英雄たちの選択「謙信VS.信長 戦国最強は誰だ?~真説・手取川の戦い~」 金子拓、小谷賢、中野信子、磯田道史、杉浦友紀


出典:『英雄たちの選択「謙信VS.信長 戦国最強は誰だ?~真説・手取川の戦い~」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「謙信VS.信長 戦国最強は誰だ?~真説・手取川の戦い~」[字]


上杉謙信と織田信長が戦った手取川の合戦は、武田信玄亡き後の、いわば戦国最強決定戦。対武田で同盟した二人が戦いにいたるまでの、男女の恋愛を思わせる関係に注目する。


詳細情報

番組内容

初めは武田信玄という共通の敵に対抗するため同盟した謙信と信長。しかし蜜月は続かなかった。信玄が死ぬと、すれ違いが始まり、やがて決定的な対立に。焦点になったのは能登の巨城・七尾城。謙信に攻められる城を救援しようと信長は大軍を派遣。一刻も早く城を落とさなければ挟み撃ちになる謙信。策を弄して城を落としたが、織田軍の進撃は続く。謙信の選択肢は二つ。織田の大軍を平地で迎え撃つか、籠城策か。戦国最強決定戦だ!

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】金子拓,小谷賢,中野信子,【語り】松重豊

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英雄たちの選択「謙信VS.信長 戦国最強は誰だ?~真説・手取川の戦い~」
  1. 謙信
  2. 信長
  3. 七尾城
  4. 戦い
  5. 手取川
  6. 織田軍
  7. 決戦
  8. 思うん
  9. 籠城
  10. 侵攻


『英雄たちの選択「謙信VS.信長 戦国最強は誰だ?~真説・手取川の戦い~」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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例えば 「天下布武」を掲げ

百戦錬磨の群雄を倒し

新しい時代を切り開いた…

だが 江戸時代初期に成立した軍記物には
こうある。

「最強の武将とは…」。

「3人の名将のうち
1人でも長命であったなら

信長は滅亡していたはずだ」と…。

実は このうちの一人が
織田軍と雌雄を決する戦いをしている。

軍神 毘沙門天の化身と恐れられた
武将である。

決戦の地は
現在の石川県白山市を流れる

手取川流域。

謙信 対 信長。

氏康 信玄 亡きあと
戦国最強を決定づける…

上杉側の記録によれば…

戦いの後 謙信は こう豪語した。

「織田軍は案外 弱く

この分では 今後
天下までの道のりは

容易であろう」と。

だが 織田側に
戦いの記録は残されておらず

その実像は 明らかになっていない。

勝敗を決めたのは 一体 何か?

城郭考古学者 千田嘉博さんが
注目したのは…

実は この…

さらに 戦いを記録した
別の史料の登場で

謎多き戦いに
今 新たな光が
当たろうとしている。

謙信と信長。

2人の英雄について
さまざまな分野の専門家が多角的に迫る。

天下の趨勢を懸けた決戦 手取川の戦い。

戦国最強を決める合戦の真実が 今
ここに 浮かび上がる。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

そのとき 彼らは何を考え 何に悩んで
一つの選択をしたのでしょうか?

今回 取り上げる主人公は
こちらの2人です。

「越後の龍」と呼ばれた上杉謙信と
戦国の覇王 織田信長。

まさに 戦国時代を代表する
英雄ですよね。

そして 今回 テーマとして
取り上げるのが 手取川の戦い。

現在の石川県白山市で行われた
戦国最強決定戦ともいうべき合戦です。

さあ 磯田さん 今回は 謙信と信長。

ずばり 磯田さんは どちらが

最強の武将だと
考えていらっしゃるんですか?

難しいですね。
これは 歴史家泣かせの質問です。

「戦国最強」というのは
単に合戦が強いというわけではない。

外交だったり 領国の経営など
総合力がね やっぱり 問われますよね。

そもそもですね まあ 戦国時代ですし

当然 2人っていうのは
こう バッチバチにやり合っていた

敵対関係にあったと考えて
いいんですかね?

う~ん 意外かもですが 最初はね…

共通の敵がいるっていうことも
ありましたしね。

じゃあ そもそも 仲の良かった2人。

なぜ じゃあ
敵対関係となってしまったのか

その経緯から見ていきます。

戦国時代の京都の姿を描いた
貴重な屏風絵である。

天正2年 信長が謙信に
贈ったものだという。

屏風絵の中で ひときわ目を引くのが
将軍の御所へ向かう武家の行列。

この人物こそ
若き日の謙信だと考えられている。

なぜ 信長は 謙信に
この屏風絵を贈ったのか?

謙信と信長 2人の関係は意外に古い。

最初の交わりは

信長が謙信に屏風絵を贈る10年前に
遡る。

このとき…

川中島の戦いで 宿敵 武田信玄との争いを
繰り返していた。

一方 31歳の信長は

桶狭間の戦いで
東海の雄 今川義元を倒したあと

隣国 美濃攻略に力を注いでいた。

謙信に宛てた信長の書状に こうある。

「わが息子を
養子に迎えても構わないとの由

誠 光栄の至り 今後も
ご指導を仰ぎたい」。

この養子縁組みは
実現していない。

だが
謙信に対する信長の低姿勢な態度は

何を意味するのか?

当時の書状の
やり取りのルールから考えますと

ごく当然…

謙信が就任した関東管領とは

関東諸国の いわば政務長官。

将軍が直接 任命する
室町幕府の重職であった。

2人の関係は 信長が

足利義昭を奉じて上洛を果たしても
変わっていない。

信長は謙信に こう報告している。

「将軍様 御上洛の件

信長は お供することを
請け負っただけです」。

謙信に対する
信長の気遣いがうかがえる。

だが やがて 両者の関係に
あつれきが生じ始める。

契機となったのは「戦国最強」とうたわれた
もう一人の武将

武田信玄の死である。

当時 信玄は 謙信と信長の共通の敵。

信長の同盟者 徳川家康は

三方ヶ原の戦いで
信玄に大敗を喫していた。

武田軍は 徳川領に侵攻。

そのさなか 信玄が病没したのである。

英雄 信玄の死で
武田の領国は揺らいでいた。

この機を逃すまいと
謙信は 信長に申し入れた。

「畿内のことより
むしろ 今は

武田に対する軍事行動に
精を出すべきである」。

互いに協力して
武田領に侵攻することを

提案したのである。

武田勝頼が信長の領国 東美濃へ侵攻。

信長は武田軍を迎え撃つ。

このとき 謙信は 越後から雪の峠を越え

武田領の西上野に侵攻した。

これにより 武田軍は織田領から撤退。

だが 謙信は

信長を救援するため
苦労して出兵したにもかかわらず

信長から
何の礼もないことに腹を立て

これを遺恨とした。

「洛中洛外図屏風」は
謙信の怒りをなだめるため

信長が おわびとして贈ったものと
考えられている。

今度は 信長が武田領への共同戦線を

謙信に持ちかける。

だが 謙信は 武田領ではなく越中へ出兵。

これには信長も黙っていない。

「約束を違えるのは
世間体が悪く 無念です」。

謙信に恨み言を述べ
非難している。

謙信と信長
2人の こうした行き違いは

やがて
決定的な対立となっていくのである。

さあ 謙信と信長 2人の関係性について
話し合っていきたいと思うんですが。

小谷さんは この謙信と信長の関係性
どういうふうに考えますか?

というか 謙信が やっぱり
義のために戦うというスタンスは

これは 圧倒的に
格好いいんですよ。

周りから見てれば。
第三者から見れば
とても格好いいんです。

部下とか敵から見たら
たまったもんじゃないんですけれども

本当に格好いい。
さらに 戦に強いわけですから

これは もう 信長じゃなくてもね
ほれぼれしますよ。

ひょっとしたら… この辺は
中野さんに聞きたいんですけど

やっぱり 信長 サイコパスっぽいところ
あるんですかね?

お礼しないわけですよね?

山を越えて 雪山越えて
戦ってくれてもですね。

そうですね…

やっぱり
非常に合理的な部分というのが

織田信長という人物には
あったとするなら

何か 雪山を越えて
戦ってくれたというのは

義というものが
インセンティブに
なったのではなくて

彼にも 何らかの得が
あったに違いないと
考えるはずだから

これは お礼をするにはあたらないと
思ったはずだと思うんですよね。

「やりたくて やってるんでしょう」という
こうなるわけです。

それなりの利益があったはずだと。

金子さんの本の中で

恋愛関係として捉えている文章を
見かけたんですが。

やはり 信長も謙信も
ある程度 純粋なところがあって

自分の考えに
突き進むなんていうところがあって

それで 逆に
信玄が死んだあと

2人の
行動というのが

すれ違い気味に
なってるようなことがあって。

本を書くときに
こういうすれ違いを

何で表現すれば…
例えればいいかなという。

…というふうに思いまして

例えはしたんですけど。
それで まあ 謙信が積極的なときに

信長は ちょっと つれない感じになって。

で そのあと
信長が逆に積極的になったら

なんだ この間まで 全然 自分に
対応してくれなかったのにっていうんで

謙信が そっぽを向くような
そういう関係ですよね。

つまり 「あのとき
これ やってくれなかったのに」とか

引きずるタイプの人と

その場その場の状況で大丈夫な人がいて。

恋愛相手としては
「一番苦しかったときに

あなた 一緒にいてくれなかったのに」
みたいな考え方に

陥りやすいのが謙信なんですよ。

「このときは 俺の所へ
助けにくるべきだろう」って

一回 裏切られたら
その頭が ずっとあるんですよ。

ずっと こじらせてるんですね。
ええ。

結局 信長が 協力できなくて

謙信が遺恨に思うっていうときに

信長は おわびの印として
「洛中洛外図屏風」を贈るっていう

そこの気持ちも…

「そこまで大層なものを贈られても…」
っていうところが

ひょっとして あって 相手の。 謙信の。

(中野)認知的不協和が
起きちゃうんですね。

それに見合った おわびの印であれば
納得するんだけども

豪華なものを贈られると

「あっ こんなにひどいことを
自分はされたんだ」って

かえって思い出しちゃうんですね。

根に持つタイプの人は 特にそうなので。

女性のほうが
圧倒的に こういう人は多くて。

よく ご経験されている方もいると
思いますけども

男女で けんかをしていると

そのときのことを題材に
争いをしているはずなんですが

なぜか昔の話を持ち出されたり

「あのとき あなたはこうした」。

「あのときも こうだった」。
「このときも こうだったと思う」。

どんどん掘り起こされていくと
思うんですね。

…ということが推測できるかな
というところはありますよね。

(小谷)じゃあ そういう人に謝るときは
どうするのが 一番ベストですか?

一番いいのはね 夏山なんかね 越えてね
信長が直接 こっそり会いにいってね

近づいてくるほうがいいんですよ
そういう場合は。

こういうタイプの人はね
「出ていって!」って言われて

本当に扉から出ていったら
絶対 駄目です。

後ろ側に回ってね
一緒に近いとこ いてね

「すみません すみません」と
ひたすら 論理じゃなくてね

謝るのが一番いいです これは。
ご経験があるみたい…。

(小谷)誠意を見せろと。

(中野)「誠意を見せろ」… そう。
「誠意を見せろ」も男女で違うんですよ。

これは全然 違っちゃう。

信長は だから
「それ相応の贈り物」っていう

男性的な発想で
屏風を贈ったわけですね。
あ~ そうか。

いや~ なかなか
謙信の気持ちは難しいですね。

さあ その謙信と信長
2人のすれ違う感情は

このあと どうなっていくのか
見ていくことにしましょう。

信長は
大軍勢を率いて越前へ侵攻。

長年 信長と対立していた
一向一揆を滅ぼすためである。

その勢力は戦国大名に匹敵していた。

このとき 信長は
驚くべき手段に打って出る。

「山林まで分け入り

男女を問わず
ことごとく斬り捨てよ」と

命じたのである。

結果 生け捕られ
斬首された人々は

合わせて3~4万にも
上ったという。

一方 謙信は
それまで敵対関係にあった…

謙信と和睦した 加賀一向一揆の
拠点であった…

城郭考古学者の
千田嘉博さんが訪ねた。

やはり これは
復元がされていますから

見事に当時の様子が分かりますよね。

鳥越城は 加賀一向一揆が

織田軍の侵攻に抵抗するために
築かれたと考えられる。

後に 壮絶な攻防戦を行うことになる。

戦国時代のですね 一向一揆…

(千田)そういう軍勢でありましたから
いわゆる…

越前一向一揆を力で殲滅した信長。

信長と相反するように
一向一揆と手を結び

加賀へ進出した謙信。

両者の勢力圏が境を接したことで

ついに 2人の対立は
避けられないものとなっていく。

まず 信長が仕掛けた。

越前を平定したあと 信長は

朝廷から権大納言・右近衛大将を授かる。

これは
武官の中で最高位と見なされる官職。

朝廷は
信長を武家のトップと認めたのである。

謙信の関東管領を凌ぐ信長の官位。

朝廷権威を背景に

信長が 謙信より
優位に立とうとした表れでもある。

一方 謙信は外交政策に力を注ぐ。

信長に
追放された将軍 足利義昭の要請に応え

西国の雄
毛利や武田 本願寺と手を結び

信長包囲網を
形成したのである。

対する信長は経済封鎖を行う。

日本海海運の要衝
三国湊に

謙信の勢力圏から
船が入ることを

禁じている。

これは
「荷留」と呼ばれる

信長の
経済封鎖戦略であった。

すると 謙信は
3万の兵を率いて能登へ侵攻。

当時 能登を支配していたのは
名門 畠山氏。

謙信は 畠山氏が
信長と手を結ぶことで

背後が危うくなるのを
避けようとしたのである。

畠山氏の居城…

いくつもの尾根に曲輪が築かれた
巨大な山城である。

いや~ ものすごい石垣ですよね。

段々に積んでいまして…

(千田)全国に
山城 たくさんありますけれども…

いや~ 本丸であります。 おお!

すごいですね。

いやあ もう 海が一望であります。

標高およそ300メートルに築かれた
七尾城。

東西1キロ 南北2.5キロ。

日本屈指の巨大城郭である。

城内から出土した…

茶会で珍重される逸品である。

都の華やかな文化が
日本海経由で持ち込まれていた。

さらに 近年の発掘調査により

城の麓に
「惣構え」が築かれていたことも判明した。

惣構えとは 城下町も含め
城の外郭を囲んだ堀のことである。

いや もう見事に堀の跡が残ってますよね。

これ あの…

ちょうど ここ
一段 低くなっていますけれども

ここから この右側ですね。

こちら側が
城下町の中心部ということになります。

(千田)すごいことになっていた
っていうのが よく分かります。

実は 謙信には
城攻めに失敗した苦い経験があった。

永禄4年の小田原城攻め。

謙信は 力攻めするも

ついに
落とすことができなかったのである。

七尾城も 力攻めで落とせる城ではない。

謙信は まず
七尾城の周囲を守る畠山氏の城を攻略。

能登の港を
押さえることで制海権を獲得し

七尾城の孤立を図った。

さらには ふもとの所にも
こういう惣構えがあって

谷側からも 簡単には近づけないという。

(千田)変えざるをえなかった
大きな理由だと思います。

謙信に その戦法までも変えさせた七尾城。

信長との決戦が近づく中

何としても
この城を落としておかなければならない。

同じころ 信長は 謙信との対決に向けて

配下の武将たちを集めていた。

猛将 柴田勝家をはじめ

羽柴秀吉 丹羽長秀

滝川一益 前田利家など

そうそうたる顔ぶれである。

兵力は…

ここに 戦国最強を懸けた
2人の戦いが始まろうとしていた。

それにしても
その謙信と信長の駆け引きは

政治 経済 外交と まさに あらゆる手段を
駆使したものだったと思うんですが

これについては
小谷さんは どうでしょうか?

これは 国際政治学でいうところの
典型的なエスカレーションといいまして。

…という よくある形です。

つまり お互い 最初から
相当意識してたので

もう相手に先手を取られないよう
先手を取られないよう

どんどん どんどん手を打った結果

こういう激突に至ったんじゃないか
というふうに思います。

私 一個 すごい気になるんですが
一向一揆に対しては

一方で
謙信は 和睦という形を取って

信長は 打ちのめすじゃないですか
もう めった打ちに。

何か ここの
対一向一揆に対しての対応のしかたが

あまりに違うのが
私 すごい気になるんですけど。

もう 本当 信じられないですよ
信長の北陸に対する虐殺は。

今日の目から見ても
いくら 戦国時代でも

そんなことをやっていいかという。

瓦職人が 瓦に こっそり書いて
仕込んであったりするのが

近代になって 見つかったりするぐらいな
ひどさですよ。

坊さんなんか 柱に縛りつけて
下から火をつけて いっぱい殺してね

もう とんでもないですよ あれ。

だから 見てて 謙信は だんだん
「これは違うぞ」と。

「これはいけない」と…。
そうですよね。 謙信は たぶん その瞬間

「いや ちょっと あの人…」って
なったんじゃないかなと…。

ありますかね? やっぱり
金子さん そういうことって。

いや そうかもしれないですよね。

天正3年の あの時点では
一向一揆と信長は 対立状態だったので

やはり徹底的に とっちめてやらないと
駄目だっていうところがあって。

そのあと…

やっぱり そこで手を結んだほうが

対信長にとってはいいというところが
あって。

信長と謙信の関係って
決定的に変わるなと思うのは

僕 ひょっとすると 中野先生にも
ちょっと お伺いしたいんですけど

生き物で すごい強者の論理で動いている
生き物… 例えば犬だとか

順位制を持ってる生き物って
ありますよね。
社会性があるものですね。

本当に おなかを向けたり
服従を続けるんですけど…

霊長類も
かなり その資質がありますよね。

猿山の猿なんか そうですよね。
そうそう。

古い雄に対して 攻撃を仕掛けると。

その負けた雄を
敬ったりはしないんです。

順位が… せっかく手に入れた順位が
変わっちゃうから。

順位が変わっちゃうというのは

その新しくアルファオスになった
オスのためにならないばかりではなくて

その社会が壊れちゃう
ということになるんですよ。

だから 負けたオスに対しては
高圧的に出なきゃいけない。

それがルールです。

だから 信長 最初は もう訳の分からない
守護代の家系の端っこで

もう片方は
きらびやかな上杉ですから 何せ。

上杉なうえに 関東管領だから
関東を管理する係ですから

それは もう見上げるような存在だけど

京都を制圧して それで…

あれは 生物が 動物的な行動を取ってる
力の論理の戦国社会だと…。

分かりやすい。
一気に 「もう 俺は あれだ!」って…。

「謙信 下だ!」みたいな態度をすると
謙信にしてみると

前の話の筋を
ものすごく引きずる人だから

えっ 何で こんな急に冷たくなって
高圧的になるんだ? って

びっくりしたんじゃないかと思いますね。

文面というか
書状の書き方のルールのところで

だいぶ 初期のころと
変わってきているというか。

だんだん 信長が 対等か ちょっと上か
そんなぐらいになってきて…

さあ その感情のすれ違いの末
決戦の機運が高まってきました。

いよいよ 戦国最強決戦の幕が開きました。

七尾城攻めに使用されたと伝わる

謙信の甲冑。

機能性に優れた 実戦向きの鎧である。

兜に飾られたトンボの前立。

前にしか進まず 退かないことから

「勝ち虫」と呼ばれている。

この甲冑を身に着け

謙信は3万ともいわれる軍勢で
七尾城を目指した。

そのころ…

織田派の重臣は 信長に援軍を求めた。

出兵の大義名分を得た信長は

七尾城を包囲する…

謙信 対 信長。
ついに 直接対決の時が訪れたのである。

ところが 出陣の直前

信長に従っていた松永久秀が
大和で反旗を翻す。

この謀反には
謙信が関わっていたとする
史料も残される。

こうした不穏な情勢により

信長自身は出陣を取りやめ…

まもなく 七尾城を攻めあぐねる…

このまま 七尾城を落とせないと

織田と畠山に
挟み撃ちにされてしまう状況である。

織田の大軍勢が迫る中

謙信は 普段 用いることのない謀略を
試みている。

七尾城内の上杉派に送られた謙信の書状。

「信長派の一族親類
討ち取り

城を乗っ取れば
七尾城主にする」。

一方 七尾城へ向け進軍する織田軍にも
問題が生じていた。

総大将・柴田勝家と
いさかいを起こした秀吉が

勝手に手勢を率いて
帰国してしまったのである。

織田軍も決して一枚岩ではなかった。

謙信の謀略が功を奏し
七尾城に内紛が勃発。

これを機に 上杉派の重臣が
上杉軍を城内へ引き入れ

織田派を ことごとく討ち果たした。

ついに…

七尾城へ進軍を続ける…

七尾城を手に入れた謙信。

織田の大軍勢を どう迎え撃つべきか。

このとき 謙信には
2つの選択肢が浮かんでいた。

「七尾城を手に入れたことで
後顧の憂いはなくなった。

ここは 城外の平地に押し出し
信長に決戦を挑むべきか。

真っ向勝負こそ
わが戦法の真骨頂である」。

謙信を代表する合戦…

謙信は 城に籠もる武田軍を
平地に誘い出し 決戦を挑んだ。

この戦いで…

「だが わが上杉の兵数は織田に劣る。

少ない兵であれば城に籠もり
敵を迎撃するというのが常道。

難攻不落の七尾城はもとより

周囲の城も
わが支配下にある。

やがて兵糧が尽き

信長が撤退するところを
追撃して たたけば

勝利は間違いない」。

事実 謙信籠城の可能性を示す痕跡が

七尾城の中で新たに発見された。

これ 見ていただいたら
分かりますように…

山の斜面に
土塁と堀を連続して築いた…

攻め手は縦方向にしか行動できず
その攻撃は制約される。

敵の侵入を防ぐ
優れた防御の工夫である。

この場所っていうのは 実はですね…

(千田)謙信が
自分が攻めた お城ですから

七尾城の弱点を熟知していて

やっぱり この場所を押さえることが
大事であると。

やっぱり
本丸の背後の高い所をとられますと

お城としては それは 非常に
困ったことになりますから

ここを押さえれば もう 七尾城の守りは
盤石であるということで

そういう形で
この改修をしたんだと思うんですね。

まあ ですから…

平地決戦を挑むべきか
それとも籠城して戦うべきか。

謙信に選択の時が近づいていた。

織田の大軍勢が迫る中
謙信に選択の時が訪れます。

平地での決戦を挑むか
それとも籠城するのか。

皆さんの選択を
伺っていきましょう。

皆さんが謙信の立場だったら
どちらを選択するのか。

まずは 金子さん どちらにされますか?

私は「平地決戦」を選びます。

それは 結局 七尾城に
籠もっているという状況ですと

能登の奥というか 能登まで

織田軍に入り込まれてしまう
という状況に
なってしまいますし

加賀を ほとんど
渡してしまうのと

同じような形に
なってしまう。

その七尾城に籠もると
加賀から さらに越中…。

越後へと
通じてしまうわけなので

七尾城に籠もってしまうことによって
逆に 自分の首を

絞めてしまうんじゃないかなというのが
ありまして。

それであれば 前に出て

迎え撃つような選択をしたいな
というふうに… はい 考えます。

中野さんは いかがでしょうか?

そうですね
私は「籠城」を選びたいと思います。

せっかく
難攻不落の七尾城を手に入れて

これを使わないというのは

いかにも もったいないと
考えると思うんですよね。

地の利もあって 向こうから来て…
せっかく来てくれるんだから

迎え撃てばよいという
構造がありますよね。

季節の問題もある。

防寒対策… 寒冷地での戦に

畿内の兵が 練度がどうかというと

恐らく慣れてはいないでしょうから

この点でも有利だと考えられる。

わざわざ出るっていうことは
しないかなと。

私も 二の「籠城」を
選びたいと思います。

まず とにかく籠城して様子を見る
というのが大事だと思います。

織田方も かなり あの…
兵站の問題がありますから

そんなに 恐らく
兵糧が続かないだろうと。

籠城?
はい。

…ということで
磯田さんは どうされますか?

僕は 「平地決戦」です。

戦いの常道でいうと やっぱり
小谷さん 一理あるんですよ。

恐らく このとき 謙信は

持てても 2万ぐらいの兵しか
動かせないだろうと。

それに対し 織田方は経済大国ですから

信長本人が出てきたら6万。

出てこなくても 4万程度あるから

2~3倍の敵に対して
平地で決戦を挑むのは

ほぼ 教科書どおりにいけば
戦術的には バツなんですよ。

やっちゃ絶対いけないことなんですが

ただ このときの情勢を考えると
有利な点もあるんですよ。

どうも このとき 織田軍で
秀吉だけ帰ったっていうんですね。

ひょっとすると…

なるほど。
なので 謙信は

剣道でいえば
相手側が目隠しした状態で

こっちは見えてる状態で
戦えるわけですから。

情報の価値というのをいえば
大体 兵数が2倍ぐらい開いても

うまくやれば…
相手側の足並みの乱れがあれば

つけ込めるというふうに考えて
私は「平地決戦」です。

なるほど。 小谷さん いかがですか?
磯田さんの この話。

だから その点で 平地決戦というのは

やっぱり
リスクが高いと思うんですよね。

せっかく
七尾城を手に入れたわけですから

そこを活用しない手はないと
思うんですけども。

損害が敵と接触している時間にしたがって
上がるので

もう 引き揚げのことを考えながら

打撃を与えないといけない
という状態ですね。

統制がとれている軍じゃないと
ちょっと できませんね これはね。

金子さん 皆さんのお話 聞いたうえで
どうでしょうか?

そうですね やはり 先ほどの
秀吉の話は非常に興味深いですね。

そこら辺の情報をつかんでいたというのは
確かに面白い考えで。

それをもとに 後々…

まあ 確かに ここで…

まあ いろいろ考えるにあたっては
面白い材料ですね。

さあ 「平地決戦」か「籠城」か。

果たして謙信は
どちらの選択をしたんでしょうか?

加賀に侵攻した柴田勝家から信長に
興味深い報告が送られている。

「今日まで
七尾城からの使者が
一人も来ない。

能登の百姓が
ことごとく謙信に
味方しているため

七尾への通路が
塞がっているようである」。

これにより 織田軍には
情報が一切 入っていなかったのである。

謙信が七尾城を落とした3日後の…

手取川とは
霊峰 白山を水源とし

日本海まで注ぐ
およそ72キロの川。

手取川周辺の環境に詳しい
日比野 剛さんに話を聞いた。

ここから見えるのが
手取川の流れと

その手取川が作り出した
手取川扇状地ということになります。

手取川は 歴史上 何度も氾濫を起こし

人々に甚大な被害を与えてきた。

「島」と呼ばれる 周囲より高い土地は

避難場所の名残である。

手取川を渡った織田軍に衝撃が走る。

織田軍総大将・柴田勝家は

謙信の襲来を恐れ 全軍に撤退を命じた。

だが 織田軍は
まだ気付いていなかった。

実は すでに このとき

謙信は 手取川へ向かって
軍を進めていたのである。

謙信は 「平地決戦」を選んだ。

上杉方の史料にいう。

「謙信は 織田軍に
攻めかけた。

そこで1, 000人余りを
討ち取った。

撤退しようとする
残りの織田勢を

ことごとく
手取川へ追い込んだ。

大雨続きで水があふれんばかりの川が
行く手を阻み

徒歩で渡ることのできる
浅瀬もなく

人馬もろとも
押し流された」。

だが 戦いのあった 天正5年9月23日は

現在の暦で 11月の上旬にあたる。

この時季 手取川に
それほど水量があったとは考えにくい。

(日比野)ただですね
水が少ないとはいえ

流れは それなりに急です。
そうなると…

(日比野)もう一つ言うと 下には石…

石が転がって
足をとられるなんていうことは もう

常にあったことだと思いますね。

撤退のため 川を渡ろうとする織田軍。

しかし 急流に足をとられ
行軍は進まない。

そこに 上杉軍が背後から攻撃を仕掛け

織田軍の多くが討ち取られたというのが
戦いの真相ではなかったか…。

勝利した謙信は 家臣に
こう書き送っている。

「信長は案外弱く
この分では

今後 天下までの道のりは
容易であろう」と。

実は 上杉方の史料のほかにも
戦いを記録した書状が残されていた。

信長と敵対する本願寺が
丹波の豪族に宛てた書状である。

「謙信が
加賀へ攻め入り

一向宗徒も
これに加勢した。

この時 敵800人ばかり
討ち取った」。

戦いの後
両軍は手取川を挟み にらみ合う。

互いに攻め込むことはなかった。

このとき 謙信にも誤算があった。

戦いの直後の謙信の書状に「信長」とある。

つまり 謙信は 手取川の決戦に
信長が出陣していると

思い込んでいたのである。

謙信は 同じ年の12月まで
七尾城に留まった。

その間 3か月。

謙信にとって 手取川の戦いとは
信長との決戦を意味していた。

しかし そこに信長の姿はなかった。

だが 信長は…

謙信の家臣が
謀反を起こしたためだという。

上杉家の内紛をねらった
信長の謀略とも伝わる。

謙信は 織田軍との戦いもにらみ
新たに軍団を編成。

翌年の遠征を予定していた。

ところが…。

謙信は脳血で倒れ 急死。

享年49。

謙信 対 信長。

戦国最強の直接対決は実現せず
ついに 幻に終わったのである。

謙信が亡くなることで 2人の直接対決は
幻となってしまいました。

さあ 籠城を選んだ小谷さん
いかがですか?

…という言葉がありましてですね。

これは戦場で新しい戦法ですとか
武器を試すのは

ちょっと
リスクが高いということでありまして

前にうまくいった…

このとき 謙信にとっての必勝パターンとは
何だったかといいますと

川中島でやったようにですね…

このとき 謙信は 信長が来ていると
思い込んでおりましたから

あわよくば 信長を討ち取りたいという
気持ちが どこかにあったんじゃないかと。

中野さんも 「籠城」を
選びましたけれども。     そうですね…。

この人は
もちろん 合理的な判断というのもして

勝てるような戦略 戦術というのは
とっていたと思いますけれども

それ以上に大事なものというのが

どうも あるような人なのかなと
思っているんですね 私は。

…となったら ここは決着を どうしても
つけたかったんじゃないだろうか。

そうすると 後世の私たちから見て

面白い戦いが
見られたかもしれないんだけれども

どうにも
中途半端に終わってしまったのは…

ちょっと 2人の対決を見たかったな
というところですね。

謙信 信長がいなかったので
悔しかったでしょうね。

というのが なぜかというと
さっき出てきてたのは

官位の上で 信長に順位制で超えられて
慌てる謙信というか 困る謙信ですよね。

だけど…

それは 武力の威力 「武威」なんです。
「官位」と「武威」なんですよ。

武威のほうが実は 武士の世界ですから
結構 効くんですよ。

本当に あいつに… 戦場で打ち負かせた
ってことの威力というのは

もう 我々の想像以上に効く世界ですね。

「お前 大臣だけど
選挙では 俺が勝ってるよ」って

こういう感じですよね。
それが すごく効くんですよね 戦国時代。

やっぱり来なかった
いなかったということで

勝てはしたけれども
あんまり それほどの効果はなかったと。

私 だんだん
ちょっと切ない気持ちになってきて。

何か ことごとく 謙信はですね

何か こう 信長によって
裏切られているといいますか。

「戦うぞ!」ってやってるのに

勝手に 一人で空回りしちゃっている
みたいな。                そうですね。

最後まで 振られっぱなしっていう感じが
するんですよね。  そうですね。

出てきてほしいときも来ないですよね。
そう!

だって 信長にとっては
こんな畿内で 危ないときに

わざわざ のこのこ
出ていく必要はないわけですよ。

だって こちらのほうが 圧倒的に経済力も
兵力も持っているわけですから。

絶対に 北陸なんかに
行っちゃいけないときで。

信長は賢いですよ。
そうですね。

謙信は来てくれているんじゃないかって

やっぱり
一方的に期待を持って出てくる。

来ているはずない。 待ち合わせ場所に
恋人は来ていない。
来てない。

だから 謙信にしてみれば
メンツを立てるために

信長に… 待ち合わせ場所にやって来て

一発 パーンって これを
張りたかったわけですけど。

それで 全国に
「俺のほうが強いよ」っていうのを

やりたかったんですけど
そんな所に来るはずはないわけですよ。

いや 切ないわ…。

だから これ やっぱり
信長方には記録されてないわけですよ。

そういうことなんですね。
ええ。

「信長公記」を見ると
手取川の前段階ですよね。

加賀の南部を確保した
ということまでは書かれていて。

で 秀吉が帰ってきて

北陸に行っていた武将たちが
帰ってきたっていうだけで。

これは だから 太田牛一という人物は
あったことは書いて

なかったことに勝手に付け加えてない
っていう考え方のもとに

一応
「信長公記」 書いていますので

太田牛一のもとにも…

そういう可能性もあるのかな
なんていうふうにも考えました。

「大軍勢で北上したのにもかかわらず
信長軍は

謙信に一方的にやられました」などとは
書けない。

たぶん みんなで
口をつぐんだんじゃないですかね。

僕は これ 昭和になぞらえると…

北上してって バーンって たたかれて

それで みんなで
責任 取らないことにして

なるべく触れないようにしてた事件で。
う~ん…!

中野さん いかがですか?

…という使命感のようなものが
あったんじゃないだろうか。

これまで… ここまで
2人の人間関係の変化の部分を見ながら

手取川について見てきましたけど…。

思うんですけどね 「強い」って
何なんだろうと思うんですよね。

一方…

「分を守る」とか
要するに 本来 こうすべきだと…。

少々 損をしても
それを頑張ってやるという形ですね。

義を通すというのは
一見 美しいんだけど

しかし 歴史の教訓
ということからすると

しばしば
勝利者にはなれないどころか

滅んだり 滅ぶ寸前までいったり

負けたりということが
多いのかなという気がしますよね。

やっぱり こういう戦国だとか
競争して戦いとかいう論理になると

外の環境の情報を しっかり集めて

柔軟に 手や対処法を変えていったものが
生き残ったというのが

歴史の教訓かなという…
悲しい現実だけど。

ここは リアルに
見つめておかないといけない

問題じゃないかというふうに
思いましたね。

確かに。
皆さん ありがとうございました。


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