歴史秘話ヒストリア「まぼろしの王国 銅鐸から読み解くニッポンのあけぼの」 銅鐸は何のために作られ、なぜ歴史から姿を消した…



出典:『歴史秘話ヒストリア「まぼろしの王国 銅鐸から読み解くニッポンのあけぼの」』の番組情報(EPGから引用)


歴史秘話ヒストリア「まぼろしの王国 銅鐸から読み解くニッポンのあけぼの」[解][字]


弥生時代の日本で最高の宝だった「銅鐸」。使い方や製作目的は不明だったが、近年発見された銅鐸から当時の使用法に迫る大きな手がかりが!銅鐸から日本のあけぼのに迫る。


詳細情報

番組内容

弥生時代の日本で最高の宝とされた「銅鐸」。その形状から「釣り鐘」のように鳴らしたことは推測できるが、正確な使い方や製作目的は不明だった。しかし4年前、7つの銅鐸が兵庫県淡路島で発見される。そこには銅鐸の鳴らし方を解明する大きなヒントが!銅鐸は何のために作られ、なぜ歴史から姿を消したのか…最新研究をもとに銅鐸にまつわる謎を追い、「女王・卑弥呼」の時代につながる日本列島のあけぼのの姿に迫る!

出演者

【キャスター】井上あさひ




『歴史秘話ヒストリア「まぼろしの王国 銅鐸から読み解くニッポンのあけぼの」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

歴史秘話ヒストリア「まぼろしの王国 銅鐸から読み解くニッポンのあけぼの」
  1. 銅鐸
  2. 世紀
  3. サカナ
  4. 発見
  5. 水田
  6. 弥生時代
  7. 人物
  8. センチ
  9. 季節
  10. 巨大銅鐸
  11. 再現
  12. 出土
  13. 松帆銅鐸
  14. 中子
  15. 鋳型
  16. 田堰
  17. 破片
  18. 卑弥呼
  19. H型
  20. コイ


『歴史秘話ヒストリア「まぼろしの王国 銅鐸から読み解くニッポンのあけぼの」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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微妙なバランスが、これから難し

くなってくる。

♬~

ただならぬものが並びます。

ある古美術商のお宅。

店頭には出さない 価値ある品々。

なかでも…

値段は ちょっと

控えさしてもらいたい
ということですかね。

…とかいう感じの
相場でしたですね。

(取材者)一番高いものだと
どれぐらいする?

♬~

しかし その正体は
謎に包まれています。

私たちは 最新研究をもとに
銅鐸の再現に挑みました。

中子の…。

そこから判明した…

(銅鐸の音)

銅鐸に刻まれた 素朴な絵。

私たちの祖先は
どんなメッセージを込めたのでしょう。

読み解くカギは 実にミクロな物体…

なんと サカナの歯!

(銅鐸の音)

紀元3世紀初め。

銅鐸は
こつ然と姿を消します。

実は そこに 古代史上 最も有名な女性が
関わっていたとする説が浮上しています。

(銅鐸の音)

銅鐸の最新研究から迫る
弥生時代 日本の実像です。

♬~

「歴史秘話ヒストリア」。
今夜も どうぞ おつきあい下さい。

今回の主人公は 「銅鐸」。

形から 釣り鐘のようにつるして

音を鳴らした… くらいのことは
想像できますが

はっきりしたことは分かっていません。

大きさは 小さいもので3.5センチ。

大きいものは
1mを超えます。

時代は弥生時代。

紀元前4世紀から紀元2世紀の
600年ほど作られ

その後 こつ然と姿を消しました。

しかし そこには
人々の暮らしや 社会の在り方など

列島の いにしえの記憶が

凝縮されているはずです。

そこで…。

今回 番組では
最新研究から 3つの謎に迫ります。

「銅鐸は どうやって使われたのか」。

「銅鐸に どんな願いを込めたのか」。

そして 「銅鐸は なぜ姿を消したのか」。

では 最初の謎 「銅鐸は
どうやって使われたのか」。

4年前の 驚きの発見が

研究を
大きく進めようとしています。

2015年4月
兵庫県 淡路島。

大発見があったのは
石や砂を扱う会社の資材置き場でした。

作業員の西田 達さんは
その時のことを 鮮明に覚えています。

状況を見極めるため

教育委員会の指示の下
社員総出で砂山を捜索。

すると…。

なんと 7個もの銅鐸が
発見されたのです。

銅鐸の謎を解くカギが
見つかりました。

新発見の銅鐸は
3年にわたる修復を受けました。

その過程で
7個の銅鐸のうち 6個は

大小の入れ子に
なっていることが判明。

また 銅鐸に付着した植物繊維から

紀元前4世紀から紀元前2世紀に
埋められた

きわめて古い銅鐸であることも
分かりました。

更に 銅鐸の中から
重要な発見がありました。

「舌」と呼ばれる棒。

銅鐸を
鳴らすためのものです。

実は 過去に発見された
およそ500個の銅鐸は

音の出ない状態で見つかるのが 常でした。

…という発見になってます。

「銅鐸は どう使われたのか」。

その謎に迫ることが
できるかもしれません。

専門家が まず注目したのが
「舌」の「へこみ」。

真ん中 やや下の1か所が
へこんでいます。

銅鐸に当たった場所と考えられました。

…という
ちょっと 疑問も出てくるので

もしかしたら…

私たちは 専門家の手を借りて
松帆銅鐸の精密な再現に挑戦しました。

(砕石音)

まず やって来たのは…

♬~

ここは 比較的にやわらかい?

そうですね はい。

神戸市教育委員会の橋詰清孝さんが
探しているのは 石材です。

というのも
大阪・茨木市の遺跡から

石を使った 銅鐸の鋳型が
見つかっているからです。

実に細かく彫り込まれた 銅鐸の文様。

古い銅鐸は
石の鋳型から作られるため

再現は 石選びから始まったのです。

橋詰さんが石を持ち込んだのは
銅製品を作る工房。

小泉武寛さんは 半世紀近く

銅の鏡や仏像などの制作に
取り組んできました。

まず 石材に 銅鐸の形を彫り込みます。

2つの鋳型を合わせ 土を入れます。

この土の塊を 「中子」と呼びます。

中子を少し削ると
その厚みが 銅鐸になります。

いよいよ 鋳型の中に
溶けた銅を流し込みます。

ところが…。

はい いきます。

突然 中からの強い圧力で

中子が浮き上がり 抜けてしまいました。

中子が抜けた… 抜けてしもた。

大失敗です。

もう一度 やってみますが…。

今度は 銅の表面が穴だらけ。

どういうことでしょう。

鋳型の石から出るガスのため
うまくいきません。

弥生人は どうやって 銅鐸を作ったのか。

続いて2人は 溶けた銅を
連続して 流し込むことにしました。

すると…。

すご~い。
ええ調子やね。

回数を重ねるごとに ガスが減り

3回目には 表面の穴も ほぼ消えました。

実は このことから
ある事実を推測できるといいます。

そういう意味では…

同じ形の銅鐸が
たくさん あったなら

弥生時代には 広い地域で

同じ音が
鳴り響いていたことになります。

それは どんな音か。

松帆銅鐸を調査した
定松佳枝さんの監修の下

再現した銅鐸を鳴らしてみましょう。

鳴らし方のヒントは
やはり 松帆銅鐸にありました。

内側の 舌が当たる場所
「突帯」です。

調査の結果

主に 2か所が
すり減っていました。

つまり 舌が揺れる方向は
一定だったことになります。

しかし 再現した銅鐸を鳴らしてみると…。

(銅鐸の音)

舌が さまざまな方向に揺れています。

鳴らし方が間違っているようです。

うまく鳴らすカギは
やはり 銅鐸にありました。

銅鐸をつるす部分
「鈕」に残された痕跡です。

何本かのヒモの跡。

銅鐸を つり下げるためのものと
思われます。

この方法なら
銅鐸の揺れは一定になり

舌は 突帯の2か所に当たるはず。

しかし…。

(銅鐸の音)

なかなか
安定した いい音が出ません。

ただ 最初だけですね
勢いがあるのは やっぱり。

弱いかな…。

ここで もう一つのヒント。

こちらの土器に刻まれた絵です。

横に渡された棒に

銅鐸が2個
つり下げられた様子とされています。

そういえば 松帆銅鐸も 大小2個の銅鐸が
セットになっていました。

そこで 絵を参考に
1本の棒に銅鐸を2個つるし 揺らします。

すると…。

(銅鐸の音)

一番 鳴ってますね はい。
鳴らしやすかったです。

(取材者)すごい 何か
結構 大きな音がしますね。 そうですね。

両方 同じ力で鳴らせるっていうのは
大きい音が出るのかなと思いました。

まあ このように 2つ一緒に鳴らしてた
可能性もあるとは思います。

(銅鐸の音)

「銅鐸は どうやって使われたのか」。

2, 000年前
列島各地で鳴り響いていたのは

2つの銅鐸の音だったのでしょうか。

(銅鐸の音)

これまで発見された銅鐸は
500個余り。

弥生時代には 日本列島全体で

1, 200個から 4, 400個が作られたと
考えられています。

多くの弥生人が聞いた 銅鐸の音色。

人々は 銅鐸に

どんな願いを
込めたのでしょうか。

こちらも
最新研究から迫ります。

50年ほど前。

神戸市の
住宅地近くの山林。

ここから 世にも貴重な銅鐸が
発見されました。

松帆銅鐸から およそ200年 後のもの。

高さは 40センチほどです。

特徴は 「絵」。

銅鐸の正面に4つ。
そして 後ろにも4つ。

2つの銅鐸に
合計16の絵が刻まれています。

ただ それが何を意味するのか
いまだ定説はありません。

しかし近年 意外な角度から
謎に迫る説が発表されました。

注目は この人物。

…などと言われてきました。

人物の下には サカナ。

なぜ ここに
サカナが描かれたのでしょう?

弥生人とサカナの関係を研究する…

注目するのは 当時のゴミ捨て場から
大量に見つかったもの。

(取材者)これは…。

コイは フナと並んで
弥生人にとって 最も身近なサカナ。

咽頭歯は 喉の奥にある

数ミリほどの小さな歯のことです。

出土した咽頭歯のサイズから

中島さんは コイが いつ死んだかを
割り出しました。

すると…。

出土するコイのほとんどが

なぜか 「秋」に
捕らえられたものだったのです。

実は 今でも 秋に大量のサカナをとる
地域があります。

岡山や長野の一部です。

秋の収穫の前に
水田から水を抜く時

その年 田で育ったサカナを捕らえます。

たくさんのサカナを捕まえられる
伝統の漁法です。

絵に戻りましょう。

人物が 水田にいると考えた場合
H型の器具は何でしょうか。

イギリス。

日本の文化や芸術の研究機関です。

動物考古学を専攻する…

絵の舞台を
水田と仮定すると

新たな事実が
見えてくるといいます。

「田堰」は 水田に水を出し入れするところ。

これまでも 弥生時代の遺跡から

板で 水をせき止める田堰が
出土しています。

内山さんは H型の器具が

この田堰を補強するものだと
考えています。

その根拠の一つが 古墳時代の堤。

土を支える板を補強するため
H型の器具が 使われているのです。

つまり 人物が持つH型の器具が
田堰を補強するものだとすれば…。

銅鐸に描かれているのは

この人物が 田堰を開ける瞬間
ということになります。

黄金色に稲穂が揺れる 秋の田。

流れ出す水。

そして
泳ぐコイやフナ。

では 銅鐸の他の絵は
何を表しているのでしょう。

更に 神戸市教育委員会の橋詰さんは

これらの絵が

水田をめぐる「季節」を表していると

考えています。

♬~

田に水が張られて
田植えが行われる季節。

水面を優雅に泳ぐのは
アメンボです。

鹿の群れは 列を成し

生まれたばかりの子鹿を守っています。

水田に現れた 2匹のイモリ。

目くるめく 恋の季節でしょうか。

そして 夏。

稲が青々と育つ季節は

水田に カエルの鳴き声が響きます。

そのカエル目当てに泳いできたのは

ヘビのようです。

やがて つがいのトンボが
飛ぶようになると

季節は秋。

いよいよ収穫です。

田から 水が抜かれ

人々は サカナと踊ります。

…というような考え方もできる

銅鐸ではないか
というふうに考えられます。

稲作が盛んになった 弥生時代。

人々が銅鐸に込めたのは

田に 命があふれんばかりに
輝くことだったのかもしれません。

弥生時代
人々の営みと深く関わってきた 銅鐸。

しかし
紀元1世紀のはじめ

変化が起きます。

平均40センチほどだった
銅鐸が

時には
1mを超えるほどに。

しかも 音が鳴らされなくなったと
考えられています。

そして 巨大な銅鐸も

3世紀のはじめには
全て消えてしまいます。

「銅鐸・謎の消滅」です。

弥生時代最高の宝・銅鐸は

なぜ 姿を
消したのでしょうか。

奈良県桜井市。

ここに 日本でも
特別な意味を持つ

集落遺跡があります。

纒向遺跡です。

ここから 東西12m 南北19mに及ぶ

3世紀 列島最大の建物が
見つかったのです。

「魏志倭人伝」に記された

女王・卑弥呼の王宮とも言われます。

2010年 発掘調査の時。

石でいい?
金属? 石?

はい。

巨大建物群の一角で
銅鐸の破片が見つかりました。

高さ1mに及ぶ
巨大銅鐸の一部と考えられます。

(たたく音)

銅鐸は丈夫なため 自然に風化して
破片になることはありません。

しかし 400度以上に熱してみると…。

(一同)おお…!

(たたく音)

おお!
いきなり いった!

つまり 纒向遺跡の破片は

わざと 粉々に破壊したものだと
考えられました。

実は こういった破片は

近畿周辺の
3世紀の地層から

多く出土します。

卑弥呼と重なる時代に起きた
銅鐸の意図的な破壊は

一体 何を意味しているのでしょうか。

その謎に迫るため
銅鐸の歴史を たどってみましょう。

ヒントになるものが残されています。

こちらの 土の管です。

実は 銅鐸を作る時に使われたもの。

銅鐸の原料・青銅を溶かす時
炉に空気を送る 「送風管」です。

形は2種類。

大阪北部の職人グループのもの。

そして 大阪南部と考えられる
職人グループのものです。

研究の結果 大阪北部のグループは
移動していったことが分かりました。

移動先は 東海地方。

つまり 1世紀の初め 銅鐸の職人には

近畿と東海
2つのグループがあったのです。

ただ その200年ほど前には

グループは およそ10に分かれていたと
考えられています。

それが なぜ 2つに集約されたのか。

実は 職人グループの背後に

対抗する 2つの政治勢力の存在が
推測できるといいます。

近畿の銅鐸の特徴は
渦を巻くような飾り耳。

一方 東海の銅鐸の特徴は
中央の太い線。

銅鐸の端の ひれまで貫いています。

大きさは 80センチを超えるものも
現れました。

もはや つるして鳴らすものではなく…

つまり 2種類の銅鐸が
示すのは

日本列島にあった
2つの国

または 2つの

国の連合体の
存在だったのです。

しかし銅鐸を祀った これらの国は

記録には ほとんど あらわれない…

唯一の手がかりが
中国の史書 「後漢書」の記述。

帥升は 卑弥呼登場の はるか以前

日本列島の人で 初めて

名が 記録に残された人物。

その王国が 巨大銅鐸を擁した
2つの「幻の国」の どちらかなのか。

それは 定かではありません。

そして 2世紀の終わり
とてつもない銅鐸が現れます。

史上最大 135センチの銅鐸です。

近畿の銅鐸のように
渦を巻く飾り耳を 華々しく付け…

東海の銅鐸のように
大胆な太い線が貫いています。

つまり 近畿と東海
2つの王国の特徴を併せ持つ

銅鐸が生まれたのです。

ところが…。

その直後の紀元200年ごろ
全ての銅鐸は 姿を消します。

銅鐸の「合体」。 そして「消滅」。

2つの王国の
対立は

どうなったと
いうのでしょうか。

それを解き明かすため 最後の銅鐸が
見つかった場所に向かいます。

ここから 明治と昭和の2回にわたって

あの巨大銅鐸を含む

24個もの銅鐸が
見つかりました。

つまり 銅鐸・謎の「合体」と「消滅」の
舞台となった場所の一つです。

そして もう一つ 重要な舞台が
遺跡から 6キロのところにあります。

伊勢遺跡です。

直径220mの 巨大な円の上に

大型建物が立ち並んでいました。

ここには
人が生活した形跡がありません。

そのため
特別な儀式の場だったとも

言われています。

考古学者の…

この遺跡で行われた儀式こそ

大岩山で見つかった
巨大銅鐸を祀る儀式だったと

考えています。

この「国々の統合」は

「魏志倭人伝」に
記されているといいます。

「そこで…」。

「王の中の王として」。

そう 女王・卑弥呼の共立の場こそ

伊勢遺跡だったというのです。

森岡さんの推測する
卑弥呼・共立の儀式です。

あの巨大銅鐸を含め

どれも 華麗な装飾が施された
大岩山遺跡の銅鐸。

それらが
伊勢遺跡の巨大な建物に祀られた。

オー…。

もちろん これは 銅鐸の合体と消滅を
解き明かす 一つの解釈。

多くの謎が残されています。

オー…。

♬~

日本最大にして 最後の銅鐸。

それは この国が 一つにまとまり
新たな時代へと踏み出した

「記念碑」なのかもしれません。

銅鐸の破片が発見された
奈良盆地 東南部。

ここで 銅鐸に代わり

新たに国の宝とされたものが
出土しました。

それは 鏡。

権力者は 祭祀にあたり
鏡を使うようになります。

その決断を 卑弥呼がやったんでは
ないかなというふうに思います。

(銅鐸の音)

かつて 日本列島に鳴り響いた
銅鐸の音色。

この国の人々が その音を耳にすることは
二度となかったのです。

♬~


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