ファミリーヒストリー「伊東四朗~思いがけず平氏と源氏 たどりついた喜劇の道」 今田耕司、池田伸子、余貴美子


出典:『ファミリーヒストリー「伊東四朗~思いがけず平氏と源氏 たどりついた喜劇の道」』の番組情報(EPGから引用)


ファミリーヒストリー「伊東四朗~思いがけず平氏と源氏 たどりついた喜劇の道」[解][字]


伊東四朗さん81歳。今回、両親の驚きのルーツが浮かびあがる。父方は平氏、母方は源氏との関わりを示す証拠が見つかった。さらに、伊東さんの知られざる半生にも迫る。


詳細情報

番組内容

81歳になった今もドラマやバラエティ、舞台で活躍する伊東四朗さん。父は洋服の仕立て職人だった。しかし、仕事をせず極貧生活の中で、一家は夜逃げ同然で転々とする。家族を支えたのは明るく朗らかな母。そんな両親のルーツに、驚きの事実が浮かび上がる。父方は平氏、母方は源氏との関わりを示す証拠が見つかる。さらに、伊東さんの知られざる半生が、数々の証言で明らかになる。激動の歳月に、伊東さんは驚いてばかりだった。

出演者

【ゲスト】伊東四朗,【司会】今田耕司,池田伸子,【語り】余貴美子




『ファミリーヒストリー「伊東四朗~思いがけず平氏と源氏 たどりついた喜劇の道」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

ファミリーヒストリー「伊東四朗~思いがけず平氏と源氏 たどりついた喜劇の道」
  1. 輝男
  2. 金三郎
  3. 伊藤家
  4. 当時
  5. 源吉
  6. 取材者
  7. 伊東四朗
  8. 相良
  9. 伊東
  10. 昭和
  11. 四朗
  12. 掛川
  13. 東京
  14. トリオ
  15. 現在
  16. 仕事
  17. 写真
  18. 池田
  19. 名前
  20. 明治


『ファミリーヒストリー「伊東四朗~思いがけず平氏と源氏 たどりついた喜劇の道」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

他にも、無料お試し期間のあるVODサービスが増えてますので、各社のラインナップを調べてみるといいかもしれませんね。

↓NHK関連商品

日本が 高度経済成長に沸いていた
昭和33年。

一人の青年が
コメディアンとして デビューします。

当時 21歳だった 伊東四朗さんです。

その後 てんぷくトリオを結成すると
お茶の間の人気者に!

更に 派手な衣装で踊る「電線音頭」は
一大ブームを巻き起こします。

おしん… おしん!

ドラマや映画では
シリアスな演技を披露。

デビューから 60年
今も 第一線で活躍しています。

そちにも この もののけの血が
流れておるからじゃ。

そんな伊東さんのルーツは?

今回のゲストは 伊東四朗さんです。
どうぞ。

よろしくお願いします。
(拍手)

こんばんは。

こんばんは。
いや~。

今日 緊張されてるんですって。
あっ そうなんですか?

いますよ。

ハハハ… 例えば?

例えば 何か捕まっちゃったような人がさ
いるんじゃないかとかね。

いても まあね。 時代も…。
いてもって 今 何? いても?

♬~

伊東四朗さん
本名は 「伊」に「藤」と書く 伊藤輝男。

昭和12年に 東京で生まれました。

父は 洋服の仕立て職人だった金三郎。

金三郎は 明治29年

静岡県の榛原郡相良町で
生まれました。

まずは 父方 伊藤家のルーツを探ります。

相良町は 現在の牧之原市相良。
駿河湾に面した港町です。

小学生のころ 行った。
へえ~。

地元の史料館で 一枚の古い地図を
見せてもらいました。

輝男の曽祖父に当たる

伊藤藤十の名前がありました。

伊藤家は 城の大手門に程近い

町の一等地で 暮らしていました。

(取材者)
ああ ここですね。 ここです。

そこには 今は 伊藤家とは
つながりのない人が住んでいました。

ところが 一軒挟んだ隣りに
伊藤家とは トウの字が違う

「伊東フーヅ」という店があります。
食品の卸売り店です。

失礼します。
あっ いらっしゃい。

店主の…

輝男の家も この家の分家でした。
ただ「トウ」の字が違っています。

本家が 「藤」を「東」に変えたのには
ルーツにまつわる理由がありました。

伊藤家は 伊豆の伊東から
なぜ 相良にやって来たのか。

町の歴史に詳しい 河原崎陸雄さんです。

江戸時代に書かれた文書が
残されています。

家康は 文禄4年 1595年

相良に町をつくろうと

近隣に立て札を立て 住人を募集します。

(河原崎)
「地子免除になられ候」とあります。

つまり 税金を免除するから
ということで

26軒が 相良に
集まってきました。

その中で
7番目に来たのが

伊藤家だというのです。

次に 伊藤家のルーツがあるという
伊東市を訪ねます。

伊東市には 地名から「伊東」を名乗る
伊東一族が

平安時代から暮らしていました。

(金子)
最初に 伊東にお住まいになったのが
維織という方になっております。

「伊東之祖也」ということで

この人物から 伊藤家の子孫が
繁栄してくるということになります。

朝廷から
伊東を領地として賜り

最初に 「伊東」を
名乗ったのが 維織。

大化の改新で
知られる

藤原鎌足の
流れをくむと

伝わっています。

イトウ一族では 多くの場合
「東」の字が使われています。

しかし 時に 同じ人物が
「藤」の字を使うこともありました。

よく言ってた おやじが。

更に…。

平安時代
伊藤一族は 平清盛に仕えます。

船で各地を行き来し 海運に強い
武家として栄えていきました。

400年ほど前 家康の立て札がきっかけで
伊藤家が移り住んだ相良。

その後 大きく発展していきます。

相良の隣町 御前崎では
古くから カツオ漁が盛んでした。

しかし 波が荒いため
港には適していなかったのです。

そこで 江戸時代 相良藩主となった
田沼意次が 川の河口に港を建設。

すると 相良は
江戸と大坂の中継地として栄えます。

そんな相良で 明治29年に生まれたのが
輝男の父・金三郎でした。

役所で 金三郎の戸籍を調べたところ
意外な事実が分かりました。

金三郎は 藤田初次郎の
二男として生まれ

伊藤家に 養子に
入っていたのです。

俺 藤田…!?

明治初めの地図で調べると

藤田初次郎の家は

伊藤藤十の家の
程近くにありました。

その場所を訪ねてみると…

現在の当主も
藤田初次郎さんでした。

初次郎さんの祖父が

明治初めの地図に
名前のあった初次郎です。

現在の初次郎さんと輝男は
いとこ同士ということになります。

はっ? この人 いとこ?

初次郎さんは 今回
初めて その事実を知りました。

似てる?
(池田)どうですかね?

明治35年 金三郎が6歳の時でした。

藤田家に 一人の女性がやって来ます。

遠戚の 伊藤やす。

夫と息子を次々と亡くし
跡継ぎがいませんでした。

そこで頼ったのが 藤田家でした。

こうして金三郎は
伊藤家の養子となったのです。

そのころ やすは
夫が残した魚屋を営んでいました。

やすは 従業員を雇い
店を切り盛りします。

当時の相良の中心街。

裏に 火の見櫓のある この店が

伊藤魚店でした。

養子に入った金三郎は
後継ぎとして 大事に育てられます。

当時の金三郎について
聞いている人がいます。

こんにちは。

金三郎の孫で 輝男のおい…

慎一郎さんは
母親の寿美子さんから

金三郎の幼い頃の話を
よく聞かされました。

何で 俺より知ってるの?

明治末の港町 相良。

何軒もの料亭が 立ち並び
小唄や三味線の音が流れていました。

金三郎も 幼い頃から 三味線を習い
芸事が好きな少年に育っていきます。

そして 時代は大正へ。

成長し 店を継いだ金三郎でしたが
商売に身が入りません。

金三郎は 数年で 店を潰してしまいます。

新たな仕事を求めて 相良を離れました。

知り合いを頼り
向かったのは 掛川。

かつて 東海道の宿場として
栄えた町です。

こんにちは…。

当時の金三郎について

長男の妻 伊藤ちよさんが
伝え聞いています。

(取材者)何という お店ですか?

(取材者)三河屋さん?
それは どこにあるか ご存じです?

金三郎が 仕立ての修業をしたという
三河屋を訪ねると

そこには パン屋がありました。

NHKの「ファミリーヒストリー」と
申しますが…

当時の職人たちの写真が
残されています。

三河屋の主人の 葬儀の写真。

その中に
若き日の金三郎の姿がありました。

初めて見る。
若い写真ですか?  知らない。

そして 大正10年
金三郎 25歳の時 縁談が持ち上がります。

相手は 熊井はつ。
後に 輝男の母となる女性でした。

美人ですね。
初めて見る。

写真も知らないんですか?

若い時?
若い時。

ああやって 見てみると…

両方 使ってたんです。

でも 清盛に仕えてたっていう。
ねえ 平。

最近 大河ドラマに出られたっていう。
そうですよ。 白河法皇をやって。

だから
清盛の実質的な父親なのかな。

伊東さんの母・熊井はつ。

伊東さんにとって もう一つの
大切なルーツ 母方・熊井家に迫ります。

JR掛川駅から 程近くにある
母・はつの実家を訪ねました。

代々 薬局を営んできました。

現在の店主…

亡くなった人たちの名前が書かれた
巻物がありました。

最も古い名前が

天保6年に
亡くなった 源太。

輝男の
5代前の先祖です。

今回 電話帳で
熊井姓の登録件数を調べると

全国でも 長野県が圧倒的に多く
150件を超えていました。

長野県で調べると 熊井姓が多い
2つの集落が見つかりました。

その一つは 塩尻市にあります。

塩尻市の山の中腹に かつて
熊井郷と呼ばれた村がありました。

戦国時代 その村に築かれたのが 熊井城。

ところが 天文14年 1545年に

武田信玄によって
攻め落とされてしまいます。

これは 城主の墓と言われる五輪塔です。

この城主が 村の名前から
「熊井」を名乗ったといいます。

城跡の近くに その子孫だという
熊井家が 7世帯 暮らしています。

しかし 輝男の母方とのつながりは

見つかりませんでした。

そこで もう一つ
熊井姓の多い集落を訪ねました。

長野市の山中 大岡地区。

現在10軒の熊井さんが
暮らしています。

こんにちは…。

一族の歴史に詳しい…

古い家系図が残されていました。

(貞勇)初代が ここに書いてあります
「熊井太郎源忠基」と。

熊井太郎とは 源義経に仕え

壇ノ浦の合戦でも 弁慶と共に戦った武将。

「平家物語」にも登場し 千人力を発揮した
つわものと記されています。

以来 武士として生きた熊井一族。

江戸時代の初め

大坂の陣で豊臣方につき 敗れます。

その後 農民となり
長野の大岡で暮らしたといいます。

その子孫の名前には
ある特徴がありました。

(貞勇)源という字に こだわって
みんな付けてるんですよ。

源義経の「源」の字を
代々 使ってきました。

実は 輝男の母方の先祖も

2人が 「源」の字を使っています。

義経に仕えた一族であることを
表そうとしたのかもしれません。

源吉っていう名前は
うっすらと…。

そして江戸時代の終わり 長野を離れ
静岡の掛川へ やって来たのが

輝男の5代前の源太でした。

長野と静岡は 古くから
「塩の道」で 結ばれていました。

塩田の多い静岡から 内陸の長野へ
塩が運ばれていたのです。

この道を通って 源太も
掛川へと やって来ました。

明治に入ると 源太の長男で
輝男の4代前の高祖父 九八が

ここで 美術商を営みます。

扱っていた品が
今も一つだけ残っていました。

これが 「勝」ですよね この印が…。

明治に入り 静岡に移り住んだ
勝海舟 直筆の書と言われています。

「柔弱は 剛強に勝つ」。

…という意味です。

しかし 輝男の曽祖父・才次の代で
店を閉じ

その息子 源吉は
幼くして奉公に出ます。

源吉が奉公に出たのは
当時 伊藤家が暮らしていた相良でした。

何となく つながってきたね。

奉公先の大平薬局は
今も 相良で営業を続けています。

現在の店主…

よろしくお願いします どうも。
よろしくお願いします。

(取材者)明治の頃なんですが
こちらで あの

伊東四朗さんの おじいさんの
熊井源吉さんという方が

働いていたそうなんですけども
ご存じですか?

明治時代 源吉が働いていた当時の
大平薬局です。

港町・相良には 全国から薬が集まり
大勢の客で にぎわっていました。

その後 源吉は 掛川に戻り

「熊井太陽堂」という
自分の薬局を開きます。

これは 売薬請売許可証ですね。

明治34年 源吉26歳のことでした。

開業した翌年 源吉は結婚。

長女が生まれます。

はつ。 後の輝男の母です。

真面目で 筆まめだった源吉は
たくさんの日誌を残しています。

へえ~ すげえな。

ここだ。

人に 金を貸した記録です。

源吉は 頼まれると断れない性格でした。

中には 返済されていないものも。

(弘司)
相済がない。 返してもらってないと…。

人柄がよく 信頼も厚かった源吉は
国から ある役割を任されます。

(取材者)
「熊井源吉 国勢調査員を命ず」と…。

(弘司)これです。

大正9年 第1回
国勢調査の調査員に選ばれたのです。

人望の厚い町の名士として
尊敬を集めていました。

源吉さんです。
おじいちゃんですよ。

一方 家庭では はつを筆頭に
次々と 9人の子どもを もうけます。

はつは 明るく利発な少女に育ちました。

大正3年 はつは 実科女学校に入学。

当時は まだ女性が
女学校に進学するのも珍しい時代でした。

実科高等女学校時代の 卒業生名簿です。

こちらが 熊井はつさんです。

はつは 卒業の時
優秀な生徒として表彰されます。

その後は 師範学校に進んで
教師になることを夢みていました。

ところが 間もなくして
はつに 縁談が持ち上がります。

叔母のまつが 遠戚の伊藤金三郎との
結婚を勧めたのです。

まだ18歳で 教師を夢みていた はつ。
結婚する気は ありませんでした。

輝男の兄の妻・伊藤ちよさんのもとに
はつが 生前残した手記があります。

そこには 当時の思いが記されていました。

「相手とは…」。

そこで はつが向かったのは 三河屋。

当時 洋服の仕立て職人だった
金三郎の姿を こっそり見に行ったのです。

しかし 親にも説得され

大正10年 はつは
しぶしぶ 金三郎と結婚します。

掛川で 所帯をもった2人。

すると はつは
金三郎の性格を こう感じます。

養子に入り 甘やかされてきた金三郎。

不安を募らせる はつ。

2人の生活が こうして始まりました。

熊井さんの方は
もう あの義経に仕えてたっていう。

だから 絵巻になった時に
もう真横にいるぐらいの人物ですから。

そう入ってきましたね。

いや ほんと そうですよね。

すごいですね。

ちょ ちょ ちょっと 何かあんの?

洋服の仕立て屋で働いていた金三郎と
その妻となった はつ。

しかし 金三郎は
相変わらず 仕事に身が入りません。

はつは 夫が ある思いを抱いていることに
気付きます。

幼い頃から芸事が好きだった金三郎には
東京への憧れがあったのです。

半年後 2人は 東京・本郷に住んでいた

はつの叔母 せんを頼って上京します。

あ~ 巣鴨の叔母さん
こんにちは。

せんの娘
はつの いとこに当たる…

金三郎と はつは せんの家に住み込み
仕事を手伝いました。

そして
上京から2年後の 大正12年8月。

ようやく2人は 上野駅のすぐそばに
家を借りることにします。

ところが…。

大震災じゃない?
あっ やっぱり。

その僅か1か月後のことでした。

9月1日 関東大震災が発生。

「二人で 家財道具を
上野の駅の線路に運び出しました」。

上野駅には 同じように
大勢の人たちが避難してきます。

しかし 翌日になって
上野駅にも 火の手が迫ってきました。

これは 関東大震災で起きた
火災の広がりを記録した地図です。

黄色は 地震当日に焼けた区域。

緑は 2日目になって延焼した区域です。

上野駅も 火に包まれます。

2人は 上野公園に逃げました。

しかし そこには
およそ50万もの人たちが押し寄せます。

地震発生から 3日目。

鉄道省が 被災者を避難させるため
無賃列車を走らせます。

2人は 上野公園を出て
近くの日暮里駅に向かい

割れた窓から 列車に飛び乗りました。

家財道具は 焼けてしまったものの

間一髪で
東京から脱出することができました。

命からがら 掛川へ たどりついた2人は
はつの父・源吉のもとに身を寄せます。

その後 金三郎は 近所に家を借り
洋服の仕立て業を再開します。

震災の翌年には 長男の祥蔵が誕生。

しかし 震災で何もかも失った金三郎は
働く意欲を すっかりなくしてしまいます。

頑張れ!
言ってやって。

生活費に困ったはつは しかたなく
父の源吉に 金を借りることにしました。

そのころの
源吉の日誌を見てみると…。

源吉が亡くなったあと 金三郎が ひそかに
切り取ってしまったと言われています。

金三郎が 源吉から
何度も借金したことが書かれていました。

震災から3年後 一家は再び上京し
下谷区西町で暮らします。

しかし 金三郎は 相変わらず
仕事に身が入りません。

こういう姿は覚えてる。

NHKの「ファミリーヒストリー」と申します。
今日は よろしくお願いします。

金三郎の長男
祥蔵の息子…

当時のことを
父親から聞いています。

そんな貧しい暮らしの中でも 金三郎が
足しげく通った場所があります。

それは 銀座の歌舞伎座でした。

当時 金三郎が家に来て

話していたことを
よく覚えています。

昭和12年 2人のもとに

三男の輝男が生まれます。

後の伊東四朗さんです。

輝男が生まれたのは 下谷区 竹町。

今も 昔ながらの商店街が残る下町です。

昭和の初め 伊藤家は

この路地の 一番奥の家を借りて
暮らしていました。

残ってるんだ。

すみません 失礼いたします。
突然 すみません。

今 ここに住んでいるのは

名字が同じ 「伊藤」さんです。

「ファミリーヒストリー」と申しますが
同じ伊藤さんですけど

伊東四朗さんの
ご親戚… ではないんですね。

(取材者)たまたま?

家の2階が 家族の生活の場と
金三郎の仕事場を兼ねていました。

その部屋の様子を

輝男の兄・祥蔵が描いた絵が
残っています。

作業台の上には
アイロンと灰皿。

その横に ミシンが
置かれています。

孫の慎一郎さんのもとに
そのミシンが残されていました。

そして 輝男が4歳の時。

太平洋戦争が始まります。

着るものは配給制となり
洋服は売れなくなりました。

伊藤家の暮らしは
ますます苦しくなります。

輝男の兄たちは 小学校を出ると
家計を助けるため働きに出ました。

ろくに働こうとしない父を
輝男は 当時 こう思っていました。

そのころの輝男の楽しみは

兄たちに連れられ
浅草で芝居を見ること。

当時 大人気だったのが エノケン。

その 軽妙で
コミカルな演技に

魅了された輝男。

父に似て 芸事が好きな少年に
育っていきます。

うわ~ 懐かしい写真。
誰が持ってんだろう?

しかし 昭和20年3月10日。

東京上空に 300機を超える
米軍のB29が飛来。

伊藤家が暮らす竹町にも
火の手が迫ります。

(取材者)自宅は どこにあったんですか?
(稲葉)僕のうちはね

そこの駐車場になってるとこですよ。

伊藤家は
「縁の下の ちゃちな防空ごうで

親子六人 震えていました」。

♬~

伊藤家が暮らした家は
焼い弾の直撃を受けず

奇跡的に 戦火を免れました。

う~ん…。

あっ もう 空襲でやられたんだ。

昭和20年4月。

東京では空襲が続いたため
伊藤家は 掛川に疎開。

ここで終戦を迎えます。

「鰹節」って書いてる…。
ええ ええ。

(薫)ここに 疎開で 家族が
みんないたっていうことを聞いてます。

(取材者)あっ はつさんも手伝って…。

当時 輝男は 小学2年生。

地元の学校に編入します。

しかし…。

おい 伊藤。 ええからげんにしろよ。

おみゃ~は生意気だわ。

気取ってんじゃにゃ~ぞ!

しかし 輝男は
あることで その状況を一変させます。

(取材者)あっ こんにちは。

風間さんも
横須賀から掛川へ

疎開してきました。

(風間)田端義夫さんとか

岡 晴夫さんとか

いろんなこと
やってくれるんですよ。

風間さんは 音楽が得意だった輝男から
教えてもらったことがあります。

よく覚えてんなあ!

♬~

うまい!

♬~

伊東さんにも吹いてもらいました。

そりゃそうだわ…。

♬~

吹けるもんだなあ。

♬~

コラボ。

♬~

(池田)お~ すご~い。
すごい!

ハッハッハッハッ!

最後の終わり方!
(池田)すてき。

しかし 小学3年生のある日
事故が起きます。

製材所のトロッコで遊んでいた輝男たち。

♬~

暴走したトロッコが脱線します。

あっ!

輝男は 左頬を車輪にぶつけ
骨にまで達する大ケガを負いました。

その傷は 後に 輝男の人生を
大きく左右することになります。

終戦の翌年には

中国に出征していた兄
祥蔵が復員。

喜劇が好きだった祥蔵は
すぐにアマチュア劇団を立ち上げました。

輝男も 子役として出演。
舞台に立つ楽しさを 初めて知ります。

そして 中学校の文化祭でのこと。

「さるかに合戦」で さるを演じた輝男。

閉まった幕の前に取り残されます。

(笑い)

これが 大ウケしました。

そのころ
6歳上の2番目の兄 豊次は

上京していました。

小学校しか出ていなかったため
働きながら 学校に通っていたのです。

その兄に いきなり呼ばれ

輝男は 中学3年の3学期の途中

東京の中学に転校します。

豊次は 輝男を 東京の進学校へ
通わせようと考えたのです。

しかし 転校したのが
高校受験の直前だったため

準備が間に合わず 輝男は
希望した学校には 合格できませんでした。

そして 東京都立 市ヶ谷高校に入学。

間もなく 金三郎と はつも
息子たちの面倒を見るため上京。

新宿区淀橋で暮らし始めます。

その場所には 現在 60階建ての
高層マンションが建っています。

伊藤家の隣りに住み 親しかった…

当時の 伊藤家の間取りを覚えています。

(三上)
6畳と2畳のうちですよね。

6畳のとこへ 6人。

そんな暮らしの中でも 母のはつは
笑顔を絶やしませんでした。

そのため 家の中が暗くなることは
なかったといいます。

子どもの頃 伊藤家に
よく遊びに行きました。

輝男は 両親を助けるため

高校を卒業したら
就職しようと考えます。

そして 片っ端から
就職試験を受けました。

しかし 全て 面接で落とされます。

頬に傷がある こわもての人相が
面接で落とされる理由でした。

輝男は 途方に暮れました。

ある時 企業に提出する
高校の内申書に

何が書いてあるのか
気になって開けてみると…。

就職を 諦めざるをえませんでした。

絶対 そういう人ですよね。
(池田)真面目な方なんで。

そう考えると でも…

ないと思いますね そういう方ですよね。

だって ハーモニカの あの…。

人相が悪く
就職できなかった輝男。

しかたなく 兄・豊次が通っていた
早稲田大学の生協で

アルバイトを始めます。

牛乳瓶の蓋を開け 売るのが仕事でした。

仕事が終わると 喜劇を見るため
新宿や浅草の劇場をハシゴします。

そのころの輝男を よく知る人がいます。

国の重要無形文化財…

友人の紹介で
輝男と知り合い

毎日のように
一緒に過ごしました。

お~ 「電線音頭」!

へ~。
あ~… やってた。

もう一人
当時の輝男を よく知る人がいます。

(取材者)おはようございます~。
おはようございます!

NHKの「ファミリーヒストリー」と申します。
いつも ありがとうございま~す!

(取材者)伊東四朗さんの
「ファミリーヒストリー」ということで

ちょっと 昔の話をお聞きしますので。
ご苦労さんでございます。

(取材者)入り浸った?
入り浸ってた。

(取材者)タダで?

そのころ 楽屋に出入りする輝男に
目をつけたのが

当時 大人気だった
喜劇役者の…

ある日 石井から
意外なことを言われます。

そのころの 貴重な写真が
見つかりました。

21歳で 輝男は正式に
石井 均一座の役者となり

芸名を 伊東四朗とします。

危ない顔だよな~。
(今田 池田)あはは…。

しかし 3年後の昭和36年 一座は解散。

四朗は 三波伸介 戸睦夫と

トリオを結成。

後の てんぷくトリオです。

しかし なかなか人気は出ませんでした。

キャバレー回りをして コントを披露。

僅かな稼ぎで食いつなぐ日々でした。

そんな中 父・金三郎は
病に倒れ 亡くなります。

芸の道に進んだ 四朗の姿を見届けて
旅立ったのです。

ネクタイしてる写真
初めて見た。

そして間もなく 四朗たちに
千歳一遇のチャンスが巡ってきます。

テレビの普及とともに
トリオ・ブームが到来。

てんぷくトリオも
徐々に人気が出始めます。

当時 最高視聴率が
60%を超えた人気番組

朝日放送の 「てなもんや三度笠」。

お世話になりました。

昭和42年
てんぷくトリオの出演が決まります。

しかし トリオの
中心は三波伸介。

四朗は まだ

その引き立て役に
すぎませんでした。

「てなもんや三度笠」を演出した…

うわ~ 澤田さん どうも。

入りました はい。

川に落ちたり 転んだり。

体を張った芸を
身につけると

四朗は 一躍
人気者になります。

どうして あんなことするの?
俺だって気持ち悪いよ この野郎!

これは 昭和43年の新聞記事。

映画監督 市川 崑のコメントが
紹介されています。

(池田)絶賛ですね。

ありがたかったですね。

翌年。

演技力が評価された四朗は
大河ドラマ「天と地と」に出演。

上杉謙信の家臣役に抜てきされます。

いい顔ですね~。
そう?

おしん… おしん!

そして 昭和58年には
「おしん」に出演。

貧しさゆえに娘を奉公に出す父親を熱演し
日本中の涙を誘いました。

すまねぇ… すまねぇ。

(取材者)あ こんにちは。
ああ どうも。

四朗と 数多くの番組で共演した…

あららら。

伊東四朗さんの すごさは

演じるキャラクターの
幅広さにあるといいます。

♬「焼いてさ 食ってさ
ヨイヨイヨイヨイ」

ははは…。

21歳で 喜劇役者として
デビューしてから 60年。

長い歩みを続けてきた 伊東四朗。

今も 第一線で活躍を続けています。

いや~…。

う~ん!

そういうところは…。

事情があるんでしょうかね。
同じことじゃ駄目だっていう。

ほんと そう。 ほんと そうですね。

(池田)
全部 今の伊東四朗さんにつながって。

改めて ご自身の「ファミリーヒストリー」
ご覧になって いかがですか?

いや…

忘れてたことも いろんなことも。
そうです。

いや まだまだ これから。

いや そうですよ~。

伊東四朗さんの
活躍を

誰よりも喜んでいた
母の はつさん。

息子の出演する番組を見るのが
一番の楽しみでした。

しかし 平成5年
89歳で亡くなります。

平成13年 伊東さんは
長年の功績を認められ

NHK放送文化賞を受賞。

それを祝って 兄の豊次さんが

四朗さんには ないしょで
新聞に投稿しました。

兄の豊次さんは
小学校を出て すぐに働きました。

その後 仕事をしながら
高校卒業の資格を取り

大学を出て
中学の教師になったのです。

四朗さんが中学3年生の時
東京に呼び寄せたのが 豊次さんでした。

お客さんの注文をすぐ覚えるのが
君の役目だろ!

ああ ちゃんと聞いてましたから。

80歳をこえた今も 舞台に立つ
伊東四朗さん。

男が イチゴ…。

♬「男がイチゴで」

♬「女はウニ」
(笑い)

♬「好きな男の腕の中でも
ちがう男の夢を見る」

ここ 見せ場 見せ場。

♬「Uh- Ah-」

(取材者)あ こんにちは。
こんにちは。

(取材者)
今日は よろしくお願いいたします。

伊東さんと 長年 共演を続ける…

すごいですね!

あ いた。
(銃声)

≪(男性)うわ~!
(笑い)

ねえ シカが
「うわ~!」って言います?   (笑い)

俺の山菜採りの仲間だよ!
(笑い)

2人分かよ。
(笑い)

助けてくれ~!

何でしょうね…

いや~ 見たいね。

♬~

90じゃ 三宅さん やりませんよ。
いやいや いやいや。


関連記事