歴史秘話ヒストリア「“私は植物の精である”牧野富太郎 夢の植物図鑑」 新種の草に「ヤマトグサ」と命名したのを皮切りに…


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出典:『歴史秘話ヒストリア「“私は植物の精である”牧野富太郎 夢の植物図鑑」』の番組情報(EPGから引用)


歴史秘話ヒストリア「“私は植物の精である”牧野富太郎 夢の植物図鑑」[解][字]


日本植物学の父と呼ばれる牧野富太郎は1500種以上の植物に命名し、全国の植物を詳しく記した図鑑を完成させた。自らを「植物の精」と語った魅力的な人物像に迫る。


詳細情報

番組内容

日本植物学の父と呼ばれる牧野富太郎。少年時代から故郷・高知の大自然の中、独学で植物学を学んだ。学歴は小学校中退ながら、22歳で東大の植物学教室へ出入りを許されると、北は北海道利尻島から南は奄美まで隈なく調査。新種の草に「ヤマトグサ」と命名したのを皮切りに1500種以上の植物に学名を与え、78歳で全国の植物を網羅する「牧野植物図鑑」を完成させた。自らを「植物の精」と語った自由奔放な人物像に迫る。

出演者

【キャスター】井上あさひ




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歴史秘話ヒストリア「“私は植物の精である”牧野富太郎 夢の植物図鑑」
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今 ある調査が行われています。

≪テリハクサトベラ…。
はい。

それから アダン。
実が未熟の状態です。

島の植物を全て調べる
初めての試みです。

日本の植物学の基礎となる 重要な調査。

かつて こうした調査を全国各地で行い

日本の植物全てを
調べ尽くそうとした男がいました。

日本の植物学を
世界のレベルに引き上げた人物です。

日本は 地球上で
植物が 最も豊かにさきわう国の一つ。

四季折々 私たちの心を潤してくれます。

富太郎は
四国は高知県の野山を師と仰ぎ

植物に親しみました。

土佐っ子らしく 好きなことを
とことん探求した結果…。

世界的な業績をあげ
日本植物学の若き風雲児となります。

ところが…。

出る杭は打たれる。

特別に
研究を許された
東大を

追い出されてしまいます。

皆で協力して研究すべきやと
思われませんか?

そんな時 支えてくれたのは妻。

家のことは 何とかなります。

あなたは 今までと同じように
研究を続けて下さい。

借金を重ね

家財を
差し押さえられながらも

研究に まい進する
富太郎と妻の愛情物語。

富太郎の夢。

それは 日本の植物を網羅した
図鑑を作ること。

無謀とも思える夢を助けたのは

植物への愛で結ばれた

全国の仲間たちでした。

生涯を植物に捧げた
牧野富太郎の

波乱万丈の人生を ご覧下さい。

♬~

「歴史秘話ヒストリア」。
今夜も どうぞ おつきあい下さい。

今日の主人公は…

「日本植物学の父」と
呼ばれる人物です。

明治から昭和にかけて活躍した
植物学者・牧野富太郎。

日本中を歩き回り

1, 500種以上の植物に学名を付け
分類しました。

なぜ そこまで植物が好きなのか?

そう問われると 富太郎は

「理由は分からない。
植物の精だから」と答えたといいます。

まず 土佐の大自然の中で育った少年が
東京大学の教授たちを驚かせ

その後 日本の植物学の
若きリーダーとなるまでを

ご覧頂きましょう。

高知県佐川町。

明治の世が始まる 6年前。

富太郎は この山あいの町に
生まれました。

家は 裕福な造り酒屋でした。

こじゃんと お食べ。
はい。 いただきます。

幼くして両親を失い
祖母に育てられた富太郎。

誰に導かれるでもなく
一人で森に入り

植物を
観察するようになります。

へ~!

富太郎にとって
無限の表情を見せる植物は

どんな おもちゃよりも
魅力あふれるものでした。

ところが…。

「イス」の「イ」だ。

明治の世となり 学校がつくられると

富太郎は 12歳にして
小学校1年生に組み込まれます。

富太郎にとって
学校の勉強は 全く物足りないもの。

壁の植物図ばかり見つめていました。

小学校を1年で中退した富太郎が
足を運ぶようになったのが

奇怪な形をした 横倉山。

ただの山ではありません。

なんと 4億5, 000万年前の古い地層が
盛り上がって出来た山。

(安井)コオロギランですね。

「コオロギラン」という名前の由来は

花びらがですね あたかも コオロギが
羽を広げてるように思えるところから…

岩石の種類が豊富で

それを好む珍しい植物が生える
横倉山は

富太郎にとって 最高の先生でした。

そういう気がします。

(祖母)富太郎や 届いたぞね。

おお!
(祖母)ほら。        来た~!

図鑑がなかった当時
富太郎は 採集した植物を

「本草学」という 江戸時代の
薬草学の本と照らし合わせました。

更に その本を書き写し
植物の名を覚えていきます。

右は 16歳の富太郎が
野山で持ち歩くために

丸ごと書き写したもの。

絵は 独学で習得。

驚くべき正確さです。

こうして 19歳になった富太郎は
ある志を立てます。

「土佐中の植物を採集せねば」。

山あい育ちの富太郎は
ひと月以上かけて

足摺岬まで旅します。

そこは それまで見たことのない
亜熱帯の植物の宝庫でした。

あっ ありますね。

鮮やかな赤に 異様な形。

寄生植物…

この旅で 富太郎は

植物が 土地土地で
豊かに表情を変えることを知りました。

本気で考えた
最初の旅行だと思うんですよ。

1884年
22歳の富太郎は 東京へ。

向かったのは…

理学部植物学教室は
当時 日本の植物研究の最高峰でした。

御免!

土佐から来た牧野です。

生来の植物好きで
土佐中の植物を見て回りました。

是非 見てつかぁさい。

この時
富太郎が 教授たちに示したのは

高知で観察した植物の
詳細なスケッチ。

そして それぞれの特徴を記した
目録でした。

僕は 日本中の植物も
こればぁ 調べ尽くしたいがです。

ここで 研究をさせてつかぁさい!

よろしい。
今から 君は 出入り自由だ。

ありがとうございます!

高知から出てきたばかりの青年は
見事 その実力を認められたのです。

こうして研究室に入った 富太郎。
熱い志を語りました。

我が国の植物全てを

綿密に 正確に調査した植物誌を
我々が作って

世界を
あっと言わせようではありませんか!

(助手たち)お~!

実は 江戸時代から

日本のおもだった植物は
外国人の手で調査され

世界に発表されていました。

その地域の植物を
網羅的に把握し記載する

植物誌「フローラ」も

外国人によって作られていたのです。

日本を代表する植物学者の…

富太郎の志は

日本の植物学者の
矜恃 そのものだったといいます。

富太郎は 外国人が見落としていた植物を
次々と発表します。

ふるさとの横倉山で採集した
「コオロギラン」の研究は

当時 世界最高の植物学者から

称賛を浴びました。

そして 1889年 ついに富太郎は

日本の植物学に 新たな1ページを
刻むことになります。

高知の山あいで見つけた小さな草。
新種でした。

これに富太郎は 名前を与えます。

和名「ヤマトグサ」。

そして学名は 「テリゴヌム・ヤポニクム」。

日本人が 日本で初めて学名を付けた
この瞬間こそ

生涯で 1, 500種以上に
学名を与えることになる

富太郎の第一歩でした。

こちらの写真は
研究室での牧野富太郎。

随分 おしゃれをしています。

富太郎は 何でも「一流好み」。

ただ お金には無頓着でした。

こちらは 富太郎の日記です。

銀座で洋服を仕立てたり

コーヒー豆を買ったり

更には 高級なすき焼きを
頻繁に食べたり…。

…と思います。

そんな富太郎が
運命の女性と出会います。

植物に人生をかける
ちょっと浮世離れした夫と

それを支える妻。

二人の日々の始まりです。

東京に暮らして 5年。

ある日 研究室に通っていた富太郎は
一人の女性に心引かれます。

和菓子屋で働く娘さんでした。

話は トントン拍子で進み

二人は所帯を持ちます。

新しい暮らしが始まりました。

この箱に入れちょいたら
湿度も保たれて じっくり観察できる。

壽衛は
植物を愛し 研究に没頭する夫に

深い敬意と愛情を
抱くようになります。

あなたの おっしゃるとおり
とっても きれい。

そして このころ
富太郎は 大きな発見をします。

都内の ある池で
柳の調査をしていた時のこと。

水面に 奇妙な姿の植物が
浮かんでいました。

(富太郎)ちっくと見たことのない
水草を見つけたがです。

(助手1)おお… おかしな形だ。

(助手2)確かに見かけたことはないな
こんなのは。

なんと ヨーロッパなどで見られる

虫などを食べる
食虫植物の一つでした。

それが 日本にあったとなると
先生 大変な発見では?

そうなんですか!? よ~し!
僕が 徹底的に研究してみます!

姿がムジナ たぬきの尻尾に
似ていることから

「ムジナモ」と名付け

富太郎は 研究を始めます。

♬~

(富太郎)
なるほど これで虫を食うがかぁ…。

面白い!

早速 富太郎が取り出したのは
日本画で用いる極細の筆。

ムジナモが微生物を食べる仕組みは…

そのトゲの一本一本まで。

真夏に
たった数時間しか咲かない花は…

その瞬間を逃しません。

富太郎は 世界で初めて

ムジナモの命の営みを
克明に描き出したのです。

しかし こうした活躍は
思わぬ波紋を呼びました。

(富太郎)先生 何か御用ですか?

ああ 牧野君。

なんと 正式な研究員ではなかった
富太郎は

研究室への出入りを
禁じられてしまったのです。

(富太郎)日本の植物学は
まだ 始まったばかりです。

研究者も多くありません。

ですから 皆で協力して
研究すべきやと思われませんか?

牧野家は 子だくさん。

家の大黒柱として
富太郎は窮地に立たされます。

すまん…。

何で あなたが謝るんです。
家のことは 何とかなります。

あなたは 今までと同じように
研究を続けて下さい。

よ~し 面白い!

こうなったら
横綱と ふんどしかつぎの勝負や!

土佐男児の心意気を見せちゃるき!

よし来い! よいしょ!

(笑い声)

♬~

壽衛の励ましに奮起した富太郎は
全国を駆け巡ります。

北は 北海道・利尻島から

南は奄美大島まで。

新種を 次々と発見していきました。

牧野さん お荷物です。
(壽衛)は~い。

北海道からですよ。

旅先の富太郎からは
たくさんの植物が送られてきました。

「本日 小包で
標本用に 生の植物を送った。

乾かしておいてほしい」。

腐らせないよう

壽衛は 毎日のように
子供たちと植物を乾かし

大切な標本作りの下準備に励みました。

そんな壽衛が 旅先で病気になった
富太郎へ宛てた手紙です。

(壽衛)「あなたさまは
何の病気になられたのですか?

遠く離れていると まことに心配ゆえ

何とぞ 御養生あそばされ

一日もはやく

ふだんの牧チャンに
なってちょうだいよ」。

ここに 富太郎の並外れた情熱を
うかがわせるものが

保管されています。

江戸時代の「本草学」の
世界的なコレクション。

分類学の父・リンネの図鑑の全巻。

植物の繁殖に関わる
昆虫や鳥の専門書は もちろんのこと

植物に 少しでも関係する書物なら
根こそぎ手に入れる。

富太郎の研究の
スケールの大きさを物語ります。

ただ こうした出費は
借金で賄われていました。

その額 今のお金で…

高利貸しからも借りる夫を
壽衛は 必死で支えます。

富太郎は 東大に復職し
再び 給料をもらうようになりますが

家計は火の車。

家賃を払えず 標本や蔵書を持っての
引っ越しは なんと30回!

壽衛たち家族は

山のような資料の隙間に

寝場所を探す始末でした。

こんなことも…。

植物採集から帰ってきた富太郎は

玄関の赤い布を見て
慌てて逃げ出します。

借金取りが頻繁にやって来る 牧野家。

赤い布は そのサイン。

夫が借金取りと
顔を合わせないようにという

壽衛の気遣いでした。

借金取りのやつが
また来ちゅう!

夫は お国のために 日本中の草木を
懸命に調べておりまして

今日も いつ帰ってくるか
分かりませんの。

そうだ。

ちょっと こちらでも ご覧になって?

夫が探してきた 珍しい花です。

明るく話し上手な壽衛は
借金取りとも仲良くなりました。

こうして 40年近くに及んだ
夫婦の二人三脚。

隣に壽衛がいたからこそ

富太郎は長い間
研究に まい進することができたのです。

そんな壽衛が 病に倒れます。

ただいま。

かなり寒かったが
東北では 随分 収穫があったよ。 ほら。

ハッハッハッ。
(壽衛)まあ…。

母さんは
薬は ちゃんと のめてるのか?

(壽衛)申し訳ありません。
なかなか よくならなくて…。

いや… いやいや
いいんだ いいんだ。

あっ そうだ。
壽衛 ちょっと見てごらん。

葉が丸まった
新種のササを見つけたんだ。

で 帰る道すがら考えたんだが

お前に ちなんで
「スエコザサ」と命名することにした。

まあ… 私の…。

(富太郎)苦労ばかりかけた お前への
せめてもの お礼だよ。

私には こんなことしかできないが…。

いいえ あなた…。
ありがとうございます。

1928年 冬。 壽衛は亡くなります。

最愛の人を失った富太郎の言葉です。

妻・壽衛の支えのおかげで
植物の研究に没頭できた 富太郎。

その研究の総決算こそ
一冊の図鑑でした。

大型書店に行くと

牧野の名を掲げる植物図鑑が
並んでいます。

「牧野日本植物図鑑」は

日本の植物3, 000種を
詳細に記した図鑑です。

日本中の植物を集め
「フローラ」 植物誌を完成させたい。

そんな 富太郎の「夢」そのものでした。

まさに 人生の集大成 植物図鑑。

その完成には 実は富太郎ならではの
ある「秘策」がありました。

富太郎と 日本中の植物を愛する人々の
物語です。

1936年。

富太郎の故郷 高知県で行われた
「植物観察会」の映像です。

富太郎は 植物の知識を
人々と分かち合うことを

喜びとしました。

観察会を きっかけに

100年以上前に設立された
東京牧野植物同好会。

これ なかなか いいでしょう。

「ゴンズイ」っていうんです。
実が黒くって。

最年長の横山讓二さん 91歳。

学生時代に目にした富太郎は
植物の神様のようだったといいます。

こうして 日本中を飛び回った富太郎。

実は 招待されて行く観察会は

旅費を浮かせながら
各地の植物を採集できる

良い機会でもありました。

富太郎の手元には
日本各地の植物が集まっていきます。

しかし 一人では限界がありました。

そうだ!

この時 猛然と書き始めたもの。

こちらのチラシです。

(富太郎)「植物の収集が一向に進まず
焦っております」。

(富太郎)
「日本の植物の戸籍簿を作るため

どうか 標本をお送り下さい」。

(富太郎)「お礼に
その植物の正確な名称をお知らせします」。

富太郎は 全国に育ち始めた
植物愛好家たちに

標本集めの支援を
求めたのです。

その呼びかけの結果や いかに?

富太郎のもとに
全国から 続々と標本が寄せられました。

(菅原)これ 見て下さい。 ほら。

ちゃんと ここに
「南方熊楠」って書いてある。

これ 那智山で採集されたようですね。

植物学者の小山鐵夫さんも
富太郎に標本を送った一人です。

富太郎は 小学生だった小山さんに
真摯に向き合いました。

(小山)
ここは こういうふうにした方がいい

こっちは こういうふうにした方がいいと。

「植物は 実地の研究が
一番大切」。

富太郎の言葉は

今も 小山さんの
宝物です。

こうして
全国の仲間から集まった標本は

東北地方の高山植物から
沖縄の熱帯植物まで 実に数万点。

くまなく標本を集めた富太郎は

60代の終わり いよいよ
図鑑の執筆に取りかかりました。

そして 10年後の1940年。
ついに完成します。

「牧野日本植物図鑑」。

日本の植物
3, 000種を

詳細に
記しました。

桜だけでも 13種類。

代表的なソメイヨシノを見てみると…。

形態の詳しい記述の下に

「染井」という土地の植木屋が
この桜を広めたといった

名前の由来などの うんちく。

書物から培った富太郎の知識も
凝縮されています。

もちろん 富太郎が命名した
「ヤマトグサ」や

「ムジナモ」もあります。

背表紙に さん然と輝くのは

「FLORA OF NIPPON」の文字。

我が国の植物全てを
正確に調査した植物誌を作って

世界を
あっと言わせようではありませんか!

最愛の妻と 全国の仲間の協力で
果たされた 若き日の志。

富太郎は 78歳になっていました。

悲願の達成の後も

富太郎の情熱は

衰えることがありませんでした。

図鑑を埋め尽くす 改訂のための書き込み。

富太郎は
この図鑑を

終生
磨き続けたのです。

富太郎が少年時代を過ごした 横倉山。

この麓に 90歳を過ぎ
病床についた富太郎を見舞った

かつての少年たちが
暮らしています。

富太郎の植物への愛は
今に引き継がれています。

埼玉県の小学校では

あのムジナモが
育てられています。

地元の人たちも自宅で育て
沼に放流しています。

元気に育ってね~。

そして…

富太郎が 足を運ぶことができなかった
この島での植物調査。

え~と ヤエヤマセンニンソウ。

≪ヤエヤマセンニンソウ。

指揮しているのは 富太郎との
少年時代のやり取りが きっかけで

植物学者となった 小山鐵夫さんです。

またまだ 多分…

リスペクトと感謝と両方あります。

富太郎の言葉です。

♬~


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