SWITCHインタビュー 達人達(たち)「和田アキ子×平間至」 …音楽への愛情が詰まったトークを繰り広げる。


出典:『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「和田アキ子×平間至」』の番組情報(EPGから引用)


SWITCHインタビュー 達人達(たち)「和田アキ子×平間至」[字]


デビューから50年が過ぎた和田アキ子が、歌手としての思いを語る。相手は「作品から音楽が聞こえる」写真家・平間至。音楽への愛情が詰まったトークを繰り広げる。


詳細情報

番組内容

和田のCDジャケットの撮影も手がけている平間。「シンガー和田アキ子」の魅力を引き出すために考えていることを、和田に明かした。それに対し、今もなお「歌う前には緊張する」という和田は、納得いく歌唱をするために自らに課していることを語る。平間は宮城県塩釜市出身。復興支援のために行っているコンサートには和田も参加している。そこで平間が見た和田の素顔とは、また手作りイベントに参加する和田の思いとは。

出演者

【出演】歌手…和田アキ子,写真家…平間至,【語り】吉田羊,六角精児




『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「和田アキ子×平間至」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

SWITCHインタビュー 達人達(たち)「和田アキ子×平間至」
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『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「和田アキ子×平間至」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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ミュージシャンに愛される
写真家がいる。

♬~

音楽に乗り 軽快なリズムで
シャッターを切るのは…

この日は ミュージカルを中心に
俳優 ボーカリストとして活躍する

海宝直人のCDジャケット撮影。

スタート!

被写体を動かすことで
生き生きとした一瞬を切り取る。

平間が撮影する姿は
時に風変わりだ。

ファインダーさえのぞかず
感覚でシャッターを切る。

撮影した写真が
リアルタイムに映し出されていく

前衛的なイベント。

平間の写真は
「音楽が聞こえてくる」といわれる。

平間の代名詞が このシリーズ。

23年間 ミュージシャンの飾らない姿を
撮り続け

人生を豊かにする
音楽のすばらしさを表現してきた。

広告や雑誌で
ミュージシャンのポートレートを

多く手がける平間。

ミュージシャンからの信頼の厚い
超人気写真家だ。

そんな平間が
長年 撮り続けてきた大物がいる。

それが…。

♬「町は今 砂漠の中」

♬「あの鐘を 鳴らすのは あなた」

歌手デビュー50年を迎えた去年
日本武道館でフェスを開催。

2日にわたり 和田を慕う
多くのゲストミュージシャンと共演した。

♬「Don't believe me just watch」

♬「俺の俺の俺の話を聞け!」

♬「2分だけでもいい」

和田と平間の出会いは2000年。

和田の65枚目の
シングルジャケットの撮影を依頼された。

その後も多くの撮影を任されている。

しかし 和田と平間の関係は

歌手と写真家としての関係に
とどまらない。

アッコさんとの関係は
もう一つあってですね…

一般的なイメージだと…

平間が訪ねたのは 東京 四谷にある
レコーディングスタジオ。

あっ こんにちは。
お待ちしておりました どうも どうも。

今日は よろしくお願いいたします。
今日は よろしくお願いします。

貴重な機会を本当に
ありがとうございます。

いやいやいや とんでもない。

何かね ここ ほら ふだん
レコーディングで使ってるスタジオだから

よく使うんですよ。
ああ そうなんですね。

だから こういうインタビューで…
何か ちょっとね

こんな大きいマイクがあって
譜面台がないと

ここは落ち着かないんですけど
今日は よろしくお願いします。

よろしくお願いいたします。

2人とも緊張してる。 アハハ…!

歌に魂を込める和田と
音が聞こえる写真を撮る平間。

音楽への愛情が詰まった 2人のトーク。

でも 自分は ちゃんとしていたいって
いうのがあるんで…。

それと ある意味 真逆な状態なんですね
それは。

真逆の価値観を僕は撮るべきではない
っていうふうに

自分の中で思ったっていう。

♬~

ワダフェス お疲れさまでした。
ありがとうございました。

2日間 見せていただいて。
もう本当 ありがとうございました。

僕が見て 何て言うのかな…。

ちょっと失礼な言い方かも
しれないんですけども…

本当に 失礼なんですけど

そういうイメージが
何か あったんですね。

何で 僕が そう感じたかというと
たぶん…

ああ なるほど。
もちろん 当然 お客さんにも

歌ってるんですけども
でも 同じぐらい

アッコさんに向けて歌ってるような
そんな印象を受けたんですけれども。

いや~…。
そういうのを感じてもらえたら

また私も 喜びが
何か ひとしおですけれども…

え~ そうですか?
すごく良かったと思う。

「断り切れなかった仲間達」ですよ。
良かったですか?

僕は良かったと思います。
私 すごい嫌だったんです。

あっ 本当ですか。

デビューから50年。

支えてくれたファンへの
恩返しのため企画したワダフェス。

♬「もしもこの舟で 君の幸せ 見つけたら」

和田をリスペクトする
数多くのアーティストが集まった。

♬「粋な事件 起こりそうだぜ めッ!」

♬「ズンズンズン ズンドコ」

♬「C'mon,  baby アメリカ」

♬「交差するルーツ タイムズスクエア」

♬「あの頃は」

50周年を祝福する
盛大なお祭りとなった。

♬「若さなど ムダにして 暮らしてた」

♬「恋のからだを 寄せ合って」

ハッ!

これは テレビ局に
メールが来たんですけど

コールレスポンスするときに
「みんな乗ってる?」とかって

10代から…
で 20代… 「イエーイ!」とか。

やりましたね。
はい やりました。

30代 40代 50代…
「多いな」とかって言いながら。

で 60代… 「おお~!」。
70代… 「いるんだ!」。

で 80代で「え~!」とかって
言ってたんですよ いらしたから。

そしたら メール来て…

ああ… 90まで言えばよかったですね。
そう! まさかね まさか…

自分の中には なかったですね。

50周年… ほぼ1年ぐらいかけてですよね。
そうですね はい。

結構 ツアーとしては
長いツアーだったじゃないですか。
はい。

それで まあ
いろいろ こう感じたこととか…。

今 たばこは吸いませんけど…。

お酒も毎晩飲んでるように
思われてますけど

一応 週末は抜いて。

だけど 歌の前は
もう3日ぐらい前から…。

別に お医者様に
「お酒飲んでも声には影響ない」と。 ただ…

でも そういうことで
何か お客様に迷惑が…。

要するに
歌を聴きに来てくださるってことは

その時間を作って
それでチケットを買ってくださって

予定を やっぱりね。 そうすると…

で 歌がうまいとか下手は
お客様が決めることで

感ずるとか何か…。 でも 自分は

ちゃんとしていたいっていうのが
あるんで。

1年間 始まるなって思ったときに…

で もう しそうなことは…
けがしそうなことはしちゃ駄目だし。

最近 ボイメン研究生と
コラボをしたりですね

あと ワダフェスも
そうですけれども

すごく こう
新しい人たちと

コラボをしてる
イメージがあって。

それが アッコさんを
聴くきっかけに

すごく広がりを
持ってる感じがして…

「こういうのやりたい」って
いうんじゃなくて

何か そういう ご縁っていうか

何かあるんだなっていうのを感じますね。

本当に「裸の王様」。
昔から裸の王様は嫌だったんですけど。

それが 一番 嫌で。

かといって
こびを売ってるわけじゃないんですけど。

ちょっと… 自分で言うの 変ですけど
寂しがり屋で。

一人でいるときはテレビに向かって

一人で しゃべってる。
しゃべってるんですか?

向こうが何か言ったら 「おかしいやろ!
お前が そんなこと言うの」とかね。

ほんで 嫌いな人が出ると
テレビに向かって

顔面にデコピンするんです。
「コラ!」とかって。   それ見たいですね。

結構やってるんですよ。
やってますか。

♬「ここから始まる」

和田の65枚目のシングル…

初めて平間が和田を撮影した写真だ。

実は このとき 和田の体は

まともに撮影ができる状態では
なかったという。

ちょうどね…

最初 そのスタジオに
入ってこられるときに やっぱり…

ああ やっぱり そうですか?

ドレス着て
すごい揺れてる いい感じなんだけど

下は松葉づえだったっていう。
そうそう。

ここから上だけ笑ってるんですけど
で マイク持ったりしてるんですけど

右手は松葉づえとかっていう。

印象的というか…。
いや でもね あの写真がね

もう 私 大好きで。

松葉づえ持ってる感じは
全然しないですよ これ。

しないですよね なかなか。

それも 「手が疲れないように」って
平間さんは

テーブルの上に置いてくださったんです。

すごい優しい人だなと思って。
もう大感動です。 大好きな写真です。

僕も
すごく大好きな写真なんですけれども。

アッコさんっていうと…

…っていうのが すごい強かったんですね。

ふだんのテレビのイメージとは
全く反対の

歌手としてのイメージを
撮りたかったっていうのが

この一枚です。
いや 格好いいですよ。 これ 本当に。

このジャケット見てると…
希林ちゃん 仲よかったんですけどね。

このジャケット見ると
本当 何も そんな

人を笑わしたりしなくていいのになと
思うときはあります。

それぐらい格好いいと思います これ。

もしよかったらなんですけど…

もし あったら。
どんな気持ちで撮られてますか?

平間さんが こういうところに
「はい ちょっと笑ってください

ちょっと 上 向いてください」
って言ったときに

もう ど集中できるんですよ 何か。

僕も撮ってて やっぱり
アッコさんの集中力 すごく感じていて。

それで やっぱり 集中されて
いろんなポーズされるじゃないですか。

何か ちょっと楽器みたいな…。
連写じゃないんですよね…

それは すごく やっぱり
心がけてるというか。

私は 違う人が来たら 「何で?」って
マネージャーに聞くでしょうね。

「何かあったの?」っつって。 本当に。

もう… もう全幅の信頼です!
それは ありがとうございます 本当に。

その後も 平間は
ジャケット写真の多くを手がけている。

♬「あの夜の私を」

ふだん テレビではなかなか見られない

和田の表情を引き出してきた。

写真を通して
和田の内面に迫ろうとしている平間。

気になっている和田の歌があった。

(拍手)

最初は アッコさんと出会って

歌手としての和田アキ子というのを
どう引き出すかっていうのが

僕の 写真における
テーマだったんですけれども。

まあ こうやってですね
20年近くおつきあいさせていただいて…

…というふうに
どんどん思ってきたんですね。
はい。

それで 先日 武道館で…

だからこそ あれだけの 本当に…

僕の勝手な推測なんで…。
はい はい。

ただ すごい深い寂しさというか

抱えてる方なんじゃないかなというふうに
思ったんですけれども

その辺はどうですか?

この間の ワダフェスの武道館のときは

2日目は もう ちょっと
走馬灯のように

自分がデビューしたときのこととか
思い出して。

ちょっと もう…
両親とも亡くなってるんですけど

いないんですけど…

この体躯… 大きいだけで

すごい… デビューしてからも
まあ いじめというか。

で 手足も大きいですからね。

当時としては いなかった

女性で こんなに低い声
ローボイスってのも

いなかったもんですから。

まあ 小さいころから大きくて
いじめってのは あったんですけど。

ず~っと 何か そういう…

それは うちの…。

何か 近所で…。 うちは そんなに
家は貧しくなかったんですけど

すごく厳しかったですけど。

分け与えるっていう感じは

お父さんの感じもあるんですね それはね。
たぶん そうですね はい。

なかなか… 家族と一緒に住むっていう
時間も短かったんですよ。

高校 3日で辞めましたけど。
中学までは学校 行ってましたけど。

やっぱり学校 朝 会うのと…。

父が柔道の道場をやってましたから
町道場の。

そうすると 帰ってきてからって
親と会う期間って少ないんですよね。

ちょっと やんちゃしだして
家を出たりしたんで

「親」とかっていう
そういう愛情っていうかね。

父は… 父には 大阪弁ですけど
敬語を使ってましたから。

何か いろんなことあって

何か この世界に入って

いっぱい ごはん食べられないときも
あったけど

死にはしてないし

「いじめられた」っていう言葉も
嫌なんだけど

それがあって今があるしと思うと

泣いたり 笑たり

いっぱい怒ったりしたけど

今があると思うと

何か みんなに こう 優しく…。
う~ん。

心の中では
「もっと言うて!」と思うんですよ。

ハハハハ…!
ハハハハ…!

思うんですけど 言われたら

「みんな どうしてはんのかな?」っていう。

何か すぐ こう…
しゃべってしまうんですよ。

何かこう ちょっと てれくさいから。
てれくさい感じですよね。

アッコさんの両親の話って 僕 初めて

さっき聞いたんですけども。
あんまり言わないですからね。

父は厳格で 母は本当に

父に従順な母で。

ちょこっと思うのは まあ
父と母がいたんで 私ができて

こういう声になったんだと
思うんですけど…

でも 私たちには
「ちゃんと勉強をしろ」みたいな。

特に 私は女だったんで。

家庭教師に鉛筆削らせて時間稼いで

あほな話ばっかりしてたら
その家庭教師さんが父親に言っちゃって。

関西弁ですけど
「しばかれる」って言うんですけど。

うち 弟 3人いるんですけどね
1人 亡くなりましたけど。

きょうだいで 一番 私が
おやじに しばかれましたね。

女の子なのにっていうことですよね。
何か 女の子だからってのは

女だからってのは
あったのかも分かんないですね。 逆に。

朝6時に起きて お米とがされたりとかね。

「女は料理できなあかん」言うて。

今 考えてみれば…

もう ご両親は だいぶ前に
亡くなられたんですか?
そうですね。

うん あの…

「今あなたにうたいたい」を聴いたときに

お父さんとか お母さんにも
歌ってるんじゃないかなっていう

ちょっと 印象を受けたんです。
入ってます。 はい。

あの… そうですね。

♬「あなたに」

歌うことに魂を込めてきた50年。

和田にとって 今
歌は どういった意味を持つのか?

ファンクラブないんですけど…

たくさんいましたね 武道館にもね。
そうなんですよ。

私なんか
平気で「ばばあ」って言うんですけど。

泣いて… 「ファンになったときは
14でした」とかって 泣いてんですよ。

そういうのとか… そのとき 30だった人が
今80で みんなでね

車いすを引いてあげたりして
歌を聴きに来て。

そういう人たちのためにも…
だから 1位になんなくていいから

ちょっと格好よく言い過ぎだけど…

私のことを待ってくれてるっていう。

「元気な私を見たい
元気な私の声を聞きたい」って言って

家族でもないのにと思ったら…

頑張ります。
もう すごい すてきな言葉ですね。

本当に 一人でも多くっていうのを
まず 思います。

はい はい… 頑張ります。
それと 僕は…

…っていうふうに
僕は 僕自身の活動としては。

もっと言うて! アハハハ!
思ってます はい。

いや でも 何か
人に感謝することを忘れなかったら

それ できると思います。

2人には もう一つ絆がある。

宮城県塩竈市出身の平間。

和田は 平間が行う
東日本大震災の復興支援活動を

陰から支えている。

♬~

僕は塩竈フォトフェスティバルという
そういう…

2年に1回ぐらいのペースでやってる

そういう
写真のイベントをやっていてですね。

そこを窓口にして
義援金っていうんですかね

支援金っていうのを集めて
そのお金を市に寄付をしたり。

最初のころは
下着を買ったり靴下を買ったりとか

本当に不自由しているものを
買わせていただいたんですよ。

すごくびっくりしたのがですね
そのよくとしの…

アッコさん 僕に連絡もくれずにですね
振り込んでいてですね。

ふだん そのフォトフェスティバルが
動いてない時期だったので

通帳の確認とかもしてなかったんですよ。
はい。

たぶん
2~3か月ぐらいしたころぐらいに

「ワダ アキコ」っていう名前で
お金が 3月…

月命日の11日に 振り込まれてて
本当に 僕 びっくりして。

報告を受けて びっくりしたんですけども。

それで電話をたぶん したと思うんですね。
はい。

すごい そのときも緊張して 僕…

ああ そうですか!
はい そうなんですよ。

なぜ 言わずに…

テレビもラジオも
一斉に募金を募集しだしたんですよ。

で 何かできることはないかって
まずは そうだな…。

何か必要だと思うと思って
募金したんですけど。

テレビで見ると
全然 復興してないんですよ。

いまだに これは。
そうですね。

いまだに思うんです。 「何で?」って。

場所によって すごい差があるんですよね。
そうですね。

そのときに いや違うって。 ちゃんと
そういう… 大きい所じゃなくて

財団とか そうじゃなくて 町とか県とか…

できることってのは それしかないから。
それで さっき言うた

言ってもいいけど
言わなくてもいいじゃないですか 別に。

そこが きっと アッコさんらしい
やり方なんだろうなって思いつつ

知らない間に振り込まれてた
人間としては やっぱり…。

私の中では 忘れてはいけないなって。

で 続けていくことが 私の…

まあ うん… 使命と思ってるんです。

何かね 私 偽善者ですからね。
とっても偽善者なんですよ。

だから そういうことやってると
「あっ ええことやってんな」…。

これ 自分で言うんですけど 大阪弁で。
「ええことやってんな 和田アキ子」。

「せや せや。 そうやって やってたらな

悪いこと できへんから ええねん」
っていうのがね 自分の中にあるんですよ。

2015年 和田は
塩竈市内の仮設住宅で

平間が開催した
バーベキューイベントに参加。

和田の訪問に 住民が沸いた。

でも 何か 行ってよかったですよ。
そうですね。

皆さんと お話しできたし…

すごい いいですよね。

今日はですね そのときの手ぬぐいを…。
お~!

いつもね うちの…。
「あの鐘を鳴らすのはあなた」!

うちの実家に張ってある手ぬぐいなので
ちょっと…。

うちの両親に送ってもらって。
これ すごい大好きなんです

この言葉と この自筆で こう…。
いや~ 懐かしい!

和田は 用意した手ぬぐいを
住民 一人一人に贈った。

「あの鐘を鳴らすのはあなた」の歌詞に
自分の思いを込めた。

ここに歌の歌詞をいただいて 本当に…。

「塩竈の皆さんへ
あなたに逢えてよかった」。

「あなたには 希望の匂いがする」って。

これ 阿久先生 生きてらしたら
もっと喜ばれますね。

…っていうね。 あっ 涙出そうや。

皆さんが… 本当に そうですよ。
私は 皆さんに会えてよかったんです。

まあ 取っていていただいて
ありがとうございます。 うれしい!

作っていただいて ありがとうございます。
いえいえ…。

こういうふうに残るんだね。

ああ やっぱりね。
本当に大好きです。

ああ 何か泣きそう。 いや~…。

どこかで見てる人がいたら
本当に 元気出していただきたいですね。

みんな テレビ見てますよ
塩竈のみんなも きっと。

絶対 まあ あの… 被災地に限らず
つらいのは自分だけやないっていう。

本当ですね。
誰かいるよっていうのが

あるといいですね。

後半は 舞台をスイッチ。

平間が生まれた…

街の中心部に 1931年から営業している
ひらま写真館がある。

現在は 平間の父が引退したため
休業中だ。

もう 何か一番…
まあ 今はね 物がありますけども…

平間は 幼少期から この写真館で
祖父と父が働く姿を見て育った。

…っていう感じの環境で
育っていた。

1963年 平間は 祖父が始めた写真館の

一人息子として生まれた。

当時 写真館は活気があり

成人の日には 1日400組のお客が
詰めかけるほどだったという。

音楽一家でもあり 祖父と父から
チェロやバイオリンを教わる。

日常的にクラシック音楽が流れる環境で
育った。

そして 今

平間は 東京に
自分の写真館を構えている。

おぼっちゃまですね。
おぼっちゃま風ですね。

いやいや ちょうネクタイでね
なかなかね…。

たぶん おぼっちゃま風に
設定してるんだと思います きっと。

本当ですか?
私の小さいころは 本当に あの…

まあ 道歩いてて… 大阪ですけど

ピアノの音が流れると
「ああ 金持ちの家や!」とかね。

そんな中でね…

おじいちゃんは たぶん
おぼっちゃんだったと思うんですよね。

はい はい はい。
で そこで まあ そういう…

おじいちゃんの おじさんが
眼科の先生をして

ドイツに留学… たぶん
それも すごいことだと思うんですけど。

カメラを持って帰ってきて
それで写真が好きになって

東京で勉強して
宮城で開業するっていう

そういう流れなんですね。
へえ~!

それを お父様が引き継がれて。
そうですね 2代目で。

じゃあ おじいちゃまから お父様
お父様から平間さん。

代々 写真館ですよね。 ひらま写真館。
そうですね はい。

僕は もう本当に…

出張のとき。
カメラの?

そうなんですよ。
もう どこか出張に行くっていうときは

荷物持ちっていうのが。
はい。

…みたいなのをさせられて。

小さいころから
そんなに荷物持ちされて…。

でも 小さいころは 平間さん自身は
写真やろうと思ってたんですか?

写真家になろうっていうか。

家業として 一人っ子なので
継ぐだろうっていうのは

思ってたんですけど。
ああ やっぱり。

積極的な気持ちは なかったです。
あっ そうですか。

学生時代は音楽に夢中だった平間。

パンクロックにはまり バンドを組む。

大学で本格的な写真の勉強を始め
大手の撮影プロダクションに就職した。

最初に就職をしたんですけれども

3か月で ちょっと まあ
会社 辞めちゃったんですよ。

それで 日本にいても
ちょっと行き場がないような…。

どこで写真の勉強をしていいのか
学生時代も ずっと遊んでたんで

あんまり分かんなかったんでね
写真のことが。

で 友達が たまたまニューヨークにいて
ニューヨークに行ったんですよ。

そしたら 友達が すぐボストンに
何か 引っ越しをしちゃって

全く知り合いが
誰もいない状態になったんですね。

そのときに自分は初めて…

誰も知らない異国の地でですね。

そんな感覚があって
そこで初めて撮り始めたんですよ。

何か 平間さんって温和な感じですけど

すごく… 行動は すごいですね。

ニューヨーク行ってっていうか。

でも 行きたくて行ったっていうか
本当に行き場がなくて行ったんです。

行き場なくて アメリカ行きませんよ
なかなか。

そうですか?
はい。

プロとして初めての仕事は音楽雑誌。

ロックバンド エレファントカシマシの
ボーカル 宮本浩次の撮影だった。

宮本の周りをギターが飛び回る 一枚。

実は この写真には ある秘密が…。

この回の話をするとですね

左が… 左というか
モノクロの女性が写ってるほうが

父の写真なんですね。

で 右が僕が撮った写真で。

1回目だけパクったという。
ああ なるほど。

パクって… 何か まあまあ
見方によってはルーツ…。

申し訳ないですけど
私 ぱっと見たとしますね。

平間ちゃんとか何とかじゃなく
どこか行ってぱっと見たら左を選びます。

ですよね。 パクってますから。

でも こういう 構図っていうんですか?

それをパクろうとすると
こういう表現のしかたになったっていう。

そのときは なったんですね。

ああ すてき。
すごく こう 運動神経もいいし

楽器も うまいしみたいな。
はい はい。

本当に父が憧れだったんですね。

そういうのもあって 何か こう
パクっちゃったのかな。

プロになって5年。

自分にしかできない表現を模索して
生まれた。

手ぶれし ピントのぼけた写真。

モデルと平間が
激しく動き回りながら撮影された。

縛られたロープから抜けようと
もがく被写体。

静止した写真から
被写体の動きを感じる。

平間の打ち出した新しい写真の表現は
瞬く間に反響を呼んだ。

ロックを感じるんですけど…

「やんちゃ」… やんちゃでしょうね
これ どう見ても。

…ということは?
写真館の写真っていうのは

普通 布バックをこう…。

何か こうソファーみたいなのがあって…。
動いちゃいけないっていうので

大きいカメラで…。
オーバーに言うと

「カシャン!」っていう。
そうですね。

大きいカメラでガシャッと撮るんですね。
はい はい… こう引っ張ったり。

数枚しか撮れないっていう。
それを 僕も まあ

小さいときから
ずっと手伝ったりとかしていてですね。

それで でも なかなか そういう感じだと
いい表情とか撮れないんですね。

どうしても こう
硬いままで終わっちゃうことがあって。

例えば その…

そうなんですよ。
写真の中に。

うん… でも 完全に これ
本当に すべて

画的にはロックですよね?
そうですね。

♬~

被写体が動く瞬間にこそ
魅力が生まれると考える平間。

ダンサー ミュージシャンと共に行う

ライブフォトセッション。

即興で踊るダンサーに合わせ
平間自身も一心不乱にシャッターを切る。

(シャッター音)

♬~

乗ってますね。
乗ってます。

ワオ!

(シャッター音)

やっぱり躍動感ありますね。

これは 撮影という行為を

一つのエンターテインメントとして見せる
新たな挑戦でもある。

平間さんは 今ある…

そうでもないんですか?

別に 枠を壊すことが
僕の目的というよりも

自分が本当にやりたいのは
写真館であったり

今のユニットだったりとか
そっちでしょうね。

結果として 何か すごく
こう超えちゃってるみたいな感じに…。

やっぱり 何か写真の中から
音楽を感ずるみたいなのは

ありますよね 確かに。

あれを ちょっと 僕は ある種…

そういう使い方もしてるんじゃないかな
って最近 自分で思ったんですね。

何のですか?
音楽とか…

なかなか カメラマンで カメラを
楽器の一部としてっていうのは

いないですよね。 どういう音を出すか
分かんないわけですから。

そうなると もう 言葉いらないですもんね
極端に言うと。

カメラという楽器を奏で
生まれる 平間の写真。

即興のセッションのように

ミュージシャンの感覚に合わせて
シャッターを切る。

ミュージシャンと編み出す 平間の撮影は
一つのライブだ。

未曽有の災害に見舞われた。

塩竈市の ひらま写真館にも
津波が押し寄せた。

大きな爪痕が今でも残っている。

東日本大震災のときは 平間ちゃんは
どこにいらっしゃいましたか?

そうしたら 東北のほうが
大変だったっていうことが分かって

すぐ実家に電話して。 最初は

ちょっとだけ電話が通じたんですね。
直後なんですけど。

そのあと たぶん 2週間とか

だいぶ 電話が
つながらなくなっちゃったんですけども。

それで ずっと
この津波の動画を見ていたら 自分が…

そんな…。 これを見てて
本当に心配ばっかりしていると。

それで 11日後に
ハイエース2台分の荷物を持って

塩竈に行くっていうのが
最初なんですね。

震災から11日後 平間は
変わり果てたふるさとの姿を見て

言葉を失った。

平間がカメラに収めた震災の写真は
ごく僅かだ。

とっても酷というか
きつい言い方かも分かんないですけども

行かれて その状況をご覧になって

その被害を
テレビ ラジオで報道してますけど…

最初はですね チリ地震の話を

僕が生まれる前ぐらいなんですけれども
聞いていて

その塩竈の港の水が
全部引いてなくなってから

津波が来たっていう話を
父から聞いていて。

でも そういう写真
見たことなかったんですよ。

なので それを 僕が
東日本大震災の記録を撮ってですね

それで 後世に伝えるべきじゃないか
というふうに思って

カメラを持って行ったんですけども…

ああ そうですか。

「撮るべきじゃない」…
撮れなかったんですか? それとも。

まあ分かりやすく言うと 撮れなかった。
そうでしょうね。

それが どういうことかっていうと
今までって…

それと ある意味 真逆な状態なんです。

それを感じられて…。
それが真逆であったときに

写真家として 真逆の価値観を
僕は撮るべきではないっていうふうに

自分の中では思ったっていうことですね。
なるほど。

写真を撮れない平間が

それでも ふるさとを勇気づけようと
たどりついたのが音楽だった。

震災から1か月後 平間は

友人であるダンサーのATSUSHIと
Candle JUNEと共に

復興ライブを行う。

会場は
塩竈市内のホームセンターの駐車場。

ミュージシャンたちの生の歌声が
がれきの散乱する町に響いた。

凍えるような寒さの中 集まった住民は
およそ600人に上った。

皆さんに言っていただいたのは
「本当に不安しかなかったときに

ちょっと本当に光がともった」っていう
そういう話を

たくさんしていただいてですね
それで これから そういう活動も

力になれるっていうことを
そこで実感するんですよ。

写真は撮れる状況じゃなかったのに
その… 何て言うんですか

音楽を やっぱり考えられたっていうのは
自分が

ミュージシャンだったからですかね?
何でしょう?

たぶん 僕自身も…

音楽から たくさん受けた経験を
たぶん すごい

非常に不安しかない状態の中でも これは
できるんじゃないかっていうふうに

思ったんですね。

そういうときの…

それとですね まあ
それをしようと思った理由の一つに

震災から11日後 最初に帰ったときに…

レゲエバー?
レゲエバーが。

どこもやってないし 本当に
ほとんど お店がやってないとこに

行きつけのレゲエバーが
やってたんですね。

だから もう ガスもないんで…
ガスがないのに 僕は そのときに…

はいはい はいはい…。

それで…

何をですか?

震災直後って みんな…。

何をしていいか分からないんですよ。
分かんないし

できなかったじゃないですか。
まあ テレビもね

ずっと そういう状況であったりとか

イベントも
どんどん休みになったときに

友人のレゲエバーが営業していることで

「あっ なんだ やったほうがいいんだ」
っていうのを

すごく そこで実感できたんですよね。

自分たちが そこで 何か
癒やされたじゃないですけど…

レゲエバーで。

音楽の力を体感した平間は

塩竈市のロックフェス
GAMA ROCKを企画。

安心して笑顔でいられる場所を
作りたいというのが 平間の願いだ。

2012年からスタート。 7回目を迎えた。

塩竈の小さな公園に
1日1, 500人ほどが集まる。

参加者の中には
ひらま写真館を利用してきた

地元住民もいる。

平間自身も
学生時代に組んだバンドで参加。

♬~

フェスの精神に共感した
たくさんのアーティストが

ステージを彩る。

♬~

♬「You'll never know dear, 
how much I love you」

♬「Please don't take my sunshine away」

♬「愛がすべてさ」

♬「今こそ誓うよ」

たぶん 一番…

2017年には 和田も
GAMA ROCKに念願の初出演。

塩竈に熱い歌声を届けた。

今でも続けようっていう
この理由とか何かあります?

自分は こう…

はい。
それから まあ…

うん うん… はい はい。
その 何て言うのかな…。

快適だとか そういうことではなくて
もう 7年も住んでいたら

それが日常に
人にとっては なっていく中で

あえて今だからこそ 本当に
その震災でね 大変だった人たちに

何をしたらいいのか
何を必要としているのかっていうのを

すごく 今 考える必要があるなってことを
すごく感じたんですね。

まあ 答えが出てるわけではないですけど。

続けることが目的とかではなく

今 必要なことは何なのかっていう
最初の原点に戻って。

でも 続けることが目的ではないですけど
忘れちゃいけないことですよね。

そうやって…

それで次世代に残さないように
自分たちで頑張ろうっていう気が 何か…

それが別に あの…

リズムに乗って… 帰るときに

「ああ 楽しかった 来年も行こう」とか
っていうふうに

なってるのかもしれないですね。

…と ここで平間の体に異変が!

今 ずしんときたのは
その 仮設住宅でさえも

日常的になってるっていうね。

ごめん…。
これでも緊張してますか?

ちょっと待って… ちょっと待って…。

足… ちょっと待って。
ああ 全然。

今のも 私は
オンエアでのせてほしいけど。

足がつったって。
誰が座ってるときに足がつる?

なかなかないよ?
座ってるときに足がつる。

何したのかなと。
私 蹴られるのかと思ったもん!

いきなり 足が こうなって…。
そう。

震災をきっかけに
もう一つ 平間が始めたことがある。

東京に自分の写真館を開いた。

そこでは 一般の人々の撮影も行っている。

後ろに こう入りましょうか パパが。
後ろに入って… はい。

ああ それ いいですね。 ああ いいですね。

いいですよ! いいですね! はい!

パパ ママ にこにこしてください。
ああ いいですね。

ママ 顔が疲れてます!
≪アハハハハ…。

写真 撮ってます! ママ。

プロのカメラマンが…

いろいろ
まあ 理由はあるんですけれども。

震災を経験してきてですね

震災直後 何度も
アッコさんのね 支援もあって

炊き出しとかに行くんですけれども。
そのときに こう…

はいはい はいはい…。

おばあちゃんがね
成人式の自分の写真を

僕がひらま写真館の息子だっていうことを
分かるとですね…

もう何人も そういう人に出会って。
本当に…

すごくはっきり
自分の中で分かったっていうのも

とても大きいですね。

それで まあ 一般の方?
そうですね 一般の方。

撮ってみたい。 残るものとして。
そうですね。

メディアの写真っていうのは
たくさんの人に

見ていただけるんですけども

なかなか やっぱり 雑誌だったら
雑誌がなくなったら

なくなってしまったりとか。

そういう「残す」っていうことが…

写真館のキャッチフレーズで…

それは… まあ 家族って どこの家族も
いろいろあるじゃないですか。 うん。

写真館で撮ることで
家族のいい状態 いいバランス

いい表情を撮ってあげて
何か それを形にすることで

例えば けんかしたときとか
うまくいかないとき

そこに立ち戻れるんじゃないかな
っていうふうに僕は思っていて。

…写真館で撮るっていうことは。

それは やっぱり
すごく 優しさじゃないですかね。

ここから先 どうなってもいい
っていうことではないですからね。

人が生きてきた記憶を込めた写真。

長く残り 時間を超えて
その人の記憶を伝え続ける。

いまや もう 私 自分で買い物をするのも
スーパー行っちゃって

全部まとめて買っちゃいますけど
やっぱり 昔みたいに

魚は魚屋さん 八百屋さんとか
お肉屋さんとかって ある中の

写真館っていうのが やっぱ
あったほうがいいような気もしますね。

「館」って「館」っていう字じゃないですか。

美術館とか 図書館とか 映画館とかって。
僕は 何か…

なるほどね!

本当の公共ではないんですけども
何か そういう…

これを放送したら ぜひ ご近所の方は
平間写真館に寄っていただきたいですね。

本当に この「館」に。

今回 対談をさせていただいて
感じたことなんですけども

アッコさんは歌で愛を伝えて

僕は写真で愛を伝えているんじゃ
ないかなっていうふうに

ちょっと そんなふうに思いました。

最高ですね!

そうなれればいいですね。

私は声に出して。
平間ちゃんは撮って 残してっていうね。

すごい いいと思います。

一緒に 人に愛を与えましょう。

≪テーマ「ラブラブ」!
ラブラブ。

分かんないな…。

平間ちゃん
分かんない。
分かってください。

♬~


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