英雄たちの選択「史上最強?後鳥羽上皇の謎~承久の乱の真実~」 本郷和人、大澤真幸、中野信子、磯田道史、杉浦友紀



出典:『英雄たちの選択「史上最強?後鳥羽上皇の謎~承久の乱の真実~」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「史上最強?後鳥羽上皇の謎~承久の乱の真実~」[字]


史上最強といわれる後鳥羽上皇は、和歌の道だけでなく武芸全般に優れた上皇だった。上皇が鎌倉幕府に戦いを挑んだ日本の歴史の大転換点、承久の乱の真実に迫る。


詳細情報

番組内容

「新古今和歌集」の選者として有名な後鳥羽上皇。一方で、自ら「菊御作」という刀を鍛えさせたという武人の顔もある。文武両道に優れた、史上最強の上皇こそ後鳥羽上皇だった。その上皇が、執権・北条義時の鎌倉幕府に敢然と挑んだ戦いが、承久の乱である。鎌倉3代将軍・実朝の暗殺を契機に、後鳥羽上皇は、朝廷と武家政権のありようをめぐって、北条氏と真っ向から衝突する。日本の歴史の大転換点、承久の乱の真実に迫る。

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】本郷和人,大澤真幸,中野信子,【語り】松重豊





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英雄たちの選択「史上最強?後鳥羽上皇の謎~承久の乱の真実~」
  1. 上皇
  2. 後鳥羽上皇
  3. 自分
  4. 実朝
  5. 時代
  6. 天皇
  7. 幕府
  8. 朝廷
  9. 承久
  10. 親王


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「平成」という 一つの時代が終わり
新たな時代が始まる。

天皇陛下は退位され 「上皇」となる。

「上皇」という称号の復活は
実に 201年ぶりのことである。

日本の歴史の中で
かつて 上皇は権力の中心にあった。

中でも 一人の上皇の選択が

この国の形に 今なお
大きな影響を及ぼしているという。

上皇の名は「新古今和歌集」の
選者としてあまりにも有名であり

みずからも優れた和歌を数多く残した。

その才能は 和歌の世界にとどまらない。

これは
上皇みずから鍛えさせたと伝わる刀…

鎌倉初期の作風を今に伝え
国宝に指定されている。

日本文化の精髄である「和歌」と
武の象徴たる「刀」。

残された品は 上皇が文武両道において

君臨せんとしたことを物語っている。

そして 後鳥羽上皇の名は

ある歴史的事件の
主人公としても記憶されている。

承久3年 上皇は 東国の鎌倉幕府に
敢然と戦いを挑んだ…

きっかけとなったのが鎌倉で起きた
3代将軍 実朝の暗殺だった。

以来 幕府執権 北条義時と
後鳥羽上皇の間では

虚々実々の駆け引きが繰り広げられた。

その過程では
上皇の息子である親王を

将軍にする計画が浮上していた。

上皇は何を目指し

いかにして 「承久の乱」が起きたのか?

現代の知性が その意味を問い直す。

承久の乱はね 非常に 僕は ある意味で…

ワンフレーズで言うとしたら…

要するに…

北条も 天皇を なんと
なくそうとしないわけですよ 上皇も。

「英雄たちの選択」。

日本史を大きく変えた
戦乱の意味と

後鳥羽上皇の苦悩に迫る。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

そのとき 彼らは何を考え 何に悩んで
一つの選択をしたんでしょうか。

今回は 今からおよそ800年前の
承久3年に勃発した

承久の乱を取り上げます。

磯田さん これは歴史の中では

どれほど重要なものなんでしょうか?

ものすごい重要です。
「ものすごい」ですか?

これで
日本史を真っ二つに切るといったら

ちょっと大げさかもしれないけど
それに近いほど

重要なことかもしれないですね。

承久の乱 以前と以後で
日本史は大きく変化してますね。

それまではね 権威があれば

暴力を持ってなくても
支配できたんですよ。

例えば 朝廷とかね。
さほどの暴力を持ってなくても。

それが その世の中は
もう ここで終わったんです。

その承久の乱を起こした人物は
こちらです。

「上皇」というワード 今年はね

特に 注目を集めていると思うんですが。

このころの上皇っていうのは…

何せ 源平合戦を通じて
皇室が 武家とやり合ったりしながら

「共進化」っていって
共に強くなってっちゃうわけですよね。

とうとう こんな人物が現れたと。

こんな すごい人が現れたというのが
ひょっとしたら

後鳥羽さんだったかもしれないですね。

どれぐらい その後鳥羽上皇って…?

いや それはね だって…

自分で。
そうだ 刀。

まさに スーパーカリスマと言っても
いいかもしれませんが

その 後鳥羽上皇とは
どういった人物なのか

なぜ 承久の乱を起こすに至ったのか
詳しく見ていきます。

2018年 秋

京都国立博物館で開かれた特別展

「京のかたな」。

1ふりの刀が ひときわ注目を集めた。

優美で 高い品格を備えた細身の太刀…

刀身には
12弁の菊の花びらが刻まれている。

後鳥羽上皇が鍛えさせた刀だと
伝えられている。

つまり 備前の国から7人
備中の国から3人

そして 山城の国から2人のですね
名人を集めて…

こと この「菊御作」といった
作風においてはですね

実に たおやかな 13世紀の初頭のですね

京都の刀の特徴がよく表れておりますので
この後鳥羽天皇の時代ですね

工人を召し抱えて
物をつくらせるというのが

広く行われていました。

後鳥羽天皇が
刀鍛冶を召し抱えていたというのは

これは 時代的に見るとですね
特段 おかしいところはない。

むしろ あったであろうなと思われる。

後鳥羽上皇は
なぜ 刀を必要としたのだろうか?

後鳥羽天皇 即位の2年後に勃発した…

圧倒的な源氏の攻勢を前に
平家は 滅亡に追い込まれた。

このとき
ある重要なものが失われている。

「草薙の剣」。

平家が 安徳天皇と共に持ち去っていた
三種の神器の一つである。

天皇の権威の象徴を失ったこと。

これが 後鳥羽上皇の
菊御作伝説の背景にあるという。

「威信財」というのはですね

本来は そういった地位のある人が
持っているからこそ

意味があるものなんですけれども…

そういった
格式のある物 歴史のある道具

それを持っているからこそ
権威があるんだというふうにですね

人と物との立場が
入れ替わってしまうんですね。

後鳥羽天皇の時代は まさに
こういった時代でしてですね…

天皇家の正統性を回復するためには

あらゆる分野で
卓越した才能を示すことが必要だった。

後鳥羽上皇は 19歳で
息子に天皇の位を譲り

管弦や蹴鞠 笠懸など

諸芸の習得に力を注いだ。

中でも重視したのが和歌である。

上皇は そこに単なる芸能にとどまらない
意味を見いだしていた。

後鳥羽上皇みずから編さんにあたった…

序文には 次のように記されている。

歴史学者 坂井孝一さんは

この歌集の「新古今」という
命名に注目している。

「古今和歌集」は 醍醐天皇

つまり 「延喜の聖代」と呼ばれる

天皇の政治が理想的であったと
当時の人が考えている

その時代に作られた勅撰和歌集で

それを 新たにした「新古今和歌集」という
自分の時代に合った

聖なる歌集にしようという
思いがあったと。

そういう方向に 時代の流れの中でも

考えるようになっていったと
思われます。

上皇の念頭にあったのは
東国の政治情勢であった。

源 頼朝が 鎌倉幕府を創設。

従来 荘園の
下級役人にすぎなかった武士が

「守護」や「地頭」として 勢力を拡大し

荘園経営に 口出しし始めたことは

院や公家にとって
大きな経済的打撃となっていた。

いかにして 武士の力を抑えるべきか。

好機は 向こうから訪れた。

幕府で ある重要な決定がなされた。

執権 北条義時が
鎌倉幕府将軍 実朝の正室を

京の公家から迎えたいと
願い出たのである。

後鳥羽上皇は この申し出を
最大限に利用した。

「吾妻鏡」には こう記されている。

この娘は 上皇にとって いとこにあたる。

自分と血縁関係にある女性を

送り込むことで

実朝を取り込もうと図ったのだ。

効果は絶大だった。

婚姻の4か月後

実朝が 十二首の和歌を詠んだことが
記録されている。

上皇の思惑どおり 京文化に傾倒していく
実朝の姿が浮かび上がってくる。

実朝は みずから編さんした
「金槐和歌集」を京へ贈った。

そこには
注目すべき 一首が含まれていた。

いかなる事態が起きようと

上皇に背くことはないと
誓約している。

背景には この年 鎌倉で起きた

北条義時と
有力御家人 和田氏の抗争があった。

敗れた和田の軍勢が

京に乱入しかねないとの
うわさが流布する中

実朝は
上皇への絶対の忠誠を表明したのだ。

和歌を通じ 実朝と濃密な関係を築いた
上皇の政治工作は

いよいよ 最終段階に入る。

建保6年 上皇は 実朝の官位を

武家として初の右大臣へと上らせている。

異例の昇進の裏側には

2人の間で進められた
計画があったという。

歴史書「愚管抄」は こう記す。

「親王を将軍とする」。

「親王」とは
上皇の実子 頼仁親王を指す。

この親王を鎌倉に下向させ 将軍とし
右大臣 実朝が補佐する。

これこそが上皇の計画だった。

つまり 公家政権である朝廷とは
また 別の政権として

鎌倉に出来た武家政権 幕府をも

自分の子どもを通じて
そして 信頼する実朝を通じて

統治下に置くことができるという。

こういう極めて大きな
正統な王となろうとする

後鳥羽のねらいを実現する

そういう 現実のものにする計画である
というふうに考えて

間違いないと思いますね。

天皇の権威のもと

この国を 再び まとめ上げるという
後鳥羽上皇の夢は

実現寸前にまで こぎつけていた。

後鳥羽上皇を詳しく見ていくと
本当に興味深い人物だなと思うんですが。

まず 後鳥羽上皇とは どんな人物なのか
本郷さんは どのように考えますか?

ともかく 一番の上皇なんですよ。
「一番の上皇」?

それはね
歴代の上皇とか天皇の中で

総合力でいうと
間違いなく ナンバーワンです。

とりあえず
政治 経済 それから文化。

政治でいうと 後鳥羽上皇は

ものすごい大きな政治力を
持っていたんですね。

それは 公家では対抗馬がいないぐらい。

経済でいうと
この時期の皇室領の荘園というのは

それなりに ばらばらになってた。
それを全部 自分のもとに集めた。

だから 経済力も卓越したものがあった。
それが2つですね。

そのうえに この方は
文化の王でもあった。

和歌を一番 筆頭に挙げることができると
思いますけど

すべてのことに卓越してたんですね。

キング オブ キングみたいなところが
ある人ですけれども。

なんだけれども
三種の神器はないっていう

ちょっと…
ねじれの構造がある人ですよね。

能力が非常に高い人の
特徴というか

日本のエリートの
特徴としても…

…というのは
不安傾向が高い人のほうが

ネガティブフィードバックを
自分に かけられるので

より能力を伸ばしやすい。

もしかして 後鳥羽という人は

もともとの能力
もちろん高いんだけれども

それプラス 何か…

その結果 武芸諸般に優れて
文化的センスもあって

政治も経済もできてという人に…。

自分で自分を育て上げた人なんじゃ
ないかなというふうに

考えることもできるかなと
思うんですよね。

続いて 社会学者の大澤さん。

後鳥羽上皇の注目すべき点
どういうところでしょう?

社会学の観点から見るとね

支配する政治の…
支配者っていうのは

基本的には 強い人が
支配者になるわけですけど

ある支配がローカルな
場所を越えて

大きくなろうとすると
単に 強いっていうこと以上のものを

どうしても必要とするわけです。

彼が やったのが
文化的なものなんですよね。

いわば…

和歌は 趣味でやっているわけじゃ
ないんですよね。

和歌の持っている
美意識や魅力っていうものが

普遍概念の代わりになって

支配の実効性をね 担保し 武家たちも
自分に従うようになるみたいな

そういう構想なんですね。

だから 文化を政治に使うっていうかね
そういう独特の人だと思いますね。

「独特な人」…。

そんな 後鳥羽上皇は 東国の鎌倉幕府とも
対峙していくことになりますが…。

まず 押さえとかなきゃいけないのは

当時の日本っていうのが
京都を中心とした西国国家なんです。

西方の国家で… 言ってみりゃ
関東なんて ど田舎も ど田舎。

だから そこで
鎌倉幕府とかいう軍閥の親玉が

要するに ひと旗揚げて 何かやってるぞと
そういうイメージなんですね。

無視してりゃいいんだけど
無視できなくなってくる。

っていうのは 何でかっていうと

いわゆる 朝廷の編み出した
いわゆる 荘園の統治するシステム…

それが 今までの言い方だと…

「下司」っていうのを 今度 集めてきて…

そうなると 鎌倉幕府の将軍に
統括されるような在地の武士たちが

好き勝手 始めるんですよ。

「いや 私は ちょっと

仲間と一緒に力を蓄えてきましたので
もう ちょっと あんまり

そんなに税金納められないんですよね」
っていうふうに言いだすわけ。

これだと
朝廷の経済が回らなくなるんです。

対峙しないといけないというよりは

むしろ 「東夷」であるところの人たちが
力を持っちゃって困ったなっていう

価値観だったんじゃないでしょうかね。

人を人とも思わない人だったと
思うんですよね 後鳥羽上皇という人は。

むしろ 自分こそが
世界の中心にいるべきであって

コントロールされていなければならない
世界に

何か コントロール不能のものが
生まれつつあるという状況が

無視できない。

これを 何とかして
早めに収めなければという世界観を

持ってたんじゃないでしょうかね。

近代的な言い方でいえば ちょっと
「文明」と「野蛮」みたいな気持ちが…

後鳥羽さんは持ってたかもなと
思うんですよ。

文明と野蛮ですか。

やっぱり 鎌倉武士のやることっていうと
はっきり 権力 物欲 性欲みたいなのが

はっきり出てくるんですよ。
で リアリストですし

強けりゃ そっちへ付くしとかいうのが
ちょっと嫌かなっていう。

どうも この人たちと
完璧に やっていけるか? と。

一方 和歌というのが

文明の中心であるというふうに
考えていて

自分が それを体現しているという
秩序体系をね 思ってたでしょうね。

当時の鎌倉幕府のおもだった
御家人っていうのは

大体 僕 字 書けなかったと思います。

読むこともできなかったと思います。

そういうことから考えると

和歌の力 文字の力
そういうものがあるだけで

「あの人 ちょっと僕たちと違うね」って
話になっちゃうんですね。

そういうような
実朝と後鳥羽上皇が結び付いている。

そういうことになると
結局 鎌倉幕府の武士たちから見ると

「あの人たちは
僕たちの意見を集約して

僕たちの利益を
代弁してくれるはずの人なのに

あの人 もしかしたら
京都の貴族の皆さんとのほうが

相性がいいんじゃないの?
僕たちの代表とは

言えないんじゃないの?」
っていうようになっていく。

もちろんね…

御家人は みんな 対等ですからね。

その御家人が まとまることができたのは
源氏が特別だからです。

だから 源氏は
それなりに貴種なんですけれども

その実朝のほうは 圧倒的に
気持ちが 公家寄りというか

京都寄りに寄っちゃってるんですよね。

実朝は 自分の後継者っていうか

源氏の正統を守ろうっていう意識が
ないじゃないですか。

それよりも もっと 貴種的な部分が

高まることが重要だ
みたいなことになって

先ほどの親王将軍の話に
なっていくわけですけれども。

だから…

つらいだろうね!

ものすごい つらいと思いますよ
この時代のリーダー。

何せ 競合があるでしょ。
天皇が天皇同士だったり

あるいは 幕府との競合もあり
将軍は将軍で 鎌倉武士との競合があり

鎌倉武士間では
鎌倉武士間の競合があり

競合があるってことは これは緊張関係
ストレスがあるわけですよね。

ストレスと不安っていうのが
やっぱり すごくて。

だから 「山が崩れても
あなたに ふた心は…」とかいうふうに

ものすごい不安が高いですよね。

いろんな人の和歌を 僕は読んでいるけど
和歌の心理分析をしたときに

こんなに不安が高い人って
実朝以上の人

日本史上 見たことがないですよ 僕は。
そんなにですか。

うん かわいそう。
競合 緊張…。

カウンセラーで
誰のになってあげようかっていったら

実朝になってあげたい 僕は。

予期せぬ事件が起きた。

鎌倉 鶴岡八幡宮。

右大臣昇進祝賀のため
参拝していた実朝が

ここで 2代将軍 頼家の子 公暁によって
惨殺されたのだ。

みずから将軍となることをもくろんでの
犯行だったという。

不測の事態に 幕府執権 北条義時は
すぐに動いた。

京へ使者を派遣。
かねてからの計画どおり

親王を速やかに鎌倉へ下向させるよう
要請したのだ。

義時に 約束の履行を求められた
後鳥羽上皇は

選択を迫られることとなった。

その心の内に分け入ってみよう。

義時のやつ 実朝 亡きあとも
親王を鎌倉へ送れと言うか。

確かに 我が子が将軍となれば
幕府と朝廷の意思は 一つとなる。

東国武士が 武力を かさに着て
ほしいままに振る舞うことはなくなろう。

朝廷のもとで この国を一つとすることは
かねてからの望み。

やはり 義時の求めに応じ
親王を下向させるべきか。

しかし 上皇としては 不安要素もあった。

それにしても
忠節を誓っていた実朝の死は

あまりにも大きい。

やはり ここは
幕府の要求を拒むべきではないか?

実朝が存命であれば
我が子の後見として

朝廷と幕府の間をつないでくれようが
北条は いまひとつ信用ならぬ。

やつらは 多くの御家人たちを蹴落として
権力の座に就いた一族。

まだ 若い親王を傀儡とし
己の政治的野心の道具とするやもしれぬ。

そうなれば 北条の主導する東国と
京の朝廷の間で

この国が二つに割れるおそれもある。

実朝の死に 後鳥羽上皇が
大きな衝撃を受けていたことは

「吾妻鏡」の記述からも うかがえる。

義時の本心を確かめるべく
上皇は鎌倉に使者を送り

厳しい要求を突きつけた。

この荘園の地頭は ほかならぬ 北条義時。

上皇は 義時が どこまで
朝廷に従う気があるかを試したのだ。

ところが 義時は
すぐに1, 000騎の軍勢を京へ派遣。

武力を背景に
上皇の要求を突っぱねている。

義時との間で
親王将軍計画を進めるべきか否か?

後鳥羽上皇に選択が迫られた。

いよいよ
後鳥羽上皇に選択が迫られました。

実朝は
暗殺されてしまいましたが

これまで進めてきた
計画どおり

親王を東国に下向させるのか?

それとも
幕府の要求を拒絶するのか?

まず 本郷さんはどちらを選択しますか?

1番ですね。

下向させるというところを

僕だったら選択しますかね。

その心は なぜでしょうか?

結局 僕ね 北条義時って

皆さん イメージ つかめないと
思うんですよ。

仕事はできる。 仕事はできるんだけど
大して 領地は持ってない。

それが北条氏なんです。

だから 北条氏は覇権を手にするために

ど汚い手を バンバン使って

それで有力な御家人を
次から次に 闇に葬っているんですよ。

そういうような北条氏が

一応 鎌倉幕府というもののトップに
君臨してるわけですね。

要するに 何でかっていうと

血みどろの殺し合いを ずっとやってたら
いつか やられます。

そうなると どうしても…

…っていうのは欲しい。

それの 一番 これ以上ないっていうのは
親王なんですね。

もしも 北条氏が
この親王の権威というものをバックに

それなりの安定を 鎌倉幕府に
もたらすことができるんであれば…。

要するに ある程度 朝廷というものに
敬意を払うっていうことは

当然 あるわけですね。
ああ…。

だとすると
そこに懸けるしかないんですよ。

これはね 結論を先に言うとですね

幕府の要請を
拒絶するでいいと思うんです。

いいっていうのはですね

ちょっと この番組のルールに
反するかもしれないですけどね

後鳥羽にとって
どっちがいいかっていうよりもね…

これはね 拒絶するほうが正解。

つまり 列島を ある程度
実効支配的なものにしていくっていう

基本的な方向性からいくとね

親王を送ったぐらいのことではね
なかなか難しいと思うんですよ 本当は。

だから 結果的に 武家の力っていうものが
必要になってくるんですよ。

このときに 武家がね
こんなね 親王将軍を呼んできて

「お願いします」なんていうことを
やってる間はね

武家の力も
あんまり頼りにならんのですよ。

ですからね ここはね

歴史のバランスとしては ここで…

中野さんは いかがでしょうか?
そうですね。

1の
親王将軍 下向を選びますが

まあ 悩ましいところですよね。
肉親の情もありますし。

拒絶するという
選択肢を取っても

一定のメリットは
得られるかもしれない。

ただ 親王を送り込むという
やり方のほうが

より直接的に
コントロールはしやすいですよね。

たった一人で
送り込むわけではないでしょうから

女官なんかも付いていって。

これは御家人を味方に付けようとしたら

スパイを
いっぱい送り込めるわけですから

とても やり方としては
ストレートですよね。

コントロール もし できなかった場合…

いずれにしても フェイルセーフに
できるんじゃないかと思います。

さあ 磯田さんは いかがでしょうか?

僕 1番 親王将軍の下向を
選ばざるをえないんですけど。

ただ すぐ送っちゃ駄目ですね。

まずね… しっかり 叱るべきですね。
「叱る」?

つまり 2代将軍は
素っ裸で お風呂で殺し

それで今度は 一族の内紛で斬り殺し

それで本来 「征夷大将軍」っていうのは

国を守り
朝廷を護持するためのものなのに

はっきり 内紛で
こんなに死んでるっていうのは

北条たち お前たち 不祥事だと
けしからんと。

それなのに もっと位の高い
親王を送れっていうのは

本来 筋に合わないはずだと
さんざんに正論で叱りまくり

そんな危ない所に
親王を送るわけにはいかんだろうと

さんざんに言っといて…

こういうふうなことをやらないと

こういう集団は
武力を持たずに対峙するのは

難しいだろうという考えですね。

困り 困らせる… まず。
まずは 叱ると。

では 後鳥羽上皇の選択は
どちらだったんでしょうか?

承久元年7月。

京から関東へと下向する行列

その中に 一人の幼子の姿があった。

摂政 九条道家の子 三寅である。

後鳥羽上皇は親王ではなく

摂政の子を将軍とする第三の道を選んだ。

幕府の要求は拒否したいが

すべてを拒めば 完全な敵対関係となる。

苦渋の選択だった。

ところが その裏では
予期せぬ事態が進行していた。

源氏の一族…

畿内に領地を持ち
内裏守護を務めていた頼茂は

実朝の後継者には
三寅よりも自分がふさわしいと

将軍の座を望んだという。

お膝元での陰謀を知った上皇は
頼茂討伐に踏み切る。

その混乱のさなか…

王権の象徴たる内裏の焼失は

上皇にとって我慢のならぬことだった。

陣頭に立って 再建を進めたが…

とりわけ 幕府の消極的な態度に

上皇は怒りを募らせたと
坂井さんは指摘する。

しかも その幕府は 今
北条義時が中心に立って動かしている。

その北条義時が
じゃあ 「申し訳ありませんから

自分が協力して大内裏 造営します」
っていうのであれば 別ですけれども

全く そういう動きもない。

北条義時に対する敵意というのは

ふつふつと
湧いてきていたはずなんですよね。

後鳥羽上皇は 流鏑馬揃えを名目に…

承久の乱 勃発である。

西国の守護である御家人に

上皇が挙兵を呼びかけた命令が
残されている。

義時を幕府から
排除することが

高らかに
掲げられていた。

挙兵を呼びかけた中には
東国の御家人も含まれていた。

その一人…

京で上皇側に付いた 弟 胤義から

幕府に背くことは確実だと
伝えられていた。

計画は 次のようなものだった。

手始めに 東国に

北条と拮抗する勢力を持つ
義村が

鎌倉でクーデターを起こす。

もし 仕損じても
西国の御家人が挙兵して

北条義時を討つ。

二段構えの戦略だった。

ところが 事態は
後鳥羽上皇の思惑を超えて動いていった。

挙兵から 僅か半月。

北条義時は
早くも 上皇の動きを察知していた。

頼みの綱の三浦義村が
義時に上皇の書状を提出したのである。

これまで 北条と結ぶことで
力を伸ばしてきた義村は

弟の反逆には与せず
幕府に味方すると誓約したのだ。

さらに 決め手となったのが

御家人たちに向かって行われた
北条政子の演説である。

それを御家人たちに…

まあ 何と言いますか
情熱的に伝えたのが

頼朝の未亡人であり
亡き右大臣 実朝の生母である

そして 今の義時の姉である北条政子。

これは やはり
血気盛んな武士たちにとってはですね

心揺さぶられる そういう演説であったと。

僅か18騎で出陣した幕府軍は
瞬く間に膨張。

1万を超えるまでに膨れ上がった。

岐阜県各務原市。

承久3年6月5日

この地で木曽川を挟んで対峙した

上皇軍と幕府軍が激突した。

10倍以上の幕府軍を前にして
兵を分散していた上皇軍は大敗。

京へ撤退する。

勢いに乗った幕府軍は
一気に都へ なだれ込んだ。

事態の急変に
上皇は 義時追討の院宣を取り消す。

史上初の朝廷と武士の武力対決は
あっけなく幕を閉じたのである。

後鳥羽上皇は その後
北条義時追討の兵を挙げますけれど

鎌倉幕府と後鳥羽上皇
勝敗の分岐点って どこにあったと…?

それは やっぱり…

一般の… 本当に
在地で生きている武士たちが

味方してくれるかどうか
っていうところまで 彼は見てない。

やっぱり 偉いから
上級武士しか見てない。

実際に…

例えば 幕府のほうで赤

朝廷のほうを青っていう形で
色分けすると

ちょうど きれいに
半分に分けられるんです。

だけど 実際に あのとき…

そんなに違うんですか。
じゃあ トップの守護だけは

身内人みたいな人たちが
付いてくるんだけど

下の豪族たちは ちっとも来てないと?
来てない。

やっぱり そこが身分の高い人の
陥りがちな罠なんですね。

おっしゃるとおり 武士っていうのは

土地に根差した
経済基盤があるでしょうから

そのために戦うっていうことは
大いに考えられるけれども

よく分からない朝廷の権威のために
戦うかしらというと 甚だ疑問ですよね。

でも そのことを後鳥羽としては
考えに上らなかったんでしょうね。

非常に特徴的だと思うんですけれども
とっても他罰的ですよね。

自分が悪いとは ひとかけらも思わない。

自分が悪いのではなくて
北条義時が悪いのであると。

みんなが 自分に付いてこないのは

義時が悪い 鎌倉幕府が悪い
ということで

討伐せねばならんというふうに
なるんでしょうけれども。

付いてこない理由が自分にあるとは
ちっとも思わないんですね。

やっぱり
後鳥羽さんと幕府の勝敗を分けたのは…

通常 こういう場合だと
手形を発行するんですよ。

もし 北条義時を討ち取ったら

君は どこに領地がもらえるとか
何の位に就けてもらえる

北条の どこの領地を
与えるとかいうふうに

個別 具体的に言われると彼らは弱いので。

鎌倉御家人たちの土地の権利に
全く 我々は文句があるわけではないと。

義時 一人を殺してくれさえすれば

君たちの権益は完璧に守るっていう
その工作を しっかりやっといて

事を構えなきゃ 駄目だったんで。

鎌倉武士をもって鎌倉武士を制すという
やり方をやらねば

寸鉄を帯びてない 軍事力を持ってない
朝廷が勝てるはずがないわけですよ。

今 Vに出てたように

坂井教授が「情報操作」っていう言葉を
使ったんですよ。

それは 後鳥羽上皇は
北条義時を討てということを

北条義時を排除すればいいと
思っていたのだと。

僕は 全く そこは違うんだと思う。
つまり 何でだというと

「結局 鎌倉幕府って何ですか?」
っていったときに…

これが鎌倉幕府の本質だと思う。

それが 頼朝がいなくなったあと
みんなで血みどろの闘争をやったんです。

そのチャンピオンになったのが
北条義時です。

だから…

正当性を与えている。
だから この時点で 幕府っていうのは…

そこは坂井さんと 僕の解釈が違うところ。

やっぱり 関東で
長い時間かけてね 戦いを続けて

けんかばかりしてるように見えるけど
その けんかを通じて やっぱり

関東の御家人たちの連帯というのは
あるんだと思うんですよね。

だから
「義時を討て」って言われたときに

義時だけの問題だと思えるか

我々の問題と思うかって
問題なんですよね。

だから それで
まだ頼朝の奥さんも生きていて。

承久の乱というのは 本当に
歴史上 唯一無二の戦いです。

つまり 武家が
朝廷を全面的に敵に回して

しかも 勝利者になって
そのあと 滅亡しなかったと。 朝敵なのに。

ルートを どんどん 後鳥羽は 自分で
作っていっちゃったって感じしますよね。

後鳥羽上皇の敗北は

その後の日本を
大きく変えることとなった。

上皇方として戦った西国の守護は
ことごとく処分され

そのあとには 東国の御家人が赴任した。

上皇の思惑とは正反対の形で
日本は 一つとなった。

幕府によって
それまでの天皇は廃され

新たに
上皇の兄の子にあたる

後堀河天皇が即位した。

皇位継承に
幕府が口出しするという

前代未聞の事態だった。

上皇への処分も過酷を極めた。

承久3年
後鳥羽上皇は この島に流罪となった。

島の高台には
上皇が暮らした行在所跡が

今も残っている。

人も通わぬといわれる この地で
上皇は 僅かな側近と共に

仏への信仰と和歌に
慰めを見いだす暮らしを送ったという。

だが 後鳥羽上皇は失意の中でも

都への思いを決して忘れてはいなかった。

島には 上皇と接した一族
村上家が今も続いている。

後鳥羽上皇のことを 親しく
「ごとばんさん」と言うふうになって

800年たった今でも
「ごとばんさん」というふうに

島の人たちは呼んでおります。

村上家は 帰還を願う
後鳥羽上皇の便りを京へ運び

上皇は その返事を求めて
頻繁に この家を訪れたと伝えられている。

村上家に伝わる古文書の中に

後鳥羽上皇の隠岐での暮らしぶりが伝わる
記述があるという。

(村上)ごとばんさんが来ると まず…

進ぜるということですかね
方言になっておりますけども。

お茶によって 薬効がございますから

「仙薬の妙」といって やっぱり

「長命になる」というふうなことでですね

大変 お茶を愛されたと。

上皇に茶を供するために使われたという
井戸は

庭の片隅に
今も湧き続けている。

「この島で生き続け いつしか都へ帰る」。

だが その願いが かなうことはなかった。

承久の乱から18年が経過した延応元年

後鳥羽上皇は病に倒れ
この地で亡くなった。 享年60。

京 大阪の境に
後鳥羽上皇を祭る 水無瀬神宮がある。

上皇の側近 水無瀬家の末えいが
宮司を務める この神社に

一通の文書が伝わっていた。

死の13日前 上皇が記したという
置き文である。

みずから 赤々と手形を押し
日頃の奉公に報いるため

「水無瀬の地を与えるので
菩提を弔ってほしい」と書き残している。

実は
この置き文に添えられた下書きには

次のような言葉が記されている。

その後 後鳥羽上皇の遺骨の一部は

京の都から20キロ離れた
大原の地に葬られた。

死してなお 都の地を踏むことを
許されなかったのである。

VTRに登場しました置き文
こちらですね。

しっかりと両手の朱肉で

両手で付けられていますけれど。

(中野)非常に
おどろおどろしいですよね。

強いネガティブ感情を感じるような。
ビジュアルもそうですし。

親指側より 小指側の指が長いですね。
小指も非常に長いことが…。

最後に クッと こう…
右側に付いているのを見ても そうですね。

強い気持ちで押したんでしょうかね。

「ブードゥーデス」っていう現象が
知られているんですけども。

これはブードゥーの呪いが
効くというふうに

信じられている集団の中では

本当に 呪術師が その人を呪っている
ということが知れると

その本人が 本当に死んでしまうという
現象が起こるんですよね。

朝廷の中では
あるいは幕府の要人だったり

まだ それを信じている人たちの中では

この手形が 呪いとして
有効だったのかもしれないですね。

手形からも 後鳥羽上皇の
無念さが伝わってきますが

結局 時代は 武士の時代に
なっていくわけですよね。

承久の乱はね 非常に 僕は ある意味で…

これね やっぱり すごく重要なんですよ。
つまり このときにね

やっぱり 武士は
初めて断固たる行動を取って

まあ 何て言いますかね

院や天皇に 刃向かったわけですよね。
はい。

ここでね
はっきりとしたことをやったことで

自分たちは成しうる 何かを。
「We can」っていうことですよね。

これはね
このときだけの問題じゃなくて

これがあったから そのあとのね
武士ってのがあるわけです。

例えば 僕は「御成敗式目」
ってのを すごく重視しているんですよね。

初めてね 日本人がですね 自分で

法秩序を定めたわけです。

でも そういうことができるのはね
このときの成功体験というか

このときから得た自信ですよね。

まさに この承久の乱が

歴史を大きく変える
きっかけになったとは言えますが…。

最後になりますけど
改めて 現代に生きる私たちは

この承久の乱 そして 後鳥羽上皇から
何をくみ取るべきなのか。 中野さんは?

…というものが
この人に集約されているような

印象を受けましたね。
命令すれば人は動くものだと。

人ではないと思ってたかもしれない。

人っていうのは 貴族であって
殿上人だけが人であったような時代。

東夷というのは
人扱いされてなかったんだろうと

思いますけれども…。

でも その人たちが
実際に動いて 時代を推し進めちゃった。

その初めての歴史の転換点が

ここだったのかなというふうに
思うんですね。

いわば ちょっと
ワンフレーズで言うとしたら…

少なくとも
動いてくれる人は 人間であって

意思と感情を持っているんだということを
考えなければ

軽々しく 切り捨てたようであっても

その切り捨てた先に何があるのかを
予測しなければ

何か 物事を動かすというときに
必ず そこから

また 蟻の一穴のように
物事が崩れてしまうということが

起きるんだろうと思います。
そうですね。

たぶん このとき 天皇の役割っていうのが
大きく 僕 変わった気がしますよね。

財力 取り上げられちゃったわけですよ
基本的には 武家方に。

あと残るのっていうのは
財力 武力 権威のうち

権威だけ残ったわけですよね。

さあ 皇室 どうするか? と。

結果ですけど 残った権威に寄りすがって
永続するという。

意外に これが 島国では
おいしかったのかもしれないと

僕 思うんですよ。
「おいしかった」と?

島国じゃなかったら
武力もなく財力もない者は

滅ぶしかないんですけど。

この島国は 同じメンバーで
外敵に襲われずにいくから

同じ幻が見えるんですよ 権威という。

要するに…

北条も 天皇を なんと
なくそうとしないわけですよ 上皇も。

天皇に将軍を任命してもらわないと
自分も永続できないと。

天皇の側も
ガードマンとして守ってもらい

即位だの何だののときに

内裏の建て直しだって
費用を武家方に出してもらわないと

天皇として維持できないという。

持ちつ持たれつ関係を選んでいくという
ここが やっぱり面白いところだよね。

僕はね もうちょっと具体的に

文字の力 文化の力なのかもしれないと
思う。

というのは 何でかっていうと
一番 やっぱり 彼らの…。

権威の源泉がね。
権威の源泉。

つまり 彼ら 武士にとってみて

何が一番求めたい
欲しいものかっていうと

土地なんですよ。 土地っていうものを
どうやって所有しているか。

自分の土地所有を
どうやって 正当化するか。

そのときに
当時の荘園制というものが 一つあって。

その荘園制っていうのは
天皇抜きには考えられないんですね。

だから 武士が
もうちょっと お勉強をして

その荘園制っていうものを
乗り越える論理を作れたならば

天皇 いらなくなるんです。

だけど 彼らには それだけの論理を
組み立てるだけの力が まだない。

ということになると
天皇は いてもらわないと

自分たちの土地所有が
保障できないということになる。

だから やっぱり どうしても

天皇は いていただかないといけない
ということなんだと僕は思ってますね。

ほとんどの人がね…
そこのところは分からないですよね。

つまり 僕らは日本にいて

小学校のときから
そういう歴史を習ってるので

そういうもんだと思っちゃうんだけど
外国の知識人なんか 日本の歴史は…。

「じゃあ 何で天皇は いるんですか?」と。

基本的に 一番やっていることは
要は 官位をね 授けると。

官位って じゃあ 何か? っていったら
別に ほとんど名前しかないんですよ。

ある意味で 空虚なことしか
やってないんだけれども

それがないと できないと。
で 強いっていうことだけではね

永続的で広範囲の支配っていうのは
うまくいかないんですよね。

だから そこに何かが必要なんですね。
その何かにあたるものを

一応は 天皇からもらってるんですけど
その何かが何であるかっていうと

中国のように 天命だとか 天の原理だとか
はっきり言えないんですね。

よく分からないんだけど…
よく分からないものに

我々は支配されているんですが

それが 実に うまく機能した
っていうことなんですよね。

話を深めれば深めるほど
謎も深まっていきますけどね。

いよいよ 日本の国の構造の
問題になってくる…。

そうですよね。

僕 何だかんだ言いながら
この後鳥羽さんの 1221年というのは

日本史上
ものすごい画期だというんですけど

財力や権威を持ってた人間を

単に 武力を持った者が
圧倒する時代が始まって

これは 力の時代で これがずっと
今度 1868年の明治維新まで

武力を持った
「武」の時代が続くわけですよ。

「力の時代」と言っていい。
だけど これも終わるんですよね。

それは何かっていうと
西洋から工業化が始まったからですよ。

今度は 工業の時代は…

大量に 物を作って
それで何かやっていくと。

ところがですよ
サービスや人工知能とか

単に 金 持つんじゃなくて
違う価値の時代の入り口に

21世紀半ばの我々は 入っているから
ひょっとしたら

後鳥羽さんとか
明治維新とか…

僕たちは
入り口にいるかもしらんなと。

だから このときの時代の話は
やっぱりね 見つめて

なぜ 天皇は残ったのだ? とか
今日 考えられたことは

とってもよかったかなと思いましたね。

皆さん 今日は
どうもありがとうございました。

ありがとうございました。

…と呼ばれた人がいました。


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