ザ・プロファイラー選~夢と野望の人生~「皇女 和宮」 香山リカ、藤原紀香、竹中直人、岡田准一



出典:『ザ・プロファイラー選~夢と野望の人生~「皇女 和宮」』の番組情報(EPGから引用)


ザ・プロファイラー選~夢と野望の人生~「皇女 和宮」[字]


歴史好きの岡田准一が、多彩なゲストとともに国内外の歴史上の人物をプロファイル・シーズン7。知られざるエピソードから導かれる人生のヒントとは?


詳細情報

番組内容

岡田准一が司会をつとめる歴史エンターテインメント。幕末、天皇家から将軍に嫁いだ「悲劇の皇女」和宮。しかし素顔は、夫と愛を育み、信念を貫いて成長する女性だった。政略結婚のため嫌々嫁入りした和宮。大奥では、先代将軍の正室と嫁姑のバトルを繰り広げる。そんな和宮を支えたのが、夫・徳川家茂だった。愛の喜びを知り、周囲とも心を通わせ始めた矢先に、徳川家存続の危機が!「清き名を残したい」と立ち上がる和宮の活躍。

出演者

【司会】岡田准一,【ゲスト】香山リカ,藤原紀香,竹中直人




『ザ・プロファイラー選~夢と野望の人生~「皇女 和宮」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

ザ・プロファイラー選~夢と野望の人生~「皇女 和宮」
  1. 和宮
  2. 自分
  3. 家茂
  4. 江戸
  5. 篤姫
  6. 藤原
  7. 香山
  8. 女性
  9. 大奥
  10. 竹中
  11. 結婚
  12. 幕府
  13. 時代
  14. 徳川家
  15. 朝廷
  16. 二人
  17. 江戸城
  18. 対立
  19. 慶喜
  20. 皇女


『ザ・プロファイラー選~夢と野望の人生~「皇女 和宮」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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今年5月に行われた
イギリス王室のハリー王子の結婚式。

華やかなロイヤルウエディングは
いつの時代も注目の的です。

実は日本でも
世紀のロイヤルウエディングが

歴史を大きく動かしたことがありました。

それは 今から156年前の幕末。

孝明天皇の妹 皇女 和宮と

時の将軍 徳川家茂の結婚です。

京の都から江戸へ向かう
華麗な花嫁行列は

日本中の注目を集めました。

しかし 和宮にとっては

つらい試練の幕開けだったのです。

花嫁行列が
京から江戸へ出発。

和宮 16歳の秋だった。

総勢およそ2万5, 000人。

長さは50キロに及ぶ
史上まれに見る華麗な大行列で

江戸に入るまで 25日かかった。

幕府予算の2年分とも言われる
莫大な費用を投じた

まさに…

だが 花嫁である和宮の心は
晴れやかではなかった。

見知らぬ江戸の
しかも 大奥での暮らしは

苦難の連続だった。

嫁姑の確執にも悩まされた。

そんな和宮を変えたのは 夫である…

夫の愛に包まれて
かたくなだった和宮も

「人を愛すること」に目覚め

大人へと成長してゆく。

だが… 突然の夫の死。

(砲撃音)

そして 幕府存亡の危機!

歴史の荒波が
次々と和宮に襲いかかる。

朝廷と徳川家の板挟みに苦しむ和宮は

自らの手で 運命を切り開こうとした。

「悲劇の皇女」と呼ばれる 和宮。

しかし その素顔は
己の運命に立ち向かった

勇敢な女性でした。

今夜は 気高く
そして たくましく成長する

幕末のプリンセスを プロファイル!

♬~

♬~

江戸城内で 和宮と

将軍 徳川家茂の
婚礼が行われた。

朝廷と幕府の期待を背負い
江戸へやって来た和宮。

向かった先は 大奥だった。

大奥では 1, 000人以上の女中が働き

200年の伝統と細かいしきたりがあった。

そこに君臨していたのは
前将軍の正室…

薩摩藩から嫁ぎ 夫亡きあとも
大奥にとどまっていた。

和宮より…

和宮と篤姫は
共に 朝廷と徳川のプライドをかけて

激しく対立をすることになってしまう。

一体なぜだったのか?

孝明天皇の妹として
京で生まれた 和宮。

幼い頃から皇族としての教育を受け
和歌をたしなむなど

何不自由ない毎日を
過ごしていた。

そんな和宮に
将軍 徳川家茂との結婚の話がきたのは

15歳の時。

実はこれ 幕府と朝廷の間の…

きっかけは ペリーが来航し
日本に開国を要求したこと。

外国嫌いの孝明天皇が
反対しているにもかかわらず

幕府は圧力に屈して…

そのため 幕府への批判が
日本中で巻き起こる。

窮地に陥った幕府が目をつけたのが…

天皇の妹 和宮と
将軍 徳川家茂を結婚させることで

政権の安定化を図ったのだ。

しかし 和宮にとっては
受け入れ難い話だった。

なぜなら 既に和宮は6歳の時に

11歳年上の…

…と
婚約を結んでいたからだ。

更に生まれてから一度も
京から出たことがなかった和宮にとって

江戸に赴くことは 恐怖そのものだった。

しかし 兄 孝明天皇は

幕府に 外国船を
打ち払わせるため

和宮に強く婚姻をすすめた。

それでも首を縦に振らない和宮。

ついに 孝明天皇は こう言った。

和宮は やむなく家茂との結婚を
受け入れた。

朝廷の意向を
幕府に実行させるため

ついに江戸にやって来た
皇女 和宮。

嫁ぐにあたり
幕府に ある条件を出していた。

江戸へ移っても 和宮の周りは全て

慣れ親しんだ御所の
風俗・習慣を押し通すと

要求したのだ。

大奥に入ったあと
和宮に仕えた女官は

日記に こんな言葉を残している。

「御風違」とは

京の御所と
江戸の大奥の風儀

つまり それぞれの
しきたりや 作法の違いのこと。

このことが 和宮と天璋院篤姫を悩ませ

対立を生む原因となったのだ。

御風違による対立は
ささいなことから始まった。

嫁入りの際 篤姫のもとに
和宮から届けられた土産の目録。

その宛名は…。

呼び捨てで
書かれていたのだ。

和宮からすれば
自分より身分の低い篤姫を

呼び捨てにするのは
当然だ。

一方で 篤姫も

和宮を大奥のしきたりに
従わせようとした。

二人が初めて対面した時のこと。

和宮が座敷に入ると

篤姫は上座へつき 敷物の上に座っていた。

それに対し 和宮の席は下座。

しかも 敷物もない畳の上に
じかに座らされた。

この仕打ちを受けて
和宮に仕える女官は

朝廷に次のように訴えた。

二人の対立は…

…を巻き込み 大奥を二分する対立へと
発展。

そのすさまじさは 大奥のみならず

江戸城内でも
度々 うわさになるほどだった。

幕臣だった勝海舟は
のちに こう語っている。

結局 和宮と 姑 篤姫との交流は

ほとんどなくなってしまった。

しかし どんなにつらくても
逃げ出すつもりはなかった。

こんな歌を残している。

自らの命など
惜しむものか。

天皇と
民のためなら

この身が武蔵野の
露と消えても

構わない。

さあ ということで
すごい嫁姑バトルが

始まってるとこから きましたけども

藤原さんは 皇女 和宮について
どのようなイメージをお持ちですか?

やはり あの 幕末の
あの時代に翻弄された

日本のお姫様という
イメージだったんですけれども

でも今 VTRを見て ほんとに

ものすごい日本中が注目している
婚姻だったわけですから

もう プレッシャーが さぞかし
あったんじゃないかなと思いますね。

これは相当ですよね。
みんなが注目をしているところに

譲れない家柄というか それもあるし…。

(藤原)
背負うものが大きかったわけですからね。

竹中さん いかがですか?

(竹中)官兵衛。
お久しぶりです。

(竹中)どうしても
「官兵衛」と言いたくなるんじゃ。

久しぶりじゃのう。
秀吉様 お久しぶりです。

わしはな 戦国時代は詳しいが
この時代は全く知らん。

アハハハハ! そうですよね。

でも もう これ見たら もう…

女性同士 女同士の
エネルギーっていうか…。

い~や これは想像を絶する

エネルギーのぶつかり合いっていうか。

怖いですよね。
怖いよ~。 そりゃ
権威っていうものが もう

まず上にあるわけでしょ。

うわ~ 俺 今 見てるだけで
ものすごく興奮しちゃって

体がものすごく今 熱くなってるんですよ。
(藤原)あら。

香山さんは どうですか?
(香山)そうですね

今から150年くらい前のお話ですけどね

今は女性も好きな仕事 選んだりね
好きな人と結婚したりできますけど

全く それが許されなくて

自分では自分の運命を選ぶことが
許されなかった時代…。

ああ 150年前はそうだったんだな
っていうふうに

和宮のことは そう思いますし
本当はどうだったのかなっていう…。

知りたいですよね。
はい。

知りたい 知りたい。
さあ それでは

最初のテーマにいきたいと思います。

「和宮と天璋院篤姫は
なぜ対立したのか?」。

竹中さん リストの中で
気になるものありますか?

「尼になるがよい」っていうのが
なんかもう すごい残酷に響きましたよ。

「尼になるがよい」。

自分の血のつながった兄に
そんなことを言われたら

政略結婚であろうと何だろうと

もう「この世から消えろ」
って言われたような思いに

近かったのではないかと
思いますけどね。

6歳の時に決められた
許嫁がいたわけじゃないですか。

ほんとに気の毒で
生理的に無理になっちゃいますよね。

別の世界で生きろ
っていうようなもんですもんね。
はい。

香山さん リストの中で…。
(香山)私はですね この

「まことに いやいやながら」
っていうのが気になったんですが

まあ そういう… この時代は多分ね

政略結婚っていうのは
よくあることというか

女性が ほんとにこう 好きな結婚なんか
できなかったと思うんですよね。

それでも
「私は嫌なんです」って

こう 意思表示してる
っていうのがね

逆にすごいなとも思ったんですよね。

やっぱり なんか この時代なのに

自分というものが ちょっとは
あった人なんだなって。

気持ちが
天皇であるお兄さんに言われても

「いやいやながら」っていうふうに
気持ちを言えるっていう…。

(香山)だからこそ
つらかったんでしょうけどね。

もう そういう 自分には
選ぶ資格もないと思えば

受け入れて 「あ そんなもんなんだ」って
何も考えずに

お嫁さんに行ったかもしれないけど

「いやいや」っていうふうに思う自分を
持ってたっていうことは

多分 この時代にしては
ちょっと女性のあり方としては

珍しかったんじゃないかと
思うんですけども。

藤原さんは リストで気になるというと…。

はい 「御風違」ですね。

どっちがいい悪いじゃないですけど
やっぱり育ったところ全てが…

全てじゃないですか。
自分の価値観とかつくられるわけだし。

どちらが強い どちらが弱い
っていうふうに

やっぱり決めて 戦っていかないと

自分が壊されてしまうんじゃ
ないかっていうのは

あったんじゃないですかね。

最初の手紙って どう思いますか?
最初の手紙…。

(藤原)ああ~ もう あれは…。
「天璋院へ」って

呼び捨てにしてるじゃないですか。
これは…。

その 和宮側に
影のプロデューサーっていうか

影で動かしてた女中たちが
いたんじゃないかっていうのを

ちょっと想像したりもしたんですよ。
例えば あれですか

「呼び捨てで書きなさいよ」って
教えたりとか…。

ある意味 その
全部 彼女の代弁者っていうか

彼女の裏で こうやって 虎視眈々と…。
演出家がいた…?

演出家がいたのではないかって気持ちも
ちょっとあったりもしますね。

育てているような結構年上の…。

おばあちゃんもいたでしょ。
女中さんの中に おばあちゃんもいて

これこれ こうでこうしなさい と言う人も
いたんじゃないかと思うんですけどね。

まあ 当時の大奥では
和宮の御所風と 篤姫の武家風とでは

どんな違いがあったのか

ちょっと
具体的に見ていきたいと思います。

ちょっとお立ち頂いて…。

(藤原)あら。
来ました。

(藤原)あら すてき!
(竹中)すごい すごい。

全然違う。
当時の姿を再現いたしました。

(竹中)わぁ すばらしいね。
わぁ 感動! すげえ。

わぁ すごい… だんだん近づいてくる。
上がってくるの? 怖いよ。

皆さん 和宮の御所風と 篤姫の武家風。

どこが違うか分かりますか?

圧倒的に違うけど!
どこが違う…。
(笑い声)

全然違いますよね!
(藤原)ねえ。

まず独特の髪型がね ありますよね。

御所風は下げ髪で
おしとやかな感じ。

武家風は
オシャレっていう。

その当時の
最先端みたいなのを

取り入れたりされてたみたいですね。

僕は好みでいえば
和宮の このたたずまいが

圧倒的に僕は。
アハハハハ。
ほんとですか どこら辺が好きですか?

なんか品がある…。
あっ 品がある。

(竹中)やっぱり武家風になると
圧倒的な圧力を感じます。

(藤原)
主張が強い感じがしますよね 華やかで。
当時でいうと…

だから こっちの方が

私たちは お金かけてるわ
っていう意識も

おしゃれで最先端よっていう意識も

もしかしたら幕府側はあって
それが表れた…。

刺しゅうなんかでも華やかですものね。

なんか 白粉
顔の塗る濃さも違うみたいです。

(香山)あ そうなんですか!?
白いですよね。

(竹中)眉毛の位置も。

(香山)麻呂風なね… 眉ね。

(藤原)これだけ違うと

それは対立になるんですよね。

それも 280人と260人。
廊下ですれ違うのを想像すると…。

すごいです。 今 お一人ずつですから
大丈夫ですけど。

この服の違い。

藤原さん どうですか? 女性にとって
ファッション メイクっていうのは

やっぱり なんか 自分を見せる上で
大事なことだと思いますが。

やっぱり自分自身の否定を
されてるんじゃないか。

そして プラス

天皇家の文化も
否定されてるんじゃないかって。

全否定 ダブルの全否定で

やっぱり受け入れ難かったんじゃ
ないかなと思います。

…とか 心の内面そのもの

ファッションも含めてだと
思うんですけど

それを否定されるっていうのは
伝統だけじゃなくって

やっぱり 人格を否定されたとかね

自分であることを もう バカにされた
っていうふうにもなっちゃうでしょうね。

「纏う」っつうのは かなり大事なものだし
ある種 「心の武器」にもなるので…。

伝統を背負ってるという気概も

多分 この時代は
あったのかもしれないですけどね。

岡田さんが男の直感的に考えたら

この和宮と篤姫が対立したのは
何が一番の原因だと思いますか?

なんか僕は まだ和宮の意地を感じる。
(香山)やっぱり意地。

自分のルーツとか こう プライドとか
譲れないもの。

家柄みたいなのは しっかり守りたいし

自分の こう
崩さないという

自分らしさとか

なんか…

折れたくない若さっていうのも
あるだろうし。 なんか

譲りたくないものみたいなものは

すごく感じますけどね…。
(竹中)
でも こっちはこっちで 11歳年上で

絶対譲らないっていうのもあるから。

すっごいストレスだったんじゃない?
もう そうやって考えたら。

どうすんだよ 香山さん。
(たたく音)

(笑い声)

不慣れな江戸で 姑との交流もなく

孤独な生活を送る和宮。

そんな毎日に
潤いをもたらしてくれたのは

不本意ながら夫婦となった…

和宮と同い年 17歳の若き将軍は

家臣に こう漏らしていた。

家茂は
自分が将軍であるにもかかわらず

妻の和宮を
「宮様」と呼び 皇女として扱った。

そんな家茂のこまやかな気遣いや
気さくな性格は

徐々に
かたくなだった和宮の心を開いていく。

結婚から2か月後の4月9日。

和宮は家茂の乗馬を見学し
そのまま一夜を共にした。

その翌日も 家茂は
にわかに思い立ったように

突然 大奥に訪れた。

サプライズのプレゼント

金魚を和宮に
見せるためだった。

6月 今度は和宮が和歌を贈った。

すると 家茂は
べっ甲のかんざしを自ら持ってきた。

こうしたやり取りが

いつしか二人の間では
自然に繰り返されるようになった。

そして 天璋院篤姫との関係にも変化が。

かつて将軍家の別邸があった…

こんな言い伝えが残されている。

家茂と和宮 篤姫の3人が
庭に下りようとすると

なぜか家茂の履物だけが

踏み石の下に置かれていた。

それを見た和宮は
ポンッと庭に飛び降り

自分の履物を下ろして
家茂の履物を 石の上にのせたのだ。

かつての和宮からは想像できない行動。

これ以降 和宮と篤姫のいざこざは
ピタリとやんだという。

大奥での暮らしに慣れ
周囲の人間とも心を通わせて

大人の振る舞いが
できるようになってきた和宮。

結婚から1年が過ぎたある日

江戸城で大火事が発生するという
一大事が起きた。

この絵は その時の様子を
和宮自身が描いたものだ。

駕籠に入っているのが和宮。

その下に描かれているのが

家茂の命を受け
和宮の様子を見に来た武士。

この絵は 和宮が 京にいる親族に
送った手紙の中に描いたもの。

だが 火事の詳細を
書きつづるわけではなく

慌てふためく女中たちの会話を

克明に記すなど

イラストを交えて コミカルに描いている。

和宮は 身の無事だけでなく

自分は江戸で楽しく暮らしているから
安心してほしいと

家族に伝えたかったのかもしれない。

しかし そんな日々は
長くは続かなかった。

(雷鳴)

1863年 京では

反幕府勢力による運動が激化。

家茂はそれを抑え込むため
自ら京へ出向いた。

以後も緊迫した事態が続いたため…

無理を重ねて
脚気をわずらってしまう。

不在の間 和宮は家茂の無事を祈って

お百度参りを続けた。

1865年 江戸から再び西へ旅立つ前

家茂は和宮に
どんな京土産が欲しいかを尋ねていた。

そういって和宮は 家茂を送り出した。

しかし…。

1866年7月。

和宮にもたらされたのは 夫 家茂の訃報。

21歳の若さだった。

夫の亡骸と共に届いたのは

土産に欲しいと頼んでいた西陣織。

どんなに美しい織物も

あなたがいなければ
何の意味もない。

結婚して4年。

そのうち
夫婦が一緒に過ごすことができたのは

僅か2年余りだった。

「家茂…!」っていう
ねえ VTRでしたけど

家茂が亡くなり
ちゃんとこう 愛し合った二人が

死によって別れてしまったっていうのを
見てきましたけども。

御家安泰のことを考えたら

側室を持ってもらった方が

いいに決まってるわけじゃないですか。

でも それをしなくて お前だけでいい
っていうふうに言ってくれたことは

ほんとに和宮様にとっては ものすごく
やっぱり うれしかったでしょうし。

ちゃんと恋愛してるというか
お互い あげたら もらってみたいな

ちょっとドキドキしてる感じが…。

ですよねえ。
…あるっていうのも。

積み重ねた時間もあったと
思うんだけど。

…っていうか 二人の。

そういうものを信じたいな なんか。

恐らく当時の人たち
特に身分の高い人であればあるほど

個人として生きるっていうことが
許されなかったと思うんですよね。

やっぱり役割… 私は人として
誰が好きかとかっていうのを

多分もう 考えたこともない。

最初は ほんとに しかたなくというか
あの役割を受け入れただけだったけど

多分 やり取りする中で

恋愛だけじゃなくて
やっぱり…

個人に目覚めていく
っていうか…。

この まあ 篤姫とのやり取りも
もともとバトルがありましたけど…。

草履をね。
草履をのせ替えたっていうので

篤姫も安心して それから いざこざが
なくなったっていうこともありますけど

これは まあ 一種の成長ととっても
いいんだと思いますけど。

やっぱり それまで 自分は頑張らなきゃ

絶対ここでは強くならなきゃっていう

その 朝廷側が下に見られちゃいけない
っていうふうな肩ひじが張ってた…。

そこから 愛を頂いて

その愛で
人への思いやりを知って

それが普通に 計算でも何でもなく
できたんでしょうね 草履を…。

だから その時の篤姫様は
本当にうれしかったと思うし

ものすごく どちらの気持ちも その時…
すごく分かりますよね。

(香山)
わざとらしさが なかったんでしょうね
きっとね。 すごいですよね。

でも基本的に
人間関係って ほんとはそうでしょ。

どんな嫌なやつだと思ってても…

…時ってあるじゃないですか。

やはり それは年代を超えて
本質的なものを知るってことが

とても大事じゃないですか。
心を知ってしまう。

その感情。

全てを
乗り越えられるわけじゃないですか。

(香山)で ちょうど
まあ 年齢もね 多分 17歳… 和宮は。

まあ 心理学的にもね
そのころって ちょうど

「私って何?」って みんな
すごく悩む時期だと思うんですけど

そういう時に こう出会えたっていうね

自分を丸ごと承認してくれる人に
家茂に出会えたっていうのも

すごい和宮にとっては
年齢的にもよかったですよね。

まあ ちょっと
人柄っていうことも含めてですけども

和宮はですね 結婚の翌年に
江戸城が燃えた 火事になった時に

故郷に無事を知らせるために
手紙に こんな戯画を描いております。

(竹中)いや これ かわいいよ この戯画。
(香山)達者ですよね。

(竹中)おちゃめな感じが すごくする…。
(藤原)かわいい。

「火事の説の絵図 お笑い種」。

(藤原)「お笑い種」。

(香山)いや
これ でもね すごいと思うんですよ。

というのはね 自分も含めて
描いてますよね 景色の中に。

で こう… それまで日本って
明治維新までは

ほとんど絵師の人たちも 自画像
っていうのを描いてないんですよね。

…っていうのは 自分をもう
客観視する視点っていうのが

そもそも江戸までの日本には
なかったと言われていて…。

和宮は自分も含めて こう描いてて

一人の登場人物として描いて…
すごくふかん的に描いてますよね。

この視野の広さとか
客観的に見るっていうのは

なかなかすごい。 当時としては これ
なかった描き方じゃないかなと思います。

でも このタッチは
圧倒的におちゃめですよ。

おちゃめですよね。
なんか 優しいというか。

(香山)消したりもしないから 一回で
書くわけでしょ さらさらさらって。

この筆線は ちょっとね…

本人の資質が出てる感じが
とてもしますね。

でも 「なんと申したんやい」とか

こんなに描写が細かく
ちょっと笑い いっぱい笑いを持たせて

かわいらしくコミカルに
書くっていうのは ちょっと あの

関西のノリを感じますね。
ああ そうか…。

ちょっと関西のノリを感じながらも
心配りが…。

知らせる そして
本当に大丈夫なのよって

ちょっと笑いをつける
っていう二重の心配りというか

なんか あったかいものを感じますね。

なんか でも ほんとに

何をしても男子が手伝ってくれないから
本当にじれったいわね とか

なんか 生活が
こう 出てるし…。

…としている感じもあるし。

大丈夫かなって心配してる時に
これが来たら

大丈夫そうだなって思える
一番の方法な感じがしますよね。

(藤原)気遣いが…。

最愛の夫 家茂を亡くした和宮。

この時 21歳だった。

朝廷と幕府の結びつきを
強めるために行われた この結婚。

今や その意義を失い

和宮が江戸にとどまる理由もなくなった。

それから僅か1年。

時代は大きく動き 幕府は消滅。

(砲撃音)

朝敵となった徳川家は
滅亡の危機にさらされる。

生まれ育った天皇家と

嫁ぎ先の徳川家。

二つの家の板挟みとなり 苦しむ和宮。

この時 江戸を離れて
京へ戻ることもできた。

しかし 和宮は江戸城に残り

徳川家存続のため
必死の奔走を始めたのであった。

亡き家茂の跡を継ぎ 将軍となったのは…

ここで慶喜は
将軍職を朝廷へ返上する

「大政奉還」を表明した。

夫 家茂が命懸けで守ろうとした
徳川幕府は

あっけなく その幕を閉じた。

(砲撃音)

翌年 西郷隆盛らの率いる
新政府軍は

「鳥羽・伏見の戦い」で…

更に「錦の御旗」を掲げて
徳川家を朝敵とし

江戸城へ進軍を開始した。

江戸へ逃げ帰った慶喜は
新政府に恭順の意を示し

朝廷につながりのある
和宮を通じて

和平を結ぼうとした。

だが 何の相談もなしに幕府を終わらせ

泣きついてきた慶喜に 和宮は憤慨。

面会を拒否する。

この時 和宮と慶喜を仲介した
一人の女性がいた。

あの 天璋院篤姫である。

同じ大奥にいながら
ほとんど交流がなかった和宮と篤姫。

しかし 家茂亡きあと
二人の仲は深まっていた。

篤姫もまた
結婚して間もなく夫を亡くすという

共通の体験をしていたからだ。

やっぱり かわいそうだという
気持ちもあるので…

江戸城にいた旧幕府の上層部は
徹底抗戦を唱えるなど

時代の流れを読めないものばかり。

慶喜から事態の解決を頼まれた
和宮と篤姫。

徳川家の命運は
土壇場で この二人の女性に託された。

このころの心境を
和宮は日記に残している。

(和宮)それでも…。

そこには かつて江戸へ
いやいや嫁いできた

かよわい悲劇の皇女の姿はなかった。

自分の家族ともいうべき
徳川家を守り抜く。

いわば たくましき母の姿だった。

まず和宮は 新政府軍へ謝罪。

寛大な処置を願い出た。

しかし 新政府軍の進撃は止まらない。

そして 江戸城総攻撃は

3月15日に決定。

100万人が暮らす江戸に
戦火の危機が迫った。

既に慶喜は江戸城を去り
ほとんどの者は なすすべもなく

かろうじて 勝海舟らが
和平を進めようと動いていた。

主なき城に取り残されたのは

数百人に上る大奥の女性たち。

城じゅうに不安な空気が立ちこめる中

和宮は こう訴えた。

既に江戸は
新政府軍によって包囲されていた。

ここで和宮と篤姫は
最後の訴えに出る。

篤姫は同じ薩摩出身で
旧知の西郷隆盛に手紙を書いた。

一方 和宮も

江戸の目前で陣を構える
新政府軍の総督に

直接 手紙を出した。

和宮の願いは届いた。

新政府軍との和平が成立。

江戸城は
一切 戦火に包まれることなく

新政府に明け渡された。

そして 徳川宗家の存続も
約束されたのだった。

ということで…

無血開城をしたのは
女性の力もあったということですけども。

心のエネルギーっていうか…。

すげえな。

男性と女性でも やっぱ
ちょっと違いますか?

こう 江戸城についても
大政奉還があったりとかして…。

男は もう
あたふたしてるじゃないですか。

むしろ女性の方が

「私よりも とにかく この
大奥の人たちを」とかね。

男は やっぱり
「なんで俺様が」みたいなね…。

立場。             そう 立場の方を
重視してしまって

道を誤ってしまうっていうか 状況を
見誤る人もいると思うんですけども

そこは とても臨機応変に
やってると思うんですよね。

そこは むしろ
女性のしなやかさというかね

感覚に従って振る舞えるっていう

いいところが出てるなと思いますね。

さあ 続いて
テーマにいきたいと思います。

「なぜ徳川家のために命をかけたのか?」。

竹中さん どうですか?

「後世まで清き名を残したい」
っていうのが

とても男っぽいような
感じがするんですけど。

彼女の そのプライドっていうか

それをすごく感じますよね。

前に出る意志っていうか。

とてつもない政治力を持った人でしょ。

その人が 後世まで清き名を残したい…。

いや… もう ほんとに

とてつもないエネルギーですよ。

「女」「男」というものを
性別を超越した

彼女 和宮ならではの
エネルギーっていうかね。

天皇家と この幕府… 徳川。

両方の名前に恥じぬよう…。

「ここを守らねば」って
思ったっていう…。

その生きざまみたいな… 生き方ですか?

生き方を決めたという…。
(藤原)はい。

それを感じましたね。

香山さん
気になるリスト…?

私はですね この
「徳川家が滅ぶようなことがあれば

私も生きていくわけには参りません」。
…っていうのは これね 多分

半分本気で 半分 ちょっと脅し文句的な
言い方かなと思ったんですよね。

脅し?
だから 徳川家を滅ぼしたら

私も命を絶つかもしれない みたいなこと
におわせてますよね。

で そこがすごいと思うのは

この人 16の時には
自分が一つの切り札として使われて

政略結婚させられたわけですよね。
もうそれは自分はカードとして使われた。

ところが それから僅か6~7年で

今度は自分をカードとして 切り札として
使ってるわけですよね 今度。

「私 何だと思いますか?

天皇家から嫁に来た人間ですよ。

だから この徳川家が滅べば

天皇家の私も もしかしたら

命を絶つことも
あるかもしれませんよ」っていうふうに

今度
自分で自分を使ってるわけですよね。

で その成長ぶり。 それまでは
使われるばっかりだったのが

今度 自分を一つの こう…
あの 切り札として。

揺さぶりをかけてるみたいなね。
そこ すごいなと思いますね。

まあ 彼女の存在…。

…ということが やはり
人知を超えてるっていうか

やっぱり 普通の人間ではないですね。

普通の人間じゃないです。
まあ 皇女ですから。

もう 物の見方…

そういうものにも
とてもたけた人だったと思いますけどね。

ものすごい判断が早かったような…。

(藤原)岡田さんは
どういうふうに思われました?

やっぱり その伝統とか歴史とかを
すごく大事にできる人だったんだろうな

っていうのを すごく感じるというか。

一回決めたことを変えないでいれる人って
いるじゃないですか。

これはこうだから
いくらつらいことがあっても こう

思ったことを大事にしたいとか。

なんか そういう こう

逃げない強さを…。
(竹中)そうだよね。

持っていますよね。

和宮の懸命の嘆願のかいがあり

平和が訪れた江戸。

一方 徳川宗家は新政府の意向で

静岡に移された。

隠居した慶喜の跡を継いだのは

かつて 夫 家茂が跡継ぎに指名していた

徳川家達。

まだ6歳だった。

和宮は 家達が静岡に引っ越すまで

「東京」と名を変えた江戸で
共に暮らし その成長を見守った。

この時期の和宮の日記には
家達の名前が頻繁に出てくる。

和宮にとって
我が子同然だったのかもしれない。

翌年 24歳となった和宮は

8年ぶりに故郷である京へ戻った。

ふるさとでは
どのような日々を過ごしたのか?

徳川家18代当主の次女
徳川典子さんに話を聞いた。

他にも 和宮は 祇園祭を見物したり

嵐山で紅葉狩りをしたり
気ままに過ごした。

しかし いつも気にかかるのは

あの人のことだった。

1874年 和宮は再び東京へ移った。

そこで 家茂の眠る増上寺が見える場所を
住まいとした。

久しぶりに篤姫とも再会した和宮。

こんな話が伝えられている。

ある日 勝海舟の家を訪ねた
和宮と篤姫。

だが 二人はある理由で
大げんかを始めてしまう。

どちらが
茶わんに ご飯をよそうのかという

ささいなことだ。

それを聞き 慌てて駆けつけた勝は

もう一つ しゃもじを持ってきて
こう言ったという。

すると二人は
顔を見合わせ 大笑いしたという。

このころ 和宮が詠んだ歌が残っている。

1877年

和宮は療養中の箱根で その生涯を閉じる。

32歳だった。

亡骸は 和宮の遺言により

増上寺に眠る最愛の夫
家茂の隣に葬られた。

和宮の死から およそ80年後の
1958年

墓地の改葬が行われることになり
和宮の墓が掘り起こされた。

棺を開けると 和宮は

一枚のガラス板を抱きかかえていた。

それは生前の家茂を写した
写真だったという。

幕末の動乱の中
世紀のロイヤルウエディングを挙げて

波乱の生涯を送った和宮。

あれから150年余り。

和宮と家茂は

今も仲むつまじく
寄り添うように眠っている。

いやぁ 知らなかったですね
こんな愛が…

愛の話があったなんていうのは
知らなかったですけども。

まあ 晩年は さまざまな しがらみから
解放された生き方になっていきますが

いかがですが? 竹中さん。
いやぁ でも

最後の最後まで 何つうの…
一度は憎しみ合ってたのに

仲良くなって そしてまた勝海舟の前で
しゃもじで けんかするって…。

かわいいよね あそこ。
アハハハ。

あんな時間があったなんて想像すると
ほんとに…。

いやぁ おちゃめな… ほんとに

おちゃめな部分と
力強いものを持ってた人で

そして ロマンチストで
あらゆるものを持ってた

すてきな
女性だったんだなと思いますけどね。

いろんなことを こう背負って
自分の人生っていうのは

ほんとに幸せだったとは思ってなかったと
思うんですね。

でも 本当 誰かを愛することによって

自分を肯定できるように
なったんじゃないかなって。

だから ゆっくりとした幸せみたいなね

解放された自分というのを

感じてたんじゃないかなと思いますね。

もしかしたら少し早く生まれすぎたのかな
っていう気もしてて

だから その こんな封建制度に
皇族に生まれたけど

でも晩年の数年は
自由っていう空気も どこか満喫して

あ 時代が変わったなって…。
さっきの和歌にも

豊かな御代になったっていうふうに

肯定的に捉えてたので

もしかしたら
そういう封建制度が消滅したことを

どこか喜んでたところも

あったんじゃないかなと思いますね。

すごいですね。 びっくり。

今日は皆さん ありがとうございました。
(3人)ありがとうございました。

(竹中)楽しかったです。
(藤原)ねえ 楽しかった。

でも…

男とは またちょっと なんか違う

男には まねできないっていうか…。

安易な方向に 男って行っちゃったりとか
なんかするけど

今回 ほんとに
女性ならではの強さとか 愛とか…

…っていうのをすごく
感じましたかね。

うん…
女性の強さを教えてくれた回ですかね。

はい。

♬~


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