先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)「江戸の危機管理“決め手は日々の蓄積”」 黒崎伸子、山本博文、加藤綾子、新井秀和…



出典:『先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)「江戸の危機管理“決め手は日々の蓄積”」』の番組情報(EPGから引用)


先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)「江戸の危機管理“決め手は日々の蓄積”」[解][字]


予期せぬ天災が起きたとき、不祥事が発生したら…その時、トップはどう立ち振る舞うか―江戸の危機管理前編では幕末の「安政大地震」を例に、先人たちの知恵を探る。


詳細情報

番組内容

予期せぬ天災が起きたとき、あるいは不祥事が発生したら…その時、トップはどう立ち振る舞うか―シリーズ「江戸の危機管理」前編は幕末の「安政大地震」に注目する。マグニチュード6.9、行政機関である江戸城は大被害、下町を中心に多くの庶民の犠牲に見舞われた中、復興・救済に向け、すばやい行動が次々に行われた。なぜそんなことが可能だったのか。先人たちの知恵を国際的な医療支援をするリーダーが読み解く。

出演者

【出演】国境なき医師団医師…黒崎伸子,東京大学史料編纂(さん)所教授…山本博文,加藤綾子,【司会】新井秀和




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先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)「江戸の危機管理“決め手は日々の蓄積”」
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♬~

よし… うん!

ヘルメットよし。 水も こんなに
いっぱいあれば大丈夫かな。

あとは… そうだ 懐中電灯。

うん ちゃんと つくね。

これなら大丈夫かな。

こんばんは~。
ああ こんばんは。 どうもどうも。

すいません こんな格好で。
どうしたんですか?

いつ地震が来るか
分からないっていう事で

いろいろと備えを
進めてたとこだったんですよ。

びっくりしましたよね。
そうですね。

いよいよ 建設現場に
異動するのかなみたいな。

いや そんなわけじゃないんです。
まだ この店 続けたいんで。

どうぞどうぞどうぞ。
立ち話も なんですから。

どうぞ いらっしゃいませ~。
は~い。

でもね なかなか何を準備して
いいかって分からないですよね。

水ばっかりね
やみくもに準備してもね。

やみくもに という感じですよね。
そうですね。

やっぱり 必要なものは何かって
よく考えてね。

でもね ここは歴史居酒屋ですから
先生 どうなんでしょうか。

歴史から学べる事って
ありますか?

それは 例えば江戸時代はね
災害が多い町ですからね

地震もあるし
大火事もあるし 洪水もあるし

そのつど それを全部復興してね
立ち直ってきたわけですよね。

ちょっと今日は その辺の話を
お聞きしましょうか。      はい。

よろしくお願いします!
(笑い声)

照らしが怖い。

(噴火音)

突然 襲いかかる自然災害。

その被害を 少しでも
食い止める事に役立つのが

危機管理。

今夜の「先人たちの底力」です。

今から遡る事 160年。

江戸の町は マグニチュード6.9
という大地震に見舞われました。

世に言う 安政江戸地震です。

激しい揺れのあと
火事に見舞われ

行く当てのない人々で
町は あふれ返っていました。

どうする? 幕府。

助けて 将軍様!

そんな時の危機管理の知恵が

江戸幕府には 意外な形で
備わっていました。

徳川260年の歴史は
災害のオンパレード。

悲惨な体験を繰り返す中で

万が一に備えての
ノウハウが

蓄積されてきました。

何度も何度も 廃虚から
立ち上がってきた 江戸っ子。

そんな先人たちの知恵を
読み解くのは…。

ソマリア シリアなど 緊急の
医療が必要とされる現場で

外科医として 活動してきました。

十分な医療設備も
支援もない中で

自分たちの命にも リスクを
抱えながら 最善を尽くす。

目の前の人を助けるという
医療の原点に立ち続ける黒崎さん。

江戸幕府の危機管理の知恵から
何を読み取るのでしょうか。

♬~

こんばんは。
あっ こんばんは。

いらっしゃいませ
お待ちしておりました。

どうぞどうぞ いらっしゃいませ。
楽しみにしてました。

どうぞどうぞ。
ありがとうございます。

いや今日は いろいろとお話伺って
いきたいと思うんですけれどもね。

国境なき医師団という事で

いろんな現場に行ってらっしゃる
と思うんですけれども。

私 震災の現場

震災というと 東日本の大震災の
翌日に入りましたけども

他には スマトラ沖の津波のあとに
インドネシアに2回 行きました。

私たち
緊急医療援助団体なんですけど

なかなか その私たちができる事と
現場のニーズが合わなかったり

何ができるかなとか
なかなか難しかったりしますね。

すごい現場ばかりですもんね
行かれてるのがね。

でもね そういう加藤さんもね
アナウンサーとして

災害の情報を伝えるという事も
これまで あったと

思うんですけれども。
そうですね。

それこそ
東日本大震災の時とかは

まあ
経験した事のない揺れを感じて。

そのあと…

もう情報も 報道局も バタバタ
していて 何が起こったのか。

範囲が広かったからですね。
そうなんですよね。

私たち 入るの苦労したんですよ。

報道関係の方が ヘリコプターいっぱい
使ってて 入れないみたいな。

何だか 申し訳ございません
という気持ちになりました。

手配するのが すごく大変で
あそこ陸路が遮断されてたので

ヘリコプターをどうしようか
というのが すごい大変でした。

ああいうのって
やっぱり状況を把握する事。

やっぱり ありますよね。
そう思いますよね。

でもね
今の時代でも そう思うのに

先生
当時は江戸時代ですけれども

でも 意外と早い復興が進んだ
という事なんですよね。

へ~。
さあ その辺の知恵をちょっとね

読み解いていきたいと
思いますけれどもね。

今日は
女性お二人いらしてるので

ちょっと おしゃれなメニューを
用意してみたんですよ。

こちらなんです。
はい。

一夜限りの特別メニュー。

あっ 気付きました?
ありがとうございます。

もしやっていう感じがしますよね。

「フォアグラトッピング」じゃなく
「フォアグラッとトッピング」という事で

どうぞ。
ご用意いたしましたのでね。

でも ちゃんとって言うと
あれですけど フォアグラ。 うわ~!

そうなんですよ。

その分 伝票つけときますからね。
しっかりと。

どうぞどうぞ。

ちょっと 召し上がって
頂きたいんですけれどもね。

このフォアグラも いいんですか?
ええ。

ああっ!
あっ 大丈夫かな?

もったいない フォアグラ。
パイ? えっ?

あ~ せっかくのフォアグラが。
やめとこう。

この大切なフォアグラが
ちょっと もろい所にあると

こんな状況に
なってしまいますよね。

中に入っちゃいました。

何となく 分かってきました?

そういう事を
言いたかったんですね。

実は これが今日のお話の
ヒントになっている

という事なんですよね 先生。
そうですね。

冬の気配が迫る 11月11日。

眠りについたばかりの江戸を
襲った 安政江戸地震。

直下型の地震で 最大震度6強。

1万4, 000以上の家屋が倒壊。

およそ1万人の命が
失われたとされています。

特に揺れが激しかったのが
こちら。

なんと 幕府の中枢機関。

今日の 丸の内から皇居にかけての
一帯です。

そうですね。 ええ。

この辺りはね。 ええ。

丸の内 大手町 日比谷などは

江戸時代の初めに 海だった所を
埋め立てた場所だったのです。

地盤が弱いため 特に揺れが
激しくなったと考えられます。

お城に近い この一帯は
大名屋敷が ずらり。

倒壊や全焼など
被害が集中しました。

その惨状について
詳細な記録があります。

幕末の事件や
噂を取材した

藤岡屋由蔵という人物が
残したもの。

「即死百二人
お届け候えども

その他 妻子
小者ども数知れず」。

そうすると あれですね
スープの上にパイがのっていて

崩して食べる料理
ありますけれども。

こうやって やったら…

そうですね
そんな感じですね。

幕府にとって 痛手だったのは

行政の中心である老中・若年寄が

そろって
被災者になってしまった事。

救済の陣頭指揮に
あたらなければならないのに…。

でも 意外と大丈夫だったんです。
一体 なぜ?

地震のあと 老中・若年寄たちが
全力を傾けたのが

お城に上がる事。

何はともあれ 将軍の身の安全を
確保する責任があったのです。

屋敷が崩れ落ち 目の前で
家族が血を流していても

まずは 主君のもとへ
急がなければなりません。

幕府の記録である
「御沙汰書」によれば

一番乗りは 老中・内藤信親で

電車も車もないのに

僅か1時間半後に到着。

間もなく 全員が
そろいました。

将軍 徳川家定が

吹上御庭に脱出するのを
見届けると…。

彼らは そのまま
震災対策の協議に入りました。

まずは…

比較的 被害が軽かった
老中・久世広周の邸宅に

本部を置く事が決定されました。

リーダーの交代も行われました。

当時の最高権力者は…

今で言えば 総理大臣。

屋敷が ほぼ全壊し
死者28人という状況に

職務続行は難しいと
判断し…。

ベテラン・堀田正睦に
バトンタッチする事になりました。

復興予算も速やかに組まれました。

まずは
ヘッドクオーターにあたる

老中・若年寄の武家屋敷を
修理するため

合計5万8, 000両が
貸し付けられました。

復興への大号令をかけるには

まずは 本部がしっかりしないと
という事。

今のお金にして およそ
69億6, 000万円が投じられました。

次に幕府が行ったのは

諸藩の江戸藩邸の被害状況を
把握する事。

といっても 電話や
インターネットもないですよ…

などという心配をよそに

あっさりと できちゃったんです。

ある 日常的な「儀礼」のおかげで。

当時 将軍の身に
何か起きたと聞けば

幕閣はもちろん
大名たちも急ぎ登城し

見舞う事になっていました。

「ご機嫌伺」という この慣習。

徳川家康の時代から 250年。

綿々と行われていたものです。

大地震の直後から 暗い中を

江戸中の大名が 続々と
お城に集まってきました。

この「御機嫌伺」のついでに

各藩から
被害状況が報告されたのです。

幕府に提出された
被害届の写しです。

震災から
一日と置かずに

被害の全貌を
幕府は把握します。

伝統的な武家の儀礼作法。

平時からの
コミュニケーションが

災害時の危機管理にも
有効だったのです。

そうですね 今見てて
思ったんですけど…

私たち医療ですけど 医療をする
前に何をやるかっていうと

物資を まず持っていける場所を
確保する 保管場所を確保する

そして 人を雇うという

そのヘッドクオーターの
システムを まず作ってから

本当に働く人を作るという事で

一度に ぱっと集まっても
何もできないので

そのシステムが
今 みんなじゃなくて

一部だったと
すごくよく分かりました。

何か やっぱり
ああいう対策というか

あれだけスムーズに動ける事
というのが驚きでしたし…

そうですよね。

やっぱしね 大名は
自発的に登城するわけですね。

これは もう例えば
将軍が病気になったと聞くと

一日 2度3度と登城するのが
当たり前だったりするんですね。

行って 御機嫌伺して
大丈夫と言われて帰って

まだ心配だから行くみたいな事を
結構 繰り返して

とにかく 自分の藩邸が崩れてても
それは ほっといて

江戸城に行って
将軍の御機嫌伺するというのが

もう大名の常識だったわけですね。

みんなが行くんですか?
そうです みんなが行くんです。

ずっと あの江戸全体からですね。

多分 今の
その御機嫌伺もそうですけど…

目的が もう一つになっていると。

なってるから
必ず 何度も行くとかいう

自然と身についたものが
皆さんにあって

うまくいったんだと思います。

いざ 一番強いのは そういう
ところかもしれないですね。

復興において。
そうだと思いますね。

でも いざ
じゃあ何か こういう問題が

身近な人と
助け合わなきゃいけない時って

どういう つながりを
今 持ってるのかなって。

お隣さんが
どういう人なのか。

隣が誰だか分からないし。
分からない。

そういう時に どういうふうに
コミュニケーションをとって

相手の事も思いやってとか。

どうしたらいいんだろうなって
考えちゃいますよね。

そうですよね。 何か一見
自分は いろんな人と

つながってると思ってても…。
孤立してたりしてね。

自分は誰もいない
どうしようと。  そうなんですよ。

だって 携帯電話が
使えなくなったら もう

SNSのつながり
絶たれてしまいますもんね。

そしたら 隣の人を
訪ねるしかないけれども。

そうなんですよ。
電話番号 覚えてないし。

いや そうですね。
頼りっぱなしですね。

黒崎さん どうでしょうか。
人間同士のネットワークが

社会をつないでるなって
感じる事とかって?

そうですね やっぱり
逆に途上国というか

私たちが働く場所の方が 逆に
国は頼りにならないとか

自治体は頼りにならないとか
思うので

地域の人たちが
常に どこに病人がいるとか

どこに障害者がいるとか
どこに貧しい人がいるとか

それ全部 分かって
お互いにサポートして

あの人が最近見えないというと
すぐ見に行くとか。

あそこのお母さんが病気したら
その子供は 自分が引き取るとか。

とても大事だなと思うんです。

私も ドラマに こないだ
挑戦させて頂いて

もう 「何々組」みたいな
呼び方をされるような

チームなんですけれども
コミュニケーションが よくとれてる。

あうんの呼吸っていうんですかね。

こういうチーム力っていうのは
やっぱり ものすごい

パワーになるんだなというのを
実感しましたね。

それで言うと 黒崎さんは…。

加藤さんと全く違ってて
チームが こう流動的なので

外科医の人が
また1か月ごとに代わったり

内科医は3か月いたりとか
順番に代わっていくんですけど

このポジションの役目は
ずっと一緒なので

その理解をした人が
ちゃんと入ってきて

そのかわり やってる医療の
レベルというのは

常に こう維持し
できれば高くしたいっていう。

その目的と理念が一緒であれば
何て言うんだろうな。

ちょっとチームは変わる

人は変わるけど
ポジションは一緒で…

は~。
そっか。

そうですよね
流動的に いろんな方が… ねえ。

まあ いろいろ起こりますのでね

その時は
現場で解決する事もあれば

ヘッドクオーターと
相談する事もあるし。

でも どうなんですか?
その生きるか死ぬかの現場でも

そうじゃない
ちょっと ほっとした

ひと息つけるような
時っていうのも

あるのかなと思うんですけれども。
逆に言うと その方が大事で

患者さんとか
けが人を前にしてると

一生懸命 動けるんだけど
朝ごはんを食べる時に

フランス語だと…

「よく眠れた?」とか

「今日 元気ないね」っていう
声かけから

この人は ちょっと
ストレスじゃないかなとかいう

その ふだんの会話っていうのは
とても大事で

ちょっと調子悪かったら 今日
昼まで休んだら? みたいな

声かけというのは
お互いがするというのは

大事かなと思います。
仕事に こうなるんじゃなく。

チームとして
出入りが流動的だからこそ

やっぱり コミュニケーションって
すごく大事というか

それって どうやって?
ふだんの会話が大事。

ふだんの会話で。
結構 夜はどうでもいい話を。

え? 例えば?
夜 長いんですよ もう。

昼間しか出ちゃいけないので

夜はもう絶対 戒厳令じゃないけど
出ちゃいけないっていうと

よく 「日本の俳句の話をしてくれ」
とか「書道の話をしてくれ」とか。

それが楽しいところでもある。
そっか。

それができない人は
チームに入れない。

ああ そうですよね。

コミュニケーション力というか
チーム力というのはね

大事だと思います。

何か ごめんなさい。

気付いたら全然 ポットパイが
進んでませんでしたね。

特別メニューなんですけど。
いや もう冷めちゃいました。

あれ? 冷めちゃいました?
はい。

安心して下さい。
そんな事もあろうと

当店 準備してるんです。

ほら!
お~ こんなに。

こんなに いっぱい。
ね?

恐ろしいぐらい
準備してるじゃないですか!

このね たくさん備えてある
というのがですね

次の知恵に つながるんですよ。
は~… 分かりました。

幕末の江戸を襲った大地震。

町民たちの暮らしにも
襲いかかりました。

柱や梁が 積み木のように崩れ落ち
大勢が その下敷きになりました。

安政江戸地震は 今の震度で言うと
最大震度6強という事で

どれぐらいの揺れなのか ちょっと
一緒に体験してみようと思います。

よろしくお願いいたします。
こちらこそ。

では お願いします。

おっ ああああ! すごいですね。
た… 立てない。

お~。
いや…。

畳が滑ってしまって。
立って歩けないですね。

歩けないですよね。
ええ。

それが江戸時代ですから
これは 今とは比べ物にならない。

被害を大きくした要因は
2つありました。

1つ目は 火災。

火の手は 江戸市中
およそ30か所から上がり

逃げ遅れた人々を 容赦なく
のみ込んでいきました。

もう一つが 土蔵の存在。

「火事と喧嘩は江戸の華」と
言われるほど

火災が多かった江戸の町。

幕府は 火が燃え広がるのを防ぐ
手段として

防火壁の役目をする 土蔵の建造を
奨励しました。

でも 安政江戸地震では
それが 裏目に出てしまいます。

容赦ない炎と煙が
土蔵をのみ込み

崩れた壁に 人々は押し潰され
死者が続出しました。

町民の犠牲者は
記録によれば

4, 699人にも上りました。

人数が 正確に集計できた理由も

日頃から 密接なコミュニケーションが
とれていたからでした。

江戸時代 多くの町民は
借家住まい。

大家が店子に 何やかんやと
構ってくるのは当たり前。

ちょっと めんどくさそう。

でも ひとたび
店子に何かあれば

たちどころに
大家の知るところとなり

各町内会の名主を経て
町奉行所へと

情報が上がっていく仕組みに
なっていました。

その情報を受け取った
町奉行所では

与力や同心たちが
震災後 続々と集合。

緊急対策会議が開かれ

夜明け前から 被災者の救済策に
乗り出しました。

まず行われたのが炊き出しでした。

町の5か所に
配給所が設けられ

握り飯が配られました。

のべ およそ20万人が
この恩恵に浴したと推定されます。

江戸では こうした非常時に備えて
常に 米を貯蔵してありました。

市内4か所に設けられた
米の貯蔵所は 幸い震災を免れ

すぐに炊き出しを行う事が
できたのです。

続いて いわゆる「仮設住宅」が
建設されました。

場所は被害が大きかった
浅草 新橋など 5か所。

「御救小屋」と呼ばれました。

丸太を組んだだけの構造に
こけら葺きの屋根

床は 板の上に畳敷きという
シンプルな構造で

とにかく すばやく建てられる事を
優先した設計。

当時の 南町奉行所の
与力の記録によると

「千坪の小屋が半日ほどで
できる」とあります。

何があっても すぐに動く。
お上は 庶民を見捨てない…。

幕府に このような
災害対応ができた訳。

それが 今日の2つ目の知恵。

火事 地震 洪水 火山の噴火。

江戸は繰り返し 大きな災害に
さらされてきました。

例えば 明暦3年1月の…

激しい炎は
江戸のほとんどを焼き払い

6万人もの死者を出しました。

江戸城の天守閣も
焼け落ちてしまいました。

辛うじて生き延びた人々も

その後 降った雪のために
凍え死ぬという

二重の悲劇に見舞われました。

こうした経験から 幕府は

被災者のため 仮設住宅を
造るようになったのです。

天明7年には 冷害と洪水が続いて
作物がとれず

またしても 多くの餓死者が。

飢えに苦しむ人々は 死人の肉を
食べる事さえあったといいます。

この時 幕府は 十分な救済策を
打つ事ができませんでした。

5, 000人にも上る江戸の住人が
暴徒と化して 商店を次々に襲撃。

町は大混乱に陥り

時の権力者 老中・田沼意次の
失脚につながりました。

田沼に代わって 被災した
江戸の町を立て直したのが

後任の老中・松平定信でした。

東北・白河藩の藩主だった定信は

飢饉の恐ろしさを
知り抜いていました。

その経験から生まれたのが
「囲い米」と「七分積金」。

その資金源としたのが
新たに設けた「七分積金」でした。

七分積金を始めるにあたって

定信は 地主たちが納める
「自治会費」に着目。

この金額を引き下げて
地主たちの負担を軽くし

そのかわりに 浮いた分の7割を

災害対策のために
積み立てさせたのです。

お金をため 米を備蓄するなど

万が一の時に
備えてきた先人たち。

「災害は 忘れた頃に やって来る」。

でも その…

いや~ だって もう翌朝には

ごはんとかが
支給されているって

すごい事じゃないですか?
そうですね すごいですよね。

今 考えても。
今でも すごいですね。

ね! 今だって やっぱり
何となく こう

自分たちで 備えなきゃいけない
ですけど 3日間はっていうね

自力で頑張れ というような事
言われてますから。

そこを まあ…

そういう意味では 松平定信は
白河藩藩主の時代にもね

そういう事やってるので
まあ そういう事もあって

幕府に登用されてるわけですね。

で 直前の時代は
浅間山が噴火したりね

冷害があって 飢饉があったりね

そういう災害を経験したあとで
老中になってるので

それだけのね 対策が
できたんだと思いますけどね。

もともと そういう経験があった
という事なんですね。      ええ。

すごい。
そうですよね。

そういう蓄えが
あるっていうのは

私たちも 常に
蓄えてるつもりなんですけど

なかなか その蓄えを
いつ どこに持っていこうとか

持ってきたくても 持ってこれない
とか あるんですけども。

例えば お米はあるけど 水がない
とか。 すごいなと思ったんですよ。

水 どうやって手に入れたんだろう
と思ったんですけど。

お米には必ず水が要るので。
そうですよね。

なので 今 アフリカでは
お米を寄付しても

炊けないし おなかこわすので
レディトゥユーズって こう

ピーナツバターみたいのを
こう 配るんですね。

だから 水を使わなくていいので
下痢しないから

子供たちの栄養失調が
すぐ治るようになったんですね。

だから そういう面では
江戸は 周りに いっぱい

水が ちゃんと確保されてたん
だろうなと思って 今…。

水道を完備されてるんですね。
ですよね。

だから 多摩川から引いてる
玉川上水とかね

そういうのは生きてたので

それを使って
ごはんも炊けたわけですね。

そこら辺が すごいなと思って
見てました。

でもね 何か どれもこれも

日頃の積み重ねがあったからこそ
って感じじゃないですか?

そうですよね。
仮設住宅とかも

こうやったら すぐに建てられる
とかっていうものが

やっぱり こう 知恵として

あと 経験としてあった
という事ですもんね。

今ね 配給とね 御救小屋

仮設住宅の話が
ありましたけれども

その他にも
災害対策といいますか

過去の経験が
生きたものとかっていうのは?

これから きちんと社会生活を
送っていかなきゃいけないので

やっぱり 売り惜しみだとか
そういうのが出てくると

まあ 物資が
うまく流通しないですよね。

だから そういうものを
禁止するとかね。

あと 流言飛語が出回ってしまうと
なかなか やっかいなので

瓦版なんかも
許可制にするとかね

そういう対策も
いろいろと取ってますよね。

瓦版をね 許可制って
何かちょっと 今の時代でもね

災害が起こった時に SNSで
いわゆるデマが… ね?  そう。

あれ 飛び交ってましたよね
あのころね。

だから そういう時には そういう
おそれがあるっていうのを

過去の経験から学んでたっていう。
まあ そうですね。

まあ いつも
そういう事になりますからね。

この世の中って
そういう事なんですね。
昔から。

昔から。
(笑い声)

そういうものなんだなっていう
感じがしますよね。

え どうですか?

経験の大切さみたいなのを
知るような出来事っていうのは

やっぱり たくさん
あったんじゃないですか?

そうですね
例えば お薬が入らないとか

紛争地では ほんとは ヨーロッパから
取り寄せるんですけども

もし来なかったら どうしよう
ここで何が手に入るか とか

そういうのを ちゃんと…

…というのは
いつもある事なので。

意外に… 何て言うんでしょう

日本… 欧米人に合うような
針の長さだと

現地の人には 太ってる人が
多いので届かないから

現地で調達した
みたいな話があって

慌てて 調べに
行ったりするんですよ。 へえ~!

本来は そういう決まった規格が
あるんですけど

緊急時は
しかたがないのでっていう。

やっぱり…

そっか~。

あの~ どうですかね 黒崎さん
いろんな場所に行って

いろんな危険と
隣り合わせじゃないですか。

それは よく言われる。
あんな危ないとこに

何で行くの? っていう。 私たち
ずっと行くわけじゃないので。

まあ 短期間ですし。
例えば よく誘拐があったりとか

捕まったりとか するんですけど。
そうだよね。

その時には
私 イラク戦争に行く時も

これは みんなの
セキュリティーマネーだからって

100万円ぐらいを持っていって
みんな20万円ぐらいを持って

外 危ないとこ歩く時は
もし捕まりそうになったら

それを出したら あなたは
すぐ逃げなさいみたいな。

ああ お金を?
まあ お金欲しさに
大体 捕まるわけだから

それを持ってると
安全だからっていう。

なるほど。
すごいですね~!

怖いですね。

あるいは よくあるんですけど

救急車が
上から撃たれたりするんですね。

救急車を撃つんですか。
大体 救急車って白いので

私たちは 撃たれないために
救急車とか 自分たちの車

ピンクとかに塗るんですよ。
そうすると 絶対 撃たれないので。

国連の車って
みんな白じゃないですか。

白いのは お金持ちというか
海外の援助の車だから

白には塗らないように…
国によるんですけどね。

そういう事もやったり
いろいろ知恵を働かせて。

でも 狙われてしまうわけですね。
その相手の国のために

その国のために行ってるのに。
今は そうやって狙う事で

自分たちの存在意義を
伝えようという。

紛争は そういうものなので。

なるほどね~。

さて あの~ ちょっと皆さん
この お盆をね

ずらして頂いても
いいでしょうか?

あら!
何か出てきた。

えっ 何ですか? これ。
ちょっと絵をね…。

ヒゲがある。
隠しといたんです。

何の絵か分かりますかね?
え? これもう…

そうですね。
先生 これは
どういう事でしょうねえ。

ナマズっていうのは 地震を起こす
元凶の魚っていうのは

ご存じですかね?
地面の下にナマズがいて

それが おわれるから
地震になるんだっていう。

あ! へえ~!
そういう まあ 俗説が…

俗説というかね
あるんですよね。

ナマズを 三味線とか
そういうので殴ってるわけですね。

こんな被害を出して という事で
殴ってるんだけども

左の上の方には 何となくね

遠巻きに見てる人も
いるわけですね。

応援してる人がいる。
あ ほんとだ。 この左上に。

この人たちは 鳶とかね
左官とか

そういうふうな人たちなんですね。
大工とか。

つまり地震で全て そういうものが
崩れたもんだから

新しく建築需要があるわけですね。

彼らは もうかるわけなんで 「まあ
そんなに ひどくしなくても

いいんじゃないか」というふうに
言ってる というのが この絵の

まあ 何て言うか
気持ちなんですね。

ちょっとユーモラスな感じで。
そうですね。

へえ~。

何か あれだけの被害があると
気持ち的には

「こういう事があって」って
こう 悲しい絵に

なってしまいそうな
気がするんですけど

やっぱ 笑いに変えられるっていう
その人間力というか

力強さっていうのは
復興の早さに

ちょっと結び付きが
あるような気がしますよね。

そのとおりだと思いますね はい。

気持ちって大切ですよね。
うん! ですよね。

やっぱ 震災とか紛争でも
そうなんですよ。

必ず 心のケア 例えば
紛争地に行ってケガをしました

手足を切断しないと
生き延びませんという

説明をする時に
切る前も切断をしたあとも

切断した前も後も 必ず
その患者さんの心のケアをして

手術の説明をして 大丈夫ですか?
って話をするし

東日本の時も…

何て言うんでしょう
日本人って すごい こう

「自分だけじゃない 被害者は」と
思うから あんまり言えない。

言えない事が うつになって
食べる気がしなくなって

だんだん弱っていくって事が
あるので… 何て言うんでしょう。

そういう場所を作るって
とても大事で…。  吐き出せる…。

精神科的ケアっていうと
すごい抵抗があるんですけど

お茶飲みながら おしゃべりして

話をする事で
ストレスを回避するっていう。

それは もう早くから
やろうという方向に

今 なってきてると思いますね。

確かに 私も その3.11の
東日本大震災 起こったあとに

取材に 毎週毎週
行かせて頂くんですけど

やっぱり こう… まだその時
20代とかで 帰る家があって。

でも つらい思いをしてる方に
マイクを向けなきゃいけない。

でも 何か すごく 私は自分が
偽善者ぶってる気がしちゃって

嫌だったんですよ。
人のつらい声だけ聞いて

撮れました。
で ありがとうございます。

で 私は
東京に帰ってくっていう

その心のバランスがとれなく
なってしまった時があって

で その時に

何か 自分がずるい事してるような
気がするって言って

先輩に相談した時に その…

もうずっと上の方なんですけど
その方から

「いや そういうふうに 何かを
聞き出そうという事じゃなくて

お話を聞いてあげるっていう
気持ちで

行けばいいんじゃない?」って
言われた言葉に

すごく救われたんですよ。
それはもう こちらも救われた。

確かに その被害に遭った方って

つらい思いを なかなか
吐き出せる場所って… ねえ?

みんなで体育館で暮らしてると
なかなか できない事なので。

だから 何か その時 救われたな
というのを今思い出しました。

いっぱい 被災者いるけど
自分のそばにいるだけで

「あ 私も忘れられてなかったんだ」
というのは

すごい大事かなと思いますよね。

普通にしゃべる事。
しゃべり相手がいるっていう。

おしゃべりっていう事ですよね。
あ~…。

まあでも 東日本大震災を
きっかけに変わった事とか

学んだ事っていうのは
ありますよね。    そうですよね。

でも 今の江戸のを見ると
うん なるほど

原点は ここにあるのかなと
思ったり。 そうかもしれませんね。

経験を無駄にしないと。
そうですね。

で 悪かった事を反省し
見直していくっていう事が

やっぱり
次に備えっていうんでしょうね。

ほんと そうですね~。
そっか~。

あ そうだ。 もう 皆さん

終電とか大丈夫ですか?
あ! そうですね。

あ もう こんな時間だ。
いい時間でした。

楽しかった。
ごちそうさまでした。

閉店時間まで
ありがとうございました。

どうも ごちそうさまでした。
行きましょうか。

夜遅いですから
気をつけて下さいね。 そうですね。

夜道 気をつけて。 夜道の
危機管理もありますからね。

加藤さん あの~ 週刊誌とか
撮られないように。    危機管理。

そういう危機管理とか
大丈夫ですか?   気をつけます。

大丈夫そうです。
大丈夫そうですか。

何かあるんだったら聞きたいな~。
大丈夫なんですかね。

ごちそうさまでした。
どうも ありがとうございました。

毎度 ありがとうございました。

はあ~。
うん 今日も楽しかった。


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