開運!なんでも鑑定団【3千万で購入!神々しい巨大お宝…今の値は?】 杉田かおる、中島誠之助、北原照久、安河内眞美…



出典:『開運!なんでも鑑定団【3千万で購入!神々しい巨大お宝…今の値は?】』の番組情報(EPGから引用)


開運!なんでも鑑定団【3千万で購入!神々しい巨大お宝…今の値は?】[字]


ホテル運営会社の社長がイギリスで一目惚れ。チャペルに飾るために3000万円で買った神々しいお宝の価値は…?▽人助けのため買い取ってあげた茶碗…実は伝説の巨匠作か?


詳細情報

番組内容

【一目惚れし3000万円で購入したお宝!】

依頼人は、国内5つのホテルを運営する会社の社長。20年程前、あるホテルの開発に携わった際、結婚式用のチャペルを併設することになり、そこにふさわしいあるものを探していた。一年半ほど探し回った末、イギリスの骨董商から連絡があり、現地まで見に行ったところ一目惚れ。値段は3000万円だったが、あまりの美しさに自らの資金で購入した。

番組内容続き

しかし数年前、共にそのホテルを運営していた投資会社が破綻してしまったため、経営から撤退。

その品は現在事務所で保管しているが、かなり場所を取るため思い切って売ってしまいたい。

出演者

【MC】今田耕司 福澤朗

【アシスタント】片渕茜(テレビ東京アナウンサー)

【ゲスト】杉田かおる

【出張リポーター】松尾伴内

【出張鑑定】第22回ご長寿お宝鑑定大会

【ナレーター】銀河万丈、冨永みーな

鑑定士軍団

中島誠之助(古美術鑑定家)

北原照久(「ブリキのおもちゃ博物館」館長)

安河内眞美(「ギャラリーやすこうち」店主)

山村浩一(「永善堂画廊」代表取締役)

田中大(「思文閣」代表取締役)

平山健雄(「光ステンド工房」代表)

ホームページ

http://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/





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開運!なんでも鑑定団【3千万で購入!神々しい巨大お宝…今の値は?】
  1. ステンドグラス
  2. お宝
  3. 万円
  4. 果た
  5. 結果
  6. 世紀
  7. 桃山時代
  8. オープン
  9. 今日
  10. 茶碗


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(3人)こんばんは。

さぁ 「鑑定団」始まりました。
本日も よろしくお願いします。

いや~ 先々週 ここで…
言ったじゃないですか。 咳。

まだ 咳してるんですよ。
えっ! どういうことですか?

だから もう…
もうすぐ お別れです。
(笑い声)

<女優の…>

<小さい頃から 大のテレビっ子で

いつしか
私もテレビに出たい! と

思うようになりました。

そこで 5歳のとき 親に頼み
劇団若草に入団。

7歳で ドラマ 『パパと呼ばないで』の
チー坊役に抜擢されると

愛らしいルックスと 高い演技力が
話題となり

一躍 人気子役になりました>

大丈夫よ どうせ…。

< また 15歳のときには
『3年B組 金八先生』に出演。

優等生ながら
同級生の子を妊娠してしまう

難しい役を みごとに演じ

演技派女優の片鱗を
見せつけました。

更に その翌年からは
『池中玄太 80キロ』に出演。

すると パート2の
挿入歌としてリリースした

『鳥の詩』も
大ヒットし 人気シリーズに。

しかし 多忙のあまり
体調を崩し

やがて 精神的にも
追い詰められるようになると

朝まで お酒を飲み そのまま
撮影に行くこともあったそうです。

どん底を味わったのは
26歳のとき。

なんと

< そこで 心機一転
それまで敬遠していた

バラエティー番組に出演すると
奔放な恋愛観をあけすけに語る

三度目のブレークを果たしました>

今まで つきあった彼氏とかは
やっぱり こう…。

ケンカとかしたときに

<2013年からは
最愛の母 美年子さんの

介護に奮闘していましたが

残念ながら 今年1月
美年子さんが他界したため

再び 仕事に全力投球しています>

依頼人の登場です。

神奈川県から お越しの
杉田かおるさんです。

ようこそ 「鑑定団」へ。
よろしくお願いいたします。

もう… 何度も バラエティーでは

ご一緒させて
いただいてるんですけども。

今田さんと私の数少ないレギュラーの
1本なんですけど

『わらいのじかん』という…。
松本さんとやったやつですか!

はい。
懐かしい。

私 50年間くらい 芸能界にいて
13本しか

レギュラー番組ないんですけど…。
ドラマも含めてですか?

「金八先生」とかも含めて。
そうなんですか?
意外!

『わらいのじかん』は 史上最低の
視聴率だったんですよね。

そうです。
で 最後の回は

この テレビ東京の花火大会に
負けたんですよね。

さぁ それでは 拝見しましょう。
お宝 オープン!

わぁ~ きれいですね。
きれい!

もっと こう 毒々しい絵かな と
思ったんですけど…。

そうなんです。
すごい さわやかな…。

松尾敏男さんという方の
版画なんです。

私 子役の頃から
テレビに出たりとかして

街とか出て
すぐ 声かけられるんで

オーラを隠す技っていうか

ちょっと… 地味に
どんどんなってきちゃって

いちばん 女ざかりになってくる
20代 30代のときに

ものすごい
華がなかったんですよ。

心配した親が 占い師とか
いろいろみてね

この子は 芸能界で生き残れるか
どうかっていったら

牡丹の花がラッキーフラワーで
家に飾ると運気も上がるし

華がないところを ちょっと カバー。

それで 牡丹の花を探してたら

ちょうど…
見つけたっていって

飾っとけば ずっと芸能界に
いられるって… ホントにあの

ずっといることに
なっちゃったんですけど…。

父親の連帯保証人になったときに
家も売って フリーマーケットで

全部 持ってるものは
売ってしまったんで…。

そんなにですか?
それで ガソリン代にしたりとか…。

そこまで カツカツだったんですか?

800円しかなくなっちゃって…。
800円!?

この絵はお母さんが 置いとこう
って。 これがなくなったら

それこそ 女優オーラが
なくなっちゃうかもって…。

これ 最後の砦やったんすね。
そうなんです。

ご本人の評価額になりますが
おいくらくらいでしょう?

25万くらい。
25万でいきますか?

わかりました。 まいりましょう。
オープン ザ プライス!

ジャストミート!

ピタリ賞です。
ジャストミート!

実は私 透視ができるんですよ。
また~。

今日も 飲んできたでしょう?
(笑い声)

1987年 61歳のときに
250部作られた

『牡丹晨光』 朝の光ですね。

文化勲章も受章されてますし
日本美術院 いわゆる院展の

理事長も務められた
現代の日本画の巨匠。

いちばん有名なのが この牡丹。

白い色が 非常に美しい
というのが特徴ですね。

右側の花も
本当は 紅色ですけども

少し 色を抑えてあります。

葉っぱの色も やはり
若干 色を抑えて…。

で その影の部分の水墨を
うまく使って

その白さを
際立たせるということ。

非常に 写生というものを
重んじた人で

そういう裏づけがあるからこそ
こういう 品のいい牡丹が

描けるんだというふうに思います。
大事にしましょう これ。

大事にします。
どうも ありがとうございます。

番組も最後まで
楽しんでいってください。

<続いては 愛知県名古屋市から。

早速 ご自宅にお伺いしました>

ホームに人があふれている。
地下鉄東山線 名古屋駅。

<次なる依頼人は

美しい声で 文章を
読み上げている…>

< ひょっとして
ご本職は アナウンサー?>

これは 音訳をしているんです。

< えっ? 音訳?>

<6年前 ボランティア団体の活動を知り
参加。

最初に 半年間
厳しい講習を受けたのですが…>

私は 名古屋で生まれて
育っているので

自分は 標準語を
話しているつもりでしたが

もう しっかり 名古屋アクセントが
染みついていたんです。

苺は赤い とかって
言うと思うんですけれども

実は 苺は赤い とか。
11月 12月なんて

言ってたんですけれども
11月 12月って聞いて

仰天でした。

本とか読むときには
山ほど 本当に出てくるので

いちいち 辞書で調べて
アクセント記号を書き入れて

読むようにしています。

< これからも頑張ってください。
ところで…>

<ベアリング販売会社の社長だった

父 光男さんは
人が困っている姿を見ると

放っておけない性格で…>

<今回のお宝も 50年ほど前
資金繰りに困った社長さんに

泣きつかれ 購入したそうで…>

すると それを見た 先生から…。

…と言われていました。

以来 価値が
とても気になっています。

鑑定 よろしくお願いします。

<果たして どんなものなのか?
スタジオで拝見しましょう>

依頼人の登場です。

愛知県から お越しの
金子智恵子さんです。

ようこそ 「鑑定団」へ。
お願いいたします。

ああいう ボランティアのね…
音訳 ですか。

音訳ボランティアといいます。
でも 難しくて…。

難しいですよね。
はい。

今は亡き 逸見政孝さんとか
アクセントで ホント 苦労されて…。

アクセント辞典を この1ページ覚えたら

絶対に忘れないようにって
破って 食べたって…。

食べた!? 茜ちゃんは
もう できるようになったん?

今も苦労してます。 毎回
1回 見たものには チェック入れて

でも また すぐ忘れてたり…。

今日から 食べようね。

拝見しましょう。 お宝オープン。

あら。

荒川豊蔵の志野茶碗です。

おいくらくらいで買ったとか
聞いてるんですか?

いや 私も10代でしたし
まったく値段は 聞いてない。

きっと 会社… 社長さんが
困ってらしたわけだから

それ相応の額だったんじゃ
ないですか。

10万 20万のレベルじゃないですよ。

そんな…
もう 杉田かおるさんじゃ…。

今回は これ もし
いいものでしたら どうしますか?

できれば
手放したくないですけれども

とても いいお値段だったら…。
あら?

ちょっと
スイス旅行なんかにも行ってみたい。

最初から
そっちメインじゃないですか?

そんな値段には
ならないと思います。

いやいや お茶碗 なめたら
お客さん あきませんよ。

<志野焼は 桃山時代

日本初の白い焼き物として
一世をふうびしたが

わずか20年余りで姿を消した。

しかし それから およそ300年後

この幻の焼き物を かん難辛苦の末
現代によみがえらせたのが

誰あろう 荒川豊蔵である>

<母方は
桃山時代から続く窯元で…>

< しかし 33歳のとき
北大路魯山人に請われ

星岡窯の窯場主任になり

以来 桃山時代の古陶磁再興を

目指す魯山人とともに

研究に没頭。

その間 魯山人の造詣の深さと
卓越した美意識に

多大な影響を受けた。

そして 36歳のとき

魯山人とともに
名古屋を訪れた際

桃山時代に作られた

竹の子文志野筒茶碗を
見る機会を得

これが大きな転機となった。

というのも それまで 志野焼は

瀬戸で焼かれた
と考えられていたが

豊蔵は
その茶碗の高台についていた

米粒ほどの赤い土が

生まれ故郷 美濃の土に
よく似ていることに

気づいたからであった。

そこで すぐさま帰郷し
山中の窯跡を くまなく調査。

すると
わずか2日後 大萱牟田洞で

まったく同じ志野焼
竹の子文の陶片を

見つけたのであった。

これは 志野が
美濃で焼かれていたことを示す

大発見だったが

あまりの ことの重大さに

豊蔵自身も
夢を見ているかのようで

夜も暮れかかった帰り道

その陶片を
何度も月明かりにかざし

ためつすがめつしたほどであった。

そして 3年後

牟田洞窯跡側の 雨漏りし
電気もない 古い民家に

居を移すと 桃山時代の
半地下式穴窯を再現し

本格的に作陶を開始。

しかし 技法は
まったく途絶えており

唯一の手がかりは
自らが発見した陶片のみで

作っては壊し
作っては壊しの繰り返し。

血のにじむような努力のすえ

ようやく
志野の再現に成功したのは

なんと 8年後のことであった。

豊蔵が
最後に たどり着いた技法は

自らが山中で見つけた
粘り気がない もぐさ土を

他の土と混ぜ合わせず 練り

また 釉薬の原料となる長石は

石臼で粗く砕き 不ぞろいのまま
用いるというものであった>

< こうすると
長石の一粒一粒が

熱で 半透明にとけながらも

なお 気泡を内包し
やわらかく光る一方

土に含まれた わずかな鉄分が
うっすらと紅色に発色し

その対比が
みごとな景色になるのである>

< この茶碗も その一つで

釉薬を どっぷりと かけたのち
指を縦に走らせているが

これにより
釉薬の薄くなった部分に

一筋の紅色が現れるとともに

その両側には
いわゆる かいらぎが生まれ

紅白のコントラストを
より強調している。

もちろん 豊蔵は

他にも
絵志野や鼠志野 練込志野にも

果敢に挑戦したが

晩年は 下地の一部に
特殊な土を用いることで

気品あふれる紅色を生み出すなど
新たな技法も 創案。

これらは 荒川志野と呼ばれ

桃山時代の志野をも
りょうがすると絶賛された>

< この功績により…>

<改めて 依頼品を見てみよう。

荒川豊蔵の志野茶碗である。

高台の部分の土に
筋があることからすると

赤い土と 白い土を練り合わせた
練込志野で

その土模様が 釉薬が
どっぷりと かかった胴の部分に

そのまま反映されている>

ご本人の評価額になりますけども。
100万?

杉田さん どう思われますか?

私 7と5っていう字が
出てきたんですけど。

ボートレース場 行ったら
こんなおっさん いっぱいおるで。

100万円で
いきたいと思います。

まいりましょう。
オープン ザ プライス!

やった~ 400万円!
おめでとうございます。

すごい。

いや すごい…。
ちょっと待ってください…。

荒川豊蔵 70歳頃

昭和40年代前半の作とみました。

高台のところから
垂直に立ち上がって…。

粗い長石釉を とろっとかけて

まるで お砂糖が溶けたようでね。

一部は
かいらぎが見えております。

高台を見ますと
鉄分を含んだ赤い土が

へら削りで
荒々しく削り取られてて

豊蔵の精神が きゅっとこもった
いいお茶碗でございますね。

大切になさってください。

でも どう… 売ります?
ここまで価値あったら

お孫さんとかに
伝えていったほうがね。

そこに孫がいますので。
お孫さん。

即座に
お茶碗 割りそうな年齢ですね。

今日は
どうも ありがとうございました。

大事になさってください。

<生涯 青春 真っただ中>

<本日の鑑定士は 中島と増田。

早速 いってみよう!>

(2人)
第22回 ご長寿お宝鑑定大会!

<工業高校 卒業後

軍事工場に勤めれば
召集が免除されると聞き

三重県の工場に勤務。

母子家庭だったため
母とともに移住しました。

しかし
結局 19歳の時 中国に出征し

日本に戻ってきたのは
終戦の翌年でした。

自宅は 焼けていましたが

母と再会できた日の喜びは
今でも忘れられません。

36歳の時 自慢の舌を生かし

カレー屋と喫茶店を オープン。

一時は…>

<更に…>

<現在は コーヒー豆の販売専門店を
営んでいます。

まだまだ働き盛り…>

お元気ですね。
まだまだ…。

今は コーヒー豆の販売?
コーヒーの豆だけ売っておりますよ。

どんなブレンドなんですか?

<オリジナルブレンドは 酸味がなく
すっきりとした味なので大人気。

今日はぜひ 松尾さんに
味わってもらいたいと思い

わざわざ三重県から
ポットに入れて持ってきた。

というわけで…>

いただきます。
作ってね 1日置いとくの。

あっ 1日。
うん。

酸味のコーヒーはね
飲むつど作らないと…。
はい。

ちょっと
飲もうと思ったら話すから。

あっ おいしい。

< お宝は
川喜田半泥子の茶碗である。

40年ほど前
茶道を習っていたころ

同じ教室にいた年上の女性が

金に困っているというので
買ってあげた。

いくらだったかと言うと…>

結構高いですもんね。

< しかし
それからしばらくして

茶道はやめてしまった
というのも…>

94まで生きるとね

<本人評価額は
買ったときの2倍

60万円。

死ぬまで
元気で働くつもりでいるが

もしも
施設に入ることになったら

この茶碗を売って
その費用に充てたい。

果たして 結果は!?>

(2人)ジャカジャン!

< よかった~!>

これは すごいなぁ。

昭和の光悦とうたわれた 財界人

あるいは数奇者であった
川喜田半泥子の茶碗

間違いございませんね。

ねずみ色の肌に
白泥をサササッと 内外にかけて

刷毛目にしてありますね。

そして このまた
土がいいですね。

半泥子の住所であった
千歳山の松の根っこの土ですね。

ザクッとした土を
無心に作り上げてって

そして途中でもって 中の小石が
ポンて飛んじゃったんで

穴が空きましたね へりに。

それも そのままにしてある。

これがね
たまらない味になってますね。

まさに
半泥子芸術が凝縮しております。

施設にお入りになるときは
私が引き受けますから。

< 時あたかも
高度経済成長期の真っただ中で

給料はグングン上がったものの

過労とストレスが重なり

25歳の時 十二指腸潰瘍を
患ってしまいました。

しかし 1か月間の入院生活は
ばら色でした。

というのも…。

そこにいた看護師に
一目惚れしたからです>

<猛アタックの末 交際にこぎつけ

3年後 ついに結婚。

2人の子宝にも恵まれ
とても幸せでした。

しかし残念ながら
妻は8年前 他界。

現在は
慣れない家事に四苦八苦しつつ

なんとか暮らしています>

かわいらしい奥様じゃないですか
だって。

70歳まで看護師やってたの。

< お宝は 西郷隆盛の書である。

50年前
大阪の骨とう市で購入したもの。

当時としてはかなり高額の
45, 000円だった。

そのため 後に 友人に頼まれ
手形の保証人になり

1億円の借金を
背負ってしまったときは…>

あっ なるほどね。

< そこで今回
もし高ければ売ってしまうつもり。

なぜかと言うと…>

えっ 再婚したいの?
再婚したいねん。

だって 今まであんな
奥様がすてき すてきって。

人生 今からやねん。

どんなタイプが好きなんですか?

<本人評価額は
今ならこのくらいはするはずと

170万円。

亡くなった妻のことは
もちろん今でも愛しているが

まだまだ元気なので
もう一花咲かせたい。

果たして 結果は!?>

<50年前 大阪の骨とう市で
45, 000円で買った西郷隆盛の書。

果たして 結果は!?>

(2人)ジャカジャン!

(2人)15, 000円。

< これは意外>

これは どんなんで15, 000円…。

偽物でございますね。

「萬眞之望」というふうに
なるんですけども

いちばん いけないのはね

「眞実」の 「眞」が 「失」という字に
なっちゃってんです これ。

西郷隆盛の線は
墨をたっぷり含ませた

豊かな線なんですけども
「望」という字をご覧になると

ガサガサっとして
荒れてる線なんですよね。

それから
「南洲」の 「洲」の最後の線

ヒョロヒョロっとして
折れ曲がったような針金ですよね。

こういう硬い線というのは

やっぱり 南洲は書きません。

<21歳の時
警察予備隊に入隊したものの

2年後 除隊。

その後 一念発起し
大阪で調理師に転身しました>

<30歳で食堂を開き

企業向けの給食サービスや

仕出しも請け負うようになると
注文が殺到し

まさに
目が回るほどの忙しさでした。

3人の子どもを育てながら

朝から晩まで
仕事を手伝ってくれた妻には

今でも頭が上がりません。

現在は 夫婦そろって
元気に長生きできるよう

さまざまなサプリメントを飲み

健康グッズを愛用しています>

お元気ですね。

もう100歳までは
もう全然 いけますでしょう?

全うします。
お~。

< お宝は古備前の壺である。

50年ほど前
骨とう仲間に連れられて行った

骨とう店で買ったもの。

しかし その店は山の中にあり…>

ごみの中へ入ってから
探した逸品なんですが…。

いくらで
お買いになったんですか?

当時

< どこが
気に入ったかと言うと…>

(松尾)あっ この上のね。

< しかし今回 もしも高ければ
売ってしまうつもり。

なぜなら…>

<本人評価額は その費用として

30万円。

骨とう談議に
花を咲かせた仲間も

今では皆
亡くなってしまったので

この壺にも あまり未練はない。

果たして 結果は!?>

(2人)ジャカジャン!

(2人)50万円。

< やった~!>

室町時代の終わりから
桃山時代にかけて作られた

古備前の壺ですね。

農業用の種壺なんですよ。

ですから 口が広くて

耳がついてるのが
一般的な形なんです。

雑器ですからね

極めて無造作に作ってるところに
おもしろさがある。

肩のところに黄胡麻といってね

窯の中の自然釉が
しっかりと降っている。

そして胴のところが
赤い備前の土でね

比較的おとなしいんですけども

おなかのところに へらで鋭く
ビビッと2本線が書いてある。

これが いいですね。
大切になすってください。

<鮮魚卸を営む家の
長男だったため

17歳の時
東京の水産講習所を受験。

筆記試験には合格したのですが

面接通知が手元に届いたのは
なんと試験の前日でした>

< そこで 大急ぎで
汽車に飛び乗ったものの

東京についたのは 3日後。

当然 試験は受けられず

1週間ほど
東京見物をして帰りました>

< そこで心機一転
化学の道に進みましたが

結局 25歳で家業を継ぎました>

<当初は
魚の名前もろくに知らず

サラリーマンだった自分に
経営ができるかどうか

とても不安でしたが

何とか潰さず

息子に
代を譲ることができました>

あ~ なるほどね。

こちらの方も

< お宝は こちら!>

さあ こちらのお宝は
いったいなんでしょうか?

<松平春嶽の書である。

祖母が 女中頭として働いていた
お屋敷の主人から頂いたもの。

そのお屋敷は 東京にあり
受験の際は

自分も祖母の部屋に
1週間ほど泊まらせてもらった。

しかし 下関に戻って数日後…>

えっ!

山口からね…。

あら~。

< そのため
絶対本物間違いなし!>

おっ 100万円?

もう 出す前に発表しちゃった?

< というわけで
本人評価額は 堂々の100万円。

このお宝を見ると
大好きだった亡き祖母を思い出す。

墓前に いい報告が
できるといいのだが。

果たして 結果は!?>

<祖母が女中頭をしていた
お屋敷の主人から頂いた

松平春嶽の書 果たして結果は!?>

(2人)ジャカジャン!

さあ 上げて! いくら?

(2人)80万円!

<ダウンするも 大健闘!>

なかなかいい出来でございます。
(拍手)

世界の国々が
皆 平和である

という
意味なんですね。

「萬」から
くにがまえにくるところの

さっそうとした
線の動きなんていうのは…

よっぽどの書の名人じゃないと
書けませんね。

元旦後一日ということは
お正月の2日ということで

書き初めなんですね。

で いつ これを書かれたか
ということなんですけども

天保9年に
11歳で元服をしまして

そのときに慶永という名前を

いみなとして
もらうことになります。

ですから それ以後と。

そして 安政5年。
政敵の井伊直弼によって

強制的に隠居させられるんですね。

で それ以後 春嶽という号を

専ら使いだすということに
なっております。

春嶽という署名の書は
結構多いんですけども

この若いころの慶永という

署名で書かれたものは
非常に少ないんで

どうぞ大事にしてください。
いいお宝でございます。

<戦時中のある日
駅前で易者に

手相を見てあげると
声をかけられました。

金がないので断わると
ダタでいいよと言うので

お願いしたところ
じっと手を見て

「何百万人に一人の
強運の持ち主だ」。

と言われました。

これまでの人生を振り返ると

この占いは
ぴたりと当たっていたようで

小学校しか出ていないにも
かかわらず

大手造船会社に就職できたり

たまたま上司に請われて
提出した意見書が

会社の経営危機を救ったり

持っていた株を売った翌日

オイルショックが起き
大損しなくて済んだなど

強運だなと思うことが
度々ありました。

しかし

人生最大の強運を 発揮するのは

間違いなく
今日だと信じています>

強運なんですね?

ほぉ!

えっ!

今日は お父さん

見せてもらっても…。
それでね…。
えっ!

< お宝は 釉裏紅の大皿である。

5年前 手に入れたもの。
もともとは…>

友人の知人がね…。

うん 友人の知人がね!

これを 持っとってね…。

< その方が病に倒れ

金が必要になり
友人が50万円で買ってあげた。

それから すぐに見せてくれ…>

ほぉ!?

< どうしても欲しくなり

同じく50万円で譲ってもらった。

釉裏紅の本物は めったにないと
知っているが…>

<本人評価額は
買った値段と同じく50万円。

94歳まで
元気で生きてこられたのも

こんな名品を
手にすることができたのも

まさに 強運のおかげ
果たして 結果は!?>

(2人)ジャカジャン!

えっ 5千円?
5千円…。

< う~ん 残念!>

お父さん!

うん…。

元時代末 明時代初期の
釉裏紅の作品で

こういう物は 存在しません。

これは 元時代末の釉裏紅の

唐草文様をベースにして

明時代 清時代のデザインを
混合させて作った工芸品ですね。

本物の釉裏紅っていうのは

指で触ると
フッと消えてしまうような

繊細さと気品がある。

こういうふうにベタベタ…
描いてないんですよ。

今まで楽しまれてきたんです。

粗末にはしないで
大切にしてあげてください。

<第22回 ご長寿お宝鑑定大会は

これにて 無事閉幕>

<今回は 東京都千代田区から。

こちらのビルにお伺いしました>

どうも こんにちは。
お待ちしてました。

<次なる依頼人は…>

<南風見観光は
国内5つの宿を運営する会社で

そのひとつ 西表島の
ラ・ティーダ 西表リゾートには…>

今田さん 福澤さん 片渕さん

< だそうです!>

< ところで

<20年程前
あるホテルの開発に携わった際

結婚式用のチャペルを
併設することになり…>

そこに ふさわしい
あるものを探してたんです。

そしたら
1年半くらいたってから

< そこで 現地にその品を
見にいったところ…>

いやぁ もうすばらしくて

ホントに 心底 惚れてしまいました。

< そこで 値段を聞くと…>

でも

< その後は
チャペルに飾っていたのですが

4年前 共にそのホテルを
運営していた投資会社が

破綻したため 経営から撤退。

その際 その品も…>

私も 来年 70歳なんです。

鑑定 よろしくお願いいたします。

依頼人の登場です。

東京都からお越しの
齋藤工さんです。

ようこそ鑑定団へ。
お願いいたします。

いや~ この名前は すぐ覚えて
もらえるんじゃないですか?

ええ 元祖ですから。
元祖ですね。
はい。

営業行きましたらね
電話で アポ取りますよね

そうすると女性の人ですと
必ず アポが簡単に取れる。

さあ そして
お宝 スタンバイしておりますので。

すごいですね
お茶碗からこのサイズまで。

お宝 オープン!

う~わ!
(片渕)すごい。

ステンドグラスです。

骨董商から こういうもんやって
いうのは何か聞いてるんですか?

いや 詳しくあんまり聞かずに
ただ画面が大変きれいだったんで。

どういう状態で見たんですか?
これを何枚か

同じように組み立てて
後ろから ライトを当てて…。

今 我々 ちょっとね

「あ~ もうこれ 一目見て
3, 000万だけど欲しくなった」

っていうのは まだ…。
ちょっと明かりがね。

やっぱり ステンドグラスですからね
光を…。

あっ きた!

(歓声)

これはすごい!
これは いいわ。 全然ちゃうわ。

きれいですね。

あらきれい!

あ~ きれい!
(笑い声)

聖書のストーリーみたいなのが
描かれてるわけですよね。

これを初めて見たときは
どんなお気持ちでした?

(齋藤さん)
ホントに身震いするくらいの…。

そうでしょう。
これはですね

実際は 高さが更に高いんです。

左端のやつは
2番目の上に乗るんです。

上に乗っかってるわけだ 本来。
これが そのときの写真。

きれいですね。
うわっ すごいですね。

きれいだな~。
この前で誓ったら離婚でけへん。

<ステンドグラスは 着色ガラスの小片を
鉛の桟で結合し

絵や模様を表現したもので
主に教会の窓に用いられてきた。

その多くは 聖書や
聖人伝説に材をとっており

宗教画と同じく
文字が読めない人々にも

キリスト教を布教するためだが

光が差し込んだ際の荘厳さは
比べ物にならない>

< いつごろから作られるように
なったのか定かではないが

現存最古のものは
ドイツの修道院で発見された

キリストの頭部の破片で
9世紀ごろの作と考えられている。

やがて時を経て 12世紀になると

ヨーロッパの教会建築は
宗教性をより強調するため

ロマネスク様式から
ゴシック様式に変わり

大聖堂が
次々と造られるようになった。

これに伴い
天井が高くなったため

ステンドグラスが芸術として
大きく花開いたのであった。

例えば
13世紀の中頃に建立された

サント・シャペルは ゴシック建築の
最高峰とされる パリの礼拝堂で

高さ15メートルの壁面
すべてにはめ込まれた

ステンドグラスが まばゆいばかりの
光を放っており

ゴシックの宝石とたたえられている。

ここには 1, 113もの
聖書の場面が描かれているが

これを目にした
イギリス国王 ヘンリー3世は

あまりの美しさに感動し…>

< と語ったほどであった>

< その後 16世紀になり

エマイユと呼ばれる
顔料が登場すると

赤 青 黄 緑など
色彩が飛躍的に増え

油絵のような表現も
できるようになった。

しかし この顔料は 色ガラスが
重なるかのように定着するため

透明度が下がり
皮肉なことに ステンドグラスが持つ

本来の魅力を半減させてしまった。

その結果
17世紀から18世紀にかけて

ステンドグラスは
冬の時代を迎えてしまう。

優れたステンドグラスが 再び
つくられるようになったのは

19世紀に入り ゴシック・リバイバルの
波が起こったことによる。

更に 世紀末に
アール・ヌーヴォーが流行すると

斬新で芸術性に富んだ作品が
次々と登場した。

中でも アメリカのルイス・ティファニーは

乳白ガラスに銅箔という
まったく新たな素材を用い

風景や植物など身近な画題を
積極的に取り上げたため

ステンドグラスは
公共の建物や個人の住宅にも

広く普及したのであった。

また 画家のシャガールも
新たな表現手段として着目し

フランス ランスのノートルダム大聖堂や
ドイツ マインツの聖シュテファン教会など

数々のステンドグラスを手がけ
その印象的な深い青は

シャガール・ブルーと呼ばれている。

その1つ フランス サルブールの
コルドリエ礼拝堂のステンドグラスは

89歳のときに制作したもので
高さは 12メートル。

ドイツとの国境に近く
長年 戦禍を被ってきた

礼拝堂のために描いたのは
この地にささげるかのような

大きな花束と
そこに集う天使や恋人たち。

その表情は いずれも穏やかで

祈りにも似た
厳かな雰囲気が漂っている。

平和と題された このステンドグラスは

愛と希望を生涯のテーマとした
シャガールの集大成といえよう。

改めて依頼品を見てみよう。

19世紀の半ばにつくられた
ステンドグラスで

受胎告知や キリスト降臨など

聖書に登場する
24の場面が描かれている。

光がさすと 実に神々しいが…>

ご本人の評価額に
なるんですけども。

3, 000万で。
買い値で。
はい。

杉田さん きれいでしょう?
神々しいですね。

やっぱ心が洗われるようなね。
数字が見えないですもん。

数字が見えない。
(笑い声)

3, 000万で まいりましょう!
オープン ザ プライス。

やった~ 4, 000万円付きました!

(拍手)

あららら。
すごい。

すばらしいものです。

これだけのものは
めったに見れないですね。

フランスで 1860年ごろに

アドルフ=ナポレオン・ディドロンの
工房でつくったもの。

中世の考古学者なんですが

1800年代中頃から
ステンドグラスの工房を始めたんです。

パリのサント・シャペルの
研究家でもあったんですが

その全体の構図 色使いに
合わせてあります。

ゴシック・リバイバルの典型的な作品。

それぞれの物語のぐるりに
丸い小さな点々 という

これは フランス語で
ペルルというんですね。

真珠模様。 自然の光で見ますと
この間から光が入ってきて

チラチラ チラチラと輝くんです。
それと背景のブルー

植物文様が
細かく描かれてると思います。

ダマッセという技法なんですが
ブルーの光というのは

周りに侵食するんですね。
ですから 調整をして。

で 人物像を浮かび上がらせる
という。 それと 髪の毛

この黄色は 実は
ゴシックの時代にはないんですね。

ディドロンは あえて
この黄色を使ったんです。

背景のブルーとの対比で
非常に軽やかに見えてくると。

ゴシック時代のテクニック それから

その後世のテクニックも
同時に使って表現してると。

これほどすばらしい
ステンドグラスは めったにないです。

いやぁ 改めて ビックリしました。
ホントに買いたいっていう方が

いましたら番組のほうまで
ぜひご応募ください。

前澤さん 三木谷さん
お待ちしております。

どうもありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。

<買いたい方大募集!

ステンドグラスを購入希望の方は
商品名と必要事項を明記のうえ

ご覧の宛先までお送りください>

「鑑定団」また来週です。
さようなら。

(一同)さようなら。


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