ってたんで。

やっぱ 相当きつかったと思いますね。

しんどいな~…。

でも すごいのが…
今 見ていた あのスタジアムで

そこで 全部 撮ったんですよ。
え~!

(勘九郎)もう これは ちょっと僕

本当に
初めてスタジアムに入った時の興奮

それで マラソンコースの
あの 出るカーブのところも

映像で撮ったんですけれども

何だろう 何か不思議な感覚になりました。

そうですよね。
あの… 何だろうな…

もちろん 金栗さんの気持ちには…

当時の気持ちには
なれないんですけれども

ちょっと降りてくるような…。
うわ~!

こう 上を見た時の
スタジアムの感じっていうのは

当時のまんまなわけですから

この景色を見ながら出たんだ
っていうのは

これは ぜいたくな経験を
させてもらいましたね。

へえ~ すごいな~。

ただ 金栗 オリンピックでは
結果を残せませんでした。

っていう感じになってましたね。
でも それでも再起を誓って

日記の中で「笑はば笑へ」と。
言ってましたね。

「笑うなら笑え」と書いてましたけど…。

相当 多分 プレッシャーとかもあって
つらかった時に

結構 前向きな言葉も 翌日に言ってる

その精神力が
すばらしいなっていうのを

感じますよね。
そういうことですよね。

あと 人のせいにしないのが すごい。

わし 絶対 これで負けたら

絶対 お前らが無理やり連れてくるからや
って言うてるもん。

勝てるわけない こんなもんって…。
…ってなるけどね。

でも その成績以上の価値が
あったんですよね。

そうですね。 全然よく分からない中で

一人 外国で走るマラソンっていうのは
こういうもんだって体験した人が

日本に帰ってきたってことは
そのあと 話せるわけですよね。

「最初は飛ばしてくるぞ」とか
「石畳はこうなるぞ」とかっていうので

それから 日本のマラソンが
スタートしていくんで

1回目は やっぱり
そういう役割になってしまったけど

やっぱり これからスタートしたところは
大きいと思いますね。       なるほど~。

いや 今 すごい不思議な感覚なんです。

「大河ドラマ」ってやっぱり1年間を通して
その一人の役を演じるというか

そんな長い期間 一つの役っていうの
ないじゃないですか。  確かに。

今 為末さんのお話聞いてて
何だか すごく うれしくなったんですね。

うれしくなった 何か…
金栗さんの気持ちっていうか

金栗さんとして…。
聞いてた? すごいな~!

何か… こうやって言ってくれるのは
うれしいなと思いながら。

「あ~ 違う違う違う」と思って。
(笑い声)

今 半分勘九郎 半分金栗なんですね。

びっくりしました。
1年間演じるって そうか…。

いや~ びっくりしましたね。
憑依する感覚になるんですね。

その後 金栗は
二度 オリンピックに出場しますが

満足のいく結果は残せませんでした。

以後 マラソンランナーの育成に
力を入れていきます。

後輩たちのために あのマラソン足袋の
改良にも取り組みます。

そして完成したのが
このシューズ 金栗足袋です。

足にフィットするよう
靴ひもがつけられています。

特に注目すべきは 靴底。

ゴムで補強されたのです。

日本のマラソン選手は

その後 何十年もの間
皆 このシューズを履くほど

画期的なものでした。

実は 金栗は その足袋を
意外な場所で試していました。

早速 その最強の足袋の
履き慣らしをしたいが

まだ日本に 試せる
硬い石畳の道がありませんでした!

う~ん せっかくな足袋があるんやけど
試せるところがない。

何か 土とかじゃない
硬いところはないかな…。

お~ 探せ探せ…。
あっ!

何だ これは… そっくりじゃないか!
えっ どこだ?

お風呂場だ! お風呂場は タイルが
張ってあるから あの石畳と似てるぞ。

なんと お風呂場がタイルが張られており
格好の場所でした!

いい… いいぞ いいぞ。
これは なかなかいい感じだ。

お~ 試せ試せ。
そこで いろんな動きを試せよ。

今 オリンピックだと思って…。

志村さん! 志村さんは してないのよ。
なあ 何で試すのよ 志村さんを。

金栗は 裸の男たちを前に
走り回ったという。 デンデン。

はい 以上でございます。
(拍手)

本当にね
「笑はば笑へ」といった感じでした。

ここで出ました。
笑わば 笑ってくれですね。

降りてきた… 何か降りてきたって
僕の方にも降りてきた。

「笑はば笑へ」っていう。
いろんなとこ降りてくる。

このとおり 寄宿舎の風呂場で
水浴びしたあと 試していたそうです。

裸で足袋だけって
何か もう 変態のような…。

変態じゃない 変態じゃない…
それだけ想像すると変ですけど。

栞里さん それもドラマで描かれています。
えっ!? 見れるんですか?

では ここで日本人選手の
オリンピックでの その後の活躍を

ちょっとね 見ていきましょう。

金栗がオリンピックに初出場したおかげで
多くの日本人選手が

オリンピックに その後 出場しました。

8年後のアントワープ大会では

テニス 男子シングルスで
初めて銀メダルを獲得したんです。

そして アムステルダム大会では

男子三段跳びで 悲願の金メダル獲得です。
え~!

…で 注目すべきは
次 ロサンゼルス大会で

日本のスポーツ界 大躍進です。

男子水泳で金メダル
5つも獲得したんです。  え~!

すごい躍進。

日本の大躍進を支えた人物を
紹介しましょう。

世界一の水泳チームを率いた
総監督 田畑政治です。

ここに つながってくるんですか。
はい。 「大河ドラマ」のもう一人の主人公です。

この人 せっかちで ちょっと
慌て者な人物なんです。

熱いよ!
あっ 大変。

はい。 田畑は 金栗から タスキを受け
日本のスポーツを発展させていきます。

田畑の故郷 静岡県浜松市で

去年 貴重な写真が発掘されました。

こういう珍しい写真が
あったんですね。

ここに 田畑さん 金栗さんが
写ってるんですね。

まさか その~ 「いだてん」に
2人そろって出るなんてことはね

夢にも思っていなかったでしょうね。

金栗の情熱の火は
田畑に受け継がれ

大きな炎となって
日本人を照らすことになります。

田畑は こう語っています。

田畑の経歴は 極めて異色です。

水泳選手としての現役生活は
僅か4年しかありません。

ならば 指導者で日本一になってやると
闘志を燃やしていました。

全て 俺が仕切って 俺の言うとおりに
やれば 世界一になれると。

田畑は東京帝国大学卒業後

新聞社の政治部記者となり

人脈をフルに活用して
水泳の連盟を立ち上げます。

田畑が特に力を入れたのが 世界の実力を
選手たちに肌で感じさせること。

当時 最強を誇っていたアメリカ人選手を
日本に招き

日米対抗戦を開催したのです。

次の目標は 東京で
オリンピックを開催することでした。

1931年 日本は
オリンピック招致に動き出します。

代表は 金栗を
オリンピックに初参加させた嘉納。

当時30代だった田畑は
嘉納のもとで学んでいきます。

日本側が オリンピック委員たちを
説得するため 特にアピールしたのが

明治神宮外苑競技場。

スポーツを国民に普及させるため
造り上げた 東洋一の競技場でした。

説得が実を結び 東京で

1940年に アジア初のオリンピックが
開催されることになります。

しかし 事態は急変します。

日本は 中国との戦争を開始したのです。

そのため 海外からの批判が殺到。

窮地に追い込まれる中
嘉納は遊説中 この世を去ります。

求心力を失い 日本は
オリンピック返上を決定しました。

戦争に突き進む日本。

あの神宮外苑の競技場で
学徒出陣の壮行会が行われたのです。

スポーツの聖地が 若者を
戦場へ送る場所へと変貌しました。

戦後僅か2か月 嘉納の志を継ぎ
田畑が立ち上がります。

苦境の中だからこそ
オリンピックが必要だと。

実は ロサンゼルス大会で大勝利した時

田畑は スポーツの力を
目の当たりにしていました。

田畑は スポーツの力っていうものを
実感をしていたと思うんですね。

当時 日米関係
徐々に悪くなりつつありましたから

そういう中で…

それで 第二次世界大戦が終わって
まさに…

そういう思いが
彼の中には あったんだろうと。

しかし 敗戦国の日本は

戦後初のロンドンオリンピックに
参加が認められませんでした。

ここで黙っていないのが田畑です。

大胆にも 水泳の日本選手権を

オリンピックの水泳競技と
同じ日程で行うと発表。

選手たちを叱咤激励しました。

多くの日本人が世紀の一戦を見ようと
神宮プールに詰めかけました。

トップを泳ぐのは古橋廣之進。

驚異的な記録で優勝します。

オリンピック優勝者のタイムより
40秒以上も速かったのです。

この大会は
日本人に自信と勇気を与えました。

そして日本は
国際舞台への復帰を果たします。

残る最大の使命は
東京にオリンピックを招致すること。

オリンピック委員を説得する上で
大きな役割を果たしたのが…

そこには「五輪の旗」という文章があり

日本人は誰もが オリンピックが
平和の祭典であることを深く理解し

待ち望んでいると訴えたのです。

1964年のオリンピックは東京に決定。

金栗が オリンピックに
初めて参加してから半世紀

ついに
自国で開催できるまでになったのです。

東京オリンピックの
総責任者となった田畑。

その決意を語った
貴重なインタビューが残されています。

田畑は 大胆な提案を掲げます。

平和な国家になった日本ということを
世界にアピールしたいと

こういう思いが強かったんですね。

もちろん アジアの国々では

日本に対して 非常によくない印象を持つ
国が多かったわけなんですね。

しかし そういうところを むしろ

聖火リレーを行うことで

オリンピックの意味を伝え 日本が
平和な国になったってことを伝えて

オリンピックの開催に
こぎ着けたいという。

嘉納と田畑が
オリンピック誘致を始めて30年余り。

1964年10月10日。

かつて学徒出陣が行われた場所は
国立競技場として生まれ変わり

開会式が開かれました。

国立競技場に
聖火リレーの最終ランナーが現れます。

最終ランナーに
田畑は強いメッセージを託していました。

原爆を落としたアメリカに忖度し

周囲が反対する中
田畑は自説を貫き通しました。

その事実を知った外国人選手たちは
列を乱して 駆け寄りました。

田畑の そして先人たちの悲願が
達せられた瞬間でした。

彼は こんな言葉を残しています。

ちょっと… ねえ グッと来ますね。

そうですよね。 東京五輪の裏に
あのドラマがあったって…

ちょっと知らなかった 恥ずかしながら。

今ね 自分たちがいる神宮外苑…
ここですもんね。

ここが オリンピックを語る上で
大事な場所だったというわけですね。

そして またね 来年 東京で
オリンピックが開催されるっていう…。

一回 戦争で… なくなってるんですね。

戦後の日本人をスポーツで勇気づけたい
っていう田畑の思いというのは

どうご覧になりましたか?
ねえ~。

僕の体験だと 震災のあとに
選手が何かできないかっていうので

何か ファンドレイズして
それを送るっていうのを

本当に 終わって2~3日後とかに
やったんですけど

アマチュア競技って
すごい強いファンがいたりして

そういう人たちが みんな
こっちで応援しようっていうと

そこに
ギュ~ッと凝縮されたりするんで

何か ああいうふうのは…
スポーツの力っていうより

アスリートの力っていう面も
一つあるなというのを…。

いいシーンでしたね
あの最後の聖火ランナー…

走ってるところで 諸外国の方たちも
わ~って…。

列を乱して寄ってく…。

何か 例えば 子どもとか
戦争を知らない人たちにも

あっ こういうことがあったんだな
っていうのを

教えられる
きっかけになったんだろうなって。

そういうことですよね。
(佐藤)はい 感じます。

金栗さんも ちょっと
狙ってたんじゃないかなと思います。

あ~ でも そうですよね!

だって 最初にね
オリンピック行った人ですから…。

金栗さん あるかなと思いました。
俺に来んじゃねえかな…。

ちょっとは
思ってたんじゃないですか?

僕も 「あれ? 金栗さんじゃないんだ」と
思いましたもん。

はい。 すごいですね
オリンピック後に撮影されたという

金栗さんと田畑さんの写真がありまして
これ 何を話したんですかね~?

どうでしょうね?
水泳と陸上っていうのもありますし

同じ時代を駆け抜けた同士っていう
気持ちもあるでしょうね。

もしかしたら この写真を
僕らが撮るかもしれないです。

あ~ そういうことですよね!

阿部さんと。
阿部さんと… いや ありそうですよね~。

さあ あれから半世紀 再び 東京に
オリンピックがやって来ますね。

いや~ 本当 そうですよ。
この国立競技場の歴史を

振り返ってみますと
100年前 スポーツの普及のために

建設されたにもかかわらず

戦中 学徒出陣の壮行会が行われました。
これは かなりつらいですよね。

それが 東京オリンピック開催によって

本来 目指した
スポーツの殿堂となりました。

それが 今回また 生まれ変わりますよね。
そういうことですよ!

先人たちの思いを受け継ぎ
どう発展していくんでしょうか?

新国立競技場のデザインを手がけた
建築家 隈 研吾さん。

実は 隈さんが建築家になったのは

1964年の東京オリンピックが
きっかけでした。

10歳の時 訪れた代々木競技場。

中には 田畑の尽力によって造られた
日本一の室内プールがありました。

外観もすごいんだけど
中が また更にすごくて

中は こう… トップライトがね
上から 光が落ちてきて

もう 天から光が落ちてきてる感じで

それが水面に反射して
キラキラキラッてしてて

何か もう本当に天国かなっていう感じの
インテリアでした。

それが あまりにすごかったんで

オリンピックのあと
僕 横浜に住んでたんだけど

わざわざ 原宿まで電車に乗ってきて
泳ぎに来てたぐらいに

もう あの空間に
みいられちゃいましたね。

あの感動から半世紀。

再び オリンピックと
深く関わることになったのです。

隈さんは デザインする上で

1964年という時代との対比を
強く意識しました。

当時は 高度経済成長期でしたが 今
日本は 時代の転換期にあるといいます。

2020年は少子高齢化
それから もう工業じゃなくて

もっと 人間は
別の豊かさを探さなきゃいけない時代。

そういう時代のスタジアムは
木が一番いいと思ったんです。

木の持ってる「やさしさ」
それを主役にしてつくれば

1964年と全く対極的な 新しい時代を
何か僕らに教えてくれるような

スタジアムが出来るかなと
思ったんですよね。

新国立競技場には
ふんだんに木材が使用されます。

自然のぬくもりが スタジアムを
包み込むよう デザインされたのです。

これが完成予想図です。

オリンピック後
木のテラス部分は市民に開放され

ジョギングなど 誰もが
スポーツを楽しめる場所になるよう

デザインされました。

オリンピックと日本って
すごい巡り合わせだと思うんですよね。

先人たちは やっぱし
オリンピックを招致することで

次の時代の日本をつくろうっていうことを
考えていた

人たちじゃないかなと思うんですね。

単に オリンピックが来て
盛り上がればいいっていうんじゃなくて

オリンピックをきっかけにして

俺たちは 次の時代の日本を
つくんなきゃいけないって

そういう何かね 志を感じますね。

うわ~ 楽しみだな~。
楽しみっすね。

やっぱ すごい計算されてますよね。

もう そのオリンピックで
終わりじゃなくて

そのあとの暮らしを考えて
つくられたっていう…。

だって 私たちも行って
ジョギングができたりとか

親しみやすくなりそうですよね。
本当 何か ピクニックとかも…。

ねっ! そうそう そうそう…。

行っていいんだってワクワクします 何か。

たまに この周りを最近 お散歩してます。
あ~ なるほど。

どんななってるかなって
隙間から こうやって… 見て

結構 日に日に 完成していくのが
楽しみです。

意外と 田畑さんみたいなこと
してるんですね。

オリンピックの行く末を見てるんですね。
へえ~。

さあ 今日は 皆さん 「いだてん」の主人公
金栗と田畑を通して

日本人とオリンピック その100年にわたる
歴史を見てきましたけれども

改めて いかがだったでしょうか?
まず 為末さん。

いや あの~ 日本のマラソンの
癖みたいなの あるんですけど

それって やっぱり この金栗さんから
来てんなっていうのが すごいあって。

比較的 量を走って 何かやるっていう

世界に比べると そういうので
戦う方が多いんですけど

何か この時代から
もう来てるんだなとかですね…。

栞里ちゃん いかがでしたか?

何か どこかで ひと事だと思ってた部分が
あって オリンピックっていうものが。

でも すごい 興味を持って
選手のことを思いながら

応援しようっていう
気持ちにもなりましたし

あと こんなに 正直 「いだてん」が
楽しみになるって思ってなかった…。

来る前まではね。
すごい楽しみになりました!

正直やね あなた。

最高やと思うよ。
「いだてん」 今から1年間見て

ドラマ 全部分かって
最終回迎えて感動した その半年後に

オリンピック始まるんですから 東京で。
ドラマチック。

いや そうやってね
本当に未来につなげるような

作品にしなきゃいけないなっていうのは
改めて 今日 感じましたね。

映像を見させて頂いて。

もう… 光栄でしかないです 本当に。
そういうことですよね。

本当 皆さんの あのお二方のドラマと

そして いろんなドラマがあっての
この「いだてん」じゃないですか。

すごい主演を受けましたね。
いやいや…。

そんな…
何でプレッシャーを与えるんですか?

いや 本当 自分だったら もうすごいよ!
ねえ。

「いだてん」って
すごいタイミングですよね。

本当に もう 田畑さんも金栗さんも

知らない方が
たくさんいらっしゃると思うので

その責任っていうのは大きいので
しっかりとやりたいなと思いますね。

日本人とオリンピック。

ばっ そぎゃんね!

その感動の物語を描いた
大河ドラマ「いだてん」。

いよいよ1月6日 日曜から始まります。

どうぞ お楽しみに!

こうやって…
これも 何かの縁ですからね

栞里ちゃんとかね 千鳥と 為末さん
スケジュール空いてますから

もし ちょっとね 何か役でもあれば…。

でも 為末さんが出ちゃうと
抜いちゃう可能性が…。       (笑い声)

金栗さん 抜いちゃ駄目です…
抜いちゃ駄目ですけど

是非 楽しみにしております。

はい。 さあ 大河ドラマ「いだてん」の放送
楽しみにしております。

皆さん どうも ありがとうございました!
ありがとうございました。

これは見よう!
(拍手)

♬~


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