ザ・プロファイラー「ジャクリーン・ケネディ 華麗なる大統領夫人」 クリス・ペプラ-、近藤サト、河北麻友子、岡田准一


出典:『ザ・プロファイラー「ジャクリーン・ケネディ 華麗なる大統領夫人」』の番組情報(EPGから引用)


ザ・プロファイラー「ジャクリーン・ケネディ 華麗なる大統領夫人」[字]


ジョン・F・ケネディを支え可憐(かれん)なファッションと数か国語を話すスーパーレディ。しかし夫の暗殺後は大富豪と再婚しバッシングも。岡田准一がその人生に迫る。


詳細情報

番組内容

ケネディ大統領夫人、ジャクリーンの人生を岡田准一がプロファイル!可憐(かれん)なファッションに加え、数か国語を話す語学力で外交でも活躍した。更には老朽化したホワイトハウスの改修に自ら乗り出すなど、行動する大統領夫人のさきがけともなった。しかし夫が暗殺されたのち、周囲の反対を押し切って大富豪と再婚。マスコミからはバッシングも。栄光と苦難人生。しかし女性たちの憧れであり続けた。

出演者

【司会】岡田准一,【ゲスト】クリス・ペプラ-,近藤サト,河北麻友子




『ザ・プロファイラー「ジャクリーン・ケネディ 華麗なる大統領夫人」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数BEST10)

ザ・プロファイラー「ジャクリーン・ケネディ 華麗なる大統領夫人」
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…と呼ばれた人がいました。

第35代アメリカ大統領 ジョン・F・ケネディの妻として
知られる女性です。

最も…

さまざまな言葉とともに
ジャクリーンは

なぜ 「女王」と呼ばれたのでしょうか?

アメリカのファーストレディといえば

華麗なファッションや 言動の一つ一つに
世界中の注目が集まる。

そんな歴代の夫人の中でも 別格として

「スーパー・ファーストレディ」と
呼ばれるのが…

ファッションリーダーとして
絶大な人気を誇り…

外交でも 笑顔と流ちょうな語学で
各国の首脳を虜にする。

更に 自ら企画したホワイトハウスの修復や
文化活動も 幅広く手がけた。

夫をサポートするだけでなく 自ら行動する
最初の大統領夫人でもあった。

しかし 悲劇は突然起こった。

(銃声)

夫のケネディが
ジャクリーンの目の前で暗殺されたのだ。

だが 言葉とは裏腹に
ジャクリーンの孤独な戦いは ここから始まる。

ケネディ暗殺から 僅か5年。

プレーボーイとして知られる
ギリシャの大富豪と

周りの反対を押し切って再婚。

それまで彼女を 「女王」と持ち上げていた
マスコミは 手のひらを返し

「史上最悪の女」と
大バッシングを繰り広げた。

更に 悲劇が襲う。

再婚から7年で…

40半ばで 誰かの夫人ではなく
「1人の女性」になった ジャクリーン。

その時 選んだ生き方とは?

激しい運命の荒波を生き抜いた
華麗なるファーストレディを

プロファイル!

♬~

1953年6月2日。

ロンドンで イギリス女王
エリザベス2世の戴冠式が行われた。

世界が注目した このビッグイベント。

取材のため アメリカから派遣された
新聞記者が

24歳の…

この時 滞在先に一通の電報が届いた。

後に ジャクリーンの運命を
大きく変える人からだった。

アメリカで 新進気鋭の政治家として
注目を集めていた青年だ。

将来有望な記者として
仕事に熱中していた ジャクリーン。

1929年 ジャクリーンは

アメリカ ニューヨークの
マンハッタンを望む

高級住宅地に生まれた。

父 ジョンは 株式仲買人。
プレーボーイとして有名だった。

母 ジャネットは 堅実な資産家の娘。

父は 幼い娘をかわいがり
こう語りかけた。

しかし 11歳の時 父は
ジャクリーンのもとを離れていった。

遊び人の父に 母が愛想を尽かし
離婚したのだ。

その2年後 母は 大富豪と再婚する。

待っていたのは ニューヨークでも
指折りの金持ちしか味わえない

豪華で夢のような暮らし。

高校生に通う頃には ジャクリーンは

わがまま放題の生意気なお嬢さまに
育っていた。

頭はいいが 先生には反抗的。

制服が嫌いで 学校でタバコも吸っていた。

一方…

言い寄ってくる男は多かったが
相手にしなかったという。

高校の卒業アルバムには
こんなことを書いている。

ジャクリーンは 二十歳になると
フランスのソルボンヌ大学に留学する。

パリで フランス文学や美術を学び

ボードレールの詩を暗唱するほど
熱心だったという。

勉強の合間には
オペラやバレエを見に出かけた。

美術館を巡り カフェで読書に没頭した。

アメリカに戻った ジャクリーン。

キャリアウーマンとして活躍の道を
探していた時に

千載一遇のチャンスが訪れた。

世界的なファッション雑誌が行った…

ジャクリーンの論文やエッセーは
高く評価され

1, 280人の応募者の中から…

ところが ジャクリーンは
雑誌社で働くことはなかった。

大富豪の義父と母に 大反対されたのだ。

良家の子女は 何といっても

優秀な伴侶を
アメリカで探すことが第一…。

雑誌社で働くことを辞退させた義父は

代わりに ジャクリーンを
知り合いのコネを使って

地方紙の記者に採用させた。

受け入れ先の新聞社では
誰もが ジャクリーンを

お嬢さまが 結婚までの
腰掛け仕事に来たと思っていた。

ところが ジャクリーンには
そんなつもりはなかった。

初めは 雑用係だったが
街頭インタビューの仕事に志願。

1951年 22歳のジャクリーンは
あるパーティーで 運命の人に出会う。

12歳上のケネディは
大富豪 ケネディ家の次男で

青年政治家として将来を期待されていた。

ケネディに興味を抱いたジャクリーンは

手作りのランチを持って
事務所を訪ねるようになった。

時には 彼が議会で使うフランス語の資料を
翻訳して手伝うなど

親密さを増していった。

知り合ってから1年後。

ジャクリーンに ほれ込んだケネディは
ついに彼女を 父 ジョセフに紹介する。

ケネディ家の長 ジョセフは
一代で ばく大な財産を築いた大富豪だ。

手段を選ばず 金と権力で
のし上がった ジョセフ。

息子 ジョンを大統領にする野望に
燃えていた。

ジョセフは すぐに
ジャクリーンを気に入った。

聡明さ 美貌 学歴 家柄。

彼女は 大統領夫人の条件全てを
満たしていた。

ジャクリーンは この申し出を受けた。

ニューポートの
セント・メアリー教会には

700人の招待客と
3, 000人以上の見物人が詰めかけた。

ウエディングドレスは 新郎の希望で
伝統的なスタイルのものを着た。

青年政治家と名家の美女の結婚を
マスコミは こぞって取り上げた。

この時 24歳だった。

河北さんは ジャクリーンに対して
どういう印象がありますか?

すごく 何か ファーストレディなんですけど
とても おしゃれで

何か 何だろう…。
う~ん おしゃれ。

はい すごく 何か 新しいことをたくさん
挑戦した方っていうイメージですね。

ずっとニューヨークにいたので
結構 親近感は湧いてます。

向こうでいうと どういう存在として
見られてるんですかね。

まあ ファーストレディといえば
ジャクリーン・ケネディっていう

僕は イメージですけどね。
エレガントだし 美しいし 聡明だし。

僕としては
JFKとジャクリーンというのは

ほんとに 良きアメリカというか
健全なアメリカ。

クリーンなアメリカの象徴でしたね。

ケネディ暗殺の時は…。
6つだと思います。

だから 当時ちょうど
小学校に上がったくらいなので

結構 覚えてるんですよね。
へえ~。

近藤さんは ジャクリーン
何か 興味があって調べた。

そうですね 私は
ジャクリーンというよりは

どうして アメリカは
こんなに ケネディ家っていうものが

気になってしょうがないんだろう
というふうに思って。

ジャクリーンに関しては
私が 個人的に思うのは

こう特別な存在になるためには 努力を
惜しまない人なのかなあと思いました。

それでは 最初のプロファイルテーマに
いきたいと思います。

近藤さん リストの中で
気になるものありますか?

(近藤)「将来の夢 主婦にならない」
というのは

現代では 当たり前というかね。

まあ 女性も仕事を持って
しかるべきというのが 普通ですけど

当時は これは多分 すごく
珍しいことだったと思うんですが。

お父さん まあ  名うてのプレーボーイで
もう とにかく遊び人だったんですね。

彼らの分裂を見て…

…という お母さんに対しての
言葉じゃないかなって

私は単純に思ったんですけどね。

母に対する まあ 反発みたいなものも…。
(近藤)当てつけじゃない… そう。

河北さん どう思いますか?
この時代だと すごく珍しいことですよね。

女性は 主婦っていうイメージの方が
強い中で 主婦にならないっていうのは。

でも 何か つながってる気はします。

…って 多分
自分で思ったんだと思います。

彼女は普通の人じゃないですからね。

富にも恵まれてる。 美貌にも
恵まれている。 非常にわがままで。

だから その 普通の…

(クリス)だから 「みんながやっているから
私は やらないわ」というか

女性の強さみたいなの
持ってたと思うんですよ。

「別に 家庭に入る必要がないのよ 私。
一人でも生きていけるわ」っていう。

「男になんか頼らないわ」みたいな強さを。
(クリス)ありますよね。

女性の強さみたいなのは
共感できたりはするんですか?

…と思うので すごい
かっこいいなと思います 女性として。

ジョセフについては どうですか?
何か こう結婚しむけるわけですよね。

もしかしたら
ジョセフとジャクリーンが

どうやったら ケネディが結婚する気になるか
という策を練ってたかも。

「君が相手として ふさわしいんだけど
どう思う」 みたいな

会話が もしかしたら
あったかもしれないですよね。

ねえ ありえますよね。
河北さん リストの中で

気になるものありますか?
(河北)「ジョン・F・ケネディ」です。

おっ ついにきました。
(河北)はい。

ミシェル・オバマも言ってたんですけど

「私は 大統領と結婚したんじゃなくて
私の夫が大統領になった」って

言っていたんですけど
それと一緒で 多分 彼女も

「ジョン・F・ケネディが
私のことが必要なんだ」って思って

結婚したんじゃないかなと思います。

お~ 「結婚してあげたのよ」っていう。
(河北)はい。

常に トップ狙いだと思うんですよ
男性でも。

だから やっぱり ボス猿狙いというか。
ボス猿…。

強い男が好きで。
多分 彼女 嗅覚がすごくいいから

これは いいの捕まえたとは
思っているんじゃないかなっていう

気はしますけれども。

ジャクリーンにとって 結婚っていうのは
何だったと思いますか?

アメリカっていうと
政治にいかれる人は

もう奥さんの役割って
ものすごい大事なんですよ。

あとは ジャクリーンっていうのは
フランス語堪能 スペイン語もできる。

ほんとに よきパートナーだったんじゃ
ないかなという気がしますよね。

そういう意味では 2人とも ある種

自分たちのキャリアアップも加味した
結婚だったんじゃないかなっていう。

(近藤)私は あの いわゆる
上昇気流に乗っている

ケネディ家っていうものを
全部ひっくるめて

ここに私も乗っかったら
私も一緒に 上に上がれるって

思ったとは思うんですけど。

ただ ケネディ自体に 多分 ものすごく
魅力があったんだと思います。

自分のステップアップでもあるのかなと
思います。

こんだけ結婚したあとも
いろんな活動をしてたので

ただの まあ 主婦じゃない役割が
あるっていうのもありますし。

ものすごい あの 刺激満載の。
(近藤)満載の。

どうですか? どう思います?

何か でも すごい大金持ちと お母さんが
結婚して 良家に入ったので

やっぱ レールに
乗せられてるっていうことに反発した

自分って 何なんだっていうレールを
すごく探してる時に

これは ほんとに すごいなって思う魅力を
ケネディから感じたというか

主婦にならない結婚は実現している感じが
ちょっとあるというか。

何か 冒険もありそうな いいにおいがする
結婚だったのかなっていう。

…といわれた
大統領夫人の華やかなファッション。

全米に大ブームを巻き起こした。

しかし 先輩の元大統領夫人からは
批判も受けた。

大統領夫人は 「アメリカの母」。

優しく質素で 常に夫を立てる
控えめなイメージに合わないというのだ。

結婚して5年間 子育てを優先してきた
ジャクリーンだったが

ケネディ家の家族会議で協力を求められ
こう答えた。

ケネディ家の命運を懸けた大勝負。

父親のジョセフは
この選挙戦に ばく大な資金を投じた。

♬~

フランク・シナトラをはじめ
ハリウッドのスターたちが ケネディを応援。

空前絶後のキャンペーンだった。

(歓声と拍手)

ジャクリーンは 夫の良き相談相手だった。

ジョンの…

…にもアドバイスを与えた。

それまで イマイチという評判だった
ケネディの演説は

大きくイメージアップする。

更に ジャクリーン自らも演壇に立ち

他の候補者には
絶対にまねできない演説をやってみせた。

アメリカに暮らす移民たちの言葉で
語りかけたのだ。

このスピーチは 英語を話さず
多くが貧しい暮らしをしていた

いわゆる…

これは イタリア系の人々を前に
イタリア語でスピーチをした時の映像。

ジャクリーンの人気は沸騰した。
ジャクリーンが来ると知らされると

演説会場の聴衆は
倍に膨れ上がったほどだ。

夫を大統領にする。

その目標のため 他の全てを犠牲にして
長く厳しい日々を耐え抜いてきた。

そして ケネディが大統領に当選。

ジャクリーンは 31歳の若さで
ファーストレディとなった。

ジャクリーンの華やかな衣装は

それまでの大統領夫人が
着ていたものとは 全く違った。

そのため 「ジャクリーン・ルック」と呼ばれ
一世を風靡する。

自分専属のデザイナーを置き
こんな注文を出している。

しかし 人々は
ジャクリーンのファッションに夢中になった。

特に帽子は へこんだままかぶったことが
話題になり

へこみが付いた帽子が
売られるほどだった。

華やかで行動的な大統領夫人の姿は

アメリカの女性たちに
大きな影響を与えたという。

ジャクリーンの改革は 服にとどまらない。

初めてホワイトハウスに入った時
こう叫んだ。

当時 ホワイトハウスは

大統領の住まいとは思えないほど
ひどい状態だった。

歴代の大統領が それぞれ勝手に
改築を重ねた結果

水の流れないトイレや
壊れたシャワーが放置されていた。

ジャクリーンは
ホワイトハウスの大改修工事に着手する。

まず 修復の会議を作り メンバーには
全米有数の富豪たちを入れた。

ばく大な予算を税金で賄えば
非難を浴びる。

そのため 金持ちから
寄付金や 調度品をもらって

節約しようと考えた。

更に ジャクリーンは
斬新なアイデアを出した。

ホワイトハウスの
「ガイドブック」の製作だ。

建物の歴史と内部を
美しい写真と しゃれた文章で紹介し

見学に訪れた人に売ろうというのだ。

ガイドブックは 発売から僅か10か月で
50万部を売り上げる 大ヒットを記録。

改修費用を大いに助けた。

更に ジャクリーンは 生まれ変わった
ホワイトハウスを紹介する番組に 自ら出演。

自慢の語学力で
フランス語と スペイン語版も製作し

全米はおろか
世界106か国に発信したのだ。

ジャクリーンは 大統領夫人として
政治的にも大きな力を発揮する。

ケネディ大統領の
「外交の切り札」とも言われた。

フランスで シャルル・ド・ゴール大統領と
会談した時のこと。

ケネディは 険悪だった
アメリカとフランスの関係修復に

ジャクリーンの力を借りようとした。

フランスに到着すると
こんなジョークを言った。

夫の通訳を務めたジャクリーンは
フランス語を自在に操り

文学や美術の話にも 花を咲かせて
ド・ゴール大統領の心をつかんでしまった。

冷戦で緊張関係が続いていた
ソ連との会談にも同行。

ジャクリーンは フルシチョフ書記長を
たちまち魅了した。

カメラマンが フルシチョフに

ケネディと並んでポーズを取ってくれと
頼むと こう答えた。

ジャクリーンを待ち受ける
各国のマスコミは過熱し

まるで王族のような扱いだった。

ジャクリーンは 「アメリカの女王」と
呼ばれていました。

いや すごいですね。

ケネディが大統領になる裏には
ジャクリーンがいたと。

続いてのプロファイルテーマは…

こちらにですね ジャクリーンスタイルのファッションが
並んでおります。

皆さん いかがですか?
(河北)かわいいです。

何か いろんな人を巻き込みますよね。

だから 例えば あんまり その
政治とかに全く興味なくても

「ああ あのワンピースがかわいい」って思って
見る人もいれば

何か そういう いろんな手で
いろんな人を巻き込んで

支持を得たんだなっていうのが
すごく勉強になりました。

うちのおふくろが やっぱり…

影響されてました?
あの当時は

みんな まねしてたと思いますよ。 うん。

なぜ ジャクリーンは 個性的なファッション
目指したんだと思いますか?

女性のファッションの意識っていうの
変えたいっていうのは

あったかもしれないです。
ファッションリーダーとしても

アメリカの女性に 提示したかったのかな。
そっか。

最高のおしゃれをしましょうよ
というところが

また あの ニューアメリカっていうか。

口で言うんではなく 何か こう身なりとか
そういう部分で

新しい女性像を
提案してたんじゃないかなっていう。

アメリカは変わるっていう感じを
すごく受けたんでしょうね。 皆さんね。

「もうちょっと質素にしなさい」って
すごく言われるわけじゃないですか。

それを無視できるって。
逆に言われたから もっと

反発したんじゃないかなっていう気は。
いや~。

そこって難しくないですか?
でも 新しい時代を切り開くって

そういうことですよね。
かっこいい。       いいこと言いました。

(クリス)いや でも でも そうです。
かっこいい。

注目集めることが大事じゃないですか。
集めてから そういう演説を見させて

じゃあ うちの大統領は
この人にしようっていう

注目が すごく集まったので
よかったんじゃないですか。

あと 時代の息吹っていうのを感じるのが
すごく鋭かった。

先輩に 何か こう あった方が
いいわよって言われても

ダサすぎて
説得力がなかったんじゃないですか。

単純に。
(近藤)単純に。 あなたに言われてもって。

大統領夫人っていうと やっぱ
国民の母みたいに。

(クリス)まあ 肝っ玉母さん的な。
それは 意識あったんだと思いますか?

(近藤)母じゃなくて
やっぱり プリンセスが

アメリカにも生まれたっていうことの方が
大衆は 支持したんじゃないですか。

プリンセスって大好きですよね
アメリカ人。
大好きです。

こちらがですね…

雑誌みたいですよね。
誰でも読みやすくて 難しすぎない。

すごく分かりやすい言葉で
書かれてるので。

アメリカには お城がないじゃないですか。

(近藤)江戸城のパンフレットみたいなものです。
(笑い声)

ジャクリーンは 世界的な芸術家や学者を
ホワイトハウスに招いて

コンサートや講演など さまざまなイベントを
行っているんですけども。

宮殿には 当然 音楽や芸術が

なくちゃいけないわけですよね。
宮殿だったんですね。

軍事力 経済力 いろんな意味で
ものすごい強国だけれども

唯一 アメリカ人が…

でも ジャクリーンは もうフランス語堪能だし
ソルボンヌ行ってるわ

非常に こうヨーロッパのカルチャーに対して
ものすごい明るいわけじゃないですか。

だから そのカルチャーを
アメリカに持ってくるっていうことを

やっぱり 自分の一つの使命と

思ってたんじゃないかなっていう
気はしますけど。

対外的にも こういうことができるよと
アメリカは。

そういうことを見せたかったでしょう。

海外に波及していくことも
見越してたのかなあと思うと

すごいなと思いますね。
そう。

私とジョンは 分かってるのよって
やっぱり海外にも。

今までの大統領と
違いますからねっていうような

アピールもあったんでしょうね。 ものすごい
名プロデューサーだと思いますよね。

注目のタネをまいて
いろんな人に注目されるホワイトハウスであり

いろんな国に注目される大統領夫人と
大統領であることを

意識してたんだなあって思いますね。

主婦になるために
結婚したわけではなくて

その 私の輝ける場所を この人は
作ってくれると思って結婚したとしたら

「さあ 私の出番よ」というのが

ホワイトハウスに 一歩 足を踏み入れた時から
あったと思うんですね。

私がやるという意識が 彼女にとっては
自然な流れだったと思いますね。

(クリス)ライフスタイルリーダーだったんじゃ
ないですかね。

アメリカって すばらしいんです。
素敵なんだよ。

ものすごい こう豊かな国なんだよ。

いろんな意味で それを
こう 啓もうっていうか

伝えようとしたんじゃないかなっていう
気はしますよね。

多分 ケネディと ずっと一緒にいて

ケネディさんの弱みとか強みも
全部 彼女が一番知ってたので

その弱みを全部… だから 例えば
語学だったり そういうものを

自分が補っていってあげようと思って
表に出て

そしたら もう
味をしめちゃったんじゃないですか。

う~ん。 新しい国に変わるんだっていう
プロデューサー感覚があったのかなっていう。

ちょっと 何か ほんとに
ケネディを動かしてたのも

彼女なんじゃないかって思うぐらい

裏で こう うまいこと
導いていた感じも受けるし。

大統領夫人として
絶大な人気を誇った ジャクリーン。

ところが 数年後には
「裏切者」のレッテルを貼られる。

1963年 ジャクリーン34歳の時。

大統領再選を目指すケネディは
テキサス州で 遊説することにした。

11月22日 ダラスの空港に到着した
ケネディ夫妻。

ジャクリーンは ストロベリーピンクのスーツに
ピルボックスハットをかぶり

颯爽とタラップから降り立った。

ケネディは
オープンカーのパレードを計画していた。

前回の選挙では
この地域で票が取れなかった。

今回は 人気のテコ入れのため
ジャクリーンと共に

しっかり姿を見せようとしたのだ。

更に 観衆が見やすいように 事前に…

12時55分 パレード開始。

ジャクリーンは 夫の隣に座った。

13時30分。 車がテキサス教科書ビルの前に
さしかかった時…。

(銃声)

銃弾を頭に受け のけぞる大統領。

ジャクリーンは 座席をはい上って
トランクに乗ろうとした。

ジャクリーンは 夫に付き添って
病院へ行った。

だが すぐにケネディの死亡が告げられた。

ショックと悲しみに包まれたが
大統領の不在は許されない。

すぐに 大統領専用機の中で
副大統領のジョンソンが宣誓式を行い

ジャクリーンも立ち会った。

この日 ジャクリーンは
ケネディの血を浴びたスーツを着たままだった。

着替えるように勧められたが
こう言ったという。

夫の死を 人々の記憶に
深く刻みつけたい…。

ジャクリーンは 葬儀の全てを
自ら取りしきることにした。

葬列は ジャクリーンとケネディの家族を
先頭に

ワシントンの議事堂から
セント・マシューズ大聖堂まで徒歩で移動。

埋葬は 南北戦争の兵士も眠る
アーリントン国立墓地。

ジャクリーンが 特にこだわったのは
墓を照らす…

消えることのない炎のように

アメリカ国民が ケネディを
忘れないようにと 願いを込めた。

ケネディの死後 ジャクリーンは
親しい友人への手紙に こう書いた。

しかし 失意のジャクリーンを
世間は放っておいてはくれなかった。

ワシントンの新居の前には
常に報道陣が待ち構え

観光バスも止まった。

夫の死から5年
更に ケネディ家の悲劇は続く。

1968年 ケネディの弟 ロバートが
大統領に立候補。

(銃声)

選挙運動中 またもや暗殺されてしまった。

ジャクリーンは 子供たちにも
身の危険が迫っていると肌で感じていた。

しかし ケネディ家は ロバートの選挙に
財産の大半を つぎ込んでしまっていた。

ジャクリーンが 警備のために使える資金は
ほとんどなかったのだ。

ロバートの葬儀の翌日
ジャクリーンは こう言った。

ジャクリーンが逃避先に選んだのは
ギリシャの大富豪 オナシスのもとだった。

オナシスとは5年前
ケネディの存命中に 一度会っていた。

このころ ジャクリーンは
3人目の子供を みごもったが

生後 僅か3日で死亡。

その傷を癒やすために
妹の知り合いだったオナシスと

船旅を共にしたことがあったのだ。

23歳年上のオナシスは
プレーボーイではあったが

女性を引き付ける気遣いに あふれていた。

ばく大な財力を使って
宝石は言うに及ばず

船や飛行機も
ジャクリーンにプレゼントした。

何より魅力的だったのは
地中海に島を持っていたこと。

ジャクリーンのため 島に万全の
セキュリティーシステムを整備してくれたのだ。

1968年10月 ケネディ暗殺から5年後

ジャクリーンは オナシスが所有する
島の教会で結婚式を挙げた。

この結婚は アメリカをはじめ
世界中のメディアから

「裏切り行為」と激しくたたかれた。

その一方で 少数ながら
再婚を支持した人もいた。

友人の…

さあ ということで まあ ケネディ暗殺から
まあ 再婚まで見ていきましたけども

次の プロファイルテーマに
行きたいと思います。

「なぜ バッシングを受けたのか」。
クリスさん 気になるリストありますか?

(クリス)「血を浴びたスーツ」。

これ すごいですよね。     すごいですね。
着替えなかったという。

なぜと思った人は
たくさんいると思うんですよ。

服を着替えて
あとは血を洗い流すべきなんですけど

常識を彼女は 通り越えてるわけですよね。
これを犯人に見てもらいたい

世界に 一体 どんな おぞましいことが
起きたのか見てもらいたいっていう。

これほど強烈なメッセージって
ないですよね。

いまだに あのシーンって
僕 目背けますね。

自分の… ねえ 主人の頭が
まあ 吹っ飛んだわけじゃないですか。

それを こう頭の一部を
こう拾うっていう その強さ。

ただ 悲しみとか 絶望よりも
やっぱり 怒りが

先に立ってたっていう感じがしますよね。

今まで自分は アメリカって
こんなに すばらしい国で

私たちが アメリカを変えようとしている。

でも こういうことが起きて
これも アメリカなんだっていう

もう 強烈なメッセージを
全世界に対して

発信しているという
意識はあったと思います。

どうですか?
この状況で葬儀を仕切れるという。

今 私は 何をしたらいいかっていうことの
切り替えが

ものすごい 何か こう
男勝りというかですね。

夫は もう亡くなった人として

多分 悲しいけれども
そこでピリオドを打ってしまう。

過去にとらわれない。 次は何をすべきか。
切り替えたってことですよね。

河北さん リストの中で
気になるものっていうとありますか?

(河北)「アメリカという国が憎い」。
こんだけ衝撃的なことがあると

まあ アメリカを離れたくなるのが
当たり前というか

当然なんじゃないかなと
思いますけどね。

オナシスとの結婚が バッシングを受ける
ということになりますけど。

彼女は 世界中から見て
ある意味 もうアイドルみたいな。

ケネディさんが暗殺されて
そのまま ケネディさんのことを思って

そのまま死んでいってほしいっていう。

アイドルだからこそ そういう理想が
あったんでしょうけど

彼女は 一人の人間なので

やっぱり 自分の安全だったり
子供の安全だったり

そのアメリカを出なきゃいけないっていう
選択をさせられた身なので

まあ 私は当たり前の選択というか…。

(クリス)ケネディの真相 彼女は裏事情が
ちょっと見えていたのかもしれないし。

闇をのぞいた。

民主国家って言われてるけど
実は違う。

もっと恐ろしい力が
実は動かしてるんじゃないか。

僕も あの~ やっぱりアメリカ人なんで
当時 何でオナシスなんだろう。

ちょっと脂ギッシュで 何か こう
ずんぐりむっくりで

あんま 素敵じゃないし ただ
お金はいっぱい持ってるんだろうなって。

何か 何か ただの… 何か
すけべおやじな感じがすごいしてて。

素敵な王子さまにいくんだったら
分かるけど 全然王子さまとは

もう かけ離れた人物のもとへ
いってしまったんだけど。

ただ まあやっぱり 彼女は
守ってもらいたかったんでしょうね。

私がジャクリーンの立場だったら もう…

(河北)そうですよ。
行く行くって感じですよ。 ねえ?

(近藤)行く行く。

オナシスのことを
「とんでもない悪党だけど

同時に とても理解がある」
っていうふうに言ってますけども。

(クリス)生命力は 多分すごかったと
思うんですよね。

そこのあたりは ジャクリーンは
引かれたのかなっていう。

彼女は もうほんとに生まれた時から
お嬢さまで 裕福な生活をしているんで…

(クリス)だから その
ある程度の生活水準も

確保できないとっていうのは
あったのかなって。

…で結婚してると思いますけど
これは なぜだと思いますか。

上流階級の人ですし まあ アメリカの
トップに上り詰めた女性ですから

メディアに対して
対等な位置ではなくて

多分 上から目線だったと
思うんですよね。

メディアに何と言われようと
私にはお金が必要だし

私には子供のセキュリティーが必要だし
それを優先して何が悪いという。

だから バッシングとか
あんまり気にしてなかったと思いますね。

悪く言われるだろうなって
分かっていただろうけど

確実に守ってくれるっていうことが
自分には必要だったというか。

バッシングよりも 嫌だったのは

同情なんじゃないかと思うんですよ。

「同情するなら 金をくれ」
じゃないですけど。

かわいそうな人よね あの人はって
言われる方が

プライドが 多分
保てなかったんじゃないかと。

う~ん。

かっこいい? 強いですよね。

自分が正しいと思う道を
貫き通すのが すごいなと思います。

それが今まで たまたまアメリカの国民が
すばらしいと思えたことなだけであって

彼女がやってることは ずっと
そうなんじゃないかなって思います。

(クリス)彼女の中では もう…

大統領夫人だった時は
常に 人目を気にしないといけない。

どういうイメージで
見られてるかって

もう それが
仕事の一部だったわけじゃないですか。

でももう この期に及んで

もう しなくてもいいんだという
ことだったんじゃないですか。

逆に 解放感みたいなものを
感じてたのかもしれませんよね。

11歳の娘と7歳の息子のため

平穏な生活を求めて
ギリシャに来たジャクリーン。

しかし 浮気者のオナシスとは
けんかが絶えなかった。

ジャクリーンは 寂しさを紛らわせようと
ショッピングに のめり込む。

気に入った靴は…

同じデザインのブラウスは 全色そろえた。

更に 数々の有名ファッションショーの
常連で

コレクションを
丸ごと買い上げるのが好きだった。

さすがの大富豪 オナシスも
ついに 制限を設けたほど

ジャクリーンの ショッピングにかける
金額は すさまじいものだったという。

結婚から7年で
オナシスは病死する。

晩年 ジャクリーンに
愛想を尽かしていたオナシスは

遺言で財産のほとんどを
娘 クリスティナに譲るとしていた。

ところがジャクリーンは クリスティナを
相手取り 遺産相続の訴訟を起こした。

結果…

当時の金額で 79億円という

ばく大な遺産を
手にすることになった。

もう 誰に頼る必要もない。

ジャクリーンはアメリカに戻り
子供たちとニューヨークで生活し始めた。

ばく大な遺産のおかげで
子供の頃 味わった

豪華で夢のようなニューヨーク暮らしを
再び手に入れた ジャクリーン。

ところが…。

1975年 46歳で 突然 出版社に就職。

学生時代から好きだった
美術や文学の本を作り始めた。

それを見た社員たちは
驚いて こう言ったという。

しかし ジャクリーンは
コーヒーも自分でいれるなど

部下の手を煩わせることはなかった。

仕事では
アーティストの書物を得意とした。

更に 人気絶頂のマイケル・ジャクソンを
口説いて 自伝を出版した。

マイケルは ジャクリーンが
じきじきに会いに来てくれたことに

大感激したという。

マイケル初の自伝には 少年時代の体験や
思春期のコンプレックス

家族の問題など それまで
語られなかった姿が書かれている。

ジャクリーンは
序文に こんな文章を寄せた。

そして 生涯最後の恋をした。

50歳となったジャクリーンの相手は
有名な政治家でも大富豪でもない。

同い年のベルギー人…

ジャクリーンは
モーリスとは趣味が合った。

文学を愛し 時にはフランス語で会話をし
2人そろってオペラを見たり

美術品を買ったりした。

2人は一緒に暮らすようになったが
結婚することはなかった。

モーリスの妻が
離婚に応じなかったからだ。

それでも ジャクリーンは満足だった。

ジャクリーンは リンパ腺がんにより
ニューヨークで死去。

子供たちとモーリスに
みとられての 最期だった。

墓は 本人の希望で アーリントン国立墓地の
ジョン・F・ケネディの隣に造られた。

ジャクリーンが 夫の葬儀の際にともした
「永遠の炎」は 今も燃え続けている。

さあ ということで
人生を見てまいりましたけども。

この マイケル・ジャクソンの本。
これはジャクリーンが作ったんですよね。

(クリス)この人は ほんとにシャイで 自分の
プライバシーを口外しないので有名で

でも ここを書かせたっていうのは
やっぱ さすがジャクリーンだなっていう。

大スターだった その全盛期の時に
こういう自分の自伝的な本を

書かせるって なかなかできないから。

…みたいなのがね
あったのかもしれないですけど。

多分 ジャクリーンが ひと言「お願い」って
言ったら 誰も記事断らないだろうし。

彼女の人脈をもってすれば
どんな本でも 書けたんじゃないかな。

出版社に勤めるといっても
79億の資産がありますから

そこで稼ぐ必要は まあなくて
私が今まで培ってきたものの中で

役に立つものがあるわっていう。
まあ小さな喜びは感じてたと思いますね。

一度 何か仕事をしてたり
その キャリアウーマンとして

ずっと人生を歩んできたので
やっぱり そういうふうに

仕事に戻りたいっていう気持ちは
すごく分かりますね。

今までは 誰々の奥さんみたいな感じで
言われてたのが 自分の…

…を もう一回歩みだしたかったっていう
気持ちだったんじゃないですかね。

最後に今までとは
違う方を選んでますけど。

(クリス)最後のステージで
求めてた人だったんでしょうね。

で すごく分かりやすいじゃないですか。

ケネディという その若くて あのアメリカ
という国のリーダー。 憧れの大統領。

そこから 今度ものすごい権力 財力を
持って自分を守ってくれる オナシス。

そして 晩年は ほんとに
茶飲み友達じゃないけれども

何か こう趣味が合ってて
穏やかになれる。

まあ 一見地味だけど
ダイヤで財を成してるわけですから

レベルダウンしたと
僕は思わないですよね。

逆にすごく ほんとにあの~
うん いいパートナーを見つけた。

(近藤)ある意味 彼女にとっては…

(クリス)平凡な?

彼女が知らなかった
こんな平凡な新しい世界が。

皆さん いつの時代が
一番幸せだったと思いますか?

ずるいこと言っていいですか。
はい。

(河北)いろいろ ほんとに大変な
人生だったと思うんですけど

自分的には ずっと幸せだったのかなとは
思いますけどね。

私たちが見て まあその
ファーストレディだった時代が

幸せだったんじゃないかとか
いろいろ思いますけど

私も 彼女に もしかして
「一番幸せだったのはいつですか?」って

インタビューしたら
きっと彼女は…

言うでしょうね。
負けず嫌いだから。

常に張り詰めてる表情しかないんですよ
笑ってても。

だから 何か彼女の人生

ずっと しんどかったろうなって
やっぱ思いますね。

愛する人が 横で亡くなったって
いうことを経験した時点で。

…に変わったりするじゃないですか。
(クリス)あ~。

大統領になってなければ
暗殺されてないわけですもんね。

ケネディという存在。 そこが 彼女の中で
一番大きかったんじゃないですかね。

こう 駆け上がってきた夫婦でもあり
友でもあり

何か 仕事仲間でもあったんだろうし

その人が 横で亡くなってるっていうのも
経験してるし。

多分 ケネディ暗殺って
地球がなくならないかぎりは

語り継がれる出来事だと思うので。

(河北)最終的にはケネディの隣で
そのお墓を造らせて

何か 結局はちゃんと自分の気持ちは
彼にあって 感謝の気持ちだったり

そういうのは いろいろ 何か
裏切り者って言われましたけど

何か その気持ちは変わんなかったんだな
っていうのは すごく思いました。

ケネディの横で
眠っているっていうのは

彼女の存在の証明っていうか
存在意義ですもんね。

ジャクリーン・ケネディの生涯を見てきましたけど
皆さんは何を感じましたか。

いつの時代も ほんとにかっこいい女性。

自分の役割を しっかり その時に
毎回果たしてるというか

ファーストレディになって
自分がやらなきゃいけないことを

しっかりと全うして
で その次はお母さんとして

子供たちを守らなきゃいけない
っていうことをして

で 次は
自分のために生きるっていうことで

強い女性にならなきゃいけないなって
思いました。 すごく刺激されました。

たまたま めちゃくちゃお金があって

たまたま大統領の奥さんに
なったけれども

同じ人間だなと思う節々はありましたね。
ジャクリーンも一人の女性だったなって。

ほんとに ものすごい運命というか

でも その時々での選択っていうのが
ほんと女性らしいっていうか

すごい魅力的な
ドラマティックな女性だなっていう。

そうですね う~ん。

自分を磨き 他人を磨き
いろんなことを守ろうとした

女性の姿が見える気が
今日は しましたけど。

磨くことをやめないで
い続けた

人なんだろうなっていうのを
思いますけどね。

(クリス)こういう女性は好きですか?

どうかな~。
でも う~ん。

いや~ それは絶対そうですね。

(笑い)

今日は ありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。


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